翻訳者魂

人間は関係を持ちたい。人間は知られたい。人間は参加したい。人間は貢献したい。人間は自分に価値があると思いたい。

歴史などない。あるのは無数の解釈だけだ。 パキスタンレポート

2008-01-14 13:32:15 | 国際
パキスタンへに行ってくれ、と上司に言われた。元首相が暗殺され、政情不安に陥った国をレポートするためだ。お前は独身だ、事件に巻き込まれても悲しむ人はいないだろうと上司は続けた。日本国内のくだらない事件の取材にあきあきしていた俺はすぐに了解の返事をした。

1月のイスラマバード。午後9時。気温は2度。空港から出て洟をひとつすすりあげタクシーを拾った。

左胸のポケットから1枚の写真を抜き取る。政府は、元首相の死亡原因を頭部への打撲と発表した。しかし、この写真には銃を持った暗殺者の姿が鮮明にうつっている。

次の日、俺は現場に足をのばした。殺害を目撃した人々に話を聞くためだ。

「ムシャラフが殺したのさ。自分が権力を握り続けるためだよ。」

「いや、ブッシュの差し金だ。ブッシュは民主的なパキスタンを恐れたのだ。」

「アルカイダがパキスタンを混乱させるために、ブットを殺したんだ。」

それぞれが、自分の意見を主張する。他人の話に耳など傾けない。どんなに新事実が発見され、報道されても、彼らは眠っている間に不必要な情報を捨て、自分に都合のよい情報だけを脳に残す。そして次の朝になれば、昨日と同じ主張を繰り返す。

俺には、暗殺の首謀者がだれなのかまったく見当がつかない。材料をできるだけたくさん集めて、日本に報告するだけだ。

今日は、事件直前にブット元首相と握手し、テロに巻き込まれながらも奇跡的に無傷だった少年に会う予定だ。この大きな交差点の向こうが待ち合わせ場所だ。

道路を途中まで渡ったとき右から猛スピードで小型トラックが突っ込んできた。一瞬運転手と目が合った。えっ。子供。次の瞬間、俺は跳ね飛ばされ、道路に転がった。

トラックは急カーブして人ごみに突っ込んだ。爆音とともに、建物と人間が吹き飛んだ。真っ赤な肉片がピシャッと俺のすぐそばに落ちた。瓦礫が広がり埃がもうもうと渦巻く。その方向に人々が泣き叫びながら走りよる。

俺はヘロドトスの言葉を反芻していた。

「歴史など存在しない。あるのは人々の勝手な解釈だけだ。人々の足跡を残すのだ。書かなければ、記憶はいつかすべて忘れ去られる。」

ペンを持つ右手を左手で支え、見たままを地面に置いた手帳に書こうとする。もうとうに手の痛みはない。快感が全身をおおい、意識が遠のく。

(注 この記事は創作です)


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