謎の日常

 「観光」に”感動”などといった余計な”感情”は必要ない・・・
 ただ”事を終わらす”とだけ考えれば良い・・・

聖地・エルサレム...(イスラエル)

2006-05-22 00:48:37 | 1stミッション 中東:ヨーロッパ
2006-05-22

 ここは奇妙な街であった...

 地球上には数多くの聖地があるが大体はある一つの民族、宗教、国家等の聖地であるのに、ここの旧市街は「イスラム教、キリスト教、ユダヤ教」と3つの宗教の聖地となっている。

 ユダヤ教はその発祥の地であり、また彼らに都合の良い言い方をするならば「約束の地」であり、イスラムについてはメッカ、メディナに次ぐ第3の聖地となり、預言者マハメットの昇天した地でもある。キリスト教と言えば、「イエスキリストが処刑された」地であり、この3つの宗教がこの地を焦点とし時には争いを、そしてつかの間の平和を得ながら長い歴史の中で生き続けてきた都市である。

 旧市街は主に「ユダヤ人地区、キリスト教徒地区、イスラム地区」とそれ程広くもない城壁に囲まれた街に住み分けをしており、アザーンや鐘の音が混ざりながら聞こえてきたり、また宗教ごとの服装の違いなどちょっと歩いて別の地区に入っただけでもがらりと変わってしまう。「世にも奇妙な都市」として存在していた。


 しかしながらこの「プロフェッショナル・デューク東城」ここまでに60を超える国を訪れ100以上の都市を渡り歩いてきた”超8流のプロ”である...

 この程度では「ここは聖地」とまでは認めることが出来ても、「人の言う、”その凄み”」という言葉にはちょっと疑問を拭えなかった。

 確かに3宗教にとって重要な位置づけを持つ都市でこそあるものの私自身は無宗教、それに多くの観光客が訪れている今、何と言うかその「厳粛な雰囲気」という物や、「歴史の重み」と言った物はあまり感じられないでいた...


 私は軽い失望を持って、エルサレムを後にすることにした。

 「もうここには見るべき物などない」

 旧市街のホテルから出て、長距離のバス亭に向かう市バスの中、エルサレムの新市街を眺めて、溜息をついていた...


 そのときふと目にしたものに私は衝撃を覚える。

 そしてこの時初めてエルサレムが聖地と呼ばれる理由や、その重みすべてが私の双肩にのしかかってきた。





 「これだったのか...、エルサレムが聖地と言われる訳は...」


 無神論者である私すら

 「ここは聖地である」

 と疑問の余地を抱かせないこの衝撃の事実、


 もう事ここに至っては

 「宗教・国籍・民族・政治・性別」

 等、そんな卑小なものは関係なく


 全ての人が

 「ここを聖地である」

 と認めざるを得ないだろう...






 この先を皆まで言う事はないだろう、

 「下に添付した一枚の写真...」

 これで私の意見に全ての者が納得するであろう事を確信している... 









性地...??

世界一への挑戦(ジェリコ/イスラエル)

2006-05-21 04:14:09 | 1stミッション 中東:ヨーロッパ
「世界一への挑戦…」

 その言葉は私の中にある眠りかけた冒険心を揺り起こし、甘美な誘いをもって語り掛けて来た...

 本来の私の気質から考えると、3K(きつい、汚い、危険)を避け、エレガントなヨーロッパツアーを続けていくつもりだったのだが、旅行している以上「世界一」という言葉の響きは「たとえ危険を伴っていても」達成を目指す必要があるだろう。

 世界一への道程が「半端なく厳しい」物であるとは十分に承知している、例えば「エベレスト登頂」を挙げてみるとその厳しさの一端は思い知ることが出来よう。健康な人々が高地に向け年月を重ねてトレーニングを繰り返し、それでも全ての者がその位置に到達できる訳ではない。



 「世界一...」

 その言葉の甘美さとは裏腹にある、この先にある厳しい道中を私は考えていた...

 しかしながら、私とてひるんでばかりはいられない。冒険嫌いと言ってはいても、今までの旅行で、「あのマルタに3泊」と言う厳しい経験を積み、ヨーロッパのついでに寄ったアフリカでは「トーゴ横断」、「ガンビア縦断」等、余人では成し得ないような偉業を達成してきた男である。

「世界一...」

「よーし、やってやろうじゃないか...」



 私は心の中の葛藤を克服し、世界一への挑戦を始めることにした。



 目的地は「ジェリコ(地球の歩き方にはエリコと記されているが現地で発音されることが多いこちらの表音で統一する・尚、ここはパレスチナ自治区)」

 当然ながら準備は入念だった。イスラエルの首都、エルサレムについてすぐに「ベツレヘム日帰り」、「ラマーラ日帰り」(両地区はパレスチナ自治区)、そしてエルサレム旧市街観光、郊外観光と緻密な計算の元にトレーニングを重ねていた...

 上記のトレーニング...、「ひょっとしてただ観光してただけなのでは」と疑いを持たれた方もいるのかもしれないが、「まあそんなことは置いといて」話を続けていこう。


 そしていよいよ決行の日。

 それはエルサレムとその近辺の観光も一通り終わったので、もうテルアビブに出発しようと思っていた日の朝だった。

 たまたまガイドブックを開いたら
 
 「実はジェリコが世界一の町」

 だったと言うことに偶然気づく。

 しかも

 「日帰りが可能」

 らしい。


 こうなれば心は一つ、行くしかないだろう。



 決して後付してるわけではないが、私のこの時までの状況を鑑みるに、今迄の旅は

 「全てこの地を目指して来た」

と言ってもいいだろう...



 朝の10時頃にホテルを出て、エルサレム旧市街北のダマスカスゲート近くのバス停からバスに乗り、途中で一度乗り換えてジェリコに到着...、所要は大体1時間30分...




 到着と同時に私の中に達成感がこみ上げてくる...




 「やった、やったぞ!!世界一の地にこの足をつけたんだ...」




 こうしてバスを1回も乗り換えるという信じ難い困難の末に「世界一の地」に到着!

 これは私が「プロフェッショナルだからこそ出来た冒険」であろう...

 他のアマチュア共等ではこんな”こと”は出来ないだろう...



 そして私は今、

 「世界一、標高の低い町(-394m)ジェリコ」

 その地に歴史的な足跡を刻むこととなった。




 今後は

 「世界一のプロフェッショナル(〝世界一の場所に辿り着いた事のあるプロフェッショナル”の省略)」

 として活動を続けていく事だろう...
 
 



写真はジェリコにあるケーブルカー乗場、
これに乗って山の中腹に到着してもそこは
海抜以下の地...うーむ...!!



今、私は美しい...(死海・ヨルダン)

2006-05-15 05:32:38 | 1stミッション 中東:ヨーロッパ
 イエメンからサウジを陸路で通過して来る予定が規則が変わったためにビザが取れず、泣く泣く飛行機でアンマン(ヨルダンの首都)に到着、早々にペトラ(世界遺産の遺跡)に行き、またここアンマンに戻ってきた。



 ヨルダンは「ペトラと死海」が最大の、いやっ、唯一の見所と言われる国であり死海はアンマンから日帰りで簡単に行けるとあって、他聞に漏れずこの東城も死海への日帰りを決行した。



 死海は塩分濃度の濃さから体が海に浮いて沈まないことが有名な他に、「泥パック」と言うエステ?が有名な場所である。



 死海に浮いたあと、おもむろに海の中の泥をすくい肌に塗りたくってしばし時を待つ。
 20分ほどして泥を洗い流し、自らの肌に起こった変化を確認すると...


 ただでさえすべすべした肌がいっそうにツルツルとなり、まさにこの世の者とは思えない輝きを放っている...


 どうやらこの東城、いままでの「フリーランスのテロリスト(無職の旅行者)」と言う立場を捨て、「新しい人生(モデル)」に向かう”時”が来たようだ...





 待ってろ



 「ミス・ユニバース…」




 「今、私は美しい...」






写真は2006年度のミスユニバースへ向け泥パックを
して入念な準備を進めるデューク東城を明らかに隠
し撮りした一枚、プライバシー保護のために顔面に
スプレーを掛けられているがその”秘密の肉体”に
迫る貴重な(ある意味無意味な...)ショット。

アラビアン・ファッキング!!(イエメン)

2006-05-08 05:26:00 | 1stミッション 中東:ヨーロッパ
ここイエメンは旅行者に評判の非常に高い国である。

曰く
「人がすれていなくてみんな親切、物価が安いし、出稼ぎしか街中に見ない他のアラビア諸国とは違ってアラビア人が伝統的な衣装にジャンビーアという短刀を腰に差して街を闊歩する姿がエキゾチックでタイムスリップしたような気になるし、また国内にも色々な特徴を持った地域があって見所が満載」と...

 さらに砂漠が中心のアラビア半島の諸国の中にあって、ここイエメンでは地域にもよるが緑の多い穀倉地帯があり、また首都のサナアは標高が2000m以上の高地にあるために過ごし易い。

 これだけの条件をそろっている為に、ここを訪れる全ての者によい印象を与え、また他国のアラビア人からは「心の故郷」と称され、外国人からは「アラビアン・フェリックス(幸福のアラビア)」と呼ばれている。



 しかし、こんな事は所詮「アマチュアの旅行者」の受ける印象であろう、この「プロフェッショナルとしての冷徹な観察眼」を持った私にかかればこの国の”真実”というものが自ずから浮き彫りにされるだろう...



 ここでは多少文章に趣を欠くが、時系列的に私の体験を元にして簡単なレポートを報告させていただくことにしよう。


2006/4/10:イエメン入国しサユーンに到着、異常無し
2006/4/11:1100ポリスに旅行許可証を申請しに行くと1900に来るように言われ、その時間に行くと「明日来い」といわれる。
2006/4/12:ポリスに行かずにムカッラへ移動、ムカッラへは特に問題なく到着。ムカッラでアデン行の許可証を申請し、ポリスに指定されたバス会社に行くも「外人ダメ」の一言でチケットは購入できず。何社も盥回しにされるが結局アデン行は購入出来ず。
2006/4/13:サナア行の夜行バスのチケットを売ってくれる会社を発見、購入してポリスに許可証を再発行するようにお願いしに行くといきなりの”賄賂請求”、当然断る。
2006/4/14:朝サナアに到着、その足でアデンへ向かおうと近くのバス会社にアデン行の発着場を聞くも適当に出鱈目を教えられ、結局1時間ぐらい歩き回った上に元の場所に近い位置から発車する事がわかる。何とかバスに乗り無事にアデンに到着。ムカッラ→サナア→アデンと結局時間と金を無駄に使ってしまった。
2006/4/15:アデンのシェラトンホテルでイエメンマップを購入したが、その際の値段が「街でも一緒の値段」と言っていたが実は街では3割ぐらい安く買えたことが後に判明。
2006/4/18:タイズからザビード(所要3時間)へ行くシェアタクに乗るとき、ホデイダ行(所要4.5時間)のシェアタク乗場に乗合のミニバスで右往左往しながら連れて行かれ、結局ホデイダ行までの料金を支払わされてザビードへ行った。選択肢無し、無念。
2006/4/21:サナアからハジャラへ日帰りで行ったときにハジャラからマナハという近郊の町に戻るときのシェアタクに足元を見られ相場より高い金を払わされた。
2006/4/23:サナアからシャハラのツアーに行く途中の街で、ドライバーが寄ったレストランはこちらが注文していないのに勝手に料理を我々の目の前に並べて「一皿100レアル(イエメンのお金、約50円ぐらい)だからいいだろう」と当たり前のように言ってきた、当然そこでは食べていない。
2006/4/30:ソコトラで保護区に入った時、入るときは何も行ってこなかったのに出る時にいきなり入場料を請求してきた。実際に入場料は必要だったが始めに言ってこないアンフェアーさは如何なものか???
2006/5/4:サナアからシバーム・コーカバンという双子の都市を日帰りで観光した時に、シバームの旧市街の門の所で「写真を撮ってくれ」と言った現地人を断ると、門を撮影しようとした私に「この門をとるならバクシーシ(お金)だ」と言って来た。頭にきて写真を撮るのを止めた。人間として腐ってやがる。
2006/5/6:5/2にサウジ大使館に行った際、「問題ないから土曜にまた来いインシャラー」と言われ、土曜日に行くと「レジデントじゃないからダメ」と言われる。始めにそれを言え...
2006/5/9:飛行機で出国、異常無し...




 まだ他にも細かく色々とあるが...

 「チキン(臆病者)界きっての穏健派」

 を自他共に認める私でさえ、2日に1回は激怒したくなる感情を持ち、それを抑えるのに必死になっていた。




 今、この国の真実を伝えよう。

 決して「アラビアン・フェリックス(幸福のアラビア)」だけではない。

 「アラビアン・ファッキング(糞ったれのアラビア)」

 の側面もこの国は十分に持っていると...!!
 


写真は首都のサナアでピザハットを守護する為に建築中の”6本のミナレット(尖塔)〝を持つ格式の高い建築中の巨大なモスク


不思議の島・ソコトラアイランド(イエメン)

2006-04-30 05:25:19 | 1stミッション 中東:ヨーロッパ
話はひょんなことから始まった

サナアについた初日、宿泊したマナハホテルに貼ってあった張り紙、正確な文句までは忘れてしまったが

「ソコトラ島ツアー・メイト募集中」



 そこに貼られていた一枚の気の写真、人間の血管の様に幹が絡まった奇想天外な植物、名前は「竜血樹」というらしい。

竜血樹!!




 摩訶不思議なこの樹には多少そそられることはあった物の、本来この私は「プロフェッショナル」として「各都市の狙撃」を主任務とする為に、島にはそれほど興味が湧かなかった。
 しかしながらその後出会った人々や、また、何よりもソコトラへ行きたいと言う主催者の女性の熱意に影響され、「一人の人間がここまで憧れ言ってみたい土地」に次第に興味を示すようになり、最後に航空券の値段が往復(厳密にはサナア→ソコトラ、ソコトラ→アデン)で150US$ちょっとだったことが私の背中を後押しし、行くことを決意するにいたった。


 集まった人数は女性3名、男性2名の日本人に”日本国籍のパスポートを所持する私”の合計6人、今回も前回のシャハラツアーと同様に「スリップストリーム旅行法」を用い、全てをお任せモードにしてただ行くだけと願ったりかなったりの立場を手にして「のほほ~ん」と主催者に身を任せていた。



 ソコトラ島についた初日、早速綺麗なビーチをみてはしゃぎまわり、2日目にはお目当ての竜血樹、写真で見ていたときから気に入っていたので、大満足である。枝の中に入って登ってみたり、写真を撮ってもらったりしながらこの「憧れの竜血樹」を十分に堪能する。またスコトラ島はこの他にも世界でソコトラ島にしか生えていない独自の植物種が多数あり、見るもの見るものが目新しく、私に新鮮な衝撃を与え続けていた。



 3日目は保護区に行ってまた違う種類の竜血樹を見たあとでダイビングスポットにいってシュノーケリング、色とりどりの熱帯魚を身近にみてもうお腹一杯!!ソコトラ最高!!となっていた。



 しかし物語りはここで終わらない、ソコトラ島を完全に楽しんだ筈の私にまたしても新たな衝撃が走りよる。


 島内の見場所を殆ど網羅し、もう全ての見所が終わったと思い込み、呑気にホテルへ4WDで戻っていく途中に目にしたものは…



「流血樹....!!」



 どうやらこの樹は上についている長い砲身から玉を出して色々なものを破壊できるらしい…、もう樹齢を重ねて動くことは出来ないだろうが、それにしても…


 こんな摩訶不思議な樹までこの島に棲息しているとは....


 ソコトラ島の本当の姿、このデューク東城をもってしても見抜けない恐ろしさを持った島であった...

天空の橋(シャハラ/イエメン)

2006-04-23 05:24:31 | 1stミッション 中東:ヨーロッパ
 イエメンには3つある世界遺産のほかに

 「天空に架かる橋」

 というものが存在する。

 人づてに伝聞した話では「世界遺産以上の衝撃があった」ということだ。

 ここはこの東城、「プロフェッショナル」を名乗るからには見逃すことの出来ないポイントである。



 ここへのアクセスはイエメン北部の政情不安定ということもあり、現在はツアーでしか行くことが出来ず、そのツアーの料金は大体全員合わせて160US$ぐらいからが相場らしいと事前に情報を入手していたので、首都のサナアに到着すると同時に早速人を探し始める。

 サナアにはマナハホテルという日本人旅行者が良く宿泊する宿があり、そこに拠点を構えて手当たりしだいに当たっていくと直に2人、すでに計画して人を集めていた物と首尾よく接触することが出来た。

 こいつは2つの意味でラッキーである。
 私から先頭切って人を集める必要も無くなり、すでにツアーのことも調べ上げていたので私が今回の任務の始めに編み出した「スリップストリーム旅行法(コバンザメ旅行法や寄生虫旅行法と似ているが、格好いいネーミングで自らの手抜っぷりをオブラートに包んだデューク東城が編み出した全く新しいタイプの旅行法である)」を応用する願っても無いチャンスである。

 何の迷いも無く、最初に人集めをしていた「ミスターストロング(日系日本人・仮称)」氏に全権を委任し、ただ待つだけという御大層な身分に身を置く事が出来た。

 明けて2日後、ツアーには総勢五人の日本人、男性4名に女性1名の「チーム天空の橋」が編成された。当然の事ながら我々の意気込みは「ハンパでは無く」、まだ見果てぬ「天空の橋」に期待に胸躍らせながらの出発となった。

 道中でスーラ、アムランの2つの古都に立ち寄り、順調に「チーム天空の橋」は足音を刻んでゆく、途中までは舗装路だったがそれも近づくにつれ未舗装に変わり、山岳地帯へ突入、遥か彼方に見える山頂に芥子粒のように見えている町がシャハラと聞かされ、さらに気持ちが盛り上がってくる。

 麓の町に1600頃に到着、どう考えても車では行けないだろうという山道を現地人の運転する4WDで登っていく、標高が高くなるにつけ景色は凄みを増し、遠くにかすかに「天空の橋」も目に入り、我々の鼓動は張り裂けんばかりに高まっていった。

 山頂にあるシャハラの町に1730到着、1日移動した疲れも感じる事無く早速「天空の橋」を拝みに行く。




 ホテルから徒歩10分ほど、この角を曲がれば橋の全景を見ることが出来る...




 先頭を切って歩いていた者が橋を発見して声を上げる。




 「あれぇ~!!」

 「...」





 いやいやそこは違う声を上げるところでしょう。「おおおお・・・!!」とかではないのでしょうか??


 我々は訝しがりながらも橋を見える位置に接近、橋の全貌が明らかになった今....、我々の中に一つの共通した叫びが湧き上がっていた。





 「あれぇ~!!」

 「...」




 なんと言えば良いだろうか、

 ここに至るまでのプロセスは完璧だった筈だ、しかし....


 料理のフルコースに例えて言えば、食前酒は完璧、前菜も鮮やかな彩を沿え、いよいよほんちゃんのメインディッシュに移ったときに出てきたのは「サラダバー」だったと言った所であろうか...。




 「確かに橋は悪くない」



 しかしここに至るまでのプロセスやその気持ちの盛り上がりを考えると「それを受け止める力が不足している」のである。

 さらに言うなら、この話に何の関係も無いが「フルコースの料理等、生まれてこの方一度も食してない」ので「例えが適切であるかどうかは不明」と付け加えておこう。




 翌日、ホテルを出てサナアに戻る途中、私は去りゆく橋を脳裏に焼き付けながらこう思った。

 「橋をメインに考えた我々の敗北であろう...」

 と
 


 写真はシャハラに行く途中の休憩所で見かけたイエメン人、カラシニコフという小銃が出回る中、AR-15という珍しいタイプのライフルを持っていた。



欠陥首都(オマーン)

2006-04-10 02:56:52 | 1stミッション 中東:ヨーロッパ
 オマーンの首都、マスカットに到着

 物価は完全に落ち着いているが「高い方」に落ち着かされているのが悩みの種だ!

 こんな所はとっとと抜けなくてはいけない。



 オマーンも産油国の他聞に漏れず「物価は高いもののインフラは整備され、街こそ今迄の様な都会都会した感じとは少し異なり、ようやくのんびりムードを漂わせ始めているものの「生活の水準の高さ」は見た瞬間にも即座に悟りえるほどだった。


 しかしながら今までのアラビア国家(クエート、バーレーン、UAE)と違い、ここマスカットは「致命的な欠陥」を有する都市であった。


 マスカットの中心は「ルイ地区」「マトラ地区」「オールドマスカット地区」の3つになるが、この中心地区内に



 「KFCあれどもマックは存在しない」



 のである。



 マックがこの国にない訳ではないが郊外に出なければ存在しない…

 こいつは一体全体何という「欠陥」なのであろうか...



 さらに付け加えて言うと、今までの他の産油国では見なかった現地の人間達が普通に外を歩く姿も見られ始めた…



 この事実は

 「オマーンが他のアラビア半島の産油国から大きく水を開けられている」

 ことを如実に物語るだろう…




 一刻も早く

 「マスカットの中心地区にマックが建ち、労働は出稼ぎに任せてきっぱりと街を出歩くのを止め、他のアラビア諸国に肩を伍して並べられる、ことを切に願う」

 のみである…





写真はシェアタクの中から撮影した首都マスカットの郊外、マックもこの付近にあったが...、簡単には行けそうもなかった。



首長国(UAE)

2006-04-08 03:48:21 | 1stミッション 中東:ヨーロッパ
 UAEにフライトにて到着、先ずはドバイに宿泊。

 「地球の歩き方」では「ドバイとアラビア半島」となっており、UAEの首都「アブダビ」やその他のアラビア半島諸国は「ドバイ以下」なのでは??と感じさせられる作りとなっている。

 物価のほうも過去2カ国と比較してそろそろ落着き始めてはいたがしかしそれにしてもまだ高く厳しい局面が続きそうであった。

 さて、交通の要衝、ドバイにもなると流石に人も多く、街には下町的な雰囲気もあり、クリーク(運河)を渡し舟で渡るなど情緒が豊かな反面、また郊外にショッピングモールが多数、中には7ツ星ホテルなどこのプロフェッショナルをもってしても「ぶったまげるもの」まで存在していた。



 しかしながら何よりもびっくりさせられたのは首都の「アブダビ」である。

この東城、今回の旅行でここUAEが57カ国目になるが…

 ここアブダビでは


「モスクがビルに埋まっている」


 のである…




 今まで訪れた地域を考えてみると、

 「どんな貧しい国でもムスリム国家なら街から頭ひとつ抜けた高さを持つ、それなりの”グレートなモスク”があったものだがここアブダビではどうみても”ただの名も無きビル達のほうが偉大そう”であった。」




 UAE、ドバイだけかと思いきや、「首都アブダビ…!!意外に侮れない…!!!」




写真は首都のアブダビ、ビルの狭間に埋もれるモスク!


 

バーレーン!!

2006-04-04 17:34:04 | 1stミッション 中東:ヨーロッパ
ホテル代の高すぎるクエートを抜けバーレーンへ入国。

 余りにも高すぎたクエートに比べ少し落ちるものの、夜到着して空港への送迎付のホテルを取ったのでそれでも45US$!!

 この地域は一筋縄ではいかしてはくれない…

 ちょっと考えると「資金がたんまりあれば何の苦労もいらない」のではないかと思うが「フリーランスのテロリスト」としては、「何の収入」も得ていない為にこいつはえらい堪える…

 バーレーン自体はマックこそあるものの「朝マック」はメニューにない、クエートより少し格が落ちるといったところであろうか…

 ここも僅かに2泊3日の滞在、オイルマネーで潤っていてそれなりの都会だが印象に残ったのは「日本への航空便の安さ」ぐらいにとどまった。

 尚、ここでも「労働に勤しむ現地人(バーレーン人)」はお見かけしなかった…




写真はマナマ(バーレーンの首都)の中心、バーレーン門付近。勿論マックも近くにある。


オイルショック(クエート)

2006-04-02 20:49:02 | 1stミッション 中東:ヨーロッパ
アラビア半島攻略戦、第一弾はクエートとなる。

 カイロから[カイロ→クエート→バーレーン→UAE]とストップオーバーでフライトし、そこから陸路でオマーン、イエメン、サウジと今迄のところ計画している。

 カイロの安宿から借りてコピーした「地球の歩き方」もあり、マルタの空港で買った「ロンプラ」もある。情報的には万全だ。

 初任務地となるクエートはある意味「行き止まり」の国でサウジとイラクと海に囲まれたこの国は「フライト」以外では時間や効率から考えて不向きな国であろう。

 また、クエートの「ホテル代の高さ」もすでに調べており、私のチケットは夜の2300時頃に到着するので2泊予定の内の最初の1泊は「空港泊」と決めていた。そのあたりは「プロフェッショナル」として完璧な計算の元に行動しているといっても過言ではないだろう。

 ちょっと気になったのは「地球の歩き方」に「クエート人は歩く習慣がない」と「歩くという人間の根幹に関わる事を”習慣に無い”」と意味不明にばっさりと切っている事だがその真相も着けば分かるだろう。

 3/31、飛行機から見るクエートシティーは想像以上の都会だったが何よりも空港が充実していることには感嘆の念を禁じえなかった。

 プチショッピングモールにフードコート、近代的な設備が整っており、苦もなく睡眠することが出来た。

 明けて4/1日、一応「街歩き」を売りとするこの私は市内にホテルを取るべく動き始める…、公共バスで市内にでて目星を付けていた「地球の歩き方」最安のホテルを目指す…、
 「7000円か…」
 まあしかしながらこれは「必要経費」である。空港泊を続けることも頭によぎってはいたが「プロ」として市内にホテルを取る夢は捨てがたく、まあ1泊なら何とか耐え凌げる位の財力はまだ残っている。

 バスを降りて5分ほど歩いてホテルのレセに行く。まだ朝の900時頃、

 「高くてもすぐにチェックインしてそのまま街歩きに徹しよう」

 そう決心して値段を確認する…



 「1万4千円....!!???」

 「...」

 「えっ...!!!」



 いやっ??こんなんじゃ無理だ!!何かの間違いだろう!!と思って問いかけても値段は変わらず...

 「どうやらホテルを探し終えるまでは街を歩いてる場合なんかじゃあなさそうだ...」

 近くのホテルを2軒当たってみたが容赦なく撃退され(いずれも1万円以上)、タクシーのドライバーに聞きまくるも郊外なら安宿「4000円から4500円くらい」があるらしいが今日一日で街歩きを終えるには不利なロケーション、タクシー代も500円から1000円はかかるからやっぱり郊外はアウトだ...

 今度は「ロンプラ」をみてそちらのホテルを探しに歩く、オアシスホテルの「オアシス」という名前にも惹かれて歩いていくとそこには...



 「あっ!マックだ...!!」

 メニューを見てみると、なななんと

 「あっ朝マック...!!」


 思い起こせば最後の朝マックは何時なんだろうか...、確かケープタウン(南アフリカ共和国)を出発したとき、2005年7月12日が最後のはずだ。モロッコに入ってからは状況が好転し、いくつものマックを目にしてきたが「朝マック」はついぞお見かけすることは無かった筈だ...

 「もう我慢できない、ホテルなんかは2の次だ!」

 結局マックに入り、約10ヶ月ぶりの朝マックを頬張る。

 「こんな凄い出来事がこの行き止りの国クエートで待ち受けていようとは...!!」

 目から溢れ落ちる涙は止まらず、ただただ感激するばかりであった。


 結局ホテルはマック最寄の「オアシス ホテル」に決定、料金は8000円は超えていたが何とか1万円以内には納まったのでまあ良しとしよう...!!


 ホテルの料金が高かったので翌朝はビュッフェで食べれなくなる所まで食べてしまい。「朝マックアゲイン」は出来なかったがでもまあ良いだろう。

 しかし恐るべきは「オイルマネー!」、こんな行き止りの国にさえ「朝マックメニュー」付のマックを備えているとは...



 この「プロフェッショナル」にとってはこれこそが「オイルショック」と言うべき事であろう...


 蛇足になるが、「労働しているのは出稼ぎばかりで、街中を本当に歩いているクエート人は全く見かけなかった」、これもまた一つの「オイルショック」であろう...

 







 写真はオイルマネーで潤ったクエートの市街

ドラいもん...(マルタ)

2006-03-22 00:30:57 | 1stミッション 中東:ヨーロッパ
 しかしマルタはビックリだった...



 アフリカ近くのヨーロッパで「所詮はアフリカと同程度」と思い込んでいったこの「デューク東城」にとってはまるで漫画にでてくる4次元ポケットのような国だった。

 空港に夕方6時に着いたら観光案内所がしっかり開いていて安宿もきちんと教えてくれる。こんな事はアフリカではありえない..
 
 またアフリカではいくら探しても見つからなかった「ロンプラ(英語のガイドブック)」はあっさりと空港で入手できるは、公共機関はバスが発達していて問題無いは、マックやピザハットも当たり前...、

 面白いのは教会で、街に一つ以上は「不釣合いに巨大な教会」があって何でも人口38万人のこの国で150も教会があるらしく街の景観にいいアクセントを添えている...、

 さらに首都のヴァレッタは街全体が世界遺産...、まだ他にもたいしたことは無いが「巨石神殿」が結構いろんなところにあってこれもまた世界遺産...


 しっかりと「ヨーロッパ」していやがる...




 たいしたことの無い小国だと思い込んでいた私には「良い衝撃」で、物価の高さも「ヨーロッパ」だった事は、私の財布には「悪い衝撃」であった...





 しかし...、こんなちっぽけな国で...、まさかこれほどのものが見れるとは...




 「プロ」として、どうしてもこの「台詞」を吐かずには入られない...







 「おい、お前!!マル太のくせに生意気だぞぅ~!!」

リターン・マッチ(マルタ)

2006-03-20 00:12:11 | 1stミッション 中東:ヨーロッパ
 プロフェッショナル・デューク東城



 ここマルタで、「リビア大使館の所在」を点き止め...、

 もとい観光案内所に点き止めてもらって再度リビアビザに挑戦、



 結論は

 「本国照会の為に1週間待ちで、その後でビザが取得できるかどうか分かる」

 というアルジェリアの時と全く同じ状況、





 思いは千路に乱れる...

 既にマルタに入る前にカイロまでのチケットは購入済みだ...



 「マルタだけ入国のチケット」なら待つのも悪くは無い。そして「ビザが取れるなら、カイロへのフライトの日時の変更をキャンセル料を払ってでも」しても良い。





 しかし...「状況は不確定」



 物価の高いマルタで1週間以上滞在を延ばすだけの価値はあるのだろうか...




 リビア大使館を出て30分もの長時間にわたり、世界遺産に向かう公共バスに乗りながら考えに考え抜く。

 そして、苦渋の末に決断を下す...









 リターンマッチは「敗戦」でいい...









 「カイロにカイロう...」