どすこい山根康民日記

道路交通に関する事を中心に紹介しています。

県道温川田辺線と子ヤギたち

2018-05-22 18:10:30 | 日記
3/13 国道42号田辺バイパスを走っていると
案内標識に「県道温川田辺線」の表示がありますが、
この道は、まだ走った事が無いので今回、走る事にしました。

県道216号 温川田辺(ぬるみがわたなべ)線を
田辺市の下三栖(しもみす)交差点から長野、伏菟野(ふどの)方面へ川沿いに走ります。
長野までは、比較的走りやすい道ですが、長野を過ぎると
両側の山が川に迫り、道幅も狭くなってくるので、一気に秘境感?が増しますが、
しばらく走ると、伏菟野の集落が見えてきます。

ここまでの道は、ストリートビューでも見る事が出来ますが、
この先の県道 温川田辺線は、道幅も狭くなり上り坂が続きます。


伏菟野からの上り坂の途中「この道路は軽自動車以下を除く車両での通り抜けはできません」と
標識がありますが、この先の熊野川集落までは、細い道ですが、まだ走れます。


熊野川の集落




熊野川集落から暫く走ると道路は、いよいよ本格的に厳しい表情を見せます。


現在は、同じ田辺市内ですが、かつては、この先の峠で旧田辺市と旧中辺路町の境界でした。

ここまでの道中の道の荒れ方は、半端なく厳しかったです。
今、思えば写真を撮っていたら良かったのに…と残念に思いますが、
走っている時は、路面を流れる斜面からの水、頭上に樹木が生い茂り昼間でも薄暗く、
路面が見えない程多量の木の枝の散乱、大小様々な石がゴロゴロ、
もし何かあっても携帯は圏外(>_<)

「この道、本当に走れるのか?」という不安が非常に強く、
原付でも10kmほどでノロノロ走りました。
地図の上では、田辺市伏菟野と田辺市中辺路町水上を最短で結んでいますが、
富田川沿いの国道311号線を迂回する方が早いですね。


旧田辺市と旧中辺路町との境界




境界の峠を越えて少し走ると素晴らしい山なみ


田辺市伏菟野側の事を思えば、まだマシかなぁ?


路肩が、こんな状態なので少し大きな車だと怖いですね。


峠からは、ずっと下り坂が続きます。


眼下に水上の集落が見えた時は、ホッとしました。
水上にある公衆トイレで休憩。山間部にあるトイレは、ありがたいです。
この後、栗栖川方面に少し走り澤の集落で左折、ここからの道は、走りやすい広い道が続き
内井川の集落に来ましたが、車でも来た事がなく初めて訪れた集落でした。
ここから温川までは、川沿いの道を途中、狭い区間もありますが、
伏菟野から水上までの道を思えば、何ら問題ありません。
そして遂に国道371号線と合流して県道温川田辺線を走り抜ける事が出来ました。
「ヤッター!」という達成感でした。

さて今回の目的は、達成出来たので、あとはどうしようかなぁ?と思った時、
そうだ国道371号線を走って、旧龍神村と境界を接する旧中辺路町の小松原まで走りました。
国道371号線は、所々狭い区間もありますが、2車線区間も多く走りやすい道です。


小松原に到着。ここから龍神方面は、後日走行します。
というのも3月末に龍神、中辺路間の国道371号線が開通するからです。


小松原の集落も初めて訪れましたが、住吉神社にお詣りしました。


小松原から川沿いを下り国道311号線に向かう途中、可愛いお友達?子ヤギを見かけました。
「これは、写真に撮りたい!」と思い近くにおられた男性に声を掛け、写真を撮る許可を頂きました。
その際、男性のこれまでの経験や現在のお仕事についてお話を伺いました。
また話の途中で、共通の知人が登場した事で話しが弾み、20分余り立ち話をしました。
まぁ田舎なので、こんな事もありますね(^^)/


ヤギのエサの事やエピソードなど色々と教えてくれました。
しかしヤギって、カワイイなぁ~(^^ゞ

関空ドライブ

2018-05-22 12:21:17 | 日記
3/11 この日、夜になって急に「関空行こう!」となり車を走らせました。
大阪まで走るのは、少し久しぶりでしたが、
阪和道から関空道へ走りましたが、
夜に見る飛行機も良いですね。
道中「車は、運転が楽だなぁ~」と思いました💦
まぁ車には車の良さが、原付には原付の良さが、それぞれあって良いんですけどね✨

そんな関空第2ターミナルまで行ってから、関西空港駅まで来たのですが、
きっぷ売場にいると、白人男性が「ナンバ…ナンチャラカンチャラ??」と聞かれ
英語(他の外国語も)がさっぱりダメな私は「ナンバ ナンカイ(南海)」と少し先の
南海電鉄のきっぷ売場を手振りで案内しました。

今回のように、外国人から聞かれたとき
「やっぱり英語(中国語等)は、勉強しとかなアカンなぁ」と
その時は、思うのですが結局、思うだけで私の場合、三日坊主にもなりません(^^ゞ


日中は、乗客が多いんだろうなぁ~


時刻は、20:53 この後、白浜まで帰らなアカンのに、しかも明日、朝から仕事やのに(>_<)


関西空港駅で外国人に声を掛けられました(^^ゞ

田辺市の槇山(まきやま)に登る

2018-05-08 20:53:52 | 日記
3/10 前回、道路工事のため槇山(まきやま)に登る事を断念したが、
工事の期間が2月末までだったので、満を持して槇山を目指した。
今回も上富田町岡地区から県道205号 上野岩田(うえのいわだ)線から
前回の工事場所であった上野八幡神社前を通過し、いよいよ槇山へ登る道路に着いた。





上野八幡神社に立ち寄りお詣りをする



槇山無線中継所の標柱が入口にある



白浜からは、遠くに見える槇山もここまで来ると山頂が近い



途中にあるゲートでは、これより先は、関係車両以外進入できませんが歩行者なら通れます。
私が子供の頃、遠足で来た時には、もっとゲートの高さがあったように記憶しています。
写真には、載せていませんが以前のゲート跡らしきものが少し下の道路上に残っています。





山頂までは、でこぼこ道や一部、舗装された道が所々にあります。
ただここでは、子供の頃に登った事を思い出せるものはありませんでした。



山頂への途中からの眺望。先程の登り口にある上野の集落が見渡せます。
遠く富田川や田辺湾、白浜温泉街も望めます。



山頂近くにある無線中継局。ここに来てやっと子供の頃の記憶が蘇りました。
ハッキリではないのですが「そういえば、○○君とここで遊んだなぁ~」と
ぼんやりとした記憶が蘇りました。しかし当時、よくここまで小学生の頃、歩いて登ってきたなぁ~と
当時の健脚に驚かされます。ちなみに山頂へは、写真の左側の道から、もう少し進みます。







槇山には、NTTやNHK、和歌山放送等の無線中継局があります。
槇山(796m)は、私が子供の頃は、田辺市で最も高い山でしたが、
龍神村との広域合併により田辺市となったため現在、
田辺市で最も高い山は、龍神岳(1382m)になります。
子供の頃、県内最高峰は、護摩壇山(1372m)と習いましたが、
高さの違いに気付いた方すごいなぁ~
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E7%A5%9E%E5%B2%B3

そんな槇山から今度は、下山して上野の集落から
県道218号 平瀬上三栖(ひらせかみみす)線を田辺市中辺路町へ走りました。



軽自動車以上の車での走行は、厳しいですね。



道幅の狭い県道ですが、舗装はされています。



所々、路肩から斜面を見下ろすと「落ちると上がって来られないなぁ…」と思ってしまいます。



えっ?この道でマラソン大会?ちょっと驚きました💦
熊野古道中辺路マウンテンランレース?そういえば新聞に載っていたかなぁ?
この後、中辺路町西谷の一願寺(いちがんじ)さんで、トイレ休憩をして白浜まで走りました。
今回の原付走行距離は、71.3㎞。おっ!結構走ったなぁ~
原付バイクも重たい?私を乗せて、山道をよく走ってくれます。
ずいぶん年期が入っていますが、私と同じく若くない?所が、
良い意味で相棒になっています。
今日もよう走ってくれた!とねぎらいの言葉が自然と出てきます。
あっ~楽しかった(^^ゞ

白浜町市鹿野から三川方面へ ~91歳の女性との会話~

2018-05-05 20:03:23 | 日記
3/3 上富田町生馬(いくま)から県道36号 上富田すさみ線を
生馬川沿いに卒塔婆トンネルまで走ります。





卒塔婆(そとば)トンネルを抜けると白浜町(旧:日置川町)です。
この先は、富田川水系から日置川水系に変わります。
なぜか写真が横になってしまうなぁ(^^ゞ

トンネルを抜け、下り坂をしばらく進むと、県道36号から分岐した
県道37号 日置川大塔(ひきがわおおとう)線を走ります。
この道は、道幅も狭くカーブの多い山の斜面に沿って走ります。
暫くすると小房(おぶさ)のバス停が見えますが、
このバス停から日置川に向かって下りると小房の吊り橋があります。

バス停から暫くは、軽自動車1台が通行可能な道幅がありますが、
途中から原付でも走るのが厳しい細い道になります。


吊り橋を渡った先は、小房の集落になります。


吊り橋の板は、原付で通るとバタバタバタと音がするので、渡るのに不安を感じました。


吊り橋を渡って県道側(日置川大塔線)を望む。道路は、全く見えません。


吊り橋上から日置川を望む


小房の集落。訪れた日は、人の気配を感じませんでした。

この日は、曇り空だったので晴れていたら、写真映えも違ったかなぁ?と思います。
吊り橋を渡り終えて感じたのは、とにかく静かでした。
川が近くを流れているのに、静けさが漂う感じでした。




県道から小房の吊り橋及び集落を望む

その後、小房からさらに日置川沿いに上り、三川方面へと走ります。
途中、白浜町(市鹿野)から田辺市へ入ります。
合川ダムを過ぎて前回、三川に来た時、JA紀南 三川店手前にある道が気になり
「この道は、どこへ繋がっているのかなぁ?」と思っていたので
今回、走ってみました。

この道も細い道ですが、細い1車線程度の幅しかありません。
軽自動車なら通れますが、普通車でも大きめのタイプだと難しいでしょうね。
まして対向出来るような所は、見当たりませんでした。
杉?ヒノキ?の植林された木々の間をひたすら上り、パッと視界が開けた所に出たのが
竹の平という小さな集落でした。





小さな案内標識には、右に行けば鮎川、左に行けば竹の平となっていたので、
竹の平方面へ走りました。
後日、鮎川方面への林道を走るのですが、これはまた大変狭いセメント舗装の道でした。
竹の平の集落に着き、このまま道を走ろうか?どうか思案した時
近くの納屋(倉庫)に座っていた女性に声を掛けました。

女性は、御年91歳の方で耳は少し遠い感じでしたが、しっかりとした口調で話しをされるので
私の方が大変驚きました。女性と話しをすると
「ここは、年寄りばっかりやけど最近、40代の若い人が来てくれた」と
嬉しそうに教えてくれました。「ここは何もないけど、空気はええ!」と話していました。

私の住んでいる白浜も都会から見れば田舎です。
空気が決して悪いとは思いませんが「空気がええ!」というのは、
これまで、空気がええと感じた事もなかっただけに大変新鮮に感じました。

全くの赤の他人である私と女性と暫くお話しをしましたが、
不思議な縁を感じました。そして昨今、高齢化や認知症の問題に関心が高まっていますが、
91歳の女性が、若干耳が遠いとはいえ普通に話が出来る事に、
女性の何がそうさせているのか?不思議に思いました。

住んでいる環境なのか?その人の持って生まれたものなのか?
畑仕事をしているからなのか?

結局、私には理由はわかりませんが、女性から今回の会話を通して学んだのは、
お金はある程度必要なのはわかります。
しかし何れ遅かれ早かれ、誰しもお迎え(死)がやってきます。

もし長く生きる事が出来れば、この女性のように
いくつになっても、人と話しをして生きて行く事が出来れば、幸せなんだろうなぁ~という事を
何となくではありますが、学んだ気がします。

このような出会いもあり、ますます山へ出掛けるようになりました。
その後、竹の平からもう1つあった道を下り続けると
国道371号へと繋がっていました。
ここからの景色も素晴らしかったです。
眼下には、合川ダムのダム湖が見えるのですが、
ダム湖のエメラルドグリーンの湖面が何とも美しかったです。




地元の人には、当たり前の光景かと思いますが、このエメラルドグリーンを活用した
お店があれば地域の活性化にも結び付かないものか?と感じました。
晴れた時に見ると、もっと良い感じです。

田辺市深谷隧道と合川ダム(三川ダム)

2018-05-05 18:06:28 | 日記
2/27 以前から関心のあった深谷隧道へ鮎川側から行ってきました。
このトンネルは、旧大塔村(現:田辺市)の鮎川地区と三川地区を結んでいましたが、
平成11年(1999年)に2車線の新深谷トンネルが開通するまでは、
県道221号 市鹿野鮎川(いちかのあゆかわ)線として利用されていましたが、
今では、すっかり荒れてしまっています。
ただ原付バイクなら、小回りが利くので落石等があっても避けられます。

昔、子供の頃に通った以来、三川地区を訪れる事が無かったのですが、
今回、トンネルを通れなかった事が少し残念でした。

その際、写真を撮ったのですが、トンネル上部にある扁額(へんがく)には、
右書きで「祖國再建」と揮毫(きごう)されています。
一方、深谷側には「深谷隧道」と左書きとなっています。

また、その深谷側には、真砂久一氏の石碑が建てられています。
祖国再建、真砂久一氏と深谷隧道の関係が気になり
後々、このトンネルへの私の中で関心を高める事となりました。





鮎川側から深谷隧道への道は、だいぶ荒れていますが、原付バイクなら通れます。



深谷隧道を鮎川側から写す



祖國再建 と右書きされています。



深谷側からトンネルを写す。写真中央が真砂久一氏の石碑です。
トンネルとの位置関係になります。



真砂久一氏の石碑





深谷隧道から上を見上げる

そしてトンネルから深谷地区に入り、少し走った所で
不動明王さんがあり気になって、お詣りをしました。
初めてお詣りしましたが、地元の方がお世話をされているのでしょうか
境内は、きれいにされ、お供え物も供えられていました。



その時に知ったのですが、この不動明王さんは、目にご利益があるようです。
知らなかったのですが、遠方からもお詣りされているようです。
http://www.aikis.or.jp/~otomura/kankou/1.html

深谷の集落からは、1.2車線程度の道が続きます。
所々拡幅された所もありますが、その点、原付バイクなら細い道でも
対向車をそれ程、気にせず走れます。車の場合、道幅が狭いと行違うのも大変です(>_<)

しばらく走ると日置川に沿って三川のダムまで走ります。
この三川のダムが出来るにあたり、深谷隧道の果たした役割が大きかったと
後で知る事になります。





この合川ダム(三川ダム)は、黒四ダムのモデルケースにもなったダムです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AE%BF%E5%B1%B1%E3%83%80%E3%83%A0

殿山ダム(合川ダム)が正式な名前かと思いますが、あくまでも個人的には、
三川ダムという方が、しっくりきます。

殿山(とのやま)は、ダムから少し離れた白浜町市鹿野(いちかの)地区の中にある
集落の1つである殿山にダムの水を使った水力発電による発電所、変電所がある事から
殿山ダムと言われていますが、多分これは関電側からの呼び方ではないかと思います。

合川(ごうがわ)は、ダム本体のある地区の名前です。
田辺市合川になります。

三川(みかわ)は、現在の田辺市になる前の大塔村のさらに昔、この辺りは、
三川村でした。三川村や鮎川村等が合併して、大塔村になり、さらに広域合併して
現在の田辺市になっています。

ですので合川ダム(三川ダム)と呼ぶ方が個人的には、しっくりきます。
子供の頃に来た以来、来た事のなかった三川地区ですが、その後、原付バイクで
何度も来るようになりました(^^ゞ

原付バイクで山間部を走るのが、楽しくて仕方ありません。
すっかり魅了されてしまいました。
ブログは、後追い記事になってしまいますが、出来るだけ更新して
出掛けた旅先?(地元ですが)を載せたいと思います。