どすこい山根康民日記

道路交通に関する事を中心に紹介しています。

有田川町二川地区にある故小西巡査部長の殉職碑を訪ねる

2023-10-29 00:01:38 | 日記

10/28、昨日は、夕方から雨が降っていましたが、
今日は、とても良い天気です(^^♪
国道42号 日高町萩原交差点付近から白浜方面(南進)を望む

同 和歌山方面(北進)を望む

日高町萩原交差点近くの温度表示は20℃
バイクだと風は少しヒンヤリと感じますが、
車の中だとポカポカ陽気だと思います( *´艸`)

有田川町内の国道480号沿いで🍊ミカンの段々畑を望む

途中、道沿いの無人販売には、ミカンが販売されていました。

私は、ミカンの種類はあまりよく分からないのですが、
これは何になるのかなぁ?温州ミカン?((+_+))

国道480号を有田川沿いに走ると有田川町二川地区に到着
橋を渡って対岸の高台にある安楽寺を目指します。

安楽寺

振り返ると眼下に二川地区が見えます。

有田川沿いに二川の集落があります

安楽寺の近くにある城山神社方面に進みます

城山神社への参道を進みます

城山神社の参道沿いに故小西巡査部長の殉職碑があります。
同町楠本地区にある殉職碑は何度か訪れていますが、
二川地区にある殉職碑は初めて訪れます。
https://www.town.aridagawa.lg.jp/material/files/group/9/konishi.pdf
⇧広報ありだがわ 2018年8月号
記録によると大正12年(1923年)5月10日、
二川地区の地元有志によって建立とあります。
詳しくは、上記サイトをご覧頂ければと思います。

故小西巡査部長 殉職碑

近づいて見ます
故巡査部長小西榮次郎殉職碑 とあります。
左側には 和歌山縣知事正四位勲二等ノ〇新〇〇 とあります。
〇は苔(コケ)等のため判読できませんでした。

裏側に回って見ます

大正十一年〇〇音お葬〇〇
同十二年五月十日建之
〇は判読できませんでした。

城山神社の参道にある故小西巡査部長の殉職碑を訪ねました。
文字が判読出来なかった所もありますが、
今もこの高台から二川の町を見守っているように思えました。

この後、有田川町と紀美野町に広がる生石高原(おいしこうげん)に行きましたが、
駐車場に入れない車が道路に延びて渋滞していました(>_<)
この時季、生石高原はススキが見頃とあって遠方からも観光客が訪れます。

今回、無理して見に行かなくても前に見ているので、
諦めて帰路に就きましたが、
こうしてブラっと相棒(原付バイク)と走るのも楽しいものです。
ただ、これから寒くなってくると少し辛さも感じますが、
そろそろ相棒の冬支度もしないと…と考えています(^_^)/

白浜街道踏切近くの側溝の🍂落ち葉拾い

2023-10-28 23:28:59 | 日記
10/28、昼間は暖かく感じますが、朝晩はずいぶん冷え込み
秋を感じるようになりましたが、この時季になると落ち葉が増えてきますが、
実は、困った事もありまして💦

白浜街道踏切近くの側溝ですが、⇧排水穴が小さいため詰まりやすく、
ここにゴミや落ち葉が詰まると、雨水が道路上に流れ出し、
その雨水を車が跳ね上げて、自転車等の通行者に掛かってしまいます。

なるべく雨水が側溝を流れるように、気付いた時だけですが💦
白浜街道踏切近くの側溝の掃除をしています。

上手から落ち葉を集めている所です。
すぐに落ち葉が溜まりますが(*_*;
まぁ、こんな所は沢山ありますが、自分の出来る範囲だけやっています(^^ゞ

🍂落ち葉を大まかにですが、除去しました。

これで雨水が流れやすくなると思います(^^)/

場所:白浜町堅田 白浜街道踏切近く
https://maps.app.goo.gl/7Jy2qD5c3PfGg21G7

52年ぶり秋季近畿高校野球大会へ出場した田辺高校の応援へ

2023-10-24 11:34:29 | 日記

https://www.agara.co.jp/article/316468
⇧52年ぶり出場の田辺惜敗 秋季高校野球近畿大会、延長でサヨナラ
紀伊民報 2023年10月23日

10/22(日)午前9時からの第一試合 田辺高校 対 京都国際高校を見るため
大阪市此花区舞洲にある大阪シティ信用金庫スタジアムに車で出かけました。
いつもなら原付バイクなのですが…(笑)
最初に感想を述べさせて頂きますが、本当に素晴らしい試合でした。
観戦しながら私も大きな声を出して応援していました。

田辺高校は、私の母校ではありませんが、52年ぶりの近畿大会出場という事で
私の年齢と近い事もあり💦💦観戦に出掛けましたが、
こんなに素晴らしい試合展開になるとは、思いもしませんでした。
試合終了後、スタジアムからは両校の健闘を称える大きな👏拍手が送られました。

最初、駐車場があるかなぁ~と心配していましたが、
7時31分入庫と早めに到着したのも良かったのかも知れないです。

大阪シティ信用金庫スタジアムは、初めて来ました。
https://maps.app.goo.gl/6mrU48RrVC6aFtjC8
⇧大阪シティ信用金庫スタジアム場所

大阪シティ信用金庫スタジアム





舞洲スポーツアイランド総合案内図





本日(10/22)の対戦カードが掲示されています。

大人(一般)入場券 1,000円を購入
係員さんが半券を取ります。

階段を上ってスタジアムへ

広々としたグランドですが、まだ選手の姿は見えません

午前8時前、スコアボードに本日の対戦カードが表示されています

午前8時過ぎ、試合前の練習時間に3塁側で田辺高校がウォーミングアップをしています

お客さんも少しずつ増えてきました

私は、バックネット裏で観戦する事にしました

3塁側田辺高校応援スタンド

午前8時30分過ぎ 田辺高校が先攻の表示が見えます。
スコアボードのランプが点灯しています。
全部点灯すると7つありますが、これはグランドで練習している選手に対して
7つ点灯していると7分という意味で、
1つずつカウントダウンしていき、
現在は「練習時間があと3分です」という意味だそうです。
私も知らなかったのですが、野球に詳しい方に教えてもらいました(*´ω`*)

田辺高校がノック練習をしています



午前8時50分前、試合開始が迫って来ました
出場選手の名前が出ています

グランド整備がされています

1回表、田辺高校が1点先制点を取り、その裏、京都国際高校の攻撃

午前10時30分頃、田辺高校が2対1でリードした8回裏、京都国際高校の攻撃

本当に劇的な試合でした。
9回を同点で終え迎えた10回裏、京都国際高校に1点を取られ試合終了



選手の皆さん本当に素晴らしい試合をありがとうございました。
上手く言えませんが、この時、目頭が熱くなっていました。
スタジアムから大きな拍手が両校選手に送られました。

朝、最初に来た時、このスロープに順番に並んでチケットを購入しましたが、
試合後も気持ちの高ぶりというか、感動をありがとうございました。

応援されていた生徒の皆様、保護者、関係者の皆さま、本当におつかれさまでした(^^♪

応援団の声援やブラスバンドの演奏は、とても素晴らしかったです✨✨

今回、大活躍の田辺高校野球部の皆様
本当におつかれさまでした。そして、ありがとうございました。

バスに乗り込む選手の皆さんを見送りました。

今回の試合を観戦して、何とも言えない胸が熱くなる思いでした。
今も思い出しながらブログを書いていますが、本当に素晴らしかったです。
こんなに感動するとは思いませんでした。

何だか同じ事ばかり書いて申し訳ありませんが(^^ゞ
私にとっては、とても充実した時間を過ごす事が出来ました。
今回は、相棒(原付バイク)はお留守番でしたが、
感動を探しに?一緒に走ろうね!(^^♪
ここまでお読み頂き、ありがとうございました( *´艸`)

黒部ダムへ原付き旅 について 紀伊民報 読者の欄に掲載されました

2023-10-20 19:48:42 | 日記

紀伊民報2023年(令和5年)10月21日付 読者の欄
黒部ダムへ原付き旅 全体


黒部ダムへ原付き旅 8-1

黒部ダムへ原付き旅 8-2

黒部ダムへ原付き旅 8-3

黒部ダムへ原付き旅 8-4

黒部ダムへ原付き旅 8-5

黒部ダムへ原付き旅 8-6

黒部ダムへ原付き旅 8-7

黒部ダムへ原付き旅 8-8


黒部ダムへ原付き旅 白浜町 山根康民(会社員・53歳)

9月1日、富山県にある黒部ダムを見るため原付きバイクで訪ねました。
1963(昭和38)年に完成し、今年が完成60周年。
世紀の大工事ともいわれ、当時の人々に大きな影響を与えたとされている。

私が子どもの頃、祖父が黒部ダム建設について、
大町(現:関電)トンネルの難工事や、
旧大塔村の殿山ダム建設で採用された
アーチ式ダムの技術が使われたことなどを
分かりやすい言葉で教えてくれました。

その後、NHK総合のテレビ番組
「プロジェクトX挑戦者たち」でダム建設の模様が紹介され、
祖父の話を思い出して感動したことを覚えています。

当日は、長野県大町市の扇沢駅から電気バスに乗り、
破砕帯区間を見て黒部ダム駅に到着。
220段の階段を上って展望台からダムを見た時、
「おじいちゃん、やっと来たよ」という思いでした。

その後、宿泊地である長野県飯田市へ走り翌朝、
南木曽町にある中山道の宿場町「妻籠宿(つまごじゅく)」へ寄りました。
住民は今もここで実際に暮らしながら、
江戸時代の町並みという貴重な「財産」を保全し、
後世に伝えているとのことです。
当時のままのたたずまいを見て、
旅人はここで長旅の疲れを癒やし、
旅先の情報を交換したのだろうと想像しました。

最後に岐阜県八百津町にある
杉原千畝(ちうね)記念館を訪ねました。
県民の友8月号に名前が載っていましたが、
第2次世界大戦という特殊な時代背景の中、
「命のビザ」を発給し、
多くのユダヤ人を救った外交官として知られています。

記念館で資料を見ながら千畝の名前の由来を知り、
「名は体を表すものだ」と思えてきました。
千畝の「畝(うね)」とは、畑の細長く土を盛り上げた部分を表し、
八百津の段々畑から命名されたといわれています。
今回の旅では、それぞれの訪問先でさまざまな思いをはせる旅となりました。


https://www.kurobe-dam.com/
黒部ダムオフィシャルサイト

https://www.youtube.com/watch?v=elxSu18OtWs
動画:くろよん(黒部ダム)ーその手に未来をー|関西電力

https://tsumago.jp/
妻籠宿公式サイト

https://www.town.yaotsu.lg.jp/sugihara-museum/
杉原千畝記念館 八百津町