2019年4月10日 17:20
海上50Kmを1時間ほどで韓国・釜山港に着いた。圧縮水流で進むボーイング社製の水中翼船は揺れも少なく、車並みのスピードだった。
釜山港のランドマークの斜張大橋。長さ3,331メートル、主塔の高さは190メートル、海面からの高さは60メ-トルある。
ホテルに荷物を置いて近くの焼き肉店に入った。メニューに写真が無い。隣の人が食べている料理を指さして注文した。
聞いてはいたが韓国の焼き肉店では店員がセッティングし、骨付き肉はハサミで切ってくれる。「私、食べる人」状態だ。香辛料の効いたタレが何種類か添えられていて楽しめた。
ホテルからの釜山の夜景。韓国第二の都市だけあって高層ビルが立ち並び地下鉄も発達している。遠くにライトアップされた釜山港の大橋が見えた。
2019年4月11日
日本でネット予約したビジネスホテルに泊まった。「日本語スタッフがいます」との案内だったが殆ど通じず。いい加減な英語と身振り手振りで何とかなるものだ。
朝食は韓国風バイキングだったが何故か味噌汁が・・・。
前日と打って変わって快晴。ホテル前からバスと地下鉄を乗り継いで市内観光をした。
主要な地下鉄駅に英語、日本語のボランティア通訳がいて、行き先を伝えるとバス乗り場と下車・乗り継ぎ場所を地図に落とし、メモを渡してくれた。
メモには「この人は〇〇〇に行こうとしています。最寄りのバス停、地下鉄乗り場を教えてあげて下さい」といった意味のことがハングルで書かれていたようだ。
通りを歩いている人に見せると持参した地図を見ながら親切丁寧に教えてくれた。
市民レベルでは日韓の間のわだかまりは無いように感じた。これぞ“おもてなし”ではないか。
都心部にはマーケット商店街が多く、簡単な食事が出来る屋台が連なっていた。鮮魚料理を食べれることの出来る観光名所を探したが辿り着けなかった。
韓国ウォンのおよそ10の1が日本円のレートになる。このマーケットでは「魚のフライ」「チチジミ」「餃子」等が一皿200~300円で売られていた。
海岸沿いの平地には高層ビルが立ち並ぶが都心から少し離れると狭い斜面に住宅が張り付いている。
ここは有名な「甘川洞文化村」。
町全体がアート作品のようにカラフルだ。
もともとは、朝鮮戦争の際に北朝鮮側から戦争を逃れるために逃げてきた避難民が集落を作ったことに始まるという。
東西を山に囲まれ、南側には海を望む斜面につくられた村の美しい景色に魅せられて美術家や写真家など集まって今のような景観になったという。ギャラリーが点在していた。
貸衣衣装のチョゴリで散策する女性もちらほら。京都で舞妓さんの衣装で歩いている観光客を見かけるが、とこも同じ発想になるものだ。
海岸に突き出した「五・六島」の空中展望台。床がガラス張りなので傷が付かないように靴にカバーをかける。この日は軍人OB家族と思しき人達が沢山来ていた。
日本のお祭りの屋台が並んだような夜市の灯りと混雑から外れた釜山駅近くの屋台に入った。サラリーマンがいて安心゛。
ニンニクと唐辛子の利い噌とネギで食べるシジミ、ムールなどの貝類の鍋は二人前くらいのボリュームがあった。薄い塩味の出汁は絶品で全て飲んでしまった。
酒は日本酒と焼酎の間のような風味がした。
2019年4月12日
帰国の日。
釜山港のターミナルはロビーも広く、土産店が並んで空港のようだ。余裕を持って12:15の出発時刻よりかなり早く着いたのでビートルの窓口は開いていなかった。
釜山から博多へは韓国のフェリー会社3社が運行しているがネットの手続が分かりにくく、比田勝港まではJR九州が運行するビートルを利用した。
出国手続をして比田勝港で下船し、預けてあった自転車、荷物を取って、12:15のフェリーで博多港へ向けて出発した。
写真は比田勝港を出たフェリー甲板。
駆け足だったけれど、韓国は自然的にも地理的にも歴史的にも“すぐ隣の国”であることを感じた旅だった。
外交的にも早く近くになって欲しいものだ。
3年前の九州自転車旅で知り合った Fさんと帰りの福岡空港で1年ぶりの旧交を温めた。
82才、今もチャリ旅を楽しんでいる。 「歩くことが基本」とのアドバイスを貰った。 参考になる。北海道での再会を約して別れた。
37歳~40歳の頃第一次韓国ブームがあって、韓国には何十回も行きました。ソウル、プサン、済州島懐かしい思い出も一杯あります。そして韓国の歌も原語でまだ何曲か歌えます(笑)dsncharさんの写真が懐かしく思いました。