謎の日常

 「観光」に”感動”などといった余計な”感情”は必要ない・・・
 ただ”事を終わらす”とだけ考えれば良い・・・

さらば愛しきニートの日々よ・・・(千葉:日本)

2009-10-23 21:45:42 | 労働収容所・収監前
日本


2009.10.23(金)


 それは突然の出来事だった・・・

 転職サイトでみかけて求人広告。

 珍しく面接をするとの回答があり今日訪れる。

 別にそこに行こうと思っての事ではなかったが、このご時勢だと戦車をミサイルで撃破するという私の特技は何の就職の足しにもならず、面接までこぎつけるのが難しかったのでいいウォーミング・アップと考えたからだ。

 そして面接では色々と聞かれ、というか社長がほぼ一方的にしゃべりそれを聞いているだけだったが・・・

 その後電話がかかってきて明日から出社してみてくれと・・・

 んー。

 明日予定を既にいれていたのだが・・・

 そういえば面接の時に「君は明日から働けるか?」と聞かれ「大丈夫です」と言ってた事も思い出し・・・

 悩んだ末、明日の予定をキャンセルして出社する事に・・・

 これで日本に帰国してからの半年間、幸せな日々に終わりを告げることになったのだ・・・

 と、いうことで今夜がニート・ラスト・ナイト!

 さらば愛しきニートの日々よ!


 またの日を楽しみに、労働収容所へと足を運んで見ることにしようか・・・


 んー。気が重い・・・

決意を決めた日 (新宿:日本)

2009-10-03 00:42:40 | 労働収容所・収監前

日本


2009.10.03(土)


 発端は一人の男からの連絡だった。

 彼はオペレーション・イリーガルを一緒に闘った強敵(とも)であり、聞けばその時のまた別のメンバーが近々帰ってくるので皆であいましょうという事だった。
 
 他に既に帰ってきているメンバーがもう一人、これで8-10人程度の少人数出ミッションをこなしてきた我々の内4人が日本いる計算となる。

 「マップ隊同窓会」

 何よりも私以外の3人は全て先輩だ。(年齢ではありません、マップ隊を始めた時期です、念の為)

 これは行かないわけにはいかない・・・


 そこで私は新宿へ行く事にした。

待ち合わせした新宿駅
 


 元マップ隊の4人のメンバーは1月ほど前に帰ってきて、今回のコーディネートをしてくれたM氏、3ヶ月ほど前に帰ってきたO嬢、そしてつい2日(3日?)ほど前に帰国したばかりのH氏にそれに私だ。そしてH氏の彼女のS嬢も来てくれたので合計5人と結構賑やかだ。

 適当な居酒屋に腰を落ち着けてヨーロッパでの不法就労での話や他のメンバーの事などで楽しく時間は過ぎていく。

 思い出話に華を咲かせる、このまま時間が過ぎれば、最高の飲み会だった。



 だが・・・



 その至福の時は今の私の話になった時、突然終わりを告げたのだ・・・


H氏「デュークさん、今は何を?」

D『いやぁ、お恥ずかしいけどニートですね~、実家にやっかいになってます』

H氏「あー、ニートなんて格好つけて言ってますけどただの”すねかじり”ですね。そんなの・・・」

 その時、彼の口元にあった何か侮蔑に近い物を私は敏感に感じ取った。

(コイツ・・・Map隊では先輩だし、それにロリコンの世界では超一流のトップクラスで俺が全く敵わないのは知っている。だけどここは日本だ。俺はもう「家事手伝い歴(実際は家事に手を出そうとするとママのやり方と違って怒られるのでただ出された物を食べるだけがその手伝いになってます)半年」のベテランだ。十分に日本に馴染んでいる。それをたった2日前に帰ってばかりであの「酒井法子事件」の全貌すらろくすっぽ知らないニートの中でもさらにひどいダメニートのお前が”すねかじり”なんて言えるのかい?)

 もちろんバイトの先輩、そしてその道の達人である彼に反論を口に出す事は許されない。

 だが、ダメニートの分際である事を本人に分からせてやらなければならないだろう。私は少し強い口調でこう言い放った。

D『Hさんも所詮はニートでしょう・・・』

 その質問に彼は私を見下すような感じで、そして隣の彼女をチラッと見るようなモーションを起こして余裕の笑みでこう言ってきた。

H氏「いいえ、俺はちゃんとヒモですよ・・・・」

D 『えっ!ええっ!!』

 H氏は私の心理的動揺を見透かし、そしてそのダメージをさらに広げるように間髪入れずにM氏をみて

H氏「Mさんもですよね~」

 と続けてきた・・・



 彼は笑顔だ、態度に余裕も充分ある。

 H氏の彼女のS嬢は27才・・・聞けば博士課程に進んでいる大学院生だ。

 M氏は20代、彼女も恐らく20代・・・

 だが、その時にはM氏の彼女の話を聞く余裕など・・・

 私にはもう無かった・・・


 目の前に突きつけられた冷酷な現実はこれだ。

 デューク東城:帰国後半年:アメーバ赤痢を経験。両親の世話になるすねかじり・・・

 M氏:帰国後約1ヶ月:彼女のヒモ・・・

 H氏:帰国後2日:博士課程の大学院生の彼女のヒモ・・・


 『こっ・・・このプロフェッショナルの完敗だ・・・・・・』


 無職ならみんな一緒、そう思っていた私の淡い幻想も一気に吹き飛んだ(注:O嬢は最近就職してすでに私のワンランク上に脱出しています。)


 私はただの”すねかじり”そして彼らはグレートな”ヒモ”生活・・・

 なんといってもヒモといえば世の中全ての男性の憧れのポジションだ。

 そう、同じ無職は無職でも”ヒモ”なら明らかに普通に働いている人たちよりも上の世界の住人、いわば”天上人”になるのだ・・・!!


 この無職という底辺の世界でもこれだけの格差を生み出す勝ち組、負け組があった事が・・・

 今、白日の下にさらけ出されたのだ・・・



 彼らの顔が・・・


 今とてつもなく輝いて・・・


 そして眩しく見える・・・



 私の瞳から、ほんの少しだけの水分が滲み出る、彼らに悟られてはいけない。


 だが、余裕のあるH氏はそんな私の様子を簡単に見破っていたようだった・・・

 勝ち誇ったような顔でバッグから、ある“物”をゆっくりと取り出し、皆の前で私に手渡しでこう高らかに宣言してきた。

H氏 「パリで買った“スニッカーズ”です。デュークさんよく食べてましたよね。余っているのでどうぞ!」


 くっ、くぅ~・・・

 こっ、これが勝者の余裕というやつか・・・

 だが、今の私は完全なる負け犬だ。彼が差し出したスニッカーズをひざまずいて両手で手にとり、力なくこう答えるより他に選択肢はなくなっていた・・・

D 『へへー、かしこまりました天上人のHさま、この惨めな負け犬めにパリから舶来のスニッカーズを持って帰っていただきまして光栄の至りで感謝の言葉もありません。一生ついていかせていただきます・・・。』


 と・・・





 彼らと別れて山の手線に乗り実家へ向かう。

 もちろん手には先ほどいただいた“スニッカーズ”を握り締めたままだ。


 そして日暮里駅、次に来る常磐線が来るまでの待ち時間。

 私は瞳を涙にぬらしながら一口、一口このスニッカーズを大事にかじりながら、こう決意した。




 『今の俺はどん底だ。だがHよ、Mよ、見てやがれよ!俺はこのままじゃ決して終らない。いつか・・・いつかきっと・・・お前らに負けない立派なヒモになって見返してやる!』

 と・・・

シルバーウィークを終えて・・・(松戸:千葉)

2009-09-26 21:34:32 | 労働収容所・収監前
日本


2009.09.26(土)


 世間ではゴールデンウィークに次ぐ大型連休のあった週。
 とはいいつつも以前述べたようにこのプロフェッショナルにはそういった事は影響ない。連休というなら既に160連休を越えてしまっている・・・


 ただ今週は世間様以上に激務だった。シルバーウィークに合わせた訳ではないが自然と予定が多くなり、普段の週とは異なって動き回る事になってしまったのだ。

 この激務の一週間を振り返ってみよう。

 先ず最初の20日の日曜日。旅行博へ行ったことから週の幕が明けたのだ。


旅行博の会場となった東京ビッグサイト
 

会場内、ベルリンの壁の展示が・・・
 

 


 行った理由は特にあったわけではない。たまたま知人がこの旅行博をSMSで話題にしており、行った事が無かったので(ちなみに存在も知らなかった)ちょっと見てみるのも悪くはないと考えただった。
 
 ただ行ってみてどうだったかと思うとそれは微妙だ。

 行った国に対する興味は薄れているし、行ってない国は実際に行くと決めない限りは興味が湧かない。そうなると今の私の状況ではたいした関心が持てなかったと言うのが結論だ。

 唯一良かったのは次の写真ぐらいだろうか・・・


 旅行博唯一の成果。うぅ~ん、ナイスです。
 



 ただ、お台場など普段は行かない所だから夕景が見れたのは良かった。

 ニートから旅行者へと少しだけ戻った瞬間だ・・・


 

 

 

 


 そして月曜日。

 からはちょっと省略しよう。



 えっ?

 お前後は何もやっていないだろうって・・???


 それは・・・


 極秘任務とでもいっておこうか・・・



大型連休開始(松戸:千葉)

2009-09-19 23:09:20 | 労働収容所・収監前
日本


2009.09.19(土)

 世間ではシルバーウィークなる大型連休が今日から始まる。
 最大5日というゴールデンウィークに次ぐ大型連休だ。

 だが、そんな休み等このプロフェッショナルにはなんの関係も無い。

 日本に帰国してからすでに150連休を越えているのだ。


千葉県柏駅周辺
 

   



 ここに来てニート生活も大分板につき、もはや「この私の天職では?」と考えるまでになってきている。



ちなみにこの柏にある高校に通っていた。ただ当時の面影こそあるものの街の変貌は大きい。
 

 

 



 ニート生活に溺れていくのはいけない兆候だが一番いけないのはあまりやばいと感じないこのプロフェッショナルの心だろうか?



 

何故かカーネルサンダースが3体・・・
 


 今日から始まる大型5連休・・・

 取り敢えずは休むことにでもしようか・・・

新たな活動(松戸:千葉)

2009-09-12 23:27:49 | 労働収容所・収監前
日本


2009.09.12(土)


 就職活動は未だ横ばい状態。

 大分「テキトー」にやりすぎているきらいもあるが、35才以下の求人に「20才」というのは若すぎるのだろうか? いずれにしても反響はよろしくない。

 最近では大分「家事手伝い」が板についてきたようだ。


赤坂TBSとちょっとデザインが良かったビル
 



 話は変わって私は今までは「無神論者」だった。

 理由ははっきりとしている。「神を信じる」というのは「良い事も厭な事も神の所為にして言い訳する」逃げ道でしかないと考えていたからだ。

 これでは人として生まれてきている意味がないだろう。

 だから私は神を信じなかったのだ。


 だが、これを過去形で語ったことからも推測されるように今は考え方が変化している。

 未だに働けないこの現実、実際問題としてただだらけているだけなのだがこの原因を自分の中に見つけるのは言い訳としてはちょっと上手くない。

 さらに世の中が悪い、不況が悪い、そう考えようとしても、そもそも「5年近く遊んでいた」のでそこに原因を求めるというのもしっくりとこない。

 だがこんな時、「神を言い訳」にすれば頭を使わずに全て解決できるのだ!

 「神が与えた試練」、「神が与えた不況」、そして「神が与えた無職」。

 こうすればなんにも考える必要もなく説明もスマートだ。

 これは利用しない手は無いと「神を信じる事」にチェンジしたのだ!



 そしてこの心境の変化は私に新たな局面をもたらした。

 私は以前「ニイ党」という党を立ち上げて政治活動を行うことにしたのだが、これに「宗教」を加味すれば、政治的な活動に宗教的な背景を背負え、より深い説得力がもてるのではないだろうか?

 そう考えて、日本では少ない「政教一致」の新党をさらに立ち上げて「甘い汁」を吸おうと考えるようになったのだ!


 党首兼教祖


 これが今後目指していく方向だ。


 「引きこもり」に「ぶらさがり経済」これにさらに「寄付によるハーレムの創造」を目指して日本を!どちらかと言えば「ただ私の生活を改善」する為だけに立ち上がることにしたのだ!


 
 「ニイ党」を大幅に変える新政党第二弾。


 政治に今流行?の新興宗教のテイストを加えて新たに政党を立ち上げる!

 名称は今の私の姿を如実に示し、尚且つ寄付とハーレムの人員が集まりやすくなるように「女性の母性本能」をくすぐるものがいいだろう。

 そこで私はこの新党をこう名付けたのだ!


 



 「空腹現実党」






 『・・・』




 『・・・・・・・』




 成功の予感がしないのは何故だろうか・・・・???



南千住。モンゴルで会った知人に3年ぶりに会った。
 

この辺りに安宿が一杯ある事を知らなかったので結構びっくりだった。
 

 

歴史的大敗(東京:日本)

2009-09-05 22:02:13 | 労働収容所・収監前
日本


2009.09.05(土)

 この一週間、私はこの「謎の日常」の更新が出来なかった・・・

 理由ははっきりとしている。

 そう前回の選挙・・・

 民主党の躍進。

 そして我が「ニイ党」の歴史的大敗・・・
 (注:「ニイ党」にかんしては新党結成宣言を参照)


 得票数ゼロ、議席獲得数ゼロというていたらく、幸福実現党にも劣る厳しい現実。

 これによる精神的なショックから立ち直れなかったのだ・・・

新宿


都庁ビル(右の写真の後ろの建物が都庁タワー)
 


 敗因は色々あったのだろう・・・

 政治資金の困難さから思うような政治活動が出来なかったこと。

 イメージキャラクターに起用の予定だった押尾学氏、酒井法子氏の相次ぐ逮捕。

 自民党の責任力に対抗した「無責任力」というキャッチコピーの失敗。

 100年に一度の大不況の中、敢えて「引きこもり」と「ぶらさがり経済」で勝負を賭けたが「何も解決しない」とあっさりとバレたこと・・・


 新宿都庁ビル、北展望台からの景色
 

 




 そして何よりも失敗だったのだ、そもそも政党登録もせず、候補者一人すら送り込めなかった事であろうか・・・


 めんどくさかったので投票にすらいってない・・・



 まあいいだろう。


 人は失敗を経験して大きく成長する。


 はずだ・・・


 多分・・・・・・・


 そうであってくれ・・・・・・・



 私はここで皆に宣言しよう!

 
 「ニイ党」はこのデュークが生きている限り不滅であると・・・



 「・・・」




 「・・・・・・」



 「えっ?そんなことよりさっさと就職しろって・・・・?」



 たっ確かに・・・



 次の選挙こそは勝とうと誓った秋葉原の街並と看板
 

ちなみに次の選挙のキャッチコピーは「熱く萌える国、ジャパンをみんなで作ろう!」の予定・・・
 


草食系デビュー(日本)

2009-08-29 23:48:02 | 労働収容所・収監前



2009.08.29(土)


 昨日の事だがテレビをつけていたら「日本男児これでいいのかSP」というテーマで放送していたチャンネルがあった。
 興味があって覗いていたら「男のメス化」を問題にしていた。

 そういえば最近の流行は「草食系男子」だ。

 このプロフェッショナル、残念ながらミータリアン、文字通り「肉食系・・・」いや「肉食男子」そのものである。
 メス化などには最も程遠い存在だと思っていた。

 だが・・・


 このプロフェショナルにも確実にメス化は襲いかかってきたのだ!


 シラフ・ダンシ(酒は呑めるけど飲まない。ちなみに私は普段は飲まず、飲み会の時に乾杯の1杯ともう1杯ぐらい)
 スイーツ・ダンシ(甘い物が好き)

 『・・・』

 あっ、当っている・・・

 そして「金を使わない」20代・・・

 おっ俺もだ・・・

 もっともこちらは持っていないから「金を使えない」という差はあるが行動は一緒だ。

 実家から出ない若者・・・

 こっこれもっ!

 もっともこちらは金と仕事が無いから「実家から出れない」という別の条件もあるが・・・


 流石に「スカート・ダンシ(スカートをはく男性)」や「女装ダンシ」には手を出していないが・・・


 現代の草食系男子とこのプロフェッショナルの間に驚くべきほど多い共通点が見つかったのだ!


 こうなっては私はもはや「男ではなくメス」であると認めざるを得ないだろう・・・



 どうやらこのプロフェッショナル・・・


 ここに来て「草食系男子」にデビューしたらしい・・・


有楽町マリオン
 

仕掛け時計になっているとは知らなんだ・・・
 

有楽町の街並
 

デザインがちょっとお洒落な交番と国際フォーラムの夜景
 

就活戦線突入

2009-08-22 18:03:51 | 労働収容所・収監前
日本


2009.08.22(土)


 タイトルから分かるように、就職が決まったわけではない。

 だが、長い沈黙と赤痢の日々を終え、ようやく重い腰を上げて動く事にした。

 月曜日にハローワークに行き、紹介状を貰い、そして昨日そこに応募書類を送ったのだ。

 ただ書類を送るだけでこれだけ時間がかかってしまったのは40・・・20年生きてきて初めて書く事になった職務経歴書や、さらにこういった募集に真面目に応募するのも15年ぶりぐらいだったので、予想外に手間がかかってしまったのだ。


 おかげで書類が通る気がまったくしない・・・


 うーん、帰ってきてから時間は一杯あった筈なのに一体何をやってたんだろう・・・(何もやってない事だけは確かです)


 まあいい、なにはともあれこれで私の社会復帰への第一歩として就活戦線に突入する事になったのだ。

 
 この戦線・・・



 一体いつ離脱できるかは神のみぞ・・・



 採用担当者のみぞ知るといった所であろうか・・・





就活宣言!(松戸:千葉)

2009-08-17 18:20:15 | 労働収容所・収監前
日本


2009.08.17(月)


 日本に帰国して早や4ヶ月が過ぎ去った。

 アメーバ赤痢という予想外の出来事があり、完治の直後にお盆というタイミングだったとはいえ、これを言い訳にして今まで怠惰な日々を送っていた事は否めないし、このままでいけないことも確かだ。

 時間もお金も無限にある訳ではない。

 動かないからと言って出費は続くし、それに何もせずに無為に時を過ごせば過ごすほど状況が悪くなっていく事は確実だ。特にここは日本だ。ぶらぶらしていると思われるだけで不利になる社会だ。

 だが、気持ちの焦燥とは別に体は就職活動に向いていかない。

 もちろん調べるくらいはしているが、応募書類を送ろうとまでは思えなかったのだ。
 このやる気の無さは何故なんだろうか?

 私が今まで見てきた世界の大半は日本では思いも着かないような酷い世界だ。そこではただ生きる事すら困難を伴う世界だった。
 だが、日本では特に流していても食べれてしまうし一日を過ごすことも可能だ。
 このなまぬるさが私が本気になろうとする「内側の敵」であった。

 そう日本に帰ってきてからずっと私は「危機感の欠如」という内面の問題を抱えていたのだ。

 ただ、このままいい青年が実家にいて遊んでぶらぶらしていても本物の「ニート」になるだけだし、それだけは避けなければいけない。それに何よりもいい大人が情けなさ過ぎる。


 この状況を打破すべく、先日新党を結成して政治活動に打ち込もうと考えた(プロファイルの新党結成宣言」を参照)が残念ながら反響は全く無く、そして会員も募金も集まらない・・・

 これでは政治活動は頭打ちだ。



 では、この先どうすべきか?

 
 体も治り、お盆も終わった今。社会復帰への第一歩としてシャカリキ(未だにこの言葉は使われているのか?)になって就職活動をしなければならないだろう。

 『稼かざる者食うべからず。』

 この労働の真理を実践するのが人として真っ当な生き方だろう。

 ただ、今までのようにだらだらとただ調べてお茶を濁してしまうようにやっていてもしょうがない。
 条件はある程度無視して先ずは働くこと、汗を流すことから始めるべきだ。

 そしてその為には「いつまで」とはっきりと期限を決めてそれまでに就職活動を終えるという強い決意が必要だ。

 私は自分で自分を追い込んで危機感を自らの中に作り出し、そして今のだらけきった生活から抜け出す為にここで敢えて公表性の高いホームページでその期限を読者全員に宣言する事にしよう。

 



 『私は必ず就職する!』







 『桜咲く、あの頃までには・・・・』




 と・・・

衝撃ニュース!酒井法子氏出頭!!(日本)

2009-08-09 23:49:40 | 労働収容所・収監前
日本


2009.08.09(日)

 日本に帰ってきて既に三ヶ月が過ぎた。

 この間も世の中は目まぐるしく変わっている。
 が、世界中を見てきた私だ。
 日本の空気と言うのは危機感に対して疎くなる性質があるようで、色々と変化する世間をニュースで見てもどうもインパクトを感じられなくなってしまってきていた。

 何故そうなっているのかの答えは単純だ。旅行をしていた時は「この先前に進んだら死ぬのではないか?」という場所にも行く事があったし、それに併せて動物に近い本能の所から全身に危機感を感じる様になっていたのだが、ここでは世間がどう動こうと食う事、根本的には生きるのに問題は無いから精神の鈍化が始まっているのだろう。

 それでいけないのは明白だが「追い込まれていない」ことが自分の周りに対する注意関心を散漫にさせていることは認めなければいけないだろう。

 だが、そんな私でも報道が始まったときから『これはっ!』と思って敏感に追い続けてきたニュースがあった。


 タイトルにしている「酒井法子氏」に関連するこれまでの一連の流れだ。

 私が今更言うまでもないかもしれないが、彼女は元アイドルであり女優でありそして今は母としても活躍する、云わば“国民的アイドル”の一人である事は疑念を差し挟む余地は無いことだろう。

 それに現在はまだ容疑者であり、こうして記事に纏めるのにはまだ早いのも分かっている。

 だが、このプロフェッショナルがこうして書かざるを得ない程のインパクトがこの事件にはあったのだ!



 そのきっかけは今日、たまたまテレビで見ていた時にみた映像だった。

 酒井法子氏が出頭したことによる特別ニュース。

 過去6日間の逃亡生活に対する推測と共に、こういった時の常套手段である過去の清純アイドルだった頃から始まり女優、良妻、良母といった彼女の経歴をなぞるような映像や、今回の事が無かったら特に話題にならなかったであろう「実はクラブ通い」をしていたというもう一つの素顔等といった映像を流して彼女には2面性があったのでこういう覚醒剤に手を出したのではないだろうかとか。

 私は彼女と同世代ということもあり、「あの酒井法子がなぜこんな事を!」と思っていたので事件の真相に対する興味の関心は尽きない。

 ニュースを食い入るように眺めていた。



 そして中でも私が最も驚いたのはそこで流れた次の映像だった。



 そう・・・



 彼女が出頭して留置されたと言われる東京湾岸署・・・


 その中の留置所の映像だ・・・!


 確かに檻はついているものの、そこには自動で水が出る洗面台、それに小窓がついているとはいえやたらと綺麗な洋式便所・・・

 私は少し目を閉じて上を眺める。

 私が160を超える国を周っている間に泊まったホテルの数は明らかにこれ以上。

 その中でもあの留置所をランキングに入れるとしたらどの順位に入るのだろうか?

 トップテンに入るとは言わないまでも単純に清潔さや設備のクオリティーからいったら間違いなく平均値を遥かに上回っているし、グループ分けしたら上位グループに食い込む事は間違いない。


 『俺が自腹を切って泊まってきた世界中の宿はなんだったんだ・・・そしてあれが日本の留置所の設備か・・・!』


 私は絶句してしまった。





 日本帰国後・・・


 私にとって酒井法子氏事件に関する数多くある報道の中でもこの「留置所の綺麗さ」が一番の衝撃ニュースである事は間違いないだろう・・・






 『いやぁ~、それにしても綺麗でビックリしたぁ~・・・!!』
 

ミドルネームの外れた日(松戸:千葉)

2009-08-03 21:18:11 | 労働収容所・収監前
2009.08.03(月)

 
 今日ようやく待ちに待っていた結果が出た。

 昼過ぎに病院へ連絡をすると前回内視鏡で採取した細胞と提出した便の検査結果か来ていていると言われ、病院へ向かう。

 待つ事しばし、診察室の中に入る。

 目の前にいるのは私を2度も犯したあの医師だ・・・

 『どうでしたか・・・?』

 一抹の不安はあったが、医師の答えは良い知らせだった。

 「内視鏡検査で採取した細胞、便の検査の結果からシスト菌は発見されませんでした。完治したといっていいでしょう」

 私はホッとした・・・

 思えばアメーバ赤痢であることが発覚してから1月半、最初に検査を受けてからは実に3ヶ月もの月日が流れていたのだ。(ちなみに帰国してからは既に3ヶ月半たってます)

 
 『長かった・・・』


 一応は第5類の感染症に分類されるので、無自覚症状で日常の生活に支障をきたしてる訳でもないのにこの期間は就職活動して働き始める事も出来ず、ただ無聊をかこうだけで内心忸怩たる思いの日々が続いていたのだ。


 その辛かった長い日々がようやく終りを告げたのだ・・・



 もちろん就職活動しなかったからといって、この期間ただぶらぶらと遊んでいた訳ではない。積極的に活動して完治した直後から動けるように入念に準備は続けていた。


 6月以降は1日1時間程度は走ることにして、体重も帰国時から3kg程度は減らしたし、ビジネスとは何かを理解する為に「GOLGO13」153巻全巻を読破するという偉業も成し遂げた。また急速に変化する世界の情勢を把握する為になけなしの貯金をはたいて「ワールド・サッカー・ダイジェスト」を購入して最新の国際情勢を理解することに勤めたり、このホームページにしてもマイナーチェンジを施す等、激務と言っていい毎日を送っていたのだ!
 

 「・・・」



 「・・・・・・」



 「えっ?肝心の就職準備はって???」



 『・・・』



 『・・・・・・』


 『わっ忘れてた・・・!』



 まあ、いい。いずれにしてもこのプロフェッショナル。


 これでようやくミドルネームの「アメーバ」とはお別れだ!


 今日からはまた元の“デューク・東城”として新たな戦いに身を投じる事にでもしよう・・・


皆既日食の日に・・・(松戸:千葉)

2009-07-22 14:36:06 | 労働収容所・収監前
 日本


2009.07.22(水)


 今日はなにやら世間が騒がしい。

 そう、46年ぶりの日本での皆既日食。これがその理由である。

 私が現役のツーリストなら逃す事の出来ないイベントだが・・・

 残念ながら今日は別の案件が入っていた。

 皆既日食22分前。

 「デュークさん、こちらへ・・・」

 私を呼ぶ声がする。


 私は服を着替え、診療代に横たわる。

 私の前には以前私の処女を奪った憎むべき男がいる。

 意識が朦朧となる注射を射たれ・・・


 そして人生2回目のレイプが始まった・・・


 そう、アメーバ赤痢の治療の確認の「内視鏡検診」だ。

 日食は既に始まっているがこのプロフェッショナルには関係ない。


 ほぼ失った意識の中で彼の内視鏡に犯されるがままになっていたのだ・・・



 検査を終えて医師の診断を聞く。


 「いやぁ~。見て下さい。もう以前腸内にあった炎症はないですよ。目視できる範囲では完治したといっていいでしょう」


 私も写真を確認する。

 以前大腸内にあった筈の炎症が確かに綺麗さっぱり無くなっている・・・

 そもそも無自覚症状だったので、体調の変化はあまり感じなかったので、完治しているかどうか不安だったのだが2週間薬を飲んだだけでこんなに効くとは・・・



 取り敢えずは「ほっとする」結果となったと言っていいだろう。



 だが、まだ油断してはいけない。

 この後今回とった腸内の細胞の検査、そして便の検査ではっきりとした結果が出なければ完治したとは言い切れないからだ。


 デューク・アメーバ・東城。


 このミドルネームが取れるまではまだ暫くはかかりそうである・・・


投薬終了(松戸:千葉)

2009-07-05 08:24:52 | 労働収容所・収監前
 日本


2009.07.05(日)


 アメーバ赤痢の診断を受けて飲んでいた薬の期間が金曜日に終了した。

 そもそも自覚症状が少なかった為、投薬が終わった今、投薬前と比べて体調に変化があるかどうか?自分でも疑わしい。

 それよりも投薬中である先週の月曜日くらいから投薬による副作用の症状が厳しく感じられ、例えばお腹が張ってきた感覚がしたり、激しい胸焼けがしたり、嘔吐感(実際には吐いたわけではありませんが)がしたり、倦怠感が襲ってきたり、それと大好きなチョコを食べたりアイスコーヒーを飲んだりした後に変な気分になったりしていたのだ。

 ようするに投薬中の方が投薬前に比べれば体調は遥かに悪くなっていたのだ。


 お陰で先週は走れずダイエットが出来なかった・・・。


 ネットで調べると確かにこういった症状が見られるかもしれないとあったし、それに薬はめったな事では飲まない(旅行中こそなるべく早く飲むようににしていたが)ので、薬の効果が良きも悪しきも出易い体だったのだろう。



 もちろん今ではチョコは美味しく感じられるし、先に述べた嘔吐感や胸焼け、お腹が張る感じも無くなったとは感じられる。だるいという感じも無くなっている。



 医師の話だとこの投薬2週間で完治するだろうということだが・・・



 いずれにしても投薬前との体調に確たる変化を感じない今、治ったかどうかは再検査とその結果を見ないことには何とも言えないと言うのが現状だ。


 

 今の私の状態を表現すると



 「元気に病気(疑い)中・・・・・・」



 というのが現実だろう・・・






 このプロフェッショナル。




 今しばらくは「家事手伝い」の螺旋から抜けられないようである・・・








 写真はアメーバ赤痢の治療薬を飲んでいる時に中米で知り合った旅行者達と観光した東京都庁ビル。
 

 そして原宿の竹下通り、クレープが美味かった・・・何気なく写っているラスタの帽子のサックを背負った男はアンティグアで共にスペイン語の螺旋を戦った同志。ラスタ帽子の中味はドレッドヘアで都庁ビルではおばさん達の人気者になり写真を撮られていた。
 




そしてその結果2(松戸:千葉)

2009-06-29 08:22:56 | 労働収容所・収監前
 日本


2009.06.29(月)


 以前アクシデンタルという記事でアメーバ赤痢にかかっている事をカミング・アウトしたこのプロフェッショナルだが、先ず第一の結果がきた。

 アメーバ赤痢が発覚して直ぐに受けたエコー検診、そしてCTスキャンによる結果が出たのだ。

 これを受けたのはアメーバ赤痢が腸から他の部分に転移していないかどうかを調べる為に受けていたのだが、今日の診察の結果によるとまず大丈夫だそうだ。

 まあ取り敢えずはホッとしたが・・・


 薬は今週の金曜日までは飲み続けなければいけないし、完治を確認する為には薬による治療を終えてから約2-3週間後に再検査(便と内視鏡)を受けなければ成らない。さらにその結果がわかるのは検査を受けてからまた2週間前後かかってしまうので・・・


 このプロフェッショナル・・・


 どうやら最速でも7月一杯はアメーバから逃れられないようである・・・



 この際だからミドルネームを増やしてデューク・アメーバ・東城とでも改名しようか・・・


そしてその結果1(松戸:千葉)

2009-06-26 08:21:10 | 労働収容所・収監前
 日本


2009.06.26(金)


 1ヶ月前に書いたTake a Exam.(流山:千葉)という記事、この時に受けていたTOEIC試験の結果が来た。

 結果は745点、どういうレベルかというとレベルはB、評価のガイドラインから行くと「どんな状況でも適切にコミュニケーションできる素地がある」というのが結果だ。(といってもこの幅は730-860点というラインなのでなんとかこの領域の点が取れたというのが適当だろう、ちなみに満点は990点)
 またこのテストはちょっとした事でプラスマイナス50点ぐらいは動くので鵜呑みにするというのも変だし、それにそもそもリスニングとリーディングしかないので総合的な英語力をこれだけで判断するというのも変だがまあこんなものなんだろう。



 ただ自分でも不思議な事がある。今回テスト前にやった事は模試を3、4回直前にといただけ。

 それなのに出た結果は9年前、某秘密組織に属している時に団体で受けたときの点数と全く同じだったのだ!


 
 この時は某組織の中にある秘密の学校に9ヶ月間ぐらい通わされ、高校卒業以来、久しぶりに英語の勉強をやらされていたので今よりは遥かに多くの量を勉強していたはずだ(といっても半分は軍事英語、ちなみに勉強したのは日本国内です)。

 旅行中英語圏にいたのはトータルで1年ぐらいにはなるかもしれないが、旅行者なら分かるように旅行中に使う英語なんて限られた物にしかならないし、英語力の維持、向上にはそんなに役に立っていない事は確かだ。
 何よりも必要の無い言葉は使わなくなるし、文法うんぬんより意思を通じさせる方が大事と言い訳して全く勉強はしなかったので、語彙力や文法力は明らかに以前よりは落ちている、ようするに私の英語力は100%以前よりは落ちているという事は確実だ!


 それなのに、全く同じ結果になるとは・・・


 TOEIC、どうやらこのプロフェッショナルにとって「腑に落ちない結果」となってしまったようだ・・・