謎の日常

 「観光」に”感動”などといった余計な”感情”は必要ない・・・
 ただ”事を終わらす”とだけ考えれば良い・・・

帰国!(松戸:千葉)

2009-04-15 08:05:01 | オペレーション・イリーガル
 日本


2009.04.15(水)


 昨日、ドイツのデュッセルドルフを飛び立って、モスクワのシュレメチボ空港でトランジットをして成田へ。

 シュレメチボでは「タイヤ交換のため1930発の便が2030時に変更になる」というアクシデントがあり、これだけなら大した事はないのだが、なら当分暇だとコンセントがある他のブースでパソコンをつなげて写真を眺めていたらタイヤ交換が予想以上に早く終わってしまい、他のブースでのんびりとしていた私の名前が呼び出されてしまうという初めての経験までしてしまったのはご愛嬌だろう。

シュレメチボ国際空港、そして離陸後に見た夕日
 

 



 成田には1100時頃到着。

 到着前の成田上空から銚子方面を眺めて。



 なんだかんだで実家には1300頃に到着。

 実家に戻る途中にある京成津田沼駅。マイナーの域を出ない




 ただのアマチュアならここで「旅行は終わった」とばかりのんびりするのだろうが・・・


 このプロフェッショナルはそういう訳にはいかない。やるべき事はまだあるのだ。


 実家に荷物を置くとすぐに出て松戸へ・・・


 そして髪を切る。

 “オペレーション・イリーガルはもう終わった。これから新しい目的に向かって走り出さなければいけない。”

その強い意思表示が髪を切るという行為には含まれているのだ!


もう遊びは終りだ・・・



自分にそう固く言い聞かせる。これからは働くと言う覚悟を決めなければならない。






 そしておもむろにネットカフェへ行き漫画を読む・・・




 「面白かった・・・」





 「・・・」






 「・・・・・・」






 しっしまった!帰国初日から何かのトラップに・・・


オペレーション・イリーガルの最後に・・・(デュッセルドルフ:ドイツ)

2009-04-14 08:03:49 | オペレーション・イリーガル
 ドイツ


2009.04.14(火)


 私がオペレーション・イリーガル最後の地としたのはドイツのデュッセルドルフだ。
 
 もともとはバイトの最後はスイスになる予定で、パリにいったのはあくまでもイレギュラーであったし、それに日本から一番安かったアエロフロートの発着時間からいっても経由地となるモスクワでの待ち時間も少ない事や最後に一番好きな国であるドイツを見れるということからも考えてここデュッセルドルフを最後の地にしようと決めていたのだ。


 デュッセルドルフのハーフェン地区。デザイン建築が多いのでちょっと見る分には面白い。

 

 

 




 そしてラインタワーからのデュッセルドルフの街並。

 

 ガラスが斜めにはってあり、下が良く見えるがそれはそれで怖い・・・
 

 ラインタワーから見た夕日。
 




 この街でしばらくは旅行納めになる・・・

 そう考えると感慨もひとしおだ・・・

 今回のオペレーション・イリーガル。これに来れて本当に良かった・・・





 世界最初のゴンドラ式(懸垂式)のモノレールがあるヴッパタール。
 走っている車両は流石に新しいタイプだった。

 

 

 







 もうこれでドイツはしばらく見納めだ。

 しばらくは海外に来る事は出来ないだろう・・・

 本当に金が無い・・・







 そして明日からまた私は新たな戦いに身を投じなければならない。





 そう「就職戦線」という名の熱い戦いに・・・・







 「・・・」







 「・・・・・・」








 「就職氷河期だから寒い戦いなのかな??」


「激闘の記録第27話予告編」

2009-04-10 08:02:55 | オペレーション・イリーガル
 フランス


激闘の記録に新作をアップ


第27話 そして振り出しに・・・(舞台:パリ:フランス)


あらすじ

 ひょんな事から生まれて初めての海外の地となったパリに再び訪れる事になったプロフェッショナル・デューク東城。

 15年ぶりに訪れたこの街で何を見て何を感じていくのか??


 オペレーション・イリーガルの結末は?

 そしてこれからの人生は??


 どうなる!ゴルコサーティーワン!!





 です。ホームページトップから訪れて下さい。


 よろしく~!

美しく咲いて・・・(ヴェルサイユ:フランス)

2009-04-08 08:01:36 | オペレーション・イリーガル
 フランス


2009.04.08(水)


 パリに戻ってきてからパリ近郊でのメインターゲットはヴェルサイユ宮殿だ。

 ヴェルサイユと聞いて日本人ならピンと来るのは勿論「ヴェルサイユの薔薇」に他ならないだろう。
 私も30年・・・いや、10年前ぐらいに読んだ記憶がある。
 
この「オスカルとアンドレ」の舞台、見逃すわけには行かない場所だ。

 それにここには遺恨もある。15年ほど前・・・あっ!えっと時間はいいとして以前パリに来たときに近くだったのに訪れず、パリ発ポルトガルのリスボン行きという今から考えると何とも豪快な長距離バスに乗って、このヴェルサイユ宮殿付近で客をピックアップする時に降りて同じく困っていた同乗者のフランス人と肩を並べてこの宮殿を眺めながら「立ち○ョン」をしたのがその時のヴェルサイユ宮殿に関する私の全てだったからだ。
 それによって「生まれて初めての海外はパリ」という私、それも滞在期間はトータルで3週間以上はあった筈のこの場所で、これほどのハイライトを見もせずにいたという汚点を残していたのだ。

 その汚点を払拭するのは今しかない・・・




 ヴェルサイユはパリの北駅からメトロに乗って降りてから歩いて約1時間くらい。

 宮殿が見えてくる。これは昔見たので何と無しには覚えていたが本番はこれからだ。

 ヴェルサイユ宮殿入口から。


 実を言うと今まで宮殿系は結構数多く見ているので中にはそれ程の感銘は受けなかったが・・・

 マリーアントワネットとルイ16世の結婚式が行われた教会
 

 一番のハイライトと言える鏡の間。
 

 何だか忘れたけど赤い大理石がなんとも良かったので・・・
 

 中庭からみたヴェルサイユ、そして中で描かれていた宮殿の全景。
 

 庭園側から見た宮殿


 ヴェルサイユと言えば庭園も売りだ。

 だが、この日は雨、それに元々私の喰いつくポイントでもないのでその辺りは適当に見る。

 一応写真も、分かりづらいけど幾何学模様が売り。もちろんたったこれだけでなく広大な敷地に色々な庭園があり、お勧めコースとやらは歩いたのだが・・・



 それにヴェルサイユと言えばメインの宮殿に目を奪われがちかもしれないが、離宮やメルヘンチックな村里もある

 大トリアノン。
 

 村里、左は王妃の家という名称。
 




 感動こそしなかった物の決して悪かった訳ではない。

 それに大事なのは、私がこれによって過去の汚点を晴らし、自分の中に溜まっていた忸怩たる想いを吐き出したという事なのだ。


 これによって「生まれた初めての海外旅行はパリ」というこの私のエレガントさはいっそうの輝きを得た事だろう・・・



 そう、この私こそが今・・・


 今旅行界で最も「美しく咲いている」と言って過言ではないだろう・・・








 えっ?




 どうせすぐ散るって???



ラ・メルヴェイユ(モン・サン・ミッシェル:フランス)

2009-04-06 07:59:31 | オペレーション・イリーガル
 フランス


2009.04.06(月)


 リバプールでバイトを終えてパリへ(雇い先がパリにあってリバプールからパリまでの移動費が出るので)、そして足早に向かったのはモン・サン・ミッシェルだ。

 グレーの砂地に浮かぶ島に建てられた修道院・・・、干潮の差が激しく満潮時にはほぼ島の全体が水に囲まれて孤島となる。写真にすると実に見栄えのするこの修道院は日本人の訪れたい世界遺産に例年トップ5に入る人気の観光地である。

私も以前から訪れたいとは思っていて、この機会に是非とばかりに行く事にしたのだ。

 当初は島の外側(島と本土は道路で結ばれている)に宿泊する予定でバスを降りたが、外から見た修道院の景色は素晴らしく、この際だから島内に泊まる事を決意する。

 バスから降りて島につながる道路で最初に見たモン・サン・ミッシェル
 


 島内への入口を入ってすぐにある門、そして狭い路地に観光客がひしめき合う。
  

 私はここでこの路地沿いにある宿を取る事にする。決して安くはないが私はエレガントだ。薄汚いドミトリーを泊まり歩くようなバックパッカーではない。どんな状況であれ宿は「ただ寝るだけでいいからドミで安いやつ」等という探し方をするような男では無い。プライベートが確保されたシングルルーム、それが基本中の基本だ!

決して昨晩パリでついた時間が遅くなるからと、リバプールで予めネット予約して一番安いただ寝るだけのシーツも貸出有料になるショボイ2段ベッドの8人部屋のドミなんかには泊まっていないのだ!

まぁ、モン・サン・ミッシェルの中に安宿が無く、一番安い宿をとっても高かったという説もあるがこの際だからそれは忘れて“このプロフェッショナルはエレガントである”とだけ覚えてもらえればいいのだが・・・

宿も確保した事なのでさっそく本丸の観光に行く事にする。

 チケットを買って中に入ったすぐにある回廊。


 そして修道院付属教会
  

 西側テラスからの眺め、午後はまだ潮が引いている。
 

 北面の最上階にある回廊。
 

 柱が2列に互い違いになっているのは修道士の歩くリズムに合わせて作られたらしい。
  

 ちなみに今回のタイトルである「ラ・メルヴェイユ」はフランス語で「驚異!」の意味でこの回廊のある北面の3階建ての建物部分を指し、ゴシック建築の傑作と言われている。



 修道院の中も見応えは十分。期待を裏切らない良さだ。

私は中の見学を終えると城壁を歩きながら下る事にした。



 城壁から見た修道院、それに島内。
 



 城壁から外に出ると外をぐるっと回って様々な角度から楽しむ事にする。干潮時だからこその遊びだ。

 外を回りながら見たモン・サン・ミッシェル。
 

 潮の引いた海の上を歩く。何とも言えない感覚だ。
 



 確かに満足だ。ラ・メルヴェイユというのは北面の建物だけではない。神秘的なこの島全てが『驚異!』と表現していいだろう。

 それにここに1泊したのにも訳がある。そう夕方から夜にかけての景色も堪能したかったからだ。


 夕方の市街、日中の賑わいが嘘のように人が減っていく。
 

   

 裏通りに狭い路地
  

 そして少し離れた所から見たモン・サン・ミッシェルの夜景。
 



 「・・・」




 「全てが驚異だ・・・!!」




 だが、この島の本当の驚異はこれではなかった・・・




 実をいうとこれらの景色を見ている最中の全てに・・・



 どこかしらで必ず日本人の声が・・・





 最近ヨーロッパ各地で韓国人や中国人の旅行者が増えてきていて「旅行する東洋人はもはや日本人だけではなくなってきている」今日この頃でも、ここではツアー、個人含めて圧倒的な数の日本人がいたのだ・・・!




 そう、このモン・サン・ミッシェル、海外No.1とも言えるのではないかというほどの「日本人率の高さ」こそが「本当の驚異」であったのだ・・・






グッバイ・リバプール(リバプール:イギリス)

2009-04-05 07:58:03 | オペレーション・イリーガル
 イギリス


2009.04.05(日)


 今日でリバプールともお別れだ。




 そして1月の19日からやっていた不法就労も私はこの都市で終りだ・・・




 泊まったホテルの前の通り






 シュツットガルトから始めてバルセロナ、セビージャ、バレンシア、プラハ、ヘルシンキ、そしてこのリバプールと7都市・・・期間にして3ヶ月弱・・・





 泊まったホテルの近くにあるオブジェ?著名人の使ったスーツケースやギター等が固められて展示されている。ビートルズ関連もあったが誰のかは忘れた。
 

 
 リバプールの住宅街。同じようなレンガ建てが続く。が、近代的な外観と複合させた物も・・・
 




 バイトは楽しかった。最初にバイトに入った時のメンバーに恵まれた上に、私がいる間にメンバーの変更がほぼ無かったことも幸いしたのだろう。





 リバプール大聖堂
   

 そしてその屋上からの眺め。高さは90mぐらい、ちなみに英国国教会の建物で2番目の高さらしいがこれがどれ程のことなのかはいまひとつピンと来ない。





 私にこのバイトを紹介してくれて終始色々と教えてくれたヒーロー氏。


それにキャプテンを始め他のメンバーにも色々とお世話になった・・・。




 
 中心街の街並み。中華街も近くにあるので通りのプレートが中国語と併記になっている場所もある。
 

 ちなみに右にある中華街の門は高さ約50mあるらしく、中国本国以外にある中国様式の門では世界最大の高さらしいがこれもいまひとつピンと来ない。


 中心にあるラジオタワー。


 リバプールでのアトラクションの一つとして水陸両用車がある。名前はもちろんイエローサブマリン。
 







 今回、このリバプールでバイトを離れるのは私1人、あとのメンバーはまた引き続きスイスに行ってこのバイトを続けるのだ・・・





 マージー川を渡った対岸にあった2階建てのトラム。



 そして対岸から見たリバプールの眺め





 「グッバイ・リバプール」



 そしてこの3ヶ月間、充実した時間を私に与えてくれ、共に過ごしてくれたみんなに感謝の気持ちを込め、こう言おう。




 「どうも有難う!そしてお元気で!!」


 と・・・





男の島(ダグラス:マン島:イギリス)

2009-04-04 07:48:32 | オペレーション・イリーガル
 イギリス  マン島


2009.04.01(水)


 Isle of Man・・・

 イギリスにありながらグレートブリテンおよび北アイルランド連合王国の一部ではなく、自治権を持ったイギリス王室属国という特異な立場を持ったこの場所を私が目指したのは偶然ではない。

 それに腐ってもこのプロフェッショナル、“男”であるからにはこの直球で「Man」と名の入った島に行くことは必然といって良いだろう。

 私が現在いるリバプールから船で約3時間という距離も魅力だ。

 私はこの島に訪れるために緻密な計画を立てて実行に移す事にした。
 予定は2泊3日だ。これだけあればたっぷりとこの島を堪能できる。

 決して当初1泊2日の予定にしていてホテルまでネットで予約した物のフェリーのチケットを前日買いすると料金が倍近くなり、さらに直前の日程でホテルを抑えていたのでキャンセル料も全額となるのでこの際だからとやけになってさらにホテルをもう1泊増やし、何故か当日のネット買いでも料金が上がらない2泊3日に修正したという訳ではないのだ。

 そう計画通りの行動である。

2009.04.02(木)
 
 リバプールの出発は1900時、春に入ってどんどん日が長くなっているので夕陽が差す時間帯ながら外はまだ明るい。

 私は高速フェリーに乗って去り行くリバプールを眺めながら迫り来る「男の島」に心弾ませていた。

 乗った高速ボートにリバプール中心部
 

 離れていくリバプールの街並

 

 そして船上から眺めた夕日
 

 日が落ちる直前は夕日がピンク色の蛍光色に染まって何ともいえない感じになる。



 そして到着、フェリーポートから眺めた中心部
 

 マン島の首都ダグラスに到着したのは2200時、ホテルは予約しているので問題は無い。
 
 マン島で普通はやらないようなホテルの予約をしたのはネットで調べると安宿が皆無(ドミトリー等存在していなかった)でこのようなリゾート地で独力でそれも夜探すよりは予め予約していた方が確実という考えがあったからだ。
 1泊40ポンド(約6000円)という出費は痛いが止むを得ない選択だろう。


2009.04.03(金)

 昨夜ホテルにたどり着いたのは夜の1100時。私は0900時には起きて早速観光する事にする。

 ホテルを出て早速観光案内所に向かおうとすると目に入るのは・・・

 泊まったホテルはこの右端、ちなみにここはホテル街になっていてこの見える建物全てがホテルだった。
 

 気になって値段を見てみると最安18ポンド(約2700円)からシングルがあると・・・


 「くっくそう・・・、予約なんぞしなければ良かった・・・」


 だが、もう取ってしまった物はしょうがない、諦めてマン島の観光に全力を尽くすことにした。

 マン島といえばメインアトラクティブは2つ、残りの一つは後述するが先ずは保存鉄道だ。マン島の保存鉄道は、蒸気機関車、アプト式登山鉄道、狭軌とあり、周遊チケットを買えばそのいずれも乗り放題で安く楽しむ事が出来る。

 別に鉄道オタクというわけではないがマン島にきたら「必須」と言っていいアトラクションであろう。

 私は観光案内所に向かい、早速時刻を聞きこの鉄道に乗ることにした。

 「あらっ、保存鉄道は4月6日から運行よ・・・」


 ツーリストインフォメーションのお姉さんは屈託のない笑顔で私にこう答えてきた・・・


 「・・・」


 「・・・・・・・」


 「たっ楽しみにしてたのにぃ~・・・」


 わざわざ2泊に変えたのもこの「保存鉄道」があるから我慢できると思っていたのに・・・


 だが、やってないものはしょうがない、私はこの日時間を潰すためにバスでマン島を一周することにした。


 キャッスルタウン。ロシア要塞。


 ピールの要塞跡


 ラグジーの水車。
 



 ちなみにマン島の紋章はこの3本足、島内のどこにでもこの紋章を付けた建物が見れる。ジョジョの冒険を思い出してしまうが・・・
 

 そして首都のダグラス。


 

 

 その夜景。
 

 一応島内も一周し、保存鉄道に乗れなかったマイナス分はなんとか帳消しと言った所だろうが・・・

 まだメインアトラクションの後一つが残っていた・・・


2009.04.04(土)

 先程は伏せていたがマン島のもう一つのアトラクション、それは島の公道を使って一周60kmを走るオートバイレース、マン島TTレース(世界選手権からは除外)で、世界でもっとも歴史の長いオートバイレースとして有名なのだ。

 私はこれを“ただ”見学しよう等と言う気は無い。

せっかくこの世に男として生まれたからにはこのレースの表彰台、それも一位にたってこそマン島を制覇したと言えるのではなかろうか?

 ただの傍観者になど終わりたくは無い・・・



 私はさっそくこの表彰台を目指すべく長い道のりを歩き始める。

 そして20分後・・・

 その目的地が見えたのだ・・・

 これがそのレースの会場。そして表彰台。
 



 私は息をゆっくりと吐き出しながら一歩一歩着実に歩みを進める。

 そして階段を上がりついに・・・


 一位の表彰台に立つプロフェッショナル。(3脚を利用して撮影)



 そう、私はこの世界で最も長い歴史をもつオートバイレースの・・・その表彰台に・・・それも一位としてその頂点にたったのだ!!






 もはや長くは語るまい。


 ただ、これではっきりとしたことだろう。


 この私が「男の島」、マン島でその頂点を極めたツーリスト・・・


 即ち「男を極めたツーリスト」であると言う事が・・・



さらば学生の日々よ!(リバプール:イギリス)

2009-04-01 07:44:50 | オペレーション・イリーガル
 イギリス


2009.04.01(水)


 現在はイギリスのリバプールにて不法就労中。
 ここが今回のオペレーション・イリーガル最後の都市になる。

 そしてここでもう一つ、終わった物がある。


 


 



 そう、このリバプールで、私は今までの学生生活に別れを告げたのだ・・・



 

 



 私が学生になったのは忘れもしない、多分2006年11月の終りぐらいだろうか・・・

 初めて学生になったのはハンガリーのブタペスト、セカンド・ミッションの時だ。私はブタペストのとある旅行代理店で東京アートユニバーシティーの学生としてデビューを飾った。


 

 



 学生になるのには多少の困難を伴った。

 日本の自動車の免許証があれば、相手が日本語を読めない事につけ込んで「これが日本の学生証だ」といってスムーズに国際学生証が発効できていたのだが、日本の免許証など旅行中に持ち歩いていなかった私は、自動車の国際免許証をもってその事務所に訪れたのだ。

 そしてその国際免許証を見せるとオフィスのお姉さんが「オー!イッツ・ア・ドライバーズ・ライセンス」と至極当たり前の反応をして(国際免許証は数ヶ国語で書かれている)、私は慌てて「セルビアでパスポートとこれ以外の証明証を盗まれたので、日本の学生証(もちろん免許証)はコピーした物しかないけど」と取り繕い、後で持ってくるといってその時一緒の宿に泊まっていた人から免許証を借りてコピーして、さらにその上に自分の写真を貼り付けてまたコピーしてもって行き、何とか入学出来たという思い出がある。

 証明証はタイで作るような偽物ではない。本物の学生証だ。私はこれから始まる大学生活に胸をときめかせていた。



 
 

 



 その後は順調だった・・・。
 学生になったメリットを最大限にいかし、今迄はカットしていたような所もが区割りさえきけばどんどん歴訪そるようになったのだ。

 そして学生である期限が切れる1年後であった2007年、今度はアルメニアでまた入学に・・・

 ここでは何の証明証すら要求されなかった・・・。私の日頃の行いの賜物だろう・・・


 

 



 学生であったことは私のミッションに大きな貢献となった。お陰でかなりの割引を受ける事が出来たのだ・・・

 予算が大分セーブ出来た事は望外の喜びである。


 

 



 だが・・・


 その生活もここリバプールで終りを告げる・・・



 

 



 3月31日、ここリバプールにあるSTA TRAVEL、奇しくもハンガリーで最初に学生になった旅行代理店と同じ名前、恐らくは系列店だろう。ここに望みを賭け、延長の手続きをお願いに言ったら「大学からの証明証か、オリジナルの学生証が必要なのよ」と言われ・・・



 

 



 国際学生証しか持ち合わせなかった私にはもうどうする事も出来ずに・・・

 ここで2年とちょっとに渡る大学生活にピリオドを打つ事になったのだ・・・



 

 



 一度も通わなかった東京アートユニバーシティー、アートをつければ美術館が安くなるといわれてつけたのだがそもそも美術館めぐりをしない私にはあまり関係が無かった。
 だが、この2年間を振り返ってこう思う。

 「学生で良かった」、と・・・



 

 



 そして今日この日より学生生活に別れを告げ、新たな人生に巣立つ事になったのだ。

 
 胸に万感の想いを込め、こう叫ぼう!


 「さらば、若き青春の時代、私の学生の日々よ!!」




 そして来るべき新しい未来に向け、私はこう考える。







 「どっかでまた学生証が作れないかなぁ~」



 と・・・・



 

 写真は全てリバプールにあった大学の敷地内のある建物の写真。ライトアップのパターンが多くてついつい全部見てしまった。




終りの国にて(ヘルシンキ:フィンランド)

2009-03-25 07:42:59 | オペレーション・イリーガル
 フィンランド


2009.03.25(水)


 ヘルシンキに滞在したのは10日間。ここに来るのはセカンドミッション以来2回目である。

 この国の最大の見物といったらムーミン&サンタだが両方に全く興味の無い私にとってはどうでもいいことだ。ヘルシンキの街並もこれといった売りがあるわけではない。

 ここはもう面倒なので文章を書かずに写真で誤魔化す事にしよう・・・


 凍った湾、見えてる島までの間海は凍っている
 

 ちょっと珍しい地下教会であるテンペリアウキオ教会。
 

 ヘルシンキ大聖堂の昼と夜
 

 駅近くにある国立劇場の昼と夜
 

 ウスペンスキー寺院ともう一つ目立つ教会
 

 オリンピックタワー、上に登れる。




 世界遺産のスオメンリンナ島、行くまでに氷の海を超えていく。これはちょっと燃える。
 

 潜水艦が展示されている。夏季のみは入れる。
 




 「・・・」




 「・・・・・・」




 この先、特に何か言いたい事は無い。


 
 だが、それでも敢えてこう伝えよう。


 フィンランドの首都ヘルシンキ・・・



 物価の高さで有名なスカンジナビアの3カ国(他はノルウェーとスエーデンで・・・)で・・・





 一番物価が安いという事を・・・






 でも高かった・・・

予告:最終地点狙撃(ベルリン:ドイツ)

2009-03-15 07:41:19 | オペレーション・イリーガル
 ドイツ


予告:最終地点狙撃(ベルリン:ドイツ)


「激闘の記録」新作をアップ




 あらすじ

 チェコを後にしてドイツ東部を点々としながら旅行の最終狙撃地点であるベルリンに到達しちゃったプロフェッショナル・デューク東城。
 まだ全ての国に行った訳では無いのに、何故この地点を今狙撃したのか?
 
 そして最終地点を狙撃したその先はあるのか?


 どうなる?ゴルコサーティーワン!!


 誰1人として全く気にしていないその「秘密のベール」が・・・


 今ここに明かされる・・・



 のか??
 

敗北の地(ポツダム:ドイツ)

2009-03-12 07:40:23 | オペレーション・イリーガル
 ドイツ


2009.03.12(木)


 ハレの後私は一度目的地に到着。だが、そこを見るのは未だ早かった。一泊して翌朝、そこから日帰りで訪れるポツダムを先ず見る事にしたのだ。

 ここはかの有名なポツダム会談が行われた場所というだけではなく、その宮殿群や公園群は世界遺産にも登録されている。そして私の今いる場所から簡単に日帰りできる場所だからだ。

 見たいターゲットは3件、サンスーシ宮殿、ツェツィーリエンホーフ宮殿、そして新宮殿だ。

 ガイドブックには市の中心から急行で15分とあり、1030ぐらいに出発すれば午前中に一件終わり、そして残りの2件は午後でも十分に見れるだろうというのが私の考えだ。

 私ほどのプロフェッショナルに取っては一日にたった3件の宮殿を訪れればいいだけの「イージーなターゲット」と言っていいだろう。失敗の可能性は0.000000000000001%にも満たない筈だ。 

だが余りにも近く、そしてイージーなターゲットと考えていた為にどうやら油断していたようで、実際には私の泊まっている場所からは郊外列車に乗らなければならず、15分どころか結局約一時間かけて到着。到着してバス停に行くと最初の狙撃地点であるサンスーシ宮殿までのバスは出発したばかりで20分待となる。天気も小雨とよくない感じだ。

そして20分待ってバスに乗りサンスーシ宮殿へ到着した頃には既に1230時を過ぎてしまっていた。

 サンスーシ宮殿
 

 このサンスーシはフランス語で「憂いの無い」という意味で日本語では「無憂宮」と言われる。だが入場料は学割に年齢制限が有る為に下がらず、かつて2日間有効だったポツダム、ベルリンの宮殿を見る共通チケットは1日有効に変わってしまい、今日買っても意味が無く断念。そして写真は内部撮影禁止とこちらには憂いしか残さなかった。


 時計を見ると1400時を過ぎている。この街で見たい宮殿は2つ。だが現在は冬の開館時間であり入場は1600時まででここから近い「新宮殿」に行くとちょっと離れた所にあるポツダム会談の行われた「ツェツィーリエンホーフ宮殿」に訪れるのは厳しくなる。

 しばらく悩んで優先順位を考えツェツィーリエンホーフ宮殿に向かう事にして市バスに乗ると、同じ方向に平行してバスが運行されており、私の乗ったバスは逆方向へ、思わぬロスタイムだ。

 そして30分も見積もれば到着する予定だったツェツィーリエンホーフ宮殿に着いたのは1500時、入場は1510時でもう「新宮殿」に入るのは完全にアウト。

 この「ツェツィーリエンホーフ宮殿」も学割は年齢制限あり、そして内部は撮影禁止とまたしてもダブルショックだ。

 ポツダム会談の開かれた「ツェツィーリエンホーフ宮殿」

 

 ここを見終わったのは1600時、私は「新宮殿」はせめて外観でも眺めに行こうとバスを乗り継いでもう一度サンスーシ宮殿へ向かう、ここから庭園の中を通って新宮殿まで歩けばいいだろう。

 だが、私の行動を嘲笑うかの様に雨は強くなり・・・

 バスから撮影した外、大粒の雨が・・・



 だが、観光をやめるわけにはいかない。

 結局雨にうたれながら庭園を通り新宮殿へ。

 庭園の中にある中国茶館


 そして「新宮殿」
 

 入場時間はとうに過ぎていたのでコメントを言う事すらも出来ない・・・



 今回のこのミッション、移動時間を見誤り、学割が効かず入場料も安くならず、2日券は1日券に変わってしまいさらには写真も撮れず、途中移動でバスを間違え、そして目標の3件のターゲットの2件しか仕留められなかったので、全て私の思惑は葉ずれてしまっていたという点は認めなければならないだろう。






 私はここでこう言わざるを得ないだろう。



 

 このプロフェッショナル、ここに「ポツダム宣言」を受諾






 この街に「無条件降伏」したと・・・





ハレのち曇(ライプツィヒ、ハレ:ドイツ)

2009-03-11 07:39:06 | オペレーション・イリーガル
 ドイツ


2009.03.11(水)


 ドレスデンを出発してライプツィヒへ。


 旧市庁舎に新市庁舎
 

 有名な音楽家のバッハの活躍したトーマス教会。遺体もここに眠っている
 

 ロマネスク様式のニコライ教会。中はカラフルでエキゾチックな雰囲気
  

 一見凄そうだが一反木綿のようにペラペラなビル。
 


 ドイツで三番目に古い大学が設立され、ゲーテやニーチェ、森鴎外等蒼々たるメンバーがこの街で学んだだけでなく
バッハを始めシューマン、リスト、ワーグナー等の多くの音楽家が偉大な業績を残し、旧東独時代にここにあるニコライ教会で月曜毎に行われた祈祷集会が民主化要求のデモへと発展し1989年のベルリンの壁崩壊の大きな一歩となったという経緯を持つ街だ。

街の雰囲気も気に入りなにやら心は晴れ晴れとした感じになってきた。


ただ、この街は通過に過ぎない。

今日の最終目的地は別だ。


 この信号のピクトさんは有名な「アンペルマン」。
 

 



ちなみに旧東ドイツでこの子供のシルエットをしたアンペルマンは現地の人達にも人気で、ドイツ統一の際に一端廃止の方向にも動いたがアンペルマンを愛する人達の声もあり現在も旧東独地域で使用されている。


 時間はまだ十分にある。
私は最終目的地に行く前に、この晴れ晴れとした気分を高めるためにさらにもう一つ都市を経由する事にした。

 ガイドブックの扱いはそれ程大きくない“ハレ”という街がそれだ。

 ガイドブックに載っていた旧市街の中心のマルクト広場の写真が気に入った事もあるが、この“ハレ”というネーミングのこの街は今の私の心情に最も適していると考えたからだ。

 そのハレの街並。

 旧市街の入口


 ガイドブックに載っていたのと同じような感じで撮影したマルクト広場。そしてドイツによくある木組みの建築。
 

 マルクト広場周りにあったビルの一つ、角は毎フロアごとに彫像が・・・
 


 モーリッツブルク城
 


 ちなみにここはバロック音楽の巨匠ヘンデルの故郷でもある。

 私の乗る列車まで後40分、歩いて15分程度で駅につくのでまだ時間は残っている。
 私は気に入っているマルクト教会の脇にある坂を上がりながら、ハレで晴れ晴れとなった気持ちで次の目的地の事について想いを巡らせていた・・・

 マルクト教会を下から眺めて



 「ペッ!」


 ピチャッ・・・


 突然私の前に何か上から唾が降ってきた。


 「んっ??」


 上を見上げると教会の横の踊り場に子供が何人かいて下を見ている。


 「狙ってきたのか・・・???」


 確証は無い、唾は私の居る所から3mぐらい先だ。たまたま遊んで唾を吐いたのが私の前に落ちてきたというのが妥当な判断だろう。

 私はもう一度前を向き、坂を登り始める。


 と・・・



 ドサッ!!



 「!」



 私の肩に後ろから何か土の塊のような物が当たってきた!!



 「クッ・・・」



 犯人はあいつらしかいない。上を見たい誘惑に駆られたが、私は前を向いたまま悠然と歩みを進める。
 当たったのに気付かない振りをわざとしたのは彼等の警戒心を解いて、当たってなかったのかと思わせ油断させる為だ。
 そして坂を上りきったあとで教会脇の踊り場の方にゆっくりと歩みを進める。人数は5人、日本で言う中学1,2年生といった所か。私がただこの踊り場の景色を楽しみに来ただけと思わせれば近づいた後一気に掴まればいいだろう。

 私がゆっくりと近づいていくと20mぐらい手前で子供が私の方を向き、何やら叫びだして逃げ始める。


 「こっこのガキがぁ・・・」


 このまま追いかけていくのは具合が悪い。私は彼らが教会の影に入るのを見届けてから反対側に転進する。
 この教会は正面がマルクト広場に面していて、側面と裏は踊り場になっている。回り込んで行けば彼らと鉢合わせる可能性が高い。それに何よりもこのプロフェッショナルに「走る」等という疲れる選択肢は入っていない。

 反対側に回り込むと走ってきた子供達は私に気付くと教会の脇にある階段を降りてさらに逃げていく・・・


 「ちっ・・・」


 私も小走りに階段を降りていく、彼らは階段を降りきったビルの角で一度私を見て、そして猛ダッシュをして逃げていく・・・


 「くぅぅぅ・・・」

 さらに私は角まで追いかけるが流石に若さのせいか、彼等の逃げ足は速い・・・

 そしてこんなことで既に無駄な時間がかかっている。列車の出発時間を考えると掴まえるまで追い続けるというのはちょっと馬鹿馬鹿しくもなってきた。

 「大好きなドイツで餓鬼共にこんな目に合わされるなんて・・・」

 憤懣やる方なしといった感じだ。ハレで折角晴れ晴れとなった気分もこの一件で台無しである。
 私は今降りたばかりの階段を登り、教会の脇に出て鉄道駅に向かう事にした。


 すると私の目の前の道路にさっきの子供達が見え始めてくる。
 私を完全に撒いたと思ったのだろう。ビルを大きく回りこんでマルクト広場に戻ってきたのだ。彼らは息を切らしながら仲間が全員集まるのを待っている。

 「こっこれは・・・」

 犯罪者は必ず現場に帰ってくる。この鉄則はここでも活きていた。
 私は帽子をやや深めにかぶり直してゆっくりと彼らに近づいていく、早い動きというのは視界に捉われ易いからだ。
 5m程度に迫った頃だろうか。彼等の一人が私に気付いて大声を上げて仲間に注意して逃げ始めた。私は素早く近づいていってその中の鈍そうな一人を掴まえる。

 子供は5人、私に実際に当てたヤツは一人だろうがこの際は誰でも構わない。一人捕まえて徹底的に締め上げてやるつもりだった。

 今まで周った国で私に物をぶつけてきたのはコイツらが初めてと言うこともあるがそれだけではない。
 もし私が彼らを逃がせばこの先外国人を見かけたらゲーム感覚でまた同じ事をやるだろう。それを防ぐ為にも「こういった行為の代償が何を伴うのか?」彼らに思い知らせてやらなければならない。

 捕まえた子供は何やらドイツ語で私にまくし立てている。分る訳は無いが「俺はやっていない」とでも言っているのだろう。

 私は彼の袖をひっぱりながら「ポリス」という言葉を話の節々に入れていく、これなら彼も私のやろうとしている事が理解でき心理的にもプレッシャーがかけれるからだ。
子供は私の取ろうとしている行動に抗い逃げようとする。子供にしては発育がよく 身長は私よりやや低い程度、体重も50kgは超えているだろうが、そこは大人と子供だ。彼が私の力にかなうわけが無い。

 彼はさらに大声でわめき始める。こちらはそれほど時間があるわけではない。こうなったら次の作戦だ。私は突然日本語で、それも彼に負けないぐらいの大声で厳しい口調で彼を詰問し、警察にいくという強い意志を示す。
 子供はついに大声で泣き出し、日本語を大声で叫んだ事で周囲の人々も我々に注目し始めている。そして一人の若い男がこちらによってきた。
 私はこのシチュエーションを待っていたのだ。

 男に素早く「英語は話せるか?」と聞き事情を説明する。彼らが5人いたこと、後ろから肩に土をぶつけられた事。彼は子供の言い分も聞き「彼は当てたのは俺じゃない」と言っているよと通訳してくれたが、実際当てたのが彼であろうがどうだろうがそれはそれ程重要ではなかった。

 私は彼に再度説明する。「私はこの街に観光に来ていてただ教会脇の坂を上っていたのに上から子供に土をぶつけられ、彼らは謝る事もなく逃げ出していったので憤慨している。実際にぶつけたのは一人かもしれないが誰がやったかなんて後ろからやられているから見えるわけが無い、ただこの子供は逃げ出した彼等5人の内の一人であることは確かだ。彼を警察に突き出して残りのメンバーも全部上げ、こういった事を、それも外国人に対して2度としないようにさせなければならない。」 と、いうのがその内容だ。

 私がその若い男と話しているとさらに付近にいたおばさん2人が寄ってきて、その男から内容を確認すると「じゃぁ警察を呼んでくるね」といってその場から離れていった。

 私はおもむろに時計をみる。いつの間にかあれから15分ぐらいたってしまっている。駅までここから15分、そして残り時間は25分。これで列車に乗り遅れたら最悪だ・・・

 警察はすぐに我々の所に到着。後ろの座席に子供が1人、さっき逃げた5人の内の1人だ。仲間の身を心配したのか、一緒についてきたのだろう。
私が手を掴んでいた子供が警察をみると泣き出しながら大声でドイツ語で彼らに訴えている。残念ながら警察達は英語が話せなかった。私は英語を話せる男にその子供が何を言っているかを通訳してもらい、そしてこちらの事情を警官達に話して貰うようにお願いした。

 警官も事情を飲み込んだらしく、私の方に申し訳なさそうな顔をしている。

 私は先程から通訳してくれている若い男に警官達にこう伝えてくれるようにお願いした。
「子供だからこそ若いうちにこういった行為がどのような結果をもたらすかを学ぶ必要がある。だが彼らがそれを理解した上できちんと私に対して謝罪をしてくればそれ以上は必要ない」
と・・・

 彼はそれを警察に告げると、今は2人になった子供は私の所にやってきてドイツ語で「エントシュルディグン(すいません)」と言ってきた。

 「ふぅぅ・・・」

 彼等の差し出した手を握って笑顔を見せる。彼らは5人の内の2人、後3人いるが流石にそれまで呼び出して決着をつかようとすると私は列車に乗り遅れてしまう。もう頃合というやつだろう。
 最後に私は警官に「残りの3人にもよく言い聞かせてくれ」とお願いし、そして無関係なのに私の通訳をしてくれた若い男に「ありがとう」とお礼をいって広場を後にした・・・

 
 時計を見ると発車時刻まで後10分・・・

 私は出来る限りの早足で駅に向かい、そして残り3分を切った所で走り出す。
 列車には出発1分前に乗り込み滑り込みセーフ・・・


 子供を追いかけるのに走らなかった私だが、ここで走ってしまったので息は絶え絶えだ、しかし大好きなドイツでこんな目に遭わなければならないなんて・・・





 ハレで出会った突然のアクシデント、結局私の計画に何一つ狂いを生じさせはしなかったが・・・






 列車の中でこの一件を思い返して、私はこんな感慨に浸っていた・・・





 「今日一日の心の天気、“ハレのち曇り”であった」




 と・・・
 




 ハレで見たビル、壁に描かれた絵がキレイだった。


 




気になる街(ドレスデン:ドイツ)

2009-03-10 07:37:13 | オペレーション・イリーガル
 ドイツ


2009.03.10(火)

 チェコでの不法就労は順当に進み、そして次の仕事に入るまで一週間ぐらいの休みが出来たので、かねてより気になっていたドイツのドレスデンへ訪れる事にした。

 この街はかつて「百塔の都」と呼ばれ、エルベ川の水路を利用して商業都市として発展してきた街であり、16世紀にはザクセン王国の首都として栄えていた。
 ただ、残念な事に第2次世界大戦の空襲で一夜にして破壊されてしまい、また戦後は東ドイツの一都市となっていたので再興は中々立ち行かなかったのだが、それが東西ドイツ統一後に着々と再建され、未だ完全復興とまでは行かないまでもドレスデンのあるエルベ川沿いは、中部ヨーロッパにおける優れた文化的景観を形成しており、世界遺産にも登録されている。

 写真で見たその風景や建築物は私を惹きつけるものがあり、プラハからも簡単に行けるのでこの休みの最中に是非訪問しようと考えていたのだ

 訪れたドレスデン、その建物や景観は私を満足させる物であった。

 到着したドレスデン駅前の通り。近代的


 市庁舎にアルベルティーヌム
 

 フラウエン(聖母)教会の昼と夜
 

 そしてそこのドームの上から見たエルベ川河畔


 有名なゼンパーオペラ(ザクセン州立歌劇場) 
 

 かつてのザクセン王国の栄華を伝えるツヴィンガー宮殿
 

 ドレスデン城の外壁に描かれている「君主の行列」、長さ101mもある。
 

 モスクっぽい建物、屋上にレストランがあるという看板が出てた・・・


 カトリック旧宮廷教会とその周り。
 

 そしてカトリック旧宮廷教会とドレスデン城
 

 エルベ河畔からみたドレスデンの中心部
 

 そしてそのパノラマ(合成)






 通常、景観や景色という物は、良かれ悪しかれ想像とは変わった一面を見せてくれるものだが・・・




 ドレスデン、ここは私の想像を大きく外れる事はなく、期待していた通りの良さを見せてくれた。




 ただ、それでこの「気になっていた街」が終わった訳では無かった。



 通りに立っていた“たった一枚の看板”





 これはドレスデンを十分堪能したと思っていた私に新たな“謎”を投げかけてきたのだ・・・












 その問題の看板









 「・・・」









 「・・・・・・・」









 ドレスデン・・・



 一度訪れた私にまた新たな謎を差し出し、そして気にさせた街・・・




 また何時かここを訪れるだろう。




 今度は「世界遺産となっているエルベ渓谷」を見るわけではない。





 この看板にもなっている「不思議な洗車」を体験するためだけに・・・




美しき街、プラハ2(プラハ:チェコ)

2009-03-09 07:32:12 | オペレーション・イリーガル
 チェコ


2009.03.09(月)


 プラハでの不法就労も順調に続き9日目を迎えている。

 前回だけではプラハの美しさを十分に伝えたとは言い切れないので、引き続きまた写真でもってその美しさを御覧にいれようではないか・・・

 王宮の入口。毎時衛兵の交代式が行われている。


 王宮内の教会とその入口の一つ
 

 
   

  

 

 ストラホフ修道院(ベトシーン公園展望台からの全景)


 その中にある図書館。装飾が綺麗。
 

 ベトシーン公園の展望台とそこからの景色。
 

 パノラマ3連発!








 旧市街の中心広場の天文時計(写真は夜)からの眺め(写真は昼)
 

 


 旧鉄道駅にその中
 


 国立博物館とそこから見たヴァーツラフ通り。
 




 プラハの夕暮れ時



 国民劇場にダンシングビルの夜景。
 


 橋から眺めた王宮(パノラマ)






 これで大分プラハの美しさをお見せしたことかとは思うが・・・





 これだけで終わるようなら私はプロフェッショナル失格である。




 プラハのその本領は街並みだけではない、街の随所に現れる彫像群がその街の美しさに大きく彩りを添えているのだ。


 100聞は一見にしかず。


 この私がプロフェッショナル・アイを用いて厳選に厳選を重ねた「ベスト・オブ・プラハ」とも言うべき彫像群を今からご堪能遊ばせて貰おう・・・



 先ず空中浮遊の彫像達
 



 そして胸にぽっかり穴の開いた首なし彫像。







 さらにとどめにカレル橋付近にあった小便大人。
 


ちなみにこれは腰が回転し、一物が上下しながら小便するというブリュッセル(ベルギー)の小便小僧を遥かに超越した複雑な動きを見せる。凄い!!




 「・・・」






 「・・・・・・」







 ここでプロフェッショナルとして一言こう述べさせていただこう。




 「これらの彫像群はプラハの美しさに何の貢献もしていなかった。」




 と・・・




美しき街、プラハ(プラハ:チェコ)

2009-03-05 07:31:08 | オペレーション・イリーガル
 チェコ


2009.03.05(木)


 プラハに滞在して5日目、不法就労は順調だ。

 私のやっているバイトは外に出て調査するのが仕事なので、街歩き好きな私にはたまらなく楽しい。

 特に今回は東欧一美しいと言われる首都であるプラハだ。
 (注:東欧の首都では個人的にはハンガリーのブタペストも甲乙つけがたい、そして小さな街まで含めるとクロアチアのドブロブニクが一番好み)



 かつては“世界一美しいツーリスト”と呼ばれたこのプロフェッショナルだ。自ずから仕事にも力が入る。



 以前見覚えのあった繊細さや華麗さはそのままに、プラハの街は優しく私を包み込む・・・


 ブログ「謎の日常」時代は訳有って写真の公表を控えていたが、今回は仕事の合間を縫って撮影したプラハの街並の一部を公開してみようではないか・・・


 観光の中心、旧市街広場の昼と夜
 

 旧市庁舎にある天文時計、15世紀に作られている。
 

 上下のアップ
 

 ちなみにこの時計台は毎時仕掛け時計が動き出す。

 広場の東側には尖塔の形状が印象的なティーン教会
 

 旧市街広場の近くにあるHard Rock Cafe入りの建物、壁の絵が綺麗


 火薬塔と市民会館の昼と夜



 



 プラハ市内の南側にある要塞の中の教会

 
 扉がちょっと変わっていてキレイ。
 

  

 要塞の上からの景色、そして道川沿いの道路のトンネルに当時の名残が。
 

 建物のひさしの部分にも装飾がされている。学校(多分小学校)も何かいい感じの色合い
 

 時折建物の角や正面に彫像が、地震の多い日本では見ない感じ。
 


 中心部からやや離れた橋から中心街を望む(パノラマ合成写真)


 奇抜なデザインをしたダンシングビル、そして尖塔の形が独特な南にあった教会
 

対岸からみたカレル橋と王宮
 

 そして夜のカレル橋。
 

 カレル橋から眺めた王宮に国立劇場
 

 王宮の中にある聖ヴィード大聖堂
 



 夜はただで入れる黄金小路
 







 仕事の合間を縫ってなのでプラハの見所を全て載せれた訳ではないが、その美しさの一端は十分に伝わる事だろう。







 そして中でもベストと思える次の写真を公表してこの記事の締めとすることとしよう















 「・・・」






 「・・・・・・」










 「あっ!間違えた・・・、こっちだ・・・」

















 「テヘッ・・・」







 「・・・」








 「・・・・・・」







 「コッ、コホン・・・」







 最後の一枚がプラハのベストショットである事は疑う余地の無い事実であろう・・・






 但し、男性諸子に限ってだが・・・