艦長日誌 補足(仮) 

タイトルは仮。そのときに思ったことを飲みながら書いたブログです。

宇宙暦 2001.4.8

2007年04月08日 23時39分55秒 | 個人日誌
 何年前のことだったかな…。

 北海道の短い真夏の蘭島か美国の海で、J郎さんと阿部と俺と(あと誰かいたかな?)。そんなメンバーで夕方に泳いだ。
 快晴で夏らしい天気で風もなかったけど、波がとてつもなく高くて皆して「楽し~い!」言いながら泳いだ。
 高波にさらわれて海面に顔を出すとJ郎さんが「阿部くんがいない!」姿が見えない。キョロキョロあたりを見回すと阿部くんは遥か遠方まで波に流されていて、みんなして大笑い。
 卒業後のよね3が企画した合宿だったかな。記憶が定かではない。

 楽しかった思い出で、今もたまに思い出す。

 6年前の日記を読んでいて、あの頃なにをしていたのか振り返ってみた。上記の話はそこにはなかったから、もっと以前の出来事なんだろう。

 「2001年4月8日 日曜日 起きたら夕方。外には出ない。ヒマなのでドラクエしてのむ。夜、J郎さんからでんわきて昨日はおつかれと話す。」

 六年前、僕は25歳。J郎さん29歳。一体「昨日」なにしてたのか。なにが「おつかれ」なのか。

 「2001年4月6日 金曜日 14:00 ○TV(バイトしていたテレビ局)。今週から金曜はよさこいがあるので屋上。天気はいいけど風は強い。前々からの予定で3丁目班でのむことになっていたので、AさんとBとタクシーで平岸の魚民へ。C、D、Eと合流。あとからFさん来る。20:30~1:30くらいまで。4000円。このあとどうしようってなったけど、一人で歩いて帰る。久々。二時間ちょっとで家に着く。」
 「2001年4月7日 土曜日 昼に起きるが、サッカー観ていて、またねてしまう。20:00 F45の唯我独尊へ。よね3、J郎さん、他の人たちと合コン。二次会、大馬鹿。そのご、よね3、J郎さんとのみに行く。合コンよりもこの二人とのむほうがたのしいし、それを期待していた。4時頃、店を出てよね3とタクシー。払ってもらっちゃた。」

 つまり、J郎さんとの「おつかれ」と話した電話は「合コンおつかれ。」だったんですね。どんな女の子とどんな飲み会だったのか、勿論憶えていない。きっとよね3とJ郎さんも憶えていないだろう。
 この三人で合コン行くなんて珍しい。UMEさんはいなかったんだろうか?その時は札幌じゃあありませんでしたっけ?

 (文中、人物の名前が「Aさん」とか「B」になっているのは当時の仕事仲間のかたがたです。文章は原文のまま。なぜかひらがなで書いている部分が多い。)

 そのうちこのバイト時代についても書きたいな。まぁ他人の過去なんて誰もがあまり興味ないかもしれないけど、いいんだ。このブログは読んでいただける人は限られていて、楽しいかどうかは読んでる人の判断で、書くのは自己満足だから。

 当時こんな簡単な日記を毎日書いていた。飲んでつぶれた日や出張で書けない日なんかには2、3日分まとめて書くことあったが、内容は「誰々に会った」とか「誰々と飲んだ」くらいのもの。
 手帳に手書きだから、ベロンベロンになって書いているときのものは判読できないものも多い。

 「2001年4月9日 月曜日 14:00 ○TV。とても暖かい日。4月とは思えない。家でのもうとしたとき、おざけんからでんわくる。最近よくかかってくる。(中略) ○○○○○にメールしたらGWにこっち来るので、会おうとのこと。今からたのしみ。」

 悔しいけど!悔しいけど、疲れてる。意地っ張りだからそんなこと言いたくないし、だったら言わなければいいんだけどさ。だからこそ過去の楽しかったこと思い出すのかな。

 過去はもう過ぎ去った出来事で変わりないものだけど、未来は過去に影響をあたえる。今これから何するか、どうするかったことは過去をも変える。
 昔昔にね、「警官になりたい」と言っていた人間が本当に将来、その夢を叶えたらその過去は「志を成したすごいやつ」。成れなくてもそれもひとつの選択で正しい悪いはないが、夢は夢で終わったら「大きな口たたいていたやつ」。極端な例だけど。
 
 大口たたいて、みんな反対したのに、帰ればいいのにという忠告を無視してやってきた。もう少しだけ粘ってみっか。
 (昨日ダーキシくんから電話がきたときにも話したけど、こういうこと書くと次の日起きたときに「あんなこと書かなきゃあよかった…恥かしい。」ってなるんだぜ。明日もきっとそうだ。でも酔ったときに書きたいこと書くために始めたブログだから、それもある程度は覚悟の上だ。)

 ここんところ、ネタに乏しい感があるので昔話を書くこと多くなるかもしれません。名前を出されたくないかた、いっらしゃいましたらお手数ですが早めにご連絡ください。