謎の日常

 「観光」に”感動”などといった余計な”感情”は必要ない・・・
 ただ”事を終わらす”とだけ考えれば良い・・・

不思議の島・ソコトラアイランド(イエメン)

2006-04-30 05:25:19 | 1stミッション 中東:ヨーロッパ
話はひょんなことから始まった

サナアについた初日、宿泊したマナハホテルに貼ってあった張り紙、正確な文句までは忘れてしまったが

「ソコトラ島ツアー・メイト募集中」



 そこに貼られていた一枚の気の写真、人間の血管の様に幹が絡まった奇想天外な植物、名前は「竜血樹」というらしい。

竜血樹!!




 摩訶不思議なこの樹には多少そそられることはあった物の、本来この私は「プロフェッショナル」として「各都市の狙撃」を主任務とする為に、島にはそれほど興味が湧かなかった。
 しかしながらその後出会った人々や、また、何よりもソコトラへ行きたいと言う主催者の女性の熱意に影響され、「一人の人間がここまで憧れ言ってみたい土地」に次第に興味を示すようになり、最後に航空券の値段が往復(厳密にはサナア→ソコトラ、ソコトラ→アデン)で150US$ちょっとだったことが私の背中を後押しし、行くことを決意するにいたった。


 集まった人数は女性3名、男性2名の日本人に”日本国籍のパスポートを所持する私”の合計6人、今回も前回のシャハラツアーと同様に「スリップストリーム旅行法」を用い、全てをお任せモードにしてただ行くだけと願ったりかなったりの立場を手にして「のほほ~ん」と主催者に身を任せていた。



 ソコトラ島についた初日、早速綺麗なビーチをみてはしゃぎまわり、2日目にはお目当ての竜血樹、写真で見ていたときから気に入っていたので、大満足である。枝の中に入って登ってみたり、写真を撮ってもらったりしながらこの「憧れの竜血樹」を十分に堪能する。またスコトラ島はこの他にも世界でソコトラ島にしか生えていない独自の植物種が多数あり、見るもの見るものが目新しく、私に新鮮な衝撃を与え続けていた。



 3日目は保護区に行ってまた違う種類の竜血樹を見たあとでダイビングスポットにいってシュノーケリング、色とりどりの熱帯魚を身近にみてもうお腹一杯!!ソコトラ最高!!となっていた。



 しかし物語りはここで終わらない、ソコトラ島を完全に楽しんだ筈の私にまたしても新たな衝撃が走りよる。


 島内の見場所を殆ど網羅し、もう全ての見所が終わったと思い込み、呑気にホテルへ4WDで戻っていく途中に目にしたものは…



「流血樹....!!」



 どうやらこの樹は上についている長い砲身から玉を出して色々なものを破壊できるらしい…、もう樹齢を重ねて動くことは出来ないだろうが、それにしても…


 こんな摩訶不思議な樹までこの島に棲息しているとは....


 ソコトラ島の本当の姿、このデューク東城をもってしても見抜けない恐ろしさを持った島であった...

天空の橋(シャハラ/イエメン)

2006-04-23 05:24:31 | 1stミッション 中東:ヨーロッパ
 イエメンには3つある世界遺産のほかに

 「天空に架かる橋」

 というものが存在する。

 人づてに伝聞した話では「世界遺産以上の衝撃があった」ということだ。

 ここはこの東城、「プロフェッショナル」を名乗るからには見逃すことの出来ないポイントである。



 ここへのアクセスはイエメン北部の政情不安定ということもあり、現在はツアーでしか行くことが出来ず、そのツアーの料金は大体全員合わせて160US$ぐらいからが相場らしいと事前に情報を入手していたので、首都のサナアに到着すると同時に早速人を探し始める。

 サナアにはマナハホテルという日本人旅行者が良く宿泊する宿があり、そこに拠点を構えて手当たりしだいに当たっていくと直に2人、すでに計画して人を集めていた物と首尾よく接触することが出来た。

 こいつは2つの意味でラッキーである。
 私から先頭切って人を集める必要も無くなり、すでにツアーのことも調べ上げていたので私が今回の任務の始めに編み出した「スリップストリーム旅行法(コバンザメ旅行法や寄生虫旅行法と似ているが、格好いいネーミングで自らの手抜っぷりをオブラートに包んだデューク東城が編み出した全く新しいタイプの旅行法である)」を応用する願っても無いチャンスである。

 何の迷いも無く、最初に人集めをしていた「ミスターストロング(日系日本人・仮称)」氏に全権を委任し、ただ待つだけという御大層な身分に身を置く事が出来た。

 明けて2日後、ツアーには総勢五人の日本人、男性4名に女性1名の「チーム天空の橋」が編成された。当然の事ながら我々の意気込みは「ハンパでは無く」、まだ見果てぬ「天空の橋」に期待に胸躍らせながらの出発となった。

 道中でスーラ、アムランの2つの古都に立ち寄り、順調に「チーム天空の橋」は足音を刻んでゆく、途中までは舗装路だったがそれも近づくにつれ未舗装に変わり、山岳地帯へ突入、遥か彼方に見える山頂に芥子粒のように見えている町がシャハラと聞かされ、さらに気持ちが盛り上がってくる。

 麓の町に1600頃に到着、どう考えても車では行けないだろうという山道を現地人の運転する4WDで登っていく、標高が高くなるにつけ景色は凄みを増し、遠くにかすかに「天空の橋」も目に入り、我々の鼓動は張り裂けんばかりに高まっていった。

 山頂にあるシャハラの町に1730到着、1日移動した疲れも感じる事無く早速「天空の橋」を拝みに行く。




 ホテルから徒歩10分ほど、この角を曲がれば橋の全景を見ることが出来る...




 先頭を切って歩いていた者が橋を発見して声を上げる。




 「あれぇ~!!」

 「...」





 いやいやそこは違う声を上げるところでしょう。「おおおお・・・!!」とかではないのでしょうか??


 我々は訝しがりながらも橋を見える位置に接近、橋の全貌が明らかになった今....、我々の中に一つの共通した叫びが湧き上がっていた。





 「あれぇ~!!」

 「...」




 なんと言えば良いだろうか、

 ここに至るまでのプロセスは完璧だった筈だ、しかし....


 料理のフルコースに例えて言えば、食前酒は完璧、前菜も鮮やかな彩を沿え、いよいよほんちゃんのメインディッシュに移ったときに出てきたのは「サラダバー」だったと言った所であろうか...。




 「確かに橋は悪くない」



 しかしここに至るまでのプロセスやその気持ちの盛り上がりを考えると「それを受け止める力が不足している」のである。

 さらに言うなら、この話に何の関係も無いが「フルコースの料理等、生まれてこの方一度も食してない」ので「例えが適切であるかどうかは不明」と付け加えておこう。




 翌日、ホテルを出てサナアに戻る途中、私は去りゆく橋を脳裏に焼き付けながらこう思った。

 「橋をメインに考えた我々の敗北であろう...」

 と
 


 写真はシャハラに行く途中の休憩所で見かけたイエメン人、カラシニコフという小銃が出回る中、AR-15という珍しいタイプのライフルを持っていた。



欠陥首都(オマーン)

2006-04-10 02:56:52 | 1stミッション 中東:ヨーロッパ
 オマーンの首都、マスカットに到着

 物価は完全に落ち着いているが「高い方」に落ち着かされているのが悩みの種だ!

 こんな所はとっとと抜けなくてはいけない。



 オマーンも産油国の他聞に漏れず「物価は高いもののインフラは整備され、街こそ今迄の様な都会都会した感じとは少し異なり、ようやくのんびりムードを漂わせ始めているものの「生活の水準の高さ」は見た瞬間にも即座に悟りえるほどだった。


 しかしながら今までのアラビア国家(クエート、バーレーン、UAE)と違い、ここマスカットは「致命的な欠陥」を有する都市であった。


 マスカットの中心は「ルイ地区」「マトラ地区」「オールドマスカット地区」の3つになるが、この中心地区内に



 「KFCあれどもマックは存在しない」



 のである。



 マックがこの国にない訳ではないが郊外に出なければ存在しない…

 こいつは一体全体何という「欠陥」なのであろうか...



 さらに付け加えて言うと、今までの他の産油国では見なかった現地の人間達が普通に外を歩く姿も見られ始めた…



 この事実は

 「オマーンが他のアラビア半島の産油国から大きく水を開けられている」

 ことを如実に物語るだろう…




 一刻も早く

 「マスカットの中心地区にマックが建ち、労働は出稼ぎに任せてきっぱりと街を出歩くのを止め、他のアラビア諸国に肩を伍して並べられる、ことを切に願う」

 のみである…





写真はシェアタクの中から撮影した首都マスカットの郊外、マックもこの付近にあったが...、簡単には行けそうもなかった。



首長国(UAE)

2006-04-08 03:48:21 | 1stミッション 中東:ヨーロッパ
 UAEにフライトにて到着、先ずはドバイに宿泊。

 「地球の歩き方」では「ドバイとアラビア半島」となっており、UAEの首都「アブダビ」やその他のアラビア半島諸国は「ドバイ以下」なのでは??と感じさせられる作りとなっている。

 物価のほうも過去2カ国と比較してそろそろ落着き始めてはいたがしかしそれにしてもまだ高く厳しい局面が続きそうであった。

 さて、交通の要衝、ドバイにもなると流石に人も多く、街には下町的な雰囲気もあり、クリーク(運河)を渡し舟で渡るなど情緒が豊かな反面、また郊外にショッピングモールが多数、中には7ツ星ホテルなどこのプロフェッショナルをもってしても「ぶったまげるもの」まで存在していた。



 しかしながら何よりもびっくりさせられたのは首都の「アブダビ」である。

この東城、今回の旅行でここUAEが57カ国目になるが…

 ここアブダビでは


「モスクがビルに埋まっている」


 のである…




 今まで訪れた地域を考えてみると、

 「どんな貧しい国でもムスリム国家なら街から頭ひとつ抜けた高さを持つ、それなりの”グレートなモスク”があったものだがここアブダビではどうみても”ただの名も無きビル達のほうが偉大そう”であった。」




 UAE、ドバイだけかと思いきや、「首都アブダビ…!!意外に侮れない…!!!」




写真は首都のアブダビ、ビルの狭間に埋もれるモスク!


 

バーレーン!!

2006-04-04 17:34:04 | 1stミッション 中東:ヨーロッパ
ホテル代の高すぎるクエートを抜けバーレーンへ入国。

 余りにも高すぎたクエートに比べ少し落ちるものの、夜到着して空港への送迎付のホテルを取ったのでそれでも45US$!!

 この地域は一筋縄ではいかしてはくれない…

 ちょっと考えると「資金がたんまりあれば何の苦労もいらない」のではないかと思うが「フリーランスのテロリスト」としては、「何の収入」も得ていない為にこいつはえらい堪える…

 バーレーン自体はマックこそあるものの「朝マック」はメニューにない、クエートより少し格が落ちるといったところであろうか…

 ここも僅かに2泊3日の滞在、オイルマネーで潤っていてそれなりの都会だが印象に残ったのは「日本への航空便の安さ」ぐらいにとどまった。

 尚、ここでも「労働に勤しむ現地人(バーレーン人)」はお見かけしなかった…




写真はマナマ(バーレーンの首都)の中心、バーレーン門付近。勿論マックも近くにある。


オイルショック(クエート)

2006-04-02 20:49:02 | 1stミッション 中東:ヨーロッパ
アラビア半島攻略戦、第一弾はクエートとなる。

 カイロから[カイロ→クエート→バーレーン→UAE]とストップオーバーでフライトし、そこから陸路でオマーン、イエメン、サウジと今迄のところ計画している。

 カイロの安宿から借りてコピーした「地球の歩き方」もあり、マルタの空港で買った「ロンプラ」もある。情報的には万全だ。

 初任務地となるクエートはある意味「行き止まり」の国でサウジとイラクと海に囲まれたこの国は「フライト」以外では時間や効率から考えて不向きな国であろう。

 また、クエートの「ホテル代の高さ」もすでに調べており、私のチケットは夜の2300時頃に到着するので2泊予定の内の最初の1泊は「空港泊」と決めていた。そのあたりは「プロフェッショナル」として完璧な計算の元に行動しているといっても過言ではないだろう。

 ちょっと気になったのは「地球の歩き方」に「クエート人は歩く習慣がない」と「歩くという人間の根幹に関わる事を”習慣に無い”」と意味不明にばっさりと切っている事だがその真相も着けば分かるだろう。

 3/31、飛行機から見るクエートシティーは想像以上の都会だったが何よりも空港が充実していることには感嘆の念を禁じえなかった。

 プチショッピングモールにフードコート、近代的な設備が整っており、苦もなく睡眠することが出来た。

 明けて4/1日、一応「街歩き」を売りとするこの私は市内にホテルを取るべく動き始める…、公共バスで市内にでて目星を付けていた「地球の歩き方」最安のホテルを目指す…、
 「7000円か…」
 まあしかしながらこれは「必要経費」である。空港泊を続けることも頭によぎってはいたが「プロ」として市内にホテルを取る夢は捨てがたく、まあ1泊なら何とか耐え凌げる位の財力はまだ残っている。

 バスを降りて5分ほど歩いてホテルのレセに行く。まだ朝の900時頃、

 「高くてもすぐにチェックインしてそのまま街歩きに徹しよう」

 そう決心して値段を確認する…



 「1万4千円....!!???」

 「...」

 「えっ...!!!」



 いやっ??こんなんじゃ無理だ!!何かの間違いだろう!!と思って問いかけても値段は変わらず...

 「どうやらホテルを探し終えるまでは街を歩いてる場合なんかじゃあなさそうだ...」

 近くのホテルを2軒当たってみたが容赦なく撃退され(いずれも1万円以上)、タクシーのドライバーに聞きまくるも郊外なら安宿「4000円から4500円くらい」があるらしいが今日一日で街歩きを終えるには不利なロケーション、タクシー代も500円から1000円はかかるからやっぱり郊外はアウトだ...

 今度は「ロンプラ」をみてそちらのホテルを探しに歩く、オアシスホテルの「オアシス」という名前にも惹かれて歩いていくとそこには...



 「あっ!マックだ...!!」

 メニューを見てみると、なななんと

 「あっ朝マック...!!」


 思い起こせば最後の朝マックは何時なんだろうか...、確かケープタウン(南アフリカ共和国)を出発したとき、2005年7月12日が最後のはずだ。モロッコに入ってからは状況が好転し、いくつものマックを目にしてきたが「朝マック」はついぞお見かけすることは無かった筈だ...

 「もう我慢できない、ホテルなんかは2の次だ!」

 結局マックに入り、約10ヶ月ぶりの朝マックを頬張る。

 「こんな凄い出来事がこの行き止りの国クエートで待ち受けていようとは...!!」

 目から溢れ落ちる涙は止まらず、ただただ感激するばかりであった。


 結局ホテルはマック最寄の「オアシス ホテル」に決定、料金は8000円は超えていたが何とか1万円以内には納まったのでまあ良しとしよう...!!


 ホテルの料金が高かったので翌朝はビュッフェで食べれなくなる所まで食べてしまい。「朝マックアゲイン」は出来なかったがでもまあ良いだろう。

 しかし恐るべきは「オイルマネー!」、こんな行き止りの国にさえ「朝マックメニュー」付のマックを備えているとは...



 この「プロフェッショナル」にとってはこれこそが「オイルショック」と言うべき事であろう...


 蛇足になるが、「労働しているのは出稼ぎばかりで、街中を本当に歩いているクエート人は全く見かけなかった」、これもまた一つの「オイルショック」であろう...

 







 写真はオイルマネーで潤ったクエートの市街