謎の日常

 「観光」に”感動”などといった余計な”感情”は必要ない・・・
 ただ”事を終わらす”とだけ考えれば良い・・・

セルベーレの悲劇(セルベーレ:フランス)

2009-01-29 07:18:52 | オペレーション・イリーガル
 フランス


2009.01.29(木)


 10日滞在したシュツットガルトに別れを告げる時が来た。

 次の目的地はバルセロナ、スペインである。

 ユーレイルパスを使って陸路を鉄道で移動するので時間がかかるために出発は早朝、着は夜という日程だ。
 直通便がないために接続が面倒でシュツットガルト→マンハイム(ここまでドイツ)→パリ(東駅→リヨン駅はバス)→ペルピニャン(ここまでフランス)→バルセロナと4回も乗り継ぎをしなければならない。仕事道具も分担して運ぶので荷物の多さも厄介だ。
 さらに悪い事にはフランスのストライキの日にぶち当たってしまっている。
 シュツットガルトから我々と別れてパリに行っていたリーダー達はそこから昨日の夜行でバルセロナに行き、我々と合流という手筈だったがその夜行も早速運休となっている。

 あまりいい状況とは言い難いが、まあここはアフリカではない。何とかなるだろう・・・

 
 素晴らしかったホテルの朝食のビュッフェを泣く泣く諦めて残りのメンバーである我々7人は0500時にホテルをチェックアウトする。

 トラムに乗ってシュツットガルトの中央駅へ。

 0550時、ICE(ドイツ版超特急)にのってマンハイムへは0620時。
 0640時、ここでさらにICEパリ東駅行きに乗ってパリへは1000時着。

 15年ぶりに見たパリ東駅。綺麗に改装されていた。




 ストライキの影響がありメトロ(地下鉄)は運休していたがリヨン駅行きの市バスには影響は出ていない。
 
 リヨン駅に首尾よく到着して、乗る鉄道を探す。
 我々の乗る列車はホームに待機しており、どうやら問題は無さそうだ。

 パリ・リヨン駅とその前の広場
 

 1100時初のフランスTGV(フランス版超特急)は幾度か放送が流れ、発車するのかどうか?少しやきもきさせられたが20分程遅れて無事に出発。取り敢えずは一安心である。

 4時間ぐらいたったのだろうか?モンペリエと言う駅で急に周りの乗客全てが降りていく。我々の接続駅はペルピニャン、まだしばらくはこれに乗っていないと駄目なはずだが・・・

 フランス語を解する我々のメンバーが確認するとこの列車はここで打ち止め、乗り換えなければいけないということだ。
 慌てて荷物を取っており、乗り換える列車に向かう。

 それにしても放送が仏語だけなので理解できないのが痛い。

 乗り換えた列車はペルピニャン手前のナルボンヌでストップ。時間は1700時。

 駅の係りに確認すると我々の向かうペルピニャンへはここからは代替のバスになるらしい。
 
 到着したナルボンヌ駅
 


 代替のバスを待つ間に既に先発していたリーダーと他のメンバーからの情報がはいってくる。
 バルセロナへ行くにはペルピニャンから今日の便はバスも含めてなくなっているらしく、国境に最寄のセルベーレに行った方が良いという事だ。駅の係りもセルベーレへ行って国境を渡ってスペイン側のポールボーへ行く事を勧めている。
 先発組みは3人、キャプテンともう一人はバルセロナの宿に早く着かなければならなく(借りるのがアパートメントタイプであり夜9時以降に到着となると違約金?が発生するらしい)、また幸いに有料ヒッチを見つけたらしいのでペルピニャンから既に出発。残りの一人はセルベーレへ向かったとの事だ。

 我々はこの2つの進言に従ってペルピニャンではなくセルベーレまで行く事に決める。首尾よく先発しているメンバー(以下エヌ)と合流できる可能性もあるし、幸い代替のバスはペルピニャン行きだけでなくセルベーレ行きも出ているので問題は無さそうだ。

 代替バスの出発は1800時、セルベーレまでここから2時間、そしてさらにそこからバルセロナまで約3時間。乗り継ぎに時間がかかるとしてもまだ今日中にバルセロナに到着する望みはある。

 セルベーレ行きのバスは1800予定だった物の遅れて1900時頃に出発。これで今日中に到着という望みも大分薄くなってきた。

 バスに乗っている最中、エヌから連絡が入る。
 曰く「セルベーレには何もない、バスも厳しい」
 と・・・

 だが、我々はもう止まる事も出来なくなっている。
 エヌからまた連絡が入り彼の方は15人くらいバルセロナへ向かいたがっている他の人がいたのでバスを全員でチャーターして出発したという話だ。

 我々のバスは2100時にセルベーレへ到着。

 降りてみてビックリ。確かに何も無い・・・

 先ず鉄道駅へ向かうも便は翌朝しかない。鉄道での移動を即座に諦める。次の案はタクシーだ。
 タクシーでスペイン側に渡ってそこでバルセロナ行きの便を探すしかないだろう。

 とりあえず電話をして待つ。

だがタクシーは来ない。そうこうしている内に時間だけ経過していく。

 時間は2200時を回っている。
 ここで泊まる事もオプションに入ってきてホテルを探してみるも全てクローズ。
 これでは打つ手が無い・・・

 再度タクシー会社に電話してみるとフランスのタクシー会社は国境を越えられない事が判明。
 隣の町まで4kmぐらいだが荷物の多い今歩いていくのは論外だ。

 その会社がスペイン側のタクシー会社の番号を紹介してくれたのでそこにも掛けてみたのだが・・・
 何故かバルセロナのタクシー会社。こんな夜中に3時間もかけてくるわけも無く。タクシーはこれで完全にギブアップ。

 時間はなんだかんだでもう2300時を過ぎている。

 南仏とは言え夜は冷える。このままバス停で待ち続けるのも難儀である。


 セルベーレ到着したバス停付近。
 

 セルベーレの全景。こうしてみると少しはやりそうだが・・・でも何も無い。




 となると・・・

 我々は最終手段として駅で宿泊して翌朝の便でスペインへ向かう事を決意する。

 ビジネスで来ているので宿泊すれば宿泊費用は出るのだが、ホテルが一軒も無ければ泊まりようもない。

 ここに来る途中に通過したペルピニャンならバス越しにホテルがばんばん開いているのを目にしていた物のここから1時間かけて戻るのも億劫だし戻ったところで翌朝早く出発になる。そして何よりも戻る交通手段は皆無だ。


 荷物を持って駅へ上がる。

 駅員の善意もあって待合室へ泊まる事が出来、何とか夜露をしのげる態勢とはなったのだが・・・


 ヨーロッパにビジネスで来て駅の待合室で野宿。

 このエレガントなプロフェッショナルとしたことが・・・



 これでは“まるでバックパッカー”であるかの様である・・・

中世の街並みにて(ストラスブール:フランス)

2009-01-26 07:17:25 | オペレーション・イリーガル
 フランス


2009.01.26(月)

 シュツットガルトでは友人のエイチの助けもあり順調にビジネスにも慣れ始め、またメンバー全員の頑張りもあって予定以上に早く終わらせたために時間が空いたので、以前気にはなっていたが訪れなかったストラスブールへ日帰り観光することにした。

 フランスとドイツの国境に位置するこの街は幾たびも“シュトラスブルグ”と名前を変えドイツ領になった事のある歴史を持ち、この地方で話されるアルザス語はドイツ語の方言でもある。

 またこの街の旧市街は世界遺産にも登録されており、時間があれば見てみたいと感じていた場所なのだ。

 ストラスブール旧市街
 

 中心にあるノートルダム大聖堂 塔の高さは142mもある
 



 特に美しいとされるプティット・フランス地区。ここに限らず木組みの家がドイツ式
 



 心地よい街並み、私の好きな風景である。



 
 そして私はこう思った。



 これだけドイツ風なら・・・



 別にドイツ領でもいいじゃない。




 と・・・・


オペレーション・I、開始!(シュツットガルト:ドイツ)

2009-01-19 07:15:16 | オペレーション・イリーガル
 ドイツ


2009.01.19(月)


 デュッセルドルフの知人宅で少し休ませてもらってからシュツットガルトへ移動する。
 80ユーロの特急代は痛いがこれから始まるオペレーションの為だから致し方ない。

 シュツットガルトへの到着は18時半頃、以前もウズベキスタン、そしてヨーロッパで出会っていたエイチ氏が駅まで来てくれて私を迎えてくれる。

 そう、今回のオペレーションの実現は彼の力で実現しているのだ。

 以前ヨーロッパでであった時に彼のやっているバイトの内容を教えてもらい、そしてその後コンタクトを取り続けて私もシュツットガルトからメンバーに加えてもらえるように調整をして貰っていたのだ。

 彼にはただひたすらに感謝である。

 シュツットガルト中央駅



 いずれにしてもこれでフリーターとして新しいビジネスに取り掛かることが出来るようになったのだ。

 観光ビザで入国して不法就労することになるから今回のビジネスのコードネームは「オペレーション・イリーガル」と命名することにした。

 これから3ヶ月・・・

 このビジネスの間に何が起きるのか?

 乞うご期待・・・





 の前に仕事を覚えるのが最初のような気がする・・・



 シュツットガルトの景色

 市庁舎にその前の広場。シュツットガルトは戦後に再建された街なので市庁舎は無骨である。
  

 旧宮殿の上のモニュメントのアップ



ドイツへの道・・・(アムステルダム:オランダ)

2009-01-16 06:58:27 | オペレーション・イリーガル
 オランダ



2009.01.16(金)


 家を出て空港へ向かう。
 今度の目的はヨーロッパでの短期のバイトに入る事だ。

 仕事の開始はドイツのシュツットガルトからだが最初の目的地はアムステルダム、パスポートを交換したとはいえ前回最後に出国したドイツに最初から入ってしまうとシュンゲン条約(この加盟国全体で入国してから180日間以内に90日間対応となるので)にひっかかり滞在期間が予定の3ヶ月とれないかもしれないと考えたからだ。

 国が違ってもこのシュンゲン内の出入国管理がオンラインかなにかで集中管理されていればちょっとまずいが、なんとなくそんなことは無さそうだし何よりも3ヶ月オープンで一番安いチケットの接続を調べたらアムステルダムイン、デュッセルドルフアウトというのが時間的にも丁度都合が良かったらからだ。

 航空会社はもちろんあの「アエロ・フロート」、格安と言ったらこいつで決まりだろう・・・


飛び立つアエロフロートから成田空港を眺めて・・・


アエロフロートのモスクワ行きは液晶もついていた!昔はこんなことなかったのに・・・、そして食事も良くなっていた!!
 


 難点は一つ、モスクワでの接続の時間は短いのだがアムス着は夜の2300時頃であることだろう。

 だが、ツーリストではなくなったとはいえ過去の経験は生きている。
深夜着の場合は空港で雑魚寝が鉄則だ。それをみこして朝アムステルダムからデュッセルドルフへ行く鉄道のチケットももうオンラインで予約済みだ。

 このプロフェッショナルに死角は無い・・・


モスクワの空港(シュレメチボ空港)にて



 アムステルダムには夜の2230時に到着。予定通りだ。
 
 先程にも述べたようにこの時間からホテルに泊まってまた朝早く出るのは無駄だ。空港にどこか寝れそうなベンチでもないかとしばし徘徊をする。

 アムステルダムの空港は以外に椅子が少ない。ただのアマチュアでは寝るのには難儀しそうな雰囲気だがそこはこのプロフェッショナル、この程度のことはなんでもないことだ。

 おおまかに座って耐えられそうな場所を探し当て、そこで一晩明かすことを決める。

 後は時間の経過を味方につけて朝まで粘れば良いだけの事だ。

 

 それから一時間ぐらいたったのだろうか・・・何かのアナウンスの声が聞こえてくる・・・



 「当空港は安全上の問題もありまして夜の0000時から0400時まで空港を締め切ります・・・」
 



 「・・・」




 「・・・・・・・」




 「まっまじですかっ!!」




 ううむぅ~・・・


 泊まる場所に不自由するのはまあ良かったとしてロックアウト(締め出される事)は予想外だったぞ。
 元エレガントヨーロッパ・ツーリストとしてはまさかヨーロッパの空港で一晩明かす事が出来ないなんて事があるとは考えられなかったぞ・・・



冬真っ盛りの今、空港の外へ出て野宿するのもちょっと考え物だ・・・


 しばしの逡巡の後、空港から市内に出る事にする。
 
 速攻で街に出ていればまだ深夜前に中央駅に到着可能だったのだが・・・

 時間の経過を味方につけるつもりがどうやら敵にまわってしまっていたようだ。


 結局ついたのは0000時過ぎ、プロフェッショナルの勘を生かして駅から歩いてすぐの所に18ユーロで泊まれるドミトリーがあったので何とか睡眠場所は確保できたが・・・

到着した中央駅


 駅付近の夜景
 


 しかしアムステルダム空港(実際の名称はスキポール空港)、深夜ロックアウト有りだとは・・・

 今回のオペレーション、中々に幸先の悪い出足と言うより他はないだろう・・・


緊急出国

2009-01-15 07:13:36 | 日本一時帰国時
 日本


2008.01.15(木)

 

 今日日本で携帯電話の解約の手続きをした・・・



 そして明日成田からヨーロッパへ向けて出発する・・・



 突然だが、今度は別に旅行に行くわけではない。


 知人からのメッセージ、その後のやりとりで短期のアルバイトに入れる事になったからだ。


 期間は3ヶ月間、これはシュンゲン条約に関係する。観光で滞在できるのは3ヶ月間ということだ。


 と、言う事は「入って働き始めた段階で“不法就労者”」というのが新たなる私の肩書きらしい。

 


 繰り返すが今まで送ってきた「観光」というミッションではない。あくまでも「労働」で行くのだ・・・


 今回のヨーロッパ遠征・・・




 私はここで皆にこう言おう。





 「今度こそ本当に“ビジネス”だ・・・」



 と・・・
 


 乞うご期待??


2度目の成人

2009-01-12 07:12:33 | 日本一時帰国時
 日本


2009.01.12(月)


今日、2度目の成人式を迎えた。

 一度成人してから20年、つまり2度目の「ハタチ」となるわけだ。
 うーん、若いっていいな・・・

 ちなみに友人の所でのアルバイトは終わり、またしても現在の職業は「ニート」へリバイバル。
 人生ゲームの振り出しに戻ると言った趣である。

 だが、人生はこれからだ。これからハタチになるにあたって、新たなる決意を持って次のステップへと進まなければいけない。

 そう、人生の目標は前回書いたように「ビッグになること」だが・・・


 新成人としては一つ、こう決意させていただこう。




 今年からは・・・







 「大人になりたい」





 と・・・


一年の計

2009-01-03 07:11:37 | 日本一時帰国時
 日本


2009.01.03(土)


 久しぶりに日本で正月を迎えた。

 2005年の正月はスーダンの首都ハルツーム。
 2006年の正月はガンビアのセレクンダ。
 2007年はトルコ、イスタンブールからパムッカレへ向かう夜行バスの中で。
 2008年はメキシコの首都メキシコシティー。

 こうして考えると実に5年ぶりである。

 そう言えば、ここ5年年賀状など出していなかったので今年来た年賀状は0通、「3年続けて年賀状を出さなかったら来なくなる」という法則を改めて思い知った。

 とはいってもこのプロフェッショナル、正月と言ったところで別段特別な日という訳ではない。所詮は1/365に過ぎない。
 いつもどおりに実家にいて物の整理をしたり、本を読んだりしながらその一日を過ごしていたのだ。



 だが・・・

 諺に曰く

 「一年の計は臥薪嘗胆にあり」

 海外ミッションを終えた今、今後の人生について考えるにはいい契機かもしれない。



 私の友人の大半は定職につき、会社なり社会なりである程度のポジションにいて家庭を営んでいる。

 HP上に書いた「将来の人生設計」はもちろんシャレで書いているので本気ではない。まあ来る者拒まずなのでオファーはいつでも受け付けるが・・・

 これからの人生は、若い頃に考えていたような「ただ大風呂敷を拡げただけ」のような目標では駄目だと言うのは良く分かっている。

 今までの経験やそれに基づく実績、自分の現状や能力を第三者的に客観的に分析した上で、具体的、かつ実現可能な範囲で現実に即したプランをたてることが一番重要であろう。

 いまさらフットボールプレイヤーだのパイロットというのは荒唐無稽な夢物語であるし、こんな子供じみた考えをいい大人が持っているのは恥ずべきことである。


 私は熟慮に熟慮を重ね、これからの目標をたて、現実的に地道にこつこつと堅実に送っていく事を決めたのだ。



 次の人生の目標は・・・




 そう





 「ビッグになる・・・」




 である・・・・






 「・・・」








 「・・・・・・」








 ダメだこりゃぁ~・・・