どすこい山根康民日記

道路交通に関する事を中心に紹介しています。

信楽高原鉄道列車衝突事故 慰霊の旅

2021-05-16 13:11:57 | 日記
2021年5月15日、今回は、今から30年前の1991年(平成3年)5月14日午前10時35分、
滋賀県甲賀市信楽町で、42名の方々が亡くなられた
信楽高原鉄道列車衝突事故の現場へ慰霊の為に訪れました。
当時、事故のニュース映像を見ましたが、今回ここへ来る事が出来たのも何かのご縁かと思います。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りさせて頂きました。

前回、先月4月20日に甲賀市信楽町を訪れた時には、事故現場が分からず
知人に聞いて今回、再度の信楽町訪問になりました。

主な走行ルートは、国道311号→田辺市本宮町→国道168号→奈良県五條市西吉野町→
県道20号線→下市町→国道309号→大淀町→国道169号→吉野町→県道28号線→
宇陀市→国道166号→国道165号→三重県名張市→国道368号→伊賀市→
国道422号→滋賀県甲賀市信楽町→国道307号→信楽高原鉄道列車衝突事故現場→
国道307号→京都府城陽市→国道24号→奈良県奈良市→阪奈道路(県道1号線、県道8号線)→
大阪府大東市→国道170号(大阪外環状線)→河内長野市→国道480号→和歌山県かつらぎ町→
国道24号→紀の川市→国道424号→海南市→県道18号線→有田川町→国道42号→白浜町
走行距離 約508㎞



白浜駅の写真が、ちょっとブレてしまいました(^^ゞ

白浜駅の様子 写真では見えにくいですが、星が見えていました。

白浜駅 東方向の様子。
この時間(午前4時頃)でも空は、少し明るく山の稜線は見えます。
少し前の午前4時頃だと、真っ暗でしたけど、日の出が早くなっているので1日が長く感じれます。

上富田町生馬の国道311号 生馬(いくま)交差点。
徐々に明るくなってきましたが、これから田辺市本宮町までは、東方向に走ります。

いつも温度を確認する田辺市中辺路町の小広峠(こびろとうげ)バス停付近

小広峠の温度計は、午前5時過ぎで15℃。
山間部は、走っていると少しヒンヤリとしますが、走りやすい気候です。



国道168号 奈良県十津川村(とつかわむら)と和歌山県田辺市本宮町との境界になります。
ここから先は、奈良県ですが、十津川村は、とにかく広~いです。
ちなみに十津川村は、村の中では、日本一広い村になります。

この日は、曇りのち雨の予報で、雨は夜からの予報でしたが、
雲行きがかなり怪しいなぁ…大丈夫かなぁ?(;^ω^)と思いながら走りました。
十津川村に限らず、山間部の道路あるあるですが、走っていると落石を見掛ける事があります。
写真には、撮っていませんが、あんまり大きな石の場合は、道路わきに避けるようにしています。
もし落石に乗り上げでもしたら、とても危ないですからね。

長い長い十津川村を走り抜け、五條市に入りました。
ここからの県道20号線は、今回初めて走りますが、国道309号に向かいます。

右手の高架橋は、五新線(未成線)あとになります。
奈良県五條市から和歌山県新宮市までの山間部に、鉄道を通そうとした壮大な計画でしたが、
実現する事は、ありませんでした。

国道168号での工事案内。
山間部の道路を走られる際は、事前に道路情報を確認される事をおススメします。
通行止めだったり、大きく迂回する必要があったり、時間制限通行止めでは、
タイミングによっては、1時間以上待たされる事もあります。

さぁ、初めての県道20号線走行になります。
狭い区間もありますが、2車線区間もあり比較的、走りやすいと思いました。
国道309号に入り、大淀町で給油後、吉野町経由で宇陀市に向けて走ります。

宇陀市にある道の駅宇陀路室生にて休憩。



道の駅近くを流れる宇陀川

道の駅から近鉄大阪線 三本松駅方向を写す
写真には、写っていませんが、この日初めて近鉄特急ひのとりを見ました。
おっおっおっ!ひのとりやぁ~と喜んでいました。
ここまで来ると、三重県名張市は、もうすぐです。

道の駅を出て、国道165号を数分走ると、もう三重県名張市です。
名張市は、原付旅で訪れるまで来た事がありませんでしたが、
広々とした農地が広がり、比較的大きな街(白浜から見れば…)なので、
個人的には、何となく好きな街になります。
そんな名張市が良いと言いながら、この時は、1枚も写真を撮っていません(>_<)

三重県から、いよいよ滋賀県甲賀市に入ります。
細かいのですが、県境の標識位置より、アスファルト舗装がずれているので、
この位置が、本当の県境?

滋賀県甲賀市信楽町の信楽駅
大きなタヌキですが、あれっ前回、来た時と衣装が違うような気がします(^^ゞ

信楽町観光マップ

信楽駅

信楽駅 駅舎内の様子

鉄道グッズ

旅客運賃表

信楽駅前の通り

5/28にオリンピック聖火リレーが行われるんですね。

信楽駅近くの藤棚

信楽高原鉄道の終端部

写真では、見えにくいですが列車がとまっています。


信楽高原鉄道列車衝突事故現場



正面衝突の事故現場に建つ石碑

安全の碑

信楽列車事故の遺族らが中心となって1993年8月8日に
結成された鉄道安全推進会議は 中立公正で独立した
鉄道事故調査機関の設立を求めて活動をつみ重ねてきた
その願いが通じ2001年10月1日 国土交通省内の期間ではあるが
航空・鉄道事故調査委員会が発足した
これは犠牲になった42の御霊の安全への思いが万人の心を
ゆるがし結実したものである
ここに亡き犠牲者を偲ぶとともに 今後のわが国の事故調査
制度のさらなる充実発展と鉄道事故の根絶を祈念して
この碑を建立する 尚 2008年10月1日陸・海・空の
事故調査が統一され充実した運輸安全委員会として設立し発足した

2003年5月14日

鉄道安全推進会議(TASK)







この一対の樹木(ヤマボウシ)は
事故から10年目となる。
平成13年5月14日に、御霊への
慰霊の想いを込め、遺族の会に
よって植樹されたものです。







慰霊

平成三年五月十四日 午前十時三十五分
ここ信楽高原鐵道単線軌道上に於いて
JR西日本直通乗入れ列車と
信楽高原鐵道列車が正面衝突し
四十二名の尊い命がその犠牲となって失われた

この慰霊碑は犠牲者の御霊のご冥福をお祈りするとともに
これを教訓として二度とこのような大事故を繰り返すことのないよう
鉄道の安全を念願し建立されたものである

遺族一同

信楽高原鐵道株式会社
西日本旅客鉄道株式会社


事故から30年が経過
写真は、信楽高原鉄道の列車

写真の信号は、信楽インター口交差点

今日も列車が走っています。
信楽高原鉄道の運営は厳しいものがあるかと思いますが、
これからも可能な限り、走り続けて欲しいと個人的には思います。
理由は、地域の足としても大切ですし、また事故を忘れないためにもと思うからです。
今度、いつになるか分かりませんが、信楽高原鉄道に乗って見たいと思います。

新名神高速道路 信楽インターのすぐ近くに慰霊碑があります。

曇りのち雨の予報でしたが、信楽町は、良い天気でした。

慰霊を終えて、バイクに戻ると「あちゃ~」鳥のウンチが付いていました。
あっ!運が付いたのかなぁ(笑)

前日が、事故からちょうど30年の節目でしたが、仕事のため訪れる事が出来ませんでした。
この日は、10時35分の事故発生時刻には、間に合うようにと思いながら走り、
10時30分に到着する事が出来ました。
今回初めて訪れましたが、30年前の事故発生時の様子は、テレビのニュースで見ました。
当時の私は、20代前半という事もあり「大変な事故やなぁ~」という感覚でしか受け止めていませんでしたが、
年齢を重ねて、自分の感性というか感覚が変わって来ました。
うまく言えませんが、命に対する考え方の変化です。

まだ50代、もう50代。
受け止め方は、人それぞれですが、私もあと30年もしない内に80歳になります。
少なくとも今まで生きてきた期間よりは、生きていられる期間の方が短いかと思います。
私の中では、50歳の誕生日を迎えた時点で、人生の折り返し地点を過ぎたと思っています。
しかし、もし100歳過ぎても元気で生きていられたら、
それはそれで、とても素晴らしい事ですが、恐らく難しいかと思います。
そのため理不尽な形で命を絶たれた事に対して、何とも言えない悲しみを感じてしまいます。
まだまだ生きていたかった…しかし生きる事が出来なかった。

私自身この先の人生がどうなるか?全く分かりませんが、
何れどういう形で迎えるか分かりませんが、人生の終焉を迎えます。
その時に、まぁまぁ楽しかったよ!と思えるような生き方を出来ればと思っています。
私の相棒(原付バイク)は、私を色んな所へ連れて行ってくれます。
そんな原付旅を、これからも様々な事情が許す限り続けて行きたいと思っています。




国道307号 滋賀県と京都府との府県境

京都府木津川市から奈良県奈良市へ

奈良からは、阪奈道路を走って大阪府へ向かいます。
奈良から国道24号を和歌山方面に走る方が、早く着けるのですが、
国道170号(大阪外環状線)を走るのが、気に入っています。

理由ですか?重要幹線道路ですが、道路は、昭和の頃からの古い雰囲気が残っている。
道路幅員がやや狭く、途中で右折車があると、交通の流れが乱れる。
高架区間が少なく、渋滞が多発し通過に時間を要する。
路肩が狭すぎる区間が多い等のマイナス要素が多いのですが、
沿道に少しですが、農地が残っている部分も気に入っています。

外環は、交通量に対して、道路規格が合っていませんが、
それでも*昭和40年代に、よくまぁこの道を作っていたものだと思っています。
*外環の全線開通は、ずいぶん後になります。
当時は、もっと田畑が広がる中を走る道路だったと思います。
外環を走る機会が増えてきたので、沿道の様子が徐々に頭に入ってきています。
そんな外環を走っている時に、まさかの出来事がありました。

八尾市の教興寺(きょうこうじ)交差点の先頭で信号待ちをしていると
私の左横へ原付バイクが並んだのですが…
ここまでは、何て事の無い事ですが、その並んだライダーさんが私に
「志紀(しき)駅へは、どこで曲がったら良いんですか?」と声を掛けられました。
見た感じ、私と同年代位の男性でしたが、
えっ?まさか…私、地元じゃ無いんですけど(;^ω^)
教興寺交差点から志紀駅まで
志紀駅の名前は見た事あるけど、行った事なく分からないので
「スミマセン💦私、地元の人間じゃないので、ちょっと分からないです」
「スマホをお持ちですか?そちらの地図で見て頂ければと思います」とお答えしました。

少しずつ外環の沿道の様子は、頭に入って来ていますが、
さすがに道案内は、ハードルが高いです。
今回、道を尋ねて来られた方も、結構勇気がいったと思います。
後ろからだとヘルメットを被っているので、顔は見えないし、
どんな人か分かりませんからね。

もしかして白浜町のナンバープレートなので、地元?と思われたのかなぁ?
白浜町は、和歌山県にあるのですが💦💦
まぁ原付で、居住地から数百キロも離れた遠方を走る方は、少ないかと思います。
白浜で聞かれたのなら、ある程度の道案内は出来ますけど(^^ゞ

こういう突然の出会いも、また原付旅の楽しさでもあります。
今日(5/16)、近畿地方も梅雨入りした模様との事ですが、
メチャ早いやん(T_T)梅雨になるとツーリングしにくくなるなぁ(ノД`)・゜・。
天気の良い時があれば、近くでも走りたいと思います。

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