どすこい山根康民日記

道路交通に関する事を中心に紹介しています。

ウナギいるのかなぁ?

2022-01-29 23:30:41 | 日記
1/28、白浜駅近くの県道(31号線)を走りながら
少し遠くに見えるあの黒いのは何だろう?太陽光パネル?
という疑問が前々からありましたが、
今日は近寄って見ると、何とウナギの調査施設でした((+_+))

えっ?こんな水路(一応、安久川という名前があります)にウナギなんていたっけ?

『ウナギ保全のための調査をしています 京都大学』と書かれています。
京都大学?冗談?本気?
素人の私には、見ても分かりませんが、ウナギがいて欲しいような気もします(^^ゞ

白浜駅の近くにありますが、そっとしておこうと思います。
まぁ、いつまで設置されるのかもわかりませんが、
興味のある方は、見に行かれても良いかと思います(^^♪

オークワ湯浅店までのツーリング

2022-01-26 23:02:00 | 日記
1/22、今日は、ちょっと湯浅まで走って見ようか!
そう思い立って原付バイクに乗りました。
白浜から湯浅までは、片道約70km。約1時間30分なので、
近すぎず遠すぎず!という距離感から、何度か走る定番コースになっています(^^ゞ


田辺市芳養町の国道42号から天神崎方面を望む

白浜方面を望む。いつ見ても、ええ景色やわぁ(^^♪

同地点から みなべ町方面を写す
この先で現在、田辺西バイパス(終点)の工事が進められています。
国道42号 田辺西バイパスが3月20日に全線開通します
開通まであと2ヶ月足らずですが、楽しみです。

同地点から大屋隧道方面を望む


印南町の印南漁港
少し高台の国道42号から眼下に見下ろす印南漁港と まちなみが良いですね。

漁船が伝馬船かなぁ?曳航しています。
紀南の海沿いを走る国道42号は、本当に見所が多いです。


由良町畑(はた)地区

山頂付近には、多くの風力発電が並んでいます。

右手に見えるのは、紀勢本線(JRきのくに線)


水越トンネルを抜けた広川町河瀬地区。
この日の気温は、8度。
同じ気温でも風邪があるのと無いのでは、体感的に大違いです。
この日は、風が穏やかでしたので走りやすかったです。


今日のツーリングの目的地オークワ湯浅店到着
店内で見かけた赤鬼さん
とても親しみやすい顔をしているので、豆を当てる事が出来ないです(*´ω`*)
このあと店内にあるマクドで食事。
ちなみにこの時の食事は、🍔ハンバーガーとチーズバーガー、ホットコーヒーM
500円でお釣りがくるので、お財布に優しくて嬉しいです。
さて白浜まで帰りましょうか(^^♪

あんまり近場だと写真を撮る事は少ないのですが、
相棒の原付バイクには、仕事のある日でも、雨の日以外は、1日20分程度でも乗っています。
これが私にとって唯一の楽しみ?なので(^^ゞ
明日もまた頼むよ!相棒!

白浜でも雪がチラホラ舞いました

2022-01-16 20:53:48 | 日記
1/14、普段あまり雪の降らない地域でも積雪があるなど、
各地でかなり冷え込みましたが、ここ白浜では、積雪はありませんでしたが、
雪がチラチラと舞いました。多分、山間部は雪が積もったかも知れませんね(^^ゞ

写真では、分かりにくいかも知れませんが、チラホラ雪が舞っていました。

JR白浜駅前


寒いと言っても、雪の降る地域の方の事を思えば、
この時季でも原付で走る事が出来るのですから有難いものです。
昼間は、近所を原付ツーリングしようと思いますが、
日の出前や日没後は、さすがに風が冷たく長い時間走るには、辛いです。
早く暖かくなって欲しいものです(^_-)-☆

良いもの見つけた!

2022-01-16 20:12:51 | 日記
今月に入ってからは、まだ和歌山県から出るような遠出をしていませんが、
近所を走る程度のツーリングを楽しんでいます(^^ゞ
1/12、上富田町岩崎地区を走っていると、田んぼの中に珍しいものを発見しました。



写真では、少し分かりにくいかも知れませんが、サカキでしょうか?
田んぼにサカキを刺して、上部には、白いひらひらした紙のようなものが付けられていました。
これは、何かの神事?それとも豊作祈願なのかなぁ?とても良い風習だと思います。

白いひらひらとした紙について調べてみると名前があって、紙垂(しで)というそうです。
知らなかった(*´ω`*)

以下、引用
「紙垂(しで)」は、「四出」「垂」とも書き、
神社の注連縄(しめなわ)や玉串についている白い紙のことです。

「紙垂」は神聖であることを示す印で、悪いものを寄せ付けないためにつけます。
家庭では神棚やお正月飾りで紙垂を使いますし、大相撲の横綱土俵入りの際には、
紙垂のついた注連縄を化粧まわしの上からつけるなど、
神社以外の場所でも見かけることが多い身近なものですね。

「紙垂」には昔は木綿(ゆう。※楮や麻を原料とした布のこと)が使われていましたが、
現代は半紙、美濃紙、奉書紙が一般的です。
「紙垂」の折り方や切り方の違いで吉川流、白川流といった流派がいくつかあり、
垂れる形により二垂、三垂、四垂などあります。
神社や地域それぞれの伝統もあるようなので、神社を訪れた際、紙垂に注目して見てみるのも面白いかもしれませんね。
引用:https://www.kateigaho.com/migaku/33129/


また近くには、これまた色鮮やかな落ち葉を発見
とても美しい色合いです(^^♪

原付バイクで、ゆっくりブラブラ走っていると
普段気付かない事を発見出来るのも楽しいですね(^_^)/
それじゃ、また(@^^)/~~~

松阪市との縁について紀伊民報 読者の欄に掲載されました

2022-01-07 22:02:00 | 日記


知人から「三重県松阪市の本居宣長記念館を訪ねてみるといいよ」と教えてもらいました。
名前は聞いたことがありますが、何をした人かは覚えていませんでした。

医者であり、寛政10(1798)年に古事記伝44巻を完成させた国学者として教科書にも載る偉人ですが、
これも何かの縁かもしれないと思い、原付きバイクに乗って松坂城跡にある本居宣長記念館に出掛けました。

館内には数々の資料が展示されていますが、私が一番驚いたのは、
宣長が17歳の時(1746年)に描いた
「大日本天下四海画図(縦約1.2m、横約1.9m)」を見た時です。
伊能忠敬の日本地図が完成する1821年より75年も前に、
どうやって日本の地形図を知ったのかと謎が膨らみます。

また宣長が、源氏物語について
「おおよそこの物語五十四帖(じょう)は、物の哀れを知るという一言に尽きぬべし」と
表現していることに、うまく言えませんが言葉の奥深さを感じました。

記念館の後、松坂城周辺を歩いて御城番屋敷を見学しましたが、
ここで何げなく手に取ったパンフレットを見てまた驚きました。

松坂は元和5(1619)年から紀州藩に属し、
松坂城代役所をはじめとする出先機関が置かれていたということ。
さらに御城番武士の略歴に「田辺与力」について紹介があり、
まさか松阪に来て田辺との関りを知るとは、思いもしませんでした。
田辺与力は紀州藩の要地である田辺に遣わされ、代々田辺に居住し、
事のある時は田辺城主である安藤家に助勢する使命を帯びた、紀州藩主直属の家臣とありました。

なお、明治22(1889)年の町制施行時に松坂から松阪になったとのことです。
今回、松阪市を訪ねて本居宣長や田辺与力について知ることができましたが、
この事から田辺と松阪の歴史的な関りを生かした友好都市提携などに発展させて、
観光交流に生かしても良いのではとも思いました。
機会があれば、また松阪市を訪ねてみたいと思います。

本居宣長:もとおりのりなが
御城番:ごじょうばん
田辺与力:たなべよりき


2022年(令和4年)1月8日付 紀伊民報