謎の日常

 「観光」に”感動”などといった余計な”感情”は必要ない・・・
 ただ”事を終わらす”とだけ考えれば良い・・・

東カリブの雄(ワーシング:バルバドス)

2008-08-31 15:37:05 | 3rdミッション カリブ海
2008.08.31(日)


 バルバドス・・・



 何やらいかめしい印象のある国だ・・・



 こうしたらどうだろうか?



 「びゃるびゃどちゅ・・・・」



 いいぞ、なんか可愛い・・・



 って・・・



こんなことを言ってる場合じゃない。



 東カリブ4カ国目になるバルバドスに到着。ここはグレナダでも少し触れたが東カリブ海の中でもトリニダード・トバゴとここだけがEC(イースタン・カリビアン・ダラー)圏外で、通貨は独自にバルバドス・ドル。面積は種子島と同等と大きく、そして総人口も約27万人とトリニダードについで2番目に多い数字を数える。


空から見たバルバドスの海岸線。遠浅で透けるような水色になっている部分が実に美しく見える



 空港もそれまでの2カ国と比べ立派だ。




 当初首都のジョージタウンに宿をと考えていたがロンプラには宿が載っておらず、観光案内所に聞いても高いのしかないと言われ首都から空港への途中にあるワーシングという町に泊まることにする。海岸線からも1分ぐらいのところにあるゲストハウスがこの国で一番安い宿が取れると書いてあったからだ・・・

 市バスに乗ってゲストハウスに向かう。

 オーナーのドイツ人女性は話好きでいちいち細かく説明してくる。到着日はゆっくりしたかったのに1時間はそれで潰れてしまう。

 そして彼女が自慢するかのように私にある部屋を・・・


 これがその“ある部屋”



 「おおっ!!」


 なんと・・・なんと充実したキッチン・・・


 だが、私は基本的には自炊するタイプではないし、先のセントビンセントで自炊をしたばかりだ。
 それにセントビンセントで買った調味料も余った物はすべて置いてきてるし・・・

 外食に戻して・・・


 『外食は高いわよ!10ドルは超えるんじゃないかしら・・・』




 「・・・」




 「・・・・・・」




 「自炊決定・・・!!」





 バルバドスのスーパーは近代的で内容も充実している。


 先のセントビンセントとはえらい違いだ!!


 充実したこの品揃えから私は「肉」をチョイスする事にした。


 調味料をまた買いなおさなければいけなかったのは無念だが・・・

 それでも自炊の方が安くつくのでこれは仕方が無いだろう・・・



 買ったステーキ肉、ちなみに醤油も買えてご満悦!!
 


 そして作った食事、バリエーションは変らず。
 


 食の心配がこれでなくなり、観光も思う存分することにする。
 
 日曜日なので人はいないが人よりも街並好きな私にはそれはそれでちょうど良い・・・

 首都のブリッジタウン

 

 

看板もなにやら楽しげー
 

 そして海岸線・・・これがまたキレイ・・・

 先ずはゲストハウスの目の前の海岸・・・うーん!!


 首都のブリッジタウンの海岸で
 

 そしてワーシングからブリッジタウンに向かう途中にある海岸で。ここで夕日も・・・


 

 首都の夜景も堪能し・・・



 



 夜は自炊でたらふく食べる・・・







 バルバドス・・・



 東カリブ第2の大国・・・




 食においても、観光においても「満腹」であったと言わせていただこう・・・


カリビアン・ライフ(キングスタウン:セントビンセント&グレナディーン諸島)

2008-08-29 14:59:10 | 3rdミッション カリブ海
2008.08.29(金)


 東カリブ海の3カ国目、セントビンセント&グレナディーン諸島(長すぎるので以下到着した島であるセントビンセントに省略)に到着。

 グレナディーン諸島を空から見下ろすと、海岸線の鮮やかな青が美しい。
 

 そして到着後に見たウエルカムの看板、こんな女性は街中で一人も見かけなかったが・・・






 ここセントビンセントは首都に安宿が無く、ロンプラや知人の勧めもあり、空港前のアパートを借りることにした。

 首都のキングスタウンへはミニバスで1EC$(42円)、20分もあればここからつけるので別段問題は無いし、特に歩けない距離というわけでもない。

 このアパートにはキッチンもついている。自炊を基本的にしない私だが・・・

 これだけの設備が一人で使える所に泊まることはそうはないし、それに「カリブ海でエレガントに自炊」というのもせっかくの機会だからこの際はいいのかもしれないだろう・・・

 一人分の食事を2泊分。外食と比べてもとんとんかそれよりは安く好きな物が食べれるだろう・・・



アパートのキッチン、大した物ではないが一応揃っている。



 私は買出しに出ることにする。空港近くにそこそこに大きなスーパーもあるからいい立地と行ってもいいだろう。



 食材について思い巡らす。



 カリブ海といえば海だ。


 「海といったら?」





 「さっかなー!」



 そして





 「さかなといったら?」






 「にくー!!」






 ということで肉を中心に食材を買ってみました。


 これがその食材



 ちなみにライス、卵、チーズ、肉(ステーキ用)、ベーコン等。


 ライスは中に2つビニール袋が入っていて、カレーのレトルトの様に水にいれてボイルするだけという優れものだったが、最初気付かずに鍋で炊いてしまった・・・


 ボディーコントロールをテーマとした「高コレステロール」がこの食材のポイント。


 そして夕食はライスにチーズ入りオムレツ?にチーズ掛けステーキ


 朝食はチーズ、ベーコン入りチャーハン風リゾット?



 ちなみに作れるものはこれだけ・・・




 ちなみにアパートの下の階にはネットカフェがあり、日本語は書けないまでも読むことが出来る。

 不自由ない環境だ・・・



 とはいっても首都狙撃手たるこのプロフェッショナル。この引きこもり生活を楽しんでいたばかりではない。

 首都であるキングスタウンの狙撃もきっちりと済ます・・・



港から見たキングスタウン。市の中心
 

マーケット
 

その他街並
 

そして教会





 所用2時間・・・




 大して見るものもないし、動いても暑いだけなので後はアパートで引き篭もってカリビアンライフを満喫することにする・・・



 アパートから見た空港





 セントビンセント・・・


 
 私はこのアパートを思う存分堪能し、カリビアンライフを満喫したが・・・





 よくよく考えてみたら



 「ただ自炊して、あとはボッーっとしていただけ」




 の国であった事は否めない事実であろう・・・

グレナダ侵攻(セント・ジョージズ:グレナダ)

2008-08-27 23:58:33 | 3rdミッション カリブ海
2008.08.27(水)

 トリニダード・トバゴから次のターゲット、ここグレナダに飛んできたのは昨日。

 実を言うと千葉県程度の大きさ、そして人口100万人を越える先のトリニダード・トバコはこの東カリブ海の中の大国で、後の国は人口10万人前後の小国が続く、いわば俗に言うリゾートのカリブは
ここから始まるのである。

 ここグレナダは人口11万人、国土は五島列島の福江島とほぼ同じとどの程度かこの福江島を知っているもの以外には全くわからないが、とにかく小さいということだけは分かる大きさだ。

 また東カリブ海では先のトリニダード・トバゴとバルバドスを除いて通貨がイースタン・カリビアン・ダラー(1EC$=約42円)で統一されている。

 そんなことからも、リゾート地をめぐるアイランドホッピングはここグレナダから始まるといってもいいのだろう。

 セント・ジョージズの街並



 私がここでしたことは特に無い・・・

 夕日を見て、街をぶらっと眺めただけだ。

 

 

 これから始まる東カリブ海の旅・・・




 その幕が今上がる・・・

The Magnificient Seven(ポート・オブ・スペイン:トリニダード・トバゴ)

2008-08-25 21:18:37 | 3rdミッション カリブ海
2008.08.25(月)

 ガイアナからフライトでカリブ海の小国、トリニダード・トバゴに到着したのは昨日、これからアイランドホッピングというカリブ海の小国をつなぐ旅の始まりだ。


 ここトリニダード・トバゴは千葉県と同じ程度の面積、人口も130万人程度だが東カリブ海一の大国である。

 首都のポート・オブ・スペインの人口も20万人を超えるのでまあそこそこの街になっている。


 

 



 そしてここには動物園があり、「世界最大のねずみ、カピバラ」もお手軽に見ることが出来るのだ。

 これがカピバラ、見づらくてごめんなさい・・・
 

 大きさは普通の犬以上にでかい、猫は鼠を捕まえるというがこれに限ってはどう考えても逆だろう・・・



 いつもならここで

「世界一大きい鼠カピバラをみたツーリスト、すなわち世界一のツーリスト」


と締め括るところだが・・・




 ここポート・オブ・スペインのメインはこんな物ではない・・・


 世界一といえどもここでは前座に過ぎないのだ。




 世界一すらその名の前に霞んでしまうその狙撃対象は・・・


 「The Magnificient Seven(マグニフィシェント・セブン)」



 訳すると「壮麗なる7軒」である。


 これがどのようにすごいかを説明すると

「この7軒は1904-1910年に建てられ、ムーア様式、イタリア様式、ネオロマネスク様式、フランス様式、ビクトリア様式など異なったスタイルの建物が横並びに建築されていて、残念ながら中に入ることは出来ないが植民地様式の豪華な異なったスタイルを外から眺めることが出来る」

 ということだ。



 そもそも名前にこのような気品のある枕詞がつくものは世の中にはそうはない。

 私の知る限りで行けば山崎豊子氏著の「華麗なる一族」と不肖ながらこの私の「優雅な旅行者」の僅かに2件を数えるだけである。



 そんなことからもこの「壮麗なる7軒」がいかに凄いかということもうかがい知ることが出来よう・・・

 

 それもあって私はこの「世界三大お上品」の一つであるこの「壮麗なる7軒」をこのポート・オブ・スペイン観光の締め括りにすることにした。






 そして見たものは・・・


 

 
 おぉ・・・んっ・・・

クイーンズロイヤルカレッジ


 
 そっそんなに・・・


裁判所



 たいした・・・


大司教邸



 もんじゃ・・・


ミルズ・フラーズ



 ないぞ・・・


ルーマー




 んんんん・・・


ローマカトリック大司教邸




 こっ、この程度が限界か・・・!!


マドールメイヤー邸








「・・・」







「・・・・・・・」





 確かに様式の違いは見ていて分かるが・・・



 これで「壮麗」とは・・・




 マグニフィシェント・セブン、これではマソメノス(スペイン語で"まあまあ"の意味)セブンではないか!!



 見かけ倒しもいいとこだ・・・!!




 私はここではっきりとこういおう・・・




 このような枕詞が言葉通り似合うもの・・・




 それはこの私の「エレガント」だけであることが、これで証明されてしまったと・・・



ビバ・レボリューション(ジョージタウン:ガイアナ)

2008-08-23 20:18:04 | 3rdミッション 南米
2008.08.23(土)

 
08.21(木)

 スリナムの地方の町ニューニッケリーから国境のサウス・ドレインへ行き、川をフェリーで渡る。

 いよいよ南米最後の国ガイアナだ。

 ガイアナ最初の町、モレソン・クリーク


 イミグレで入国手続きを終え、ゲートをくぐると8人ぐらいのミニバスのドライバーが寄ってきてこちらに休むまもなく「俺の車に乗れ!」と客引きが凄まじい。

 仏領ギアナ出国の際のカヌーもうっとおしかったがここも同じだ。私の状態など見てくれず、私がうるさいから少し落ち着かせてくれと言っても「俺の車だ、いや俺のだ」とまったくこちらの言う事もきこうともしない。

 そういえばインドで10日ぐらい一緒に回っていた友人がこういう様子を見て「彼らには"俺が何々したい"という"I Want!"」があるだけだと言って「I Want Culture」と命名していたが上手い事をいう。

 それにしても南米最後の国の始まりがこれではこの先が思いやられる・・・


 そうは言っても目的地に着くには乗らないわけにはいかない、私が囲まれていると一台ミニバスが発進して「今から出るから乗れ!」とやってきたのでこの際だからと乗るとその車はバックしてまた駐車場へ・・・
へ・・・

 「はぁぁ~・・・」

 ため息しかでてこない、こういうやり方は嫌いだ・・・

 10分まって発車せず、騙まし討ちのような彼の車からもう降りて他のをと思ったタイミングで他の客が来て出発。

 しかし、泊まっていたミニバスのタイプは殆ど一緒だ。どうして彼等は組合なりなんなりつくって順番を決めて次はこの車両と客を集めていけば問題はないのにしないのだろうか?

 途中もう一つの川を越えて首都のジョージタウンには1700時頃、最初目指していたホステルがフルで2番目に目指していた宿にチェックインしたのは1800時。

 このジョージタウンは治安が悪いことでも知られており、その日は夕食を摂って宿で休憩する。

 
08.22(金)

 南米で今回最後の首都、知人から「ジョージタウンはいいですよ、何泊かしてみて下さい」とメールが送られてきていた事もあって3泊する日程を組んでいる。

 私はこのジョージタウンを楽しみに、散策を始めることにしたが・・・

 中心の教会
 

 中央広場とその前
 


 一部栄えている所はあるもののたいしたこともなく・・・


 市の中心からほんの少し外れた大通りは閑散とし・・・

 ジョージタウンの通り
 

 はっきりいってインフラの整備は立ち遅れて道は汚く、乞食のような連中も数多い・・・


 そういえばガイアナはスリナムと違って黒人が中心となった国家だ・・・

 黒人先導型になるとどうしてこうなのか・・・


 私は街歩きをそれほど楽しめず、また治安も悪いのでここの街並に失望を覚えつつ宿に戻ることになった。

 
08.23(土)

 私にとってここが南米最後の街だ。

 このまま終わってしまっていいのだろうか??

 しかし、もう見所らしい所は見てしまっているし・・・

 そう思って地図を見ていると中心から少し離れた、といっても20分もあるけばつくような所に「革命広場」があり、そこにモニュメントがある事に気がついた。

 いままでの観光の傾向から言って、こういった第三国になればなるほどご大層な名前の広場にその国の国力に見合わないような馬鹿でかいモニュメントを建てたりするのが常だ。

 私は南米観光の締めくくりとして、この「革命広場」へ向かうことにした。

 すべてにおいてしょぼいジョージタウンだが・・・

 おおとりぐらいは・・・私にサプライズを用意してくれているに違いない・・・



 道路を歩くこと20分





 それらしき広場に・・・


 んっ???






 私は地図を見直してみる・・・間違いなくここだ、そしてここにあるのはこのしょぼいち彫ぞ・・・


 んっ??






 こっこれは・・・

 


 この口は?そしてこのポーズは??


 


 そして何故うしろにも顔がある・・・・





 「・・・」





 「・・・・・・・」









 「なんだこのモニュメントは?何が言いたいんだ??」








 ガイアナ・ジョージタウン・・・・




 サプライズ、期待していたのとは違ったがこれは確かにあった。だが私にとって南米最後の首都、南米最後の観光の締め括りがこんな物になるとは・・・



 この際だから私はプロフェッショナルとしてやけになってこう叫ぼう!





 「ビバ・レボリューション!!」


 と・・・・


世界遺産に包まれて(パラマリボ:スリナム)

2008-08-20 20:53:26 | 3rdミッション 南米
2008.08.20(水)

 フランスらしさのまったく感じられなかった仏領ギアナを後にしてここにたどり着いたのは17日の夜、翌日から早速街の散策を始める。

 ここスリナムは黒人、インド人、中華系など人種もさまざまだが人種の坩堝という点でもいままでみたブラジル等ともすこし趣を異にしている。

 そして首都のパラマリボはそのオランダ的な街並が歴史的な世界遺産に登録され、いままで見てきたスペイン風、ポルトガル風、フランス風の街並とは違い旧市街には2階建ての木造建築が立ち並びそれが何ともいえない風情をかもし出している。


 パラマリボの街並
 

 

 それにいままでは見なかったヒンズー寺院やモスク、それにシナゴーグまである。

 モスクにシナゴーグ、隣り合っているのはある意味シュール
 

 私はこの街を存分楽しもうと世界遺産に登録されている建築物の一つであるアルベルゴ・アルベルガに宿泊することにした

 これがそのホテル


 それほど凄い街並という訳ではないが・・・でもこういった景色はいままで見てなかったので私には居心地良く感じ始めていた・・・

 地図を見ていると独立広場に前首相の彫像があるらしい・・・



 私はこの"ちょっと小粋な国"を統治していた男に興味を持ち出し、見に行くことにした。

 独立広場、大統領邸。ついでに夜景も
 




 独立広場前も適度な空間があって中々に心地よい、前首相は・・・




 あっ!こいつか・・・・!!



 んっ??



 おっお前・・・
















 「ふっふとり過ぎじゃ・・・」







 私はここで分かった事がある・・・





 このちょっと小粋なこの国をおさめていたこの前首相・・・



 国を治めることは出来ても・・・




 自分の体重の統治には明らかに失敗してたと言う事が・・・

母国への帰還・・・(カイエンヌ:仏領ギアナ)

2008-08-17 19:39:27 | 3rdミッション 南米
2008.08.17(日)

 ブラジルのオイアポケでから乗ったカヌー、乗ってから20分ほどで対岸が見えてくる。

 現在時刻は0830時・・・

 仏領ギアナの最初の町


 そうそこは南米にありながら唯一のヨーロッパ、フランスだ。

 思い起せばこのプロフェッショナル、最初の海外ミッションはフランス、この地に向かうことは謂わば母親の胎内の中に戻るが如くと言うべきだろうか・・・

 この最初の町を「St George(セント・ジョージ)」と書いて「サン・ジョルジェ」と仏語で呼ぶ事に即座に気付く辺りが私を並みのツーリストと一線を画す「ヨーロッパ・エレガント・ツーリスト」たらしめたる所以である。

 サン・ジョルジェに到着してイミグレで入国手続きを済ませ、早速このフランスの海外県である仏領ギアナの県庁所在地カイエンヌに向かうことにした。

 これはサン・ジョルジェの中心。


 ひさしぶりに聞く「ボン・ジュール(仏語のこんにちは)」が耳に心地よい・・・

 私の乗るミニバスは10人乗り、たった3時間の距離に40ユーロ(約6600円)とバス代の高いブラジルでさえチープに見えてくるヨーロッパ規格の値段だ。
 
 ドライバーも乗客も黒人だ。金持ちの白人はみんな自家用車を持っているからだ・・・


 

 ミニバスは0900時に出発、順調に道路を走りカイエンヌには1200時頃到着

 考えてみたらベレンでフェリーに乗ってからもう3夜が過ぎ、宿には泊まっていないのでここでこの母国の香りに包まれながらのんびりしたいという気持ちになっていた。

 だが、ここで最安の宿はLa Bodega、ドミで20ユーロもしてクオリティーはそれ程良くないと聞いていたので、この際、この母国への帰還を記念してちょっといい、南米ではハイクラスだがここでは下から2番目にやすい「ホテル・ケッタイ」へ向かう。

 シングルの値段は43ユーロ、驚きの値段だがまあ1日ぐらいのんびりするのならいいだろう、ただまだ部屋の用意が出来ていないらしく1時間は待たなければいけないということだ。

 少し悩んだが、この際ベレンで修理したキャリーパックのテストも兼ねて街をぶらつきながら他の宿も当たってみていいのがなければここに泊まるという腹案にする。

 私はホテルのレセの女性に「一時間後からOKだね」と言ってそのホテルを出て街を散策することにした。

 カイエンヌの街並
 

 中心の教会。そして海沿いの公園、草で見えないがこの向こうは海
 

 ちょっとおしゃれな建物。道路標識の看板も何かよさげ・・・
 


 そして市庁舎・・・キレイ・・・ 



 「おおっ!フランスよ!!」



 そして私はここを出発することにした・・・


 よくよく考えてみたら別に首都じゃないし・・・それにたった2時間歩いただけでほとんどもう見所をみてしまったからだ・・・。

 もっとも小さな街なので見所と言えるような物は殆どないのだが・・・

 さらに言うなら今日は日曜日、誰も外にいない、聞いていた情報では「パリ・ジェンヌ」と見まがうほどの可愛らしいフランス娘も一杯いるらしいが・・・これでは今日いたところでノーチャンス、目の保養も仕様がない・・・



 私はミニバス乗り場へ向かう。

 ミニバスとその乗り場の案内、壁に書いてあるから分かり易いって・・・これでフランス??
 

 またたった3時間半の距離に35ユーロ(約5500円)、恐るべき値段だ・・・

 しかも今日は日曜日、客も私の他に3人・・・

 35ユーロもするくせにミニバスは満員にならないと出発しないと言うアフリカ方式だ。

 30分ぐらいまっても乗客は一人も増えず、私がしびれをきらしてじゃあホテルにというポーズを見せるともう一台とまっていたミニバスが「今日戻らなければいけないからそれじゃあ・・・」と応じてくれる。

 我々はそのミニバスに乗りスリナムとの国境町であるサンローランを目指す。

 1400時に出発したバスは1730時に到着。

 到着と同時にカヌーの漕ぎ手達が猛烈な客引きを始める。

 ここでも見るのは黒人ばかりだ・・・

 到着した船着場付近



 確か仕入れている情報では客引きがうざいからイミグレへと書いてあったのでドライバーにはイミグレと言っていたのにも関わらず船着場で下ろされてしまったようだ。

 いちどミニバスから降りた私に数人、「俺のカヌーに乗れ」としつこく言い寄ってくる。

 中には勝手に私の荷物に手を掛け、自分の客に無理強いしようとしてくる・・・


 「インドか?ここは???」

 私がまずはイミグレに行きたいし、しばらく落ち着きたいからといっても聞く耳をもたない。
 彼等は彼らの目の前にある客をただ捕まえようとして猛烈な勢いで寄ってきてこちらに落ち着く暇を与えようとしない。


 私はこういった手合いが大嫌いである。とはいっても彼らの中の誰かに頼らなければいけないというのが余計に気に入らない

 「まずはイミグレに行きたいからどこだ?」と聞いても「俺のカヌーに乗れ」としか言ってこない・・・

 この際だからこういう手合いのいない所まで歩いていこうと思いl、荷物を取りにくる奴に「さわるな!」といいながら歩き始める。

 少し歩くとミニバスに同乗していた他の客がカヌーを掴まえていて私に「一緒に来なよ!」と誘いかけてくる。ガイアナ人の夫妻でガイアナへ向かっている人たちだ。

 私はそれならばとカヌーに飛び乗ると、それまで私に付きまとっていた客引きの男の一人が何故か一緒に乗ってくる。

 「はぁ・・・」

 
 私はそれまで彼に散々「お前は要らない」と言ってきたのに・・・

 こういう人間は一番嫌いだ。

 我々を乗せたカヌーはイミグレへ向かう。

 その途中、同じ客である夫妻に「イミグレへ行くの?」。「料金は?」と聞くと彼らが答えるのと共に彼も答えてくる。

 「この野郎・・・お前には聞いていないのに・・・」

 私は彼に向かってこう言い放つ。

 「俺は一度もお前と一緒に行くとは行ってないし、一緒に来てくれとも言ってない、正直言ってお前は要らない」

 馬鹿には馬鹿と、それも相手にわかる形で言うのが一番だ。

 すると彼は

 「俺のことが嫌いなのはこの帽子(頭の上に盛り上がるジャマイカ人の良くかぶっているような帽子)のせいか?」


 などと言い返してくる

 私はさらに

 「お前の帽子がなんであれそんなのは知ったことじゃない、いらないというのにしつこく言い寄ってきた挙句に勝手に同乗されて最後はガイド料と言ってくる人間が嫌いなだけだ」

 と言い、後は無視することにする。

 そうこう言う内に仏領ギアナのイミグレにまず到着
 
 イミグレ


 荷物を全て持っていこうとする私に

 「置いていって問題ないよ」

 と彼が言ってくるが・・・

 「習慣だ。それにお前は俺が要らないというのに勝手についてきている、そんな奴の言うことは聞く気がない」

 とこれも冷たく言い放つ・・・

 それにしても・・・

 客引きでしつこい人間は本当に気に入らない・・・

 こちらが何を言っても聞かず、自分の言いたいことだけ、そしてこちらの知っていることでも全部勝手に喋って「俺が教えてやっているんだ」といわんばかりの顔をする・・・

 私がイミグレで手続きを終えて戻ってくると

 「乗りなよ・・・」

 とまた・・・


 漕ぎ手は別なのにさも自分のカヌーのように・・・

 本当に嫌な男だ・・・


 そして対岸に渡る、向こうはスリナムだ・・・


 スリナム最初の町アルビナ 


 カヌーはイミグレに到着。

 私が下りようとすると男が私に

 「これがイミグレだから料金を払ってくれ・・・」


 と言ってくる・・・


 「お前にではないだろう・・・」

 私が「漕ぎ手にだろう」 

 というと「俺のカヌーだから俺に・・・」

 と言ってくる。


 押し問答も馬鹿馬鹿しい、それにカヌーに乗ったから確かに料金は支払わなければいけない。

 私が5ユーロだし、じゃあと漕ぎ手に見せてから彼に渡そうとすると

 「イミグレに寄ったから10ユーロだ」

 と・・・


 「はぁぁぁぁ・・・・」


 私は終始一貫彼を拒否し続けてきた、そして料金も5ユーロ、と聞いた情報でも確認した時も聞いている。

 それが船着場から仏領ギアナのイミグレでまず5ユーロ、そして仏領ギアナのイミグレからスリナムのイミグレまでまた5ユーロなんていう言い分は・・・

 「ここはフランスか??」

 私は彼に冷たくこう言い放つ

 「あんた俺は料金を確認した時に5ユーロって勝手に答えてたよな、お前が5ユーロって言うから5ユーロ払う、それだけだ・・・」

 私は彼の手に5ユーロ渡し、イミグレへと向かう、彼は肩をすくめ「嫌な客に当たっちまった」といわんばかりの態度でカヌーに戻っていく・・・
 
 「この野郎・・・」

 てめえで勝手についてきて、勝手にこちらの知っていることまで無理やり世話を焼き、そして最後には勝手な料金を払わせようとしてこちらが払わないならさもこっちが悪いといわんばかりの態度をとりやがって・・・



 だからこういった手合いは一番嫌いだ・・・

 これが・・・これがあの「フランス」で味会わなければいけない経験としたら・・・

 馬鹿馬鹿しすぎる・・・

 それに何とも気に入らない・・・ 


 スリナムの手続きを終えて首都であるパラマリボ行きのミニバスを掴まえた時にはもう1800時を回っていた・・・

 
  
 私はパラマリボへ向かうこの日が暮れ道中のミニバスの中、このたった一日で抜けて仏領ギアナに考えを馳せていた・・・

 サンジョルジェ、そして何もないカイエンヌ、さらについ先ほどのとてもフランスとは思えない客引きのうっとおしさと性質の悪さ・・・


 そして私はこう思う・・・







 南米にあるフランス唯一の海外県のこの仏領ギアナ・・・



 「あそこは断じて"フランスではない"」


 と・・・



ブラジルの終わり・・・(オイアポケ;ブラジル)

2008-08-17 00:08:39 | 3rdミッション 南米
2008.08.17(日)


 船がサンタアナ港に到着した16日、私は公共バスを使って速やかにマカパへと移動する。


 サンタアナ港前と乗った市バス。
 


 このサンタアナからマカパに向かう途中に赤道を越える。南半球から北半球へ、季節で言うなら真冬から真夏へ一瞬にして変わる瞬間だ・・・

 ちなみに赤道記念碑が途中にあったらしいが見るのを忘れていた。


 マカパの観光をすばやく追え、その日の夜行で一路国境のオイアポケへ。

 観光したマカパ。要塞が最大の見所とガイドブックには書いてあった。
 

 

 

 街並・・・
 

 郊外のバスターミナルとその付近
 



 そしてマカパを夕方に出発して国境町のオイアポケへは朝の0700時に到着。

 到着したオイアポケのバスターミナル


 オイアポケ市内
 


 私はイミグレで出国手続きを終え、カヌーで国境の川を渡る。

 カヌー乗り場と乗ったカヌー
 

 そして道中の景色
 


 ブラジル・・・1ヶ月以上いたこの国に別になんの感情も無い・・・


 特に好きというわけでも嫌いという訳でもない・・・


 「仕事をこなした」


 ただそれだけの事だ・・・



 対岸に渡れば・・・



 そうそこは「フランス」だ・・・



 これから私のギアナ3カ国の旅行が始まる・・・



 ギアナ3カ国に何が待ち受けるのか??


 ただ期待するしかないだろう・・・

親父狩り・イン・アマゾン(アマゾン河:ブラジル)

2008-08-16 23:48:46 | 3rdミッション 南米
2008.08.16(土)


 アマゾンの大河を船で越える。


 旅行者にとって憧れを抱かせる航路の一つに違いない。


 私もこれをブラジル旅行のハイライトの一つとして捉え、是非とものチャレンジを考えていた。


 航路の選定には熟考に熟考を重ねた結果、一番短い「マカパ」へ抜ける航路を選択することにする。

 今後の予定はギアナ3カ国だし、マナウスからベレンまで2週間近くの航路をとった旅行者から聞いた所「川幅は毎日変わりますけど景色は変化しないですよ」と聞いていたからだ。

 景色の変化が無く、ルート上にも無理なく組み込めるなら・・・

 「最短でいいじゃん」


 というのが選択の決定打だ。

 わざわざ2週間も船で苦労したくもないし・・・


 大事なのは「アマゾンを越えた」という実績だけだろう。楽に越したことは無い・・・


 なにはともあれ出航の14日、チケットを買った港に行くと「ここではない」といわれる。それは情報として知っていたがここから出発の港までフリートランスポートをしてもらえると以前ネットで同じルートでいった旅行者が書いていたのでそれを当てにしてここまで歩いてきたのだ。

 だが、実際にはそんなことはなくタクシーかバスで行けということだ・・・

 これがチケットをかったフェリー乗り場とその前の道路
 

 私はバスに乗り、出発する港へと向かう。

 到着は1630時、出航予定は1830時なので悪くは無い時間だ。

 乗り込んだフェリー


 乗り込み口は木の板を渡してあるだけというお粗末な物



 フェリーに乗りしばらく待たされた後ようやく私にキャビン(客室)が与えられる。

 ハンモックにゆられてというのがバックパッカー達のとる常套手段だが・・・

 船内につるされたハンモック




 私はツーリスト、エレガントを売りにする男だ。ここは客室の一手だろう。調べた情報によるとエアコン付と書いてあったから快適な筈だ・・・



 そして与えられた船室には・・・





 エアコンは無かった・・・



 「むぅ・・・・」



 1830時に出航予定の船はなかなか出発せず。


 空には暗雲が立ち込め・・・

 暗雲立ち込める空



 3食付と聞いていたが今日の夕食は有料、待っているのも疲れて仕方がなしに食べ

 初日の食事、2日目からは3食無料になったが朝はビスケットとコーヒー、昼夜はこんな感じだった。



 フェリーが出航したのは夜の2000時過ぎ・・・


 これから約36時間、2泊3日のアマゾンの旅が始まるのだ・・・




 明けて15日、昨日みた暗雲に不安を抱いていたが幸いなことに天気は良く、私はこれからのクルーズを存分に楽しめるはずだった・・・


 そう、あの忌わしい出来事さえなければ・・・



 恥を忍んで告白しよう・・・


 このプロフェッショナル・・・



 このアマゾンクルーズで・・・



 なんとあの有名な「親父狩り」にあう羽目になってしまったのである・・・



 日本語を正確に使うのなら狩られるのはこの私なので「美少年狩り」というのが本来適切な表現ではあるのだが、一般的な表現ではないのでここは親しみのある「親父狩り」という表現を使うと事にさせてもらおうか・・・




 朝、私が起きてのんびりと朝食を摂り、優雅にアマゾン河を眺めている時に・・・



 アマゾン河



 不意にあの極悪非道なやつらがやってきたのだ!!



 「し~ね~じ(中国人)」


 『んっ??』


 『はっ!はうあっ!!』


 ちなみにこの船に乗っているのは大体60人ぐらいであろうか、ただ東洋系の顔立ちをしているのはこのプロフェッショナル只一人である。こんなことからも私がターゲットにされたのだろうか??

 やつらは凶悪だった・・・


 つぶらな瞳と女性であることを武器に・・


 この私を散々嬲者にし始めたのだ!!


 まずは「質問攻め」から始まった。

 私がブラジルポルトガル語もフランス語も喋れず、英語だけだと説明しても彼女たちには何一つ関係無い、彼女たちの"好奇心"だけが全てに優先するのだ。


 ちなみにこの三人が最初の私に襲い掛かった主犯格。左の背の高いアレッサンドラが「親父狩り」のボスとなった。 



 私がうまく答えられなくても、優雅にアマゾンを眺めようとしても情け容赦なく攻めは続く。


 それならばと私は持っている「単眼鏡」を取り出したのだが・・・


 これがさらなる苛めを呼ぶこととなった・・・


 単眼鏡に食いついた彼女たちはさらに仲間を集めて集団で私を取り囲んで襲ってきたのだ!!

 一人が飛びつくと次々に他の仲間が「私にも(僕にも)見せてぇ~」と間断なく私に強要してくる。

 

 彼女の仲間の一員、私の持っているカメラにも食いつき「撮れ!この野郎!」と脅迫されて撮影した。



 何とか隙を見て撮影したアマゾン河
 
 意外に人が河沿いに住んでおり、中には小規模ながら町まである。
 


 そして小さな子供まで当たり前のようにカヌーを漕いでいる、生活の必需品だろう。
 




 私が彼らに疲れて、そして暇なのでと船内のパイプを利用して懸垂を始めると彼らはもうとまらなかった、一人一人私のところにきて「持ち上げて~」と強制し、私に持ち上げさせてパイプを掴まえさせて遊び始めたのだ・・・


 もう勘弁してほしいと涙ながらに訴えても彼らに聞く耳は無い。

 それに彼らは卑怯にも「俺は中国人で無く日本人だ」と言うと

 「ジャポネ~ジ」


 ときちんと言い直して、そして私がもう駄目になりそうな瞬間にこそ、子供の特権を生かして甘えたような顔でお願いという名の脅迫を続けるのだ・・・



 最短期間で優雅に抜けるはずのアマゾン・・・


 夕日の時間には私はすっかりと消耗しきってしまっていた・・・

 眺めた夕日
 


 そして最終日。朝日を眺めることが出来たのは幸運だったが・・・


 眺めた朝日。朝焼けから昇ったところ
 

 


 日が昇り、子供が起きると・・・私は彼らの狩りの餌食であった・・・


 明け方に眺めたアマゾン河



 これからの私の事など彼らにとってはお構い無しだ。
 彼らの好奇心の赴くまま、私に絡んでくる・・・

 「もう死にたい」


 と考え始めた1200時ころ・・・


 船はようやく到着地である「サンタアナ港(注:マカパ行のフェリーはマカパに直接到着せず、20kmぐらい離れたこの港が終着地となる)」に到着

 



 私を散々嬲者にしてきた凶悪な親父狩り集団は到着と同時にあたかも潮が引くように消え去り・・・


 私はようやく開放されることとなったのだ・・・




 これからギアナ3カ国へ向かう入口とも言えるこの地で・・・



 そこに残されたのは


 この「親父狩り」によって消耗させられきった自分の姿


 であったということは・・・



 このアマゾン河クルーズがいかに激しい冒険を伴っていたかを物語るものだろう・・・



 そして私はこう言いたい。



 アマゾン河・・・



 これに待ち受けた冒険は



 「自然との闘いではなく子供との闘い」


 であったに違いなかった



 と・・・

大国の底力(ベレン:ブラジル)

2008-08-14 22:52:31 | 3rdミッション 南米
2008.08.14(木)

 きれいに沈む夕日を眺めるのこそ失敗したがここでやることはこれだけではなかった。

 到着した初日(11日)、私はサンルイで壊れた「キャリーパックの車輪」の修理屋を探して修理に出していたのだ・・・

 ホテルの人に聞いた1軒目では修理は出来ないと言われ、そこに紹介してもらったもう1軒に行ってみる。

 最初は無理といっていたが、私が彼らにジェスチャーで壊れているのは片輪で車輪の本体には異常がなく、あくまでもそれを覆っているカバーが破れただけなのでそれを何とかしたいと説明し、彼らが出来ないのなら自分でやるとゴムを買って接着剤を売っている所を聞いたら「それならば俺が」と請け負ってくれることになる。料金は25レアル(約2300円)、物価の高いブラジルとは言え、これだけの料金を取るならそれなりの修理をしてくれるだろう・・・

 ポイントは「車軸とプラスティック製のタイヤ本体は無傷であるということ、ただ、この先の事を考えるといずれにしてもこのまま使い続けるといつかはタイヤ本体も破損してしまうから応急処置でかまわないからその外枠を覆う物をつけてタイヤ本体を長持ちさせればいい」というのが私の考えだ。

 これが修理に出した「セニョール・セロの店」、本業は靴の修理。看板のエスペシャリスト(専門家)の字が期待を抱かせる。
 

 修理に出した私のキャリーパック、そしてセニョール・セロ
 


 この日と翌日は観光に精を出し、そして受け取り日の13日・・・

 午前中セロのショップに行ってみるとセロが笑顔で私を迎えてくれる。

 どうやらうまく直してくれたらしい・・・

 セロが私の鞄を軽快に転がす、これなら大丈・・・


 『んっ???』


 そう言えば車軸ごと変わっているが・・・


 私は鞄を逆さまにして車輪の部分をよく覗いて見る・・・


 『こっこれは・・・』


 修理直後の車輪
 


 見てみるともともと付いていた車輪は外され、新しいものに置き換わっている、ここまでは良くやったと言ってもいいかもしれない、だが・・・

 初めからついていた車輪の頑丈な車軸はなにやら「釘」に置き換わり、そしてブランコのように車輪はブラブラと遊んでしまっている・・・


 これでは・・・これでは・・・「修理ではなく改悪」だ・・・!!

 それに壊れた車輪は片側だけだったのによりによって両輪とも変えてしまうなんて・・・

 今は荷物が入っていないからいいが・・・荷物を入れたら多分"秒殺"で壊れてしまうだろう・・・


 私の目は涙目だ・・・

 だが・・・セニョール・セロの修理が終わってうれしそうな顔をみると・・・

 その場で苦情を言う気にもなれず・・・

 そしてショックの大きさからただうなずき、その場を後にするしかなくなっていた・・・


 それに今日私がやらなければいけないことはこれだけではない。

 ギアナ3カ国に入る前に、ここでCDを焼き、荷物を日本に送ろうと考えていたのだ。

 明日はアマゾンを越えるフェリーに乗るのでそれが出来るのは今日だけだ。


 日本語の読み書きが出来、DVDは焼ける私のホテルのパソコンは、CDを焼こうとすると何故かエラーになってしまうので、3枚ぐらいCDを無駄にした後、ホテルの目の前にあるネットショップに行くことにする。

 ここは快適だ、2枚焼く予定のCDのうちの一枚が簡単に焼ける。それまで散々苦労していたのが嘘のような速さだ。

 そして2枚目にとりかかろうとしたとき・・・


 「ボンッ!!」


 という大音響が外から聞こえてくる・・・


 ネットショップの女性店員は外を見て・・・急にパソコンの電源を落とし始める・・・


 『何事だ??』



 さらに外から「バチバチッ!!」っと言う音が・・・


 私も外に飛び出し・・・見てみると・・・

 


 電柱についているブレーカーから火花が・・・

 


 消火活動も効果無し、燃え続けている・・・



 これでは・・・これでは・・・仕方ない・・・


 だが・・・ただでさえ鞄の修理の失敗で落ち込んでいる今、こんなタイミングでこんな事が起こるなんてぇ~・・・・!!


 その後、復旧することなくネットショップはクローズ、おまけにホテルのネットも自動的にダウン。


 何とかCDを焼ける店を探して荷物を日本に発送したが・・・


 ツイてない・・・ツイて無さ過ぎる一日だ・・・




 明けて14日、出発日・・・


 昨晩鞄の事で色々思い悩んだが・・・セロのショップにせめて苦情だけでも言いに行こう、そしてできれば修理前の状態に戻してもらおうと考え直したので朝ホテルを出てセロのショップに行く。

 名刺には0800時オープンと書いてあったが実際のオープンは1000時、船の出港は1830時だが1630時には港に行かないといけないので時間は押し迫っている。

 セロに「これでは荷物を入れたらアウトだ」と言い、前の状態に戻してくれというと「それは出来ない」と・・・私はせめてそれなら車輪だけでも返してもらい、どこかで自力でと考え車輪を出してもらうと・・・

 
 壊れた車輪の亡骸・・・
 



 車軸はきれいに取り外され・・・


 どこにあるかもわからないそうだ・・・・


 まあいい、もう無理だろう・・・


 せめて前の状態にでもという希望は終わった・・・



 私があきらめて出て行こうとするとセロがこう言ってくる


 「分かった、直しなおすから5時間時間をくれ」


 と・・・

 私はフェリーの出発時間もあるから昼ごろまでにやってくれというとセロもこちらの状況を理解したらしく「じゃあ1200時」にということで了解を得る。


 
 私は一度ホテルに戻り、事の経緯を説明して「宿泊の半日延長」を申し出る。ここは船の出港に合わせて1800時まで半分の料金で部屋を使える事になっているのが荷物を全て出して鞄を修理に出している私にとっては幸いだが・・・

 鞄の修理がきちんとされてなかったら無駄金になる・・・


 1200時、セロのショップにいくと私の鞄の修理を丁度している所だ。

 セロはポパイのポーズをとって「強く直してやる」からとこちらにアピールしてくる。

 また1時間後にくるといい昼食をとって戻ると・・・


 


 『おおっ!』



 こんどの車軸はブラブラする釘ではない・・・しっかりとした太さを持つボルトが取り付けられている・・・


 修理に・・・修理に出した甲斐が・・・


 これならあった!


 と思わせる出来栄えだ・・・


 セニョール・セロのショップとその修理工場の中



 


 出発日の、時間のないこのタイミングで・・・私のクレームを聞き届け、そして完璧とまではいかないまでも応急処置としては申し分の無い修理をやってのけたこの小さなセニョール・セロという町工場・・・

 人種の坩堝といわれるこのブラジルの・・・

 その「底力の一端」がここに示された瞬間と言ってもいいだろう・・・




 これで私の心配事の一つは解消されたのだ・・・




 これはセニョール・セロの名刺



 セニョール・セロ・・・



 私は今、感謝の意を込めて、彼にこう伝えたい・・・






 「こういう修理が出来るのなら・・・」





 「何故最初からそうやらないのか・・・」





 と・・・

サンセットクルーズ(ベレン:ブラジル)

2008-08-12 06:38:26 | 3rdミッション 南米
008.08.12(火)

ベレンには11日に到着。

 到着したバスターミナル


 アマゾン河口にあるこの街に来たのはこれから単純に[アマゾンを船で越える]為ではあるが、だからといってこの街を観光しなくて良いわけではない。

 到着した初日、次のアマゾン河を越えるフェリーのチケットを購入するという大仕事を終えてから積極的に観光に打って出る、観光マシーンたる面目躍如の瞬間である。

 フェリー乗り場にいたチケット売りの親父、チケットブースでなく、IDを持った親父がその辺にいてチケットを売ってくるので少し心配だがポーズをとって写真を取らせてくれたから大丈夫だと思うが・・・



 そして初日に見た景色の数々。
 

 


 ある程度見て周り、夕日の時間に合わせて川岸に出るも今日は雲が多い・・・

 初日の夕日・・・



 まあいい、だが本当の勝負は翌日だ・・・


 そして翌日、この日も積極的に市内散策をする。

 火曜日は入場料がタダになるところが多く、それも私の観光欲に弾みをつけていた・・・

 新市街にある教会


 この手の内装は久しぶりだったので結構よかった。
 

 宝石博物館、中の撮影は禁止、中庭はなんかの原石で敷き詰められている
 


 宗教美術館

 
 そしてマンガル・ダス・ガルカス公園。

 展望台とその上からの景色。
 
 
 

 アマゾン河・・・



 そして中にはこんな真っ赤な鳥が放し飼いにされていたり・・・
 

 蝶々が間近で見れたり・・・
 

 なんか間抜けな目をした鳥がいたり・・・






 並みのツーリストならこれだけ回れば一日のノルマを達成といっても良いのかもしれないが・・・




 私は"並"ではない、最高の"プロフェッショナル"だ。




 ガイドブック曰く

 「夕方1730時発の湾を巡るクルーズ船は夕日が見れるので人気が高い」


 そう、今日のハイライトはサンセットクルージング、これで観光を締めると決めていたのだ!!

 幸いにして天候も良い、今日は間違いなくアマゾン河に沈む夕日が眺められるに違いない・・・

 これがそのクルーズ船



 クルーズ船は1730時に港を出発。

 出発直後に市場を船から眺めて・・・


 軍艦を見たり停泊中の船を見たり・・・ 
 

 日はまだ高いが雲は少ない、絶好の夕日日和だ・・・


 日が傾くにつれ、景色がどんどん赤く染まっていく、私の愛する時間帯である・・・

 スラムのようなバラックが河沿いに、後ろの高層ビルとのコントラストをなしている、そしてガソリン(?)スタンド船
 

 1800時を過ぎた頃だろうか?船内が騒がしくなってきた、ダンサー達(といっても男女ペアの一組)のショーが始まったようだ。みんなそちらの方向に釘付けになっている・・・
 



 私は一瞥するもまた景色に目を戻す、ダンスは後で見ればいいだろう、夕日はこの一回のチャンスしかないのだから・・・


 そして夕日が沈む5分前・・・




 クルーズ船が方向を変えて進み始める・・・






 「あっ!そっちに行くと・・・」








 「たっ建物の後ろに・・・」








 「ゆっ夕日がぁ~・・・!!」







 ・・・強制的に建物に沈まされた夕日・・・







 「あっあぁぁぁぁぁぁ・・・・・・・・!!!」






 「あっ・・・・あんまりだ・・・・・」




 「夕日を・・・夕日を優雅に眺める為にこのクルージングをチョイスしたのにぃ~・・・!!!」

 


 そんな私の気持ちなどお構いなしにショーは続く・・・
 




 「ガイドブックの・・・ガイドブックのばかぁ~・・・・!!!」


 サンセット後の景色






 ベレン・・・




 今の私にははっきりと分かった事がある・・・





 「夕日を眺めるなら"サンセットクルージングには乗らない事"が賢明である」




 と・・・・




涙のサンルイ・・・(サンルイ:ブラジル)

2008-08-10 11:44:59 | 3rdミッション 南米
2008.08.10(日)



 前回記事にサンルイの街について書いたのだが・・・



 結局、この街は・・・私にとっては悲劇とも喜劇ともつかない、そんな街だった・・・



 事の始まりはバヘリーニャスから到着した08.07日から始まる。

 
 長距離バスターミナルから市内へ、私はデオドロ広場へ行きたいのでターミナル併設のツーリストインフォメーションに教えてもらったバスを、30分以上まったのだが中々来ず、結局そこに行くのはターミナル前にさっきから散々通っていたバスという事を後で知ってまずここからケチが付き始める。


 そして市内に到着したのは1330時。


 到着したデオドロ広場とその前にある図書館


 旧市街に近いバスターミナルでは無くデオドロ広場に行きたかったのはサンルイには予め3泊すると決めていて、ちょっと高いけど良さそうなホテルに行くのにはこちらからが近かったからだ。

 ここにはフランスの香りに包まれてのんびりと骨休めをする。そう決めていたのだ・・・




 だが・・・


 そのホテルも部屋を見たらそれ程良くも無く・・・


 せっかく三泊だからと街中を歩き回って探しても条件にあうホテルが見つからず・・・


 それならば情報で知っていた「高いけど朝食がいい」というホテルに諦めて泊まろうとしたらそこはフル・・・!!


 さらに道中でキャリーパックの車輪を覆うゴムに亀裂がはしって割れ・・・


 これは夜接着剤で付けてみた所





 その後何とか探しまくって1泊30レアル(2100円)のホテルを3連泊を条件に25レアル(1750円)に値切ってもらい、そして最終日に荷物を預かってもらえるかも確認して泊まることにした。

 トイレ、シャワー、ファン、テレビ、朝食付で旧市街と新市街の境目にあるので立地も条件も悪くない。ホテル探しに2時間はかかってしまった・・・

 ここを見つけたのはせめてもの慰みだろう・・・




 これはそのホテルからの景色、旧市街と新市街の境目にある。




 初日からしてなんとなく暗雲立ち込めるスタートであった・・・





 翌日からの街の散策については前回記事に譲るとして・・・

 正直言ってあんな街並なら1泊でも十分だったがもう3泊と決めてしまっていたから仕方が無い。

 街は想像以上に小さく・・・フレンチの香りはゼロ・・・

 それでも日本語を強制インストールして打てるネット屋も探し当て、街をほっておいても何とかくつろげる状況にはなったのだが・・・



 問題は出発日、08.10にまた起こったのだ・・・




2008.08.10(日)


 この日は出発日だ。


 と言っても夜の2000時のバスなので時間がある。


 ホテルをチェックアウトぎりぎりの1200時まで粘り、そして出るときに荷物だけ預かってもらう様にする。

 泊まっているホテルのレセの人が初日にチェックインした時と変わっていて、荷物だけ預かってくれと言っても最初は「それなら30レアル」と言うような事を言ってきて「部屋じゃないんだ、荷物だけなんだ」と伝えるのには苦労はしたが・・・それでも私を横に2人くっつけたようなレセのお姉さんは最終的にはそこに居た別のおじさん(たぶん家族かな?)が私の荷物を居間に持っていって「これでいいだろう?」という風に言ってくれたので何とかはなった。

 出発日、これから時間を潰すのにはネットが一番だ。

 街はもう散策済み、そうなるとたまっていたHPの記事でも書いてアップしてから出発すれば・・・


 んっ・・・




 行きつけのネット屋が・・・




 クックローズ・・・・!!




 観光案内所が開いていたので聞いてみると、何でも今日はただの日曜日だけでなく、「父の日」もかぶっていて殆どの店もお休みだそうだ・・・



 人の居ない旧市街の広場・・・ちなみに新市街はもっといないらしい・・・
 


 そして行きつけだったネットカフェ、なんかのパクリっぽい看板が目印

(注:ここは日本語読みが可、デュークはWindowsのOSを持っていて強制インストールをして打てるようにしていたが、一度リセットすると元に戻るのでIMEを持っている人でなければIMEは使えない)


 私は当初1800時頃に夕日でも見てそれから出発すれば十分間に合うと読んでいたが・・・


 1200から1700まで待つ内に、この日中30度を超し、湿度の高いサンルイでただ時間を潰す事に疲れきってしまい・・・

 ホテルに戻って荷物を取り、長距離バスターミナルへ向かう事にした。

 雲も多いのでたいした夕日も見れないだろう・・・・



 そしてホテルについてまず南京錠で留めてある鉄格子の玄関を開けてもらって荷物をと・・・


 なにやらレセのお姉さんが言ってくる・・・


 「30レアル・・・」


 と言ってきているのは理解したが何故だ??


 私は『ポルケ?(スペイン語の何故、通じているのでポルトガル語でも一緒だと思うが・・・どうだろう?)』と聞き返す・・・

 だが・・・意思の疎通の不十分さから・・・お互い理解は不十分なままだ・・・

 私はレセのある、そして荷物を置いてあるホテルの2階にまず行くことにした、彼女は玄関の鍵を持ったまま上に上がる。

 そして私は紙を出すように要求する。

 困ったときには”筆談”だ・・・


 紙に泊まった日を7,8,9,10と書いていく。

 彼女にチェックアウトは?と聞くと「メディオディア(正午)」との答えだ。

 数字を二つに分ける線を書き、その上に1200と記入する。

 7と8の間をペンで指し「1日」次も同様にして10日まで・・・きっちり三泊だ。

 彼女にも念を押し、聞いてみると「私が払ったのは3泊分」との答えだ・・・

 なら・・・今日の昼までは部屋を使えるのが当然だが・・・

 彼女は何故か私の書いた10を消し、「今日の分、30レアルを払ってよ!」と・・・




 「・・・」




 「・・・・・・」




 「りっ理解できん・・・・」




 いやまて夜の12時にチェックアウトなら・・・確かに今日の分は払わなければいけないがまずそんなことはありえない。昼の12時にチェックアウトが当然だ。

 

 ふと私は自分の荷物が気になりだす。そうだっ!まずは荷物だ。

 彼女に少し待つようにいい、まず自分の荷物を回収する。そしてそのまま行くことも考えたが・・・

 それはよろしくない。気に入らないのは彼女が私がもう1泊払わなければいけないと考えている事だ。「料金を踏み倒す人間」と思われるのも嫌だ。

 私はチェックインして料金を払ったときには必ずレシートを貰うようにしている。

 これを出して・・・んっ?いつもいれてる財布にはない・・・

 なら・・・でかいカバンの中に今迄の領収証と一緒に・・・


 なっない・・・・



 必要なときに限って必要な物は無い・・・


 こんな事は良くある事だが・・・


 私はレシートを出して説得する事を諦め、また彼女と話に入る。


 何度か話していると彼女はメディオディアと良く言ってきたので次に思い当たる節があるとしたら昼までに私がチェックアウトしてないと考えている事だ。なら私はぎりぎりといっても用心して1150時にチェックアウトをしたのでそれもない。彼女に「昼までには出ていて荷物だけ置いているでしょう」と抗弁する。

 だが・・・彼女はどうしても私が30レアル支払わなければならないと・・・平行線だ・・・


 『こうなったら・・・ここは大人になって・・・たかが30レアル(2100円)だ・・・俺が払えば・・・』



 ・・・って




 『なるかぁ~・・・!!ボケぇ~・・・!!何故払わんとならんのじゃぁ~・・・!!』


 と言う口調ではないがこちらも硬く抗弁する。踏み倒すのは嫌いだが・・・いわれのないお金を払うほど大人にはなれない・・・


 抗弁が続いている最中に彼女が一言・・・



 「朝食も食べたでしょ・・・」



 「・・・・」




 「・・・・・・」




 『あぁ・・・食べたさ・・・食べるに決まってるさ・・・3泊・・・もちろんチェックインした初日の7日は食べていない・・・8,9,10日・・・3泊して朝食3食・・・食べないとおかしいでしょ・・・・』

 そして気づいた事がある。1200時過ぎまで私が残ったと考えているわけでなく、「私が丸々1泊分払っていない」と彼女は考えているのだ・・・



 だが・・・どう計算してもこちらは3泊分支払い、3泊しただけだ・・・



 こんなことで30分近くもう言い争っている・・・



 たまたま朝食を取った時に一緒だったカップルが帰ってくる。

 私は「英語かスペイン語を話せる?」と聞くと「ノー」と・・・

 だが、レセの彼女が彼らに話している事を理解したととった私も何とかスペイン語で説明すると彼らは私の言い分も理解したようだ・・・そして「仕方ないね~あとはそちらで何とか話してよ~」みたいなジェスチャーをして部屋に帰ったとき・・・

 私はもう決意していた・・・


 彼女はなおも私に「30レアルを払え」と言ってくるが・・・


 もう十分だ・・・疲れたし馬鹿馬鹿しい・・・

 
 私は吐き捨てるように彼女に「そちらがどう考えようと3泊分支払って3泊しただけだ、俺は払わない」と言い荷物を背負い、階段を下りる・・・

 そして鉄格子を開け・・・外に出た・・・


 振り向くと彼女がレセのデスクの前で下を向いて俯いている・・・


 どう考えても彼女の中では「私は1泊分どうどうと踏み倒して逃げた悪者」と映っているのだろう・・・


 そう考えると・・・彼女のことが哀れに思い・・・私が大人に・・・




 って・・・・





 『なれるかっ!そんなん!!ぼけぇぇぇぇぇぇぇ~・・・・、何故ちょっと値切ったけど宿泊日数分支払ってその日に出てるのに悪者扱いされんとならんのじゃぁぁぁぁぁぁ~・・・!!』




 というのが素直な気持ちだ・・・

 彼女に言いたいことがあるとしたら・・・

 もし私があってようが間違えてようがお金を支払わせたかったら・・・


 『鍵はきちんとあけたら閉めよう』


 ということと・・・


 『頼むから計算を覚えてくれ・・・足し算だけでもいいから・・・』


 という2つだろう・・・


これがそのホテル。真ん中らへんの黄色いの・・・




 いずれにしてもこれじゃあ単なる悪者だ、何一つ悪いことしていないのに・・・


 ホテルも・・・設備も朝食も安宿の部類では凄く良く、サンルイで良い宿を見つけたと喜んでいたのに最後にこんなに胸クソの悪くなる思いをさせられるなんて・・・


 あっ!あんまりだ~・・・!!




 そして市バスにのり長距離バスターミナルに到着すると・・・


 接着剤で補修してさらにガムテープを巻いたキャリーパックの車輪にまた亀裂が・・・


 むむっ!付け焼刃の修理ではやはりダメか・・・




 そしてネットカフェが開いてると喜んで中に入ったら日本語読み書き不可・・・意味なしで・・・


 乗り込んだベレン行のバス・・・


 私の座席の足置きが取れてなくなっていた・・・・


 ベレン行バスと座席の足置き(隣にはあるのに・・・)
 



 私はクーラーが効きすぎて、毛布をかけても寒さで震えるこのバスで・・・




 サンルイでの日々をこう振り返る・・・



 「フランスを期待して行ったのにその実情は散々涙に暮れる毎日・・・」





 「サンルイだけに・・・」






 「散涙だった・・・」






 と・・・・


ブラジルの中のフランス(サンルイ:ブラジル)

2008-08-08 06:44:49 | 3rdミッション 南米
2008.08.08(金)

 ここサンルイに到着したのは昨日。

 このサンルイはブラジルの中で唯一フランス人によって築かれた街並が残る場所だ。


 フランス・・・


 周知の事実だと思うが私にとって生まれて初めての海外は「フランスのパリ」、まあファーストミッション以前の「プレ・ミッション時代」の事ではあるが私にとって言わば海外ミッションの母体とも言える場所がフランスである。

 そして私の最終目的地はドイツの首都ベルリン。

 そうなると私の旅行とは「パリ発ベルリンのヨーロッパでの旅」というのが極く妥当な所だろう。



 ちょっと話がそれたがいずれにしても私にとってフランスとは最初に踏みしめた海外の大地、実際はトランジットしたモスクワの国際空港だったということは置いておいてもブラジルにそのフランスを感じさせる場所がある。

 それだけで訪れてみる価値があるではないだろうか!

 そしてこのサンルイの街は近年「復興プロジェクト」により建物や道路が修復され、さびれていた植民地時代の街並を甦らせたという事なのである・・・



 中でも意匠とりどりのヨーロッパ式のタイルが売りらしい・・・




 フランスの香りに綺麗な街並・・・

 私は早速街に繰り出してみることにした・・・


 安宿のすぐ前にあるカルモ教会と壁にペイントされたビル。ここはまだ新市街
 


 早速目に付いたのが信号機、これもタイル風に装飾されている・・・
 




 うーむ・・・


 復興プロジェクトとやら・・・


 中々やるではないか・・・



 たかだか信号機にすら「売りのタイル」とは・・・







 これは・・・


 街並も期待できるだろう・・・



 そしていよいよ旧市街に突入・・・


 







 「・・・」





 「・・・・・・」





 「何かの見間違い??」







 「復興されたのか?これが??」






 まあいい、ここは旧市街と言っても外縁部だ。街の中心に行けば・・・




 中心にある通りのひとつ、街並が綺麗ということで有名なポルトガル通りは・・・






 「・・・」




 「・・・・・・」





 ここはよく見てみよう・・・


 



 なんかボロいぞ・・・


 それに・・・

 

 




 「・・・」




 「修復・・・したのか?これで・・・??」




 売り物のタイル博物館ぐらいはきちんと修復してみようよ・・・


 

 ここに至っては、"もはや論外"と言ってもいいだろう・・・
 




 そして石畳は・・・・??

 






 「・・・」






 「・・・・・・・」







 「甦ってねえじゃん・・・・・」









 こんなことやってる場合じゃねえだろう・・・


 こんなこと・・・
 







 しかし・・・街の中心部ですらこの程度とは・・・





 サンルイ・・・



 プロジェクトによって復興された街・・・




 私はこう断言することが出来るだろう・・・






 「復興プロジェクト・・・」





 

 「失敗っ!!」





 そして






 「残念っ!!」






 と・・・






 ちなみにこれはセー教会。



 そして夜のポルトガル通り。一見情緒的に見えるが手前の建物の壁からしてペンキが剥がれている。


翔け!水上フロート!!(カブレ:ブラジル)

2008-08-05 03:30:33 | 3rdミッション 南米
2008.08.05(火)

 
 最初に寄ったバッソーラスで”この世の奇跡”を目にした私だが・・・

 私のそんな感傷にお構いなしにツアーは続く。

 先ずは次に寄ったマンダカル。
 
 灯台とその上からの景色、レンソイスがかなり遠くに・・・
 

 そして灯台の中を下から上、上から下に眺めて・・・
 



 さらに次の場所カブレで・・・


 こんな物が・・・

 


 「こっこれは・・・水上フロート機というやつでは・・・!!」


 このプロフェッショナル・・・

 別段陸路にこだわりがある訳ではない、ファーストミッション以降数多くの航空機を利用してきている。
 主にはジャンボジェットだがレシプロの旅客機(プロペラ機)やセスナ、そしてファーストミッション以前にはヘリコプターにも乗ったことがあるので通常の人が利用できる大体の航空機に乗ったことがあるのだが・・・


 これは・・・これは初めてだ・・・!!

 レンソイスの上から無数の砂漠を見ると言うフライトに憧れてはいたが、料金は160レアル(約11000円)、ここでのフライトは完全にあきらめていたが・・・

 値段を聞いたら80レアル(約5600円)、それも残念ながらレンソイス上空までは行かないらしい。

 私は半ば諦めかけていたが・・・その時に「悪魔の囁き」が・・・


 『おいっ!デューク、レンソイスの上を飛ぶ奴はいるがわざわざこんな所でレンソイスを見ずに飛ぶ奴なんていないぜ、それをやってこそプロフェッショナルじゃないのか?それに水上フロートなんてなかなかお目にかかれる乗り物じゃぁないぜ・・・』


 私は水上フロート機を眺めながらしばし立ち尽くす・・・

 指を唇に咥えたままだ・・・


 その私の心を見透かしたようにパイロットがやってきてこう言ってきた・・・

 「君が今日最初のフライトになるから・・・60レアル(約4200円)で飛んであげるよ!」

 「のっ乗った!!」


 決断は早かった!


 水上フロート機、まだ乗ったことの無いこのセスナに・・・

 乗ってやろうじゃないか!!


 そしてセスナは大空を舞い上がる!!


 上空からの景色。見えているのは大西洋(左)。そして先程の灯台が右下にちっこく(右)
 

 上空からカブレを眺めて
 

 下から見ると結構低い所も飛んでいる。


 そして着陸・・・意外と滑走距離が短くてびっくりした。



 20分足らずの短い飛行時間だったが・・・

 時には機体をけっこう傾けて少しアクロバティックな事までしてくれたりして・・・


 大満足といって良かっただろう・・・


 フライト後、私は目の前に広がる大西洋を眺めながら・・・




 深い充足感に浸っていた・・・


 「水上フロート、最高!」

 と・・・


 そして「レンソイスに来たのに、無数の湖の出来る摩訶不思議な砂漠の上をフライトせず、ただこの水上フロート機につられて乗ってしまった」自分についてはこう言い訳をしたい。







 「フロートだけに”振ろうと”したけど出来なかった」




 と・・・

奇跡の砂漠(レンソイス:ブラジル)

2008-08-04 04:18:41 | 3rdミッション 南米
2008.08.04(月)


 「湖が無数に出来る摩訶不思議な砂漠がある・・・」


 人から聞いたこの話には自然系を誰よりもこよなく愛する私を惹きつけて止まない物があった。




 レンソイス・マニャランセス国立公園



 その名前の響きと白砂漠であることから多くの旅行者から「レンソイス・ヴァニラエッセンス国立公園」の愛称で知られる・・・






 という話は全く聞いたことのないが、これがその場所の名前だ・・・










 私はこの国立公園の基点になるバヘリーニャスへ到着した翌日、早速この公園をツアーで訪れることにした。


 こんなジープに乗ってこんな道中をいく。
 

 途中川をこんな舟で渡る。これはもっと小さい舟で押して移動させている。
 




 そして私の目に入った光景は・・・
 
 白い砂漠・・・






 の裏に・・・




 



 『おおっ!』


 本当に・・・本当に湖が・・・


 ちょっと高い丘に登ってみてみると・・
 




 『おおおおおぉぉぉぉぉぉぉ~・・・!!」


 ちなみに境界線ではこんな感じ。左は森林右は砂漠・・・



 このプロフェッショナルをもってしても・・・


 こんな景色は初めてだ・・・

 

 

 ちなみに泳げる。そして砂の中には水がたまると生き返るという魚まで・・・
 


 不思議だ・・・不思議な気分だ・・・


 乾燥しきって水がないから砂漠が出来る物と思っていたが・・・

 オアシスならぬ湖が出来る砂漠があるなんて・・・



 だが・・・


 不思議はこれだけでは無かった・・・



 砂漠・・・



 悠久の時を刻むこの大地に・・・


 こんなメッセージまでが・・・


 
 










 「・・・」







 「・・・・・・・」







 日本の裏側の国このブラジルで・・・


 こんな事に出会うなんて・・・



 『おぉ!何と不思議な出来事だろうか!!』



 私はしばらくそこに立ちすくんでしまった・・・




 そして砂丘がほのかに赤く染まり始め・・・

 沈み行く夕日をただ呆然と眺めるしかなくなっていた・・・
 





2008.08.05(火)


 昨日私は軽い衝撃に似た何かを覚えていたが・・・

 何よりも不思議だったのはあの「砂に描かれたメッセージ」だ・・・


 ただあの場所で見ただけなら・・・

 人によっては「自作自演しやがって」と私に対して言われなき誹謗中傷を投げかけてくることだろうが・・・


 私はプロフェッショナル、どんな状況においても自分をすら第一者的、主観的に見る冷徹な目を持つ男だ・・・


 あの不思議は断じて人為的な物ではないのだ!!


 私は事の是非をはっきりさせる為に、新しくボートツアーをとる事にした。

 朝港を出て川沿いを進む。


 

 


 そして最初の寄港地バッソーラスへ到着。



 ここもレンソイス型の砂漠がある所だ。

 私は昨日見たのと同じような、この不思議な砂漠を飽きもせず歩いて見て回っていた・・・

 

 



 そしてしばらく歩き・・・


 ふと歩き疲れて下を見ると・・・



 なにやら・・・



 

 

 







 「・・・」





 「・・・・・・」




 「これは・・・」




 「ここにも・・・ここにもメッセージが残されているとは!!」




 湖が無数に出来る砂漠、これだけでも摩訶不思議な出来事なのに・・・



 レンソイスのみならずバッソーラスにさえこんな不思議なメッセージが描かれていようとは・・・



 「まさにこれこそ・・・奇跡に違いない・・・!!」




 私ことデューク東城はこの2つの奇跡を目にした今、はっきりとこう言う事が出来るだろう・・・



 このデューク東城こそ・・・


 「プロフェッショナルであり、そしてヨーロッパのエレガントなツーリストである」



 と・・・・