

紀伊民報2025年(令和7年)4月5日付 読者の欄
沖縄本島原付き旅

沖縄本島原付き旅 4-1

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沖縄本島原付き旅 4-4
沖縄本島原付き旅 白浜町 山根康民(会社員・55歳)

1月19日、20日と1泊2日で
初めて沖縄本島に行って来ました。

初日は那覇市で原付きバイクをレンタルして糸満市にある、
ひめゆりの塔へ向かいました。

慰霊碑の前で手を合わせ敷地内にある、
ひめゆり平和祈念資料館へ入館すると、
当時の資料や写真、証言映像がありました。

映像では沖縄戦を生き残った、
ひめゆりの生徒だった高齢女性が、
穏やかな口調で当時の状況を語っていました。
当時まだ10代後半の女子生徒にとって戦場の惨禍は、
あまりにも過酷でした。

目の前で学友が傷つき「助けて」という悲鳴、
ぐったりと息を引き取る友達。
途中、当時の米軍が撮影した映像が流れるのですが、
塹壕(ざんごう)に爆弾が投げ込まれ数秒で白煙が上がり、
そこから出て斜面を転がり落ちていく多数の遺体。
想像を絶する状況を見て、あまりにもつらくて涙が流れました。

映像を見ていると「じゅうだん(銃弾)ってなあに」と
6歳くらいの女の子が隣に座るおばあちゃんに質問していました。

映像の最後に体験者の高齢女性が
「戦争を知らない人に少しでも分かってもらえたら、その思いです」と話され、
戦後80年になろうとしている今、語り継ぐことの大切さを感じました。

沖縄旅行では、ひめゆりの塔から国道331号を走り、
うるま市の海中道路から平安座島、伊計島を巡り、
翌日は青空の下、金武町のKINサンライズビーチ、
名護市辺野古キャンプ・シュワブ、
古宇利島、嘉手納基地に沿って長いフェンスが続く
国道58号を原付きバイクで走ってきました。

観光地としてにぎわう沖縄ですが、
太平洋戦争末期の沖縄戦では、
住民を巻き込んだ激しい地上戦で20万人を超える人が亡くなり、
県民の4人に1人が命を落としました。

これからも現地を訪ね、
自分なりに平和について考えてみたいと思います。
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