謎の日常

 「観光」に”感動”などといった余計な”感情”は必要ない・・・
 ただ”事を終わらす”とだけ考えれば良い・・・

ドゥシャンベ・ポリーツィア(ドゥシャンベ・タジキスタン)

2007-08-31 17:27:31 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.08.31


 ドゥシャンベへ朝の0500時に到着。

 ちょっと時間をつぶして市バスで駅へ向かう。まだホテルを探すには早かったので朝からやっていたカフェで朝食を摂り0700時くらいからホテルをあたり0800時に宿を取る・・・


 ドゥシャンベは・・・特に特徴は無いものの・・・それでもなんとなくは雰囲気のいい街だった。




 エースと散策し、市の中心にある「イスマイル・サーマーニー像」付近に行くと・・・



これがそのイスマイル・サーマーニー像





 「ピリリリリィィィィ~ピリリリリィィィィ~!!」

 ポリスがちょっと離れたところから我々を呼び止める。

 像のある階段を上ろうとしたらそこが進入禁止だったらしい、立ち入り禁止マークも何も無いのに・・・
 面倒なことだ・・・

 とはいってもここはおとなしくしたがってポリスのところに行くのが得策だろと彼等の所に行くと、当然のことながら質問してくる。

 「お前らは何人だ?」

 『日本人・・・』

 「何をしに??」

 『観光・・・』

 「そうか!まあところで・・・」

 
 だいたいこの辺りでの質問の相場は決まっている。パスポートを見せろといって「滞在登録は?」と聞きこちらに過失があれば賄賂という寸法だ!!


 「俺たちは喉が渇いていて・・・コーラ代出してくれないか?2ソムニ(70円)だが・・・」


 『・・・』


 『・・・・・・・・』


 なんだコイツ等は・・・・


 もちろん払うわけなど無く・・・丁重にお断りして別れる・・・


 しかし・・・

 パスポートチェックぐらいすればまだまともなのに・・・


 コーラが欲しかっただで呼び止めていたとは・・・


 迷惑この上ない・・・


 その後も夕方まで観光を続け、夜遅くなってしまったのでついでだからまたイスマイル・サーマーニー像の夜景でもとエースと向かう。

 そして夜景を撮っていると・・・


こんどは夜のイスマイルサーマーニー像・ポリスもちっこく写っている・・・





 「ピリリリリィィィィ~ピリリリリィィィィ~!!」


 ポリスが像の下辺りにいて我々を呼び止める。

 今は夜の1100時、人影もまばらだ。外国人らしき人間がこんな時間に写真撮影しているのは不信に思うのは当然の事だろう・・・

 昼間と同様におとなしくしたがってポリスのところに行く


 また昼間のように質問が・・・


 「お前らは何人だ?」

 『日本人・・・』

 「何をしに??」

 『観光・・・』

 「そうか!まあところで・・・」

 
 だいたいこの辺りでの質問の相場は決まっている。パスポートを見せろといって「滞在登録は?」と聞きこちらに過失があれば賄賂という寸法だ!!



 「俺たちは喉が渇いていて・・・コーラ代出してくれないか?2ソムニ(70円)だが・・・」


 『・・・』


 『・・・・・・・・』


 『またか・・・・・・・!!』


 昼間とは違う人間だが・・・言う内容は一緒だ・・・





 もちろん払うわけなど無く・・・丁重にお断りすると・・・


 仕草であっちへ行けとやられる


 お前から呼び止めておいたくせに・・・





 しかし・・・

 またしてもパスポートチェックすらない・・・ひたすらコーラをせびっただけだった・・・




 ドゥシャンベ・ポリーツィア・・・


 こんなんでいいのか?


 甚だ疑問である・・・





 本文とは関係ありませんがちなみにドゥシャンベはこんな感じの街です!!



 やたらと露出度の高いタジク大統領。結構いろいろな場所でこの顔を見かける。
 名前はって・・・???実は私にも良く分からん・・・!!




 知り合いの旅行者に勧められたベブザード博物館
 これが最大の見物・日本語チラシ・・・、旧ソ連時代、このわら半紙のような感触・・・これを展示の1品に選ぶとは・・・中々の選定眼と言わせてもらおう・・・!!!って・・・大丈夫か?こんなんまで展示して・・・????


ドゥシャンベにあるツム・デパート

ツムデパートの外観


ツムデパート中・分かりやすく表示してあるが・・・これじゃデパートじゃないだろう!!




これはテーマパーク入口。まあ普通にどこにでもある単なる公園だが・・・



中の遊戯施設はちょっとグロテスクといっていいだろう・・・



こんなシュールなもので子供の成長に良いのか?甚だ疑問・・・





公園近くの建物。なんとなくペイントが気に入った・・・



ドゥシャンベへ・・・(フジャンドードゥシャンベ間・タジキスタン)

2007-08-30 01:23:23 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.08.30




 今日は時間が勝負だ!!

 情報ではドゥシャンベまで約12時間・・・

 夜行は無いと聞いていたので・・・

 日が暮れて治安に心配が出来る前になんとかドゥシャンベにたどり着く予定だった・・・

 それにドゥシャンベまでの間に3000m級の峠を二つ越えるのでその道中の景色も楽しむつもりだった!


 相方のエースは今日が誕生日、この任務はなんとしても成功させなければいけない・・・




  エースとともに朝0500時に起きて0600時にチェックアウト、ホテルを後にしてマルシュを捕まえる・・・


 フジャンドからマルシュでバスターミナルに行くと直通は無く、一度ウルベクという町に行ってシェアタクを捕まえなければならない・・・

 フジャンドからはまたマルシュで1時間半程・・・

 早速客引きが向かってくる。

 「ドゥシャンベへは120タジクソムニ(以下ソムニ・1ソムニ=約35円なので約4200円)」

 噂では100ぐらいと聞いていたので・・・ちょっと高いと思いつつ・・・私が客引きに絡まれている間にエースがちょっと他の人の所にいって相場を確認する・・・

 「50-130ソムニで乗る車種による」

 と言う事らしい・・・

 いつもは一人でこの作業をやるのだが・・・今はエースと一緒なのでこの辺りはだいぶ手が抜けて助かる。
 まあ「共同作業の勝利」と言っていいだろう・・・

 私はただ突っ立ていて絡まれていただけでなにもしていないような気もするが・・・


 何はともあれエースと相談してベストの一台、そこにいて唯一最新車両に見える奴をチョイスする。

 なんてことは無い最初の客引きの車だ・・・

 120ソムニは高いので100ソムニにまけてもらう。

 なんといっても今回は時間が勝負だ!

 「安い車で深夜着」

 の愚考を犯すよりも・・・高くても快適で早い車を採るのが正解だ!!



これが「プロフェッショナル・チョイス」の一台、ドゥシャンベ行きボルガ(ロシア製)



 安いが一番で車種を選択して挙句低速と故障で倍近い時間がかかって到着・・・

 こんな選択肢は「アマチュア」の考えだ!!




 我々が乗ってしばらくするとタクシーは出発。0930時くらいだ・・・

 これで今までの分と併せて残り10時間・・・日が暮れる直後着になりそうだが・・・まあ「街が生きている時間」には間にあうだろう・・・


 道中の景色も中々よく

道中の景色




 快適なドライブを楽しんでいると・・・


 「・・・」


 「・・・・・・・」



 「???????」



 これって通行止め??



 なんだか・・・これじゃあ通れないような・・・




 要領を得ずに辺りの人に聞いてみると・・・そこにある看板には・・・




看板じゃあ1800時まで足止めって・・・





 「・・・」


 「・・・・・・・」


 今はまだ1030時・・・・・・・ってことは・・・


 9時間半も足止め???


 工事をしているのは中国人だ・・・


 それにしてもドライバーは工事していることを知っていても良さそうな筈なのに・・・なんで出発したのだろうか??


 エースが私にこう言ってきた!


 「何でもドライバーは我々が中国人に見えるから通れると思ったらしいですよ・・・!!!」


 「・・・」


 「・・・・・・・・」


 「ばっばかな・・・・!!」


 「ちょっと考えれば分かるだろう・・・外見的にはいけてても・・・俺もエースも日本人だぞ、中国語なんてメイヨーとニーハオとシェイシェイが限界だぞ・・・」


 まあとはいってもやる事も無いので

 中国人に似た外見をいかしてトライしてみたものの・・・

 当然会話になる訳も無く・・・


 結局は1800時まで足止めに・・・


車がいつのまにか・・・っていうか溜まるだろ!!



 そしてようやくスタート!

スタートと同時に工事中の道路を白煙を挙げて走る車たち・・・パリダカチックだが・・・あんな良いものじゃない!!



 もうそろそろ日が暮れる・・・

 道中の景色はというと・・・

 景色は中々・・・


 期待できたはずだが・・・



 最大のハイライトの峠は・・・


 ふーむ・・・何も見えん・・・




 それに・・・我々の選らんだNo.1シェアタクはそもそも押しがけみたいな事をしなければスタートしないボロ車で・・・最後にはパンクまでしてしまい・・・



 結局ドゥシャンベ到着は朝の0500時・・・


 道中の景色で一番眺め続けていたのは工事中の看板・・・期待の3000mの峠は暗黒に包まれたまま・・・


 これなら朝ゆっくり出発して・・・ウルベクで夜行シェアタクを掴まえていた方が・・・


 よっぽどマシだった・・・




 でも、私なんかはまだいい・・・


 

 相方のエースは・・・


 今まで無い”なんともしまらない誕生日”となってしまった事はあまり触れない方が良いだろう・・・




 任務・・・失敗・・・・・・!!

タジク突入(フジャンド・タジキスタン)

2007-08-29 20:56:51 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.08.29



 コーカンを出発してタジキスタンへ向かう。

 心配していたボーダーは先ず人が全くおらず・・・チェックも拍子抜けするぐらいに甘かったので簡単にタジキスタンへの入国を果たす・・・


 最初の目的地は「フジャンド」だ・・・





 タジキスタン第2の都市で”屋根付きの物では中央アジア最大級”と言われるバザールがある街である・・・

 しかし”屋根付き”で”中央アジア”で”最大級”・・・・って言われたって・・・

 凄いのかどうかのイメージは今ひとつ湧いてこないが・・・


 これがそのバザールの入口




 到着したのは1400時頃、このバザールの近くの安宿にチェックイン、バザールはすぐ目の前なので見るのは後回しにして「外国人登録」をしに「オビール(警察署)」へ向かう・・・

 ちょっと説明すると現在タジキスタンでもこの「レジストリ」は有名無実化していて殆どの旅行者がそんな面倒はやっていないのだが、まあ万が一、突っ込まれてしまうとこちらが不利なので・・・まあやっておこうかという事になったのだ・・・


 エースと二人でオビールを探し当て、そして銀行に料金を振り込んだりなんだりしてレジストリが終わったのは1730時頃・・・

 それから市内散策をして夕食をとりホテルに戻ったのは2100時過ぎ・・・




 当然の事ながらバザールは営業終了・・・

 明日はドゥシャンベに朝早くから向かう予定なので・・・

 この”最大級”のバザールの凄さは分からずじまいとなった・・・




 まあそれなりに疲れたのでベッドで横になろうとすると・・・




 「ボヨヨ~ン」




 とハンモックみたいにやけに変な感触だ・・・



 布団をめくると・・・


金網・・・・・・・・




 横たわると体の中心部分がやけに沈む・・・


 
 まあいい、どうせ一泊だけだ・・・


 んっ???


 そういえばさっきエースが買っていたジュース、何かがおかしいが・・・
 



 「ファント・・・・・・・・・・・・・」



 「・・・・」



 「・・・・・・・・・」






 タジキスタン突入の記念すべき一日目・・・・


 どうも良く分からない一日になってしまったようである・・・・・・


好感度大?(コーカン・ウズベキスタン)

2007-08-28 20:13:11 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.08.28





 ビザ取りは何とかエースに追いつき・・・
 ストーカー人生の第一歩を踏み出せることとなった。

 最初のターゲットはコーカンだ・・・

 コーカンはかつての名前をコーカンドといい、最後のハーン国、コーカンド・ハーン国の首都があった場所である。

 それにもまして名前の響きがいい・・・

 コーカンド・・・なんとも好きになれそうな名前ではないか??

 朝0900時頃、エースと、それに急遽コーカンを目指す事になったオーストラリア人のジョナタンと私の3人は長らく泊まっていたタシュケントの安宿、カラマットアパを出た・・・

 郊外にあるコイルック・バザールに到着すると早速シェアタクシーの客引きが寄ってくる・・・

 我々3人は料金の相場を誰も調べてなかったという体たらくだったが”絶対にストーカーを成功させてやる!”という意気込みの私はまず調べることはないのは当然だろう・・・だが全員「誰かが知っている」と考えていたのが誤算だったが・・・
 
タシュケントのシェアタク乗り場・人を囲んでひたすらうっとおしい


 なんだかんだで一番低料金を設定してきたタクシーに乗り込むことにする。

 料金は3人で約10ドル、12000ソムなので一人頭4000ソム(約400円)だった・・・

選択したシェアタク・ロシア製のボルガ・・・



 料金的に高いか安いかは分からないが・・・まあこの場合はいいだろう。400円だし3-4時間は乗ることになる・・・


 車は快調に走り出す。

 不思議だったのは・・・携帯で何か連絡し・・・そして我々と・・・ジョナタンと急に何か喋りだした事だ・・・

 ドライバーは英語をしゃべれないので人を介しているらしい・・・

 
 道中の景色はこんな感じ・・・



 ふむふむ・・・


 10ドル3人じゃなくて・・・


 1人10ドルだって・・・・



 伝え聞いた話を要約するとこうだ・・・

 ジョナタンは当然、拒否する・・・

 しかしドライバーは中々納得しかねてその後数度また携帯でやりとりする・・・


 そして途中で車を止める・・・


 「???」


 彼の話はこうだ。


 コーカンまで約280Km・・・ガソリンが710ソムで1リッター・・・約30リッター必要だから・・・21000ソム、ガソリン代で払って欲しい・・・


 「・・・」


 「・・・・・・・」


 「???????」

 
 「ばっ・・・・ばか????」


 何で俺たちを4000で乗せたんだ?はじめっから損するに決まってるだろう・・・!!!



 それになんだったんだ?最初の交渉は???


 私は交渉した人間の顔写真をデジカメで見せると・・・ドライバーはコイツは知らないという仕草だ・・・



 確かに客引きは我々に料金を提示して・・・車のところまでは連れてったが・・・



 そいつはドライバーではなかった・・・



 そしてふと「歩き方」を見ると・・・タシュケント-コーカン、約12000ソムと書いてあった・・・・


 色々考えてみると・・・


 彼の提案自体は確かにごもっともなのかも知れないが・・・





 しかしここで引き下がるわけにはいかない・・・



 我々には「彼の言う料金」が問題ではなく「最初に提示した料金が途中で変わる事」が許せない・・・




道中のトイレ・トラディショナルなスタイル





 その後もしばらく揉め、最後はジョナタンから携帯を受け取るような形で電話先にこう言う



 「ガソリン代なんて話は最初はなく、あくまでもコーカンまでの値段で一人4000でまとまった筈だ。俺たちをここで下ろしてかまわないから、そのかわり料金は1円たりとも払わん・・・コーカンまで乗せて始めて4000づつだ・・・。最初に言った料金と乗った後で料金を変えるのはウズベキスタンのスタイルか?こんな馬鹿げた話は聞いたことがないぜ・・・これがウズベキスタンのホスピタリティー(もてなし)か??」


 口調もかなり厳しくしたので・・・


 最終的にはドライバーは折れる形となった・・・


 そしてコーカンに到着、ジョナタンは2000ソム多い6000出してあげていたが・・・エースと私は彼らが騙して客引きをしていたことも含めてどうしても許せず・・・4000ソムの支払い・・・

 トータル14000ソム・・・


 ドライバーにとっては金銭的に損した一日・・・

 我々にとっては・・・気分的に損した1日の移動となった・・・


 コーカン行だからといって好感度大とはいかないらしい・・・







 町でマルシュルートカ(路線ミニバス)に乗り換えてホテルを取り、町を散策する。  



 最大の見所は最後のハーンの宮殿、フダイヤル・ハーン宮殿だが、もう1700時を回っていて閉まっているので市内の見所を散策する。



 そして最後もう一度フダイヤル・ハーン宮殿に行くと・・・

 たまたま現地の要人が宮殿見学に来る予定だったらしく・・・

 外国人である我々も・・・一緒に見学できる事に・・・

 「ラッキー・・・」


フダイヤル・ハーン宮殿



 宮殿自体はそれ程凄い物ではないが・・・

 案内についてくれたおばさんが素晴らしく

 十分満足となった・・・




 コーカンだからこその好感度大と言った所だろうか・・・







 そして翌朝・・・ホテルを出ると道端に・・・



コーカン道端に捨てられていた男・・・




 「・・・」



 「・・・・・・」



 コメントしようがない・・・・・



 これはコーカンと言えども好感度には関係は無いだろう・・・・






 しかし、それにしても・・・・・・







 名前から行って無理にタイトルと文章を好感度絡みにしてみたものの・・・


 こうやって全体を読み直すと・・・



 「失敗だった」


 と言わざるを得ないだろう・・・





 やめときゃよかった・・・・・・

ビザ取得戦線、任務完了!!(タシュケント・ウズベキスタン)

2007-08-27 00:36:06 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.08.27(月)





 今日は朝から忙しくなりそうな予感がしていた・・・

 2つのビザを・・・入手しなければならないからだ!!

 ターゲットはアゼルバイジャンにトルクメニスタン

 トルクメニスタンは申請済みで受領予定は1700時、アゼルバイジャンは・・・先週イランビザの為にパスポートをホールドされていたので・・・今日「エクスプレス(即時)」というのを金を余分に払ってやってもらうつもりだ!

 今日中にこの2つのビザを入手できなければ・・・


 折角見つけたストーカー先の”エース”に・・・置いていかれてしまう!!


 朝、宿を0930頃に出てアゼルバイジャン大使館には1030頃・・・

 申請時間は1000-1200なので・・・ちょっと遅いが悪くはない出足だ・・・


 受付に顔を出しビザ申請の事を伝えると・・・なにやら答えを返してくる・・・ジェスチャー付だ・・・


 「領事は・・・」


 「寝ているので・・・」


 「駄目だ!!」


 「・・・」


 「・・・・・・」


 「!!!!!!」


 「ばっ・・・ばか??????」



 何だって???

 かつてのビザ取りで・・・「領事がバザールにバイクで買い物に出かけたからいない」と言ってきたソマリランド領事館(ジブチ)という出鱈目があったが・・・


 「寝てるからアウト!!」


 というのは・・・今までにないエクセレントさだ・・・・


 この「プロフェッショナル」をもってしても・・・初体験だ!!この間抜けさ加減ときたら・・・!!



 まあでもこうなったからには仕方がない、聞いてみると午後の1500-1600の間に来いと言う事だ・・・



 1500に申請してそのまま受領できればその足でトルクメニスタン大使館に行けるのでまだ目はある!!

 
 早速出鼻を挫かれた格好となり、朝から完全に暇人になってしまったが・・・

 そう考えて少し近辺を散策してから日本センターへ向かう


これはアゼルバイジャン大使館から歩いていける所にある(といっても20分ぐらいかかる)「人民友愛宮殿」。この類の物の例に漏れず・・・前にはフェンス、そしてゲートは閉ざされ・・・どうみても人民友愛して開放しているとは思えない・・・
 


 日本センターでしばらく時間を潰して1500にはアゼルバイジャン大使館へ、待っているのは1人、私は2番目だ・・・


 そして門の外で30分・・・6人待ちになっていた・・・


 何故か最初に来た男と私は呼ばれず後から来た人間をどんどん先に入れていく・・・


 流石に不信に思い聞いてみると・・・


 「彼らは朝1100時に来たから先だ!」

 と・・・・


 そして私は・・・1030時に来ていたのに・・・というと向こうはビックリして・・・ビックリしただけだった・・・


 そんなこんなでようやくは入れたのは1550時、申請して・・・そして余分に料金を払ってビザを受領したのは1610時・・・

 
 慌てて地下鉄を乗り継ぎトルクメニスタン大使館へ向かう・・・



 到着は・・・1700時・・・滑り込みセーフだった!!


 エースは先に来てもう待っている・・・


 他にも10人程度いたが・・・エースは2番目に到着、私はというと・・・最後から2番目くらいだった・・・


 そしてそれからまた待たされ・・・


 結局エースも何故か最後まで待たされ・・・


 入ったのは1810時・・・


 別にアゼルバイジャン大使館から大急ぎで来なくても・・・関係ない時間だった・・・


 ビザの受領が出来るかどうか?ちょっと危ぶんだが・・・


 2人とももれなく受領できることに・・・


 これで私は何とかアゼルバイジャン、トルクメニスタンの両国のビザをゲット!!


 明日からは・・・大手を振って「エース・ストーカー」としてデビュー出来ることに・・・



 そして、もうタシュケントでやる事が・・・終わりを告げた・・・


 これからはタジキスタンへ向かいウズベキスタンに戻って・・・トルクメニスタンを目指す・・・


 本当に忙しい日々になりそうだが・・・

 
 流石に1週間以上タシュケントにいたので・・・動くのが面倒だ・・・


 まあでも仕方がない、ビザの期限が決まっている限り・・・

 男として前に進まなければいけない!!

 
 今後の展開に・・・


 乞う!ご期待??




写真は独立広場付近にあった噴水・・・配色鮮やかと言いたいところだが・・・やりすぎで安っぽい




ちなみにこれはウズベキスタン札束、最高額紙幣が1000ソム(100円)なので・・・1万円でこの通り・・・大金持ちに!
でも悲しむべきことか!減るのも・・・予想以上に早い!!


サタデー・ナイト・フィーバー!!(タシュケント・ウズベキスタン)

2007-08-26 16:13:10 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.08.25(日)



 私は前回にタシュケントNo.1、即ち中央アジアNo.1の歩行者街、ブロードウエイの記事を書き、如何にも閑散としていたなどと決め付けていたが・・・


 それは私ほどの「プロフェッショナル」としては早計だったと言わざるを得ない事だった。



 繁華街が賑わうのは”平日の日中”等ではなく、”金曜、土曜の夜”であろう・・・

 それにウズベクはムスリムの国なので・・・

 ”土曜日の夜”にこの国No.1のメインストリートを見て判断するのが妥当ではないだろうか??


 何と言っても

 「土曜の夜はサタデーナイトだぜっ!!」

 というくらいなのである・・・

 まあ”そのまま直訳している感”は否めないが・・・


 何はともかく「土曜の夜にブロードウエイにいってこそ、ブロードウエイを理解できる」と言うものではないだろうか!!!



 現在同宿の「エース(仮名:日系0世の日本人)も私と同意見らしく、折角だから一緒に行って「ブロードウエイの真髄」を確認しようではないか?と合意に至る事となった!



 作戦名は

 「サタデー・ナイト・フィーバー!!」

 中央アジア最大の都市、タシュケント、その最大のメインストリートでの熱狂を心ゆくまで楽しむことを考えて付けた作戦名である。


 決して何かの映画からパクッた訳ではなく、あくまでも私のオリジナルである。
 

 もちろん「エース」には今回の作戦名を打ち明けてはいないので・・・

 この作戦名を知っているのは”私だけ”である・・・

 

 この作戦にはさらに「タシュケントタワーから見る夕日&夜景」もセットにし「タシュケントナイト」を完璧に遂行する予定であった・・・






 そして作戦開始のD-day・・・


 日中は「オールドタシケント(旧市街)」から北側いったいの見所を堪能し、夕方ネットカフェで一時作業兼休憩・・・

 ネットが一段落して外に出たのは1930時・・・

 外を眺めると・・・もう薄暗い・・・




 「あっ・・・・!!」





 「夕日が消えた・・・!!!」





 作戦の当初から・・・思わぬ不覚を取ったが・・・





 「サタデーナイト」は今日だけである・・・



 予定通りエースと私はタシュケントタワーへ向かう・・・


 ここは昨日の日中に一度登っており、2000時頃に迷わずに到着、入場するには「展望台」もしくは「レストラン」の選択肢があったが・・・ここはリッチにレストランを選択、おなかも減っていたので・・・ここで食事を堪能して、後はブロードウエイでカフェかバーにでも入ればいいだろう・・・




 入場料は4300ソム(約430円)、安く感じるかもしれないが「定食が100-200」円程度で食える国ではちょっとした値段だろう・・・


 そして8階に上がりレストランへ・・・

  
 これがレストラン、雰囲気は悪くない。



 食事券を渡し・・・料理が届く・・・って・・・


 えっ??ただの軽食じゃ・・・



 良く良く聞いてみると・・・入場券についていた券は軽食のみで・・・通常の食事は「別料金」というシステムだ・・・

 「・・・」


 「・・・・・・」



 まあいい、夜景を・・・夜景を堪能しよう!!


 軽食をゆっくり食べ・・・展望台の席が回転するのに任せて夜景を眺める・・・

 それにしても回転速度は遅い・・・今は中心街と反対方向だから・・・中心街を見るにはまだまだ時間がかかりそうだ・・・

 20分たって1/3回転程度・・・

 食事はとっくに食べ終わっていたのでエースに

 「折角だから1回転するまで粘るか?それともこのトロいペースにあわさずにもう下の階にある展望台に移る」かを相談していると・・・

 突然回転が逆方向に・・・


 って言うことは・・・

 最初にいい景色側の座席に座らなければ・・・永遠に街の郊外を見続けるといった塩梅に・・・・


 ばっ馬鹿か?こいつ等は???

 エースにもう行こうと促し、ちょっと下の階にある展望台へ・・・

 そして展望台は・・・


 「もう閉まってた!!」


 良く見るとレストランは0900-2300時、展望台は0800-2100時・・・・・・


 そして今は2100時ちょっと過ぎに・・・


 仕方が無いのでレストランに戻り、中心街の夜景だけなんとか撮影

タシュケントタワーのレストランから撮影した中心街



 昼間見たときからうすうす感づいてはいたが・・・


 「それほど凄いというものではない・・・・・・」

 まあ金額で言うと・・・「1000ソムの夜景(100円の夜景) 」といった所だ。


 エースも同意見の様だ・・・



 「・・・」



 「・・・・・・」








 残念ながら露払いは失敗という結果だが・・・



 今日のメインイベントはまだ終わったわけではない。



 「ブロードウエイ」

 が我々を待っている。これからが本番だった!!




 気を取り直して二人でメトロに乗って一路”ブロードウエイ”を目指す。

 アミールティムールで降りて”タシュケント中心街の核”とも言えるアミールティムール広場を堪能する・・・





 アミールティムール広場・・・





 土曜日なのに・・・人が・・・いない・・・




 「・・・」




 「・・・・・・」






 なんとなく・・・雲行きは怪しいが・・・





 思い切ってブロードウエイに突っ込もう!!





 そして入口へ・・・

 ブロードウエイ入口からの景色





 「・・・」





 「・・・・・・」





 人が・・・いるというには・・・・程遠いような・・・???






 少し歩くと・・・なにやら変なものが・・・



 これって天体望遠鏡???


 何を見ているかというと・・・

 月・・・・


 

 これで商売になるのか???



 天体望遠鏡で月を見せて客を取る・・・そのオリジナリティーは・・・評価すべきだろうが・・・・ばっ・・・馬鹿なんじゃ・・・・・・






 まあいい、とりあえずストリートの中心は・・・




 あっあれっ??


 馬が2頭・・・





 「・・・」



 「・・・・・・」




 これって誰か乗せて周る為なのか・・・それとも誰かこれに乗り付けてきたのか・・・???





 しかしそれにしても・・・昼間に毛の生えた程度しか・・・人がいない・・・



 ちなみにこれが中心部・・・



 サタデーナイトの熱狂とやらは・・・


 どうやら何一つ無さそうだ・・・


 エースも私と同じ感想の様だ・・・


 最早見るべきものは・・・何も無かった・・・



 メトロに乗って宿に戻る・・・




 サタデーナイトは・・・こうして”全くフィーバーすることなく終わった”が・・・


 一つだけ分かった事がある・・・


 タシュケント・・・中央アジアNo.1の繁華街、このブロードウエイ・・・


 この真髄は”サタデーナイトの常識を覆す静けさ”である事が・・・!!!



潜入生活の日々(タシュケント・ウズベキスタン)

2007-08-25 22:57:17 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.08.25(土)





 先週の日曜日にタシュケントに到着して以来・・・1週間が経過した。

 トルクメニスタンとアゼルバイジャンのビザの取得を待つので・・・もう数日はここで過ごすこととなるだろう。


 話は変わるが、この1週間でタシュケントはかなり面倒な国であることが分かった。

 街には警官が溢れ、地下鉄に乗るときなど乗り継ぎ駅で職質されることもしばしば・・・



 それに話をややこしくしているのは「レギストリーツィヤ(滞在登録)の手続きだ。


 宿泊しているホテルに、宿泊日数分この証明を出してもらうかオビール(警察署)にいって滞在登録の手続きをしておかないと、ボーダーや街でももめてしまう可能性がある・・・



 私が入国する直前に邦人女性が一人、レギストリーツィヤをせずに民泊したところを、たまたま友人の宿泊しているホテルに遊びに行った時に咎められ、高すぎる罰金を支払うか国外退去処分の選択をせまられ国外退去になっているばかりなのである・・・


 レギストリーツィヤもいい加減なもので、ある国境では厳格にチェックして、こちらに瑕疵があればその点を突いて金銭を要求したり(厳密には罰金だが、恐らく見逃し料としての賄賂の請求らしい)してくらしいし、また別の国境では気にもせずに素通りさせたり・・・


 制度としては廃止されていないで、まあやらなければいけないのだが・・・それが全ての役人に徹底されているわけではなく、場所によっては完全に形骸化した感も否めないのだ!!


 そうと分かったなら・・・まじめにレジストリしよう等と考えるのも馬鹿らしく・・・

 とは言っても、前述の国外退去の話を聞いていたので一応用心し、日本人に有名な民泊の宿(ここに宿泊しても滞在登録は出ない、よって不法滞在に・・・)に宿泊しながら、初日に他の安宿に空滞在し、レギストリーツィヤを1泊分入手してまあ保険がわりにして、・・・また引き続き民泊を続けている・・・

 よってこの滞在登録は1泊分しか持っていない事になる・・・

 後々考えたら・・・1泊宿泊してオビールへ行き、滞在登録すればまだ良かったのだが、滞在登録にかかる金額が諸説あり高ければ無駄金になるだけだし、それ以上にビザ取に急がなければならなかったので・・・そのままにして放置せざるを得なかったのだ!!



 この状態のまま・・・もし警察に本気で調べられたら・・・アウトとなることは言うまでも無いだろう・・・



 ウズベキスタンはまだタシュケントのみ、首都狙撃手のこの「プロフェッショナル」としては・・・まあ「タシュケントこそがウズベキスタンの最大のハイライト」なので最低限の任務は完遂だが・・・それでもこの後タジキスタンに行って戻ってからまたトルクメニスタンに入国するので・・・強制退去という羽目になったら・・・今後の計画全てが狂ってしまうのだ!!
 



 ここまでの話で分かった構図というのは・・・

 私の行動は、自然と警官を避け、或いは上手くかわしてなんとかタシュケントでの「不法滞在」をし続けなければいけないと言う事だ!!

 分かりやすく言うと


 「私を国外退去させる可能性のある、正義感溢れ、国の法を公正公平に執行しようと日夜努力する悪徳警官から、逃げ回る、或いは職質をなんとか言い逃れしながらタシュケントに滞在しなければいけない」



 という事だろう・・・


 それにしても「国の法律で決まってる滞在登録をしない」からといって・・・それで罰金だの退去だのと小うるさい事をいってこの私から「正当にお金を巻き上げる」ことや「正当に退去処分」にしようとするなどとは・・・




 見逃すわけにはいかない!!




 私は「私の正義」を守るため・・・


 言い換えれば


 「正当な不法滞在」を守るため・・・


 何とかこの「タシュケント潜入生活」を無事に終わらせなければならないのだ!!


 「正義を守る悪徳警官」などの言い草に・・・従うわけにはいかない・・・




 「・・・」




 「・・・・・・」




 「えっ???」




 「お前の方がどう見ても悪者だろうって???」 


 「警官は普通に仕事をしてるだけじゃねえのって???」


 「素直に滞在登録の出るホテルに宿泊するかオビールに行って置けば良かっただけじゃねぇのって??」





 「・・・」


 「・・・・・・・」




 「どうやら今回に限りこの”プロフェッショナル”・・・」



 「ツーリストの道を・・・踏み外しているようである・・・・・・」





 この先もなんとか捕まりませんようにぃ~・・・!!(ビクビク)






 写真はタシュケント滞在中に「避難所として使っている」日本センター前
 噴水は・・・ちょっとどころか相当に”やり過ぎ”の感がある・・・

ビザ待の怪異!・・・(タシュケント・ウズベキスタン)

2007-08-23 21:56:04 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.08.23(木)


 今現在私は「エース(仮名・日系0世の日本人)」という男と同じ宿に宿泊している・・・

 彼とは以前一度ビシュケクで接触しており、そのときお互いの今後のルートを話していたらほぼ同じルートを辿る予定だということで、今後しばらくは「ペア」として行動する可能性を秘めたといっていい男である。




 「旅行はストーカー、黙って俺が憑いて行く!!」

 を信条に旅行を続ける私には「願ってもないストーカー先」の登場である・・・




 私は日曜日にタシュケントに到着して月曜日にトルクメニスタンのビザを申請、受領は来週の月曜日・・・
 彼は月曜日に到着して火曜日に申請して受領は同じく来週の月曜日・・・

 日程的な出足としては悪くない・・・ストーカーしろと言わんばかりの神の配剤だ・・・

 ちょっと失敗したのは事前に彼のウズベクビザの期間を確認出来なかったので、私のトルクメニスタンの入国指定日が彼のウズベキスタンのビザ切れより一日遅く申請してしまったことだが・・・まあトルクメニスタン、或いはその後のイランで何とか追いついてストーカーをすれば問題は無いだろう・・・


 そして私は火曜日にイランビザの申請、受領は今週の金曜日・・・パスポートは向こうの預かりに・・・
 エースは水曜日に申請、受領は翌週の月曜日に・・・パスポートは・・・何故か預かりにならず・・・彼はパスポートを所持したまま・・・

 ということは・・・パスポートが無く何も出来ない私と比較して・・・エースはまだ他のビザにチャレンジするゆとりがあることに・・・・

 そして木曜日・・・
 エースはアゼルバイジャンのビザの申請・・・そして即日受領(少し余分に料金を払わされる)・・・

 私はパスポートホールドの為に・・・相変わらずのスタック・・・状況変化なし・・・

 アゼルバイジャンのビザは・・・パスポートが帰ってくるのは金曜日の午後1600時以降なので・・・
 自動的に月曜日・・・トルクメニスタンのビザの受領が夕方1700時なので・・・
 午前中から午後にかけて・・・取得できなければ自動的に火曜日申請・・・そして受領は・・・???


 という事で、月曜日からビザ取得に勤勉に動き回った結果、後発のエースに完全に遅れをとることがほぼ決定した・・・




 これまでで分かったのは・・・

 各大使館側の対応する人間で・・・受領日やパスポートを預かられるかどうかが決まってしまうということで・・・

 早く始めたからと言って・・・必ずしも早くすべてのビザが取得できるわけではないことだ・・・


 まあ・・・


 ランダムに近いといっても・・・


 良いだろう・・・




 これは・・・私が如何に「プロフェッショナル」といえども・・・

 読めなかった・・・

 私の方が同着か?もしくは1日ぐらい早くすべてを受領し、「どど~ん」と構えてビザの取得を終える「エース」を待ち構えてストーカーする予定だったのだが・・・

 これでは先に全てのビザの取得を終える公算の強い「エース」に逃げられて、またしてもストーカー失敗の可能性が大となった・・・




 しかし、こうも運を頼りにビザの取得に励まなければならないとは・・・


 中央アジア、その脅威の一端を垣間見た思いである・・・





 そして私の「ストーカー」旅行の成否は・・・???


 甚だ心許ないと述べておこう・・・!!!






写真は新市街で見かけたポスター・・・ちょっと強そう!!



もいっちょ同じようなポスターを・・・



ちなみにこれは新市街のまさに中心と言っても過言ではない、「アミール・ティムール広場」。でも閑古鳥がなく寂しさ・・・

憧れのブロードウエイ(タシュケント・ウズベキスタン)

2007-08-22 20:03:51 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.08.22(水)


 月、火で面倒だったビザの申請に一区切りつき・・・ようやくタシュケントを観光することにした。

 タシュケントではどうしても見なければいけない物があった・・・




 「ブロードウエイ・・・」





 通常はアメリカのマンハッタンにあるミュージカルの聖地として有名な通りの名だ・・・ 

 この言葉の響きは「スターになることを夢見る少年少女」に憧れを抱かせるには十分なビックネームだろう・・・



 この東城、生粋のヨーロッパツーリストではあるけれども・・・旅行を続けるうちに「最高級の輝きを放つ営業スマイル」を身につけ、そしてアフリカ各地で「賄賂対策演技」を修練したほどの男である・・・
 ブロードウエイはヨーロッパで無くアメリカにあるとはいえ・・・いつかその舞台に立つことを「夢見る少年の一人」といっても過言で無いだろう・・・

 「いつかスターになってビッグになる・・・」


 これが旅行終了後の人生の選択肢の一つのオプションでもあるのだ!!





 そしてそのブロードウエイが・・・


 何と旧ソ連圏内の国、ウズベキスタンの首都「タシュケント」に存在するのである!!

 他の通りの名前は「レーニン」だの「ソビエツカヤ」だのなんとも「旧共産チック」なものばかりだが・・・

 その中に一際巨大な輝きを放っているのだ・・・


 もちろん本物の「ブロードウエイ」ではないし、規模も小さいものだろうが・・・

 ガイドブックによると「タシュケントで最も活気のある歩行者通りでカフェやバー、ディスコやバーガーショップが立ち並び、沿道では画家が絵を売っている」

 となっている・・・


 ウズベキスタンの首都のタシュケントで・・・一番と言うことは・・・


 ウズベキスタンNo.1ストリート・・・


 まあ中央アジアNo.1ストリートと言っても良いだろう・・・


 それにいつか本物のブロードウエイの舞台に立つ前に・・・
 中央アジアのブロードウエイを一つのステップとしてアクターとしての実績をつくるのも悪くはない考えだ・・・

 街を歩けば「スカウトが声をかけてくる」に違いないのだ・・・

 私のデビューはもう直前!!



 「見逃すわけにはいかない・・・」







 そう考えた私は市内観光のメインイベントとしてこのブロードウエイを眺めに行くことにする・・・


 タシュケントの新市街は旧ソビエト的に計画的に作られているので建物同士の間隔が広く、広大に感じるが・・・それでも街の中心に近づくにつれ・・・人の賑わいやざわめきの匂いが感じ始めてくる・・・






 そしてブロードウエイ近くではこんな看板も・・・



ブロードウエイ近くの看板、本場を意識した作りは・・・これからの展開を期待させるの十分なものである・・・ 






 そしてようやく到着・・・

 これはブロードウエイの入口角に立っていたビルを写した物・・・







 でも・・・





 画家は・・・確かに居るけど・・・客は・・・???







 何か人が居ないような・・・





 あれっ?オープンカフェって・・・これだけ??








 客は殆どいないんじゃ・・・






 でも通りは大勢の人だかりで賑わって・・・









 いない・・・


 数人居ることはいるが・・・

 人が居ると言うレベルには・・・


 程遠い・・・


 スカウトなんて・・・影も形も見当たらない・・・






 これが中央アジアのNo.1ストリート・・・・・・




 「・・・」




 「・・・・・・」








 
 どうやらこのブロードウエイ・・・ 



 このプロフェッショナルがアクターデビューを果たす確率は・・・・・・


 0%であるだろう・・・

ビシュケクの悲劇再び・・・(タシュケント・ウズベキスタン)

2007-08-21 20:38:12 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.08.21(火)



 タシュケントには19日の日曜日に到着。

 日曜日に到着をこだわったのには訳があり、月曜日から速攻でビザ取に励むためだった・・・



 20日の月曜日、早速朝早く起きてトルクメニスタン大使館へ、ここではトルクメニスタンのトランジットビザの取得が目的だ!
 0930時頃大使館に到着、実際の申請は1100時から1200時が受付時間だが、とりあえず予約者リストに名前を記入してもらう。12人目だった・・・



 1100時にもう一度トルクメ大使館に戻って、再度リストを確認すると現在13人待ち・・・



 ということは・・・



 0930時にわざわざ来ても、1100時に来ても大差ない出来栄えだった・・・!!



 守衛は「チップを渡せば早くいれてやる」等とぬかしてきたが、相手せずにほっておく、きちんと順番を守るのが文明国の住人として・・・そして何よりも「プロフェッショナル」としては当然のことだろう・・・



 そして番号通りに人が呼ばれて・・・一人づつ処理されていく・・・

 その間ほかの者は大使館の外で待つしかない・・・


 結局私が呼ばれたのは1230時頃・・・


 タシュケントの日中は暑い・・・

 そんな中立ってずっと待っていて中に入ったら・・・

 「申請書を記入しろ!」

 と・・・

 外に居る内に渡して書かせてくれてれば少しは効率も上がるだろうに・・・


 まあでも行きたいのはこちらだから従うしかない。記入して提出、来週の月曜日の1700時に来るように言われる・・・パスポートは今は預かりでないので自分で持っておけるからまあこの待ち時間に他のビザを取れば良いのだが・・・

 これで自動的に1週間の滞在が確定・・・



 うーん、ビシュケクの時のビザ取を彷彿させる・・・




 そして翌日・・・イラン大使館へ・・・


 当初はトルクメニスタン→アゼルバイジャンというルートをカスピ海横断フェリーを使ってやりたかったのだが、現在トルクメニスタンのトランジットビザはアゼルバイジャンに抜けると言うと出ない状況になっており、そのために抜ける先の国としてイランのビザが必要なのだ・・・

 準備は万端だ、タシュケントでイランのツーリストビザを取得する際は招待状が必要となる(注:トランジットビザなら必要はない)のだが、ビシュケクからすでにメールでテヘランにある旅行代理店に調整してタシュケントで受領できるように取り計らってもらっている。

 イラン大使館には0930時頃・・・ここはスムーズに入れ早速領事と面接・・・

 今年1月にすでに訪れていたこともあり、領事との話もはずみいい印象を与えることに成功。

 
 問題なく申請書を書いて提出


 受領は・・・



 1週間後・・・


 って・・・



 そいつはまずい!


 トルクメニスタン大使館に行くのは来週の月曜日だ!!


 それまでに抜け先のビザとしてイランが必要だ!!




 私にできる最大の「営業スマイル」で穏やかにお願いしてなんとか金曜日に受領できるようにお願いする!!

 今の私の「最大の武器」といってもいい「作り笑顔」だ!!日本でやったら「気持ち悪~い!!」となること必至だが・・・外国人には何故か良く通じる。


 そして「私の誠心誠意あるように見せかけた笑顔」がてき面に効果を発揮して金曜日に受領できるようになる・・・。



 しかしパスポートはイラン大使館に預けることに・・・




 まあいずれにしても来週の月曜日までは最低居なければいけないので・・・これは仕方がないが・・・

 後はアゼルバイジャンのビザも取得できればしたいので・・・

 来週の火曜日以降。おそらく3日ぐらいは待つ羽目になる事が予想される・・・

 ということはまた2週間近くの足止めに・・・



 それにしてもまたしてもの「ビザ取得戦線」、ビシュケクの時と同じ耐久戦だ!!

 ビシュケクにはさくらゲストハウスがあったが・・・ここはあれほど快適な宿はないし・・・
 それに現在タシュケントの滞在登録はうるさいらしいが・・・結局日本人旅行者に定番の民泊(料金は払います)なのでレジストリも取れず・・・

 ビザ待ちの滞在条件としては明らかにビシュケクよりも悪くなってる・・・



 今後の展開が・・・上手くいけば良いのだが・・・


 それにしても・・・



 「あ~・・・面倒臭~・・・!!」

首都の中の首都(アスタナ・カザフスタン)

2007-08-16 00:20:17 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.08.16


 08.15日、ゅ氏と別れてカザフスタンの首都のアスタナにやってきた・・・

 ゅ氏と一緒のときは完全にお任せモードにしていたが・・・これからはまた独りぼっちだ・・・

 大分面倒くさい・・・

 それにバブルに湧いて、物価が日本並みに高くなったカザフスタンでホテルシェアの相棒を失ったのは・・・やはり予算的にも厳しい事だ





 ところで話は変わって・・・




 「男の中の男」

 という言葉にロマンを感じないものはいないだろう・・・



 それと同様に世界の首都の中にも


 「首都の中の首都」


 というものが存在する・・・



 ワシントン?パリ?・・・北京?ソウル?東京??

 その程度見ただけで”首都を語る”等とはおこがましい話である!!



 「首都の中の首都」を見ずしては首都を語ることなどは出来ないだろう・・・


 そう、そんな首都は・・・


 ここカザフスタンに存在するのだ!!





 カザフスタンの首都の名は「アスタナ」


 そしてこの「アスタナ」は現地語で「首都」を意味する・・・


 と言う事は・・・




 例えていうなら


 「カザフスタンの首都は何処ですか?」

 の質問に


 「首都です」


 と答えることが可能となる・・・




 こんな”ウルトラC”が可能な首都は・・・カザフスタンの首都のアスタナ(首都)だけである・・・


 「日本の首都は?」

 「東京」



 「カザフスタンの首都は?」

 「首都」




 「・・・」




 「・・・・・・」





 どう考えても「東京」の”力負け”である・・・





 「首都の中の首都、アスタナ(首都)」


 カザフスタン・・・ただのバブリーな国では無いようだ・・・

 


これが首都の中の首都、アスタナの夜景!

大統領府(予定)




新生カザフスタン、新生アスタナの象徴、バイテレク。でも登った中からの眺めは今一つ!




名前は忘れたが良く写真に使われていたビル




久しぶりに見たスターリンクラッシック 、でもここのはおニュー!




共和国通りで見かけた寿司バー。こんなものまで既にある!!

アルマティの悲劇!(アルマティ・カザフスタン)

2007-08-14 00:01:24 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.08.14



 昨日、キルギスの首都ビシュケクからカザフスタンのアルマティへとやってきた・・・


 ここはカザフスタン最大の都市で、前の首都ではあるものの、現在はアスタナに首都が移転しているために私にとっては単なる通過点に過ぎない・・・


 だが・・・


 ここで私は”悲劇”に見舞われることとなる・・・


 今、私はビシュケクからゆずランド のゅ氏と行動を共にしているのだが・・・


 まず、昨日、泊まっていたバスターミナルのホテルのドミで・・・

 同室だったカザフスタン人に・・・ゅ氏との関係を推測され・・・


 何故かゅ氏は


 「私の息子か?」


 と聞かれ・・・



 そして今日、たまたま何か話しかけてきたカザフ人にまたしても


 「ゅ氏は私の息子か?」


 と聞かれる羽目に・・・


 確かにゅ氏は童顔だが・・・


 それでも公称18才の私の10才近くも年上である・・・・・・




 それを・・・


 「私の事を彼の親父だなんて・・・」





 あんまりだ・・・





 アルマティ・・・



 私にとっては苦い思い出を残しただけの街となった・・・

さらばビシュケクでの日々よ!(ビシュケク・キルギス)

2007-08-12 21:24:36 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.08.12


 ビシュケクに到着してから約2週間、取得したビザはカザフスタン、タジキスタンそしてウズベキスタン・・・

 時間が掛かったこと以外は比較的順調と言っても良いだろう・・・


 しかし、これでもうビシュケクとはお別れだ・・・


 ここには合計で2週間以上・・・

 私ほどの「プロフェッショナル」にとっては街を堪能するには充分過ぎる時間だ・・・



 今の私は「ビシュケクを知り尽くしている」と言っても過言ではないだろう・・・




 目を閉じると・・・



 街の通りの小道、道端に生えていた花や木、そして風の匂いまで・・・





 その情景はありありと脳裏に浮かんでくる・・・




 泊まっていたさくらゲストハウスから、タジキスタン、ウズベキスタン、カザフスタン大使館への道・・・

 泊まっていたさくらゲストハウスから、ネットカフェまでの道・・・
 
 泊まっていたさくらゲストハウスから、スーパーマーケットまでの道・・・

 泊まっていたさくらゲストハウスから良く通った中華料理屋までの道・・・



 「・・・」



 「・・・・・・」



 「あれっ???2週間で動いていたのはこれだけ???」






 なんかちょっと違うような・・・




 そう言えば何をしていたかを思い起こすと・・・



 「さくらゲストハウス」でまったりしたり・・・


 「さくらゲストハウス」でゆったりしたり・・・・


 「さくらゲストハウス」でだれだれしたり・・・


 「さくらゲストハウス」でずるずると時間を潰したり・・・


 「・・・」


 「・・・・・・」


 「あっ!やべっ!!殆ど何にもしてないような・・・」




 そういえば・・・


 ビシュケクは・・・




 「何かあったかな???」




 まあいい、もう出発でこれからビシュケク観光などしている暇などはない・・・



 2週間も居たから「見たこと」にしておけばいいだろう・・・





 明日はいよいよカザフスタンに向けて出発・・・


 本当にビシュケクを出発できるのか?自分でも甚だ疑問である・・・

兇鬼!大愕!亞怒鞭茶部!!(ビシュケク・キルギス)

2007-08-12 21:07:49 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.08.12


 奴らははちきれんばかりの若さを持って登場した・・・

 19歳の青年をリーダーに18歳の後輩2人・・・

 聞けば大愕の亞怒鞭茶部とやらに所属していて、なんでもこの「ビシュケクから遥かかなたのどっかまで、麻袋をかついで、シルクロードを歩く」という活動らしい・・・

 なんでも20日間ぐらい掛けて歩くらしいが、そもそも私自身全く歩く気が無いし、それに場所も興味が無いので忘れてしまっているが・・・

 まあ今時こんな馬鹿な企画を立てて、それに付いてくる後輩がいるというのが古風で気に入ってしまっていた・・・


 キルギスの滞在登録の手続きが代わってしまった為にその登録に2日掛かるという「プチ冒険」を早速してしまったが、それもこれからの冒険にいい花添えとなるだろう・・・

 そして08.10日、彼等は綿密な準備をし、出発に備えていた・・・




 彼らの心意気や良し!っとばかりに出発前日、彼ら3人にオーナーとゅ氏(リンク先ゆずランドを参照)と私で夜遅くまでゲームをしながら酒をのみ、若い3人は結局吐くまで飲んで、寝たのは朝の0500時頃・・・



 そして8月11日・・・1000時に起きた私の前から、がんがんに酔っていた筈の彼らは既に出発し、消えていた・・・


 これが若さ故の凄さというものだろう・・・


 私は同じく遅く起きたゅ氏と若い彼らのこれからの成功を祈って穏やかな気持ちで居た・・・




 そして1500時頃










 何故か彼らが帰ってきた・・・!!!





 理由を聞くと・・・





 「ホテルが満室だったから・・・・!!!」




 ということらしい・・・



 取り敢えずビシュケクから25Kmまで歩きそこで到着した町のホテルがフルだったのでバスで戻ってまた翌日バスでそこまで行ってから歩き始めるらしい・・・




 「・・・」




 「・・・・・・・」





 「???????」





 なんでも20日間歩くことを前提にしている割にはテントは持っていないらしい・・・





 予想外の帰還にビックリはしたものの・・・


 「頑張ってね・・・!」


 というのが私の精一杯のフォローであった・・・








 そして8月12日・・・

 比較的早く0830頃には起きたがもうかれらは居なかった・・・


 ゅ氏と「まさか今日は帰ってこないよね」と話し、部屋で本を読んでいたら・・・





 彼らはまたしても帰ってきた・・・




 理由は何でも・・・

 「ホテルがなかったから」

 らしい・・・・






 しかし・・・


 アドベンチャーをしに海外に出るという行為は私は決してやらないが・・・


 それでもアドベンチャーの意味ぐらいは分かっていたつもりだったが・・・

 



 彼らのアドベンチャーの壮絶さは・・・私ごときの凡人の想像を遥かに超えたものだったのだ・・・




 「歩くことを前提にしながら何故かテントは持たず、宿が見つからなかったらスタート地点にバスで戻る」




 という発想は・・・



 私ごときプロフェッショナルでは考えもつかない・・・兇鬼の世界ならではの発想だった・・・!!!





  「大愕!亞怒鞭茶部!!」


 その”兇鬼の世界”に踏み込んだものは・・・




 死を覚悟するより他は無いことだろう・・・

ビザ取得戦線異常無し!第3(ビシュケク・キルギス)

2007-08-09 18:33:25 | 2ndミッション+1 東・中央アジア
2007.08.09(木)


 本日は大きな動きがあった・・・

 ウズベキスタンビザの話は覚えていることだろう・・・


 先月の31日に申請した際に受領日は「10日の木曜日」であったことが・・・



 0730時に起床して食事を摂り準備を整える・・・


 本日偶然にも申請者がいるので私も彼らと一緒に行動することにする。

 食事をしていると受領日が一緒な年配の男もやってくる。

 彼に「今日が受領日ですよね?」と聞くと・・・


 「10日って明日だよ!」


 と爽やかに返される・・・





 「・・・・・・」




 木曜日は・・・そう言えば9日だ・・・10日ではなかった・・・






 どうやら私は勘違いしていたらしい・・・



 しかしそうは言っても早起きを折角して、準備も終わっているのにまた明日同じ事をすると考えると・・・



 そんな面倒はやっていられない、駄目もとで行ってみる事にする。



 1000時に大使館前に到着、申請者を待って私の番になる。


 私はこの8月最高の笑顔で受付の女性(注:残念ながらおばさんでした・・・)にパスポートを見せ、「今日が受領日です!」とアピールすると・・・



 簡単に」受け付けてくれた・・・


 受取は3時らしい・・・


 そして午後1500時に・・・


 問題なくビザを受領・・・・


 これでビシュケクでやることが全て終わった・・・





 しかし早くなるのは一向に構わないが「10日受領」の筈が文句一つ言われずに簡単に受領できるとは・・・




 ウズベキスタン大使館・・・





 この「プロフェッショナル」、人事ながらこのアバウトさでいいのかと心配である・・・