毎年恒例の参集訓練が行われました。午前7時に地震が発生したということを想定して、7時から着替えて出動して何分かかるかという訓練です。その後、何らかの想定を付与されながら緊急車両担当者らは近所の落合水再生センターへ行き、ポンプの連結訓練や放水訓練をしました。その後、若松町の事務所にいき、ボランティアに来てくれている大学の同期と一緒にポスター貼りに出かけました。
今朝は6時半集合で区内消防団合同点検がありました。現地には7時半集合なので、30分前の出発を目指し30分前に集合して準備をします。現地では、式典が始まる10時までにリハーサルを行い、式典に臨みます。
昼ごろに終わったのち、地元に帰って商友会のちびっこ祭りに参加しました。着替える間もなかったので、コスプレ警官のような格好で変に注目を浴びました。
片付けが終わったのち、再び着替えて立正佼成会のお会式という行事の見学に行きました。新宿協会の出番はおおとりで17時15分開始でした。観覧席から見送ったのち、地元に帰ってお祭りの反省会に出席しました。閉会の三本締めが終わってから着いてしまったので、宴会のやり直しが始まってしまい帰るに帰れなくなり深夜に至りました。明日の区議団総会間に合うかな・・・
ポスター貼りをしながら、近所を歩いていると赤色灯が見えました。消防団員魂で駆けつけるとクルマの油漏れで消防署が除去作業をしていました。町内の食材卸業者の配送の車が、段差を解消するための金属板を踏み外した際に金属板が跳ね上がったようで、それが燃料タンクにぶつかり破損したそうです。つい最近の首都高の事故の再現となる恐れがあったため、消防署の化学薬品を使って経由の除去作業にあたっていたようです。
区役所で書類整理をしていると、メールが来ました。どうやら、火災発生とのことです。メールの中身を見ると、何と自宅の近所のようです。急いで、整理中の資料を片付け、出動することになりました。たまたま、自転車に乗ってきてはいなかったので、やむなくタクシーに乗りました。夕方の時間帯なので、大久保通りは渋滞していて、なかなか車が進みません。
途中、連絡網で消防団の仲間と連絡を取り合ったり、分団長へ連絡網の伝達終了の連絡を入れたり、ようやく自宅へたどり着き、防火服をまとって現場に到着しました。丁度、鎮火したところで不要になったホースを巻く作業に加わりました。
気の毒なことに出火元の高齢者夫婦が負傷したそうですが、命には別状がなかったそうですので、ホッとしました。鎮火後、しばらくしてから消防署の指導を受けながら出火現場に入って、どのような状況でどのような火災が発生したのかを教わりました。建物の中は、入口に入った段階ですでに熱気を感じるほど高温になっていました。消防隊の人々は、再出火を防ぐために残火処理のため残ることになりました。
(写真は私が撮ったものではありません。近所の方が撮影していたものです。)
奮戦むなしく、12分団中9位となり今年も撃沈しました。とはいえ、徐々に差が縮んできているようです。操法の型は大体出来てきているようなので、後は時間の短縮を図り、時間原点を減らすことに活路を見出そうと反省会を締め括りました。写真は、同級生とそのお兄さんが操法を行っているところです。
週末から始動する区議会定例会を前に、さまざまな審議会や検討組織の動きが止まり、会議に終われる毎日から束の間の解放をされています。
今日は、午前中に柏木地区防災協議会に出席し、午後は打合せで人と会い、夕方からはライオンズクラブの会合や地元の親睦会へ出席しました。
8時30分には分団の小屋に集合し、9時には訓練を開始できるよう準備を開始します。今年は、雨にたたられ、なかなか思うように訓練が出来ず焦っています。もしかしたら、大会に出場できるのは今年が最後かもしれないという思いもあり、一度ぐらいは入賞したいという思いが募ります。
午前中の訓練の後は、お昼から新宿あした会の総会が開催されました。知的障害を持っていらっしゃる方たちの生活向上などに取り組んでいる団体で、新宿区も就業支援などで深いお付き合いがある団体です。会場では、障害者たちが作った製品が販売され、私もケーキ類を購入し家族でいただきました。なかなか美味しいケーキです。
夜は、百人町明るい会商店会の総会に出席し、その後、柏木グランドゴルフ協会の総会に遅れて出席しました。遅刻した分、二次会への付き合いもあり、翌日にお酒を残さないよう水も飲みながらしのぎました。
消防団に入団してちょうど5年が経過したところですが、初めて出初め式に出動することになりました。午前5時30分に消防団の詰め所に集合なので、4時30分に目覚ましをかけて寝ました。昨晩の疲れがとれていないのでなかなか起きあがれません。目を覚ますたびに、5分づつ時間をずらしながら最終的に4時50分に起きて昨日の新年会でもらったサンドウィッチを呑み込んで出動しました。
夜露が凍っているようで、そこかしこに氷の張った自動車のフロントガラスが見えます。バケツに水を入れておいたら、きっと凍っているだろうなと思います。実際に、有明の会場に行くまでの道すがら7時前に温度計を見たら1度でした。5時台の気温は零下だったかもしれません。 現地では、簡単な説明とリハーサルがあった後は、ひたすら待ちの時間でした。自分たちの出番までは観客から見えないところで待機となりますので、始まる前のちょっとした時間に準備された設備を見ながら、恐らくこういう実演があるのだろうと想像しながら見学してみました。
写真は瓦礫に埋もれた自動車を救出するところと、ビル火災の消火の実演の施設です。
その他、デモンストレーションに来ていた東京電力の自営消防隊の車両や大規模災害発生時(オウム事件など)に出動する特別救助車両などが展示されていました。実際に目で見ることができたものは、消火船による4色の放水だけでした。消防関係者2800人の共演でした。今度は、見る側で参加したいと思いました。
毎年、秋になると消防団の早朝集合訓練が実施されます。早朝に大地震が発生したという設定で、決まった時刻に起床し、消防の装備を身につけて団小屋に集合するという訓練です。その後、隔年ぐらいの確率で神田川まで消防ポンプを移動し、他の分団のポンプをホースで連結し、長距離にわたって放水するという訓練をします。
今年は、東京都の水再生センターをお借りして放水訓練をさせていただきましたが、ポンプの移動が積載車という自動車になりましたので楽になりました。以前は、台車を引いて移動していましたが今回は楽でした。時間も以前は6時地震発生の設定が、7時30分になりましたし、家族に迷惑がられないのが最高です。
北四町会恒例の盆踊りも今日が最終日ですが、午後に激しい雷雨があり、町会の防災部長の立場からも神田川の増水も気になりました。
例年、櫓作りからお手伝いをしているのですが、昨年は委員会開催で、今年は選挙戦最中でほとんどお手伝いらしいことができませんでした。
家族も、それだけに役員さんたちに合わせる顔がないとのことでひっそりと踊って帰って行っていたそうです。それでも、金・土と二日間雨も降らずに楽しく踊ることができたようで子供も満足していたようです。 さて、最終日の今日は生憎の雨天で途中で中止をせざるを得なくなりました。雨の中の撤収作業は結構大変で、濡れてしまった物品は乾かしたから改めて収納しないと黴びたり錆びたりしてしまいます。町会会館へと、取りいそぎ運びましたが、明日以降に干してしまわなくてはなりません。
片付けが終わって帰宅すると22時過ぎでした。盆踊りの最終日といえば代替午前様になることが多かったのですが、ずぶ濡れの上に泥だらけなのでさすがにお疲れさん会もできずに素直に帰りました。
さぁ、開票特番でも見ようかなとスイッチを入れましたが大変なことになっていました! 全国的に負けるとは想像していたものの、「落としちゃいけない人(まともな人)まで赤信号がついている。ひとまず風呂に入って落ち着こう。」と出てきても、状況が変わっているわけもなく、「あぁ、この先生が落ちちゃったんだぁ」という場面が繰り返されました。
比例区にいたっては、開票速報を見ている間に夜が明けてしまいました。日記の日付は29日ですが、現在は30日午前5時30分。川口より子さん無事当選。最終日に応援演説をさせていただいた衛藤晟一さん、午前4時頃に当確、午前五時頃都連青年部の有村さんやっと当確出た。山東さんも踏みとどまったかな。
今朝は、選挙中自粛していた駅頭活動を再開します。暫くは針のむしろかな?
例年、8月の終わりから9月の初頭にかけての間に避難所での防災訓練を行っています。今年は、9月9日の日曜日に行うことが決定しました。そして、毎年この時期に頭を悩ますのは町会での役職である防災部長の役割と地域全体での役職としての消防団員の役割の両立です。基本的には消防団員は自治会の防災部員を兼任することは自粛することになっています。(消防署に確認したところ禁止ではないそうです)実際の災害時においては、防災部長はその所属する自治会内での防災活動に当たりますが、消防団長や分団長の指示に従い地域全体に奉仕する役目があるからです。
私の場合、消防団に入団したのが平成14年10月で防災部長に任命されたことを知らされたのが平成15年の6月か7月頃でした。当時は兼任自粛のルールがあることを知らなかったもので、町会から役員会で決定したからと事後報告があった際に「私でいいんですか?」と聞き返すぐらいで、あまり深刻には考えてはいませんでした。しかし、結果的には当時の分団長さんにも叱られ、現在に至っています。後任者が見つかるまでというのがこれまでの兼任の条件でしたが、中越での大震災を見るにつけ、出来るだけ早めに退団するか、防災部長を退くかはっきりしなくてはならないと考えるようになりました。私の持っている技能からすれば、消防団員としてはあまりにも未熟ですので自治会の防災部長として近隣の一人暮らしの人や倒壊した家屋からの救助活動の方が適しているかもしれません。この町に住んで、この町のことをある程度は知っている人間として、一人でも多くの人を救出するには地域限定で活動する方がいいのかもしれないと感じています。
ただ、消防団活動も大災害でなければ消防隊の補助活動や祭礼などの警戒活動、他地域の避難訓練の補助、台風時の警戒や放火多発時期の夜警など差し障りなくできることはあります。これまでの間、様々な訓練を受けさせてもらい、資格を頂いたりしてきたものを役立てないのももったいないかなという気持ちもあります。
もうしばらく、消防団と地域の狭間で苦しめられそうです。