謎の日常

 「観光」に”感動”などといった余計な”感情”は必要ない・・・
 ただ”事を終わらす”とだけ考えれば良い・・・

ミッション・ジャパン(カイロ・エジプト)

2006-05-31 01:10:56 | 1stミッション 北アフリカ
2006-05-31

 今日、日本行きのチケットを購入した...

 私の「ヨーロッパを中心に活動した一時任務」も、もう終わるときが近い...


 予定では6/5にカイロ→カタール、6/7にカタール→日本(到着は6/8の昼過ぎ)でその日の内に夜行で東京へ、

 仮の住まいである関東某県の地には6/9の正午前後に到着する。ワールドカップの開幕戦はその日の真夜中(実際は6/10の未明)

 本当は2日早いチケットを購入したかったが満席のために取れず、この様な慌しいスケデュールとなってしまった...




 しかし、私の中ではすでに新しい戦いが始まっている...

 「ワールドカップのテレビ観戦、録画、そして編集」

 と今までにない厳しい状況に身を投じようとしている...

 立ちふさがる者は強大だ...


 このミッションを無事にクリアーできるかどうか、このプロフェッショナルをもってしても予断を許さない状況が続いていくだろう...





 正直な話「もう旅行なんてどうでもいい...」

 私の懸案は唯二つ、

 「ワールドカップのテレビ観戦、録画、そして編集」

 という主任務を達成することと、そして

 「タレント不在のドイツ代表」

 が無事に開催国の務めを果たし、好成績を残してくれる事...

 それだけである...




 写真はミッション・ジャパンの決定の地、
カイロ(エジプト)のギザのピラミッド前にあ
る近代的な長方形の”新型3層ピラミッド”




聖地・エルサレム...(イスラエル)

2006-05-22 00:48:37 | 1stミッション 中東:ヨーロッパ
2006-05-22

 ここは奇妙な街であった...

 地球上には数多くの聖地があるが大体はある一つの民族、宗教、国家等の聖地であるのに、ここの旧市街は「イスラム教、キリスト教、ユダヤ教」と3つの宗教の聖地となっている。

 ユダヤ教はその発祥の地であり、また彼らに都合の良い言い方をするならば「約束の地」であり、イスラムについてはメッカ、メディナに次ぐ第3の聖地となり、預言者マハメットの昇天した地でもある。キリスト教と言えば、「イエスキリストが処刑された」地であり、この3つの宗教がこの地を焦点とし時には争いを、そしてつかの間の平和を得ながら長い歴史の中で生き続けてきた都市である。

 旧市街は主に「ユダヤ人地区、キリスト教徒地区、イスラム地区」とそれ程広くもない城壁に囲まれた街に住み分けをしており、アザーンや鐘の音が混ざりながら聞こえてきたり、また宗教ごとの服装の違いなどちょっと歩いて別の地区に入っただけでもがらりと変わってしまう。「世にも奇妙な都市」として存在していた。


 しかしながらこの「プロフェッショナル・デューク東城」ここまでに60を超える国を訪れ100以上の都市を渡り歩いてきた”超8流のプロ”である...

 この程度では「ここは聖地」とまでは認めることが出来ても、「人の言う、”その凄み”」という言葉にはちょっと疑問を拭えなかった。

 確かに3宗教にとって重要な位置づけを持つ都市でこそあるものの私自身は無宗教、それに多くの観光客が訪れている今、何と言うかその「厳粛な雰囲気」という物や、「歴史の重み」と言った物はあまり感じられないでいた...


 私は軽い失望を持って、エルサレムを後にすることにした。

 「もうここには見るべき物などない」

 旧市街のホテルから出て、長距離のバス亭に向かう市バスの中、エルサレムの新市街を眺めて、溜息をついていた...


 そのときふと目にしたものに私は衝撃を覚える。

 そしてこの時初めてエルサレムが聖地と呼ばれる理由や、その重みすべてが私の双肩にのしかかってきた。





 「これだったのか...、エルサレムが聖地と言われる訳は...」


 無神論者である私すら

 「ここは聖地である」

 と疑問の余地を抱かせないこの衝撃の事実、


 もう事ここに至っては

 「宗教・国籍・民族・政治・性別」

 等、そんな卑小なものは関係なく


 全ての人が

 「ここを聖地である」

 と認めざるを得ないだろう...






 この先を皆まで言う事はないだろう、

 「下に添付した一枚の写真...」

 これで私の意見に全ての者が納得するであろう事を確信している... 









性地...??

世界一への挑戦(ジェリコ/イスラエル)

2006-05-21 04:14:09 | 1stミッション 中東:ヨーロッパ
「世界一への挑戦…」

 その言葉は私の中にある眠りかけた冒険心を揺り起こし、甘美な誘いをもって語り掛けて来た...

 本来の私の気質から考えると、3K(きつい、汚い、危険)を避け、エレガントなヨーロッパツアーを続けていくつもりだったのだが、旅行している以上「世界一」という言葉の響きは「たとえ危険を伴っていても」達成を目指す必要があるだろう。

 世界一への道程が「半端なく厳しい」物であるとは十分に承知している、例えば「エベレスト登頂」を挙げてみるとその厳しさの一端は思い知ることが出来よう。健康な人々が高地に向け年月を重ねてトレーニングを繰り返し、それでも全ての者がその位置に到達できる訳ではない。



 「世界一...」

 その言葉の甘美さとは裏腹にある、この先にある厳しい道中を私は考えていた...

 しかしながら、私とてひるんでばかりはいられない。冒険嫌いと言ってはいても、今までの旅行で、「あのマルタに3泊」と言う厳しい経験を積み、ヨーロッパのついでに寄ったアフリカでは「トーゴ横断」、「ガンビア縦断」等、余人では成し得ないような偉業を達成してきた男である。

「世界一...」

「よーし、やってやろうじゃないか...」



 私は心の中の葛藤を克服し、世界一への挑戦を始めることにした。



 目的地は「ジェリコ(地球の歩き方にはエリコと記されているが現地で発音されることが多いこちらの表音で統一する・尚、ここはパレスチナ自治区)」

 当然ながら準備は入念だった。イスラエルの首都、エルサレムについてすぐに「ベツレヘム日帰り」、「ラマーラ日帰り」(両地区はパレスチナ自治区)、そしてエルサレム旧市街観光、郊外観光と緻密な計算の元にトレーニングを重ねていた...

 上記のトレーニング...、「ひょっとしてただ観光してただけなのでは」と疑いを持たれた方もいるのかもしれないが、「まあそんなことは置いといて」話を続けていこう。


 そしていよいよ決行の日。

 それはエルサレムとその近辺の観光も一通り終わったので、もうテルアビブに出発しようと思っていた日の朝だった。

 たまたまガイドブックを開いたら
 
 「実はジェリコが世界一の町」

 だったと言うことに偶然気づく。

 しかも

 「日帰りが可能」

 らしい。


 こうなれば心は一つ、行くしかないだろう。



 決して後付してるわけではないが、私のこの時までの状況を鑑みるに、今迄の旅は

 「全てこの地を目指して来た」

と言ってもいいだろう...



 朝の10時頃にホテルを出て、エルサレム旧市街北のダマスカスゲート近くのバス停からバスに乗り、途中で一度乗り換えてジェリコに到着...、所要は大体1時間30分...




 到着と同時に私の中に達成感がこみ上げてくる...




 「やった、やったぞ!!世界一の地にこの足をつけたんだ...」




 こうしてバスを1回も乗り換えるという信じ難い困難の末に「世界一の地」に到着!

 これは私が「プロフェッショナルだからこそ出来た冒険」であろう...

 他のアマチュア共等ではこんな”こと”は出来ないだろう...



 そして私は今、

 「世界一、標高の低い町(-394m)ジェリコ」

 その地に歴史的な足跡を刻むこととなった。




 今後は

 「世界一のプロフェッショナル(〝世界一の場所に辿り着いた事のあるプロフェッショナル”の省略)」

 として活動を続けていく事だろう...
 
 



写真はジェリコにあるケーブルカー乗場、
これに乗って山の中腹に到着してもそこは
海抜以下の地...うーむ...!!



今、私は美しい...(死海・ヨルダン)

2006-05-15 05:32:38 | 1stミッション 中東:ヨーロッパ
 イエメンからサウジを陸路で通過して来る予定が規則が変わったためにビザが取れず、泣く泣く飛行機でアンマン(ヨルダンの首都)に到着、早々にペトラ(世界遺産の遺跡)に行き、またここアンマンに戻ってきた。



 ヨルダンは「ペトラと死海」が最大の、いやっ、唯一の見所と言われる国であり死海はアンマンから日帰りで簡単に行けるとあって、他聞に漏れずこの東城も死海への日帰りを決行した。



 死海は塩分濃度の濃さから体が海に浮いて沈まないことが有名な他に、「泥パック」と言うエステ?が有名な場所である。



 死海に浮いたあと、おもむろに海の中の泥をすくい肌に塗りたくってしばし時を待つ。
 20分ほどして泥を洗い流し、自らの肌に起こった変化を確認すると...


 ただでさえすべすべした肌がいっそうにツルツルとなり、まさにこの世の者とは思えない輝きを放っている...


 どうやらこの東城、いままでの「フリーランスのテロリスト(無職の旅行者)」と言う立場を捨て、「新しい人生(モデル)」に向かう”時”が来たようだ...





 待ってろ



 「ミス・ユニバース…」




 「今、私は美しい...」






写真は2006年度のミスユニバースへ向け泥パックを
して入念な準備を進めるデューク東城を明らかに隠
し撮りした一枚、プライバシー保護のために顔面に
スプレーを掛けられているがその”秘密の肉体”に
迫る貴重な(ある意味無意味な...)ショット。

アラビアン・ファッキング!!(イエメン)

2006-05-08 05:26:00 | 1stミッション 中東:ヨーロッパ
ここイエメンは旅行者に評判の非常に高い国である。

曰く
「人がすれていなくてみんな親切、物価が安いし、出稼ぎしか街中に見ない他のアラビア諸国とは違ってアラビア人が伝統的な衣装にジャンビーアという短刀を腰に差して街を闊歩する姿がエキゾチックでタイムスリップしたような気になるし、また国内にも色々な特徴を持った地域があって見所が満載」と...

 さらに砂漠が中心のアラビア半島の諸国の中にあって、ここイエメンでは地域にもよるが緑の多い穀倉地帯があり、また首都のサナアは標高が2000m以上の高地にあるために過ごし易い。

 これだけの条件をそろっている為に、ここを訪れる全ての者によい印象を与え、また他国のアラビア人からは「心の故郷」と称され、外国人からは「アラビアン・フェリックス(幸福のアラビア)」と呼ばれている。



 しかし、こんな事は所詮「アマチュアの旅行者」の受ける印象であろう、この「プロフェッショナルとしての冷徹な観察眼」を持った私にかかればこの国の”真実”というものが自ずから浮き彫りにされるだろう...



 ここでは多少文章に趣を欠くが、時系列的に私の体験を元にして簡単なレポートを報告させていただくことにしよう。


2006/4/10:イエメン入国しサユーンに到着、異常無し
2006/4/11:1100ポリスに旅行許可証を申請しに行くと1900に来るように言われ、その時間に行くと「明日来い」といわれる。
2006/4/12:ポリスに行かずにムカッラへ移動、ムカッラへは特に問題なく到着。ムカッラでアデン行の許可証を申請し、ポリスに指定されたバス会社に行くも「外人ダメ」の一言でチケットは購入できず。何社も盥回しにされるが結局アデン行は購入出来ず。
2006/4/13:サナア行の夜行バスのチケットを売ってくれる会社を発見、購入してポリスに許可証を再発行するようにお願いしに行くといきなりの”賄賂請求”、当然断る。
2006/4/14:朝サナアに到着、その足でアデンへ向かおうと近くのバス会社にアデン行の発着場を聞くも適当に出鱈目を教えられ、結局1時間ぐらい歩き回った上に元の場所に近い位置から発車する事がわかる。何とかバスに乗り無事にアデンに到着。ムカッラ→サナア→アデンと結局時間と金を無駄に使ってしまった。
2006/4/15:アデンのシェラトンホテルでイエメンマップを購入したが、その際の値段が「街でも一緒の値段」と言っていたが実は街では3割ぐらい安く買えたことが後に判明。
2006/4/18:タイズからザビード(所要3時間)へ行くシェアタクに乗るとき、ホデイダ行(所要4.5時間)のシェアタク乗場に乗合のミニバスで右往左往しながら連れて行かれ、結局ホデイダ行までの料金を支払わされてザビードへ行った。選択肢無し、無念。
2006/4/21:サナアからハジャラへ日帰りで行ったときにハジャラからマナハという近郊の町に戻るときのシェアタクに足元を見られ相場より高い金を払わされた。
2006/4/23:サナアからシャハラのツアーに行く途中の街で、ドライバーが寄ったレストランはこちらが注文していないのに勝手に料理を我々の目の前に並べて「一皿100レアル(イエメンのお金、約50円ぐらい)だからいいだろう」と当たり前のように言ってきた、当然そこでは食べていない。
2006/4/30:ソコトラで保護区に入った時、入るときは何も行ってこなかったのに出る時にいきなり入場料を請求してきた。実際に入場料は必要だったが始めに言ってこないアンフェアーさは如何なものか???
2006/5/4:サナアからシバーム・コーカバンという双子の都市を日帰りで観光した時に、シバームの旧市街の門の所で「写真を撮ってくれ」と言った現地人を断ると、門を撮影しようとした私に「この門をとるならバクシーシ(お金)だ」と言って来た。頭にきて写真を撮るのを止めた。人間として腐ってやがる。
2006/5/6:5/2にサウジ大使館に行った際、「問題ないから土曜にまた来いインシャラー」と言われ、土曜日に行くと「レジデントじゃないからダメ」と言われる。始めにそれを言え...
2006/5/9:飛行機で出国、異常無し...




 まだ他にも細かく色々とあるが...

 「チキン(臆病者)界きっての穏健派」

 を自他共に認める私でさえ、2日に1回は激怒したくなる感情を持ち、それを抑えるのに必死になっていた。




 今、この国の真実を伝えよう。

 決して「アラビアン・フェリックス(幸福のアラビア)」だけではない。

 「アラビアン・ファッキング(糞ったれのアラビア)」

 の側面もこの国は十分に持っていると...!!
 


写真は首都のサナアでピザハットを守護する為に建築中の”6本のミナレット(尖塔)〝を持つ格式の高い建築中の巨大なモスク