謎の日常

 「観光」に”感動”などといった余計な”感情”は必要ない・・・
 ただ”事を終わらす”とだけ考えれば良い・・・

黒人のローマ(サルバドール:ブラジル)

2008-07-31 03:19:31 | 3rdミッション 南米
2008.07.31(木)



 ここに到着したのは07.28。少しのんびりしたかったがそうも言ってられなくなって出発は今日だ。

 ちなみにここサルバドールは「黒人のローマ」の異名を持ち300以上の教会がある。

 街の中心にあるバシリカ大寺院にその祭壇
 
 
 郊外にあるボンフィン教会。奥の部屋にはマネキンや写真が、これはこの教会で祈りを捧げた結果元気になったと言う証明で奉納された物。
 

 そして数ある教会の中でもハイライトといえるのが旧市街にあるサン・フランシスコ教会。別名「黄金の教会」
 

 中は撮影禁止だが・・・このとき不思議な力が働いて気付いたら写真が撮れていた。
 
 無神論者としての敬虔さが神に届いたのだろう・・・

 そしてもちろんそれだけでなくコロニアル時代に建てられた歴史ある建築物等も・・・
 
 セー広場の噴水に郊外にあるバーハ要塞
 


 下町と上手(旧市街)に分かれているのでそれを繋ぐエレベーターやケーブルカーもある・・・

 エレベーター、かなり高さがある。そしてケーブルカー
 

 そしてケーブルカー
 


 
 そして街中はカラフルな家で溢れ、そしてアフリカで見たような原色鮮やかな絵など見た目は楽しい・・・

 街並昼
 

 

 そして夜
 


 沈む夕日にポサダ(安宿)のテラスから見た夜景など・・・
 



 サルバドール・・・


 これで済めば良い街なのだが・・・


 ここにきて急に乞食が増え・・・


 人が丁寧にきちんと断っているのにしつこく絡んでくる(安宿の紹介や物売り)も増え・・・

 まあ絡んでくると言ってもたいしたレベルではないのだが・・・

 私にとっては久しぶりにアフリカ人の嫌な面を思い出さされたようで実に不快であった・・・


 黒人のローマと呼ばれるこの街・・・

 良きにつけ悪しきにつけ・・・


 私にとっては「黒人を思い出す」

 そんな街であった・・・

新設計都市(ブラジリア:ブラジル)

2008-07-26 08:53:22 | 3rdミッション 南米
2008.07.26(土)




 オーロプレットには結局1泊もせずにブラジルの首都ブラジリアに到着

 首都狙撃手たる私にとっては「ブラジル最大のハイライト」とも言うべき場所だ。

 ここは1955年に当時のクビチェク大統領の「50年の進歩を5年で」というスローガンの下、ブラジル中央高原の荒野に計画都市として建設された世界でも稀に見る「過去をもたない首都」である。

 都市計画の設計者には国連ビルの設計者でもあるオスカー・ニマイエルにその師にあたるルシオ・コスタというブラジル建築の2大巨匠を起用して「パイロットプラン」というコンセプトに基づいて区画をジェット機型に整えたあるいみ奇抜とも言える都市である。

 そんな事もあり1987年に世界遺産にも登録されているという都市だ。


 

 この計画都市・・・


 私は過去においてはナイジェリアのアブジャ、ベラルーシのミンスク(ここは古くからあった都市だが第2次大戦で完全に破壊され、ソビエト主導の下にソビエトのテーマパークとも言うべき新しい都市が立てられている)、カザフスタンのアスタナ、トルクメニスタンのアシュガバート等を訪れているがいずれも私のツボに思い切りヒットしている。
(注:ミンスクについてはゴルコ遺産ヨーロッパ編、アスタナ、アシュガバートについてはゴルコ遺産アジア編を参照)


 こういった数多くの強豪達を差し置いて、計画都市で世界遺産に登録されているのはここブラジリアだけである。




 きっと私を満足させるに違いない・・・




 といいつつも・・・

 ここは1泊でやっつける事にした。

 前に訪れた人の情報から行くと安宿もないし、それに余程の建築好きでない限りは一日で十分見れると言われたからだ。

 ついてからの私の行動はともかく・・・

 というか特筆すべきものは何もないので・・・

 建物を抽出的にピックアップしてこの都市を見てもらうことにしようか・・・


 まずはこの都市の中心とも言えるべき3権広場


 そしてその周りにある政府関係の建物をずらずらと・・・

 国会議事堂の昼と夜。中の見学可能
 

 弓の宮殿の異名をとる外務省。ここも見学可能
 

 そして最高裁判所。土日のみ見学可だが時間が合わずに入れず。
 

 大統領府。一面ガラス張りの涼やかな姿から高原の宮殿の異名をとる。日のみ見学可能になっていが出発日なので見学せず。
 




 そして宗教関係

 まずはカテドラルメトロポリターナ。中のステンドも綺麗
 
 
 そしてその夜景、横にあるのは国立博物館
 

 お次はドン・ボスコ聖堂

 ブルーのグラデーションの作り出す世界は深海の中にいるかのような錯覚を起こす。
 

 そして夜シャンデリアに灯がともったところ、このシャンデリアは2700kgある。そして横はステンドのアップ
 


 最後はボア・ボンタージ寺院。

 ここはすべての宗教の為の祈りの場。

 中にらせん状に道があり靴を脱いでそれに沿って歩く。
 

 ちなみに頂には世界最大のクリスタルが置かれている。そして横は地下にあったマンダラ
 



 そして最後は・・・

 75mあるTV塔からの眺めなど・・・


 これがテレビ塔、知人から人っ子独りいないと言われていたがバカンスシーズンのせいか20分ぐらい並ぶ羽目に・・・
 

 周りには市場が・・・(土日のみらしい)


 人が多かったので沈む夕日も夜景も見れた・・・ぎりぎり真っ暗になる前だったのが残念。




 ちなみに夜景の写真が多いのは「単なる好み」であるが、特に3権広場の夜景を撮りに行ったときはその道中周りに独りもおらず、夜の2200時ころまでかかってしまったのでここでもし襲われていたら万事休すになっていただろう・・・




 ブラジリア・・・



 私は到着してから深夜までずっと動き続け、そして写真も撮り続けた・・

 だが・・・


 残念ながら初めてアブジャやミンスクやアスタナ、そしてアシュガバートを見た時ほどの衝撃は受けなかった・・・


 作られた年度が古かったからだろうか?


 良く知られすぎていたからだろうか?




 いやっ!そうではないだろう・・・




 この街は奇抜でありながら、ブラジルを代表する建築家を起用して、きちんと発想を持つ都市に仕立てあがっているので、私にとってはどこか整然と感じてしまい「独裁者の無理やりさが持つ”ど派手さ”や”馬鹿馬鹿しさ”に欠けた」のである。

 この街には「何故こんな所にこんな物が・・・」という感覚はあまり無かった・・・




 訪れたこと、それに後悔はないし十分満足もしている。




 だが、一番味わいたかった衝撃は・・・




 そこには無かった・・・












 今の私のこの寂寥感を・・・











 次の歌に託してこの記事の末尾としたい・・・












 「ブラジリア・・・・














 あぁあ、ブラジリア・・・・・













 ブラジリア・・・」






 と・・・

機関車GoGo!(オーロプレット:ブラジル)

2008-07-25 06:12:43 | 3rdミッション 南米
2008.07.25(金)


 かつての金鉱の街、オーロプレットへはリオから夜行バスでの到着となった。

 まだ朝の0700時、当初1泊はしようと考えていたが地図で見る街の広さや見所を考えるともうこの日で抜けることに考えを変え、直ぐに夜発のブラジリア行きのチケットを購入する。


バスターミナル付近からのオーロプレット全景に中心のチラデンテス広場
 


 まだ街を観光するには早い時間だ。

 時間を潰すべく早速郊外にあるミナス・ダ・パシャージェンにある鉱山跡の見学に訪れる。

 このかつての鉱山跡はかつて労働者が使用していた木造トロッコで坑道に下れると言うのが売りだ。

 看板と下に行く木造トロッコ
 

 そして坑道内
 

 トロッコはかなりスリリングと書いてあったが別段そんな事もなく拍子外れと言うのが本当の所だった。

 時間はまだ1000時・・・

 オーロプレットに戻るのにはまだ早そうだ・・・


 ガイドブックを見ると時間を潰すのに丁度良さげな町がある。

 そこで私はさらに少し離れた近郊の町、マリアーナを訪れることにした。

 丘の上にある教会とそこからの眺め
 

 街並、家が可愛い。そして写真で良く使われていた教会
 

 いい場所だったがマリアーナも町自体は小さい、見所は全部で2時間もかからないのだ。これでまだ1230時・・・



 そろそろオーロプレットにでも戻ろうか?と思った矢先に・・・



 私に新しい情報が飛び込んできた・・・


 そう、ここからオーロプレットに戻るのに・・・

 なんと蒸気機関車に乗って行けるのだ!!



 「歩き方」には鉄道は廃線と書いてあったが、週末(金土日祝)のみ特別に蒸気機関車を走らせているのだ!!



 「鉄道」となるとこの「プロフェッショナル」黙ってはいられない。¥


 私は世界各地で機会がある毎に鉄道を利用しているのだ。

 だが、断っておくが別に私は鉄道マニアというわけではない。

 かつて私を知る女性から

 「デュークさんって鉄っちん(鉄道オタクの事)だけのチンケな野郎かと思ってたわ。うぷぷっ・・・」

 と侮蔑に近い言葉を投げつけられ深く傷付いた経験があるが実際の所はそうではない。


 まず鉄道はバスに比べ中を自由に動き回れるし、タバコも自由に吸える。それになんといっても「ただレールの上を走っているだけ」だから事故にあう確立も低い。そして大抵の国では鉄道の方がバスよりも快適なのである。

 私ならずとも鉄道を好む旅行者が多い所以である。

 それにかつて私は「世界で一番遅い鉄道(ジブチーエチオピア間)、やサファリ鉄道(タザラ鉄道)、内戦地域縦断鉄道(コートジボアールーブルキナファソ間)や世界一長いただ乗り鉄道(モーリタニア)、そしてシルクロード鉄道やチベット高山鉄道(中国)、はたまたアンデス高山鉄道(エクアドル)等を制覇してきたが・・・



 例え観光客目的の物とはいえ、本格的な蒸気機関車の経験はゼロだ・・・



 時間は約1時間。
 料金を聞くと学割が効いて半額に、バスで戻る2.35レアル(約180円)よりは高いもののそれでも9レアル(約630円)


 ここはやるしかないだろう・・・


 出発は1400時だ。


 1時間とちょっと、待つことは待ったが時間を潰すのにも丁度良かった。

 そして出発、私は初の蒸気機関車への搭乗を果たすことになる。

 蒸気機関車にその車内
 
 
走行中の車両と道中の景色
 


 僅か1時間の短い道中だったが・・・

 とりあえずこれで蒸気機関車に乗ったという実績も残せ・・

 そう旅行で何よりも大事なのは「カタログデータ」ただ蒸気機関車に乗ったという実績が一番大事なのである。
 
 この実績があれば内容なんかどうでも旅行を知らない人には「いやぁ~・・・ブラジルでは蒸気機関車まで乗っちゃって~!!」としたり顔で話せるのである。

 そしてまた一応はバスとも違う風情も味わえたので十分に満足であった。



 その後オーロプレットに戻りきっちりと観光もしたが・・・

 シコ・ヘイの金鉱跡
 

 ちなみにシコ・ヘイとはアフリカから連れて来られた部族の王の名で奴隷解放運動の先駆者ともなった人物である。
 入場料は学生証で半額になったが、ガイドが最後にチップを請求してきたのには疑問が残る。ガイドなしでは入れないのにそれが入場料とは別と考えるのは黒人の血のなせる業か?もちろん払ってないが・・・
 
 そして夜景等・・・

 露店が立ち並ぶコインブラ広場。


 丘の上の教会に続く道がきれいにあかりで照らされている。そして中心部の夜景。
 


 オーロプレット。

 この他に訪れた教会の中の装飾等もなかなかに見ごたえがあったが・・・



 この世界遺産のかつての金鉱の街、オーロプレットで何気に一番良かったのは

 「観光客向けに走らせて、尚且つ学割で半額になる」

 蒸気機関車であったということは、このプロフェッショナルならずとも納得のいくことであろう・・・

その名の由来(リオ・デ・ジャネイロ:ブラジル)

2008-07-24 05:11:26 | 3rdミッション 南米
2008.07.24(木)


 リオ・デ・ジャネイロ・・・

 世界一のカーニバルがあることで有名な都市だがここはそれだけではない。

 複雑に入り組んだ海岸線を持ち、世界3大美港の一つ(他はイタリアのナポリとオーストラリアのシドイーらしい)にも数えられているブラジル屈指の観光地である。

 ここに到着したのは20日の夕方、私は出発する今日まで思う存分この都市の観光を楽しむことにした。




 まずは市電から、乗客が多いと箱乗りになる。砂と貝を鯨の脂で固めたカリオカ水道橋の上を通る。
 



 マラカナンスタジアム。収容人数はなんと11万5千人と巨大
 

 入口にかかっていた各世代代表の有名選手のコラボ写真。ジーコやペレ、リバウドやカカ等が一緒に・・・
 



 リオにおける最初の教会であるカンデラリア教会
 

 
 
 ブラジルの議会の伝統を語り継ぐ上で重要な場所であるチラデンテス宮殿
 

 




 2万人収容のカテドラルメトロポリターナ、外見は無骨ながら中のステンドは意外に綺麗。
 



 そしてリオ観光のハイライト、コルコバードの丘

 登山鉄道に乗って・・・、上には新世界の七不思議の巨大キリスト像。
 

 頂上からの街並、右の写真は「砂糖パン」の意味を持つポン・ジ・アスーカル
 

 夕日と暮れ始めた頃の街並
 

 そして夜景。
 

 





 さらにはフェリーに乗ってパケタ島へ・・・、リオーニテロイ市を結ぶ馬鹿長い橋・・・
 

 パケタ島と停泊するフェリー
 

 パケタ島市内と帰り際に見たリオの市街
 



 さらには対岸にあるニテロイ市にも・・・右はニテロイ市から見たリオ
 

 博物館、そして夕日
 



 そしてリオと言ったら海岸線!

 イパネマ海岸にコパカバーナ海岸
 

 コパカバーナの海岸で・・・今ブラジルは冬だが日中は30度近くになり海水浴のお客も多い
 



 リオの景色観光のもう一つのハイライト、ポン・ジ・アスーカル、ロープウエイに乗ってあがる。

 途中のウルカ展望台からみた夕日とポン・ジ・アスーカル
 

 そしてポン・ジ・アスーカル山頂からの街並
 

 




 そして何といってもリオのハイライトはこの海軍文化センタ-にある潜水艦だろう・・・
 
 中の見学可能で無料と良心的






 ここにいた4泊の間・・・リオの街は私を決して飽きさせる事は無かった・・・







 そんなリオだが・・・


 そもそもその名の由来は1502年の1月にこのリオにあるグアナバラ湾を川と勘違いしたポルトガル探検隊によって


 「リオ・デ・ジャネイロ(1月の川)」


 と命名されたことにより、始まっている・・・








 これは過去に於いても何度も語られて来た事かも知れないが・・・






 事の是非を正す為、私はプロフェッショナルとして敢えてこう言わせて頂こう・・・







 「リオ・ジャ・ネエダロ」





 と・・・・

ミステイク(サンパウロ:ブラジル)

2008-07-19 03:53:00 | 3rdミッション 南米
2008.07.19(土)



 ここサンパウロとは関係ない話だが、

 「旅行にミスは付き物」

 である。

 どんな人間でもミスをしたことのない者はいないだろう・・・

 この「ミスターパーフェクト」と呼ばれる私と言えども、ミスを犯してしまうことはある。

 ただ、首都狙撃率を見てもらえば分かるように、そのミスを犯す確率が極端に低いからこそ他のアマチュア共と一線を画し、旅行界唯一の「プロフェッショナル」の称号を欲しい儘にしているのである。

 そしてそれを可能にするのは「極端にミスを恐れる心」である。




 私は

 「ミスは嫌いだ!」

 「大嫌いである!!」

 ミスなどは唾棄すべき事柄である。




 ミスを減らすためには・・・

 チキンである事が必要だ。

 常日頃から用心深く計画を練り、用心深く行動する。

 徹底した「臆病さ」のみがミスを減らすのである。

 それでもミスが0%にならないのは、マシーンと呼ばれる私でも人間である以上は仕方が無い事なのかも知れないが・・・

 こうすれば、ほぼ100%に近い状態まで自らを完璧に仕上げる事が出来るのだ。


 そう、この世界は「チキンだけが生き残る資格」を持っているのだ。






 話がだいぶ逸れてしまったが、本題に戻そう。


 明日の朝、ここを出発するのでサンパウロ観光は今日が最後だ。

 今は丁度日系移民100周年に辺り、例年開催されているが「フェスティバル・ド・ジャポン」がこの金、土、日に行われていると言うタイミングの良さだ。

 私は別に海外にいて日本が恋しくなることは無いが、こういった機会はいいチャンスかもしれない。

 折角なので訪れてみることにした。


 フェスティバル・ド・ジャポン会場
 

 

 中には屋台が立ち並ぶ・・・、全都道府県の県人会館から出展されていて見ていて楽しい。
 


 そして何やら催し物が・・・


 



 こっこれは・・・


 ひょっとして「ミス・フェスティバル・ド・ジャポン(日系移民美女コンテスト)」では・・・


 この時、私の横にいたShuhei氏(Compilation of travel)のこの一言が・・・


 私のハートに火を点けた!!





 「今日の俺はカメラ小僧に徹しますよ・・・」





 私も彼に負けじと目一杯、与えられたチャンスを生かすべく、カメラを構えた。


 

 

 

 

 

 

 


(注:参加者は二十数名いたのでこれで全員ではない)





 「・・・・」







 「・・・・・・・」







 ミスコンテストは2日間かかりらしく、今日は参加者全員のお披露目といった感じで一次、二次審査をしただけだが・・・



 私は満足してこの「フェスティバル・ド・ジャポン」の会場を後にしたのだ・・・













 冒頭で私はこう語っている。



 
 『私は

 「ミスは嫌いだ!」

 「大嫌いである!!」

 ミスなどは唾棄すべき事柄である。』


 と・・・







 だが・・・




 今は考えをこう変えることにした。












 『私は

 「ミスが好きだ!」

 「大好きである!!」

 ミスとは愛すべ人達である。』




 と・・・

 




プロの日常・・・(サンパウロ・ブラジル)

2008-07-18 04:22:46 | 3rdミッション 南米
2008.07.18(金)


 私はプロフェッショナル・・・

 「観光マシーン」の名を欲しい儘にする旅行界たった一人の漢である・・・

 通常記事に書くのは1日の内のほんの一場面のみだが、今回は特別に「プロフェッショナルが送る一日」がどのようなものであるか?

 それを書き記したいと思う。

 これを読めば私が如何に隙の無いスケジュール、そして無駄の無い、「観光効率第一主義」とも言える動きをしているか?納得の行く事だろう。

 「ミスター・パーフェクト」

 と呼ばれるこの私の動きは他のアマチュアの旅行者の十分な参考になるだろう・・・



 今日の起床は0800時だ。
 現在はサンパウロの鹿児島県人会館に泊まっている。

 通常は旅行者を泊めるような場所ではないが現会長の理解もあり特別に旅行者に向け開放しているのだ。

 鹿児島県人会館の中、鎧兜、それも島津家。そして中にはプール
 

 起床してすぐに先ずは洗濯だ。

 ちなみに私は下着を2セットしか持っていない。ユニクロ製のTシャツは壊れることをしらず、アシックスのスパッツも1年は十分に持つ、そして靴下も破れない頑丈なものだ。わざわざ荷物になる換えの下着を持つのはナンセンスである。ただ替えがない分こまめに洗濯をしなければならないが・・・


 そして若干の休憩を挟み、0930時ころに外へ出る。
 
 早速観光と行きたい所だが今日は航空券の発券絡みで先ずはネットからだ。

 東洋人街のリベルタージへ行く。

 ちなみに今日はShuhei氏「Compilation of travel」も一緒である。


 大阪橋にある鳥居


 ネットを約2時間、ブログのアップをしつつ航空券を購入。

 先ずは一安心だ。

 1200時、ネットを終え朝食兼昼食を。
 今日は昨日見ていて気になっていたたこ焼きだ。

 うーん、見た目からしてやばいです。おいしそう~
 

 味はまあまあだが・・・サンパウロでこのクオリティーは泣かせる・・・


 そしていよいよ観光へ、サンパウロは大都会だがメインの見所と考えればそれほど多くある訳ではない。今日の午後に一気に勝負を賭け、余りを明日すればいいというのが基本的な考えでいいだろう・・・

 先ずはメトロに乗ってヘプブリカ(共和国)広場へ

 ヘプブリカ広場



 ここから歩いてサントドミンゴ教会を目指す。この途中に市立劇場や郵便局もあるので道中外観を眺めながら進めば効率的だ。

 途中のイタペティミンゴ通り


 そして市立劇場に差し掛かったとき、後ろから声が・・・

 「あんた・・・なんかかけられているよ」

 見てみるとズボンにチョコアイスが・・・ご丁寧にナッツまでついている・・・

 スーツを着た紳士風の男だがバックのポケットからすぐにティッシュを出すのが怪しい。

 とりあえずティッシュだけ受け取り100mぐらい離れた公園のへりに腰掛、ナップザックからティッシュを出して後をぬぐう。

 するとまた2人組の男が来て私の横に座っているShuhei氏に話しかけ、そして私の靴紐を突然指差しなにやら言ってくる。

 横目でちらっと見てもなおもしつこく言ってきたがその時私の横に座っていたShuhei氏の吸っているタバコにからだがあたり、そしてタバコの先がShuhei氏の体に当たり・・・
 怒った彼がブラジル人を追い払う。そして私に一言

 「そういえばデュークさんの後ろに人が居ましたけど荷物大丈夫ですか??」


 『・・・』


 荷物から目は話していなかったので幸いにして無事だったが・・・

 この一連の流れ・・・最初から最後まで仕組まれたものだったに違いない。全員がグルだ・・・

 しかし以前「強盗多発地帯(ブエノスアイレス:アルゼンチン)

 という記事を冗談で書いたが・・・

 まさか本当に「チョコレート強盗(ナッツ付)」があるとは・・・

 私はツーリストだ。ただのケチャップ強盗ならそれも宿命と諦めはするが・・・

 大好きなチョコを無下に扱われただけにこれは許せない出来事だ!!


 市立劇場前の公園



 だが、ここで立ち止まるわけには行かない。

 「観光は遊びではないのだ、ビジネスなのだ!」

 どんなことがあろうとも予定の観光は続けなければいけない。

 ということで、チョコレート強盗(ナッツ付)のショックもさめやらぬまま観光を続ける。


 サンパウロのビル郡、そしてサントドミンゴ教会。
 


 さらには街の中心セー広場へ。

 カテドラルメトロポリターナ、正面には忍者のマスコット
 

 現在時1330時・・・街の中心部はこれにて終わりで次は移民博物館へ

 
 セー広場のメトロ改札口、そして降りた駅で撮った地下鉄の写真
 

 移民博物館に行く途中にあったカラフルなペイントの楽器店




 そして移民博物館


 再現された市電に蒸気機関車、土日のみの運行らしい
 

 そして中には世界各国の移民の人形が。日本もあるが・・・これはステレオタイプすぎでは?
 

 そしてここの観光を終えたのが1500時、微妙に時間が余っている・・・

 一度メトロでリベルタージ駅へ戻りShuhei氏と別れて私は気になっていた独立公園へとバスで向かう。

 ガイドブックに行き方が書いてあり、その通りのバスが来る。
 だが、私は念には念を入れ、車掌にガイドブックの写真を見せ、ここで降ろすようにお願いする。

 ガイドブックはあくまでも参考に過ぎない。情報は書類にかかれた時点でもう古くなっているのだ。
 だからこそこうしてすべてに完璧を期するのが正解なのだ・・


 そして・・・


 間違った場所で降ろされた・・・

 30分も離れた・・・


 ブラジル人、恐るべし・・・


 これが独立公園。そしてパウリスタ博物館、前の庭園のモデルはベルサイユ宮殿らしいが・・・
 

 見学を終えてShuhei氏と再合流すべくリベルタージのネットカフェへは1730時頃。

 今日予約した航空券のプリントアウトも必要だ。

 またしてもネットをしつつプリントアウトをお願いしたら1枚1レアル(約70円)
 これは劇高だ!
 思わず3回聞きなおしたが・・・

 物価の高いブラジルだ。まあしょうがないだろう・・・

 この後夕食を摂り、宿に帰ったのは2100時頃・・・

 宿についたら今日チョコレート(ナッツ付)強盗にやられたズボンを洗い、そしてガイドブックや本を読みつつ1200時頃に眠りに落ちる・・・




 かくしてプロフェッショナルの一日は終わりを告げるのだ・・・
 



 この



 「一分の隙も無いプロとしての一日」




 なんの波も無く、盛り上がりに欠けるものと感じるかもしれないが・・・



 まあ観光中の日常等、大体こんなものだろう・・・
 

 そしてこれが正しいプロフェッショナルの在り方と敢えて言わせていただこうか・・・

 

和の心(サンパウロ:ブラジル)

2008-07-17 23:45:16 | 3rdミッション 南米
2008.07.17(木)



 現在地はブラジルのサンパウロ、フォス・ド・イグアスから夜行バスで一気にこの街へやってきた。

 ここはブラジル最大の都市であると共に世界最大の日本人居住区があることでも有名である。

 私は移動の疲労もなんのその、さっそくその日本人地区の「肝」とも言うべきリベルタージ地区へ訪れた。




 地下鉄リベルタージ駅を降りて正面の建物。これが銀行!!




 そして地面のタイルは・・・これは徳川家の葵の御紋章では??調べてないので間違ったらごめんなさい・・・




 
 ほかに大阪橋があったり、道もなにやら日本的ではあるが・・・





 ここでもっとも「和の心」を受け継いでいるのはなんと言っても次の建物に違いないだろう。

 


 ・・・


 中庭には石灯篭が・・・


 そして中のパネルも日本的・・・
 






 「・・・」







 「・・・・・・」








 日本でもここまで日本的なマックにはそうお目にかかれないだろう・・・





 そう日本の裏側の遠い異国。



 ここブラジル、サンパウロで・・・




 和の心は「マック」に姿を変え、連綿と生き続けているのだ・・・!!

アンコール・世界一(フォス・ド・イグアス:ブラジル)

2008-07-16 23:31:30 | 3rdミッション 南米
2008.07.16(水)


 現在はブラジルのフォス・ド・イグアス

 ここはサンパウロへこれから抜ける為に通過しなければならなかったのだが、ここはただそれだけの街ではない・・・


 世界に三大瀑布あり。

 一つはアフリカのビクトリアフォールズ、そして北米のナイアガラ


 その2つを押しのけ堂々とトップに立つのはここフォス・ド・イグアス近郊この"イグアスの滝"。そしてこのハイライトとも言える「悪魔ののどぶえ」の全景が見れるのはこのブラジル側のイグアス国立公園なのだ。

 私はこの世界一の滝、イグアスの滝の全景を見るべく、トランジットの間の少ない・・・というか十分な時間があったのでこのブラジル側、イグアス国立公園を早速狙撃したのだ・・・


 ちなみにイグアスの滝は約4km、落差80mの間に大小約300の滝が段を成して連なっている。

 と、ガイドブックに書いてあった・・・

 と前ブログを丸写ししている・・・


 ブラジル側のイグアスの滝。昨日アルゼンチン側から見たのと同じ滝だが見るアングルを変えると気分もまた違う。
 

 そしてハイライトの「悪魔ののどぶえ」、先ずは斜め上から・・・
 

 そして正面から、虹も綺麗に・・・


 落ちる水は激流になって流れる。


 落ちる滝を横から・・・
 

 悪魔ののどぶえを横、そして少し上流から、滝つぼからは水しぶきが大量に上がっている。
 

 アナグマも一杯・・・餌禁止の看板がきゃわゆい
 




 かくして私はこの世界一の滝、イグアスのアンコールを果たしたのだ・・・










 「・・・」











 「・・・・・・」










 この先に私が何を言おうとしているか・・・



 前回やったばかりだからもうネタばれなのかもしれないが・・・



 そして今回の記事の殆どがただ前作のコピーであるとバレバレかもしれないが・・・



 「プロフェッショナル」とは・・・


 ただひたすらに「己の道」を追求し続ける「ストイックな姿勢」にその真骨頂があるのだ!!



 ここは心を鬼にして、敢えてこう言わせて貰おう・・・




 この私、プロフェッショナル・デューク東城こそが・・・




 世界一の瀑布をのハイライトである悪魔ののどぶえの全景を眺めたツーリスト・・・




 略して



 「世界一のツーリスト」



 であると・・・!!

世界一の・・・(プエルトイグアス:アルゼンチン)

2008-07-15 07:56:28 | 3rdミッション 南米
2008.07.15(火)



現在はアルゼンチンのプエルトイグアスに滞在している。

この町を語るのにそう多く要らないだろう・・・


世界に三大瀑布あり。

一つはアフリカのビクトリアフォールズ、そして北米のナイアガラ


その2つを押しのけ堂々とトップに立つのはここプエルトイグアス近郊この"イグアスの滝"なのだ!!


到着した翌日。

私はこの世界一の滝、イグアスを早速狙撃したのだ・・・


ちなみにイグアスの滝は約4km、落差80mの間に大小約300の滝が段を成して連なっている。

と、ガイドブックに書いてあった・・・


先ずは最大の見所「悪魔ののどぶえ」かなり遠くからでも水しぶきが見える。


近くから、迫力はありすぎでどうなってるかは良くわからん。


そして水量があったので下まで見えなかった。
 

その他の滝も凄い。個人的には悪魔ののどぶえよりもこっちが好き。

虹もきれいに・・・
 

 










「・・・」











「・・・・・・」










この先に私が何を言おうとしているか・・・



前に何度もやっているからもうネタばれなのかもしれないが・・・



「プロフェッショナル」とは・・・


マンネリと捉えられるかもしれないが・・・


だが、同じ事を常に同じ精度でそして決してミスを犯さないからこそ私は旅行界で唯一この称号を手にしているのだ・・・!



例えつい最近書いた記事のほぼ丸コピーと言われようが・・・



ここは非情に徹し、敢えてこう言わせて貰おう・・・




この私、プロフェッショナル・デューク東城こそが・・・




世界一の瀑布を訪れたツーリスト・・・




略して



「世界一のツーリスト」



であると・・・!!

パラグアイ総評(パラグアイ)

2008-07-14 12:47:13 | 3rdミッション 南米
2008.07.14(月)




 パラグアイを抜け、ブラジルを一部経由してアルゼンチンのプエルトイグアスへと到着した。


 ところで、今回のタイトル。


 私がブログでこうして「総評」等とやるのは初めてだが・・・



 そうしなければいけない已むを得ない事情があったのだ・・・





 私はここパラグアイで奇病に罹っていたのだ!!





 そう私はパラグアイに入国してから・・・



 最初から最後までどうもお腹の調子が悪かったのだ!!




 食べ放題に行きまくったブエノスアイレスやこの国へ入国前にいたウルグアイではこんなことは無かった。


 だがパラグアイに入ってから・・・

 何故かはわからないが何かお腹にずっと違和感を抱えたままだったのである。




 別段下痢をしていたわけでも何かお腹を壊して強烈に痛めている訳ではない。






 ただ・・・



 なんともたとえようもない不調が私を襲っていたのだ・・・


 他の人ならば気付かない程のかすかな違和感なのかもしれないが・・・


 私はプロフェッショナルだ、些細な体調の変化でも確実に嗅ぎ取る嗅覚をもつ。

 プロならではの研ぎ澄まされたこの感覚が・・・


 私にお腹の不調を訴えていたのだ。



 決してアスンシオンのホテル内山田で朝食の和食ビュッフェを摂りすぎたからとかイグアスの日本人移住地で土日に餃子とラーメンで盛り上がり、夜は食べ放題と決め込んだということが原因になっているとは思えないが・・・


 間違いない・・・


 私のお腹には普段と異なる”何か”が感じ取られていたのだ・・・





 だが・・・




 今日パラグアイを抜けると共に・・・






 その不調は嘘のようにピタッと止まったのだ・・・




 摩訶不思議な出来事だ・・・



 


 

 何故そうだったのか?



 私には上手く説明することは出来ないが・・・







 この奇病を表現するにはただこう言うより他はないだろう・・・






 「パラグアイだけに・・・」













 「腹具合が悪かった・・・」











 と・・・

世界最大の・・・(イグアス日本人移住地:パラグアイ)

2008-07-11 12:14:20 | 3rdミッション 南米
2008.07.11(金)





 現在はパラグアイのイグアス日本人移住地に滞在中。


 ここに私がわざわざやってきたのはもちろん理由がある。


 遠くこの日本の裏側と言っていい内陸国のこの国にやってきた日本人がいかにしてここで立場を築き上げていったのか?その困難と苦闘に満ちた日々、その経験談を聞き私の今後の人生に反映させるという崇高な目的があったからである。


 決して快適な日本人宿があり、そこにはたくさんマンガがあるからのうのうとそれでも読んで「外こもり」を満喫したくなったからではないのである。



 それにここはそれだけの場所ではない。



 ここからは「世界最大のダム、イタイプーダム」を日帰りで訪れる事が可能なのである。


 私は到着した翌日、昨晩ほぼ徹夜でマンガを読んでいた疲労もなんのその、早速この世界最大のダムを狙撃しに行ったのだ!!






イタイプーダム全景


 放出水路のアップとその上からの眺め
 



 ちなみにこのイタイプーダムは全長約8km、高さ最大185m、発電量は毎時最大12600メガワットと世界最大の規模で巨大なタービンが20基も並ぶ程のすごさだ。

 こうして数字で表現すればより良くその巨大さが分かるだろう・・・




 最もこのプロフェッショナルはダムのデータ等みるのは初めてなので実際に他のダムと比べてどれだけ巨大なのか?全く分かってはいないが・・・





 そう、かくしてこの私はこの世界最大のダムの狙撃を完了したのだ・・・






 「・・・」











 「・・・・・・」










 この先に私が何を言おうとしているか・・・



 前に何度もやっているからもうネタばれなのかもしれないが・・・



 だが、私は引くわけにはいかない・・・


 プロフェッショナリズムとは己の流儀に忠実であり続けた者のみ持ちうる称号なのだ!!


 ここはこのポリシーに徹し、敢えてこういわせて貰おう・・・




 この私、プロフェッショナル・デューク東城こそが・・・




 世界最大のダムを訪れたツーリスト・・・




 略して



 「世界最大のツーリスト」



 であると・・・!!












 んっ?




 自分で言ってて意味わからんぞ・・・!!

Dの悲劇・・・(エンカルナシオン:パラグアイ)

2008-07-08 11:11:32 | 3rdミッション 南米
2008.07.09(水)



ここに到着したのは昨日、予定通りShuhei氏「Compilation of travel」のストーカーとして現在は行動を共にしている。

よくよく考えてみればロンプラを持っているのは私だけだし(歩き方にエンカルナシオンの地図は無い)、スペイン語も片言とは言え私の方が話せるので「ストーカー返し」をされているような気もしないではないが・・・

いずれにしても南米に入って2度目のストーカー生活、これからの旅路に夢は膨らんでいた・・・


エンカルナシオン、ここに来たのはブラジルビザ取得(他では難しいがここでは簡単に3ヶ月マルチが取れる)と世界遺産のトリニダーに行く為だった。


エンカルナシオンのバスターミナル


中心の公園。中には日本庭園もあるが橋を赤くしているだけのような気が・・・
 


ブラジルビザの申請は朝8時から、朝一で行き申請する。

申請自体はスムーズで受け取りは1200時と順調だったがここで一つ予想外の事が起こった。

ブラジルビザの料金はグアラニー払いのみ。

私はブエノスにいる時に他の旅行者からせがまれるままグアラニーをアルゼンチンペソに換えてあげていたので入国時は170ドル分ぐらいもっていたが、アスンシオンのホテルと日本食でいささかお金を使いすぎ、今は90ドル弱。

そして60ドル分くらいのグアラニーと聞いていたブラジルビザは今は80ドル弱と・・・

残金は10ドル分くらい・・・


そしてここパラグアイはATMを利用すると7ドル近い使用税がかかるのだ。

となると・・・


ドルの現金を両替するしかないだろう・・・


物価の安いパラグアイ、ちなみにそんなに長居をする気は無い。


だが、次の場所に移動して日本まで今迄集めてたまってしまった地図を発送するつもりもある。イグアス居住区から日本に荷物を送ればほぼ確実に届くと評判が高いので
よく荷物が無くなるという噂のブエノスでは荷物を送らなかったのだ。


そうなると・・・

今まで額面が大きくて使っていなかった「100ドル」を両替するのが得策だ。




私は両替商へ向かう。

そして一軒目・・・

銀行は私の100ドル札をみるなりつきかえしこれは駄目だと・・・



『???』


腑に落ちないまままあ別の場所ならと行っても立て続けに2軒に断られ・・・

そして大手銀行にまで・・・


『おかしい・・・』


私の持っている100ドル札、決して偽物ではない。

と、思う・・・

南米では使い勝手の悪い100ドル札、これは私がそもそも望んでいたものではない。

エルカラファテにいた時に他の日本人旅行者がアルゼンチンペソを欲しがっていたので両替してあげて手に入れたものだ。

その人は日本で両替してきたと言っていたし・・・それにピン札だ。

私はまだ行っていない両替商に行き再度試してみると・・・


そこには恐るべきトラップが・・・!!


「君ねえ、このお札の番号はDで始まるだろう(アメリカのドル札は英字2桁が数字の前についてます)、パラグアイでは2003年度発行のDで始まる100ドル札は両替出来ないんだよ・・・。偽札が多く出回っているからね~」



『・・・!!』



『そっそうか!!』



『それならば仕方が・・・・』




『って・・・見もしないで却下かよ!!、そもそもそれを点検するのが両替商や銀行じゃないのか??』




しかし背に腹は抱えられない、しょうがなしに小刻みに両替することにして40ドル分だけ交換する。

取りあえずホテル代2泊分と今日のこれからの観光費に食費、そして明日の移動費分ぐらいにして後はもう一度次の場所で試すしかないだろう・・・


そして私はトリニダー遺跡へ向かう。

この遺跡、パラグアイ隋一にして唯一の世界遺産。

1箇所行くだけで「俺はパラグアイの世界遺産の全てに訪れた」と言い張る事が出来る特典つきなので行かない訳にはいかないのだ!!

それに映画「ミッション」で有名なこの遺跡・・・


このプロフェッショナルとしてはカットする訳にもいかないだろう・・・


これがトリニダー遺跡入口


そしてこの遺跡のメインの教会と装飾があざやかなその入口
 


写真を見れば映画「ミッション」を見たものは「あぁ、あのシーンで」とピーンとくるに違いない。



ちなみにこのプロフェッショナルはそんな映画は見たこと無いからまったくピーンとはこないが・・・



いずれにしてもこれでパラグアイ最大最強の世界遺産は終了だ。


またエンカルナシオンに戻ってバスターミナルへついたのが1630時。

我々は明日のバスのチケットを買うことにする。

しかし・・・


ここで新たな問題が・・・



ロンプラに書いてあった移動費が今は倍近くまで値上がりしていて12ドルくらいに・・・


今日40ドル新たにくずしていたがホテル代や夕食、そして明日に必要な分を考えると・・・


またしても両替しなければ・・・



私は市の中心に向かう。


だが・・・


両替商、銀行とももうクローズの時間に・・・


5軒回って入口は開いていても両替は終了という所が2軒・・・


完全に無駄足だ!!


そして市の中心から少し離れたショッピングセンターにある夜遅くまで営業している両替商へ

ここでダメなら

打つ手はない



そして私が笑顔でDから始まる100ドル札を出したら・・・




ここでも秒殺に・・・!!




「・・・」




「・・・・・・・・」







今の私にはもう良く分かっている・・・





100ドル・・・



コイツは確かに本物だが・・・




ここパラグアイでは「ただの紙屑」と一緒であることを・・・



ただ番号がDだった故に・・・






そうこの「Dの悲劇」・・・・





本物であってさえ使えないこの喜劇にも似たこの出来事は・・・




この「プロフェッショナル」を持ってしても予測の範囲外だったと言うしかないだろう・・・・







う~ん、でもどうしよう???


旅立ちは何時?(アスンシオン:パラグアイ)

2008-07-07 14:52:33 | 3rdミッション 南米
2008.07.07(月)



 7月6日にモンテビデオから国際バスでパラグアイの首都アスンシオンへ到着。

 ここでは、カラファテで知り合い、そしてブエノスで再会したShuhei氏「リンク先Compilation of travel」と待ち合わせ、今後のルートが被る事から久しぶりの私の本領である『ストーカー旅行』に精を出そうと考えていたのだ。

 到着してShuhei氏と合流し、早速市内観光に。

 土日のアスンシオンはゴーストタウンと聞き、期待していたが人はちょこちょことはいる。ゴーストタウンとは言いすぎだろう。

 そして半日ほどでアスンシオンの見所をおえてしまう。

 まあ「観光マシーン」の私にかかればこのクラスの都市の観光にそんなに時間はいらないのだ。

 もういつでも出発できる。


 だが・・・

 遣り残したことがまだ会った。


 泊まっている日系人経営のホテル内山田。おそらくクールファイブとは何の関係も無いと思うが・・・


 その朝食のビュッフェ・・・これを一度で終わらせるか2度楽しむか・・・


 そしてホテルの2階にあるレストラン「スキヤキ」

 和食レストランとして旅行者からも評判が高いこのレストラン・・・

 あいにく今日は日曜日なので休みだ・・・

 だがたかだかレストランの為にやることの無くなったアスンシオンでもう1泊するのも馬鹿馬鹿しい・・・


 私は結論を保留してShuhei氏には明日の朝決めると告げていた。


 ちなみにこれは全てホテル内山田からのアスンシオンの景色。

 昼、夕日
 

 そして夜景
 





 翌朝、知人から内山田の朝食ビュッフェは早い者勝ちで補充なし、朝一番で行くべしと聞いていたので0600時にレストランへ。

 そこには日本式のご飯、卵、納豆、海苔、おでん、スクランブルエッグ、湯豆腐などなどの日本では当たり前だが海外では中々目に出来ない豪華ラインナップが・・・



 卵と納豆でご飯を3杯いった時・・・


 私は今日もう1泊し、評判の高いレストランスキヤキも堪能し、またこの朝食を楽しむことを決意していたのだ・・・




 そしてShuhei氏にこう告げたのだ・・・




 『アスンシオン・・・出発するのは"明日ンしおん"と・・・・』

ブービー・トラップ(モンテビデオ:ウルグアイ)

2008-07-05 14:31:30 | 3rdミッション 南米
2008.07.05(土)



 今日、ここを出てパラグアイの首都アスンシオンへと一気に向かう。国際バスでだ。

 出発は1300時、1230時までにカウンターにチェックインするように言われている。

 そしてバスターミナルまで市バスで20分ぐらい。

 別段早くも何とも無い出発だ。

 
 私は朝ゆっくり起きて準備をしていた。


 文中には関係ないモンテビデオの夜景など・・・

 独立広場に旧市街
 




 国が変わるとき、大抵の人の考えは一緒だ。余っているお金をどう換金、もしくは使うかだ。



 私が持っていたお金は64ウルグアイペソ。
 ただ国際バスに乗る際にはターミナルでTaxを支払わなければならず、それが19ペソ。

 そして市の中心からターミナルまでの市バスが「トレス・シンクエンタ(3.5ペソ)」これはホテルにて確認済みだ。

 そうなると大体40ペソが残りでそれを朝食に充てれば丁度良い。

 私はパンチョ(ホットドッグ)にシリアル入りのヨーグルト、そして揚げチーズを買いこれでぴったり40ペソ・・・

 Taxをよけた残金は5ペソ・・・バス代を考えるとほぼ完璧だろう・・・

 
 いつもは余裕分を考えるがこんな分かりきった時は無用である。


 そして何よりも私は「プロフェッショナル」ミスなどしないコンピューターのような頭脳が売りなのである。



 私はホテルをゆっくり出て市バスの乗り場に向かう。


 1200時、市バスで15分ぐらいのところだからまあちょっと余裕があってよいだろう。


 そしてお目当てのバスに乗る。


 ウルグアイのバスにはドライバーの他にチケット係が居る。

 今回はおばさんだった。


 私は彼女に4ペソ渡す。余る1.5ペソはまあターミナルで飴でも買えばいいだろう・・・



 おばさんはなにやら怪訝な表情だ。

 私は笑顔で4ペソ支払おうとしているのに・・・



 『トレス・シンクエンタ(3.5)でしょ??』


 私の質問に彼女から・・・


 「足りないわよ、トレーセ・シンクエンタ(13.5)よ!」


 と・・・



 『ん・・・・???』



 待て・・・



 『トレス(3)ではなくトレーセ(13)ですとっ!!』





 全て調べ上げ・・・そして一分の隙も無い計画でバスターミナルへいこうとしているこの「プロフェッショナル」に・・・



 そんなブービートラップが仕掛けられていようとは・・・






 もうそんな金は持っていない。


 私は慌てて彼女に『トレス』だと思っていた、ごめんといってバスを飛び降りる。


 そして・・・


 バスターミナルまでひたすら早足で・・・




 私の努力の甲斐もあり、何とか間に合うことが出来たが・・・





 しかし・・・



 こんな数字のトラップが・・・




 こんなところに仕掛けられていようとは・・・



 思い出したことがある。


 英語圏では「フィフティー(50)とフィフティーン(15)」に注意せよと・・・



 そして今、私は今、新たに学んだのだ・・・



 スペイン語では「トレーセ(13)とトレス(3)」に注意しなければならなかったと・・・



 ってスペイン語圏にどんだけいたんだ?俺って??

記憶呼び覚ます街(モンテビデオ:ウルグアイ)

2008-07-04 14:10:09 | 3rdミッション 南米
2008.07.04(金)


 モンテビデオ・・・

 ウルグアイの首都・・・

 この街はかつては南米のパリと・・・

 そう言えばブエノスアイレスも南米のパリと書いてあったが両方ともガイドブックにそう書いてあるから鵜呑みにしても良いだろう・・・

 呼ばれた街・・・

 私の最初の海外旅行はエレガントにパリ・・・


 そんな街モンテビデオは・・・


 私の記憶を呼び覚ます・・・


 そんな街だった・・・


 ラディソンSAS25F展望レストランから旧市街を見て


 見学可能な国会議事堂、ちなみにチリ大統領が来やがったせいで見学できず!


 ファビニ広場の夜景





 パリ・・・エレガントな私にふさわしい街・・・

 モンテビデオは建物の老朽化も目立ってはいるものの・・・


 私のノスタルジックな感情を呼び起こすのには十分な街だ・・・



 そしてその私のメランコリックとも言える想いは・・・



 この建物を見て・・・ピークに達したのだ。


 センテナリオスタジアム外から


 中から。
 



 そう、この場所は・・・


 第一回のサッカーワールドカップの開催地、その決勝戦の場所・・・


 勿論今19歳の私は第一回のワールドカップを見たわけではない。

 
 だが・・・


 中にあるミューゼアム、そしてそこに飾られてあるパネル・・・


 1990年、イタリア大会の優勝国ドイツ代表のメンバー・・・



 私の脳裏にまざまざと焼け付いている・・・



 私がはじめてワールドカップを見たのは忘れもしない1986年、まだ生まれる前である。

 それまでラグビーをやっていた私はサッカーなどに興味はなかったが・・・

 ラグビーを引退した夏、このワールドカップでサッカーの魔力にはまったのだ。

 黄金の中盤を擁するブラジルとフランス。怪我だったが途中出場したジーコがスルーパス1本でPKを取り、そしてそのPKを外すドラマ・・・
 勝負は延長でもつかず、そしてPK戦では今度はフランスの将軍ミシェル・プラティニがPKを外し・・・

 勝利の女神は結局フランスに微笑んだこの試合、サッカーをはじめて面白いと思った試合だ。

 そしてドイツ・・・

 史上最弱の代表と言われたこのチームが決勝戦まで勝ち進む。

 ドイツの勝負強さ、合理的なサッカー、そして初めて聞いた「ゲルマン魂」という言葉・・・

 最弱といわれつつメンバーも凄かった。

 ミスターヨーロッパことカール・ハインツ・ルムメニゲ、世界最高のストッパーカール・ハインツ・フェルスター、器用なサイドバックアンドレアス・ブレーメ、若き日の闘将ローター・マテウス、そして闘志溢れるキーパーハラルド・シューマッハー・・・

 決勝戦惜しくも当時イングランド戦で5人抜きを演じ、今大会最大のスターディエゴアルマンドマラドーナ率いるアルゼンチンに敗れはしたものの2-0から後半2-2に追いつく粘り強さ・・・

 このとき以来、ドイツのファンになったのだ・・・


 そして1990年、ファンになってたった4年でドイツが優勝!

 メンバーでよく覚えているのは若きキーパーボドイルクナー、世界最高のストッパーユルゲン・コーラー、ピエール・リトバルスキーにその後継者とされたトマス・へスラー、フォワードには黄金の隼ことユルゲン・クリンスマンにルディー・フェラー



 1994年、1998年は悔しかった・・・

 ドイツ史上最高の天才、アンドレアスメラーは最後まで大舞台では輝かず・・・

 私の最も好きなプレーヤーだったのに・・・

 このころは衰えのみられるマテウスの代役が見つからず、そして1996年のEuro優勝メンバーのマティアス・ザマーの故障が痛かった。ストッパーにクリスティアン・ベアンスが出て、へスラーは相変わらず、ユルゲン・クリンスマンに加えて1996年のEuroでゴールデン・ゴールを決めたビアホフなどメンバー自体はそう悪くは無かったのに・・・
 惜しまれるはカーンが当時すでにドイツ最高のキーパーとされていたのにケプケにこだわった事か?


 そして2002年、準優勝。オリバーカーンに尽きるだろう。
 バイヤーラバークーゼン組みも頑張っていた。渋いところではカルシュテン・ラメロウが好みの選手だ。そしてバラックがこの大会でブレイクしたといっていいだろう。
 そしてサルト(宙返り)クローゼ・・・

 2006年、クリンスマンが監督のドイツは3-5-2システムを捨て4-4-2への変貌。
 リベロシステムが好きな私にはドイツらしくないチームに見えたが・・・
 あのメンバーでベスト4はまあ良いだろう・・・
 若手のフィリプ・ラームやバスティアン・シュバインシュタイガー、そしてルーカス・ポドルスキーらに今後の期待を抱かせた。
 クローゼの進化にも驚いた。4年前は頭だけのフォワードだったのい・・・

 そして最近のEuro2008、ドイツは準優勝。
 このあたりはすでに記事にしているので割愛するが・・・

 ここでバラックという選手に想いを馳せる・・・

 2002年、所属するバイヤーレバークーゼンはチャンビオンズリーグ準優勝、ドイツカップ準優勝、ドイツリーグ2位、そしてワールドカップは準優勝。

 そして今回所属するチェルシーはチャンピオンズリーグ準優勝、プレミアリーグ2位、そしてEuroは準優勝・・・

 普通の選手なら十分すぎる成果かもしれないが・・・

 強豪ドイツの中心選手・・・


 優勝に縁の無いプレーヤーなのかもしれないが・・・


 次こそは栄冠を勝ち取って欲しい・・・






 そうここモンテビデオは・・・




 私の記憶を呼び覚ます・・・





 そんな街だった・・・