「暴風で昔のテナントさんの看板が飛んじゃった」と、かなり慌てた様子の母親から電話がかかってきました。
「怪我人は?」と電話を受けながら、まずいことになったなと思い、私も慌てて実家に向かいました。
家を出ると、強風のため隣の教会の自転車が全部倒れていました。途中、倒れた植木鉢や散乱したゴミが散らばっていました。
実家に着くと、実家を建てた当時に入居してたお店の雨避けの庇が片付けてありました。落下したときには、たまたま近所の人が通りかかったそうでしたが、間一髪巻き込まれずに助かったそうでした。
片付けや、撤去を手伝って下さった近所の皆さんに感謝しています。しかし、我が家が壊れた以外に被害が発生しなくて本当に良かったです。
今日は都議会の定例会最終日でした。
また、私たち新宿の自民党総支部の支部長代行をお務めだった故下村得治先生の一周忌で、法要が営まれました。議員団の役員会が終了した後、急いで参列し、献花を捧げさせていただきました。非常に厳格な政治家で、孤高な人柄でしたが、晩年は非常に後輩の心配をしながら支部長代行の激務をこなされていらっしゃいました。病魔と闘いながらのお姿には未だに頭が上がりません。
正午からは、議員団総会が開かれるので急いで都議会に戻りました。先日の予算委員会採決の未明に民主党から提案された付帯決議について、自民党の会派総会で了承したことを報告し理解を得なくてはならないからです。
1時から本会議が開会され、自民党・公明党・創新党・八王子と民主党の一部を除いた多数で可決出来ました。毎年、薄氷を踏む思いでの可決でしたが、初めて順調に予算が通りました。
終了後、議会局主催の「情報セキュリティ研修会」、会派主催の「住宅政策勉強会」開催されました。同僚と食事にでも行こうかという話も出たのですが、会合があったので地元に戻りました。夕方に一旦帰宅し、夜の日程をこなすため出掛けました。
都市部の課題の一つに「ホームレス問題」があります。かつて国は、都市特有の問題として地元自治体の責任という関わり方をしていました。しかし、長い活動を通じて議員立法で「ホームレス自立支援特別措置法」という法律が成立し、国の責務などを規定し、国の施策としてホームレス対策が進みはじめました。
今年の8月で施行後10年となりますが、時限立法のため延長が必要となります。今日は長年にわたり、一緒にホームレス対策活動を続けてきた大阪の仲間の方もみえて自民党厚生部会長の宮沢洋一参議院議員、政調会長代理の中谷元(はじめ)衆議院議員に陳情活動をしました。中谷議員との面会には大阪府選出の谷川秀善参議院議員も同席されました。
午後は、都議会にてホームレスが百人以上いる区の区議会の方々と意見交換会を行い、地元の実情を都の職員にも聞いていただきました。
私が生まれ育った町は大久保ですが、近年マスコミで「韓流ブーム」が喧伝され、ミニバブルが起きています。その煽りを受け、従来の町の様子とかなり変わった状態になっていますが、昨年冬に道路の一部が広がった時期から爆発的に観光客が増え、歩くことさえ難しい状況になっています。
そうした中、地元の方が一定の秩序を残そうと手持ちの資産を活用して「軽費高齢者ホーム」と「認証保育所」を設立しました。こういった施設は高齢化社会に役立ちますし、育児支援としても待機児解消に役立ちます。また、条例や法律により、風俗営業が近隣では出来なくなるので、風紀上もよい状況を生み出すと期待しています。
いわゆる「韓流店舗」に貸し出せば大きな収益が上がるなか、福祉に私財を投じたオーナーに感謝したいと思います。
予算特別委員会も締め括り質疑を迎えました。昨年までは築地市場の移転問題が最大の争点となっていましたが、既に地元自治体や関係団体が移転に向けた合意に動いているなかで、都議会だけ「移転反対」ではすまない状況となってきました。
今回の予算質疑では防災やエネルギーの方がメインになったようです。また、入札では、下請け業者への賃金が確保出来るような入札にしなくてはならない件や、都側や状況の都合で設計変更を余儀なくされた場合には、キチンと支払いをするべきと自民党の意見を表明しました。
区内の小学校の卒業式が挙行されました。今年は高田馬場の戸塚第二小学校に出席させていただきました。
こちらの小学校は名物校長先生が再任用制度の特例で定年後も校長先生が再任して長く勤めていらっしゃいました。新しい校長先生も一生懸命にお勤めになっています。二クラスの卒業生が巣だっていきました。
昨年は大震災の影響で自衛隊の方々との連携が活動を邪魔することになってはということで、休眠していた防衛議員連盟の総会が開催されました。
都内にも自衛隊関連の施設が点在していますが、地域住民に理解を得ていただくために、まず議員が自衛隊の活動を深く理解しようということで活動しています。
午後からは常任委員会の審議が行われました。厚生委員会は病院経営本部所管分の質疑で無事に終えることが出来ました。
夕刻、ライオンズクラブの例会に出席する予定でしたが、明日の委員会の打ち合わせや意見書への対応について会派内の相談をしていたら間に合わなくなってしまいました。クラブのルールで罰金が課せられます。
先週行われた予算特別委員会審議を受けて、一旦各常任委員会に予算案の調査を付託され審議しました。その他の議案の審査も合わせて行いました。
予算案については、次期の「がん対策推進計画」策定について、「弁当の行商」について質疑し、条例案については「ふぐ調理師についての条例改正案」についてでした。
その他に議員提出議案の審査がありましたが、準備不足と実効性の担保が見出だせなかったことから反対の意思を表明しました。議員が条例を提案することは、与えられた権能の一つですので評価できますが、関係者と調整せずに目標を前提とした執行条例を可決だけして、後のことは他人任せという条例は可決してはならないと考えました。
近いうちに議事録が公開されますので、詳細はそちらを見てジャッジしていただければと思いますが、条例制定が手段なのか目的なのかはっきりしない提出過程でした。
審議の最後に同じ会派の先輩議員が出し直して一緒に「いい条例」を出す気はありますかと質問したところ、ご意見は聞きましたが自分達だけでやりますみたいな答弁でした。
政策を進めることが目的か、条例を提案した実績が目的か分かりにくい結末になってしまいました。試みは悪くないのに、進展しない結果になってしまいそうです。
氏神様の鎧神社の社務所が昨年の震災時に痛んでしまっていたので、新築することになりました。
この度の建て替えで一番の目玉は社務所機能が一階になることです。総代会や惣町会等を開く時に、二階に上がるのがなかなかしんどいという声もあったので、新築にあたり一階を集会所にすることになりました。
これから奉納を集めることになりますが、景気を良くすることによってサポート出来ないかなと考えています。商工政策を充実させなくては…(議員は寄付が出来ないので)
親戚の法事があり、横浜に行きました。結婚式も地味に仲間内で行うことも増えてきたので親戚に会う機会もなかなかありません。我が家は父親が亡くなったので、代理として出来るだけ参加することにしています。
しばらく会わないうちにみんな大きくなってというか、それぞれ家庭を持って子供がたくさんいました。にぎやかで自分が子供の頃のことを思い出しました。
今日の一番古い法要の対象者は70年前にフィリピン沖で戦死した方でした。身内に戦死した家族がいなかったので不思議でいたのですが、今日の法事で初めて親族で戦死者がいたことを知りました。
祖父は戦争時四十代で内地にいて、父親はまだ小学生でした。母親は終戦間際に産まれているので戦争すら記憶にはありません。叔父や叔母から疎開時のお話を聞くぐらいしか身内からの戦争体験をお聞きする機会が無かったので、貴重な体験になりました