謎の日常

 「観光」に”感動”などといった余計な”感情”は必要ない・・・
 ただ”事を終わらす”とだけ考えれば良い・・・

難攻不落の名城攻略(ホーエンツォレルン:ドイツ)

2008-10-31 23:57:57 | 3rdミッション ヨーロッパ
2008.10.31(金)


 ドイツ国鉄戦線は完敗し、その負け分を取り戻せるかは分からないがそればかりにかまっては居られない。

 対独戦線は続くのだ。

 と、言う事でさっそく次の狙撃対象に取り掛かる。

 ターゲットはホーエンツォレルン城。ドイツ屈指の名城としてノイシュバンシュタイン城に並び称される城だ。


 シュツットガルトを出発し、ホーエンツォレルン城最寄の駅、ヘッヒンゲンへと向かう。

 シュツットガルトからの急行のダイレクト便、ただ乗っているだけで到着するのでこれに問題は無い。

 ただヘッヒンゲンからこのホーエンツォレルン行きのバスは一日1便往復するのみ。1本逃したら後はタクシーしか手段がなくなるのが問題で、この列車がヘッヒンゲンに到着してバスの出発はその5分後と言うのが少し慌しいのが問題だ。私は荷物を全て持ってきているので荷物を駅の預かり所かコインロッカーに預けていかなければならないから時間はあるようでない。

 4両編成のこの急行は順調に最初の大きな停車駅のチュービンゲンへと向かう。到着前にアナウンスがドイツ語で流れているのが気になる。「エントシュルディグン(すいませんが)とヘッヒンゲン」という地名だけなんとか聞き取れるが後は分からない。

 列車は順調にチュービンゲンに到着。先ほどの放送も気にかかっていたので周りの様子をうかがう。

 結構な人が降りて行ったが現地人も含めてまだ数名残っている。これならば安心だ。そもそもヘッヒンゲンは小さな町だ。ここチュービンゲンで大勢の人が降りるのは不自然ではないし現地人も残っていると言う事はその先に進むと言う事だ。問題は無い。


 だが・・・


 列車は中々出発しない。


 「列車に何かトラブルが・・・??」



 少々不安になってきた頃、車掌が車内を巡回し、我々に降りるように促す。

 不審におもって確認してみると・・・



 「ヘッヒンゲンに行くのは先頭の2車両のみ!!」


 慌ててホームに出るとその先頭の2車両は正に出発したばかり!!



 「おのれぇ~・・・!!」



 流石はドイツ屈指の名城。難攻不落を謳われたホーエンツォレルン、辿りつく前からこんなトラップを仕掛けてくるとは・・・!!



 って・・・



 分かるか!こんなん!!




 幸いにしてチュービンゲンからヘッヒンゲンに向かう次の列車が30分後に来てヘッヒンゲンに行く事が出来、そして私と同様に置き去りにされた他のツーリストとタクシーをシェアできたので被害は最小限に食い止める事が出来たが・・・


 それにしてもこんなのはあんまりだぁ~!!



 訪れたホーエンツォレルン城。

 先ずは遠景から


 そして入口から見た景色と中庭から
 

 ホーエンツォレルン城から見た周りの雪景色
 



 ちなみ帰りのバスは1600時の1本のみ・・・


 私はプロフェッショナルとしてこういおう。


 このインフラの悪さ、アクセスの面倒さを考えると・・・



 このドイツ屈指の名城。


 そこまで頑張て行くほどの物でも無かった・・・


 と・・・


 ちなみにこれは帰りに寄ったチュービンゲンの街並

 




対独戦線の始まり(シュツットガルト:ドイツ)

2008-10-30 22:42:43 | 3rdミッション ヨーロッパ
2008.10.30(日)


 次の目的地はいよいよドイツだ。

 デュッセルドルフに合計10日間程度はすでにいたのだが、完全に居候&プチ沈没と決め込んでいたのでドイツ旅行はここから始まると言っていいだろう。

 滞在しかしていなかったとはいえ、ドイツは安定感があり、非常に効率的な国だということはすでに分かっている。

 ここでは何のトラブルも心配する必要は無い。

 チューリッヒの駅に朝の0900時に行きシュツットガルト行きのICE(ドイツ版超特急、新幹線みたいなもの)を待つ。チューリッヒからシュツットガルトまでは2時間半程度だ。私にとっては実にイージーな移動と言っていいだろう。

 若干遅れた物の列車がホームに到着し、荷物を持って乗り込む。後は出発を待つだけだ。



 「んっ?」



 なにやら放送が入ってくる。辛うじてシュツットガルトというのは聞き取れるが・・・



 なにやら悪い予感がする。


 私は列車に荷物を置いたまま、ホームに出て乗務員に聞いてみると・・



 シュツットガルトまでの路線でトラブルがあったらしく、何とこのICEはシュツットガルトに行かない!!


 と・・・!!




 「うーん、のっけからやってくれるぜ・・・」



 特急のチケットを高い金を出して押さえ、座席も指定にしてるのに・・・


 チケットオフィスで確認するとシュツットガルトーチューリッヒ間が不通になったのでチューリッヒ→バーゼル→カールスルーエ-→シュツットガルトと回り道をしなければいけないらしい。しかもダイレクト便だったのが乗り継ぎ2回とは・・・

 私は止むを得ずチケットの予約をし直す事にした。追加料金など勿論なしだ。

 チューリッヒを1000時過ぎにようやく出発してバーゼルを経由してカールスルーエーには1250時、本当ならもうシュツットガルトを観光している時間帯の筈だ。




 話は少し変って私はここで一つある広告に気付く。


 ドイツの鉄道代は高い。だがバーンカードというのを作れば安くなるようだ。


 これは2種類あってバーンカード25(25%引き)とバーンカード50(50%引き)だ。

 バーンカード50は200ユーロ、これは流石に手が出ない。が、バーンカード25は55ユーロ。私のように移動を頻繁にし、そして今日の到着地がどこになるか分からないといったようなツーリストには手に入れても損はしないし元は取れるだろう。

 そう思ってチケットセンターで購入を決める。

 通常は1年で写真入のプラスティックカードになるが、それだと申請してから4週間後ぐらいに到着する(使用は購入時から可能)でドイツに住所を持たない私の選択肢には入らない。だが、よく聞いてみると2ヶ月間の有効期間なら列車のチケットタイプ(紙)で購入可能と言う事だ・

 55ユーロ、決して安くないが今後の対独戦線を考えると買っておいて良いだろう。

 私は即座に購入を決める。


 並の旅行者なら見落としてしまうようなこのような物の存在に気付き、そしてゲットしてしまうあたりがこの私がプロフェッショナルと呼ばれる所以であろうか?


 バーンカードの購入も手伝って、当初予定が無かったハイデルベルグ観光をすることにする。カールスルーエからなら少し遠回りはするもののカールスルーエー→ハイデルベルグ→シュツットガルトが可能だからだ。


 列車で約50分かけてハイデルベルクに到着。早速観光を始める

 その名も直球なハイデルベルグ城からの街の景色
 

 ここハイデルベルグは学生の町として有名で、その昔ゲーテやショパンなどの多くの詩人や芸術家がやすらぎを求めてこの街を訪れたと言う。




 「・・・」



 だけど日本の高校生が修学旅行で学生服のまま訪れるのは如何な物か・・・??地元のドイツ人が「彼等はサッカーチームか?」等と聞いていたぞ。


 ネッカー川の対岸に渡りシュランゲン小道を登り哲学者の道から街を眺める
 


 天候が悪いのは残念だったが赤レンガ色のしっとりとした街並は様になっているのは流石ドイツと言うべきか。


 私はハイデルベルグを1800時に出てシュツットガルトへ向かう。

 バーンカード25を手に入れて調子に乗っている今、IC(ドイツ版特急)の指定席とゴージャスだ。

 シュツットガルトには1850時に到着。

 観光案内所がぎりぎり開いていたので明日の移動も含めて色々確認する。


 すると・・・




 「ドイツには州別の交通機関乗り放題チケットもあるのよ、特急は使えなくなるけど急行なら大丈夫。それにそれだったら安いわよ。それに駅の自動販売機で3日以上前にチケットを買えば特急でも半額くらいで乗れるわよ!」


 と・・・



 そういえば居候先からもそうアドバイスを受けていたような気が・・・



 ガイドブックの地図を開いてみる。


 チューリッヒからシュツットガルトのチケットはスイスで購入していたので、それは置いておくとして・・・


 ちなみにカールスルーエからハイデルベルクまではバーンカード割引で約8ユーロ、そしてハイデルベルクからシュツットガルトまではICだが約19ユーロ、これで合計27ユーロだが・・・

 もしこの州別チケットを買っていれば20ユーロ前後・・・




 「あぁぁぁぁ・・・・!!」


 
 州別チケットがあるのを知っていたなら格好つけてICなんかに乗らずに安い手段でいっていたものの・・・


 それにバーンカードももう買っちゃった・・・55ユーロも出して・・・(涙)



 それに3日前以上に購入していたらなんて・・・


この旅行のスピードでそんなこと予め決められるか!!



 対独戦線その緒戦、対ドイツ国鉄戦線は・・・



 このプロフェッショナルの完全敗北と言うしかないだろう・・・


 到着したシュツットガルトの夜景
 

 



 これはシュツットガルト駅、ベンツのエンブレムが駅の頂上に燦然と輝く
 


冬に咲く花(チューリッヒ:スイス)

2008-10-29 21:53:01 | 3rdミッション ヨーロッパ
2008.10.29(水)


 リヒテンシュタインに余りにも見所が無かった為に観光を簡単に切り上げてチューリッヒへと戻ってきた。

 ここはスイス最大の都市、それなりに観光も出来るはずだ。

 リヒテンシュタインから戻ってたのは1530時、まだ時間はある・・・


 大聖堂とその上からの景色
  

 


 そして夜景も・・・

 

 

 


 チューリッヒ駅の照明




 ここは過不足無く良い街だ。



 フィレンツェを「花の都」と表すが、ここも私にとっては「花の都」と譬えても良い趣がある。



 冬なのに、そして雪が降っているにもかかわらず、私の中には「花が咲いてきた」ようである・・・



 そう、頭の中にはこんな童謡の一フレーズが浮かんでくる。





 「咲いた、咲いた、チューリッヒの花が・・・」




 と・・・

スイスの中の小国(ファドゥーツ:リヒテンシュタイン)

2008-10-29 19:09:32 | 3rdミッション ヨーロッパ
2008.10.29(水)


 ベルンからチューリッヒに到着。とはいってもこのスイス最大の都市が目的ではない。

 ここからリヒテンシュタインの首都ファドゥーツを訪れる為だ。


 チューリッヒでドミを取り、さっそく列車とバスを乗り継いでファドゥーツへ向かう。

 
 ファドゥーツ街並


 最大の見所ファドゥーツ城。最大の見所なのに中は公開されていない。
 

 そのファドゥーツ城付近からの街の眺め
 



 「うーん・・・」





 「何も無さ過ぎ・・・」



 唯一ちょっとおやっと思えたのは中心街にあるデザイン系の彫像だろうか?

 



 とは言えども・・・


 これも別段たいした物ではない・・・




 私はプロフェッショナルとしてこう言いたい。



 「リヒテンシュタイン・・・」




 「この程度ではお笑いの世界では失格だ」




 と・・・

酩酊の街(ベルン:スイス)

2008-10-28 18:59:29 | 3rdミッション ヨーロッパ
2008.10.28(火)

イタリアのミラノからスイスの首都ベルンに到着、このプロフェッショナルにとって162ヶ国目になる国だ。

 デュッセルドルフからローマに飛んで以降、凄まじい速さで移動と観光を続けているので疲労のピークに達しているがだからといって手を緩めるわけには行かない。

 早速街に繰り出し、世界遺産にもなっているこの首都ベルンを観光する。


 ベルンの街並
 




 ミラノからスイスへ移って来て寒さもひとしお増したようだ。

 おまけに雨まで降ってきている。

 だが、夜景まで含めてこの街を観光しなければならない。


 ベルンの夜景
 

 

 バラ公園から眺めたベルンの全景




 疲労のせいだろうか?それとも寒さのせいだろうか?

 休み無しに観光し続けてきたからなのだろうか?

 
 夜景を撮り終えた後、私にどっと疲れが襲ってくる。

 酒を飲んだわけではないが頭の中は酩酊状態といってよいだろう。




 この落ち着いたベルンの街並が私にそうさせたのかもしれないが・・・



 このプロフェッショナル・・・




 「ベルンではベロンベロン」であった・・・

ゴシックの精華(ミラノ:イタリア)

2008-10-27 17:13:47 | 3rdミッション ヨーロッパ
2008.10.27(月)


 モナコの狙撃を終えてミラノに到着。イタリア5大都市最後の都市になる。

 ミラノと言えばファッションで有名な街だ。

 このプロフェッショナルも小粋に「モンベルのトレッキングパンツ、ユニクロのTシャツにトレーナー、アウトドア用のベストにこれまたユニクロのフリース、そしてモンベルのゴアテックスのレインジャケットにチリで購入したキャップ」とミラノに併せて「ミラノ・ファッション」に身を包んでの観光を決め込む。

 足元も「黒い靴下にチリで買ったノースフェイスのゴアテックス、ミッドカットトレッキングシューズ」と抜かりは無い。

 日本に居ると「ファッション先行」とイメージしがちなこのミラノだが、もちろんそこは芸術の国イタリア、それだけの街ではない。

 ここにはゴシックの最高傑作と言われる「ドゥオーモ(イタリア語で大聖堂)」があるのだ。

 
 私は早速この「ドゥオーモ」を狙撃する事にした。


 ドゥオーモ、前から斜め前から。
 

 そして斜め後ろから


 中とステンドガラス。
 

 上に登って見たドゥオーモ
 

 


 うーん・・・


 ゴシックの最高傑作と言われるだけあってこれは凄い・・・




 勿論ミラノはこれだけの街ではないが・・・


 このドゥオーモが凄すぎるので他が霞んでしまうのは致し方ない


 ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア。まあショッピングアーケードです。
 

 ムッソリーニ時代を代表する建築物であるミラノ中央駅
 

 近代のミラノを代表する高性能モビルスーツの模型



 他にもまだいろいろあるが・・・



 私はもうドゥオーモの凄さに釘付けであった。


 ドゥオーモの夜景
 

 




 ここはゴシックの最高傑作と言われるが・・・


 他の様式の建築はいざ知らず、ゴシックという事に関してはこのプロフェッショナル、未だかつてこれ以上の建築物を見たことはない。





 確かにゴシックの最高峰はここである。





 なんでもこのドゥオーモは14世紀後半に着工され、正面の完成は19世紀という気の遠くなるほど長い年月を経て建てられてきたのだ・・・



 多くの人々の手が、熱い思いが、現在にこの感動を呼んでいるのだ。


 最初に図面を引いた建築家には「天晴れ」と言うしかないだろう。




 私にはこの建築家の心が響いてくる。



 これだけのど派手な建築物を作りながら彼はおそらく謙虚な人間だったのだろう・・・



 人は時として普段外面に出せない感情をこうして作品で表すものだからである。





 彼がはにかみながら、墓の下から私に語りかけてくる声が聞こえて来る。










 「ドゥオーモ・・・こんなに凄くてドゥオーモすいません」








 と・・・


1年ぶりの接触(モナコ公国)

2008-10-26 16:48:19 | 3rdミッション ヨーロッパ
2008.10.26(日)


 セボルガ公国という前座を終え、次に向かうのは本命モナコ公国だ。

 ここでは一つ大きな喜びがあった。

 1年ほど前にウズベキスタンで宿を共にした「ヒデキとアイさんカップル(プライバシー保護の為に匿名です)」がニースに居てここモナコで再会する約束をしていたのだ。

 彼等は私と大体同時期に旅行を開始しているのでそれもまた浅からぬ因縁と言うべきだろう。

 ちなみにウズベキスタンであった時はお互い3年目、私は既に100を超える国に訪問していたのだが彼等はまだ「一桁」というその超スローペースっぷりにびっくりした記憶がある。


 到着したモナコ・モンテカルロ駅。きらきらしていて綺麗・・・


 ちなみに一般にはヴァチカン市国に次いで世界で2番目に小さい国。そう言えば領土のない国マルタ騎士団国はこの争いにカウントするべきなのだろうか?まあそんなのはどうでもいい話だが・・・。


 生意気にも首都があって首都はこの「モンテカルロ地区」である。





 待ち合わせはもちろん「グラン・カジノ」前だ。

 グランドカジノとその前の公園
 

 無事に接触を果たし、観光を共にする。普段ソロでミッションをこなす私にとっては、日帰りとはいえこうして知人と一緒に周る事ができるのは非常に楽しい経験である。


 F-1で有名なヘアピンカーブとその付近にあったF-1モニュメント。F-1を見ないのでどう有名なのかは知らず。
 

港の景色と海、海の青が本当に澄んでいて美しい。
 

 大公宮殿にその付近から眺めた港の全景
 

 熱帯公園から眺めた旧市街



 接触したのは1130時、今は大体1630時。2人と話しながら、そして景色を楽しみながら時はどんどん過ぎていく・・・


 夜の大公宮殿


 モナコ港の夜景
 




 時は経ち、終電の時間もそろそろ近くなってくる。




 最後は夜のライトに煌くカジノを眺めて駅に行く事にする。
 





 そして駅に行き、2人に別れを告げる。





 それにしても・・・





 こういった観光も本当に良い物だ・・・





 彼ら2人に会えたお陰でいつも以上に楽しい思いが出来たのだ・・・






 彼等に感謝の意を込めてこう伝えたい。






 このプロフェッショナル・・・



 ヒデキさんたちに出会えて感激・・・





 略して





 「ヒデキ感激!」



 と・・・






 あれっ?日本語がおかしい??


闇の公国(セボルガ公国)

2008-10-25 04:29:58 | 3rdミッション ヨーロッパ
2008.10.25(土)


 きっかけは知人からの些細な一言だった。

 マルタ騎士団国の訪問?をある秘密交流クラブに記事として書いたら彼は私に

 「北イタリアのセボルガ(自称独立国)も行ってみたら?」

 と、送ってきたのである。

 ちなみにこの知人はその名を「ミラクル」と言う。

 初対面の挨拶が「ミラクルです」とぶっ飛んだ男だが、20代の若さで120カ国以上もすでに訪問していると言う歴戦の勇士だ。

 余談ながら彼の「赤道ギニア行」や「トランスドニエストル行」などは涙・・・というか笑い無しでは聞いてはいられない。

 今まで奇跡などを全く信じなかった私が最初に出会った「ミラクル」は彼だと言って良いだろう。


 だが、私の次の目的地はモナコ公国、恐らくはセボルガ等と言った国に行く余裕はないだろうと思いながらも調べてみたら恐るべき事実が判明したのだ。

 そう、セボルガはモナコに非常に近い場所にあったのだ。


 そうなってくると話は変る。近くにあって簡単に狙撃出来るのなら・・・例え「自称独立国」と言えども逃すわけにはいかない・・
 
 当初はモナコへの狙撃を考えてフランスのニースに滞在する予定であったが、急遽滞在場所を切り替えイタリアーフランス国境付近のイタリア側の町ボディゲイラを拠点にする事にした。



 そして早速バスに乗りセボルガ攻略へと取り掛かる。

 ちなみにセボルガ公国は人口約360人、面積はたった4km²、バチカンやモナコには及ばないが中々の小国っぷりだ。



 建国の歴史は古く959年、そしてイタリアからの独立を宣言したのは1963年だ。


 独立の根拠などは先に出したリンク先に譲るとして、公共サービス等は全てイタリアと同等、そしてイタリアはこの国を「単なるイタリアの一つの村」と見做しているとの事だ。


 そして独立宣言をしておきながらイタリア上院選挙の投票率は80%を超えるというどうみてもイタリア以外の何者でもない雰囲気が漂っているが・・・




 「百聞は一見にしかず」




 ここはこのプロフェッショナルの冷徹な目で「セボルガが国か?そうでないのか」を確認するしかないだろう。


 バスがセボルガに向かう。途中に「ウエルカム」の看板が・・・


 そして到着した広場、セボルガの国旗がはためいている・・・
 

 バス停付近の公共トイレ、アラビア式のトイレがイタリアの文化圏から離れた事を示唆する。


 通りの名前を示す標識に「セボルガのマーク」が・・・
 

 


 「ただの自称独立国かと思いきや・・・、こやつ等なかなかにやりやがる・・・」


 郵便受けにも堂々とセボルガのマークが・・・
 

 

 土産物屋に燦然とはためくセボルガ国旗、そしてこれはセボルガワイン
 

 街の中心の広場に教会
 

 

 セボルガ公国の全景、下から上から
 





 中々やるようだが・・・






 これだけでここを国家として認める訳には行かない。

 自称独立国家とはいえ他の国は「独自の通貨や独自の切手」等を発行して体裁を整えようとしているし・・・んっ??


 独自の切手
 



 ちなみに切手ではないが、セボルガスタンプ付きのポストカードを買ってそのスタンプをパスポートにも押してよと頼んだら「イタリアで警察につかまるから押せない」と断られてしまった。



 そしてなんと独自の通貨が!!


 

 ちなみに換金レートは1ルイジーニ(セボルガの通貨単位)=7ユーロ、2ルイジーニ=14ユーロだった。このルイジーニは他のユーロ圏で通用しない事は勿論のこと、ここセボルガですら流通するかどうか怪しい、別名記念コインとも言える。





 いやいや、これだけで独立国家とは言えない、肝心のパスポートが無いでは・・・あっ!!




 パスポートまでしっかりと・・・不思議と今日始めて訪れた観光客が2.5ユーロで手にする事が出来、そして出入国スタンプを押すページがどこにも無いが・・・



 ここまできちんと体裁を整えていれば・・・





 って・・・




 そんな無茶な事があるかっ!!


 どう見てもただの「村おこし」だろうっ!!




 セボルガ・・・


 私にとって160カ国目になると思われた国だが・・・



 これでは「国と認める訳にはいかない」だろう・・・



 セボルガを後にして私はボディゲイラの宿に戻る、そして時間があったのでネットで再度調べると・・・



 他の独立国にはない、日本語のホームページを開設しているぞっ!!


 「セボルガ公国駐日通商代表部ウエブサイト




 これは・・・



 ウルトラCだ・・・



 かつて自称独立国を名乗る国でわざわざ日本語のホームページを立ち上げた国があっただろうか??


 セボルガ・・・確かに国と言うには物足りない面が多い、というかあまりにも無理があり過ぎるかもしれないが・・・


 この1件だけでも「ここを認める価値」があるだろう・・・



 んっ・・・??


 あれっ???



 このホームページ・・・・



 良く見たら広告付きの無料ホームページ ではないか・・・!!




 仮にも一国を名乗る者が・・・



 独自ドメインも取得せず、単なる無料ページを利用するなんて・・・



 悲しすぎる・・・あまりにも悲しすぎるぞ・・・




 もういい。



 セボルガ公国・・・


 ここが本当に国であるかどうかなどはどうでもいい事だ。


 この私がプロフェッショナルとして、そしてこの哀れさに免じて認めてやろう。




 「セボルガ公国は独立国家である」



 と・・・



 写真はセボルガ公国の当主、セボルガ公ジョルジェ一世。

傾いてます・・・(ピサ:イタリア)

2008-10-24 03:09:36 | 3rdミッション ヨーロッパ
2008.10.24(土)

 フィレンツェを出発し一路ピサへ。

 ここへ来た目的は言うまでもない。名高いピサの斜塔を見るためだ。

 駅に到着して早速ピサの斜塔が立つ「奇跡の広場」と言われるドゥオーモ広場を目指す。

 そして目に飛び込んできたのは・・・




 




 「おぉ!!傾いてます!!」


 洗礼堂とそこから見たドゥオーモ(大聖堂)越しに見る斜塔
 


 そしてドゥオーモ広場から見た斜塔
 

 



 「やっぱり傾いてます・・・」



 ドゥオーモの中とブロンズのランプ。余談ながらガリレオがこのランプの揺れる所から「振り子の法則」を発見したとされているが「振り子の法則」の発見はこのランプが出来る前であったとガイドブックに書いてあった。嘘と分かっていながらこの寓話を載せるあたりがある意味凄い話である。
 



 角度を変えて・・・
 



 「うーん、いつもより多く傾いてます・・・」


 登ってみた。


 入口と頂上の鐘、ここも傾いてます。
 

 頂上の旗と斜塔の上からの景色、流石にここは傾いていない。
 





 「・・・」





 「・・・・・・」





 かつてここまで傾いた建築物を見たことがあっただろうか・・・



 何でもこの斜塔は1173年の建築当時から地盤沈下の為に毎年傾き続け現在に至ると言うが・・・


 成る程、この斜塔があるドゥオーモ広場が「奇跡の広場」と言われるのもわかる気がする。


 男塾、男爵ディーノのヘルズ・マジック奥義、「奇跡の杖(ミラクルケイン)!!」と同等に奇跡と言って良いだろう。



 私は今プロフェッショナルとしてこう保障しよう。


 ピサの斜塔、その傾き振りは



 「右曲がりのダンディーをすら凌駕する」



 と・・・

花の都(フィレンツェ:イタリア)

2008-10-23 02:46:12 | 3rdミッション ヨーロッパ
2008.10.23(金)

ヴェネツィアからフィレンツェに到着。

 ここも「花の都」と謳われた街だ。

 それにしてもイタリアは街の名に異名が付く事が多い。男塾で「3面拳髄一の使い手」や「死天王最強」等と付くのと同等な意味なのだろうがそれにしても覚えるのが面倒だ。

 かつてあの中田英寿も泊まった「ホステル・アルキロッシ」、ドミだがネットフリーで朝食付き、1000時からのウォーキングツアーもフリーと至れり尽くせりである意味イタリア最強では?と思わざるを得ないこのホステルに直ぐ向かったが、最初部屋代を聞くと25ユーロの4人ドミしか空いていないと言われ、それならもう少し安い他のドミでもと考えている間に別の客が来てフルに・・・

 ここは1泊と決めていたので観光時間を削るのが嫌だったので仕方なしに他のホテルのシングルに泊まるという誤算はあったものの、チャックインしてから直ぐに街並を眺めに出る。


 花の聖母教会ドゥオーモにジョットの鐘楼
 

 ヴェッキオ宮にヴェッキオ橋
 

 ミケランジェロ広場からの街の全景


 サンタ・クローチェ教会




 流石は「花の都」、写真に花は全く出てこないがそれでも街並自体はたいした物といえるだろう。


 
 夜景の実力はと言うと・・・

 下から見上げたジョットの鐘楼とそこから見下ろした聖母教会
  



 ジョットの鐘楼からの街並
 

 

 アルノ川にヴェッキオ橋


 ミケランジェロ広場からの夜景にその近くにあるサン・ミニアート・アル・モンテ教会
 



 「・・・」



 中々やるじゃないか・・・




 街並に満足した私は次は「食」に満足する事にした。


 イタリアと言えばヨーロッパでも「食の本場の一つ」として名高い。

 予算の関係から「ファーストフードやスタンドのピザ」等でいままで済ませてきたが、ここはいっちょ奮発してみる所だろう。


 私のチョイスは決まっていた。駅近くのサンタ・マリア・ノヴェッラ広場の傍にあるこの店だ。





 『おぉぉ~!!』



 店のインテリアやそこに飾り付けられている文字、メニューの書き方などもイタリアらしい洗練されたセンスが伺える・・・

 




 プロのチョイスはこれだ・・・



 ちなみにラーメン、餃子、ライスセットで10ユーロ、イタリアのレストランでの物価の高さを考えると良心的な値段と言える。




 『・・・』




 『・・・・・・』





 正直言って凄まじく旨いというレベルではなかったが、それでもイタリアらしい満足の行く味であった事は確かだった・・・





 「花の都フィレンツェ」




 今私はこの街にまた新たな称号を送ろう。



 「花とラーメンと餃子の街、フィレンツェ」


 と・・・


水の都(ヴェネツィア:イタリア)

2008-10-22 02:18:02 | 3rdミッション ヨーロッパ
2008.10.22(木)


 サンマリノを攻略してリミニからヴェネツィアに到着。

 その昔「アドリア海の女王様」とその名を馳せたヴェネツィアは世界一美しい都としても名高い。

 ここは豊富な写真を持ってその魅力の一端を見せようではないか・・・

 

 ヴェネツィアの街並、ちなみに運河の中に建てられた街なので交通は船が主流。自動車は走らない街。
 
 
 

 中心のサン・マルコ広場


 鐘楼の上からの景色
 

 有名なリアルト橋



 事ここに及んで何故「ヴェニスを見て死ね」と勘違いしていたのか?その謎が解ける。

 そう、映画「ヴェニスに死す」の存在だ。

 尤も別に映画に興味が無いから名前を知っているだけだが・・・


 おまけに夜景もシリーズで・・・


 

 

 

 最後は夜のサン・マルコ広場





 「・・・」





 「・・・・・・」





 別にネタに困っているから写真を多く載せて誤魔化そうとしている訳ではない・・・

 それに写真のアップはともかく「たった5分で文章を書いてしまっている」のは書く内容に困っているからでもない。

 さらに次から書く内容は今まで過去に書いてきた内容をただパクったように見えるかもしれないが・・・





 ともかくこれで私は




 「世界で最も美しいと言われる都を訪れたツーリスト」



 略して




 「世界で最も美しいツーリスト」





 という名を手に入れたことは疑いようの無い事実であろう・・・


観光立国とは?(サンマリノ:サンマリノ)

2008-10-20 16:45:37 | 3rdミッション ヨーロッパ
2008.10.20(月)

 ローマから特急でリミニに到着。
 
 だが、ここリミニは狙撃の対象ではない。そう、ここを起点にして世界最古の共和国ことサンマリノを狙撃するのが目的だ。

 リミニ到着は1230時、私は観光案内所に行き、サンマリノへのバスの便を調べる。出発は40分後の1310時だ。

 リミニ駅前


 サンマリノに泊まる気は無い。メインバックを預けてから行こうと先ずツーリストインフォで聞いた場所へ行くとそこは単なる駐輪所で荷物の預かりはしないという。それならば駅だ。駅に荷物を預けようとすると預かり所はクローズ、コインロッカーも無い。

 仕方無しに荷物を預けるのを諦め、サンマリノ行きのバスに乗り込む。

 ガイドブックによるとサンマリノは観光立国となっている。

 そしてイタリアからのアクセス(イタリアの領土内にサンマリノは存在する)を考えると日帰りする客も多いだろう。
 そうなってくるとサンマリノに荷物預かりが無い訳がないだろう・・・

 1時間ほどバスに乗りサンマリノの首都サンマリノ・・・何の捻りも無いネーミングの首都に到着する。

 道中の景色。色んな航空機が転がっていたがオープンミュージアムなのだろうか?



 バスターミナルを想像していたが、ただのパーキングに到着。荷物を預けられそうな場所は無い。

 バス停から見上げたサンマリノ



 サンマリノは山と丘の国。首都のサンマリノは山頂にあるので、重い荷物を引引き摺りながら坂道を上がっていく。
 荷物預かりを探すとしたら観光案内所に行って聞くのがベターだろう。

 サンマリノ市街


 以外に梃子摺りながらツーリストインフォに到着。記念の入国スタンプを貰い(料金を支払ってパスポートに押してもらう)、早速手荷物預かりを聞いてみると・・・


 「うちは小さい国でしょう。荷物預かりなんてどこにもないのよ・・・」



 『・・・』





 『・・・・・・』





 『ええっ!』




 坂道だらけのこの首都、キャリーバックを引き摺りながら石畳の街を観光するなど考えられない・・・


 『そうなの・・・』


 と、問いかけた私に受付の女性はこう答える



 「ここに日帰りで来るなら荷物は何とかしてから来ないと・・・」



 『・・・』



 『・・・・・・』




 知るか!そんなの!!





 観光立国と言えば、観光で成り立っている国だ。日帰りのツーリストも十分予想できるだろう。それにここはアフリカではない。卑しくもヨーロッパだ。
 私にしたところでリミニで荷物を預けたかったのにそれが出来なかったから止むを得ずに重い荷物を引き摺ってここまで来たのに・・・


 疲労といらいらも手伝って私は悪態を付く


 『ここは観光立国なのに手荷物預かり所もコインロッカーの一つも無いなんて馬鹿げてる。それに前もってロッカーが無いなんて何を見れば分かるんだ。そこまでこんな国を調べて来る人間なんて誰も居ないぜ、考えれば分かるだろう・・・』


 そしてツーリストインフォを後にする。


 『ハァァァァ・・・・』


 その後少し探して、幸いにも荷物を預かってくれるホテルがあったから良かったものの・・・ 

 政庁に広場
 

 ロッカグアイア(要塞)とそこからの眺め
 




 観光立国である国、サンマリノ・・・




 私はここでこう言いたい。



 観光で国を建てたいのなら・・・



 せめてコインロッカーぐらいは置いてくれ



 と・・・

コロシアム(ローマ:イタリア)

2008-10-19 02:30:28 | 3rdミッション ヨーロッパ
2008.10.19(日)


 ローマ・・・


 イタリアの首都・・・


 永遠の都と呼ばれ、2500年の歴史が息づく街・・・



 古において、全ての道はローマに通ずとまで言われたこの街に残る歴史的な遺産は流石と言うべき物がある。


 私はここに来てから毎日が歴史に包まれる日々であった・・・


 有名なトレヴィの泉、コインを投げ入れるとまたローマに帰ってこれるという言い伝えがある。
  

 ポポロ広場にて馬上の警官


 映画「ローマの休日」で御馴染みのスペイン広場。ちなみにこのプロフェッショナルはローマの休日を見ていないので別に御馴染みでもなんでもない。


 ナヴォーナ広場にパンテオン 
 

 映画「ベンハ-」で御馴染みのチルコ・マッシモ、向こうに見えるのはフォーロ・ロマーノ


 現大統領邸になっているクイリナーレ宮


 これもまた映画「ローマの休日」で御馴染み、真実の口。嘘吐きが手を入れると抜けなくなるらしい。怖すぎて試せず・・・


そして一息、猫しゃんポスター


 巨大なヴィットリーオ・エマヌエーレ2世記念堂とその上からの眺め、どうでもいいけど名前が長過ぎ。
 

 あのムッソリーニが演説をしたヴェネツィア宮殿。


 ローマで、そして世界で最も重要で由緒ある教会であるサン・ジョバンニ・ラテラーノ大聖堂。
 

 大聖堂の斜め向かいに在る、聖なる階段と言われるスカラ・サンタ。膝をついて階段を上がらなければならないとあったので痛いのを我慢して上がったが、上がるだけなら横にも別の階段がある事に後で気付いた。
 

 ローマの遺跡の外観を損なわないように、ミケランジェロによって遺跡風にデザインされたサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会
 






 勿論まだまだ見所はあるが・・・



 ローマをローマとして決定ずける遺跡としては、「コロシアム(イタリア語ではコロッセオになる)」をおいて他はないだろう・・・



 コロシアム
 




 私はコロシアムの中で悠久の歴史に想いを馳せる・・・



 ここで何人もの剣闘士達が自らの命を賭けて熱い戦いを繰り広げて来たのだ・・・



 目を閉じると過去の闘いが鮮やかに私の目の前に蘇って来る・・・







 そう、トップバッターは伊達臣人、相手は紫蘭。藤堂兵衛の懐刀と言われた男だった。

 相手の技を全て複写する恐るべき敵であったが、最終的には「覇極流究極奥義宇呂惔瀦(うろやけぬま)」の前に敗れ去った・・・

 次は3号生筆頭、帝王と言われた大豪院邪鬼。相手はローマらしいスパルタカス。馬車まで登場させる念の入れようだった。

 勝負には勝ったものの、ここで邪鬼は命を落とす・・・

 正直言ってあの程度の相手に命を落とすとは思わなかったが漫画のストーリー展開上止むを得ない死だったのだろう。



 そして大将戦。1号生筆頭の剣桃太郎は藤堂豪毅に見事勝利を収める・・・




 そう、今私は歴史の舞台、その中心にいるのだ。






 「天兆五輪大武会、その決勝の場、殺シアム」に・・・



 殺シアムの夜景
 



インヴィジブル・カントリー(マルタ騎士団国)

2008-10-18 01:45:29 | 3rdミッション ヨーロッパ
2008.10.18(土)


 唐突ながら国家成立の要素とはなんだろうか?

 中学生の授業で習った事だが「国民、領土、主権」の3要素を兼ね備えるものが国際法上において国家として認められていると言うのがセオリーだ。

 だが・・・


 そんな常識を打ち破る国家がこの世に存在するらしい。


 その名もマルタ騎士団国(参考ウイッキペディア非公認の国々)・・・


 彼等は固有の領土を持たず、ここローマにイタリアから土地を借りて(注:分かりやすく言うと海外にある日本大使館のような形で)棲息するという・・・





 これは行くしかないだろう・・・



 私はローマ観光もそっちのけで早速この「見えない国」の攻略に取り掛かる。


 彼らの本部ビルはローマでも有名な中心街の「コンドッティ通り、68番地」にあるというが、まず埋めるのは外堀からだ。


 市の中心から少し離れた・・・といってもメトロと徒歩で十分狙撃可能なマルタ騎士団長の館とマルタ騎士団広場を訪れる事にする。


 テヴェレ川から見た騎士団長の館、上にはためくのは・・・


 そしてマルタ騎士団広場・・・


 ゲート、ここにある鍵穴を覗くとバチカンのサン・ピエトロ寺院が見える。
 

 外から撮影したマルタ騎士団長の館。





 イタリアの中に・・・それも首都のローマの中に燦然とはためくマルタの国旗・・・



 前座にしては中々盛り上げてくれる・・・




 そしていよいよ中心のコンドッティ通りへと向かう。


 

 これがコンドッティ通り、68番地に近付くと・・・
 

 入口にマルタ騎士団の国旗が・・・分かりやすっ!!そして門の所にあったプレート
 

 中には入れないが玄関と玄関から撮った本部ビルの写真
 



 「・・・」




 「・・・・・・」





 敷地の中に堂々と入れたわけではないが・・・マルタ騎士団国になんの縁もゆかりもない一ツーリストとしてはこの程度が限界だろう・・・


 それにここは「本部ビル」、領土を持たない国家なのでここは本部とはいえイタリアからの単なる租借地だ・・・



 だが・・・



 私は敢えてこの国に入国したとカウントし(微妙に敷地には入っている)、首都攻略を達成したことにした・・・





 この領土を持たない国家・・・





 数えないでおくには、あまりにも面白い国家だったからだ・・・



バチカン狙撃(バチカン市国)

2008-10-17 03:24:18 | 3rdミッション ヨーロッパ
2008.10.17(金)

 ナポリからローマへまた戻ってきた。

 韓国人経営の安宿に首尾よく滑り込み、早速観光を始める。イタリアの首都ローマに取り掛かる前に先ず抑えておかなければならない場所があったのだ。

 バチカン市国・・・

 世界最小の国家にして全世界のカトリックの頂点に立つ国・・・

 メトロに乗り、早速この国の攻略にかかる事にする。

 メトロの駅から歩いて、早速バチカン博物館の入口へ。


 そして博物館内のテラスにて。 にわか雨が降って虹も見れた。

 

 世界有数の規模を誇るこのミュージアムもここでは前座に過ぎない。

 「サン・ピエトロ寺院」こそがこのバチカンの中枢である。

 サン・ピエトロ寺院。確かにデカイ!

 
 ちなみに世界最大の教会はここではなくコートジボアールの首都ヤムスクロにあるバシリカであるがそのキリスト教世界でのその重要性においてはこことは比較にはならない事も付け加えておこう。



 そしてその中



 これで終わりかと思いきやそうではない。

 このサン・ピエトロ寺院、その大クーポラ(ようするに天井のドーム)に登れるのだ。


 ということで、登ってみた景色。正面はサン・ピエトロ広場。




 私は今、全世界に10億を越す信徒を持つといわれるカトリックの・・・


 その総本山の頂上にいるのだ・・・



 大クーポラの頂上にて





 「・・・」






 「・・・・・・」







 もはや多く語る必要はあるまい




 このプロフェッショナル・・・


 「全世界10億を超える信徒を持つカトリックの総本山のサン・ピエトロ寺院の頂点を極めたツーリスト」




 すなわち「全世界のカトリックの頂点を極めたツーリスト」




 と、言って過言ではないだろう・・・



 夜見たサン・ピエトロ寺院とサンタンジェロ要塞