OT園通園日記

車椅子生活の母を老人ホームへ訪ねる日々。でもそればかりではいられない!日常のあれこれを書いています。

旅立ちました

2014年01月22日 | 家族の話題

1月21日夕方、15年一緒に暮らした我が家の犬、くちゃくんが旅立ちました。15歳6ヶ月、老衰といってもいいのでしょうね。

 

 

年末から食欲が落ち始めていて心配していましたが、1月14日からは固形物を受け付けなくなりました。犬用の流動食やミルクも試しましたが、それもあまり乗り気ではない様子、犬用のポカリを針のない注射器で口に運んでおりました。たくさん飲ませすぎると吐き気に襲われます。少しずつ、頻度を増やして渇きを潤すようにしていました。

 

自力で立ち上がることができないので、足をバタバタ動かす時には起こしてやり、用を足させていました。それ以外の時は、ただただ横になって眠るばかり。このまま静かに逝くことができるなら、それもいいのかと思いましたが、死ぬということはそれほど甘いことでもないのですね。19日夜から、突然足を突っ張るようにして悲鳴のような鳴き声を上げ始めました。痛いところがあったのでしょう。痛み止めを使って眠らせるようにしました。この頃からは、尿も一切出なくなりました。もう長くはないなと覚悟を決めました。

 

20日の夜は、泊まりにきてくれた娘とくちゃくんを挟んで川の字で眠りました。夜中に「ウォン」と声が上がると、両側から手が伸びてクチャの頭や体を撫でます。最後まで甘えん坊の子で、痛みや不快も撫でてもらうことで軽快するようでした。落ち着いた頃を見計らってそっと手を引っ込めますが、まだ足りないと感じた時には「クゥーン」と鼻を鳴らして愛撫を催促。私と娘で24時間つきっきりの世話をしました。

 

夫も、娘も、私も、「頑張れ!」という言葉がけを止めました。「頑張ったね!」「えらいね!」「ありがとうね」そんな言葉をかけながら、苦しんでいる犬を励ましました。最後の3日間は、「もうがんばらなくてもいいよ」、「早く楽になれるといいね」という気持ちだったのです。

 

最期の時もやはり苦しそうでした。呼吸はずいぶん浅くなり、四肢はダランと全く力がありません。それでも不快にあえぐようにしているくちゃくんを両側から支えて撫でていた時、くちゃくんの頭がクラッと後ろに崩れました。そして呼吸が止まったのです。「あぁ、やっと終わった…」冷たいと思われるかもしれませんが、悲しい気持ちと共に、彼の苦しみの時が終わったことに安堵しました。

 

クチャは6歳の頃に白血病のような病気(溶血性貧血)にかかって、死の一歩手前まで行ったことがありました。その時の経験から、最期の時は私の腕の中で看取ってやりたいと決めていたのです。獣医さんのケージの中で冷たくなるのは絶対イヤだと心に決めていました。だから、私と娘の手の中で看取ってやれてホッとしています。不安そうに「ウォン、ウォン」と鳴けば、「ここにいるよ」「一緒にいるから、怖くないよ」と声をかけてやりました。しっかり獣医さんに見せて治療をしていれば、もう数日、もう数週間長生きしたのかもしれませんが、家で看取る選択は彼のQOLをより良く保つ事ができたと自負しています。(自己満足なのだろうか…)

 

娘が中1の時から飼い始めた犬でした。思春期の子どもたちは、犬と暮らすことで、愛すること、家庭の温かさ、信頼されることなどを自然に学ぶことが出来たと思います。子どもたちがまっとうに成長して、平凡とはいえ社会人として独り立ちできたのにも、くちゃくんは助力してくれたと感謝しています。

 

ふとした瞬間に、無意識に部屋の中でくちゃくんを探しています。これからしばらくはこんな状態で、目がくちゃくんを探し、頭が「もういないんだ」と確認するようなことが続くのでしょうね。寂しいです。もう一度あの目を見つめたいです。抱きしめて暖かさを感じたいです。もうそれは無理なのですが、彼の愛情、信頼、暖かさを感じながら一緒に暮らしたことを私の宝物として大事にしていくつもりです。

 

ありがとうね、くちゃくん!

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿