年が明けてから時々だるさを感じたり、若かりし頃からの持病の腰痛が強くなったり、
いよいよトシかなと思う日々、『太陽のかけら』(大石明弘;登山家&ライター)を読んだ。
文庫本357ページのまるまるが以前に書いた女性登山家谷口けい氏の人生で埋まっている。
2015年に43才で冬の北海道の黒岳で滑落死した世界的なアルパインクライマーだ。(少数パーティで最低限の装備により、短時間で岩と氷の壁を登攀するスタイル)
ヒマラヤの未踏の壁の登攀が中心の活動だったので最悪のことが起こりえるが、それがまさか黒岳とは。。。
2023年1月28日のブログ記事一覧-楕円と円 By I.SATO (goo.ne.jp)
著者の大石氏は、けいがヒマラヤを登り始める前からの知り合いで、数年間、アルパインクライミングを教えて貰っていた登山家だ。
けいの父・尚武氏の「彼女は世に送り出されたとき、使命を与えられてきたような気がするんですね。それなりに果たして、もう戻って来なさいと言われて、天に帰って行ったんじゃ無いかと思ったりしてね。」という言葉が強く突き刺さったようだ。
「冬壁では果たすことの出来なかったパートナーとしての役回り」として、けいの「軌跡」を多くの人と「シェア」(けいがよく口にしていた言葉という。)して、「使命」の意味を感じて欲しいと『太陽のかけら』を執筆した。
息もつかせぬ人生が綴られている。
ざっと拾うと、
1990年、繊細すぎるほど繊細だった18才の高校生の時に1年間のアメリカ留学に向かう。
帰国するや行き先も告げずに家を出る。3ヶ月後に父あてに送られて来た手紙には、「いったい、何のために生きるのか。私は受験生をやめます。」と書かれていた。
3年が経って届いた手紙には、明大文学部地理学科に入学し、無事に1年を終えたことが綴られていた。
自転車クラブに所属してニュージーランド南島をツーリングしている。
親に頼らず自立した学生生活だった。
1998年に卒業し、就職するが3年で退職。
主な登山歴は、
2001年にはアラスカ・デナリ登頂と山岳アドベンチャーレース参戦。
翌2002年から2003年は野口健のエベレスト清掃登山隊・登頂、2006年マナスル登頂、2007年チョモランマ登頂、2008年にはインド・カメット南東壁を初登頂して、世界的に権威のある「ピオレドール賞」を女性として初めて受賞。
その後も20013年にシスパーレ南西壁試登、2015年にネパール・パンドラ東壁を試登して帰国後、同年の12月21日に黒岳で帰らぬ人となった。
12月25日からはキリマンジャロのガイドで出掛ける予定だったという。
悲しくも24日のクリスマスイブがお通夜となってしまった。
自分とは何かという問いを懐に忍ばせ、43年の「人生は新しい自分を発見する旅」を駆け抜けた。
人生80年として、40年は折り返し地点。後半の40年はエネルギを他者のために使おうと、亡くなる前年の2014年に女子大登山部の海外遠征のサポートでネパールの未踏峰に出掛けるなど、新しい活動に入った矢先だった。
「やってみなければ分からない。」
幾多の雪と岩の壁をキャンバスに自分の理想のラインを描き、その知識、経験を社会に還元しようとしていた人生だった。
人生の後半も残り少なくなったが、遭難が報じられるまで全く知らなかった登山家の生き方から勇気をもらい、最近の倦怠感を吹き払ってくれた。
「仲間やネパールなどの遠征先の人々をその底抜けの明るさで太陽のように照らし、今、そのかけらが私達の心の中で輝き、燃えている。」と著者が語っている。
演奏:兵庫芸術文化センター管弦楽団
指揮をしている佐渡裕がこの楽団で国内外の新進気鋭の若手音楽家を育成している。
谷口桂(本名)さんは、さだまさしのファンのヤマ仲間に「嘘っぽくて嫌い。」と語っていたそうだが、海外からの帰国機の中で『風に立つライオン』を見てから変わったそう。
ある日、友人が家を訪ねると室内にずっと流れていたという。
葬儀の時も。
左手前の「パンドラ」は〝未完のキャンバス〟になった。
心に響くいい記事を読ませていただきました。
前回の記事の時には女性ながら素晴らしい人だと認識したぐらいで、名前も覚えていませんでしたが、今日以後は「谷口けいさん」そして本名の「桂さん」も忘れることはないと思います。
「風に立つライオン」は私も大好きな曲ですが、涙をもって聴いたのは初めてです。
I.SATOさんの心の大きさ、広さ、深さを改めて知ることができました。
ありがとうございました。
高いとか、難しいとか、未踏だとか、
そのようなことはあまり関係が無く、写真を見て「自分のラインを引きたい」という直感にかられたのかなぁ・・・と感じました。
これから自分のためばかりでなく、若い人のサポートも、という段階に入って亡くなられたのは非常に残念です。
本にした大石さんも大変な努力をして取材を重ねたようです。
私も自転車旅を続ける気持ちが強まりました。「やってみなければわからない。」ですね。