翻訳者魂

人間は関係を持ちたい。人間は知られたい。人間は参加したい。人間は貢献したい。人間は自分に価値があると思いたい。

ぼくが誤訳をするわけ

2007-12-17 15:21:51 | 翻訳
大リーグ薬物汚染に関するミッチェルレポートの内容を一部翻訳してここに掲載したところ、読者から誤訳を指摘された。間違いを修正する機会を与えていただきとても感謝している。

英文を読むときは、わからない単語があっても、文のかたまりをバッバッバッっと見て、次の文章のかたまりに飛ぶ。たぶん、頭の中で自分でストーリーを作ってしまうのだろう。目はそれを後追いするだけ。いや、もう文章を見てないかもしれない。

ときに、頭が暴走してストーリーをドラマチックに作りすぎてしまうことがある。目玉は文章を追っているのだけれど、自分勝手な訳にのぼせ上がってしまう。これがこわい。

ん?さん、ありがとうございました。ぼくは頻繁に暴走してしまいます。これからも変な箇所があれば、ビシバシとご指摘よろしくお願いします。

著作権について

2007-12-17 13:51:38 | インターネット
ある人や人々が作りだした作品には著作権が与えられる。詩や小説にも著作権はあるし、ここで翻訳しているニュースの元記事にも著作権はある。事実だけをのべた箇所に著作権はないという見解もあるけれども、その記事を構成する文章の組み合わせにも著作権があるという考え方もある。

産業革命前だったか、宗教改革前だったか、ルネッサンス前だったか、定かではないけれど、ヨーロッパにおいては、著作物やアイディアは、人類共通の財産と考えられ、その所有者は神のみととらえられていたこともあるそうだ。一人が作り出したアイディアをみんなで共有し、発展させ、社会全体を文化的に、経済的に豊かにするために人々に還元していたのだろう。

現在は詩や小説や音楽や物理や化学や、そんなものを権利で縛り、それを作り出した人や団体やその子孫だけを経済的に潤しているが、それはとても僕にとっては不便。そういったものを引用したい欲求が抑えられない。

デジタル機器とインターネットが発達し、デジタルものは完璧にコピーできる世の中だ。著作権でがんじがらめにしても、流通は抑えられない。どうだろう、もう新聞社なんかは記事の著作権を放棄してくれないだろうか。

と思って、新聞協会の著作権に関する意見というのを読んだ。その中に、新聞社の使命とは、ニュースを社会全体のものとし、意見を自由にいうための広場をつくることだ、という記述があった。それなら、ニュースに著作権はいらない。そうすれば、もっともっとブログなどで意見を活発に言えるようになり、新聞協会の言う広場が実現する。ぜひ、ぼくらにニュースを自由に引用できる権利をください。お願いします。