謎の日常

 「観光」に”感動”などといった余計な”感情”は必要ない・・・
 ただ”事を終わらす”とだけ考えれば良い・・・

イランの本気・・・(テヘラン・イラン)

2007-09-30 23:10:23 | 2ndミッション+1 カフカス:中東
2007.09.30

 

 イラン・・・昨今何かと騒がれる国家である・・・



 現在のアメリカとの国交の悪化を受け・・・今年の2月に訪れた時には見かけなかったがテレビやポスター等が軍事関係の勇ましいものが増え、どこにでも見かけるぐらいだ・・・


 過去の歴史を紐解いてみると・・・

 イランとアメリカの遺恨は深い・・・


 1970年代のイスラム革命以降に閉鎖された旧アメリカ大使館には「アメリカを打ち落とせ!!」とゲート前に描かれ・・・

 これが旧アメリカ大使館の正門


 この通りにきれいにペイントが・・・今でも消されずに・・・


 
 そして「自由の女神」ならぬ「髑髏の死神」が・・・

 壁画はこんな感じに・・・


 そしてアップは・・・






 また市のアルメニア教会付近の巨大なビルにはホメイニ師をの肖像とスローガンが

 ちなみにコレ!意味は「ホメイニ師よ!あなたの掲げた旗(イスラム革命)を我々は決して下げることはない」といった感じ




 そしてその裏には・・・「アメリカを打ち落とせ」と・・・

 これが全体


 上のアメリカ国旗の星の部分は髑髏・・・


 そして赤い帯から爆弾が・・・シュールです・・・





 この様になものが30年近く経過した今でも残されているなど・・・両国の間には消えない溝があるといっても良いだろう・・・



 そして先ほどにも書いたが・・・




 アメリカとの関係悪化の果てに・・・





 今、イランはアメリカと事を構えようとしているのだ!!



 証拠はある!!


 私がテヘラン到着してすぐに見かけたものは・・・


 戦意高揚を狙った「軍事の大展示会」だったのだ・・・!!!


 これが入口





 街のど真ん中で・・・こんな展示をするなど・・・



 それほどまでに彼らは追い詰められ、その危機感は高まっているのだ!!



 陸海空・・・微妙にしょぼいといえる・・・アメリカの中古品といえる展示品の中には・・・・



 こんなものまで・・・

 海軍の展示品・・・これは・・・人間魚雷では・・・???







 そして・・・アメリカを・・・決して許さないという強固な姿勢は・・・








 このポスターに凝縮されるだろう・・・・










 ・・・・・・・・




 期限切れって・・・あれっ?イスラエル・・・???





 「・・・」





 「・・・・・・・・」






 私は断言しよう・・・


 イランは・・・



 イスラエルを決して許すことはないだろう・・・・!!!


 あれっ?話が変わった・・・???

さらばエース!!(エスファハーン・イラン)

2007-09-28 23:27:31 | 2ndミッション+1 カフカス:中東
2007.09.28


 それは09.26の夕方頃だった・・・


 私のストーカー先の「エース」がこう切り出してきた・・・


 「あの~・・・これからカーシャーンに寄ってからテヘランに行こうと思うんですけど・・・」


 『・・・・』


 彼の計画はこうだ、エスファハーンからカーシャーン、そしてテヘランに行ってからラシュトそれからアースターラー国境を経てアゼルバイジャンの首都「バクー」を目指しそしてグルジア、アルメニアというルートだ。

 翻ってこちらはエスファハーンからテヘランそしてアースターラーからバクーとなるので・・・


 タイムラグが出来てしまう。


 私はこのままストーカーを続けるかどうか・・・


 少し思い悩んだが・・・



 結局当初の計画通りにすることにした・・・


 理由ははっきりしている



 「面倒」



 だからだ・・・




 しかし・・・


 ビシュケク(キルギス)で知り合いタシュケン(ウズベキスタン)で再会して以来・・・


 38日間行動をともにした・・・


 単純にストーカーし続けたエースと別れるのは・・・

 
 我ながら勇気の居る決断だった


 エースとは・・・カフカスのどこかでの再会を誓いながら・・・


 ここで分かれることとなった。


 エースは結局28日の早朝に出発・・・


 後に残された私は・・・


 寂寥の感を拭い去ることは出来なかった。




 冷静で落ち着いた雰囲気の中に熱さを秘めたエースは私に取ってはまさに「切り札」的存在の男だった・・・



 今私は・・・独りぼっちにまたなった・・・






 そして・・・・







 「レイ」のストーカーへと変更する・・・







 んっ??







 という事で・・・







 引続きストーカー継続中・・・

世界の半分で・・・(エスファハーン・イラン)

2007-09-26 18:11:40 | 2ndミッション+1 カフカス:中東
2007.09.26




 
 エスファハーン・・・


 ここに来るのは今年2度目となるが・・・


 ここはまたイランに来ることがあれば訪れたいと思っていた場所だった・・・


 エスファハーンはかつて「エスファハーン・ネスフェ・ジャハーン(ペルシャ語でエスファハーンは世界の半分)」と讃えられた場所であり


 前回記事「世界の総てを・・・」にも書いたがそれまで100カ国以上周遊していた私がここに来ることによって残りの半分を簡単にゲットして「世界の総てを見た男」になれたからだ・・・



 ちなみにその後「世界を二つに分けるならインドとその他」と言われるインドを訪問し、そしてまた今回エスファハーンに来たことによってお手軽に世界を「延べ2回」見た勘定になっている事も伝えておこう・・・





 これが世界の半分と讃えられたエマーム広場







 私が今回エスファハーンでやりたかった事は”唯一つ”、かつても訪れたこのエマーム広場を見渡せる「展望チャイハネ(お茶屋さん)」で存分にくつろぎ・・・夕日から夜景に至るまで堪能しつくすことだけだった・・・



 夕方日没にあわせてホテルを出てエマーム広場に向かう・・・


 展望チャイハネは目の前だ・・・

 これが展望チャイハネ



 ここでゆっくりと・・・







 「・・・・」










 「・・・・・・・・」










 「ハレッ??入れない・・・・」








 展望チャイハネの入口・・・











 「・・・」















 「・・・・・・・」











 「なっ何故に・・・・???」












 地元の人に確認した所・・・








 『クローズ・フォーエバー(永遠に閉店)・・・・・・』










 「・・・・」














 「・・・・・・・・」













 「・・・・・・・・!!!!」













 こっこれだけが楽しみで・・・・またここにやってきたのに・・・・












 「くぅぅぅぅぅぅぅぅ~・・・・!!!」












 こんな時に・・・









 砂漠地帯の都市でいつも私を慰めるのは・・・












 「噴水だけだ!!」









 水の少ない砂漠地帯でいつも満面に水を貯め、そしてその水の流れ出る涼やかな音だけが・・・










 私のこの傷ついた心を・・・













 癒してくれるに違いない・・・・












 
 そしてエマーム広場の噴水・・・





 「・・・・・・・・・・・・・・・」






 僅かに水を出しているのは・・・蛇口1個だけ??
















 「・・・・・・」

















 「・・・・・・・・・・・」















 エマーム広場・・・




 かつて「エスファハーン・ネスフェ・ジャハーン(ペルシャ語でエスファハーンは世界の半分)」と讃えられた場所・・・




 現在当社比で「イランの1/4(4分の1)まで大幅ディスカウント中・・・」





注:その後聞いたところによると「展望チャイハネ」は「ラマダン中のみクローズ」という説もあり・・・
 本当に閉店したのか、それとも一時的な閉店なのかは現時点では不明である。

沈黙のヤズド(ヤズド・イラン)

2007-09-23 22:42:53 | 2ndミッション+1 カフカス:中東
2007.09.23




 マシュハドからヤズドへ・・・




 ここも今年2度目になる・・・



 ちなみに今回もここに来る予定ではなかったが・・・



 現在ストーカー中の「エース」と「レイ」との歩調を併せるという事もあり・・・



 そして2度目のイランで・・・考えるのも大分面倒になってきたので・・・



 迷わず2人についていった結果、こうして今年2度目のヤズドとなった・・・




 しかし悪いことばかりではない、



 マシュハドで壊した体調もかって知ったるヤズドに来て快調に向かい・・・





 それに前回ヤズドに来たときは・・・



 ヤズドに関する記事も書いていなかったので・・・




 今回はゾロアスター教最高の寺院があり・・・



 そしてかつて鳥葬場所として利用されていた「沈黙の塔」のあるこの街の魅力を・・・・





 豊富な写真を持って存分に伝える良い機会かも知れない・・・




















 先ずは沈黙の塔の上で・・・夕陽を待つ”プロフェッショナル”の姿から・・・


 沈黙の塔上で・・・夕陽を迎え撃とうとする「デューク東城」の雄姿!!






 「・・・」







 「・・・・・・」





















 そして・・・



 
 沈黙の塔の上で・・・
 夕陽をバックに・・・オーラを身に纏ったとさえ言える「プロフェッショナル・デューク東城」








 「・・・」












 「・・・・・・」











 この2枚の写真で・・・








 「このプロフェッショナルの男の魅力」は存分に伝わったことかと思う・・・











 伝えるものを間違えたような気がする・・・・

聖地マシュハド(マシュハド・イラン)

2007-09-20 22:23:40 | 2ndミッション+1 カフカス:中東
2007.09.20




 不思議の国、おとぎ世界のトルクメニスタンを抜けてマシュハドに・・・


 実を言うとイランは2回目だ。


 今回来るつもりは無かったが・・・


 トルクメニスタンのトランジットビザの条件で抜け先の国が必要になり、アゼルバイジャンに抜けることが出来なくなっているので、やむを得ないというのが現状だ・・・・


 しかし、マイナスばかりではない。


 前回訪れたときには・・・ブログにマシュハドにまつわる記事をアップしていなかったのだ。


 せっかくだから今回は・・・


 この「シーア派最大の聖地・マシュハド・・・」



 イランで最も聖なるこの地を・・・



 豊富な写真をもって存分に紹介するいい機会かも知れない・・・




 まずはハラム(広場の意味、この中にシーア派の聖人エマーム・レザーを祀る廟がある)の入口を・・・




 ちょっと分かりづらいかもしれないが、中心右の金色のドームの下にエマーム・レザーが祀られている・・・






 そしてご期待の中身はというと・・・



 










 「・・・」














 「・・・・・・・」














 写真撮影禁止・・・!!!














 ちなみに・・・




 18日にマシュハドに到着して以降・・・





 トルクメニスタンを通過した疲労からか・・・






 体調も壊して・・・






 殆どホテルで寝ていたので・・・・







 まあ今回紹介できるマシュハドは・・・







 この程度といってもいいだろう・・・






 







 面目ない・・・

激闘の記録第17話 トルクメニスタン編予告

2007-09-18 23:17:33 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
ホームページの「激闘の記録」に新作


フェアリー・テイル[おとぎ話](舞台国:トルクメニスタン)




 をアップ



あらすじは

 故二アゾフ氏が作り上げた「偉大なる首領様率いる某国」に比肩する独裁国家トルクメニスタン。

 そのトルクメニスタンにスタン系国家最後の国として挑むデューク東城!

 与えられた期日はトランジットのわずかに5日・・・

 この期間を無事に消化して抜けきることは出来るのか??



 どうする!ゴルコサーティーワン!!



 となります

 お暇な方はどうぞ・・・

最終章突入(そして今、伝説へ!!)(ヌクス・ウズベキスタン)

2007-09-13 01:07:03 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.09.13


 ウズベキスタン最後の町、ヌクスに到着。

 ここはウズベキスタン内のカラ・カルパクスタン共和国であるが、トルクメニスタン入国へのゲートシティーともなっているのだ。


 そして私にとっては以前第2段階突入(オシュ・キルギス) という記事にも書いたが、今回のミッション、セカンドステージ「スタン・ハンセン」の最後の国への突入となるのだ・・・


 ちなみに作戦のコードネームをつけていた事を・・・この記事を書くまで完全に忘れていたことも併せて報告しておこう・・・

 何の為にわざわざネーミングしたのか・・・




 それに私は今、一人ではない、ストーカー先のエース、それにレイ、そして旅行経験豊富で女性に手の早い、でも成功確率はあまり芳しくない英国紳士のマークを加えた4人だ・・・




 これならば・・・タクシーシェアなどで絶大な力を発揮できるのだ・・・





 トルクメニスタン・・・


 独裁者故ニアゾフ(通称トルクメンバシュ)の作り上げた国・・・



 中央アジアで・・・いや、世界でも北朝鮮に比する特異な国・・・





 明日、この国へと突入する・・・






 私の・・・




 スタン系国家最終章が



 幕を開ける・・・




 そして今・・・





 新たな伝説が始まる・・・・









 ちなみにヌクスにソビエティックな看板(?)があったので日本人3人で写真撮影したらそれが警察署前の撮影禁止場所でそのまま「御用」になるという何とも幸先の良いスタートを切ることになった。
 まあ何とか切り抜けたが・・・


悲しき不正行為(ヒバ・ウズベキスタン)

2007-09-12 00:40:53 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.09.12


 ヒバ・・・「博物館都市」とも呼ばれ、中世オアシス都市の景観を旧市街にそっくりそのまま保存する町・・・


 これからトルクメニスタンに向かう我々にとって、通過上にあり、そして見逃すことの出来ない場所であった。




ヒバ旧市街と言えばコレッ!!作りかけで終わったカルタ・ミナール。キュートです。か~わい~い。






 世界遺産に指定されるだけあって、その古都としての景観は中々の物があり、販売している土産一つとっても「中世オアシス都市の雰囲気」を十分に保存していると言えよう。



 中世オアシス都市と言えば・・・マッチョの絵


 それにマッチョの絨毯








 旧市街ばかりに目が行きがちだが・・・新市街も、旧市街とのバランスを上手に取っており、オアシス都市の雰囲気を存分にかもし出しているのも特徴だ。







 オアシスと言えば人形劇場(多分)、中々の良い出来栄え





 それにカフェに置いてあるスピーカーも中世のトラディショナルな雰囲気を出している





 それに幼稚園の看板も・・・これぞオアシスと言っても良いだろう・・・






 ヒバに到着してからトルクメニスタンに入るまでの休憩地として・・・




 09日に到着して以来・・・このオアシス都市を堪能していたが・・・









 ここには恐るべき罠が仕掛けられていたのだ!!







 私は旧市街に入るチケットを”学生証”を利用して8000ソム(約800円)で購入していたのだが・・・


 レイの調べに寄ると・・・学生は7000ソムらしい・・・


 何でもヒバは観光地化が進み、チケット売り場の人間が小遣い稼ぎにこうやった不正を行っているとのことらしく、ユネスコの係員までその調査にやってきているとの事だ!



 レイも8000でチケットを購入して、その話を聞いてからキャッシュバックをしたらしく、私もレイに連れて行って貰ってチケット売り場に行き、何とか1000ソムのキャッシュバックを受ける事が出来たが・・・




 まさかこんなトラップが仕掛けられていたとは・・・




 中世のオアシス都市、博物館都市としての矜持はどこにあるのか???





 係員が不正をする等・・・前代未聞だ!!


 チケット売り場で不正をされてしまったら・・・我々観光客に気付く術が無いではないか!!





 私はこれには激しい憤りを感じると共に・・・あきれ果ててしまうしかなかった・・・


 「この様な不正がまかり通るなら・・・」


 こんな町は滅びてしまうがいい


 とさえ思うほどに・・・




 「正義と公正」



 これこそが・・・人が生きる上で最も重要なことに違いないのに・・・



 ここには




 「正義も公正」




 もない・・・





 この様な事が起こっている現実・・・






 悲しみを禁じえない・・・









 「・・・」









 「・・・・・・」












 「えっ??」








 「人の不正を尤もらしく非難しているけど・・・」










 「お前本当に学生か???」



 って・・・・













 その辺りは・・・







 まあ気にしなくても良いだろう・・・







心を癒すために猫など・・・



あっ!ブハラで見たのと同じものが・・・ヒバにもあるなんて!!

エースを救え!!(ブハラ・ウズベキスタン)

2007-09-09 00:06:27 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.09.09


 事件は午前中に起こった・・・


写真は事件と何の関係もないお約束の「異端マドラサ(イスラム神学校)」




 この日我々は4人、ストーカー先のエースにビシュケクで知り合い、サマルカンドで再会し、そしてまたブハラで再会したリンク先のIBAとレイ。
 この4人でタクシーをシェアして次の目的地であるヒバに向かう予定だった・・・

 4人いてタクシーチャーターなら時間的な主導権は我々にあるので、まあ午前中の遅い時間に出発すれば良いと話し合い、私を含む3人は宿でのんびり、そしてエースはブハラを観光していた。





 そして1100時・・・




 エースが帰ってきたが様子がおかしい・・・




 しきりに足の裏側を気にしている・・・




 話してみると・・・旧市街を散策中に「犬に噛まれたかひっかかれた」かしたらしい・・・






 そいつは問題だ・・・





 襲われたのは後ろ側からなので・・・噛まれたかひっかかれたかの判断がつかない。傷口は内出血っぽいが・・・大丈夫とは言い切れない。何よりも「狂犬病」が心配だ。



 そしてそれ以上に・・・エースを失うという事はこの”プロフェッショナル”にとって「ストーカー先を失う」ことに他ならない。


 ストーカーさえしてれば・・・楽して旅が出来るのに・・・それだけは避けなければならないのだ!!





 我々は、事態の対処を考えなければならない。




 しかし、立ちはだかるのは・・・言葉の問題だ!!


 異国の地で・・・病院を探し狂犬病の注射を打つとなると・・・そう簡単に物事は進まないだろう・・・



 IBAの進言もあり、まず「英語の話せるホテルのインフォ」に行き、病院をそこで教えてもらって、そして狂犬病の注射を打てる所を探そうと言う事になった。





 早速、一番高級そうなホテルを辺り、病院を聞く、そしてタクシーで向かう。





 病院到着、何とか受付にたどり着く・・・受付嬢は・・・英語が話せそうな雰囲気はない






 ここからが正念場だ!!




 エースが犬に襲われた事を・・・




 正確に伝えなければならない・・・





 エースはロシア語を殆ど理解せず、IBA、レイもまあ数字程度なら分かるといった感じだ・・・












 ここは・・・




 「ロシア語に堪能」な私の出番だろう・・・




 「プロフェッショナル」として・・・腕の見せ所だ!












 窓口に体を乗り出し、女性の係員に話しかける・・・


 (以下の文は、私が如何に”ロシア語”に堪能であるかを見せ付けるためだけに敢えて日本語訳せず、忠実に私の話したロシア語の全てを再現しています)












 「パジャールスタ(ロシア語でお願い、英語のプリーズみたいな感じ)」 















 そしてエースを指差し、それに併せてジェスチャーも交えながら













 「フレンド」















 「ドッグ」




















 「バウバウッ!!」
















 「ガブッ」

















 そしてほんの少しの間を置き左腕の上腕部に右手で注射をする仕草をしながら













 「チュー・・・(注射のときの効果音)」














 『!!!(彼女の反応)』


 彼女の反応は抜群だった。椅子から跳ね上がり、先生を呼び我々4人は中に通される。







 「私の完璧なロシア語が完全な意志の疎通を生んだ」






 と言えよう・・・





 結局そこでは注射は出来なかったが、他の病院を紹介され、そこでエースは無事に狂犬病の注射を受ける事が出来たのだ・・・

 
治療中のエース




 そしてその日の午後、無事に我々は出発し、ヒバに到着することが出来たのだ・・・




 今回のこの1件で・・・


 「私のロシア語が完璧である」


 と言うことが・・・


 これで皆にも分かったことかと思う・・・





ブハラと言えば・・・やっぱりレーニン!!



古都の情景(ブハラ・ウズベキスタン)

2007-09-08 16:00:20 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.09.08



 

 ブハラには09.07に着、流石に世界遺産に指定されるだけあって中々に見応えのある街だった・・・

 最初にみたカラーン・ミナレットにいたっては「オーラ」さえ身に纏い・・・

 その「ブハラの持つ古都としての格」は、

 これを見ただけで全ての旅人を惹きつけてやまないものであると分かるだろう・・・




 オーラ(闘気)を身に纏うカラーンミナレット・・・





 「・・・」




 「・・・・・・」






 えっ?


 逆光で撮っているだけじゃって???





 そんな馬鹿な・・・!!






 まあいい




 今回はその古都の風景を、僅かばかりの写真ではあるが皆と楽しんでいこうかと思う・・・






 先ずは旧市街の中心、ラビハウズ(池)周りの景色など・・・


 ラビハウズ・ドドーンと夜景から・・・

 噴水がいいでせうって・・・んっ???これじゃ何も見えな・・・


 噴水???蛇口??????







 「・・・」



 「・・・・・・・」



 夜景はそれ程期待できないようだが・・・



 土産物はウズベク色漂う、エキゾチックさが・・・







 「・・・」






 「・・・・・・」






 「んっ?ロシア(コサック)帽って・・・ウズベク人には珍しいのかもしれないが・・・」





 少なくとも全くウズベクの香りがせん・・・!!








 しかし、ツーリスト・インフォに前に飾ってある伝統衣装を着た人形などは・・・


 これぞ、「古都ブハラ」をPRするのに・・・



 ・・・・・・・・




 ・・・・・・・・・・・・




 「・・・」





 「・・・・・・」






 もうちょっと真面目にやれ・・・




 でも流石歴史地区が世界遺産に指定されるだけあって・・・


 市街を歩いているとその雰囲気は中々に・・・


 
 「・・・・・・・・・・」



 「・・・」




 「・・・・・・」







 おいっ?上のは何の巣だ・・・



 生活と歴史が一体になっているというよりも・・・




 これじゃたんなる野ざらしじゃ・・・!!!



 



 ブハラ・・・古都の情景は・・・あまり感じられないが・・・



 まあウズベクらしさは残って・・・






 「・・・・・・」







 「・・・」







 「・・・・・・」






 ウズベクらしいのか?



 これは・・・????








 あっ!!



 これは・・・!!



 車の後ろから・・・


 よく見ると・・・



 野田市・・・!!







 「・・・」






 「・・・・・・・」






 「ここ、どこ???」










 ブハラ・・・世界遺産の街並・・・





 異国情緒漂う砂漠の縁にあるこの古都・・・






 ある意味「異国情緒たっぷり」であったと判断しても・・・良いのだろう・・・!!

青の都の真実!!(サマルカンド・ウズベキスタン)

2007-09-06 20:52:31 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.09.06





 前回(2007.09.04)記事で「サマルカンドの魅力」は充分に伝わった筈だが・・・


 この街の別名「青の都」と呼ばれる所以には触れていなかったような気がする・・・




 今回はこの街の異名が何故ついたのか?これを解き明かそうと思う・・・



 先ずはレギスタン広場の写真を見てもらおう・・・


お約束のレギスタン広場。正面がティラッカーリマドラサ


ちなみにティラッカーリマドラサの中にあるドームの天井装飾、これは綺麗・・・


これもお約束、シールダールマドラサの正面アーチ。
偶像崇拝禁止のイスラムなのにライオン?の絵を描いちゃいましたという逸品。





 確かに青も使っているものの・・・これだけでは「青の都」と言うには不十分だろう・・・





 しかし「青の都」と言うからには・・・


 理由は必ずあるはずだ!!



 そして、この街で日数を費やしていく内に・・・


 私は分かったのだ!!



 何故この街が「青の都」と言われるかが!!






 先ずは初日に行ったレストランで・・・

 レストラン、「ラビ・ゴール」ちなみに私が食べたのは2階で下の「ラビ・ゴール」とは関係ない・



 最初に言っていた値段と・・・


 実際食べた後に請求してきた値段が違ったのだ・・・!!


 もちろん最初の言い値しか払わないが・・・



 折角の夕食後の気分は台無しに・・・


 当然


 「心はブルー・・・・」







 そして3日目に行った両替屋で・・・それもサマルカンド最高級ホテル「プレジデント」に併設されている両替屋で・・・


 100㌦を両替して127300ソム・・・1000ソム札を127枚渡してきて・・・こちらから言うまで残りの300を渡そうとしない・・・


 それに1000ソム札が100枚帯止めされいるものを渡されたのだが・・・

 両替時の札束。写真は開封後だが通常は100枚束でこんなふうに帯止めされている



 数えてみると99枚・・・

 帯止めして「以下にも100枚絶対に大丈夫です」なんて雰囲気を出しながら・・・この体たらくとは・・・・


 クレームをつけて当然きちんとした金額を貰ったのだが・・・


 もちろん


 「心はブルー・・・・・・・」







 そして同じく3日目・・・


 イスラムの国で教会は珍しいので・・・敢えて「アレクセーエフスカヤ大聖堂」を見に行ってみたのだが・・・
 

これがサマルカンド最大の「アレクセーエフスカヤ”大”聖堂」
”大”は余計だ・・・・


まあついでに中の写真も・・・



 どうみてもショボイ・・・


 完全に


 「心はブルー・・・・・・・」







 

 それに4日目に乗ったシャフリーサーブス行のシェアタクは・・・「アクサライ(ティムールの建てた宮殿跡)」へ行くと最初の交渉で言っておきながら・・・実際は「キターブ」という10kmも手前の街で私とエースを下ろそうとして・・・「シャフリーサーブスはここ」とうそまでついてきて・・・もちろん猛烈に抗議してアクサライまで行かせたが・・・


 当然


 「心はブルー・・・・・・・」



 さらにその帰り、シャフリーサーブスではシェアタクが掴まりにくいと聞いていたので手前のキターブまでマルシュで戻ってシェアタクに交渉すると・・・

 行きの1.5倍の値段に・・・彼等は全く折れず・・・1時間ヒッチ等もトライしながら結局あきらめてシェアタクに交渉すると先ほどよりも高い値段に・・・
 時間が経つほど情勢が悪くなりそうなので結局この高値でタクシーに乗る羽目に・・・


 もちろん


 「心はブルー・・・・・・・」








 

 そして同4日目・・・

 夜レギスタン広場を歩いていると警察が呼び止めてきて・・・

 「ミナレット(尖塔)に登らないか?」

 と・・・


 3000ソム(300円)を2000ソム(200円)に値切って登ってしまったが・・・



夜登ったミナレットからの景色



夜は入場禁止の筈なのにミナレットの電気はつけっぱなし・・・
お前等やる気満々だろうが!!



 本来は入場禁止の場所の筈なのに、「裏金」で何とでもしてしまい、完全に警官の小遣い稼ぎとなっているこの現状を見てしまうと・・・


 この国がこれでいいのか?と思えてしまう・・・


 言うまでも無く


 「心はブルー・・・・・・・」






 そのほかにも・・・・タシュケントに比べてコーラの値段もアイスの値段も高いし・・・

 それに入場料が決まっているモスク等でもそこでの受付が「裏金」で安く入場させてしまう事もしばしばだし・・・・(正規料金でチケットを買うと彼等の懐には入らないので小遣い欲しさでこんなことをやる)





 街全体がなんとなく観光地化して旅行者からはボッてやろうという魂胆が透けて見えてくるし・・・

 警官等の不正もまかり通って誠実さを感じられないし・・・





 気分はなんとも「ブルー」にさせられてしまうのだ・・・








 ここまで書けばもう言うまでも無いだろう・・・



 サマルカンドの異名「青の都」


 この異名は「街にある建物が青いから」というわけではなく・・・





 そこを訪れる余所者を




 「ブルーな気分」




 にさせてしまうからだと言う事が・・・!!!

町の魅力の一考察(シャフリサーブス・ウズベキスタン)

2007-09-05 19:17:44 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.09.05


 サマルカンドから日帰りでシャフリサーブスという世界遺産のある町へやってきた。

 ここの評判は旅行者にはあまり芳しくなかったが、「簡単に日帰りできる世界遺産」は、世間体を気にして両親や他の旅行者に「世界遺産を巡る旅をしています」と言えばちょっと良さげな旅行をしているようにみられるので出来る限り消化しておきたかった・・・



 サマルカンドからシェアタクで2時間、シェアタクで揉めた事もあるが何とか到着


 シャフリサーブスは確かに見ものとしては悪くは無いのだが・・・

これがティムール像とアクサライ宮殿


アクサライ宮殿の塔から見た景色。中々だが・・・


空は雲一つなく、月も見えるほど・・・満月でないのが残念・・・



 なんとなくは魅力を感じることが出来ない・・・




 理由はと考えると・・・





 それは都市の名前にあったのだ!!




 私ほどの「プロフェッショナル」ともなれば・・・都市名の「言語解析」から町の魅力について考察できるのだ!!


 今からその解析結果をお伝えしよう・・・


 まずシャフリサーブス。これはシャフリとサーブスの二つのパートからなる名称だ。

 しかし、これは以前は3つのパートからなっていたに違いないのだ・・・


 まずシャフリは町の旧名に違いは無い・・・

 この名前の響きから言って・・・女性の名前である事に間違いは無いだろう・・・



 そしてサーブス・・・そこはザとブスが一体となって・・・発音しやすいように音を変えて現在の名称につながるに違いない・・・





 この事から考え合わすと・・・この町を本来の姿で表すなら・・・





 「シャフリ・ザ・ブス!!」



 「・・・」


 「・・・・・・」




 敢えて日本語化するなら



 「シャフリという名のブス」


 という意味だろう・・・




 「・・・」



 「・・・・・・・」




 これで他のアマチュア共にも・・・この町に魅力を感じない理由を充分に納得できた事だろう・・・


幻惑の都(サマルカンド・ウズベキスタン)

2007-09-04 19:42:54 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.09.04





 「青の都」の異名をとるサマルカンドに到着。

 ここはティムールの立てた街で”ウズベキスタン観光のハイライト”ともいうべき場所である。




 数多くの文化遺産・・・、それに街並み・・・



 首都狙撃手たるこの”プロフェッショナル”にとっては”タシュケントこそウズベキスタンハイライトだったのに間違いは無い”が、それでも見逃す訳にはいかない都市であった・・・





 しかし・・・そんな文化遺産なんかよりも・・・




 もっと驚くべき魅力がこのサマルカンドにはあったのだ!!





 いまから「豊富な写真」を持って・・・


 この街の魅力、「ティムールの立てた文化遺産の残る街」ではない「この街の本当の魅力」を明らかにしていこう・・・







 先ずはこれだ・・・


あれっ?ミニバスの前にこんなコスチュームを着た人々が・・・


それに道を歩いていると・・・頭のボンボンがなんともはや・・・


景色の中にもこんなメイド服っぽいのが・・・







 「・・・・」







 「・・・・・・・・」






 「萌え萌え~・・・・!!」





 「・・・」





 「・・・・・・」










 あっ!これは学校では!!




これは・・・学校というよりもメイド養成所では・・・


メイド予備軍がこんなに一杯・・・









 「・・・・」








 「・・・・・・・」








 「萌え萌え萌え~・・・・・!!!」








 「・・・」







 「・・・・・・・」









 んっ?これもかな???





なんだかちがうパターンもあるぞ・・・









 「・・・・」








 「・・・・・・・」








 「萌え萌え萌え萌え~・・・・・!!!」





 

 「・・・」







 「・・・・・・・」










 まあコーラでも飲もうかな・・・



 ちょっとローカルの商店にでも・・・





あっ!こんなローカルな商店の中にも・・・なにやら・・・


こんな感じの少女達が・・・









 「・・・・」








 「・・・・・・・」








 「萌え萌え萌え萌え萌え~・・・・・・・・・・!!!!!」







 「・・・」




 

 「・・・・・・・」








 「青の都サマルカンド」・・・




 その最大の魅力は・・・・



 かつてチムールが立てたマドラサやモスクなどの文化遺産ではなく・・・



 街全体で見かける・・・この「メイドコスチュームに身を包んだ少女達」であると言っても否定する者はいないだろう・・・








 「もう秋葉原(メイドカフェ)はいらない・・・・!!」









 そしてもう一つ・・・


 一緒に写真を撮っていたエースが・・・


 「俺達は変態でいいんです!変態で・・・!!」


 といった一言が・・・



 その時の我々の状態を物語る「適切な表現」に間違いない・・・・






 「萌え萌え萌え萌え萌え萌え~・・・・・・・・・・・・・!!!!」

ソグド人の遺構にて・・・(パンジャケント・タジキスタン)

2007-09-02 18:40:30 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.09.02


 サマルカンドへ向かう前にこのパンジャケントにわざわざ立ち寄ったのには理由があった。

 ドゥシャンベから一日でサマルカンドに到着するのはちょっと厳しいという根本的な理由はさておいてここにある「5世紀に紀元をもつソグド人の古代都市」の遺構を見たかったからだ・・・

 ちょっと説明するとイスラーム支配に抵抗したソグド人が鎮圧され、そしてほとんどのソグド人都市が他のオアシス都市の様にイスラム色に再建されていく中で、そのまま放棄されたために「古代ソグド都市の原型を保つ唯一の遺跡」となっているのだ・・・

 ちなみに「ガイドブック」をそっくりそのままパクッテいるだけなので・・・これ以上突っ込むのはやめてもらおう・・・


 何はともあれ折角来たからには「観光は消化試合」の信条に基づいて、この遺跡を眺めに行くことにした・・・


 現在も特に修復をしているわけではないので・・・まあ遺構を眺めるだけだが・・・


 「夏草やつわものどもが夢の跡」

 といった風情は中々に良いものだ・・・


パンジャケント遺跡全体はこんな感じで荒地に遺構が残っている



こちらは宮殿跡のある丘、中々良い感じでは・・・











 んっ???











 これは・・・









 何か動いて・・・








牛・・・??






 あっ!!









 別の場所にも・・・!!!










 くっくつろぎすぎでは・・・














 「・・・」





 「・・・・・・・・」










 この「唯一のソグド都市の遺構」・・・




 此の儘荒地と化して・・・牛の放牧地となる日もそう遠くない事だろう・・・

ニエット・ハラショー・キタイスキー(タジキスタン)

2007-09-01 18:02:32 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.09.01


 結局ドゥシャンベは一泊で去ることにして・・・

 エースと共にパンジャケントへと向かうことにした。




 出発は当然朝早く、前回見逃した景色のリベンジも兼ねて今度こそ日中の峠の景色を堪能してやる予定だった。






 朝の0830時には郊外のシェアタク乗場に到着

 群がるドライバー達の中から条件の良い一人をチョイスする。

 聞いていた情報では一人100ソムニ(3500円)で4人で出発だが、今は過当競争らしく2人で100ですぐに出発というのがチョイスの理由だ。

 でもそれなら4人待って50になりそうなものだが・・・


ちなみに今回選んだボルガ。韓国製のネクシアや日本製の四駆等もあったが・・・あえてロシア製に・・・


計器はちょっと古めかしい・・・、まあ大丈夫だろう・・・





 ちなみに最新の情報でパンジャケントまで7時間・・・まあ日没前には余裕で到着だろう・・・




景色はこんな感じで・・・





 3372mのアンゾーブ峠も無事に通過。




頂上の看板。今回はちゃんと日中に通過!!


頂上付近からの景色





 日中に景色を堪能するために出発という我々の作戦は、道中に見える景色から成功の確信に近いものがあった・・・




 それに・・・こんなものまで・・・




残った雪が・・・


道の横に残っている・・・ 


とりあえず記念の落書き



 そしてパンジャケントへの手前の町、アイニーへ到着する10km程手前で・・・







 またしても・・・中国人の道路工事が・・・・


 一昨日とは違う場所だ・・・


 まだ時刻は1330時・・・


 しばらく・・・







 というかずぅ~っと待たされて1700時頃・・・


 「ぼががが~ん!!!」


 という大きな音が・・・


 道路を爆破処理したらしい・・・


 「・・・」


 「・・・・・・」





 これが爆破直後。粉塵が結構俟っている





 近づいて見てみると・・・





 工事中のショベルカー・・・これじゃ通れんだろう・・・


 それに見守る人々







 そこからさらに2時間・・・砂利や石をどけるのにかかって





 

 まあ6時間弱も通行止めになっていれば・・・車両はごった返しになるだろう・・・






 出発できたのは1900時・・・




 その後の景色など・・・堪能出来る筈も無く・・・


 パンジャケントへは・・・2300時着となった・・・







 しかし行も戻りも「中国人の工事」の為に・・・計画をずたずたにされてしまうとは・・・


 私、東城は”プロフェッショナル”として声を大にして言いたい




 「ニエット・ハラショー・キタイスキー!!」


 と・・・



注:「ニエット・ハラショー・キタイスキー」は大体「中国人、だめ~」みたいな感じの意味です。
正確なロシア語では違う言い方ですが私の語彙力が極端に無いのとこれで通じるのでこのまま載せています。