謎の日常

 「観光」に”感動”などといった余計な”感情”は必要ない・・・
 ただ”事を終わらす”とだけ考えれば良い・・・

ビザ取得戦線異常無し?第1(ビシュケク・キルギス)

2007-07-31 17:23:46 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.07.31(火)

 現在地ビシュケク、早速今日からがビザ取得戦線の最前線に突入する・・・

 第1ターゲットはウズベキスタンビザ、ここは世界でも稀な変なシステムを取っており、先ず申請するのに申請日を電話によって予約しなければいけないというのが難点だ。

 もちろん「プロフェッショナル」としての私は抜かりは無い、金曜日にオシュについたときに、予約したホステルに電話して既に予約の電話をかけて貰っているので、今日ウズベキスタン大使館に行けば申請できるといった寸法だ!
 本当は月曜日に申請したかったのだが・・・「ウズベキスタン大使館は月曜日お休み♪」という根本的な所でアウトなのでこれは致しかたないだろう・・・

 そしてもうひとつの特徴は「パスポートを預けなくて良い」と言うことだ、どういうことかというと例えば申請して受領日が決まるとその受領日の朝にパスポートを預け、夕方に受領しに行けばいいということである。
 書類を申請してからだいたい7-10日前後受領日までに時間があるのでこの間パスポートを手元に残しておけば、他国のビザを取得しにいけるというのはメリットである。

 ここで私は今日ウズベキスタンビザを申請し、返す刀でカザフスタンビザの申請もすることにした・・・
 「1日2カ国同時申請」
 の離れ業である・・・

 私のような「プロフェッショナル」以外、誰がなしえようか・・・

 
 早速指定された1000時ぴったりに大使館前に到着、順番を待って中に入る、噂で聞いていた「ロシア語が喋れないものは通訳をつれてきて下さい」という貼り紙があったが、私には問題ない。何といっても10個近くのロシア語を既に取得しているからだ。この語学という武器の他にも「営業スマイル」という必殺技も兼ね備えている私には死角などあろう筈もない・・・


 申請書を出すとなにやら尋ねてくる・・・

 どうやら申請にマルチ又はトリプル(複数回入国または3回入国)と書いてあるのが引っかかっているらしい・・・

 早速スマイルと豊富なロシア語の出番である!!

 笑顔で
 「トリーツタ、ニエート?(3回はダメ??)、ドゥヴァ!(2回にして)」

 という・・・反応は上場だ・・・彼女(受付の人は女性)も納得顔をしている・・・


 また何か聞かれた!大学がどうのこうのらしい・・・

 チッ!しょうがない・・・

 「ウニバーシティー(もはや英語です)、アート(完全に英語です)」

 とこたえ、空間に筆に絵を描くしぐさを満面の笑みで表現する・・・ある意味これもアートであろう・・・

 彼女は納得した模様である・・・

 私の申請書を受け取ると

 「ディーツェッタ(10日)」

 と言ってきた。笑顔で怪訝そうな顔をすると・・・カレンダーを指してくる・・・来週の木曜、10日待ちである。

 私は笑顔で「スパシーバ(ありがとう)」と言ってその場を後にする・・・



 使用したロシア語は僅かに3語・・・私のロシア語全能力の30%程度だから十分な余裕を持っての勝利である。


 とりあえず戦線の第一局面は難なく乗り切ったと言っていいだろう!







 私はウズベキスタン大使館を後にする、時刻は1030時。カザフスタン大使館の営業時間は0900-1300だからまだ余裕が12分にある・・・

 ただ気を付けなればいけないのは「遅くとも1200時」には大使館に到着して申請することだ!1時間は予備、余裕を持ちすぎていると思われるかもしれないが、この「1時間」が時として戦局を大きく左右することがあるのだ!


 それにカザフスタン大使館はビザ代は「銀行振り込み」とちょっと変わった(他に無い訳ではない)システムだ。

 一度大使館に行って振込みの用紙をもらうのが本道だが日本人の場合は先に振り込んでその証明用紙を持っていけば先ず大丈夫という方法が大体確立しているので私もそれに習って先に料金を振り込むことにする。

 ガスコメルツ銀行に行って振込み証明書を貰ったのが大体1100時、目標の1200時にはまだ1時間程度の余裕がある・・・

 私は市内を西にカザフスタン大使館近くまで行くバスのある大通りまで歩くことにした・・・

 30分ほど歩いてバスに乗り、降りてから15分程度・・・到着したのは1200時・・・もう少し早ければもっと良かったが・・・まあ「計画通り」の行動と言って良いだろう・・・


 ちょっと玄関口で他の申請者を待ち、中に入る。何人か窓口にいたのでちょっと隙を見て用紙を貰い記入する・・・
 1230大体記入が終わり後はチェックしてもらえば良いだけになる・・・

 
 ただ、窓口が何か騒がしい・・・申請に来たアメリカ人がなにやら話している。カザフスタン大使館の受付は男性で英語も喋れるので意味が分かる・・・どうやら「もう25分も過ぎているし君は銀行に振り込んでいないから明日来るように」というような内容だ・・・

 「???」

 入り口には0900-1300と書いてあるが・・・そう言えば私が入ってしばらくしたら新しい申請者を入れないように扉も閉めていたような・・・

 彼があきらめて出ると同時に私は受付に申請用紙を見せると、肝心の出入国予定日が未記載だった。彼は私に「時間が無いからすぐ書け」といってくる。

 私が10秒もかからずに記載して持っていこうとすると・・・なにやら女性の申請者が追い出されようとして必死に何とかしようと抗弁し始めていた。

 彼は私の方を見て・・・そして警備員になにやら言う・・・


 そして私は・・・














 「追い出された・・・!!!」














 私も英語で「さっき書けといわれてもう書けているのに・・」と警備員に言っても「ニェート(ダメ)ザーフトラ(明日)」
としか言ってこない・・・

 一度外に出され、もう一度確認しようとドアの外で待ち、先ほどもめていた女性が出るタイミングにあわせてもう一度受付に確認すると・・・


 「ザーフトラ(明日)、ニェート(ダメ)、サースデイ(英語で木曜日)・・・」


 明日もダメとは・・・


 よくよく入り口の貼り紙を見ると・・・






「水曜日はお休み♪」




 「・・・」



 「・・・・・・・」



 「うむぅぅぅぅ・・・・・・・」




 そして時計を見ると・・・「1250・・・・・・」


 1300まではまだ10分あったが・・・


 もちろんもう一度開く気配などあろう筈も無い・・・














 そして私は第一局面の失敗を迎えることとなった・・・










 しかしそれにしても・・・・



 なんで人にすぐ書けと言って、書き終わったら追い出すのか・・・???


 そしてなんで


 「水曜日はお休み♪」


 なのか・・・・














 この「プロフェッショナル」をもってしても・・・・




 なんとも「不可解」と言わざるを得ないだろう・・・






 中央アジアビザ取得戦線・・・














 「この先が思いやられる展開だ・・・」














 「あーめんどくさー・・・・・・・!!!」

第2段階突入(オシュ・キルギス)

2007-07-27 18:52:52 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.07.27


 第1段階であった中国を抜け・・・いよいよ中央アジアに突入、ミッション「プラスワン」の「セカンドステージ」に突入した・・・






 「えっ??ミッションにステージなんて作っていたのかって??」



 お答えしよう!旅行者に取って「予定は未定であって決定ではない!」


 よって、いつも「事後にさもあたかも最初から決めていたことかのように書いているだけだ・・・!!」(←完全に開き直ってます)






 まあいい、今度のセカンドステージは中央アジア各諸国の「首都狙撃」が目的だ・・・

 言い換えれば私にとっては残された「スタン系国家の狙撃」と言ってもいいだろう・・・


 過去において訪れたスタン系国家は「パキスタン」「アフガニスタン」、それに広義になるが「ヒンディスタン(ヒンズー教徒の国インドのこと)」や「ネパーリスタン(ネパール人の国ネパール)」も入れていいだろう・・・


 そして今回の狙撃対象は「キルギス(名称は変更されたがかつてはキルギスタン)」「カザフスタン」「タジクスタン」「ウズベキスタン」、そして「トルクメニスタン」である・・・



 こうしてみると、約半数のスタン系国家を既に訪れて、これから残りの半数の狙撃を試みようとしていることが良く分かるだろう・・・



 




 今回のステージは私にとっては特別なものになるような予感がする・・・



 よってこの新タスク(任務)にコードネームをつけよう・・・






 スタンの残り半分を制覇する任務になることから・・・



 このセカンドステージのコードネーム(任務名)は・・・・・・














 「スタン・ハンセン」







 「・・・」




 「・・・・・・」




 と、命名しよう・・・・














 乞う、ご期待??

グッバイチャイナ[万感の思いを込めて・・・](カシュガル・中国)

2007-07-26 21:55:37 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007. 7.26


 私は今日で中国を後にすることになる・・・


 期間としては約1ヶ月、過去に於いて訪れた都市を合計しても10数都市程度しか訪れてはいない。

 この程度で「この国を見た」等とは言えるものではないが・・・

 それでもこの4000年の歴史に培われたこの国の伝統の偉大さや歴史の重みや文化の深遠さと言ったものには感じ入るものがあった・・・



 今の私にはこの国を去り行くものとして「一抹の寂寥感」があることは否めない・・・


 「センチメンタリズム」と笑われるかも知れないが・・・そう私に思わせるだけの「奥の深さ」という物をこの国は持っていた・・・



 この国を「一ツーリスト」として訪れることは・・・私の人生ではもう無いだろう・・・

 



 そして中国を去る今、




 胸に溢れんばかりのこの気持ちを・・・




 万感の思いを込めて・・・次の一言に託そう・・・




















 「きゃつらがトイレの使い方を覚えたのなら・・・」






















 「また来てやってもいい・・・」




















 と・・・















 



 じゃじゃ~んと登場、これが中国トイレ!!
 写真はいずれも大用

これはセミオープンタイプ、横にしゃがんで用を足すタイプ、チラリズム好きを刺激する・・・
ちなみに下流では上流の人の用を足した物を眺めながら自らも用を足せる特典付・・・っているかそんなもん!!




 これはフルオープンタイプ!露出狂プラス一部のマニアに劇受けするスタイル・・・って・・・
 いい加減にしやがれ!!何でこれで平気で用が足せるんだ!!コイツ等!!



注:使用した写真は「ウルトラ・クリーン」と言って良いほどの「高レベル」の物を使用しています。
 通常のトイレを写真に撮ってしまうと・・・「愛しのマイカメラ」がその醜悪さに耐え切れず、「自害を企ててしまう可能性」があるので・・・

中国の西の果て・・・(カシュガル・中国)

2007-07-25 18:30:14 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.07.25


 現在は中国のカシュガルに滞在している・・・


 シルクロードの交差点とも言えるこの街は、東トルキスタン西部の中心都市として、中国と中央アジア諸国を結ぶ交易の要衝であり、中国支配となった現代においても、漢民族以上にウイグル人を目にし、いよいよ中国の西の果てにきたのだという実感を持たずにはいられない・・・

 文化的にもムスリムが優勢で、今まで見てきた中国的な寺院よりもイスラム建築の影響を受けた建物が多く散見されている・・・


 この中国と中央アジアをつなぐ交点と言ってもいいカシュガルの街・・・


 私は「プロフェッショナル」としてこの”中国にあって中国らしさを感じさせないエキゾチックな街、カシュガル」を早速散策することにした・・・








 大通りからして何時もの中国とは違う・・・





 「・・・」




 「・・・・・・」





 建物も微妙にイスラミックに・・・







 「・・・」





 「・・・・・・」






そして地下にあるショッピング街も中東にあるバザールを彷彿・・・させる・・・?







 「・・・」





 「・・・・・・」





 「西の果て感が・・・あまり出ていないような・・・???」

















 あっ!そうだ!!看板だっ!!



 看板の女性が・・・若干エキゾチックに・・・




 「・・・」




 「・・・・・・」








 おっ!これなんかウイグル語と中国語の併記だぞっ!!エ・キ・ゾ・チィーック!!






 「・・・」





 「・・・・・・」





 「へっ???グロテスクなだけだって???」


















 うーむこうなったら大通りにカシュガルを象徴するモニュメントがあるっ!!





 それを特別大公開しよう・・・








 じゃっじゃ~んとカシュガルの英雄「マオ・ツェイ・ドン(中国名:毛沢東)」の巨大な像・・・・







 「・・・」






 「・・・・・・」






 「・・・・・・・・・・」









 西の果て・・・異民族と漢民族の交差点カシュガル・・・・











 この「プロフェッショナル」の目をもってしても・・・








 どう見ても・・・ただの”中国の街”であった・・・・

カシュガルへの道・・・[副題:シル鉄に乗って](カシュガル・中国)

2007-07-24 17:34:01 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.07.24


 中国最西端の街、カシュガルに到着・・・


 敦煌からウルムチで1泊を挟んで・・・



 「世界3大鉄道」の一つと言われる「シル鉄(シルクロード鉄道)」でやってきた・・・


 「・・・」


 「・・・・・・・」


 「????」


 「えっ!世界3大鉄道なんて聞いたことも無いって??」


 お答えしよう!先ずはシベリア鉄道(通称シベ鉄)、そしてチベット鉄道(通称チベ鉄)、そして私が今回利用したシルクロード鉄道(通称シル鉄)の事なのですよっ!!


 「へっ?お前たった今自分が乗ったからって適当に3大に仕立て上げたろうって??それに(シル鉄)なんてダサいネーミング誰も使ってないって???」




 「うぬぅぅぅぅ~・・・・」





 「おのれぇ~・・・・」





 前々から言おう言おうと思っていたが・・・・



 このHPに限り・・・


 「俺が”ルール”だっ!」


 「俺が”神”だっ!!」


 「俺が白と言えば・・・黒いものでも・・・”白”なのだっ!!!」


 「分かったか!!虫けらどもめぃ・・・フハハハハハハハハハハハハ・・・・!!!」











 「ハッ・・・・!!」



 どうやらこの温厚な私としたことが・・・




 ちょっと”感情に走り過ぎて”しまっていたようだ・・・





 まあいい、前置きが長くなってきたので本題に移ろう! 



 シル鉄を選んだ理由はたった一つ、「バスより楽だから」という事だけだが・・・

 景色も含めて堪能したので・・・

 まあネタもないので今回は特別に”紹介”してみよう・・・



 先ずは敦煌⇔ウルムチ間・・・

 ちなみに2030時初、翌日1230頃ウルムチ着、約14時間・・・

これがシル鉄さん、青と白のラインが眩しいのです・・・


硬臥が満席で取れなかったので・・・リッチに軟臥です。私は上段のベッド!!



こんな感じの景色の中を・・・



そして・・・晴れてればサンセットもバッチリと・・・







 「えへえへえへへへへ・・・・」





 うーん!ご馳走さま・・・










 といってもこれは前座で・・・





 本番のシル鉄は・・・ウルムチ⇔カシュガル間のコイツ!!

 ちなみに1200頃ウルムチ発、カシュガルへは翌日1200頃着、約24時間




 スタートのウルムチ駅(写真は夕方に撮影)



 ちなみに今回も硬臥が取れなかったので・・・またしても奮発して軟臥!!

 でも財布が・・・財布が・・・えっえっえっ・・・(涙)


 ウルムチ駅には軟臥専用の待合室まで会って下界の混雑とは無縁・・・なんか・・・エグゼクティブ気分・・・!



 ちょっと遅れて到着したシル鉄さん、ウルムチ始発かと思っていたらハミ始発でした・・・知らなんだ・・・


 そしてこれがシル鉄の最大の特徴!なななんと・・・「2階建て(注:敦煌⇔ウルムチ間は普通の1階建の列車)」なのです!これに乗りたかったのです!!


 ちなみに私の乗った軟臥はこんな感じ


 エアコンの射出口の数は若干やり過ぎの感もあるが・・・
 「暑い所で凍えて死ぬなら本望であります」


 そして硬臥は・・・通常3段ベットの所が2階建てのために2ベットと軟臥との差があまりないので・・・取れれば断然こちらを勧める。混雑の時期でこのチケットが1週間待ちになっていたのが残念。



 話を戻して・・・軟臥でも2階席が欲しかったのだが・・・
 2階席はどどど~んと2人用コンパートメントと豪華で・・・ちなみに見てたらタバコや果物をもって客車のサービス係が入っていってた(料金込かどうかは不明)
 これが軟臥の上階、2人用コンパートメント!いつの日か・・・でも無理だろうな・・・


 
 でも私のコンパートメントはある意味特別コンパートメント!その理由はというと・・・

 1階でも2階でも無い中階にあるコンパートメント、1車両に2個ある。写真の中窓の辺りが私のコンパートメント!



 ということでちょっとだけ”プレミアム感”ありでありました・・・でも・・・


 ちなみに硬臥車両だと3段ベットになるが窓が上まであるので・・・寝ながら景色を堪能出来る。こっちの方が良かったのかも・・・でもチケット取れなかったし・・・



 ついでに硬座はこんな感じ。人が邪魔していい写真が撮れなかった・・・




 食堂車も綺麗!でも1食15元らしく・・・カップラーメンで過ごしてしまった・・・


  
 そしてこれが”選ばれた者のみ手にする事が出来る(1説に拠ると乗客全員)”「シル鉄乗車票」、プラスチック製、記念に欲しかったが・・・下車時に回収されるのが残念・・・!!




 車両の説明はこのくらいにして・・・


 道中の景色等などを・・・



 乾燥地帯を走ったり・・・
 



 トンネルを何個もくぐって山岳地帯の山間を抜けたり・・・(列車が走る最高高度は2990mらしいです)



 草原&山の景色を見たり・・・
 


 夕陽は山に沈むのでちょっと残念だが・・・



 カシュガルに近づくにつれ、緑を多く目にしたり・・・






 うーん、デリシャス・・・・




 そして列車はカシュガルに到着・・・







 ふぅ~・・・・




 今回利用した「シル鉄」・・・「チベ鉄」に引き続いてこのプロフェッショナルをここまで堪能させるとは・・・





 中国の鉄道、なかなかに恐るべしと言ったところであろう・・・

砂漠の街、世界最奥部へ・・・(ウルムチ・中国)

2007-07-22 19:31:13 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.07.22


 砂漠のへりにある街、ウルムチへと敦煌からの夜行列車で到着



 これが到着したウルムチ駅、中々にご立派なのです・・・






 このウルムチという街は”世界で最も内陸に位置する都市”として知られ、それはまた”海から最も遠い街”と言い換えても間違いはないだろう・・・

 しかしながら4方を水源に恵まれているので、乾燥地帯にもかかわらず、水不足には縁がないという好条件である。

 この新疆ウイグル自治区の首府でもあるウルムチはかつての交易の要衝でもあり、砂漠のヘリにある西域のオアシス都市ということも出来よう・・・





 こんな世界の最奥部に来れるのも・・・私が「プロフェッショナル」であるからに違いない・・・
 
 敦煌から列車一本乗っただけという感は否めないが・・・

 他の何人にこのような冒険が出来ようか・・・???









 私はこの「世界の最奥部・そして砂漠の街ウルムチ」を堪能することにした・・・









 早速目にした看板から、この街がどのようなものであるか想像が出来るだろう・・・

看板には上は小さいけど「アラビア(ウイグル)語、中国語、英語、キリル文字(ロシア語)」の4カ国ごで表記されている。ここがあらゆる文化の交流点であった事を示す良い証拠であろう・・・








 そして砂漠のへりの街・・・


 なんとロマンチックなのだろうか・・・???












 私は人一人いない、砂漠の道を歩く・・・













 人一人いない世界最奥部、ウルムチの通り・・・




















 そして、この砂漠の街の全景を見ようと紅山公園へと向かう・・・

 私が目指した山頂




 
 そして目にした景色は・・・







 広く良く舗装された道路に立ち並ぶ高層ビル群・・・・



 ここが砂漠のヘリの街であることを示すよい証左となろう・・・







 「・・・」







 「・・・・・・」










 それに砂漠といったらオアシスだ・・・!


 私もオアシスを求めて彷徨ってみる・・・











 あっ!これだっ!!!



















 これが砂漠の中にあるオアシス・・・















 「・・・」






 「・・・・・・」





 あまり・・・オアシス感が出ていないような気もするが・・・











 そうだっ!ここはイスラム色も濃い街なのだ!!







 イスラムと言えば・・・バザール(市場)だ!!

 市場に繰り出そう・・・!!!






 何でもガイドブックには「イスタンブールのグランド・バザール」を超える一大バザールがここウルムチにはあるらしいのである・・・






 テクテクと歩くと・・・あっ!これかっ!!









 国際大バザールと掲げてる・・・ 






 中心は・・・





 
 へっ?何これ・・・???バザールだろうけど・・・何かちょっと・・・









 中を覗いて見る・・・





 むむむっ!今まで見てきた中東のバザールと・・・何か違いすぎるのですよ・・・







 へっ?何これ??何でカルフール(外資系のスーパー)とKFCなんかバザールに入れてるの・・・???




 「・・・」




 「・・・・・・」




 「うむぅぅぅぅ~・・・・???」




 これじゃバザールというよりは・・・単なるショッピング・モールの形をしたテーマパークじゃ・・・



 奴等のセンスというものが・・・良く分からん・・・???







 














 まあいい、しかしこれでみなにもこの街がいかに

 ”世界の奥部にある秘境の地”

 と言う事が良く分かったことだろう・・・

オペレーション・デザート・ストーム(敦煌・中国)

2007-07-20 16:54:57 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.07.20

 首尾よく莫高屈の狙撃を終了したので・・・

 とりあえずは”作戦の第二弾!”、鳴沙山(山と名が付いてますが砂漠です、砂丘タイプ)の狙撃を計画する。

 折からの雨が作戦の決行に躊躇いを与えたが・・・

 私は「プロフェッショナル」として、天候は狙撃中止の理由にならない事を知っていた・・・





 「えっ?」

 「お前またタイトルどっかからパクッて来ただろうって???」


 なっなんていうことを・・・

 いつも”オリジナル”なのに・・・・







 まあ何はともあれ、07/19、莫高屈で予想外に歩かされ、疲労しきった体を引き摺るかのようにして、鳴沙山へ向かう・・・


 あっ!ちょっとしたプチ・ツアーなのでTaxiハイヤーという贅沢さんをしているのだが・・・・・・


 正直言って砂漠など私にとってはそれほど珍しいものではない!

 過去の赫々たる戦果の中にはたくさんの沙漠が含まれている・・・

 まだアジアで砂丘系の砂漠を見ていないからちょっと見る、それだけの事だ・・・



 鳴沙山の裏側(観光客の全く来ない所に連れて行ってもらいました)に到着、早速砂丘を登っていく・・・





 そして夕暮れ時・・・

 このプロフェッショナルの目にした景色は・・・


 日の影により陰影をつけた砂丘・・・



 そして沈む夕陽・・・雲が多いのが残念だが・・・でも地表が燃えているように・・・



 「すっ凄い・・・・・」




 「うぅぅぅぅぅ・・・おのれぇ・・・小癪なぁ~・・・この”プロフェッショナル”をここまで唸らせるとは・・・・」






 しかし、たった一回では・・・奴の実力を”過大評価”しているかも知れない・・・














 翌20日、観光客に開放されている鳴沙山へ行く・・・

 もう一度、この「砂丘」とやらの実力を確かめなければいけない・・・











 バスで近づきそして最初に目にした鳴沙山の光景は・・・


中々の・・・押し出しです・・・・むむむむむ・・・・










 しかし入場料は「120元(約2000円)・・・」

 それにしても中国の観光名所は常に「一撃必殺の破壊力」だ・・・高すぎるが、それに見合うものは見れるのだろうか・・・???


 今日のターゲットも夕陽だ・・・


 そして中に入り砂丘をテクテクと登る・・・














 すると・・・


 「おおおぉぉぉ~・・・!!」


 「こっ・・・」



 「これは・・・」




 「なっなんと・・・」

上から見下ろした敦煌の町並・・・



 「ふぬぅ・・・・」

 雨も少し降って曇りがちの空だったが・・・
 お陰で虹まで・・・



 「あぉぉぉぉ~・・・!!」

 そして夕陽・・・
 下に移っている泉は砂漠の泉「月牙泉」




 「・・・」



 「・・・」




 「敦煌恐るべし・・・どうやら私はその実力を見誤っていたようだ・・・鳴沙山・・・それに莫高屈・・・すべてを”消化試合”として観光するこのプロフェッショナルに・・・ここまで感銘を与えるとは・・・・!!!」



 私は他の「アマチュアの旅行者共」にこう言いたい・・・














 「トンコーサイコー・・・・・・!!!!」














 と・・・

砂漠の雨(敦煌・中国)

2007-07-19 18:01:11 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.07.19


 本日朝、一泊した招待所(まあ俗に言う安宿です)をチェックアウトして日本人経営のジンジンカフェの持っている安宿に移動する。

 今日のメインターゲットは「莫高屈!」、仏教遺跡で世界遺産にも指定されている。

 井上靖氏の「敦煌」の題材にもなった場所だ・・・

 私のよう「プロフェッショナル」としては、ここを訪れることは「やらなければいけない消化試合」であろう・・・





 少々雨が降っていたが・・・そのあたりはまあいいだろう、それに最近天候が不順で明日晴れるという保証もない。





 朝1100のミニバスに乗り、到着は1140、入場券を買うときに「英語ガイドがいるいない」で入口と往復させられたものの1200時からの英語ガイドに何とか間に合う・・・

 でも私以外いなかったので人が集まるまで待たされた・・・

 180元(ちなみに3000円ぐらい、中国語ガイドなら160元です)も出しているのに・・・

 このあたりが「ティー・アイ・シー(This Is China)」だが・・・



 莫高屈は想像以上に良く、今まで見た仏教系の遺跡の中で「ゴルコ認定No.1」の称号を与えてもいい萌え度であった・・・

 中での撮影禁止が無念であるほどだ・・・

ちなみにこれが一番有名な9層楼(第96屈)の押し出し・・・
中には莫高屈No.1の33.5mの仏像(崖を削り出して、その上に泥をかぶせて作ったもの)がある。



 入口付近、もう整備されているがこんな感じの屈が700ぐらいはあるらしい、公開されているのは30前後で1回のツアーで見れるのは10屈(ガイドが選んだもの)。




 気分を良くして駐車場に戻る、公共バスはまだ来ていないが、まあ余韻に浸って待てば良いだけの事だ!







 でも・・・なんか人が溜まっているような・・・


 それにさっき駐車場に戻る途中で兵隊が何か真剣に私に訴えていたような気も・・・


 少々気になったので駐車場の係りにバスの時間を確認する・・・





 すると・・・




 意外な事実が・・・




 彼は紙に中国語でこんな意味の事を・・・


 「大雨・・・不能・・・車・・・橋・・・壊・・・歩・・・・川・・・沿・・・・(中国語に変換できないので意味を日本語の漢字に変換しています)」



 「・・・」



 「・・・!!!」



 って事は・・・


 歩くのですか?歩くのですか???


 この「エレガント」な私が・・・歩いて市内に戻れというのですか(ちなみに市内まで約25Km)・・・???



 一瞬肝を冷やしたが、英語のできる人に確認すると、壊れた橋の所まで歩けばそこに公共バスがくるらしいが・・・

 まあ市内はいくらなんでも無理だが・・・これくらいなら歩けるだろう・・・


 「でも!どのくらいなんだ???」



 
 これは駐車場に止まっていた車・・・
 誰だ!こんな所にVIP丸出しで来た奴は!!
 俺じゃないのか??
 俺ではなかったのか???








 仕方なしに歩き始める・・・






 幸いにして現地の観光客もそこそこの人数が歩いていたので不安は少なかったが・・






 歩く人々、左側に泥流となっている川は私が到着したときは枯れて水一つなかったのにぃ~













 歩き始めて10分もしないうちに道はなくなり、ただの砂漠と化す、今日の夜・・・砂漠ツアー(日帰りの簡単な物、夕日を見に行くだけ)を取っているのに・・・日中から望んでもいない砂漠を歩かされるとは・・・

 










 30分・・・あたりは砂と歩く人だけしか見えなくなり・・・









 うううぅ・・・・どこなのですか?ゴールは一体どこなのでせうか・・・???















 そして約1時間・・・













 あっ!あれだっ!!


 決壊した橋・・・














 コイツが・・・コイツが壊れたから・・・この私が「歩く羽目」になったのか・・・!!





 とは言うものの、歩いたのがたった一時間くらいだったので結果的にはいい散歩になったのだが・・・






 それにしても砂漠の雨、恐るべし・・・

 濁流と化して、例え手抜きの疑いが多いとはいえ「純中国製の橋」を決壊させてしまうとは・・・・




 そして他人事ながらこうも考える・・・


 「これから観光まっさかりのシーズンに入るのに・・・、橋など決壊させても大丈夫なのだろうか・・・??」

 と・・・


 そして分かっていることは・・・


 「どうせ中国だから人海戦術でなんとかするんじゃないのか!」


 ということだ・・・























 あっ!


 オチが・・・オチが無い・・・・

14Hr(フォーティーン・アワーズ・副題[チベ鉄に乗って] (ラサ・中国)

2007-07-11 02:00:54 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.07.11

 後ろ向きの自分の気持ちにケリをつけられないまま・・・


 朝0600に起きて準備して0645タクシーを捕まえ駅へと向かう・・・


 これがスタート地点のゴルムド駅





 列車は0733に出発だ、少し待ってからチェックインとなる・・・列に並んで自分の番にあわせて列車のチケットを準備し、旅行許可証はすぐに取り出せる場所に移動させる・・・

 そして私の番・・・

 ここは・・・チケットだけでOK・・・ってことは・・・許可証は今は要らないらしい・・・

 聞いた話だと厳しく検査されるとの事だったが、まあ楽になる分はいいだろう・・・

 大枚はたいてとったのでぜひともチェックしてほしかったような気も・・・




 早速席に着くと・・・予想とおり荷物を上げる棚は全滅、始発という訳ではないから致し方ないので、同じ席の乗客に満面の笑みで媚を売り、窓際に付いてるテーブルの下に押し込む。


 私の入った車内はこんな感じ、ちなみに硬座といって一番安いクラス。
 でもね・・・代理店に払った手数料を考えますと・・・軟臥(一番上のクラス)が取れる分ぐらいお金を出しているのですよ・・・ぅぅぅぅぅぅ・・・・





 一度外に出て列車の写真をとる

 「大事なのは”記録”だ・・・」


 ちなみにチベ鉄はこんな感じ!











 えっ?

 「チベ鉄って何??」

 って・・・


 チベット鉄道(ちなみに中国語では青蔵鉄道)の事なのですよ!

 そんな略し方しらないって???

 シベリア鉄道だってシベ鉄なのですよ!

 誰がなんといおうと私には”チベ鉄”なのです・・・

 「ハイ!その通りです!!」

 プロフェッショナルとして断言します!!






 若干話が反れてしまったがこれからの戦いは過酷だ!

 なんといっても先ず目的地のラサに到着するまでに標高5000mの地点を越えて行かなければならないからだ!
 スタート地点のゴルムドで既に2800m、一度5000mを超えて3500mのラサへ・・・
 飛行機以外でまだ私には経験した事のない高度だ・・・

 そしてこれを僅か14時間の内にこなさなければならない・・・


 こんな事が可能なのも私がプロフェッショナルだからに違いないのだ!!

 立ち向かう自然の厳しさに耐え、そして前人未到とも言える高度を超え、目的地に辿り着くことなど他の誰が可能なのだろうか??

 私、「デューク東城」のみ、その責務に耐えうるに違いないのだ!!!













 

 えっ??




 「お前ただ列車に乗ってるだけだろうって???」

 「それにゴルムドで日本人のお爺さんお婆さんたちのツアー客が同じ列車に乗り込んでいるのも見てるだろうって???」




 「・・・」



 「俺の事を深く詮索する者は・・・消すしか・・・」









 まあいい、何はともあれ「レッツラゴー」です。

 スタート地点ゴルムドの高度は2800m!これでも十分に高いのですぅ













 そしてスタートして間もなく・・・


 衝撃的な事実が・・・



 この「プロフェッショナル」に重くのしかかってきた・・・



 高度による「高山病」でもなく・・・


 年齢による「アルツハイマー」でもなく・・・





 下の写真をごろうじろ・・・


 なんとこの区間[ゴルムド⇔ラサ間」はきっ禁煙・・・







 「ああああぁぁ~・・・」


 飯は一日3度で済むが・・・タバコは最低20は下らないのにぃ・・・


 それに中国の鉄道は必ず繋ぎ目に灰皿があるから禁煙しなくて良かったのにぃ~・・・


 よりによってこの「区間」だけなんて~・・・






 よし!途中駅だ!!途中駅しかすうタイミングは無いだろう!!!





 2時間ぐらいたって・・・最初の停車駅・・・ドアすらひらかず・・・



 「うっうっうっ・・・タバコ・・・タバコ・・・」




 そんなこんなで高度4500mを超えていく・・・


 たまには景色などアップしても良いのでせう・・・
 禁煙の無聊を慰めるためには・・・





 はっ!!




 そう言えば、世界最高高度にある駅がこの路線にあるのだ!!
 ここで降りて「世界最高高度」を制覇した「プロフェッショナル」とならねば・・・


 
 あっそろそろだ、ごっ・・・5000mを超えた・・・!!!







 あっあれっつ・・・???

 駅が・・・ってスルーかよ!!!





 「世界最高高度の駅に降り立つ夢がぁぁぁぁぁ~!!」






 そしてピークは過ぎました・・・





 「うむぅぅぅぅ~タバコが・・・タバコが・・・・吸いたいのですぅ~・・・」





 その後停車した駅でも・・・乗客の乗り降りはあれども・・・おろしてももらえず、タバコも吸えず・・・


 「あうううう、ニコチンが・・・体がニコチンを・・・」




 こうなればちょっと変化球!
 これぞほんとに「世界の車窓」から





 「まだ、おタバコは吸えないのですかぁぁぁぁぁ~!!!」







 そうこうしてるまに・・・夜の1000時になって・・・


 ようやくラサ駅に到着・・・




 ダッシュでおりて深呼吸して一服・・・・ようやく人心地を得る・・・・



 今回の14Hr・・・・



 景色の良さよりも、そして世界最高高度を走る鉄道にわざわざ乗った事も・・・








 すべて「禁煙の辛さ」により吹っ飛んでしまっていたということは・・・



 この「プロフェッショナル」を持ってしても「チベ鉄恐るべし」と言わざるを得ないだろう・・・

苦渋の決断・・・(ゴルムド・中国)

2007-07-10 19:32:58 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.07.10

 現在私は中国のゴルムドという町に滞在している・・・

 ここに至るまでの私は「プロフェッショナル」として様々な苦悩の連続であった。

 どれだけ苦しんでいたかというと、

 「後で適当に書いて、さもその日に書いたかのようにブログをアップする事が多い私が、いま、本当にリアルタイムで記事を書いてしまっている」

 という所からもその苦悩の大きさが計り知れるだろう・・・





 えっ?

 いつも手を抜いてるだけだって???

 それにやる事がなくなって暇だからリアルタイムに出来てるって・・・???


 うむっ!そう言う「不適切な表現」は慎んでもらおうか・・・






 話を戻すとそれもこれも「チベット」が問題だったのだ・・・





 今回の私のメインルートは「シルクロード」

 ただチベットにはまあ「簡単に行ければいっても良いかな?」ぐらいのスタンスだった筈だったが・・・





 先ずは地球の歩き方、旅行人のチベットを日本で購入してしまい、それにほぼ100%行かない筈の旅行人ウルトラガイド「西チベット」まで持っていたことが問題だった・・・

 「行くかもしれない」というのは私にとって「ガイドブックを購入する十分な理由」になってしまうのだ・・・
 それにしても・・・「西チベット」まで勢いで買ってしまっていたとは・・・


 そして先ず、神戸→上海のフェリーの中でなんとなく色んなことが面倒になって一気に「上海→ラサ」でいいやなどと状況も知らずに思い込んでしまい。

 上海でチケットが取れず、一気に接近戦を挑もうと西安まで行き・・・

 そして西安でチケットが取れないと分かって蘭州にある日本語が通じる旅行代理店とコンタクトを取り・・・


 蘭州からのチケットを巨額のコミッションを支払い、そしてインターネットでラサの宿泊を確保したのまでは良かったのだが・・・

 アメリカ人が「フリーチベット運動」なるものをしてしまったらしく、7/1から入境許可の出し方が変わってしまい、ラサでのガイドを否応なくつけないと許可が下りないと言われ・・・
 
 許可証以外のすべての条件が整っていたにもかかわらず・・・蘭州の代理店でガイドをつけると一気に費用がかさむので・・・蘭州からのチベット行きは断念・・・




 そしてゴルムドへ・・・


 以前は中国側からラサに行くのにはゴルムドが基点になっていて、ゴルムドでラサ行のツアーを取ると、行きの寝台バスがついていたのだが、現在は鉄道の開設に伴い、値段こそ安くなっていたものの(ちなみに以前は1700元で今は1440元)、ゴルムドからラサまでの移動は自分で手配する形になってしまい・・・


 そして面倒になって旅行代理店にお願いしたのだが・・・


 約150元(約2600円)のチケットの取得手数料が300元(約5000円)と・・・
 それも一番安い硬座(寝台ではなく椅子)で・・・
 途中乗車になるから荷物の置き場を確保できる保証などどこにもないのにこんなに支払わされるとは・・・


 なんでも鉄道の人気があり、それにハイシーズンとダブルパンチで・・・


 全盛期の矢沢永吉のコンサート状態、ダフ屋からチケットを買っているのが現状だ・・・

 五木ひろしのディナーショウ程度だったらそれ程プレミアもつかないだろうに・・・


 闇バスで密入境という「バックパッカー的」なトラディショナルな手法で入境するのも一つの手段だったが・・・・

 それも面倒だし、それしか手段がないならともかく、「正規のやり方で行けるなら」例え料金がかかってしまっても、私はそちらを取ってしまう性格だ・・・、なんと言っても「闇バス」等といった名前は「エレガント」な私にはそぐわないし「チキン」な私が出来る最大の闇は「闇両替」ぐらいだからだ・・・

 しかし闇バスなら寝台で夜行だが・・・鉄道は朝発で夜着、移動で日中丸々潰れるという悲惨な状況だ!!


 アメリカ人が「フリーチベット」運動などやってなければ・・・まあ彼らの今やってることは現状に鑑みてまあ正統(そもそもチベットは中国とは違う独立した文化を持った国だったがジャイアニズム国家中国に不当に占拠され入植までされて既成事実をもって中国と言っているような場所なので)かもしれないが・・・そういったことを言い出せば「極論すればアメリカはすべての土地をネイティブインディアンに返すべき」と同等になるだろう。まあこれもたまたま私の行く直前にやられたから迷惑と思ってしまっているが私が抜けた後だったらどうでもいいことなのだが・・・

 この辺りの巡り合わせを感じると「ツイてない」と思わざると得ない・・・


 それに私も個人的な心情から言ったら「チベットは独立国であるべき」と思っているが・・・それにツアーの代金は別にチベット人に行くわけでもなく「中国サイド」に流れていくという理屈も分かってはいるが・・・


 もう真面目に考えるのも何もかも面倒になってすべて代理店にまかせて料金も支払ってチケットも抑えてもらっている・・・

 ちなみにかかった金額はトータルで約1900元(約34000円)、ツアーの1440元に含まれるのは「安宿のドミ3日分と別に欲しくもないガイドが3日分[ちなみに7/1以降、外国人はガイドをつけないと許可証が下りなくなったと言われたが・・・恐らく現実は以前とおりに特に必要ないと思う。行ってみないと分からないが・・・、まあ形式として仕方がないのだろう]と、それにラサ市内の観光の移動だ・・・

 出発は明日(7/11)の朝・・・到着は同日2140頃だ・・・







 ここまでやって、まだ悩んでいる。


 そもそもチベットは自治区であって、国ではない。

 首都狙撃手としては、中国ではもう北京に行っているので・・・他の都市は基本的にはやっつけでしかない。

 ラサが歴史から言っても「特異な場所」であることは確かだが・・・
 私の選択肢から言ったらそれでも「セカンド・プライオリティー(第2優先)」と言った所だ。
 それにそれ程の金をかけてまで行く価値があるのだろうか・・・

 私のようにメジャーな場所(基本は首都なので)を行くツーリストにとって、ラサと限定すればチベットは秘境でもなんでもない、精神的に高揚感が起きて来ないのである。

 例えばアンゴラの首都、ルアンダを見に行ったとき・・・、コンゴの首都ブラザビルを目にしたとき・・・、中央アフリカの首都バンギへ向かう道中・・・、リベリアの首都モンロビアを想像した時・・・、ベラルーシの首都ミンスクでツボに入っていたとき・・・、トランスドニエストルの首都ティラスポリを目の当たりにした時・・・

 私が感じた「コイツは以外だった」という感覚は・・・

 ラサに関しては情報が多すぎるぐらいある。行ってみない事には判断できないが・・・


 過去に私が味わった満足感以上の物を与えてくれるとは思えない。


 しかしそれでも・・・行かざるを得ないのだろう。





 ちなみに「やる気はどうか?」と聞かれたら・・・

 「後ろ向き以外の回答」

 は出せないと思う・・・





 えっ?

 「いつも後ろ向きで観光して数を消化してるだけだって??」



 「うーむ、あながち否定は出来ないが・・・」









 それでも何故行くのか問われても・・・


 中々に回答が出せない・・・






 あえて答えるとしたら・・・














 「何故なら私がプロフェッショナル」














 だからであろう・・・







 そして私の中に一つの確信が・・・


 これまでいろんな面倒なことをやってまで行って・・・

 そして費用をかけてまで行って・・・



 ブログの記事になりそうな「ネタ」が拾えないであろうと言う事が・・・






 写真はチベットへの入口として計画的に作られたゴルムドの町並、チベット鉄道開通にも伴い・・・
 閑散とした印象はぬぐえない、これで日本語が打てるネットカフェがなかったらと考えるとゾッとする

ピラミッドの謎!(西安・中国)

2007-07-03 23:50:08 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.07.03

 現在は中国の中心に近い、西安という街に滞在している。

 かつては長安と呼ばれ、歴代王朝の首都もここに定められていたので古都として有名な場所である。



 見所は色々あり、中でも秦始皇帝陵と兵馬俑が世界遺産に登録されている。


 ここ西安は中国のかつては中心であったと言って良いだろう・・・


 しかし、ここは中国の古都だけではなかったのだ!!


 私はここで、かつてエジプトで見たピラミッド、その原型とも言うべきものを発見したのである!!



 それは秦始皇帝陵へ向かうバスの中でのことだった・・・・



 私の目に突然かつて見たものと同じ物が飛び込んできたのだ・・・



 


 これは語るまでもないだろう・・・エジプトにあるピラミッド、その物ではないか!!



 これは予期しなかった事なので、ビックリさせられたとともに、私はある一つの確信を持つに至った!


 古代エジプト文明、その発祥はなんと「中国」であったのだ!!!





 「・・・」



 「・・・」




 「へっ?こんなのただのテーマパークじゃないかって???」






 それはプロフェッショナルとして口の割れないところであろう・・・