どすこい山根康民日記

道路交通に関する事を中心に紹介しています。

紀伊民報 2021年(令和3年)5月29日付 読者の欄にて掲載されました

2021-05-29 01:44:52 | 日記


紀伊民報 2021年(令和3年)5月29日付 読者の欄

事故犠牲者の慰霊
白浜町 山根康民(会社員・51歳)

今から30年前の1991年5月14日午前10時35分、
滋賀県甲賀市信楽町で発生した42名の方々が亡くなられた
信楽高原鉄道列車衝突事故の現場へ慰霊に訪れました。

今回ここへ来ることができたのも何かのご縁かと思い、
亡くなられた方々のご冥福をお祈りさせて頂きました。
前日が事故から30年の節目でしたが、
この日は、事故発生時刻に間に合うようにと思いながら走り、
5分前に到着することが出来ました。

現場には初めて訪れましたが、
事故発生時の様子はテレビのニュースで見ました。
当時の私は、20代前半という事もあり
「大変な事故やなあ」という感覚でしか受け止めていませんでしたが、
年齢を重ねて、自分の感性というか感覚が変わってきました。

私もあと30年もしないうちに80歳になります。
今まで生きてきた期間より、
この先 生きていられる期間の方が短いかも知れないです。
そのため、このような理不尽な形で命を絶たれた事に対して、
何ともいえない悲しみを感じてしまいます。
まだまだ生きていたかった…しかし、生きることが出来なかった。

慰霊碑には「-犠牲者の御霊のご冥福をお祈りするとともに 
これを教訓として二度とこのような大事故を繰り返すことのないよう 
鉄道の安全を念願し建立されたものである」とあります。

信楽高原鉄道の運営は厳しいものがあるかと思いますが、
これからも可能な限り、走り続けて欲しいと思います。
地域の足としても大切ですし、
事故を忘れないためにもと思うからです。

いつになるか分かりませんが、
信楽高原鉄道の列車に乗ってみたいと思います。

国道42号終点の和歌山市県庁前交差点と海南市 下津町ビワ畑、有田川町 長峰山脈の風車を見る

2021-05-23 22:13:20 | 日記
2021年5月23日、今回は、国道42号の終点を見に行こうと、和歌山市の県庁前交差点へ行きました。
県庁前交差点は、これまで何度も通っていますが、交差点を見るために立ち寄ったのは、初めてでした。
その後、海南市下津町で国道42号から離れて、県道を走り下津インターを見たり、
ビワ畑を眺めたり、有田川町では、眼下に広がる景色の素晴らしさを楽しむ事が出来ました。

主な走行ルートは、白浜町→国道42号→和歌山市 県庁前交差点→国道24号→
北新橋西詰→屋形町交差点→和歌浦東3丁目交差点→国道42号→海南市下津町→
県道166号線(奥加茂郷停車場線)→県道159号線(海南吉備線)→有田川町田角(たずみ)→
みかんの里のハイウェイ→県道159号線→有田川町明王寺交差点→国道42号→白浜町
走行距離 約253㎞



田辺市芳養町の大屋から白浜を望む
この日は、少し風がありましたが、快晴の良いお天気でした。
そのためすれ違うライダーさんも多かったです。

印南町島田(切目崎近く)から紀伊水道の眺め。

同じ場所から山側のビニールハウスを写す

印南町島田にある静岡県浜松市からの400㎞地点
今日は、終点の和歌山市県庁前交差点へ行きますが、
いつかは静岡県浜松市の起点へ行きたいです。

反対側から写す

400㎞ポストの拡大

400㎞ポストから南側を写す
この付近は、JRきのくに線と並行しているため時間帯によっては、
少しの間だけ電車と並走できます。ただ電車の方が速いのでスピードに注意です。

おっと!大事な事を忘れていました。
この400㎞ポスト近くで、2台のバイクが対向して来たのですが、
何と原付バイクの私に「ヤエ~!」をしてくれました。
しかも両手で振ってくれたので、私も左手を挙げてヤエ~しました。
後続の方も小さく手を振ってくれました。
原付にヤエ~をして頂けるとは、とても光栄でした(*´ω`*)

大抵、原付バイク=地元民というイメージがありますが、
そのライダーさん、ツーリングを楽しんでいるなぁ~と思うと同時に、
両手を挙げられる運転技量に驚かされます(>_<)私は自転車だったら両手ばなし出来ましたが、
バイクでは、自信が無いし、それに危ないので止めときますが(^^ゞ


さて400㎞ポストの場所は、以前から知っていましたが、
こうなると450㎞ポストは、どこかなぁ?と探したところ
有田市星尾にありました。



この付近を走っていると、路肩に死んだ子亀が1匹いました。
体長4㎝位の小さな小さな亀ですが、車に踏みつぶされたのではなく
干からびていた…という感じでした。
エサを探して?水を求めて?原因は分かりませんが、何となく可哀そうなので、
水のある所に流してあげようと思い、国道の南側にある田畑の水路に流しました。

ガードレールには、450.0と表示されていました。
間違いなく、ここが浜松から450㎞地点だなぁ~と思いました。

和歌山市までのツーリングという事もあり、先程のように亀を供養したり、
気になれば、ちょっと脇道へ逸れたりしながら、時間を気にせず走っていました。
すると今度は、このマーク✨✨
うわぁぁぁぁぁぁぁ 懐かしい(ノД`)・゜・。
丸善プロパンとなっていますが、丸善のマーク
私が子供の頃、近所のガソリンスタンドが丸善石油でした。
まさか令和の時代に、40年も前に目にしていたマークを見るとは( *´艸`)
写真を撮りながら、1人興奮してしまいました(*´ω`*)

国道42号の終点 和歌山市の県庁前交差点に到着

ここから北側は、国道24号(奈良・京都方面)と国道26号(大阪方面)になります。

国道24号方面を写す

国道42号 田辺市方面を写す

県庁前交差点からは、和歌山城が見えます

県庁前交差点にある和歌山市道路元標



国道42号 和歌山市吹上1丁目。またこの道を通って白浜へ帰ります。

田辺95㎞ 海南11㎞。白浜までは、約100㎞です。

国道42号は、中央通り とも呼ばれています。

中央通りの支柱には、距離標479.487KPと表示されていますが、
これは、起点の浜松から479.487㎞という意味なのかなぁ?
正確な距離は分かりませんが、和歌山市から国道42号を浜松まで走れば約500㎞というのもスゴイです。

さて今回の第一目標である県庁前交差点に来ましたので、次の目的地である海南市下津町へ向かうのですが、
せっかく和歌山市まで来たので、少しだけ遠回りして国道24号を走ってから海南市へ

海南市下津町の小南交差点を左折し、県道166号線(奥加茂郷停車場線)県道159号線(海南吉備線)を走ります。
この小南交差点近くに、国道42号と現在、建設中の有田海南道路に隣接する形で、
2022年度に道の駅が出来るそうです。知らなかった…道の駅が出来たら寄りたいと思います。

しばらく走ると下津インターですが、この道を走るのも初めてですし、
阪和道を走りながら下津インターを通過する事はありますが、
下津インターを色んな方向から、じっくりと見たのは初めてでした。



写真の藤白トンネル(大阪方面)では、かなり難易度の高い工事が行われました。
詳しくは、こちらのネクスコ西日本サイトにあります。
要約しますと、下津インターチェンジから本線への加速車線を延長する工事ですが、
藤白トンネル南坑口部の覆工を約25m撤去し、車線を拡幅するという大変な工事でした。
元々、海南湯浅有料道路(60㎞)として開通していた区間を阪和道(80㎞)という
高速道路規格に変更するため、トンネルを削って、
加速車線を伸ばすという工事は、あまり例が無いのでは?
日本の土木技術って本当にスゴイ!と思います。





下津インターからさらに県道を東へ走ると、
ここ下津町引尾(ひきお)から県道159号線は、急勾配の上り坂が続きます。
調べてみるとこの辺りは、1955年までは仁義(にんぎ)村だったそうです。バス停は仁義となっています。
その後、合併で下津町になりましたが、私は、以前から国道42号を走っていると
小南交差点にある仁義(にんぎ)という地名が気になっていました。
普通に読めば、仁義(じんぎ)ですからね(^^ゞ
この辺りは、ビワの産地である事も知りました。
本当、原付バイクでツーリングすると、様々な発見や出会いがあって楽しいです。
そんなビワ畑の様子を紹介します。

特徴 ビワ(枇杷)は、初夏をつげる果物として昔から珍重されてきました。
甘くソフトな舌ざわりは日本人の好みにぴったりです。
下津のびわは、傾斜地で水はけがよくて、独特の食味・食感で市場でも
「おいしい下津のびわ」と評価をいただいています。
現在栽培面積は50ヘクタール、品種は茂木、田中などとなっています。

食べ方  冷蔵庫で冷やしてからたべていただくと、
さわやかな甘さを楽しんでいただけます。
(皮ごとかじるのも良し、皮を剥いて果肉部を食するのもよし)

来歴  ビワが導入された歴史は古く、
海南市下津町興地区に明治24年(1890年)に導入されたと言われ、
現在の主な栽培地は海南市下津町仁義地区、海南市藤白地区です。
品種は、初期の頃は在来系でしたが、
昭和初めに品質の良い茂木、田中が導入されて以来更新が進み、
現在は茂木(長崎早生を含む)80%、田中20%となっています。
旬 6月から7月、産地 海南市、生産量 約160トン(平成23年度)





収穫前に紙袋を被せるのでしょうか?

かなり標高が高くなります

県道159号線 海南市下津町百垣内(ももがいと)地区

太陽の光が眩しい

海南市下津町笠畑(かさばた)地区
ここまで来ると、あと少し走れば、有田川町との境界の峠になります。

海南市と有田川町との境界付近









境界を越えると有田川町へは、下り坂になります。
有田川町田角(たずみ)地区の県道159号線(海南吉備線)から今度は、みかんの里ハイウェイを走ります。
この道路は、山間部には珍しい2車線道路です。但し急カーブが多いですが…

阪和道 有田インターを過ぎて大阪方面に走ると、
長峰トンネル上に見える風車の所へ寄って来ました。
この辺りは、長峰山脈と呼ばれているそうです。







みかんの丘からの眺望は素晴らしいです。
ここから飛び立てそう?な位の解放感が良いです。
この時、先客のカップルが居たため、場所をずらして撮影

写真中央の道路は、阪和道



みかんの里ハイウェイを降りて来ました。
この道も初めて走りましたが、自転車で登る方もいるんですね。スゴいなぁ💦💦
私には、とても出来ませんが、急カーブや急勾配がありますが、気持ちの良い道でした。
このあとは、国道42号に出て白浜まで走りました。
これからも機会を見て、様々な事情が許す限り、原付旅を続けたいと思います。
今回も色んな出会いや発見があって楽しかったです(^_^)/

信楽高原鉄道列車衝突事故 慰霊の旅

2021-05-16 13:11:57 | 日記
2021年5月15日、今回は、今から30年前の1991年(平成3年)5月14日午前10時35分、
滋賀県甲賀市信楽町で、42名の方々が亡くなられた
信楽高原鉄道列車衝突事故の現場へ慰霊の為に訪れました。
当時、事故のニュース映像を見ましたが、今回ここへ来る事が出来たのも何かのご縁かと思います。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りさせて頂きました。

前回、先月4月20日に甲賀市信楽町を訪れた時には、事故現場が分からず
知人に聞いて今回、再度の信楽町訪問になりました。

主な走行ルートは、国道311号→田辺市本宮町→国道168号→奈良県五條市西吉野町→
県道20号線→下市町→国道309号→大淀町→国道169号→吉野町→県道28号線→
宇陀市→国道166号→国道165号→三重県名張市→国道368号→伊賀市→
国道422号→滋賀県甲賀市信楽町→国道307号→信楽高原鉄道列車衝突事故現場→
国道307号→京都府城陽市→国道24号→奈良県奈良市→阪奈道路(県道1号線、県道8号線)→
大阪府大東市→国道170号(大阪外環状線)→河内長野市→国道480号→和歌山県かつらぎ町→
国道24号→紀の川市→国道424号→海南市→県道18号線→有田川町→国道42号→白浜町
走行距離 約508㎞



白浜駅の写真が、ちょっとブレてしまいました(^^ゞ

白浜駅の様子 写真では見えにくいですが、星が見えていました。

白浜駅 東方向の様子。
この時間(午前4時頃)でも空は、少し明るく山の稜線は見えます。
少し前の午前4時頃だと、真っ暗でしたけど、日の出が早くなっているので1日が長く感じれます。

上富田町生馬の国道311号 生馬(いくま)交差点。
徐々に明るくなってきましたが、これから田辺市本宮町までは、東方向に走ります。

いつも温度を確認する田辺市中辺路町の小広峠(こびろとうげ)バス停付近

小広峠の温度計は、午前5時過ぎで15℃。
山間部は、走っていると少しヒンヤリとしますが、走りやすい気候です。



国道168号 奈良県十津川村(とつかわむら)と和歌山県田辺市本宮町との境界になります。
ここから先は、奈良県ですが、十津川村は、とにかく広~いです。
ちなみに十津川村は、村の中では、日本一広い村になります。

この日は、曇りのち雨の予報で、雨は夜からの予報でしたが、
雲行きがかなり怪しいなぁ…大丈夫かなぁ?(;^ω^)と思いながら走りました。
十津川村に限らず、山間部の道路あるあるですが、走っていると落石を見掛ける事があります。
写真には、撮っていませんが、あんまり大きな石の場合は、道路わきに避けるようにしています。
もし落石に乗り上げでもしたら、とても危ないですからね。

長い長い十津川村を走り抜け、五條市に入りました。
ここからの県道20号線は、今回初めて走りますが、国道309号に向かいます。

右手の高架橋は、五新線(未成線)あとになります。
奈良県五條市から和歌山県新宮市までの山間部に、鉄道を通そうとした壮大な計画でしたが、
実現する事は、ありませんでした。

国道168号での工事案内。
山間部の道路を走られる際は、事前に道路情報を確認される事をおススメします。
通行止めだったり、大きく迂回する必要があったり、時間制限通行止めでは、
タイミングによっては、1時間以上待たされる事もあります。

さぁ、初めての県道20号線走行になります。
狭い区間もありますが、2車線区間もあり比較的、走りやすいと思いました。
国道309号に入り、大淀町で給油後、吉野町経由で宇陀市に向けて走ります。

宇陀市にある道の駅宇陀路室生にて休憩。



道の駅近くを流れる宇陀川

道の駅から近鉄大阪線 三本松駅方向を写す
写真には、写っていませんが、この日初めて近鉄特急ひのとりを見ました。
おっおっおっ!ひのとりやぁ~と喜んでいました。
ここまで来ると、三重県名張市は、もうすぐです。

道の駅を出て、国道165号を数分走ると、もう三重県名張市です。
名張市は、原付旅で訪れるまで来た事がありませんでしたが、
広々とした農地が広がり、比較的大きな街(白浜から見れば…)なので、
個人的には、何となく好きな街になります。
そんな名張市が良いと言いながら、この時は、1枚も写真を撮っていません(>_<)

三重県から、いよいよ滋賀県甲賀市に入ります。
細かいのですが、県境の標識位置より、アスファルト舗装がずれているので、
この位置が、本当の県境?

滋賀県甲賀市信楽町の信楽駅
大きなタヌキですが、あれっ前回、来た時と衣装が違うような気がします(^^ゞ

信楽町観光マップ

信楽駅

信楽駅 駅舎内の様子

鉄道グッズ

旅客運賃表

信楽駅前の通り

5/28にオリンピック聖火リレーが行われるんですね。

信楽駅近くの藤棚

信楽高原鉄道の終端部

写真では、見えにくいですが列車がとまっています。


信楽高原鉄道列車衝突事故現場



正面衝突の事故現場に建つ石碑

安全の碑

信楽列車事故の遺族らが中心となって1993年8月8日に
結成された鉄道安全推進会議は 中立公正で独立した
鉄道事故調査機関の設立を求めて活動をつみ重ねてきた
その願いが通じ2001年10月1日 国土交通省内の期間ではあるが
航空・鉄道事故調査委員会が発足した
これは犠牲になった42の御霊の安全への思いが万人の心を
ゆるがし結実したものである
ここに亡き犠牲者を偲ぶとともに 今後のわが国の事故調査
制度のさらなる充実発展と鉄道事故の根絶を祈念して
この碑を建立する 尚 2008年10月1日陸・海・空の
事故調査が統一され充実した運輸安全委員会として設立し発足した

2003年5月14日

鉄道安全推進会議(TASK)







この一対の樹木(ヤマボウシ)は
事故から10年目となる。
平成13年5月14日に、御霊への
慰霊の想いを込め、遺族の会に
よって植樹されたものです。







慰霊

平成三年五月十四日 午前十時三十五分
ここ信楽高原鐵道単線軌道上に於いて
JR西日本直通乗入れ列車と
信楽高原鐵道列車が正面衝突し
四十二名の尊い命がその犠牲となって失われた

この慰霊碑は犠牲者の御霊のご冥福をお祈りするとともに
これを教訓として二度とこのような大事故を繰り返すことのないよう
鉄道の安全を念願し建立されたものである

遺族一同

信楽高原鐵道株式会社
西日本旅客鉄道株式会社


事故から30年が経過
写真は、信楽高原鉄道の列車

写真の信号は、信楽インター口交差点

今日も列車が走っています。
信楽高原鉄道の運営は厳しいものがあるかと思いますが、
これからも可能な限り、走り続けて欲しいと個人的には思います。
理由は、地域の足としても大切ですし、また事故を忘れないためにもと思うからです。
今度、いつになるか分かりませんが、信楽高原鉄道に乗って見たいと思います。

新名神高速道路 信楽インターのすぐ近くに慰霊碑があります。

曇りのち雨の予報でしたが、信楽町は、良い天気でした。

慰霊を終えて、バイクに戻ると「あちゃ~」鳥のウンチが付いていました。
あっ!運が付いたのかなぁ(笑)

前日が、事故からちょうど30年の節目でしたが、仕事のため訪れる事が出来ませんでした。
この日は、10時35分の事故発生時刻には、間に合うようにと思いながら走り、
10時30分に到着する事が出来ました。
今回初めて訪れましたが、30年前の事故発生時の様子は、テレビのニュースで見ました。
当時の私は、20代前半という事もあり「大変な事故やなぁ~」という感覚でしか受け止めていませんでしたが、
年齢を重ねて、自分の感性というか感覚が変わって来ました。
うまく言えませんが、命に対する考え方の変化です。

まだ50代、もう50代。
受け止め方は、人それぞれですが、私もあと30年もしない内に80歳になります。
少なくとも今まで生きてきた期間よりは、生きていられる期間の方が短いかと思います。
私の中では、50歳の誕生日を迎えた時点で、人生の折り返し地点を過ぎたと思っています。
しかし、もし100歳過ぎても元気で生きていられたら、
それはそれで、とても素晴らしい事ですが、恐らく難しいかと思います。
そのため理不尽な形で命を絶たれた事に対して、何とも言えない悲しみを感じてしまいます。
まだまだ生きていたかった…しかし生きる事が出来なかった。

私自身この先の人生がどうなるか?全く分かりませんが、
何れどういう形で迎えるか分かりませんが、人生の終焉を迎えます。
その時に、まぁまぁ楽しかったよ!と思えるような生き方を出来ればと思っています。
私の相棒(原付バイク)は、私を色んな所へ連れて行ってくれます。
そんな原付旅を、これからも様々な事情が許す限り続けて行きたいと思っています。




国道307号 滋賀県と京都府との府県境

京都府木津川市から奈良県奈良市へ

奈良からは、阪奈道路を走って大阪府へ向かいます。
奈良から国道24号を和歌山方面に走る方が、早く着けるのですが、
国道170号(大阪外環状線)を走るのが、気に入っています。

理由ですか?重要幹線道路ですが、道路は、昭和の頃からの古い雰囲気が残っている。
道路幅員がやや狭く、途中で右折車があると、交通の流れが乱れる。
高架区間が少なく、渋滞が多発し通過に時間を要する。
路肩が狭すぎる区間が多い等のマイナス要素が多いのですが、
沿道に少しですが、農地が残っている部分も気に入っています。

外環は、交通量に対して、道路規格が合っていませんが、
それでも*昭和40年代に、よくまぁこの道を作っていたものだと思っています。
*外環の全線開通は、ずいぶん後になります。
当時は、もっと田畑が広がる中を走る道路だったと思います。
外環を走る機会が増えてきたので、沿道の様子が徐々に頭に入ってきています。
そんな外環を走っている時に、まさかの出来事がありました。

八尾市の教興寺(きょうこうじ)交差点の先頭で信号待ちをしていると
私の左横へ原付バイクが並んだのですが…
ここまでは、何て事の無い事ですが、その並んだライダーさんが私に
「志紀(しき)駅へは、どこで曲がったら良いんですか?」と声を掛けられました。
見た感じ、私と同年代位の男性でしたが、
えっ?まさか…私、地元じゃ無いんですけど(;^ω^)
教興寺交差点から志紀駅まで
志紀駅の名前は見た事あるけど、行った事なく分からないので
「スミマセン💦私、地元の人間じゃないので、ちょっと分からないです」
「スマホをお持ちですか?そちらの地図で見て頂ければと思います」とお答えしました。

少しずつ外環の沿道の様子は、頭に入って来ていますが、
さすがに道案内は、ハードルが高いです。
今回、道を尋ねて来られた方も、結構勇気がいったと思います。
後ろからだとヘルメットを被っているので、顔は見えないし、
どんな人か分かりませんからね。

もしかして白浜町のナンバープレートなので、地元?と思われたのかなぁ?
白浜町は、和歌山県にあるのですが💦💦
まぁ原付で、居住地から数百キロも離れた遠方を走る方は、少ないかと思います。
白浜で聞かれたのなら、ある程度の道案内は出来ますけど(^^ゞ

こういう突然の出会いも、また原付旅の楽しさでもあります。
今日(5/16)、近畿地方も梅雨入りした模様との事ですが、
メチャ早いやん(T_T)梅雨になるとツーリングしにくくなるなぁ(ノД`)・゜・。
天気の良い時があれば、近くでも走りたいと思います。

三重県御浜町(みはまちょう)神木(こうのぎ)地区と新宮市神倉(かみくら)神社参拝

2021-05-11 19:37:18 | 日記
5/11、三重県御浜町(みはまちょう)神木(こうのぎ)地区と新宮市の神倉神社へ行って来ました。
御浜町の神木地区は、先月(4/20)、三重県と滋賀県の県境にある鈴鹿峠へ行く際、
鹿が飛び出して来て、あわや接触事故を起しそうになった地区です。
これまでも景色の素敵な所という印象はあったのですが、
神木地区を目的地にして訪ねたのは、初めてでした。

また新宮市の神倉(かみくら)神社は、御燈(おとう)祭りという火祭りでも有名ですが、
この近くの国道42号は、何度か通っていますが、神倉神社を訪れたのは、
今回が初めてでしたが、訪れた2ヶ所とも偶然ですが、神の名前が付きます。ありがたいです(^^ゞ

主な走行ルートは、国道311号→三重県御浜町神木→国道311号→熊野市→
国道42号→新宮市神倉神社→国道42号→串本町→国道42号→白浜町
走行距離 約248㎞





三重県熊野市紀和町の小川口交差点になります。
ここは、和歌山県と三重県の県境を流れる北山川に掛かる
瀞大橋を渡って三重県側の最初の交差点になります。
ここを日中に通るのは、久しぶりです。普段は、深夜や早朝に通っています。



同交差点から北山川上流部を写す

信号を真っ直ぐ、北山川沿いに進むと湯ノ口温泉へ行きます。
湯ノ口温泉へは、車でも行けますが、トロッコ電車に乗って行く事も出来ます。

瀞大橋 この橋を渡ると和歌山県になります。

北山川の対岸は、和歌山県新宮市熊野川町嶋津地区になります。
小川口交差点からは、熊野市方面に国道311号を走ります。


三重県御浜町神木(こうのぎ)地区
後ろの高い山を背景に田畑が広がる風景が、とても良い感じに思っていました。
この山を越えると和歌山県北山村になります。

私が神木地区について気になったのは、この案内板にあるイヌマキです。
イヌマキって初めて知る名前でした。

神木地区の観光案内

案内板の近くには、ミカンも販売されていました。

観光案内の拡大

イヌマキについて
本州一のイヌマキの巨木
本州最大の巨木で、胸高周囲は約5.7mと
鹿児島県鹿屋市のイヌマキに次いで全国第2位となっています。
樹勢は良好で樹幹に空洞等もなく、
樹高は約20mの巨木ならではの雰囲気を放っています。
推定樹齢約800年。
狩かけの宮、狩りの神様として祀られています。

本州一というのも、なかなかスゴイですね(^^ゞ

本州一のイヌマキの巨木
全体がうまく撮れませんでした(;^ω^)

西地のイヌマキ 御浜町の文化財(天然記念物)

イヌマキは、マキ科マキ属で暖地の林野に生える常緑高木である。
本州では、主として関東から南の太平洋岸に分布し、特に紀伊半島に多い。
分布の北限は、鳥取県である。
雌雄異株で五月頃開花し、その年の十月頃 種子は成熟する。
樹冠は垂直で水に腐りにくいところから、風呂桶、土木器具等に用いられる。
このイヌマキは、胸高周り5.65m 高さ約20mあり
イヌマキでは全国第二位の大木である。
古老の話しでは、ここの屋敷跡は寺院跡ではないかといわれている。

環境省自然環境局生物多様性センターのデータによる
御浜町教育委員会

この時に初めて、イヌマキという木は、水に腐りにくいという事を知りました。

三重県指定天然記念物「神木のイヌマキ」

イヌマキの巨木には、しめ縄が飾られています。

あれっ?この白い石 熊野市の産田神社と同じような感じだ…と思いました。

イヌマキの巨木周辺の様子
この時は、田植えを控えて、水が引き込まれていました。









御浜町神木(こうのぎ)
国道の地名表示だと「かみき」という地名かなぁ?と思っていましたが、
こうのぎ と読むんですね。
三重県御浜町神木地区
道路管理者の方には、予算の都合もありますが、
地名標記に関しては、ローマ字併記して頂けると地域の観光面からも良いかと思います。

さて御浜町神木地区を後にして、熊野市まで走りました。
というのもガソリンを給油したかったので、そのまま国道311号を走っていたのですが、
ふっ何か気配を感じたので、後ろを振り返ると



案山子(かかし)ですか?何だか案山子さんの表情ちょっと怖いなぁ((+_+))
熊野市内でガソリン給油後、今度は、国道42号を新宮市方面に走りました。

今日最後の目的地、新宮市の神倉(かみくら)神社
御燈(おとう)祭り(動画) でも有名ですが、ここへ来たのは、初めてでした。

神倉(かみくら)神社について

石段を上がられる方へのご注意
この時は、まだ石段の凄さを知りませんでした。

橋を渡って右手に社務所



神倉神社
御祭神 高倉下命(たかくらじのみこと)天照大神(あまてらすおおみかみ)
例祭 二月六日夜
御灯祭りという古儀の特殊神事として名高い。
白装束に身を固めた祈願者が神火を松明にうけて
急坂(源頼朝公御寄進の鎌倉式石段)を馳下る壮観な火祭りである。
御由緒
熊野権現として有名な熊野速玉大社の摂社である。
熊野三山(速玉・那智・本宮)の主神降臨の霊地、
熊野信仰の根本とも申すべき霊所である。
御祭神高倉下命は、建国の功臣、熊野三党(宇井・鈴木・榎本)の祖として知られ、
農業漁業の守護神として御神徳が高い。

境内には、このような川の流れがあります。











石段が見えてきました。

鳥居をくぐると急な階段が続きます。

写真では、分かりにくいかと思いますが、かなりの急勾配です。
私は、前の階段に手をつかないと登れませんでした。
階段をあがる?というより崖を登る?という感じです。









階段の途中にあった御社
まだまだ階段は、続きますが、ここからは勾配が緩くなり
手をつかなくても、上がれました。

階段下を見下ろすと こんな感じです。





鳥居が見えてきました。
あと少しです。

鳥居を抜けると手水鉢(ちょうずばち)が右側にあります。



この手水鉢は、寛永8年(1631年)2月に寄進されたとの事。
400年近く間の手水鉢が現役とは…恐れ入りました(;^ω^)





大きな岩(ゴトビキ岩)がご神体となります。








眼下には、新宮市内の町並みが広がります。
素晴らしい眺望でした。
今回、初めて神倉神社を訪れましたが、大変勾配のきつい階段(石段)をあがりましたが、
来て良かった!と思いました。
将来、足腰が弱ってくると、とてもではありませんが、上がる事は出来ないと思います。
またこの急な石段を松明片手に駆け下りる!というのも凄いなぁ(;^ω^)と思います。

さて帰りは、国道42号を海を見ながら走ります。
特に写真は、撮っていませんが、浜松から300㎞地点という事で、
串本町津荷(つが)にあった標識で記念撮影

いつの日にか、静岡県浜松市の国道42号の起点を訪ねたいと思います。
国道42号沿いに住む和歌山県民にとって、静岡県の自治体名で
最も目にするのが、この浜松かと思います。







ちょっと分かりにくいですが、この辺りに浜松から300㎞の標識があります。

ちなみに350㎞は、すさみ町周参見と旧日置川町(現:白浜町塩野)の境界付近が、
350.1㎞になるそうです。トンネル内なので、350㎞の表示は見当たりませんでした。

時々、このブログでも紹介させて頂いていますが、
原付バイクでのツーリングだと、細い道や狭い所でも止めやすいという利点と
違和感なく?その地域に溶け込める?点も良いですね。
これからも、様々な事情が許す限り、原付バイクでの旅を続けたいと思います。

和歌山県紀の川市 県道4号線を走って鞆渕(ともぶち)八幡神社へお詣り(後半)

2021-05-07 10:04:22 | 日記
2021年5月4日、前回の続きになります。
後半では、鞆渕(ともぶち)地区にある鞆渕八幡神社の話題や
途中で遭遇した?アクシデントについてお伝えします。

主な走行ルートは、国道42号→和歌山県有田川町→県道22号線→県道18号線→海南市(野上新橋)→
国道370号→紀美野町→県道4号線→りら創造芸術高→紀の川市鞆渕(鞆渕八幡神社)→
県道4号線→かつらぎ町(丹生都比賣神社)→国道480号→県道13号線→紀の川市→国道424号→
国道307号→京都府城陽市→国道24号→奈良県奈良市→阪奈道路(府県道8号線)→
海南市(野上新橋)→県道18号線→有田川町→国道42号→白浜町
走行距離 約287㎞



鞆渕地区を走っていると県道沿いに、このような看板が…
国指定重要文化財 鞆渕八幡神社。えっ?こんな山間部に国指定の重要文化財があるん??
実は、この時に初めて鞆渕八幡神社に国宝がある事を知りましたが、
偶然の発見とはいえ、このような出来事は、旅の魅力が深まります。

しかし随分、急な階段だなぁ(^^ゞ

近くにあった鳥獣保護区の看板を見ると、神社の上の方まで行ける道があるようなので登ってみました。
しかし市町村合併して今は、紀の川市ですが、以前は、粉河町だったんですね。

神社階段すぐの八幡橋近くに建つ御宅ですが、石垣の積み方がスゴイと感じました。

神社の駐車場から眼下を写しました。
先程の石垣の上に建つ民家と後ろは、紀の川市立鞆渕小学校になります。
駐車場までの道のりは、原付バイクなので走れますが、軽自動車なら何とかあがれそうな幅員です。
それでも運転に自信の無い方は、やめられた方が良いかと思います。
対向車が来ても離合出来ません。またガードレールも無いので、落ちたらおしまいです。

八幡橋から少し上手の風景


駐車場から少し上ると鳥居が見えます。

鳥居までの途中には、このような看板が立てられていました。
一、車馬を乗り入れぬ事
一、鳥獣を捕えぬ事
一、樹木を折取らぬ事
一、火をもて遊ばぬ事
一、建物を汚さぬ事
右 境内では固くお守り下さい 社務所



杉(八幡神社の杉)

紀の川市指定 自然保存木
大きな杉の木が境内にはありましたが、全体を写すのは難しいです。
上の木(手洗い舎の横)胴回り5.1m 高さ20.0m
中の木(鳥居の下)胴回り5.4m 高さ23.0m
下の木(階段と車道の交差点の上)胴回り5.2m 高さ25.0m

鳥居近くから階段下方向を写す

鳥居をくぐって左手には、重要文化財 国宝 鞆渕八幡神社 神輿の看板

この建物の中に国宝の神輿(みこし)が保管されているのかなぁ?

鳥居の右手には、国指定重要文化財 建造物 鞆渕八幡神社大日堂
室町時代前期の建造物
室町時代って、足利義満や足利尊氏を歴史で習った程度しか知りませんが、あまりに昔過ぎて
ピンと来ませんが、今でも決して交通の便が良いとは言えない山間部に、
室町時代の建造物が遺されている事が、不思議であると共に歴史の深さを感じます。





本殿への階段を上がります

太いしめ縄があります

本殿の周りは囲われているため正面から全体を見る事は難しいです。

朱色塗りが鮮やかです。

本殿左側

重要文化財 鞆渕八幡神社 本殿 室町時代

本殿から鳥居方向を写す

国指定重要文化財 建造物 鞆渕八幡神社本殿 附 棟札八枚 昭和11年(1936年)4月20日指定
当社は鞆渕地区の産土神として仲哀天皇、応神天皇、姫大神を祀っている。
神社の創建は平安時代である。
本殿は寛政3年(1462年)の棟札を残しており形式手法もよく室町時代盛期の特質を示し、
三間社流造りに中央1間の向拝をつけ、各中備に優美な蟇股を飾る。

平安時代💦💦さらに古くなりましたが、794ウグイス平安京くらいしか知らないです(^^ゞ

和歌山県神社庁 鞆渕八幡神社
きのかわ観光ガイド 鞆渕八幡神社

途中でも紹介しましたが、平安時代当時、京の都からも遠く離れた、
このような山間部に神社が創建されたのか?
とても不思議です。当時この土地で暮らしていた人々からすれば、
華やかな都の文化が入って来た事への
驚きは、相当なものだったかと思います。
長年、和歌山県に住んでいますが、まだまだ知らない所が本当にたくさんあります。
和歌山県民でも紀の川市鞆渕地区に国宝がある!という事を知らない人も多いかと思います。
これからも、様々な事情が許す限り、相棒の原付バイクと共に、各地を旅したいです。

鞆渕八幡神社について紹介しましたが、これで終わり?みたいですが、
実は、このあと大変なアクシデントに遭遇しました。
神社へのお詣りを終える頃から、どうもお腹の調子が…(>_<)

山間部を走る時、私にとって一番怖いのは、トイレ問題です。
もちろん事故やトラブル発生時、携帯の電波が届かないというのも怖いものがありますが、
トイレは、生理現象なので、どうしようもありません。
街中だとトイレに行きたくなれば、コンビニ等のお店や公共のトイレもありますが、
山間部は、トイレに行きたくなった時、本当に大変です。

このような山間部を走る場合、どうしても我慢できない時は、
民家のトイレを借りるしか方法は無さそうです。

トイレを我慢しながら走ると、上鞆渕地区で県道3号線と県道4号線の重複区間が終わり、
再び県道4号線を かつらぎ方面に走ります。

先程の交差点から、やや上り坂が続き、山頂付近に「かつらぎ町」の標識が見えてきました。
写真の白破線を左方向へ行くと県道120号線(上鞆渕那賀線)になりますが、
麻生津方面4トン車通行不能と標識があります。
原付バイクなら問題なさそうな道ですが、かなり狭そうな感じです。

いよいよ、かつらぎ町に入ります。

かつらぎ町側から紀の川市方向を写す

紀の川市と かつらぎ町の境界を越えると、このあとは、国道480号まで長い下り坂になります。
国道480号を走ると高野山へ行けます。この時、下腹部には、結構苦しいものがありました。
正直、写真を撮る余裕もあまり無かったです。

写真では、見えにくいかと思いますが、遠くの山の中腹にトンネルが見えます。
ここから長い下り坂を走り、国道480号を横断して、またトンネルまでの上り坂になります。

下り坂の途中に御所(ごせ)観光案内所を発見。隣にトイレもあります。
うわぁぁぁぁぁぁぁ(^^ゞ助かった…と思いました。

がしかし、トイレのドアは閉まっていました(T_T)
観光案内所も無人だったため観光シーズン以外は、閉めているんでしょうね。
しかし下腹部への痛みは、さらに強くなってきます。
アカン、これ以上は厳しい!自分のお腹に「あと10分我慢してくれ!」と語りかけていました。

ここまで来たら、以前行った丹生都比賣神社(にうつひめじんじゃ)へ走ろう。あそこにはトイレがある!
もうバイクに乗っている間も厳しく、途中の路面から来る振動も辛くて、脂汗?も出てきます。
ギューと痛みが来て、少し我慢すると落ち着いてを繰り返していました。
坂を下り切ると国道480号の信号があるのですが、信号の待ち時間がスゴク長く感じました。
信号が青になって今度は、上り坂になりますが、丹生都比賣神社までの道は、
以前走っているので、ある程度、道路事情は分かっていました。
上り坂の途中でふり返ると先程、下って来た所も見えて、景色が良いのも分かっていますが、
そのようなふり返る余裕は全くありません。
もう何とも言えない脂汗と下腹部への痛みが続きます((+_+))

そして、坂を上りきって天野トンネルを抜けると丹生都比賣神社は、あと少しです。

丹生都比賣神社の輪橋が見えます。
丹生都比賣神社境内マップ

丹生都比賣神社の駐車場にあるトイレへ駆け込みました。
ああああああああ!
私は、救われた(大げさかなぁ?)そんな事を思いましたが、
そのあと何とも言えない脱力感というか、張りつめていた緊張感というか、気力が抜けてしまいました。
この日は、丹生都比賣神社へのお詣りの予定は、無かったのですが、
まさかトイレのために訪れるとは思いませんでした。
これも何らかのお導きだったのかなぁ?

しかし、あまりの脱力感に気力も失せてしまい、お詣りする気持ちになれませんでした。
この時思ったのは「もう白浜へ帰ろう!」でした。
ちなみに前回、丹生都比賣神社へお詣りしたのは、今年3月6日です。
この時は、雨も降り、霧も発生するようなお天気でしたが、
車でしたので、それほど苦にはなりませんでしたが、
ある意味、今回は、苦行の旅?でした(;^ω^)