謎の日常

 「観光」に”感動”などといった余計な”感情”は必要ない・・・
 ただ”事を終わらす”とだけ考えれば良い・・・

地獄のデス・ロード(ラ・パス:ボリビア)

2008-04-30 01:52:00 | 3rdミッション 南米


 ここにある一枚の写真・・・



 ここにはこう記されている
 
 「I went down the most dangerous road in the world ... and I survived (私は世界で最も危険な道を下り、そして生き残った)」

 と・・・


 そう、あの時、確かに私は「最も死に近い場所」にいたのだった・・・



2008.04.27(日)

 この日、コパカバーナよりボリビア一の大都市ラ・パスに到着した。

 ボリビアの憲法上の首都はスクレになるが、実質的な首都はここラ・パスであり、また高度3650mの場所に建てられたこの街は世界最高所にある首都機能を持つ都市となる為、"首都狙撃手"たる私にとっても訪れなければならない場所であると言えよう。

 ラ・パスは盆地の中に造られた都市であり、その斜面の傾斜の隅々まで埋め尽くすように建物が建て尽くされている姿は圧巻である。

 ミラドール・キリキリから見たラ・パスの全景と夜景
 


 




 だが、私がここに来たのはただこの"実質上の首都ラ・パス"を見に来ただけではないのだ!!



 ここには・・・


 また別に挑戦しなければいけないものがあったのだ!!



 通称「デス・ロード」


 ここには世界一危険といわれる道があるのだ!!


 ラ・パスから近郊の町コロイコに向かうこの道路は年間平均200名が交通事故(主には転落)で亡くなるという恐るべき道なのだ!!


 中でも約300M続く恐怖の絶壁という場所がこのルートのハイライトと言えよう・・・



 商魂逞しく、ラ・パスにある多数の旅行代理店がこの「デス・ロード」をマウンテンバイクで下るツアーを扱っており、素人でも気軽にこの"死の道"を自転車で下ることが出来るらしい・・・


 私の宿泊しているホテルには既にこのデスロードを走ってきたツーリストもいて、彼らの話を聞くと断崖絶壁を自転車で駆け抜けるスリリングな体験が出来るということだ。

 ツアーは朝食、昼食込み、4670mから1120mまで下る為、暑くなるので最後ゴールした後はホテルでシャワー、ビュッフェランチ、そしてプールまで楽しめるということだ・・・


 ここは「プロフェッショナル」として、見過ごす訳には行かない、「人の死を弄ぶ死の商人共」に一矢報いてやるのが正解だろう・・・




2008.04.28(月)

 午前中はラ・パスの市内観光バスに乗り手抜きで市内観光をする。

 午後になり、サガルナガ通りにある、他の旅行者に聞いた代理店に向かう。

 代理店の人によると明日はまだ申し込みがいないらしく、明後日なら既に4人申し込んでいるので確実だということだ。

 私はポケットからドル札を取り出し、彼らに手渡す・・・

 「賽は投げられた・・・」

 もう後には引けない・・・

 明後日・・・私はいよいよ"死の道"へ向かうのだ・・・ 



2008.04.30(水)

 ピックアップは朝の0645時、幸いにして昨日ホテルに来た人も同じツアー会社で申し込んだため、私の宿泊先からは私と他に日本人3人が参加することになった・・・

 以前聞いていた既に申し込んでいる4人に私、そしてこの新たに加わった3人で最低8人のグループとなる。

 今日中止になるわけはないだろう・・・




 車で彼らのオフィスに行き軽い朝食を摂る、我々以外にスイス人が一人。

 朝食を摂り終え、さらにもう一人イスラエル人が加わる・・・

 これで合計6人・・・・


 んっ???

 最初私に4人既に申し込んでいると言っていたが・・・

 数勘定が合わない気が・・・

 ってことは・・・いい加減なことを言っていたのか??


 まあいい。ここはボリビアだ・・・

 今日「デス・ロード」が下れれば何でもいいだろう・・・




 ツアー会社のミニバスはラ・パスを出発して最初の地点であるクンブレへ向かう。

 ミニバスの上にマウンテンバイクを満載している



 ここは標高4670m。ここをスタートして21km、アスファルトの道路を走り標高3600mウンドゥアビまで、ここでもう一度ミニバスにのり標高2600mのコタパタへいき、再度マウンテンバイクで34kmのダートを走り標高1120mのヨロサまで向かう・・・


 これが今日のコースだ。

 標高が高いだけあって周りは雲で覆われているが、これも下るにつれ解消され、熱帯の雰囲気に近づくのだろう・・・

 私はバイクに跨る時に一つ誓いを立てた・・・

 「今日のレース、誰にも俺の背中を見せさせない」


 と・・・


 スタート地点付近、雲に包まれている・・・




 安全の為のサイクリング用のヘルメットを被り、つなぎを着て、グローブを付け、マウンテンバイクは我々6人と、ガイドの2人を乗せて坂を下り始める・・・





 そして・・・





 異常無く"最後尾を走る私"がいた・・・





 「だって、怖いんだもん・・・・」





 しかし、背中を見せさせないと豪語はしたが、先頭と最後尾には安全の為にガイドがついている為に常に背中は見せっぱなしだ・・・


 まあいい、彼らはレースの相手ではない・・・

 あくまでも相手は他のツーリスト共だ・・・




 途中から雨が降り始め、全身を濡らしていく・・・

 視界がどんどん見えなくなっていく・・・


 道路の脇は転落したら死が待ち受ける。


 しかし何も見えないので不思議と恐怖心は湧かない・・・


 だが・・・雨止まず・・・そして富士山頂以上の高度・・・


 体温は徐々に下がり始めグローブをつけていても指先が凍え始める・・・




 「ちゃっちゃむい・・・」


 
 
 ウンドゥアビに到着、大体一時間ぐらいだ・・・


 アスファルトの上はこれで御仕舞い。前座が終わったという感じだ。

 標高はまだ3600mぐらい、降り始めた雨は未だやまず・・・


 まだひたすらに寒い・・・




 ウンドゥアビ付近





 ミニバスに乗り次の地点のコタパタへ、標高は2600m。心なしか上よりは温かいがそれでも振り続ける雨にずぶぬれになったつなぎは乾く暇も無く、水分が体温を奪っていく・・・



 「ひゃっひゃむい・・・」




 マウンテンバイクは私を乗せ、今度はダートを下り始める。



 視界は相変わらず何も見えないまま・・・


 聞いた話では断崖絶壁の横を走るので少し下を覗けば切り立った崖が垂直に落ち込み、凄まじい怖さを発揮するという事だが・・・

 見えなけば恐怖も何もあったもんじゃない・・・


 途中、下を覗いた景色。これでは良くわからん・・・ 



 マウンテンバイクは"恐怖の絶壁"で一度停車して休憩。

 良く広告では晴れ渡った空にこの恐怖の絶壁に立つ人々を写しているのだが・・・


 多分これが恐怖の絶壁。説明された訳ではないがこれぐらいしか思い当たらない・・・







 この後さらに一時間ぐらい・・・


 道中の景色




 合計2時間のダートを・・・


 雨の中・・・


 服が全部びちょびちょに濡れながら・・・



 「あひょぅ~・・・ちょってもおきゃむいのでしゅぅ~・・・」




 何とかゴールのヨロサに到着・・・


 

 ゴールのヨロサにて、




 私は世界で最も危険な道路、この「デス・ロード」を走り終えたのだ・・・




 これは走行後昼食を摂ったコロイコ付近から見たデスロードの眺め。
 




 コロイコでの束の間の休息。

  
 シャワーはぬるかったが、ランチはまあまあいけている。

 だが、雨の為プールは論外だ・・・


 結局走り始めてから雨は一度も止まず・・・


 私はこの道「デス・ロード」をこう振り返る・・・



 終始一貫雨の為何も見えず、殆ど恐怖心を感じることはなかったが・・・

 雨に打たれて全身が冷えきった為、ただひたすらに"寒くて死にそう"だった・・・


 と・・・

幻想の都(マチュピチュ・ペルー)

2008-04-19 02:36:12 | 3rdミッション 南米
2008.04.19


 ナスカからクスコに到着したのは15日のことだ。



 クスコは昔のインカ帝国の首都であり、それを征服したスペイン人がインカ帝国が築いた都市を土台を残して破壊し、その上にスペイン風の街を築いたという、なんとも文化の破壊大好きな無法者の造った都市ではあるが、その歴史から言って世界遺産にも登録され、街の見所も多い・・・


サンクリストバル教会から眺めたクスコの全景


ラ・コンパーニャ教会から見たアルマス広場
 


インカの石組みの上に建てられたサント・ドミンゴ教会


サンクリストバルの丘から見たクスコの夜景





 しかし・・・


 私がここに来たのはただこの街を見に来ただけではない・・・




 ここは高度2400mにあるインカの都市、あの有名な"失われた都・空中都市マチュピチュ"に行く拠点になるのだ・・・




 18日、クスコを出発してマチュピチュへ向かう・・・

 クスコからオリャンタイタンボまではバスの乗り継ぎだ。

 そしてオリャンタイタンボからマチュピチュの麓の村アグアス・カリエンテスへは鉄道に乗り換える・・・

乗ったビスタドーム、天井からも景色が見えるようになっている。
 




 アグアス・カリエンテスへ向かう道中、私には一つの考えがあった・・・



 アグアス・カリエンテスに向かう鉄道の中で・・・





 数多くの他の旅行者から聞いた話では、朝一番のバスに乗り、マチュピチュ遺跡へ入り、まず遺跡の横にあるワイナピチュ山へ登る。



 そうすれば朝靄に包まれた"失われた都市"が時間の経過とともにその全貌を現し、なんともいえぬ幻想的な風景を醸し出す姿が見れるということだ・・・



 正直言って遺跡を見るだけなら例えマチュピチュといえどもこのマシーンと呼ばれる男には半日もあれば十分だが・・・
 
 旅行界きっての"ロマンティスト"を自他共に認める私にとってこの「幻想的な風景」は見ない訳にはいかないだろう・・・


 それに入場料は学割を使っても61ソーレス(約2400円、ちなみに通常の外国人料金は122ソーレス[約5000円]と殺人的な高さを誇る)もする上にたった1回のエントリーだ・・・


 朝早く起きるという少々の無理をしてでもベストを狙うのは当然の成り行きだろう・・・




 そして19日、0530時のバスに乗るというここ最近に無い早い出足で、マチュピチュ遺跡には0600、ちょうど開く時間に到着する。




 ワイナピチュに登る前にちょっと景気付けとばかりに見晴らしの良い所にたつ見張り台へいく。

 そして靄に包まれた朝一番のマチュピチュを・・・




 ちなみに奥の右側がワイナピチュ山






 「・・・」






 「・・・・・・」







 「最初からモロ出しかよっ!!」






 まあいい、このあとワイナピチュ山に登るのには1時間半から2時間ぐらいはかかる。山の天気は変わりやすい・・・



 早速遺跡の全貌を見てしまったのは「美味しい物を後に残して食べる事が好きな私」にはちょっと楽しみが減ってしまったのかもしれないが、それでも「霧や靄に包まれた幻想的なマチュピチュ」を上から見下ろすチャンスが減ったわけではない・・・




 マチュピチュの遺跡を通り抜け、ワイナピチュへ登る。



 遺跡との標高差は約250mだが急峻な道を登るために想像以上に時間が掛かる・・・


 そして2時間後・・・



 山頂に到着して見たマチュピチュは・・・








 「・・・」






 「・・・・・・・」






 「おおっ!なんて綺麗な・・・」



 って・・・




 「またしてもモロ出しかよっ!!」





 しかし・・・



 ここ最近行った人の情報に拠ると一日中晴れている訳ではないらしい・・・





 ここは待ちの一手だろう・・・





 そして






 2時間経過・・・










 3時間経過・・・







 「・・・」







 「・・・・・・」







 「快晴・・・」



 



 天気は変わらず・・・





 これ以上ここで持久戦をすると肝心のマチュピチュ遺跡を見る時間も無くなってしまう・・・





 私は諦めて下山する・・・





 想像以上の時間を頂上で変わらない景色を見続けるのに費やした為、遺跡に戻ったのは1500時・・・




 それから駆け足で遺跡を閉まる時間の1700時まで見てなんとか終えることが出来たが・・・
 



 1700時直前に見晴台から見たマチュピチュ・・・






 結局の所、一番見たかった靄に包まれたマチュピチュは見ることが出来なかった・・・





 マチュピチュ観光を終えた今、私には一つ悟ったことがある・・・







 朝靄に包まれた幻想的なマチュピチュを見るという事・・・







 それこそが私の"幻想"だったに違いないと・・・!!

ナスカ上空の戦い(ナスカ・ペルー)

2008-04-14 09:17:51 | 3rdミッション 南米
2008.04.14(月)


 ナスカに到着したのは13日の夕方。

 ここでやることは有名な地上絵をセスナに乗って上空から見る事だ。

 そして14日の朝、0930時にホテルを出て空港に向かう。
 市内でツアーを取るより、直接空港に行って取った方が安くつくと聞いているからだ。

 それにもう一つ注意しなければいけない事がある。

 9日に遊覧飛行をしたセスナ機が墜落してフランス人観光客が5名死亡するという事件が起こっていたのだ。

 その会社はアエロ・イカと有名な会社だったがそれでも墜落事故が起きているのである・・・


 一応「歩き方」に乗っている会社は他に最大手のアエロ・コンドル、そしてアエロ・パラカスというのがあるが・・・

 とりあえず、イカは避ける。最大手のコンドルが第一希望だが料金が高いのならパラカス。それ以外の弱小会社は整備に不安を抱えてしまうので・・・


 それに市内の代理店で頼むと航空会社を選べないとも聞いている。


 空港に行ってこの2社をあたるのが最善の策だろう・・・





 なによりも私はチキン(臆病)である。

 フライトせずに地上絵が見れるなら迷わずフライトなんかしないのだが、これ以外に手段はない。

 そうなれば「セキュリティー・ファースト(安全第一)」にするしかない・・・




 タクシーは10分もかからずに空港に到着、ターミナルがあると思っていたが道路沿いに航空会社が並びその向こうに滑走路があるだけでとくにまとまったターミナルは無かった。

 タクシーは「アエロ・パラカス」前につけ「ここがいいぞ」と言ってくる。

 なんてことはない、ただこのドライバーとこのオフィスで連帯しているだけなのだ・・・

 ただ、とりあえず探りを入れるという意味で値段を聞いてみる。

 ナスカのみで35分のフライト、料金は55ドル・・・

 ガイドブックにあるオフシーズン料金は35ドルと書いてある。

 ちょっと高めの設定だ・・・


 それに私が先日リマであったバックパッカーが「エアロ・コンドル」で40ドルでナスカのみのフライトが出来たと聞いている。
 彼女は最初50か55ドルと言われたが、じゃあ他をあたるといったら値段がすぐにさがったそうだ。



 私もこれはと思い、取り敢えずそこを出るとガイドが話しかけてくる。

 「日本人?安いフライトあるよ!!」

 片言だが十分に通じる・・・


 ただ、こういった観光地で日本語を片言で操る人間は要注意というのが鉄則だ。

 私は警戒しながらも話を聞くことにする・・・



 そしてつれていかれたのは・・・


 「アエロ・パラカス・・・??」



 あれっ?さっきいたのはどこ??


 もう一度良く看板を見てみると・・・





 「AERO PALCAZU(アエロ・パルカス)・・・」


 ガイドブックにある本物の・・・さっきいた場所の航空会社は・・・


 「AERO PARACAS(アエロ・パラカス)・・・」


 の筈だが・・・


 という事は・・・




 「お前ら、名前からしてパクッているじゃねぇ~!!」




 「うっ胡散臭ぇ~・・・!!」



 とはいいつつ話を聞くと6人乗りのセスナで後一人だけ乗客を探しているとのことだ、そしてナスカだけでなく、もう一つのパルパ(ナスカの北の町にまた別の地上絵がある)も含めて55分のフライトで40ドルでいいと破格だ!(ガイドブックには85ドルとかいてあったが)


 しかし・・・



 墜落事故のこともあるし・・・




 ここは最大手のアエロコンドルを・・・



 
 ガイドは一応は引き止めたもののそれほどしつこくは無い。

 私はアエロコンドルのオフィスへ向かう。

 そして、ナスカのみのフライトの料金を確認すると・・・55ドル・・・




 でも、ここでさっと引き上げれば・・・



 受付が慌てて私に声を掛けて・・・





 来ない・・・





 リマであった旅行者はこの手段で首尾よく値下げした筈なのだが・・・




 オフィスを出てまた戻る、戻りながら他の航空会社をと思っているとエアロ・パルカスの客引きがバイクに乗って迎えに来る・・・





 40ドルだし・・・




 それもパルパ込みだし・・・



 
 それにアエロコンドルは値下げしてくれないし・・・(涙)





 もうどうでもいい。



 「ここに決めた!!」



 そもそも事故なんてめったに起きる物でもない。多分大丈夫だろう・・・



 例え名前をパクッた会社でも・・・



 私は料金を支払い、しばし待機する・・・



 そして1030時、フライト前にルート等の説明が・・・

 なぜかナビゲーターが片言の日本語で・・・!!



 「うーん、中々に侮れん・・・!!」





 乗ったセスナ


 コクピット・ちなみにパイロット(左)にナビゲーター(右)がついていた
 



 セスナは順調に高度を上げる

 上空から見たナスカ市とナスカ上空にて
 



 そしてナスカの地上絵、それにパルパの地上絵を、きちんと急旋回を繰り返しながら左右両側の座席から漏れなく見れるようにしながら・・・


 ナスカの地上絵(一部)
 


 パルパの地上絵(一部)
 
 



 上空高い所なので想像していた程大きくは見えなかったことと、それに速度もあるので私のカメラではなかなかシャッターチャンスが上手くいかず、また大きく撮れなかったこともあるけれど・・・



 それに急旋回をしょっちゅう繰り返し、機体は最大80度ぐらいまで傾けていたので微妙に気持ちが悪くなったこともあるが・・・



 言っていた内容と実際のフライト・・・


 特に誤魔化しも無く、十分に満足のいく内容であった・・・





 そして着陸後にはきれいな写真付の「ナスカ上空飛行証明証」までつけてくれて・・・





 
 40ドルでナスカとパルパが見れたのはたまたまの幸運でしかないが・・・






 それでも私はこう言いたい・・・





 「AERO PALCAZU」




 この会社。




 ただの「偽物」では無かったと・・・


沖縄ハートブレイク

2008-04-12 10:57:57 | 3rdミッション 南米
2008.04.12


 私はリマに到着すると逃げるようにして沖縄に向かった・・・

 口では平静を装い、たいしたことなんてないと言いながらも・・・


 200ソーレス(約8000円)の偽札を掴まされたこと・・・

 これは私の中で最大の被害額なのである・・・

 心が傷付かない訳がない・・・


 傷心の今、私を慰めることが出来るのでは暖かい南の風ぐらいであろう・・・








 沖縄に行くのにいくらかかるかなんかは問題じゃなかった。

 
 短い間でかまわない。


 私には・・・


 どうしても、落ち着ける場所で休息することが必要だったのだ・・・








 久しぶりに聞く日本語は心地良い。

 そして標高の高い山地にいままでいたので、直ぐに海が見える場所に出れるというこの環境。





 沖縄は私をやさしく包み込む・・・





 街の風景の落ち着いたただ住まいも・・・私に癒しを運んでくれる・・・


 
 


 丘からの見晴らしも・・・私の心の傷口を少しずつ癒してくれる・・・
 
 





 僅か4日間の滞在だったので・・・


 完全に回復としたとは言えないが・・・



 それでも沖縄での滞在は・・・




 私に次に進む勇気を取り戻させてくれた・・・












 有難う。




 「アルベルゲ・沖縄(宿沖縄)よ!!」




 これがリマの日本人宿の一つ、「沖縄」。セントロにあるので観光には便利!!
 

予告「第21話 確率 1/130」

2008-04-09 10:30:06 | 3rdミッション 南米
「激闘の記録」に新作

「第21話 確率 1/130(舞台国:エクアドル→ペルー)」


 をアップ。




あらすじ

 エクアドル南部の中都市クエンカから一気にリマ(ペルーの首都)を目指すデューク東城。

 しかし、公共機関は乗継となり、両国境で与えられた時間は僅かに一時間・・・

 無事にボーダーをクリアーし、リマ行のダイレクトバスに乗る事が出来るのか??



 どうする!ゴルコサーティーワン!!



 と、なります。

夜の情景(クエンカ・エクアドル)

2008-04-07 08:27:56 | 3rdミッション 南米
2008.04.07(月)

 現在地はエクアドルのクエンカ。

 この街はその歴史地区が世界遺産に指定されている。

 同じ世界遺産の街キトに比べればここはまあ安全と言えるレベルなので久しぶりに夜、街並を見に散策することにした。

 私は街の夜景、特に建物のライトアップを見るのが好きである。

 クエンカは世界遺産であるだけあって、建物の照明はしっとりとした落ち着きがあって、歩いていて楽しい・・・


 
 
 
 




 そしてこのクエンカ・・・


 中でも最も私に感銘を与え、そして流石ここは世界遺産に指定されるだけあると思わせたライトアップは・・・





























 これだった・・・










 夜だったので閉まっていたが・・・



 開いていたら例え幾ら高い値段だったとしても・・・



 私はここで食べていただろう・・・・




 この



 『ナイス・クリーム』



 を・・・

アン鉄に乗って②(アラウシ・エクアドル)

2008-04-06 08:16:45 | 3rdミッション 南米
2008.04.06(日)


 4月5日(土)、アン鉄に乗った後無事にリオバンバまで到着。日曜日の列車のチケットを手にする。

 アン鉄第2弾は「リオバンバ-ナリス・デル・ディアブロ(悪魔の鼻)」間だ。

 だが早速問題が・・・

 リオバンバからナリス・デル・ディアブロに行く途中駅のアラウシまでの間に何か問題があるらしく、結局アラウシまではバス。そしてアラウシ⇔ナリス・デル・ディアブロ間の往復のみ列車になるということだ・・・

 キトからといいリオバンバからといい・・・


 エクアドル鉄道の旅、なかなかに侮れない・・・


 4月6日

 朝0600時、出発はまたしてもバス・・・


 そして2時間ぐらいたってアラウシ駅へ到着・・・


 ちなみに標高は2347m、さすが高山鉄道の出発点・・・





 チケットは往復で7.8ドル・・・


 今度乗る鉄道は・・・

 






 「・・・」







 「・・・・・・」







 『コトパクシ行きよりは大分ましだが・・・まあこんなものだろう・・・』





 今度は往復路線と言うこともあり、行き、帰りで車内と屋上に別れることに・・・

 そして道中の景色は・・・

 

 




 そして最大のハイライト・・・


 「ナリス・デル・ディアブロ(悪魔の鼻)」





 「・・・・」





 「・・・・・・・・」




 『・・・・まあこんなもんじゃ・・・』




 列車はここで折り返し、


 私は行きは車内だったので帰りは屋上へ・・・

 屋上から




 特に屋上に乗ったからといって・・・


 ハイライトがあの程度ではその後盛り上がるわけもなく・・・



 列車はアラウシへ到着・・・



 私はこう思う・・・



 土日にターゲットを絞り無事2つのアン鉄を制したものの・・・



 『別に乗らなくても良かったのではないか?』


 と・・・

アン鉄に乗って①(コトパクシ・エクアドル)

2008-04-05 09:00:56 | 3rdミッション 南米
2008.04.05(土)


 私がキトから帰途につこうとして手に入れた一枚の片道チケット・・・

 このチケットはコトパクシ行き鉄道のチケットだ。

 そう、ここから日本帰国へのグレートジャーニーが始まるのだ!!



 本当は金曜日の晩に夜行バスでクエンカに行こうと思っていたが、某ガイドブックによると、エクアドルの鉄道は世界で唯一公式に屋根の上に乗る事を許可された鉄道ということだ。

 かつてモーリタニアという国で、鉄鉱石が満載の貨物車の上にタダで乗って黒人以上に真っ黒になった経験を持つ私だが、屋根の上はまだ未経験だ。

 それにキト発は土、日の週2日のみ・・・

 このタイミング・・・

 逃す訳にはいかなかった・・・






 えっ??

 タイトルの"アン鉄"って何かって??


 そんなの「アンデス高山鉄道」、略して「アン鉄」に決まっているだろう!!

 誰も言ってないって??

 前にもチベ鉄で言ったが・・・

 このホームページに限り"私こそがルールブックだ!!"

 私が「アン鉄」と言えば誰か他の者が言わなくても"アン鉄"なのだ!!




 

 ・・・





 ・・・・・



 ハッ!!



 私としたことがちょっと平静さを欠いたようだが・・・


 話を元に戻して続けよう・・・








 計画はこうだ。

 キトからコトパクシまで鉄道で行き、その後はバスを乗り継いでリオバンバまで今日は行く。

 そしてリオバンバでは水、金、日にアラウシ方面に高山鉄道(これも屋根に乗れる)が出ているので、日曜日のチケットを土曜日に到着して購入し、日曜はリオバンバからこの高山鉄道に乗り、アラウシで宿泊。もしくはアラウシからバスに乗り一気にクエンカまで・・・


 移動経路に無理なく高山鉄道、それも2回も乗れるという私ならではの完璧な計算だ。





 土曜日

 朝ホテルをチェックアウトしてトロリーバスで駅へ向かう・・・

 0800時発の列車に十分余裕をもって間に合うようにと0700時と早めに駅へ着いたら・・・


 キトのチンバカジェ駅


 駅は・・・工事中・・・


 すこしあせって中の人に聞いたらとにかく8時まで待てと・・・


 どうみても鉄道が入ってこれないようになっているのに・・・


 そうこうするうちにどんどん人もたまって来た




 どうなっているのか?


 そして0800時を少しまわったところで・・・



 来たのは・・・



 どう見てもバス・・・




 どうやらチンバカジェ駅ではなく他の場所まで移動して鉄道に乗るらしいが・・・



 すぐ近くに移動して鉄道に乗るものと思いきや、バスはそこから1時間ぐらい走り・・・




 バスからの景色も決して悪くないが・・・




 ようやく、駅に到着・・・


 しかし、ツーリストインフォや某ガイドブックではキトから乗ることになっていたのに・・・



 まあでも気持ちを持ち直して鉄道に・・・



 「おおっ!」






 いかにもツーリスト向けの風貌・・・

 ガイドブックにあったように上には斜め外向きに座席が付き・・・


 「こっこれだ!!」


 「これこそが私の求めていた高山鉄道・・・・」



 「これが片道たった2.3㌦で・・・」


 その時、誰かの声が・・・


 『オートロ・トレン(違う列車よ)』

 と・・・


 そして指差す方向には・・・





 「・・・」




 「・・・・・・」





 「まあ片道2.3㌦ではこんな物だろう・・・」



 しかし、上にはどう見ても座席ではなく荷台がついていて人が無理矢理乗っているだけである・・・


 勿論この私も荷台とは言え屋根に乗りたかったのだが・・・


 この列車に乗る人はキトからコトパクシの往復でチケットを買い、列車そのものを楽しむ人が殆どで・・・

 私のように次の目的地に抜けるために利用するような客はおらず・・・

 大きな荷物を持っているのは私たった一人で・・・

 最後に列車に乗ったため、上はすでに満員で・・・


 世界で唯一、屋根に乗れる列車で・・・


 普通に車内の座席決定・・・!!!(涙)


 普通に車内から見る景色も決して悪くはないのだが・・・


 線路の上を馬が走っていた




 これでは何の為に・・・



 1時間ぐらいたったのだろうか?

 1000時、列車が途中駅に停車する・・・


 タイミングは今しかない、

 私は列車の係に涙目でお願いする!


 「今日、コトパクシで降りたらそのままリオバンバへ向かうんです。お願い、上に・・・上に乗せて~・・・!!」


 私の悲痛な叫びは聞き届けられた!!


 係から「じゃあ上にあがっていいよ」と言われ・・・


 そして上からの景色は・・・

 


 風も心地よく、私は爽やかな気分に浸り・・・


 太陽の周りに円状に虹が出ていた・・・





 そして私の横にいた「エクアドル人女子大生きゃぴきゃぴ」が私に興味を持ったらしく色々と話しかけてくれて・・・また飲み物もご馳走になり・・・


 上にのる人々、そして女子大生達
 



 彼女たちは歌を歌い・・・爽やかな笑顔を振りまき・・・


 そして全員で



 「デューク・デューク♪」



 のコールまで・・・






 「・・・」






 「・・・・・・」







 「ウフッ・・・!!」





 『もう景色等どうでもいい・・・・』








 列車は1030時にコトパクシに到着




 合計たった1時間半ぐらいだったが・・・




 風光明媚な高山の合間を走るその景色は確かにのどかで、それでいてその風の冷たさが心地よく私を刺激して・・・

 私は高山鉄道に十分な満足感を抱いていた・・・







 そして中でも最も大きな充足感を与えてくれたのは


 「女子大生きゃぴきゃぴ」


 だったことは改めて言うまでも無い事だろう・・・

グランド・フィナーレは突然に(キト・エクアドル)

2008-04-03 06:55:00 | 3rdミッション 南米
2008.04.03




 キトに到着して4日目・・・


 キトは400年の歴史を持ち、そして「人類の文化遺産」の渾名を持つ街である・・・


 南米の首都特有の治安の悪さはいたしかたないとして・・・


 それでも街歩きは楽しく、キトの雰囲気は私を暖かく包んでくれていた・・・


 旧市街、サンフランシスコ広場夜
 

 そしてプラザグランデに街の通り
 




 私はこの日、テレフェリコに乗ることにしていた。

 高度2500mから4100mまで一気に上がり、キトの街並を楽しむつもりだった・・・


 テレフェリコは順調に頂点を目指す・・・




 そして上がった頂上駅・・・



 そこからは積雪を抱く山が見えた・・・





 この時私に訳もなく一つの衝動が湧き上がる・・・





 「あの山まで・・・行ってみたい・・・」





 と・・・






 そして歩き始める・・・








 私は山を目指しながら・・・


 いつしか深い考えに落ち込み始めていた・・・




 山へ向かう道・・・







 (今まで・・・3年以上の歳月を・・・旅行に費やしてきた・・・)


 (数多くの国、数多くの首都、数多くの観光名所を見てきた・・・)


 (俺は一体なぜこうも旅行を続けるのだろうか・・・??)



 (誰かが言った、「旅は人生だ」と・・・)

 
 (陳腐な台詞だ。そこには真実が無い・・・)


 (私はそう思ったことなど一度も無い・・・)


 (私にとって旅はあくまでも人生の一部に過ぎない・・・)


 (そこにはあるべき筈の日常の生活が欠けている・・・)


 (それに・・・旅行よりも大事な物は他にもある・・・)



 

 1時間半は歩いただろうか?




 山は目前に近づき・・・

 
 


 残雪も目に手の届く所へ・・・






 
 (それでは「自分探し」というやつか??)




 (そんなのは馬鹿げている)



 (「自分という奴は探すものではない、日々の努力から作り上げる物だ!!」・・・)







 
 突然雪が降り始めてきた・・・
  





 思いつきで山を目指したのでさしたる装備も持ち合わせていないし頂上へ至るルートも分からないままだ・・・


 しかしながら赤道直下のエクアドルで・・・


 降雪に出会うという経験は私になんともいえない満足感を与えてくれた・・・





 (旅行に倦んだのか?それとも飽きたのか??)


 (いやっ、そうではない、倦んでも飽きてもいない)


 (それにまだ見てない国、見てない景色は一杯残っている・・・)


 (だが・・・)




 私はこの日、3本目になるタバコを揉み消し・・・

 頂上へのアタックを断念して戻ることにした・・・






 戻る道すがら・・・





 私はまだ考えを止めることは出来なかった・・・




 (この先、旅行を続けてどうするのだろうか??)


 (旅行だけで一生を終えられる訳ではないとは知っている・・・)


 (じゃあ旅行を辞めるのか??)


 (いやっ!それはない)


 (ここまでやってきたからには・・・旅行と私が切れることは最早無い話だ・・・)




 帰りも1時間半ぐらいかかったのだろうか??

 テレフェリコの頂上駅から下に拡がるキトの街並を見て・・・







 私の中で・・・


 一つの決意が生まれていた・・・




 (しかし・・・)


 (今やっているサードミッション・・・)


 (ここいらが良い潮時なのかもしれない・・・)


 (人から見たら中途半端な終わり方かもしれないが・・・)


 (誰に言われて始めた訳ではない・・・)


 (私は私の好奇心の命ずるままに・・・)


 (旅行を今までやってきたのだ・・・)


 (人から見たら意味の無いことをしているのかもしれないが・・・)


 (これだけは胸を張っていえる)


 (「俺は常に出せる全力を尽くしてきた」と・・・・)





 
 私はテレフェリコに飛び乗り・・・






 街に戻ることにした・・・












 そして立ち寄ったオフィスで・・・









 片道のチケットを手にしている自分がいた・・・














 そう、私は決めたのだ!!















 ここ“キト”から・・・













 “帰途”につくことを・・・!!














 と、いうことで・・・・



 突然のようですが、「日本帰国が決定」しました・・・




 ただしエクアドルからは直行便が無いので経由しながらの帰国します。






 尚、今後の経由の予定地は


 ペルー→ボリビア→チリ→アルゼンチン→ウルグアイ→パラグアイ→ブラジル→ギアナ3カ国(ここまでは陸路)
 →カリブ海の島々→アメリカもしくはヨーロッパ→日本(これは飛行機を利用する予定)



 となり、帰国日は今年中にはなんとか。


 となる予定です。





 「家に帰るまでが遠足」

 の格言にあるように・・・





 帰国するまで「サードミッション」は続きます・・・




 それまでもうしばらくお付き合いの程、よろしくお願いします・・・





2008年4月3日・・・・


 キトのとあるネットカフェにて・・・


 プロフェッショナル・デューク東城

復活!エレガント・ツーリスト(キト・エクアドル)

2008-04-02 05:16:15 | 3rdミッション 南米
2008.04.02

 私がエレガントである事に異論を挟む者は誰もいないだろう・・・

 まあ周知の事実というのが適当だろうか??

 しかし、そんな私にも内心忸怩たる思いがあった。

 それは、「今年の1月頭にメキシコのオアハカでキャリーバックのキャリーが壊れ 、そのまま3ヶ月近くも旅行を続けている」ということである。

 例え今の状態であっても他人から見る私のエレガントさは変わらないのかもしれないが、私の中で完璧に欠ける今の状態で旅行を続けるというのは精神的な困難さを伴っていたのだ!!

 もちろん代わりの鞄は探し続けていたのだが・・・

 中々希望に沿うものはない・・・

 私ほどのプロフェッショナルともなると「鞄ならなんでもいい」とはいかないのである!






 しかし・・・

 キトの新市街を歩いていてたまたま目に付いたキャンプ用品店で・・・


 ついに・・・ついに・・・


 見つけたのだ!!

 私の捜し求めていた一品を!!

 これがそのキャンプ用品店



 値段もそこそこ、キャスターが付いていていざと言うときには背負える・・・


 私は迷わずに購入する・・・


 これがその新品のバッグ




 これで・・・


 これで・・・


 もう本体だけで4kgもある今までのキャリーバックを背負ったり、無理に引き摺ったりする必要がない・・・


 これが壊れたキャスター部分、引き摺り過ぎてタイヤはもう半分ぐらいに削れてしまっている。
 





 プロフェッショナル・デューク東城・・・


 今声高らかに・・・


 「エレガント・復活・・・」

 を告げる・・・






 もう、怖い物など・・・


 何も無い・・・

赤道上狙撃(サン・アントニオ/エクアドル)

2008-04-01 05:42:00 | 3rdミッション 南米
2008.04.01

 キトには昨日の夜到着。

 あけて今日、私にはどうしても狙撃しなければいけないターゲットがあった。

 エクアドルとはスペイン語で赤道を意味する・・・

 その名のとおり、赤道を通る国なのである・・・

 私はプロフェッショナルとして過去に赤道をケニア、ウガンダ、ガボン等で通過しているが・・・

 いまだ赤道そのものを見たことは無い・・・

 中には「赤道ギニア」など名前に赤道とついているくせに赤道にかすりもしていない恐ろしい国もあったが・・・

 ここでは関係のない話だ・・・




 そう、ここエクアドル、赤道と言う名の国。



 これは・・・


 赤道を・・・


 見逃す訳にはいかないだろう・・・





 私の中に命令が下る

 『ファースト・ターゲット。ミタッド・デル・ムンド(赤道記念碑)!!』


 早速バスに乗り、キト郊外の北に22Kmいったサン・アントニオ村に向かう。

 ここは赤道を通る村なのだ!


 到着して足早に記念碑へと向かう
 
 これが赤道記念碑


 緯度0度の看板に地面に引かれた赤道の線
 

 記念碑上からの眺め・・・



 これで赤道狙撃終了・・・



 とは、いかないのがこのプロフェッショナル・・・


 私は知っているのだ・・・


 これだけ大掛かりな物を作っておきながら・・・


 実はここは赤道上ではないのだ!!


 ということで、実際の赤道上に作られている記念碑から500mも離れていない博物館へ行く事にした・・・


 これがその博物館の入口


 ここのガイドの話によると赤道記念碑が建てられたのは30年前、この博物館は17年前、GPSで測定したそうなので、ここが赤道直上ということらしい・・・

 ここにも緯度0度の看板


 そして赤道上で卵を立てる実験など・・・




 これにて・・・


 赤道上狙撃終了・・・










 しかし・・・



 



 赤道と言えばおなじみの「赤道小町ドキッ」によれば・・・


 「君は赤道小町、恋はあつあつ亜熱帯。ドキッドキッ、アチッアチッ!!」

 の筈なのだが・・・


 高度が2000m以上あるこの村で・・・


 しかも雨まで降ってきて・・・


 熱帯感はまるでゼロ・・・




 これでは気分は台無しだ・・・




 敢えてこう言わせていただこう・・・

 



 「赤道気分をもっと出せ!!」


 と・・・