楕円と円 By I.SATO

人生も自転車も下りが最高!
気の向くままに日常と趣味の自転車旅を綴ります。

ジンギスカンの食べ方、発想転換。

2019年08月12日 | 円 -bicycle-

道東自転車旅でお世話になった厚岸町のライダーハウス「あっけし」でジンギスカンのちよっとした美味しい食べ方を教えて貰った。

ここでは食材をRHから買って、オヤジさんの指導で宿泊者が作るスタイルだ。この日(19.7.29)は会社を辞めてバイク旅中の三重の青年と大阪の女子歯学5

年生の3人だった。

一般的には肉と野菜を適当に焼いて、最後にうどん、ラーメンを加える。「あっけし」の作り方は違った。

先ず肉を焼き、鉄板の隅に置く。そこは炭火の火力が弱いのでタレが焦げない。次に鉄板の真ん中に野菜を一度に山盛りにしてボウルを被せて蒸す。同時にうどんを肉から離れた隅に置いてゆっくりと加熱する。

 

 

野菜が蒸し上がり、うどんに火が通った頃に、全てを手早く混ぜて皿に取り分ける。

肉にタレの煮詰まったしよっぱさが無い。野菜の焦げ臭さが無い。うどんがツルツルモチモチ。バイク青年が漁師から直接仕入れてきた厚岸特産の牡蠣も美味だった。

早速、我が家で試したいがジンギスカンが高い!

 

 


霧多布の松浦武四郎

2019年08月11日 | 円 -bicycle-

 

  

霧多布岬の先端の遊歩道に松浦武四郎の木製の歌碑が立っていた。
 
北海道をくまなく踏査していたことに感嘆する。
 
風雪で薄れた文字は判読が出来なかった。
 
家に戻って検索してみた。
 
 
かねてより
あらきしほ路ときたふの
島根にたかく
よする志らなみ
 
 
 
になっているものもあった

だと、かねて聞いた荒波というふうに読める。

だと、ずばり、きりたふ(霧多布)となる。


 
どちらなのだろう。じっと写真を見ていると・・・
 
分からない。しかし、どちらもそのときの心情が伝わってくる。

霧多布岬キャンプ場はお勧め

2019年08月10日 | 円 -bicycle-
道東自転車旅で浜中町が運営している霧多布岬キャンプ場に二日間滞在した。芝生、炊事場、トイレ、どれも綺麗に整備されていてテントサイト利用料が無料というのは嬉しい。
 
 
 
 
「霧多布岬」と「アゼチ岬」の二つの岬からの眺めも素晴らしく、近くに温泉「ゆうゆの湯」がある。霧は地域的に仕方が無い。それも魅力のひとつと思える。
 
 
《霧多布岬   点々とした岩礁は襟裳岬を思い出させる。 19.7.28》 
 
 
 
 《アゼチの岬から見た手前の「小島」横の「ゴメ岩」奥の「嶮暮帰島(けんぼっきとう)」 19.7.28》
 
 
 
自転車で根室から国道142号を走ってきてあれっ?と思うことがあった。なかなか市街地が無い。ついには大きなアーチ橋を渡
った。そこに市街地と役場があった。
 
霧多布岬というより霧多布「島」の感覚である。家に戻って調べてみると興味深いことが分かった。 
 
 町などの資料によると、江戸時代には「霧多布島」だった。明治時代になって初代の橋が架けられた記録がある。天然の良港で水が豊富だったので人が住み始めたという。どうりでキャンプ場の炊事場の水が冷たく美味しかった。
 
そして、1960年5月のチリ地震津波。12波の津波が来襲する前の航空写真では陸続きになっているが、津波後は湿原の陸地がえぐられ、海流の浸食により浜中湾と琵琶瀬湾の間に水道が形成されている。
 
明治時代の橋はこの時流されて仮架けされ、2000年に今のアーチ橋となった。つまり、霧多布は島から半島へ、そして再び島へと変遷してきたのだ。
 
これまでの経過を踏まえて歴史資料は「島」と「半島」の両方の記述が混在しているらしい。
 
千島列島火山帯に起因する大地震の予測もある。永久橋が流されることがないよう祈る。
 
 
《朝霧をついて出漁している昆布漁船  19.7.29》 
 
 
 
 
 

 


農作業ヘルパーの記 -イモ拾い-

2019年08月07日 | 農作業ヘルパーの記

「知らないから行ったんだぁ。大変だったね。地面からの照り返しがあるし、ホコリも立つし、農作業の中でもキツイ仕事だよ。」

朝の河川敷自転車散歩で暫く見かけなかった農家出身のお爺さんに言われて納得した。この時期のイモ拾い作業である。

涼しい道東を自転車旅して帰ってきて、農作業支援登録している農協から依頼があり猛暑の中を出掛けた。この日、6日の朝のポタリングの河川敷は一面川霧が立ってひと時の納涼タイムであった。

 

初めてのイモ拾い。

トラクターで掘り出した早出しのイモをプラスチックケースに入れるという単純な作業だが、膝を折って根からイモをほろい落とし、“ズルように”前進しながらプラスチックのケースに入れてゆく。

体制を立て直すのにケースに手を掛け片手でイモを入れることもある。長時間膝を折っていると血行が悪くなるので時々胡座をかいて入れる。小さなイモを見落とすこともある。

N農家はそれを見逃さず許さない。「両手で入れてください!能率が悪くて終わりません!」経営の必死さはビンビンに伝わるが、稼業として長年やってきた作業を同じように素人のアルバイトに求めるのはどうなのだろう。

炎天下、砂ぼこりの作業環境でふと思った。学生時代のRugby夏合宿でさえ、レベルに合わせて練習メニューがあった。新入生にもレギュラー並みのことを求めてはシゴキ事故が起きるだけだ。

外国人労働者の境遇はいかばかりのものか。作業ロボットのように扱っては来る人も来なくなる。法律があれば良いというものではない。

一緒に作業していた年配の女性が就業終了の30分前に「プッツンしました。」と畑の隅に座ってしまった。たった一度の体験だが、この人手不足の時代、農家には作物栽培技術ばかりでない労務管理のノウハウ、意識も持って貰う取り組みが必要ではないか・・・と帰路についた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


食べ物と格差社会

2019年08月05日 | 農作業ヘルパーの記

「お前、仕事しているのか。」

道東自転車旅で羅臼町の『熊の湯』に浸かっていると、管理している地元漁師さんが入ってきて最初の会話はいつもこれだった。

最近は魚も昆布も不良で漁船の油代を賄えないので出漁を制限し、「土方に出稼ぎ」しているのだそうだ。

仕事先、賃金などの情報交換の場が『熊の湯』だった。

地元でもなかなか仕事の場は少なく、出稼ぎしている漁師さんもいるようだった。

今日のニュースでサンマが激減しているという。家で炭焼きしようとしても高くて鰯だ。

根室半島の納沙布岬の鈴木食堂では名物の「サンマ丼」が冷凍物を使っているとの断り書きが店内掲示がされていた。

生命の源の一次産業への関心が薄らいでいるように思う。経済格差が拡大し、庶民の味が限られた階層のものにならないよう政治は注力しなければならない。

 

 


帯広も暑い!

2019年08月02日 | 円 -bicycle-

涼しかった道東自転車旅を釧路で終え、JRで帯広に来た。

35℃ 暑い!

いいタイミングで自転車旅が出来た。

大学同期の集まりまで時間があり、久しぶりに母校を訪ねた。バスが不便になり、汗だくで15分ほど歩いて到着。

今の学生はマイカー通学なのだろうか。

構内の樹木が随分大きくなり、時間の流れを感じる。

卒業以来46年ぶりに大教室に入ってみた。内装が変わっていたが、椅子に腰掛けると講義より、全共闘の集会が思い出された。

 

練習しているのかな?

 

たっぷり汗をかいたので夜の友とのビールは胃袋に吸い込まれるように喉を通った。

さあ、この旅終えてうちへ帰ろう。

2019.8.2 11:00 JR帯広駅前

 


釧路の夜♪

2019年08月01日 | 円 -bicycle-

 ノサップのライダーハウスで一緒になり、霧多布岬キャンプ場で隣だった神奈川の団塊ライダーが推薦してくれた釧路の民宿&ライダーハウスの『銀鱗荘』は評価どおりだった。

 刺身6点盛、花咲ガニ、マグロづけ、焼き牡蠣、焼きツブ、サンマ塩焼き。

 

これで宿代1,200円、別注文海鮮料理2,400円は自転車旅のたまの豪華な一夜にお薦めだ。

 この日泊まったのは5人。料理注文は私ひとり。おかげで宿の主人と旅の話などで久しぶりゆっくり飲んだ。パンクせずトラブルも無かった安堵感と心地よい疲れ。

 同室は16才の東京の高校生。航空管制官を目指していた。これから専門学校の受験準備に入るので、束の間の初の自転車旅だった。

好きな事を仕事に出来ることを願って別れた。