謎の日常

 「観光」に”感動”などといった余計な”感情”は必要ない・・・
 ただ”事を終わらす”とだけ考えれば良い・・・

終りの国にて(ヘルシンキ:フィンランド)

2009-03-25 07:42:59 | オペレーション・イリーガル
 フィンランド


2009.03.25(水)


 ヘルシンキに滞在したのは10日間。ここに来るのはセカンドミッション以来2回目である。

 この国の最大の見物といったらムーミン&サンタだが両方に全く興味の無い私にとってはどうでもいいことだ。ヘルシンキの街並もこれといった売りがあるわけではない。

 ここはもう面倒なので文章を書かずに写真で誤魔化す事にしよう・・・


 凍った湾、見えてる島までの間海は凍っている
 

 ちょっと珍しい地下教会であるテンペリアウキオ教会。
 

 ヘルシンキ大聖堂の昼と夜
 

 駅近くにある国立劇場の昼と夜
 

 ウスペンスキー寺院ともう一つ目立つ教会
 

 オリンピックタワー、上に登れる。




 世界遺産のスオメンリンナ島、行くまでに氷の海を超えていく。これはちょっと燃える。
 

 潜水艦が展示されている。夏季のみは入れる。
 




 「・・・」




 「・・・・・・」




 この先、特に何か言いたい事は無い。


 
 だが、それでも敢えてこう伝えよう。


 フィンランドの首都ヘルシンキ・・・



 物価の高さで有名なスカンジナビアの3カ国(他はノルウェーとスエーデンで・・・)で・・・





 一番物価が安いという事を・・・






 でも高かった・・・

予告:最終地点狙撃(ベルリン:ドイツ)

2009-03-15 07:41:19 | オペレーション・イリーガル
 ドイツ


予告:最終地点狙撃(ベルリン:ドイツ)


「激闘の記録」新作をアップ




 あらすじ

 チェコを後にしてドイツ東部を点々としながら旅行の最終狙撃地点であるベルリンに到達しちゃったプロフェッショナル・デューク東城。
 まだ全ての国に行った訳では無いのに、何故この地点を今狙撃したのか?
 
 そして最終地点を狙撃したその先はあるのか?


 どうなる?ゴルコサーティーワン!!


 誰1人として全く気にしていないその「秘密のベール」が・・・


 今ここに明かされる・・・



 のか??
 

敗北の地(ポツダム:ドイツ)

2009-03-12 07:40:23 | オペレーション・イリーガル
 ドイツ


2009.03.12(木)


 ハレの後私は一度目的地に到着。だが、そこを見るのは未だ早かった。一泊して翌朝、そこから日帰りで訪れるポツダムを先ず見る事にしたのだ。

 ここはかの有名なポツダム会談が行われた場所というだけではなく、その宮殿群や公園群は世界遺産にも登録されている。そして私の今いる場所から簡単に日帰りできる場所だからだ。

 見たいターゲットは3件、サンスーシ宮殿、ツェツィーリエンホーフ宮殿、そして新宮殿だ。

 ガイドブックには市の中心から急行で15分とあり、1030ぐらいに出発すれば午前中に一件終わり、そして残りの2件は午後でも十分に見れるだろうというのが私の考えだ。

 私ほどのプロフェッショナルに取っては一日にたった3件の宮殿を訪れればいいだけの「イージーなターゲット」と言っていいだろう。失敗の可能性は0.000000000000001%にも満たない筈だ。 

だが余りにも近く、そしてイージーなターゲットと考えていた為にどうやら油断していたようで、実際には私の泊まっている場所からは郊外列車に乗らなければならず、15分どころか結局約一時間かけて到着。到着してバス停に行くと最初の狙撃地点であるサンスーシ宮殿までのバスは出発したばかりで20分待となる。天気も小雨とよくない感じだ。

そして20分待ってバスに乗りサンスーシ宮殿へ到着した頃には既に1230時を過ぎてしまっていた。

 サンスーシ宮殿
 

 このサンスーシはフランス語で「憂いの無い」という意味で日本語では「無憂宮」と言われる。だが入場料は学割に年齢制限が有る為に下がらず、かつて2日間有効だったポツダム、ベルリンの宮殿を見る共通チケットは1日有効に変わってしまい、今日買っても意味が無く断念。そして写真は内部撮影禁止とこちらには憂いしか残さなかった。


 時計を見ると1400時を過ぎている。この街で見たい宮殿は2つ。だが現在は冬の開館時間であり入場は1600時まででここから近い「新宮殿」に行くとちょっと離れた所にあるポツダム会談の行われた「ツェツィーリエンホーフ宮殿」に訪れるのは厳しくなる。

 しばらく悩んで優先順位を考えツェツィーリエンホーフ宮殿に向かう事にして市バスに乗ると、同じ方向に平行してバスが運行されており、私の乗ったバスは逆方向へ、思わぬロスタイムだ。

 そして30分も見積もれば到着する予定だったツェツィーリエンホーフ宮殿に着いたのは1500時、入場は1510時でもう「新宮殿」に入るのは完全にアウト。

 この「ツェツィーリエンホーフ宮殿」も学割は年齢制限あり、そして内部は撮影禁止とまたしてもダブルショックだ。

 ポツダム会談の開かれた「ツェツィーリエンホーフ宮殿」

 

 ここを見終わったのは1600時、私は「新宮殿」はせめて外観でも眺めに行こうとバスを乗り継いでもう一度サンスーシ宮殿へ向かう、ここから庭園の中を通って新宮殿まで歩けばいいだろう。

 だが、私の行動を嘲笑うかの様に雨は強くなり・・・

 バスから撮影した外、大粒の雨が・・・



 だが、観光をやめるわけにはいかない。

 結局雨にうたれながら庭園を通り新宮殿へ。

 庭園の中にある中国茶館


 そして「新宮殿」
 

 入場時間はとうに過ぎていたのでコメントを言う事すらも出来ない・・・



 今回のこのミッション、移動時間を見誤り、学割が効かず入場料も安くならず、2日券は1日券に変わってしまいさらには写真も撮れず、途中移動でバスを間違え、そして目標の3件のターゲットの2件しか仕留められなかったので、全て私の思惑は葉ずれてしまっていたという点は認めなければならないだろう。






 私はここでこう言わざるを得ないだろう。



 

 このプロフェッショナル、ここに「ポツダム宣言」を受諾






 この街に「無条件降伏」したと・・・





ハレのち曇(ライプツィヒ、ハレ:ドイツ)

2009-03-11 07:39:06 | オペレーション・イリーガル
 ドイツ


2009.03.11(水)


 ドレスデンを出発してライプツィヒへ。


 旧市庁舎に新市庁舎
 

 有名な音楽家のバッハの活躍したトーマス教会。遺体もここに眠っている
 

 ロマネスク様式のニコライ教会。中はカラフルでエキゾチックな雰囲気
  

 一見凄そうだが一反木綿のようにペラペラなビル。
 


 ドイツで三番目に古い大学が設立され、ゲーテやニーチェ、森鴎外等蒼々たるメンバーがこの街で学んだだけでなく
バッハを始めシューマン、リスト、ワーグナー等の多くの音楽家が偉大な業績を残し、旧東独時代にここにあるニコライ教会で月曜毎に行われた祈祷集会が民主化要求のデモへと発展し1989年のベルリンの壁崩壊の大きな一歩となったという経緯を持つ街だ。

街の雰囲気も気に入りなにやら心は晴れ晴れとした感じになってきた。


ただ、この街は通過に過ぎない。

今日の最終目的地は別だ。


 この信号のピクトさんは有名な「アンペルマン」。
 

 



ちなみに旧東ドイツでこの子供のシルエットをしたアンペルマンは現地の人達にも人気で、ドイツ統一の際に一端廃止の方向にも動いたがアンペルマンを愛する人達の声もあり現在も旧東独地域で使用されている。


 時間はまだ十分にある。
私は最終目的地に行く前に、この晴れ晴れとした気分を高めるためにさらにもう一つ都市を経由する事にした。

 ガイドブックの扱いはそれ程大きくない“ハレ”という街がそれだ。

 ガイドブックに載っていた旧市街の中心のマルクト広場の写真が気に入った事もあるが、この“ハレ”というネーミングのこの街は今の私の心情に最も適していると考えたからだ。

 そのハレの街並。

 旧市街の入口


 ガイドブックに載っていたのと同じような感じで撮影したマルクト広場。そしてドイツによくある木組みの建築。
 

 マルクト広場周りにあったビルの一つ、角は毎フロアごとに彫像が・・・
 


 モーリッツブルク城
 


 ちなみにここはバロック音楽の巨匠ヘンデルの故郷でもある。

 私の乗る列車まで後40分、歩いて15分程度で駅につくのでまだ時間は残っている。
 私は気に入っているマルクト教会の脇にある坂を上がりながら、ハレで晴れ晴れとなった気持ちで次の目的地の事について想いを巡らせていた・・・

 マルクト教会を下から眺めて



 「ペッ!」


 ピチャッ・・・


 突然私の前に何か上から唾が降ってきた。


 「んっ??」


 上を見上げると教会の横の踊り場に子供が何人かいて下を見ている。


 「狙ってきたのか・・・???」


 確証は無い、唾は私の居る所から3mぐらい先だ。たまたま遊んで唾を吐いたのが私の前に落ちてきたというのが妥当な判断だろう。

 私はもう一度前を向き、坂を登り始める。


 と・・・



 ドサッ!!



 「!」



 私の肩に後ろから何か土の塊のような物が当たってきた!!



 「クッ・・・」



 犯人はあいつらしかいない。上を見たい誘惑に駆られたが、私は前を向いたまま悠然と歩みを進める。
 当たったのに気付かない振りをわざとしたのは彼等の警戒心を解いて、当たってなかったのかと思わせ油断させる為だ。
 そして坂を上りきったあとで教会脇の踊り場の方にゆっくりと歩みを進める。人数は5人、日本で言う中学1,2年生といった所か。私がただこの踊り場の景色を楽しみに来ただけと思わせれば近づいた後一気に掴まればいいだろう。

 私がゆっくりと近づいていくと20mぐらい手前で子供が私の方を向き、何やら叫びだして逃げ始める。


 「こっこのガキがぁ・・・」


 このまま追いかけていくのは具合が悪い。私は彼らが教会の影に入るのを見届けてから反対側に転進する。
 この教会は正面がマルクト広場に面していて、側面と裏は踊り場になっている。回り込んで行けば彼らと鉢合わせる可能性が高い。それに何よりもこのプロフェッショナルに「走る」等という疲れる選択肢は入っていない。

 反対側に回り込むと走ってきた子供達は私に気付くと教会の脇にある階段を降りてさらに逃げていく・・・


 「ちっ・・・」


 私も小走りに階段を降りていく、彼らは階段を降りきったビルの角で一度私を見て、そして猛ダッシュをして逃げていく・・・


 「くぅぅぅ・・・」

 さらに私は角まで追いかけるが流石に若さのせいか、彼等の逃げ足は速い・・・

 そしてこんなことで既に無駄な時間がかかっている。列車の出発時間を考えると掴まえるまで追い続けるというのはちょっと馬鹿馬鹿しくもなってきた。

 「大好きなドイツで餓鬼共にこんな目に合わされるなんて・・・」

 憤懣やる方なしといった感じだ。ハレで折角晴れ晴れとなった気分もこの一件で台無しである。
 私は今降りたばかりの階段を登り、教会の脇に出て鉄道駅に向かう事にした。


 すると私の目の前の道路にさっきの子供達が見え始めてくる。
 私を完全に撒いたと思ったのだろう。ビルを大きく回りこんでマルクト広場に戻ってきたのだ。彼らは息を切らしながら仲間が全員集まるのを待っている。

 「こっこれは・・・」

 犯罪者は必ず現場に帰ってくる。この鉄則はここでも活きていた。
 私は帽子をやや深めにかぶり直してゆっくりと彼らに近づいていく、早い動きというのは視界に捉われ易いからだ。
 5m程度に迫った頃だろうか。彼等の一人が私に気付いて大声を上げて仲間に注意して逃げ始めた。私は素早く近づいていってその中の鈍そうな一人を掴まえる。

 子供は5人、私に実際に当てたヤツは一人だろうがこの際は誰でも構わない。一人捕まえて徹底的に締め上げてやるつもりだった。

 今まで周った国で私に物をぶつけてきたのはコイツらが初めてと言うこともあるがそれだけではない。
 もし私が彼らを逃がせばこの先外国人を見かけたらゲーム感覚でまた同じ事をやるだろう。それを防ぐ為にも「こういった行為の代償が何を伴うのか?」彼らに思い知らせてやらなければならない。

 捕まえた子供は何やらドイツ語で私にまくし立てている。分る訳は無いが「俺はやっていない」とでも言っているのだろう。

 私は彼の袖をひっぱりながら「ポリス」という言葉を話の節々に入れていく、これなら彼も私のやろうとしている事が理解でき心理的にもプレッシャーがかけれるからだ。
子供は私の取ろうとしている行動に抗い逃げようとする。子供にしては発育がよく 身長は私よりやや低い程度、体重も50kgは超えているだろうが、そこは大人と子供だ。彼が私の力にかなうわけが無い。

 彼はさらに大声でわめき始める。こちらはそれほど時間があるわけではない。こうなったら次の作戦だ。私は突然日本語で、それも彼に負けないぐらいの大声で厳しい口調で彼を詰問し、警察にいくという強い意志を示す。
 子供はついに大声で泣き出し、日本語を大声で叫んだ事で周囲の人々も我々に注目し始めている。そして一人の若い男がこちらによってきた。
 私はこのシチュエーションを待っていたのだ。

 男に素早く「英語は話せるか?」と聞き事情を説明する。彼らが5人いたこと、後ろから肩に土をぶつけられた事。彼は子供の言い分も聞き「彼は当てたのは俺じゃない」と言っているよと通訳してくれたが、実際当てたのが彼であろうがどうだろうがそれはそれ程重要ではなかった。

 私は彼に再度説明する。「私はこの街に観光に来ていてただ教会脇の坂を上っていたのに上から子供に土をぶつけられ、彼らは謝る事もなく逃げ出していったので憤慨している。実際にぶつけたのは一人かもしれないが誰がやったかなんて後ろからやられているから見えるわけが無い、ただこの子供は逃げ出した彼等5人の内の一人であることは確かだ。彼を警察に突き出して残りのメンバーも全部上げ、こういった事を、それも外国人に対して2度としないようにさせなければならない。」 と、いうのがその内容だ。

 私がその若い男と話しているとさらに付近にいたおばさん2人が寄ってきて、その男から内容を確認すると「じゃぁ警察を呼んでくるね」といってその場から離れていった。

 私はおもむろに時計をみる。いつの間にかあれから15分ぐらいたってしまっている。駅までここから15分、そして残り時間は25分。これで列車に乗り遅れたら最悪だ・・・

 警察はすぐに我々の所に到着。後ろの座席に子供が1人、さっき逃げた5人の内の1人だ。仲間の身を心配したのか、一緒についてきたのだろう。
私が手を掴んでいた子供が警察をみると泣き出しながら大声でドイツ語で彼らに訴えている。残念ながら警察達は英語が話せなかった。私は英語を話せる男にその子供が何を言っているかを通訳してもらい、そしてこちらの事情を警官達に話して貰うようにお願いした。

 警官も事情を飲み込んだらしく、私の方に申し訳なさそうな顔をしている。

 私は先程から通訳してくれている若い男に警官達にこう伝えてくれるようにお願いした。
「子供だからこそ若いうちにこういった行為がどのような結果をもたらすかを学ぶ必要がある。だが彼らがそれを理解した上できちんと私に対して謝罪をしてくればそれ以上は必要ない」
と・・・

 彼はそれを警察に告げると、今は2人になった子供は私の所にやってきてドイツ語で「エントシュルディグン(すいません)」と言ってきた。

 「ふぅぅ・・・」

 彼等の差し出した手を握って笑顔を見せる。彼らは5人の内の2人、後3人いるが流石にそれまで呼び出して決着をつかようとすると私は列車に乗り遅れてしまう。もう頃合というやつだろう。
 最後に私は警官に「残りの3人にもよく言い聞かせてくれ」とお願いし、そして無関係なのに私の通訳をしてくれた若い男に「ありがとう」とお礼をいって広場を後にした・・・

 
 時計を見ると発車時刻まで後10分・・・

 私は出来る限りの早足で駅に向かい、そして残り3分を切った所で走り出す。
 列車には出発1分前に乗り込み滑り込みセーフ・・・


 子供を追いかけるのに走らなかった私だが、ここで走ってしまったので息は絶え絶えだ、しかし大好きなドイツでこんな目に遭わなければならないなんて・・・





 ハレで出会った突然のアクシデント、結局私の計画に何一つ狂いを生じさせはしなかったが・・・






 列車の中でこの一件を思い返して、私はこんな感慨に浸っていた・・・





 「今日一日の心の天気、“ハレのち曇り”であった」




 と・・・
 




 ハレで見たビル、壁に描かれた絵がキレイだった。


 




気になる街(ドレスデン:ドイツ)

2009-03-10 07:37:13 | オペレーション・イリーガル
 ドイツ


2009.03.10(火)

 チェコでの不法就労は順当に進み、そして次の仕事に入るまで一週間ぐらいの休みが出来たので、かねてより気になっていたドイツのドレスデンへ訪れる事にした。

 この街はかつて「百塔の都」と呼ばれ、エルベ川の水路を利用して商業都市として発展してきた街であり、16世紀にはザクセン王国の首都として栄えていた。
 ただ、残念な事に第2次世界大戦の空襲で一夜にして破壊されてしまい、また戦後は東ドイツの一都市となっていたので再興は中々立ち行かなかったのだが、それが東西ドイツ統一後に着々と再建され、未だ完全復興とまでは行かないまでもドレスデンのあるエルベ川沿いは、中部ヨーロッパにおける優れた文化的景観を形成しており、世界遺産にも登録されている。

 写真で見たその風景や建築物は私を惹きつけるものがあり、プラハからも簡単に行けるのでこの休みの最中に是非訪問しようと考えていたのだ

 訪れたドレスデン、その建物や景観は私を満足させる物であった。

 到着したドレスデン駅前の通り。近代的


 市庁舎にアルベルティーヌム
 

 フラウエン(聖母)教会の昼と夜
 

 そしてそこのドームの上から見たエルベ川河畔


 有名なゼンパーオペラ(ザクセン州立歌劇場) 
 

 かつてのザクセン王国の栄華を伝えるツヴィンガー宮殿
 

 ドレスデン城の外壁に描かれている「君主の行列」、長さ101mもある。
 

 モスクっぽい建物、屋上にレストランがあるという看板が出てた・・・


 カトリック旧宮廷教会とその周り。
 

 そしてカトリック旧宮廷教会とドレスデン城
 

 エルベ河畔からみたドレスデンの中心部
 

 そしてそのパノラマ(合成)






 通常、景観や景色という物は、良かれ悪しかれ想像とは変わった一面を見せてくれるものだが・・・




 ドレスデン、ここは私の想像を大きく外れる事はなく、期待していた通りの良さを見せてくれた。




 ただ、それでこの「気になっていた街」が終わった訳では無かった。



 通りに立っていた“たった一枚の看板”





 これはドレスデンを十分堪能したと思っていた私に新たな“謎”を投げかけてきたのだ・・・












 その問題の看板









 「・・・」









 「・・・・・・・」









 ドレスデン・・・



 一度訪れた私にまた新たな謎を差し出し、そして気にさせた街・・・




 また何時かここを訪れるだろう。




 今度は「世界遺産となっているエルベ渓谷」を見るわけではない。





 この看板にもなっている「不思議な洗車」を体験するためだけに・・・




美しき街、プラハ2(プラハ:チェコ)

2009-03-09 07:32:12 | オペレーション・イリーガル
 チェコ


2009.03.09(月)


 プラハでの不法就労も順調に続き9日目を迎えている。

 前回だけではプラハの美しさを十分に伝えたとは言い切れないので、引き続きまた写真でもってその美しさを御覧にいれようではないか・・・

 王宮の入口。毎時衛兵の交代式が行われている。


 王宮内の教会とその入口の一つ
 

 
   

  

 

 ストラホフ修道院(ベトシーン公園展望台からの全景)


 その中にある図書館。装飾が綺麗。
 

 ベトシーン公園の展望台とそこからの景色。
 

 パノラマ3連発!








 旧市街の中心広場の天文時計(写真は夜)からの眺め(写真は昼)
 

 


 旧鉄道駅にその中
 


 国立博物館とそこから見たヴァーツラフ通り。
 




 プラハの夕暮れ時



 国民劇場にダンシングビルの夜景。
 


 橋から眺めた王宮(パノラマ)






 これで大分プラハの美しさをお見せしたことかとは思うが・・・





 これだけで終わるようなら私はプロフェッショナル失格である。




 プラハのその本領は街並みだけではない、街の随所に現れる彫像群がその街の美しさに大きく彩りを添えているのだ。


 100聞は一見にしかず。


 この私がプロフェッショナル・アイを用いて厳選に厳選を重ねた「ベスト・オブ・プラハ」とも言うべき彫像群を今からご堪能遊ばせて貰おう・・・



 先ず空中浮遊の彫像達
 



 そして胸にぽっかり穴の開いた首なし彫像。







 さらにとどめにカレル橋付近にあった小便大人。
 


ちなみにこれは腰が回転し、一物が上下しながら小便するというブリュッセル(ベルギー)の小便小僧を遥かに超越した複雑な動きを見せる。凄い!!




 「・・・」






 「・・・・・・」







 ここでプロフェッショナルとして一言こう述べさせていただこう。




 「これらの彫像群はプラハの美しさに何の貢献もしていなかった。」




 と・・・




美しき街、プラハ(プラハ:チェコ)

2009-03-05 07:31:08 | オペレーション・イリーガル
 チェコ


2009.03.05(木)


 プラハに滞在して5日目、不法就労は順調だ。

 私のやっているバイトは外に出て調査するのが仕事なので、街歩き好きな私にはたまらなく楽しい。

 特に今回は東欧一美しいと言われる首都であるプラハだ。
 (注:東欧の首都では個人的にはハンガリーのブタペストも甲乙つけがたい、そして小さな街まで含めるとクロアチアのドブロブニクが一番好み)



 かつては“世界一美しいツーリスト”と呼ばれたこのプロフェッショナルだ。自ずから仕事にも力が入る。



 以前見覚えのあった繊細さや華麗さはそのままに、プラハの街は優しく私を包み込む・・・


 ブログ「謎の日常」時代は訳有って写真の公表を控えていたが、今回は仕事の合間を縫って撮影したプラハの街並の一部を公開してみようではないか・・・


 観光の中心、旧市街広場の昼と夜
 

 旧市庁舎にある天文時計、15世紀に作られている。
 

 上下のアップ
 

 ちなみにこの時計台は毎時仕掛け時計が動き出す。

 広場の東側には尖塔の形状が印象的なティーン教会
 

 旧市街広場の近くにあるHard Rock Cafe入りの建物、壁の絵が綺麗


 火薬塔と市民会館の昼と夜



 



 プラハ市内の南側にある要塞の中の教会

 
 扉がちょっと変わっていてキレイ。
 

  

 要塞の上からの景色、そして道川沿いの道路のトンネルに当時の名残が。
 

 建物のひさしの部分にも装飾がされている。学校(多分小学校)も何かいい感じの色合い
 

 時折建物の角や正面に彫像が、地震の多い日本では見ない感じ。
 


 中心部からやや離れた橋から中心街を望む(パノラマ合成写真)


 奇抜なデザインをしたダンシングビル、そして尖塔の形が独特な南にあった教会
 

対岸からみたカレル橋と王宮
 

 そして夜のカレル橋。
 

 カレル橋から眺めた王宮に国立劇場
 

 王宮の中にある聖ヴィード大聖堂
 



 夜はただで入れる黄金小路
 







 仕事の合間を縫ってなのでプラハの見所を全て載せれた訳ではないが、その美しさの一端は十分に伝わる事だろう。







 そして中でもベストと思える次の写真を公表してこの記事の締めとすることとしよう















 「・・・」






 「・・・・・・」










 「あっ!間違えた・・・、こっちだ・・・」

















 「テヘッ・・・」







 「・・・」








 「・・・・・・」







 「コッ、コホン・・・」







 最後の一枚がプラハのベストショットである事は疑う余地の無い事実であろう・・・






 但し、男性諸子に限ってだが・・・