ごろりんブログ

雫石鉄也のブログ

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス

2024年02月05日 | 映画みたで

監督 ダニエル・クワン、ダニエル・シャイナー
出演 ミッシェル・ヨー、キー・ホイ・クアン、ステファニー・スー、ジェームズ・ホン

 映画にしても小説にしても、創作物はゼロからは創れない。必ずなにかもとがあって、それの組み合わせか、また異質のモノを付与して新たな創作物が創られるのである。それが古の神話であったり、伝承や昔話であったり古典であったりするわけ。
 とはいいつつも、それまでには無かったまったく新しい創作物に出会うこともある。そういう体験は創作物愛好家としてはうれしい体験である。この映画はそういう稀有な体験を提供してくれた。まったく新しいSF映画に出会ったのである。
 SF映画、ファーストコンタクトもんでは「未知との遭遇」破滅もん「渚にて」「復活の日」ベム・モンスター「エイリアン」「ゴジラ」宇宙活劇「スターウォーズ」などあるが、この映画はまったく新しいSF映画のカテゴリーを生み出したといっていいだろう。
 むりやり分類すれば多元世界ものだろう。「私は今、ここで、こんなことをしているが、ほんまは、あっちで、そんなことしているはずやった」だれでもこないなことを思うだろう。ま、しあわせな人はあんまりそんなことは思わないだろう。
 主人公エヴリンはしあわせではない。経営しているコインランドリー店は経営不振。税金滞納。国税庁に目をつけられ査察が入る。その査察官はこわいおばさん。夫は優しいが頼りない。娘は反抗的で同性のガールフレンドがいる。父は頑固で半分ボケ。それにエヴリンは後悔のかたまり人間。歌手、女優、料理人、指圧師、カンフーの達人。などを志したがいずれも断念。こうした後悔人間の中年のおばさんが、反抗的な娘、高圧的な国税庁の査察官と戦う。と思いっきり簡単にいえばそういう映画だが、ほんまはそんな単純なもんではない。エブリンがもし歌手だったら、料理人だったら、指がソーセージだったら。極端にいえば石だったら。こういう「現実」の並行世界が目まぐるしくいれこ構造になっていて、めくるめく幻想的映像で表現される。あたかも「2001年宇宙の旅」の後半みたいに。冒頭の猿人のシーンのパロディもちゃんと出てくる。ご丁寧に「ツァラトゥストラはかく語りき」も鳴っていた。
 ともかく、あれよあれよという間に観させられる映画である。難点をいえば、娘のジョイ。もうちょっとかわいい女優はおらんかったのか。それからミッシェル・ヨーのカンフーアクションをもっと見たかったな。