「孤篷のひと」 葉室麟 KADOKAWA
2016.9.30
茶の道を極め、建築・造園でも卓越した才を発揮した小堀遠州。
正保三年(1646)、68歳にしてようやく平穏な日々を過ごし始めた遠州は、千利休や徳川家康、伊達政宗ら乱世に名を刻んだ傑物たちとの出会いを振り返り、彼らの生き様に思いを馳せる。
若き作介(遠州)に家康は言う。
「おのれを偽らぬほど高慢な生き方はないぞ。ひとは皆、生きていくからには、おのれを偽る。ただ、おのれの損得を考えるゆえではないぞ。おのれを偽るのは世のためじゃ」
「そなたは、いま、わしに向かって手をつかえておるが、わしと言葉をかわすのは初めてのはずじゃ。わしが何を考えておるか知らぬのに、アタマヲ下げるのは世に倣っておるからであろう。それがくなわち、世を支えることでもある。おのれを偽ることが世を支えるというのは、そういうことじゃ」
遠州と、織部の娘・琴との会話。
「ひとがこの世にて何をなすべきかと問われれば、まず、生きることだとお答えします。茶を点てた相手に、生きておのれのなすべきことを全うしてもらいたいと願い、それがかなうのであれば、わたしも生きてあることを喜ぶことができる。さような思いでおります」
(琴は、そんな遠州に言う。)
「ひとが生きるということは、自分らしくいきられてこそだと存じますが、いかがでしょうか。おのれらしく生きられないのなら、生きてもしかたないと思います」
「おのれらしく生きるとはさように狭苦しいものでしょうか。いかなることに出遭おうとも、自らの思いがかなわずとも、生きている限りは自分らしく生きているのではないかとわたしは思います。自らを自分らしくあらしめるということを、いかに捨てようと思っても、捨てることはできないのではありますまいか」
政宗は言う。
「つまるところ、泰平の世の茶とは生き抜く茶であろうな」
小堀遠州の庭を、じっくり見たくなった。