謎の日常

 「観光」に”感動”などといった余計な”感情”は必要ない・・・
 ただ”事を終わらす”とだけ考えれば良い・・・

ステップ・アップ

2008-12-22 07:10:29 | 日本一時帰国時
 日本

2008.12.22(月)


 前回面接に落ちてそれから失意のどん底にあったこのプロフェッショナル。




 その後の生活はすさみ、のうのうとパパとママに「いやぁ就職に落ちたからちょっと家に居候させてね」と甘えつつも、就活と称してネットカフェプチ難民、それも平日昼間5時間千円パックのプロモーションが終わってしまって平日3時間800円パックに変わってしまった行きつけの店にいってだらだらとした生活をしながら、休みの日はかつてミッション時代に知り合った皆殺しのタツ氏(西アフリカセネガルで)やゆずる氏(ゆずランド、キルギスタンで)やたかぷら氏(世界ぷらぷら、クスコで)、ビタミナ氏(ビタミナ、グルジアにて)、それに大学時代の同級生や秘密結社所属時の先輩に会いながら「いやぁ~、バイトに落ちて金ないんすよぉ~」と飯を奢ってもらう“ゴッツアン”な日々を過ごしていたのだ。


 だが、そんな甘い日々は長くは続かなかった・・・


 始まりは中学時代の同級生からの一本の電話。


 『ちょっと手伝ってよ!』


 と・・・


 今の怠惰な日々を続けたかったが、私を良く知る彼の「単純労働で頭を使わなくて大丈夫だからさ」の一言についついのっかってしまい。


 そして今日出社してバイトを開始・・・


 数えてみて実に4年以上のブランクを経ての労働へ・・・・


 今回はど短期なので別に継続的に働くというわけでは無いが・・・


 いずれにしても「ニート」という現在の立場から新たな一歩を進みだす事になったのだ。


 そう、今の私の職業はまたしてもエレガントに横文字で「フリーター」

 
 ちなみに私を雇っている同級生の肩書きは「代表(社長の事?実は友人なのに良く知らない)」になるので、今の若い女性に受けるのは憧れのカタカナ仕事の私の方である事は明白な事実だろう。



 華麗なるステップ・アップ!





 今後の展開に・・・




 つながらないこと請け合いである・・・




第一の関門(東京)

2008-12-09 07:08:10 | 日本一時帰国時
 日本


2008.12.09(火)


 面接を受けたのは12月05日、「Weekly an」という雑誌に紹介されていたアンケート集計のオフィスワークだ。正社員でも派遣社員でもない単なるアルバイト、期間は2月末まで。

 アルバイトを選んだのは、景気が悪い今、最初からガツガツ正社員を目指して何でもかんでもと仕事に飛びつくよりも、4年間のブランクもあるので社会復帰へのリハビリも兼ね、ある一定期間を定期的に働きながらその後の様子を見るには最適だとも考えたからだ。

 そして何よりも「若い女性のバイトが多そう」というのが、このアルバイトを是非ともやってみたいと考えた理由だ。


 よくよく考えると履歴書を書くのも面接を受けるのも15年振りだった。お陰で履歴書を書くだけで5時間もかかってしまった。もちろん5時間かけてみっちり書いたわけでは無い、その内の4時間半は書き損じである。実質は30分分の内容しかない。


 面接の日。

 単なるアルバイトの面接だが、これだけブランクがあると無意味に緊張する。入ってから簡単な適正テストをさせられその後面接へ。面接官も大したことは聞いてきた訳ではないし受け答えは一応出来た物の不安は残る。正直言って中央アフリカで腐敗役人の賄賂請求と戦っていた方がましと感じたほどだった。

 この精神状態は救いがたい。日本社会と離れていたという実感がひしひしと押し寄せてくる。




そして日本(「謎の日常最終章」)

2008-12-08 14:41:10 | 日本一時帰国時
 日本



2008.12.08(月)

 11月24日・・・

 フランクフルト空港を後にして香港でトランジットして成田空港へ・・・

 空港から家へ向かう。

 これでサードミッションは図らずも日本発アメリカ大陸へ、そしてアメリカ大陸発(実際はカリブ海の島からだが)ヨーロッパへ、そしてヨーロッパ発日本と初めての世界一周というおまけも付いた。


 久しぶりに乗る日本の列車、見慣れたと思った景色、そんな何気ない光景が妙に心に沁みる・・・

 家に戻り、荷物を降ろして中を空にした時・・・



 心が「お前の旅行は終わったのだ」と告げていた・・・




 実家に戻ってから2週間が経っている。この間旅行中に出会った友人や日本にいた友人達に出会い簡単に報告を済ましたり、海外から日本に送っていた荷物や写真を整理したりして過ごしていた。






 2004年の12月18日、アエロフロートのモスクワトランジットで降り立ったエジプト・カイロの空港。
 そこから始めた首都狙撃任務。

 最初に描いていたプランは3年計画だったが結局日本への一時帰国を3度挟み足掛け4年かかった。この間に歴訪した国は160を越え、訪れた都市も400は下らないだろう。
 それでも全てが終わった訳ではない、まだ見ぬ国は40ヶ国近くある。
 この4年間、私は行ける限りの全ての国をへ行こうと本気だったし必死だった。でも全部行く事は叶わなかった。

 今、実感としてこう思う。

 「世界はとてつもなく広かった。」

と。




 「旅行をもうやめるのか?」

 それは違う、旅行に倦んだ訳でも飽きた訳でもない。好奇心の泉はまだ枯れ果ててはいない。これだけ旅行して分かった事は「やっぱり旅行が好きなんだ」という単純な事。


 見知らぬ国で、言葉の喋れないまま数々の場所を訪れた事。
 その経験はかけがえなく大きい。 
 間違いなく今回のミッションは私の血となり肉となり私を大きく成長させてくれた。
 その証拠にウエストで5cm体重は3kg増え、以前購入していた殆どのズボンが入らなくなっている。

 「早く痩せなければ・・・・」





 ただ、残念ながら経済的にこれ以上立て続けに出撃する事は出来ない。
 まだ1,2ヶ月は持ちこたえるだけの金はあるが、これも職が見つからなかったらジリ貧だ。どうする事も出来やしない。それに来年1月で20才になる、20才と言えば「不惑の年」だ。そろそろ老成して落ち着かなければ状況は悪くなって行く一方だ。

 だから今までの様に1年単位で計画してという旅行をやる事はもうない。
 勿論、私の人生において、旅行と離れる事はこの先無いだろうが、それは今までの様なスタイルではなく、働きながら余暇を見て行き残した国を一つ二つずつという形に成らざるを得ないだろう。


 次の出撃が何時になるか?言おうにも今は分からない。その前に先ずやる事があるからだ。

 「労働」

 これが次のミッションのタイトルだ。この任務に先ずは全力を尽くすしかないだろう・・・



 だから旅行中にほぼリアルタイムで書き続けてきたこのブログ「謎の日常」はこれをもってラストの記事にする。




 私を知るものは

 「そんなこと言ってまたすぐ出て『謎の日常』を書いてるんじゃないの?」

 と思うかもしれないが・・・





 私は公爵(デューク)であるが、ここは尊敬する男爵の言葉を借りて、この長きに渡ったブログ「謎の日常」の締めくくりとさせていただきたい。





 「こっ、こんどばかりはネタではありません。 ほ 本当にさよならです」




 と・・・