午前中は来客のため、お昼からの懇親会から参加となりました。「市谷自衛隊友の会」は、自衛隊と近隣地域の意思の疎通や業務に対する理解を深めるために組織された会で、地域の方々が参加しています。
私は、事務局長さんの知人であったため、区議会に当選した頃から入会させていただいています。今日は生憎の雨で、押せ押せの日程となったようで、乾杯直後には到着することが出来ました。
朝は日本語学校の先生方のご意見を都議会の控え室でお聞かせいただきました。外国語を母語とする生徒の受け入れ枠を増やす取り組みのスピードアップと、受け入れ後の支援体制の整備の充実が中心でした。
その後、議員団役員会、総会が開かれ、来期の幹事長が選出されました。立川市選挙区の宮崎章都議の再登板となりました。与野党伯仲の議会構成のなか、ベテランの手腕に期待がかかっています。
終了後、都議会の研修会で元官房副長官・古川貞二郎氏の講演をお聞きしました。この方についての形容詞に「史上最長の在任期間」というものが付きますが、私は長さよりも安定感に着目すべきと考えています。話の中で印象に残ったのは、「総理に取り入るのではなく、国家・国民の為にはどうすれば良いのかを判断」、「事務次官会議を政治家が仕切れば最強の政治主導の装置になるのに、充分な検討もしないで廃止したのは残念」、「人間諦めてはいけない」(厚生省入省時の経験談から)他、参考になるお話をいただきました。
その後、さらに児童施設の皆さんと勉強会を行い、緊急に取り組むべき事項の洗い出しをしました。
四年に一度開催していた新人議員研修を開催しました。今回は、青年部(40才以下)だけではなく、全ての新人議員のみなさんにお声をかけさせていただきました。
石破茂政調会長の講演はいつもながらの説得力と迫力でした。「勇気と優しさを持って真実を伝える」ことの大事さを訴えられていました。
自民党本部の震災復旧・復興支援のプロジェクトチームの主要メンバーである兵庫県選出の谷公一衆議院議員の講演も兵庫県の防災局長経験者としての実体験に基づいたものがあり、参考になりました。
下村博文衆議院議員の「教科書問題」、深谷隆司政経塾塾長の「地方議員の心構え」、党本部講師による自民党歌「我ら」の暗唱訓練、グループディスカッションと意見発表と朝から夜まで研修づくめの一日を過ごしました。
新人議員のみなさんが五年後、十年後の政治を動かすことになります。自分のことだけではなく、党の中心の動きや情報を基に判断材料を蓄え、視野を拡げてもらえるキッカケになればと企画しました。まずは、成功したかなと安堵しています。
都議会自民党の空港・港湾整備促進議連の視察で羽田空港の新しい管制塔と貨物ビルを訪問させていただきました。管制塔の管制室は安全管理のため、かなりのハードルを越えなくてはならないので、下の階から近隣施設の説明 をいただきました。
世界的な重要路線として生き残るためには、国際線の更なる増便をする必要がありますが、滑走路を長くし大型機の発着が出来るようにしなくてはなりません。近隣地区への影響評価や配慮も必要となります。
また、貨物ビルでは温度管理の為の設備も体験(?)させていただきました。マイナス20℃は寒かったです。その他、冷温施設に隣接して害虫を発見した時に使用する燻蒸施設が置いてありました。外来の生物は時に病気を媒介したり、生態系への大きな影響をもたらします。厳重な管理のもと、輸入物が取り扱われている様子がわかりました。
昨日から訪問している岩手県に東京都が被災地支援の拠点として事務所を設置しています。盛岡市内のビルの一室で、前進基地として遠野市にも拠点があるそうです。
岩手県は海沿いからだいぶ奥まって県庁所在地の盛岡市があるので、なかなか被災現場との連携をとるのが難しいようでした。
とはいえ、岩手県と連絡密にしながら必要な人材を現地に派遣する役割を果たしていて、要望別に各地へ人材派遣をしている様子をお聞きしました。
地震による被害は震源地に近かった宮城県より少なく、沿岸地域の津波による被害が大きかった様子を確認しました。瓦礫の処理を東京も手伝えればいいのですが、現地の産業を再生する必要もあり、枠組みがなかなか定まらないようでした。
企画段階では、まさか官房長官の問責決議案を採決する日になろうとは思いませんでしたが、禁足がかかる中に時間を作っていただき無事「青年部研修会」を実行することが出来ました。
山谷えりこ参議院議員は、大変活発に講演活動や立法活動、質疑をされている議員で、教育や国防について一家言ある政治家です。
六年前の参議院選挙の際に知人に頼まれてお手伝いさせていただきましたが、異常な性教育を行っている(一部の)教育の現場情報を入手し、国会で調査をすることを約束させた人です。当時、テレビで国会中継を見ていた知人から吉住さんに紹介されたあの議員さんは素晴らしいとお電話をいただいたことが懐かしく思い出されました。
自民党都連青年部海外研修で台湾に行ってまいりました。出発前夜は町会の寄合があり、遅くまでいろいろな議論が続きました。朝、大急ぎで荷づくりをして駅弁を食べながら空港に行きました。
現地では、台北空港からバスで台北市内に移動する際に101というビルを窓から眺めました。最初の目的地は、国民党本部で幹事長と日台間の都市交流の促進について意見交換をしました。
続いて、忠烈祠を参拝し一時間ほど説明を聞き、衛兵の交代の儀式も見学させていただきました。その後、台北駐日経済文化代表處の皆さんにレクチャーをしていただきました。
二日目は、民進党本部で幹事長と日台間の安全保障についての意見交換をしました。また、孫文を祀る中正紀念堂を視察し、中国の独立運動についての説明などを受けました。
昼は、財団法人交流協会の皆さんの説明を聞きつつ、台湾と日本の経済交流や、企業活動のあり方について学びました。
午後は、国会にあたる立法院で、日台議連の方と意見交換をし、院内を視察しました。
その後、総統府で馬英九総統と面会をさせて頂き、台中の経済協定についての説明や、「台日ワーキングホリデー制度」への期待など主に経済交流の現状や発展についてお話しをされていました。その時の様子は台北駐日経済文化代表処のサイトに写真入りで掲載されています。
夜は、民進党の若手地方議員の皆さんと交流をしながら食事をしました。そのうち、先住民族の人たちの個室に案内されて日本人の代表として歓待をしていただいてしまいました。かなり、長い時間可愛がっていただき、仲間が探しに来てくれました。「乾杯」は辛いです。
3日目は、日本の車輌を採用した台湾新幹線の試乗をして、空港に向かいました。現地の皆さんは日本語が堪能で、歴史の痕跡を感じる研修となりました。
連休前最後の平日なので、走り回った一日でした。朝は、都庁が開いていない時間帯から党本部の部屋を借りて都議団の勉強会が行われました。
講師は、佐藤正久参議院議員で普天間基地の移転問題や国防の現状についてお話を聴かせていただきました。
現在、政府の有力な案として取りざたされている浅瀬桟橋案は、科学的に考えて無理だという話(厚い滑走路を造る以上生物に必要な日光が当たらなくなる、滑走路下から爆破されたら補修が困難、桟橋の土台は露出していないのでメンテナンスするのは困難がある)、有事法制は出来たが自衛隊が具体的に有事やその防止に動くための規制が多い(戦車=特殊車両にはナンバープレートやウインカーやブレーキランプを装備しなくてはならないことになっている)、日本は外国の艦船や飛行機が近付いて来ても手を出せないのを知っていて中国は何処までやれて、既成事実を作れるか試している。しかも、米国と日本が上手くいっていない今をチャンスと捉えている。大訳するとそのような話でした。
勉強会後は参議院議員選挙の推薦依頼で団体回り、総支部のパーティー券売り、中川雅治さんと佐藤ゆかりさんの街頭演説のお手伝い、ポスター貼り、資料整理、陳情の経過報告・・・と盛り沢山の一日でした。
今日は毎年恒例の柏木地区青少年育成会の花とリサイクルフェアにお邪魔させていただきました。昨晩が遅くなったので、やや遅めの朝食を摂った後に西新宿中学に行き、模擬店でラーメンを、テント内で手作りオハギをいただきました。
帰宅後は満腹で倒れていたのですが、子供が退屈していたので書類整理が終わったら遊びに連れていってあげるよと約束しました。なんとか、2時過ぎに一段落したので東京都児童会館に行くことにしました。私自身はまだ行ったこともなかったので、どんな施設でどんな事業が行われているのか見学気分で行ってきました。(妻は休み明けに担任の先生の家庭訪問に備えて家の整理をしていたので二人で行ってきました)
現地に近づくと、警官が辻々で警備をしていて、会館の前では街宣車が聞き取れないほどの音量で叫んでいました。
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子供がいたので児童会館にすぐに入り、屋上の貸し道具で一時間ほど遊ばせました。健康管理と道具を皆で使えるよう20分おきに、交代しながら子供は走り回っていました。
屋上は4時まででしたので、5時まで遊べる館内に移り、工作コーナーで遊び、退館しました。
無料で子供たちが楽しめるいい施設でした。