どすこい山根康民日記

道路交通に関する事を中心に紹介しています。

ごみの分別について紀伊民報 読者の欄に掲載されました

2021-10-29 23:36:20 | 日記


私の住む地区では月1回、町内会の指定場所で資源ゴミの回収が行われていますが、
知り合いから「瓶の王冠をどう分別するか、ごみ当番さんによって判断が違い、
どっちが正しいか分からない」との話を聞きました。

私も何回か当番をしましたが、分別について詳しく知らないので、
白浜町のホームページで調べました。でも、欲しい情報は見当たりませんでした。
一方、田辺市には「ゴミ分別辞書」というのがあり、
ごみをどう分別すればよいか、品目ごとに50音別に分かりやすく書かれています。
ただ白浜町と田辺市では資源ごみの収集方法が違うため、
参考になる自治体はないものかと探しましたが、分かりませんでした。

そんな時、9月11日付の本紙「水鉄砲」に、徳島県上勝町での「ごみゼロ宣言」
「ゼロ・ウェイスト」について記載がありました。
インターネットで調べると、13種類45分別という細かな分別、ごみ収集車が1台もない、
そして、この取り組みが観光にも結び付いていることをすごいと思いました。

ゼロ・ウェイストとは、無駄、浪費、ごみをなくすという意味で、
ごみを生み出さないようにしようという考えとのことです。
何となく分かるけどイメージが湧きにくかったのですが、
10月1日から京都市の映画館で「ゼロ・ウェイストPLUS~持続可能な暮らし~」が上映されると知りました。
3日には監督の舞台あいさつもあるというので当日、原付きバイクに乗って見に行きました。

映画は上勝町での取り組み、海中を漂うマイクロプラスチックの現状、
ゴミを減らす取り組みをされている人々の紹介等々で構成されていました。
上映後にあいさつした監督の「まずは現状を知ることから始まります。
そして諦めず、希望を持ってください」という言葉が印象に残りました。

映画を見終えて、いつか機会があれば、上勝町を訪ねてみたいと思いました。


2021年(令和3年)10月30日付 紀伊民報

国道169号を北山村から奈良県橿原市まで北上する

2021-10-27 23:34:04 | 日記
10/24、相棒の原付バイクの修理がまだ終わっていませんが、
久しぶりに、北山村から国道169号を北上して大台ケ原へ行ってみようと思い走りました。


主な走行ルートは、白浜町→国道311号→田辺市本宮町→国道168号→新宮市熊野川町→
国道169号→北山村→国道169号→奈良県吉野町→国道169号→明日香村→国道169号→
橿原市→中和幹線→国道24号→奈良市→阪奈道路(県道1号線・府県道8号線)→大阪府大東市→
国道170号(大阪外環)→和泉市→国道480号→和歌山県かつらぎ町→国道24号→紀の川市→
国道424号→海南市→県道18号線→有田川町→国道42号→白浜町
走行距離 約442㎞


いつもなら白浜近辺の写真からスタートしますが、思いっきり飛んで?
国道169号 新宮市熊野川町 九重(くじゅう)トンネル手前から写真は始まります。

九重トンネル手前にある温度計は、この時5℃
写真中央の右手にチラッと見えるのが、奈良県十津川村竹筒(たけとう)地区

川は、北山川ですが対岸は、三重県熊野市紀和町(旧:南牟婁郡紀和町)になります。



九重トンネル近くにある看板には、紀和町百夜月軌道等運搬施設とありますが、
百夜月と書いて「ももよづき」と読むそうです。
数年前まで、この付近に百夜月バス停もありましたが、今はありません(;^ω^)
この百夜月(ももよづき)という地名に興味を持ちましたが、
み熊野ねっと様のサイトに詳しい記載がありますので引用させて頂きます。
https://www.mikumano.net/setsuwa/momoyoduki.html


美しい尼僧に由来する地名

三重県熊野市紀和町花井(けい)に「百夜月(ももよづき)」という美しい地名があります。
北山川沿いにあり、現在でも対岸の和歌山県新宮市熊野川町九重(くじゅう)から
渡し船で渡るしか行く方法がないという陸の孤島のような集落です。2011年に無人となりました。


百夜月の地名の由来

そこには光月山紅梅寺という寺があった。
この寺には美しく若い尼僧がひとり住み、仏道修行に励んでいた。
尼僧は近隣の村の若者たちの憧れの的であった。

ひとりの若者が彼女に会って話をしたいと思い、
昼間では村人に知られては尼僧に迷惑になるので、夜に川を渡って会いに行こうと決心をした。
若者が夜、川を渡ろうとすると、山の上に顔を出してきた月があまりに明るく、
こんなに明るくては村人に知られてしまうとその夜は行くのを諦め、家に引き返した。
次の日もその次の日もそのまた次の日も、若者は尼僧に会いにいこうと川まで下りてきたが、
月明かりがまぶしく行くことができなかった。
「今晩で何度めだろうか」と若者が数えてみると、九十九夜めであった。
家に引き返し、母にそのことを打ち明けると、
母は「あの方は仏様をお守りしている方なのだから、お前が好きになってはいけない人だよ。
あのお月様の光は人々が悪さをしないようにいつも辺りを照らしているのだよ。
だから百夜通っても駄目だよ」と諭した。
それからこの土地を「百夜月」と呼ぶようになった。


周辺の地名も尼僧に由来

尼僧は仏の教えを広めるため、寺の宝物を近隣の村に分け与え祀ってもらおうと考え、
川下の村には花瓶を与え、川向の村には九重の重箱を与え、川向川上の村には竹の筒を与えた。
花瓶を与えられた村が花井と呼ばれるようになり、九重の重箱を与えられた村が九重(くじゅう)、
竹の筒を与えられた村が竹筒(たけと)と呼ばれるようになった。


み熊野ねっと様のサイトより引用させて頂きましたが、
現在、百夜月には誰も住んでいない上、いまでも陸路では行けないという陸の孤島ですが、
この百夜月という地名は、何らかの形で残して欲しいものと個人的には思います。
また、み熊野ねっと様に記載されている内容を看板等にして設置するだけで、
観光資源になるのではと思います(^^♪

運搬施設から百夜月を望む


先程の百夜月から北山村方面に進むと、奈良県十津川村竹筒(たけとう)地区

道路は、竹筒地区を通る国道169号

国道169号から下流の百夜月方面を望む

北山川 河川敷から百夜月方面を望む

北山川上流を望む

河川敷には、舟が係留されています。

竹筒(たけとう)地区 青空と山の緑、そしてまっすぐ伸びる道路が美しい

恐らく旧国道169号?の旧竹筒橋

旧竹筒橋

竹筒橋とありますが、何年に架橋されものか分かりませんでした。

奈良県十津川村竹筒から更に北山村へ走ると三県境の看板があります。
和歌山県、三重県、奈良県の三県が県境を接する場所です。

平成8年7月に国道169号 奥瀞(おくどろ)道路区間が開通する前は、
十津川村から北山村へ車で走り抜ける事は出来ませんでした。

写真右の上から2番目。開通前は、人が歩く程度の道しかなく、
私が子供の頃は、道路地図に赤い点線で描かれていた記憶があります。
詳しくは、下記の近畿地方整備局一般国道169号奥瀞道路をご覧下さい 
https://www.kkr.mlit.go.jp/plan/ippan/zigyohyoka/ol9a8v000000dfxl-att/13.pdf


写真の小松トンネル(734m:1988年10月)を抜けると、奈良県十津川村から和歌山県北山村に入ります。



小松トンネルを抜けたら北山村です。案内標識には、田辺93㎞ 新宮40㎞

2車線区間は、ここまで。ここから道幅が狭くなりますが、現在、奥瀞道路Ⅲ期工事が始まっています。
この区間が開通すれば、北山村へのアクセスも更に良くなります。

この深い谷間に橋を架けるんやぁ~

こういう山間部で工事に携わって頂いている方々には、
仕事でやっているとは言え感謝の気持ちが湧いてきます。
無事故でよろしくお願い致します。

北山村小松 Kitayama Village 和歌山県では、唯一の村となってしまいました。

奥瀞道路開通記念碑があります。
先程も述べましたが、この奥瀞道路1期区間が開通した事で、
和歌山県側から飛び地の北山村へ車で行く事が出来るようになったので、
大変大きな意味があります。

奥瀞道路開通

紀伊半島の中央部を流れる北山川と十津川が熊野川町宮井で合流し、
熊野灘に注ぐ熊野川は、古来よりこの流域住民の生活を潤す大河であり、
林産物等を流送する経済の大動脈でありました。
しかし、昭和三十年代、戦後日本復興のエネルギー政策として、
熊野川電源開発構想が浮かび上がり、いくつかのダム建設計画が発表されるに至り、
当時の北山村長高須治視氏が消えゆく河川搬路の代替として、
流域住民の意思を統一し、昭和四十三年から政治生命をかけ、
北山川右岸道路を実現するための運動を展開しました。
今でも建設省では「ベレー帽の国道村長さん」と語り草になっています。

ついにその熱意が通じ、昭和五十年右岸道路が国道一六九号として昇格、
昭和五十六年建設省直轄事業「奥瀞道路」として未開通区間が事業化され、
昭和五十九年起工、そして、平成八年七月第一期区間が完成し、
私たちの悲願であった瀞峡への通り抜けが可能となりました。

開通を迎えるにあたり先人、先輩の努力と、関係機関および促進に格別のご尽力、
ご高配をいただいた方々に感謝申し上げ、この道路が地域の発展に大きく貢献することを祈念し、
決意を新たにするものであります。

平成八年七月吉日 北山村長 三谷雄明

北山村は、和歌山県でありながら和歌山とは、長い間道路が繋がっていなかったという事を思うと
先人の強い熱意によって現状を打破し、今回の開通を迎えた事に
村の悲願であった事が文面に非常に強く現れていて、私自身、感銘を受けました。
しかも平成に入ってからというのも驚かされますが、
私も約50年生きて来ましたが、道路が良くなったのは最近だと感じている1人です。


国道169号 奥瀞道路Ⅲ期工事の完成が待たれます。



架設の橋が架けられています。山側には、トンネルが掘られるんでしょうね。

道の駅おくとろ

日本唯一の飛び地の村 北山村

3つの県が重なる三県境

案内板より

和歌山・奈良・三重の三県境は なんと5か所もあります!
北海道、佐賀県、長崎県、沖縄県を除き全国の43都道府県に三県境がありますが
同じ三県の県境は通常1ヶ所しか存在しません。
ところが、奈良県南部と三重県の県境である北山川に沿って、
和歌山県北山村と新宮市の一部の「飛び地」が存在するため、
和歌山、奈良、三重の三県境はなんと5か所もあるのです!
日本全国のどこにもこのような場所はありません。
雄大な自然の中で三県境を眼下に納め、
想像力を働かせればロマン溢れる地域の歴史に触れることができるでしょう。

「飛び地」のなりたち

和歌山県北山村は、村全体が飛び地になっている全国で唯一の珍しい村です。
北山は昔から良質の杉に恵まれ林業で栄えた地域で、
伐採された木材は、山間を流れる北山川を利用し筏(いかだ)に組んで
木材集積地である新宮城下まで輸送されました。

当時の北山は、人口の大半を筏師が占め、
新宮の木材業と筏師は切っても切れない関係で成り立っており、
行政上も紀州藩新宮領に属していました。

明治4年7月の廃藩置県後も、新宮とのつながりを重視した村民の意志により
和歌山県に編入されることになったと言われています。

また、現在は和歌山県新宮市となっている玉置口と嶋津も北山村と同様に
和歌山県に編入されることとなりました。

一説によると、大阪の役で戦功のあった藩政時代の十津川郷(現在の奈良県十津川村)が
天領として租税免除や苗字帯刀を許されたため、特権を得ようとした民が竹筒、
田戸の領地を北山川まで拡大し、土地が分断され飛び地になったともいわれています。

ただしこれには諸説があり確かなことはわかっていません。


道の駅おくとろ周辺

吉野方面へは、左折を促す路面標示が見えます。

国道169号は、このまま真っ直ぐ行くのですが、七色ダム付近から先は、とても狭くなるため
吉野・下北山方面へ行く場合、ここで左折して不動坂を越えます。

交差点には、不動バイパス開通碑が建っています。

不動バイパス開通

この道路は古くから「筏師街道」として熊野地域と吉野地域を結ぶ重要な街道でありましたが、
自動車の通行ができない通行不能区間となっており、
社会情勢の大きな流れの中で当路線の道路整備が大幅に遅れていましたが、
昭和六十二年当時の北山村長三谷雄明氏が、北山村、下北山村及び
近隣町村による不動バイパス促進協議会を発足し、
地域住民の協力のもと事業化に向けての運動を進め、
北山村においては昭和六十三年度、下北山村においては平成四年度に
道路改良事業として事業化されました。

不動トンネルについては、平成十二年度より建設省の
「交流ふれあいトンネル橋梁整備事業」として採択され、
和歌山県と奈良県により工事が実施され、
平成十五年十二月に開通のはこびとなりました。

このバイパスの開通により両村及び近隣市町村との交流はもとより、
観光をはじめとして地域の活性化におおいに寄与するものと期待しています。

平成十五年十二月吉日 北山村長 奥田貢


道の駅おくとろ方面を望む

不動バイパス開通碑の隣には「おやっ」何だろう?

六地蔵

七色の石幢(いしとう?せきどう?)(北山村七色)

この石幢には、銘文がありませんが、作風から室町中期で、
塔身を六角にし、それぞれの面に六地蔵を刻む、古い時代の六地蔵です。
作り方も古い様式を忠実に残し、破損も殆どなく、村内は勿論、
熊野地方に残る貴重な石造遺品です。
もと不動坂にありましたが、道路の開設で平成元年現在地に移しました。

えええっ!こんな山間部に室町時代の石造品があるなんて!
熊野の奥深さを感じてしまいます。

その隣には、享和四甲子正月?読み方が分かりませんが、
享和(きょうわ)四 年の正月とすれば、1804年
今から200年以上前になります。
山間部で、このような古い歴史に触れると衝撃を感じます。
しかも今の時代に遺っている事が奇跡です。

オンカカカビサンマエイソワカ
お地蔵さまへのお祈りの時に唱える言葉ですね。
前に田辺市中辺路町にある一願寺(いちがんじ)さんでも見た事があります。
文字は、サンスクリット語なのかなぁ?


少し長い坂道を登ってくると不動トンネルに着きます。

それじゃ北山村さようなら

不動トンネル 2038m 真っ直ぐな下り坂の長いトンネルです。

2003年7月 2038mのうち和歌山県内延長1294m

この道が村道である事に驚かされます。

和歌山県と奈良県の県境

不動トンネルを抜けると奈良県下北山村

村道不動線

再び国道169号に合流して吉野方面に向けて北上します。
ここは、下北山村前鬼(ぜんき)地区。この前鬼橋の向こうは、上北山村

写真より実際に見て頂くと、とても美しい橋です。

実は、下北山村池原地区には、大きな池原ダムがありますが、
(この橋の下付近は、池原ダムのダム湖になります)池原地区を走っていた時、
大台ケ原へ行くのを止めて国道425号を尾鷲市まで走ろうと思いました。
というのも、国道425号の下北山村から尾鷲市までの区間だけが、唯一走っていないため、
行こうとしましたが止めました。というか「坂本ダム付近で土砂崩れのため通行止め」と看板があり諦めました。
国道425号!来るものを拒むというか?なかなか通れない道ですね(^^ゞ

上北山村側から写す

上北山村にある道の駅吉野路上北山
ここで休憩

あれっ?前に来た時よりトイレがキレイになっている✨✨

道の駅にあるコンビニ(デイリーストア)で昼食を購入

眼下に北山川を眺めながらの食事は良いですね。
さて食事を済ませて、再び国道169号を走ると「おおおっ」新伯母峯トンネル手前に
新しいトンネル(仮称)伯母峯峠トンネルの工事に向けて橋梁工事が始まっていました。
さて新伯母峯トンネルを抜けて左折すると大台ケ原へ登っていくのですが、
気持ちが急に変わり、トンネルを抜けて、そのまま坂道を下る事にしました。
伯母峯からは、吉野川(紀ノ川)水系に変わりますが、
吉野川に沿って国道169号を吉野町方面に向かって走ります。

桜の開花時期でしたら吉野は、多くの観光客で賑わいますが、
秋ですが、観光客は多かったです。

案内板

吉野町から国道169号をさらに北上して、明日香村へ到着
大淀町から明日香村への国道169号は、初めて走る区間でした。
道の駅飛鳥

飛鳥駅前

道の駅飛鳥外観

店内の様子 地元の野菜や果物といった農作物が多く販売されていました。





古代米かぁ~飛鳥ならではですね。古代へのロマンを感じます。

あらまぁ~大きなカボチャが…
撮影は、ここまでです。

ここからは明日香から橿原市へ入り、当初は、このまま国道169号を北上して
奈良県庁まで走ろうと思いましたが、あまりの渋滞に諦めて
中和幹線から国道24号バイパスを走って奈良市へ向かいました。
そこからは、いつもの阪奈道路を走って、大阪府へ入り
国道170号(大阪外環)を走って、白浜まで走りました。

今回は、話題的には北山村についての紹介が多かったのですが、
和歌山県内も、まだまだ知らない所が多いですね。
このような歴史に触れる旅は、個人的には好きです。
次は、どこへ行こうかなぁ?(*´ω`)

雨にも負けず…とはいかなかった三重県ツーリング

2021-10-11 17:32:24 | 日記
10/10(日)この日は、三重県まで走りましたが、何だろう?
ちょっとモヤモヤした気持ちを抱えながら出発しました。
当初の行先は、岐阜県関ケ原町としていましたが、何だろう?余裕が無いというか?
愉しいはずのツーリングが「関ケ原まで走らなければ!」という焦りにも似た感覚がありました。
結果、無茶な気持ちがあったからでしょう。

この日、三重県内は、熊野市内では晴れ間もありましたが、尾鷲市から松阪市までは、
雨が降ったり止んだり、曇り空だったりと天候が不安定でした。
そんななか、三重県明和町のイオンモール明和やケーズデンキ明和店のある
中村3交差点を走行中、雨に濡れたマンホール上でバランスを崩して転倒してしまいました。
初めての経験でしたが、私の大事な相棒(原付バイク)にも傷がついてしまい
自分自身に対してもショックを受けました。
雨にも関わらず、自分の運転技量を過信していた事を反省しました。

自分が転倒した事について、ブログに残す事をどうかなぁ?とも思案しましたが、
これも相棒との旅の記録という事で書きました。
さて出だしから暗い雰囲気ですが、旅自体は、とても楽しかったので紹介させて頂きます。

主な走行ルートは、白浜町→国道311号→三重県熊野市→国道42号→松阪市→国道23号→明和町(帰りもほぼ同じ道)
走行距離 約469㎞


この日は、午前4時前に白浜を出発しましたが、この時間まだ真っ暗なJR白浜駅。
空を見上げると、お星さんがキレイでした✨✨
まさか三重県では、雨に打たれるとは、この時は思いもしませんでした。
前日夜に天気アプリで三重県の天気を見た時は、降水量も0.△mmと1㎜以下の降水量だったので、
全然問題ないな!という判断でした。

田辺市中辺路町の小広峠近くにある温度計は、この時20℃
薄手のジャンパーと中に1枚、暖かい服を着ていれば問題ありません。

和歌山県から北山川に掛かる瀞大橋を渡れば、三重県熊野市紀和町の小川口交差点

熊野市にある24時間営業のガソリンスタンドで給油後、松阪市に向けて走ります。
松阪123㎞、尾鷲35㎞

熊野市、熊野灘の日の出

熊野灘の海は、広くて真っ直ぐ海岸線が伸びているので、とても好きな海岸の1つです。

夕焼けのような感じですが、朝陽が雲の隙間から水平線を照らしている光景は、
何とも言えない神々しさを感じます。
この時は、お天気も良かった上に、旅のテンションも上がって来ました。

紀北町にある道の駅海山
先程の熊野市から矢ノ川峠を越えて尾鷲市に入りますが、この頃からパラパラと雨が降り出し
紀北町に入る頃には、しっかりと雨が降って来たので、ここで少し雨宿りをしました。

道の駅海山(みやま)から大台ケ原方面を望む。
どんよりとした雲が見えますが、大台ケ原は、屋久島と並ぶ日本でも最も雨の多い地帯です。
http://kinki.env.go.jp/nature/odaigahara/about/nature/kikou.html
さすが、この辺りは、雨が多い所ですからね。

道の駅海山にある観光案内

道の駅海山から約600mにある馬越(まごせ)峠

見事な石畳です。現代人の私達には、ちょっと歩きにくいと感じますが、
当時の人々は、ぬかるんだデコボコ道より石畳の方が歩きやすかったかも知れませんね(^^ゞ

私は、この案内文を読んで興奮してしまいました?
文章の最後に、…道幅は紀州藩の駕籠(カゴ)にあわせて1間半(約2.7m)を基本としていた。という下りに、
これまでは、このような古い道は「何となく適当に道幅があったのかなぁ?」と思っていましたが、
殿様が乗るカゴに合わせて道幅が決められていた事を知り、思わず興奮しました。
えっ?そんな事で普通、興奮しないよ!って(;^ω^)


甦る神々のみち 熊野古道馬越峠

古来、熊野へ続く道は祈りの道であった。
ある者は極楽浄土の来世を夢見て、またある者は心身の悩みの癒しを求めて、
一歩一歩石畳を踏みしめていった。

「熊野へ参るには紀路と伊勢路のどれ近し、広大慈悲の道なれば、
紀路も伊勢路も遠からず」『梁塵秘抄』に唄われたように、
熊野三山(熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社)へは、
紀伊半島を東からまわる伊勢路(東熊野街道)と、西からまわる紀伊路(中辺路、大辺路)を中心に、
中央部の峻険な山地を南下する大峯道、海路(磯辺路)などのルートがあった。

ここ馬越峠は、「くまのみち」と呼ばれた熊野街道の一部で、
明治以来大正6年までは県道であった。
路線が変更されて今は通る人も稀であるが、
麓から峠までの約2㎞の大部分は、敷石によって路面が舗装されていて、
今もほとんど完全に昔の面影をとどめている。
敷石は大きく、平らで、現存する石畳道のなかでも端正な表情が際立っており、
施工した便ノ山の石工の技術がうかがえる。
石は麓から運び上げたものではなく、全て現地調達されたという。
石の表面がところどころ白くなっているのは、材木を曳き下ろす際に苔が削りとられたもの。
植林により狭まった箇所もあるが、道幅は紀州藩の駕籠にあわせて1間半(約2.7m)を基本としていた。


私は、歩く事には、まだ興味を持てていませんが、
話しが変わりますが、私はこの日朝4時前に白浜を出発しましたが、
真っ暗な道中を自転車(ロードバイク)で走る人を2人も見掛けました。
凄いなぁ~と思います( *´艸`)
私もこの先、もしかしたらロードバイクやウォーキングに興味を持つ日が来るのかなぁ?
少し違うかも知れませんが、同じ道でも車、バイク、自転車、歩くによって
景色の見え方が全く違います。私には、原付バイクから見える景色が好きですね。


さて紀北町(旧:紀伊長島町)を過ぎると大紀町に入ります。
少し走ると国道42号から駅が見えて来たので「ちょっとベンチで休憩でもしようか」と思い、
初めて立ち寄りましたが、写真の橋の隅に

えっ?しゅん工 昭和40年2月25日って新しいやん?
どうしても自分の生まれた年に近いと、そう思ってしまいます(^^ゞ
特に駅の事など全く気にしていなかったのですが、このプレートを見て駅に興味を持ちました。
プレートには、以下のように書かれています。

宮前開きよ 設計 天王寺鉄道管理局 施工 大鉄工業株式会社 (中略)
着手 昭和39年7月1日 しゅん工 昭和40年2月25日


駅の名前は、梅ケ谷駅です。



道路からホームへの階段

亀山・名古屋方面

尾鷲・新宮方面
正面のトンネルは、荷坂トンネル

しかし紀勢本線が全線開通したのは、昭和30年代(昭和34年(1959年)全通)だったはず?
何でこの駅は、昭和40年なの??不思議に思い周辺を探索すると見つけました。
詳しくは、ウィキペディア(Wikipedia)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E3%82%B1%E8%B0%B7%E9%A7%85

梅ケ谷駅の開設を記念する石碑

牟婁(むろ)越えて 鶯(ウグイス)きくや 梅ケ谷

斎藤昇(当時の運輸大臣)による揮毫

石碑裏面

石碑の由緒について

この碑は昭和四十年当時の運輸大臣斎藤昇氏のご尽力により
国鉄梅ケ谷駅開設を記念して地元有志により建立したものであり
碑面の文字は同氏の揮毫である

牟婁越えて 鶯きくや 梅ケ谷

右の古句は紀伊家第十四代藩主 徳川茂承(もちつぐ)公が江戸参勤の途次
その行列も美々しく紀州の山坂を越え当地に入り鶯(うぐいす)を聞いて
興をそそられ作句したと伝えられている

なお一説には第八代藩主 徳川重倫(しげのり)公であるとされ
寛政十一年(1799年)四月十一日領内視察の為
荷坂を越え梅ケ谷の河内に入ると晩春の鶯がしきりに鳴いていた
梅ケ谷に鶯と此の風流なとりあわせに大いに喜び
即興に詠んだものともいわれる

関係資料(南紀徳川史 大内山七人衆文書)


梅ケ谷駅近くには、八柱神社があります

八柱神社 由緒

当神社は宮川の最上流、伊勢と紀伊の国境に位置し水清く、空気清浄にして
往古は鬱蒼足る大森林の中に鎮座せられ、素戔鳴命二天八王子社と拝し奉り、
創建は考謙天皇の後世天平勝宝元年(748)とも桓武天皇の御宇延暦十四年(795)又
それ以前とも伝えられしが何れが真実か定かでないが明治年間まで
境内に林立していた千数百年を経た老杉にその創建の更に古からん事と推察される。

伊勢神宮の「神宮文庫」の古書にみゆる「梅ヶ野」とは今の「梅ヶ谷」の事であり
此処に鎮座せらるる、当神社こそかっては大内山一円の尊崇されるべき氏神様であった。
江戸時代以前には二天八王子社と称されていたが、明治四年の神社調べで現在の
「八柱神社」と改称され、その際村のあちこちに散在していた
「津島」「稲荷」「愛宕」「秋葉」「山」「南宮」「大内」の各神社を合祀した。

明治八年七月に成った大内山全村人が署名した「合村議定書」の第七条に
「五組氏神」(八柱神社の意)の造営入費は大内山総割りと記載されており、
正に当神社は全村五字(駒、真弓、川口、中野、米ヶ谷)の産士神であった。
又当時、伊勢参拝を終えた旅人が更に熊野三山(那智、新宮、本宮)へ向かう
道中の無事と安全を当神社に祈りツヅラト峠へと向かった事であろう。

江戸時代になり、紀州徳川藩祖 頼宜公 が元和五年(1619)に参勤交代のため、
荷坂峠を開いて二つの道が使われる様になったが、伊勢と紀伊の国境であり又、
街道の分岐点に当たる「要」の地に鎮座します、当神社の古文書にも
「緒願祈るに霊験あらたかなり」「緒人と尊き歩みを運びて緒願を祈るに霊験あらんと言うことなし」とあり
その由緒の深さが窺われます。

どうか信心深き氏子の皆様方、そしてツヅラト峠へ、荷坂峠へ向かわれるグループの皆様
ご家族連れの皆様方、是非一度お参り下さいませ。
きっと皆様に よいこと がありますよ!


この文面を読んで思ったのは、宗教的な事は分かりませんが、
荷坂峠が江戸時代の紀伊の国と伊勢の国との国境(くにざかい)であった事を
改めて理解しました。今でも三重県の東紀州地域には、紀州の名残を感じさせるものがあります。
代表的なのは、駅名にもある紀伊長島です。
現在の紀北町は、旧海山町と旧紀伊長島町が合併したもので
旧紀伊長島町までは、紀州だったと思うと昔は、紀州藩って広かったんだなぁと思います。


八柱神社 社殿

中を少し拝見させて頂きました
あまり分かりませんが、何となくスゴイなぁ~と思いました。

川が流れています。


今日は、随分ゆっくりと寄り道をしながら走りました。
時間的に関ケ原は、もう無理やなぁ~と思いながらブラブラと走りました。
このあとは、三重方面に来ると よく立ち寄る道の駅奥伊勢おおだい へ寄りました
ここは、トイレ休憩以外にも ゆうちょ銀行ATMが設置されている事や
マックスバリュー大台店もあり、ちょっとした軽食を購入するにも便利なので
個人的には、お気に入りの道の駅の1つです。

この頃、雨は降ったり止んだりを繰り返していましたので、
道の駅では、食料品と飲料を購入してベンチに腰を掛けて
ゆっくりしていると40分も滞在していました(*´ω`*)
さぁもう今回、関ヶ原は完全に諦めて
鳥羽方面に走って見よう!と漠然と思うようになりました。

よし雨も止んだし出発しよう!
国道42号を松阪市方面に走り、
松阪多気バイパスを走って、国道23号から鳥羽へ向かいましたが、
距離的には、大台町の新田交差点で右折して、度会町を経由して伊勢市に入る方が
鳥羽へ行くには、近いのですが、時間もあったので大回りして走りました。

しかし松阪多気バイパスを走っている辺りから
少し雨が強くなってきました。そのまま国道23号を伊勢方面に走りましたが、
雨脚は、さらに強くなってきました。
松阪市から明和町に入った頃には「さすがに雨宿りをしよう」と思い
左方向にケーズデンキが見えたので、ここで雨宿りをしようと考え、
左折するため減速していたのですが、路肩左側にあった大きめのマンホールの上で滑ってしまい
原付のバランスを崩してしまい、そのまま転倒してしまいました。
本当に一瞬の出来事でしたが、ショックでした。

それでも運が良かったと思います。
あれだけ交通量の多い国道23号で、もし私の真後ろに後続車がいたら
避けられず私をはねていたかも知れません。
今回この助かった命、少しでも地域に恩返し出来る事をしようと思い
三重県方面に来る時は、必ず通る国道311号の和歌山県と奈良県の県境区間の整備について
和歌山県に提案書を出そうと思い「県政ポスト」宛に資料を作る事にしました。
今回の旅は、ここ明和町から先の鳥羽には向かわず
ゆっくり和歌山へ帰る事にしました。

そして先程、思い立った和歌山、奈良の県境区間の道路整備について
現地調査をして写真を撮り、距離を測定したりと資料作りの用意をしました。

国道311号 和歌山県側から見た奈良県との県境

国道311号 奈良県側から見た和歌山県との県境

和歌山県側の国道311号

和歌山県側の国道311号


道路調査を思い立った時、途中の川で不思議な石を見つけました。

えっ?何?この3つの穴は?自然に出来たもの?人工的にあけたもの?不思議です。

今回の旅は、色々と考えさせられる旅になりましたが、
交通ルールを守った安全運転の大切さを痛感させられました。
皆様も運転される時は、安全運転でお願い致します(^_-)-☆

京都で映画 ゼロウェイストPLUS~持続可能な暮らし を鑑賞

2021-10-09 00:08:30 | 日記
10/3(日)この日は、ツーリングと言うより、どちらかと言うと、
「京都で映画を見るための移動に原付バイクを使った?」という感じなのです💦💦
しかし映画を見るために、遠く離れた京都まで原付バイクで行くあたり
ちょっと変わっているなぁ~と自分でも思いますが(;^ω^)


主な走行ルートは、白浜町→国道42号→有田川町→県道18号線→海南市→
国道424号→紀の川市→国道24号→かつらぎ町→国道480号→大阪府和泉市→
国道170号(大阪外環)→寝屋川市→国道1号BP→京都府京都市 京都みなみ会館(帰路も同じ道)
走行距離 約450㎞


国道42号 印南町島田付近。夜明けまであと少し…という感じです。
遠くには、車のヘッドライトが光っています。

写真では、分かりにくいですが、白浜方面(温泉街)を写しましたが、
ポツポツと光の点のように見えるのが、白浜温泉街になります。

国道42号 日高町萩原地区 この時の気温17度

温度計の場所から御坊市街地を望む

和歌山県日高町で写真を撮ったあとは、京都の映画館に着くまで1枚も撮っていません(>_<)
映画館では、2輪車は無料で駐車出来るのは有難いです。

京都みなみ会館外観
この映画館では、大手の配給会社系列の映画館では、あまり観る機会が少ない映画を上映されています。
今回、初めて訪れましたが、映画館のイスの座り心地がスゴク良かったです。
えっ?そこなの?(^^ゞ

上映作品のポスターが掲示されています。

今日のお目当ては、この映画です。
ゼロウェイストPLUS~持続可能な暮らし

この日は、映画上映後、白鳥哲監督による舞台挨拶がありました。

映画チケット(半券)

映画 ゼロウェイストPLUS~持続可能な暮らし
https://earthianalliance.com/zerowaste/




映画では、2003 年、徳島県上勝町は町内から出る焼却・埋め立てごみをゼロにするという目標を掲げ、
日本で初めて*ゼロ・ウェイスト宣言を行いましたが、
そんな上勝町での取り組みの様子、海中を漂うマイクロプラスチックの現状、
ゴミを減らす取り組みをされている人々の紹介等で構成されていました。
*ゼロ・ウェイスト:ごみをゼロにすることを目標に廃棄物を減らす環境社会政策。

映画を見て印象に残ったのは、現状を知り希望を持つ事の大切さでした。
ゼロウェイストについて、映画を通して少しですが知る事が出来たので、
今度は、機会があれば徳島県上勝町を訪ねて見たいと思います(*´ω`*)

見出し画像は、夜明け前の様子(印南町島田:電柱は、JRきのくに線)ですが、
ゴミ問題解決の夜明けは?人類の英知が求められていると思います。

本州最南端のまち串本町へのツーリングからドライブイン話し

2021-10-06 22:54:08 | 日記
10/2 この日は、天気も良く昼から原付バイクに乗って串本町まで走りました。



白浜町→国道42号→串本町→国道42号→白浜町

ひたすら走る。何も考えずに。時には鼻歌を歌いながら(^^ゞ
白浜を出発して国道42号を走るのですが、紀勢道(無料道路)がすさみ町まで開通してから、
国道42号を走る車は、少なめなので原付バイクだと走りやすいです。
原付は、紀勢道を走れませんけどね(*´ω`)

以前も書きましたが、地元の街だと見慣れすぎて💦💦
写真を撮るという事が、少なくなってしまいましたが、
個人的には、串本町田子の海岸は、走っていてとても素敵な海岸だと思います。

理由ですが、白浜から串本方面に走ると、右側に海を見て走るという感じですが、
ここは、坂を上って下ると正面に海が広がり、遠くに潮岬が見えるというロケーションです。

上の写真の撮影位置から白浜方面を望む
この峠から右手にJRきのくに線田子駅(無人駅)があります。

海がキラキラしています

田子(たこ)駅

白浜方面を望む

串本方面を望む

田子駅

田子駅ホームから眺める海

田子駅ホームからは、並走する国道42号が見えます

私が子供の頃、この田子駅から串本方面に少し走った所に田子ドライブインがありました。
https://goo.gl/maps/51sbnXGc6aCudd1u8
今は、建物だけが残り工事現場事務所?のようになっていますが、
子供の頃、串本方面へのドライブの際には、よく止まったものですが、
そういえばドライブインって、今は、あまり聞きませんね(;^ω^)

まぁ今でいう「道の駅」ですが、紀南にも何ヶ所かドライブインがあった記憶があります。
印南町には、紀南パレス。
ここは、紀南パレスを偲ばせるものは見当たらず跡形もなくなった感じです。
今は、住宅地?別荘地?になっています。
和歌山方面に走る時は、よくここでトイレ休憩したものですが、
当時(昭和50年代前半)は、高速道路が海南までしか無かったので、
大阪は、とても遠かったように覚えています。
観光バスも多く止まっていて、何かの屋台?だったかなぁ?
駐車場には、食べ物のにおいが広がっていた記憶があります。
トイレも陶器ではなく今は、殆ど見かけないセメントのトイレでした。
どうでもいい事なのに意外と覚えているもんだなぁ~と自分の記憶に感心します(*´ω`*)
仕事で覚えておかないといけない事は、忘れてしまう事もあるけどね(笑)
https://goo.gl/maps/iaKTA87GtUutweYb8

あと由良町には、2つドライブインがあって、
両方とも由良のドライブイン?と呼んでいましたが正式名称は知りません(^^ゞ
1つ目の場所は、和歌山方面に走り由良トンネルを越えて、次の里トンネルを抜けた左側にありました。
ここは、立ち寄った記憶が無いのですが…
今は、建物が取り壊されましたが、少し前まで廃墟感がプンプンしていました。
https://goo.gl/maps/z5buJ3zydvKGFkVf7

2つ目は、由良町の水越峠のカーブ途中にあり
今は、太陽光発電が並んでいますが、ここも由良のドライブインと呼んでいました。
https://goo.gl/maps/YB9NpDiHz7xWepte6

他にもドライブインは、ありましたが、
印南でトイレ休憩した次は「有田のドライブイン」でした。
ドライブイン当時の面影は、感じにくくなっていますが、建物の配置が何となく
当時の記憶と重なります。ここは、今も営業されています。
https://goo.gl/maps/QpYDB5eq84NbAwVY8
小学校の時、バスで和歌山市へ社会見学に行った際は、ここでトイレ休憩しました。
懐かしいなぁ~( *´艸`)当時は、和歌山市や大阪は、遠く感じたのですが、
バスに乗っている時は、ワクワク感でいっぱいでした。

そんな子供の頃、遠く感じていた和歌山や大阪ですが、
今は、車でなく原付バイクで走るんですからね(^^♪
原付バイクを走らせながらワクワク楽しんでいます。
車の方が便利で快適ですが、何だろう?50歳を過ぎた今でも
自分が、心から気持ちよく楽しめる。
そんな相棒の原付バイクに出会えて私は、幸せ者です。

大きなバイクも良いと思いますが、小さなバイクで私を色んな所へ連れて行ってくれる
原付バイクが私には合っています。もちろん私のお財布にも合っていますからね(^^ゞ

最後に原付バイクと全く関係ありませんが、西部警察オープニングのイントロを聞くだけで、
おじさんの私は、鳥肌が立ってしまいます。
子供の頃、西部警察をテレビを見ていたなぁ!(^^)!
西部警察 PARTⅠセレクション 大門BOX 1 予告編
https://www.youtube.com/watch?v=_g9r6__YQbA

次回は、京都へ行った事をお伝えしたいと思います(^_-)-☆