春ってやつはよ~。
ポカポカ暖かくなってきたなーと思わせといて、ある日いきなり寒い朝で冬に逆戻りしてみたり、桜咲いた「キレ~イ」と眺めたそばからあっという間にハラハラ散りだして、落ち着かない季節。
はっきりしろよ!オマエはあれか!
いや、別になんかあったわけじゃあないよ。なんとなく春という季節にあたってみました。
いつのまにかプロ野球が開幕してましたね。ここんとこニュースもあまり見てない。
(世の中の情報は仕事中の車の中でラジオで聴く。うえやなぎまさひことか人生相談とか、高田文夫のビバリー昼ズとかテリー伊藤のってけラジオとか)
毎年この時期になると「今年のペナントレースはどうなるのか?」とわくわく…あまりしません。
野球は好きなんですが、テレビで中継をじっとは観てられないんです。観るのは飽きる。
あまり話したことないかもしれませんが、中学生の三年間野球部に在籍していました。
それまで野球なんてやったことなかったけど、ただやってみたかったんだよね。
当時の俺はなんにでも興味があって(今とは別人)、おもしろそうと思えばなんでもやった。たいしてうまくもないスキーは毎シーズン何回も親に連れて行ってもらって、一人でずっと朝から滑っていた。(今はやる前からなんでも諦める、うまくできないとかっこわるいとか思われてしまうのが怖くて。かっこわるい。)
野球なんてルールもよくわかってなかったけど、なんとかなるだろうと思って入部したのは大間違い。(当時も今も物事を深く考えないのは同じ)
練習についていくのが精一杯で、筋トレなんかは辛過ぎて、家に帰っても晩ご飯食べれないくらい気持ち悪かった。
体も当時は今みたいに大きくなくて、周りの先輩はすごく大人に見えた。センターからバックホームまで一直線に返球したりするのを見て驚いたり、どうしてあんな球が打てるのかびっくりしたり。
朝7時から夕方まで球を追って走り回ったあとに、校庭30週したりするのについていくのがやっと。でもとりあえずついていった。
野球未経験の同級生はたくさんいた。辛くて辞めていった人間もいたし、下手なりに喰らいついていくひともいた。
「それが捕れないと使わないぞ!」練習中のノックで監督にさんざん言われたなー。外野を守っていた僕は「そんなん捕れっこないよ…」ってボールを追っかけて走り回った。悔しかったな。
体が細くて足も遅い僕にできることは数少ない。
一年生の時にはただただ練習。手を骨折してギブス巻いてても参加。ボール拾いならできるし、トスの相手もできるし、グランド整備もできるし、声を出すこともできるし、左手を使わなければいいのだから走ることも、筋トレもできる。下手だったけど休まない。
人数が少なかったこともあって三年生の抜けた二年生の夏頃から試合に出してもらえるようになった。
やたらめったらでも努力の甲斐あって、そこそこ守備はできるようになった。ところがバッティングはからっきしダメ。
あまりに打てないので、すぐに代打が送られるようになった。代打交代ということは、即ちその試合にはもう出場できない。そうなるとやれることは少ないが、サードコーチャーのボックスに入ってただ声を出す。
ランナー一塁で打順が回ってきて、俺の打順で代打が告げられないとき。監督のサインはだいたいが送りバント。未だにそのバントのサインを憶えている。それでも送りバントを失敗した記憶はないな。俺得意の「失敗はすぐ忘れる」ってものかもしれないが。
俺の代打に送られるのは、身長が当時で180もあって体重も相撲部並みの同級生。お互いに野球未経験だったので仲が良かった。当たれば長打、そうじゃあなければ三振ってタイプのバッター。
ムードメーカー的存在だった彼は、ある日の練習試合でノースリーのカウントから監督の「一球待て。(四球待ち)」のサインを無視して、大振りを繰り返して三振した。
ベンチに戻ってきて、どうして打ちにいったんだ!と怒鳴る監督に「え!?一発狙っていけ!ってサインだと思いまして…」と大きな体を小さくさせて答えた。これにはみんな大笑い。監督も苦笑いしてしょうがねぇ~な~と言った。
(この監督が野球部の顧問になってからは中体連では一回戦負けの常連だったチームが、翌年には札幌市で優勝するまでになった)
その試合のあと思った。「指示に忠実にプレーして、下手なりに真面目にやっても俺は評価されない。あいつのキャラなら笑って許されるのに。なんか俺だけ損してる」って。
でもやっぱそのあとすぐ思ったんだけど、「真面目にやってるのに」なんていいわけなんだよな。真面目にやるのが当たり前とかじゃあなくて。「真面目にやっててなにが悪いんですか」なんて子供のいいわけだ。
真面目に物事に取り組むなんてことは、すごいことでもなんでもなくて、むしろ評価の判断基準にすらならないもので、結果がすべてだ。どんな過程を経るにしろ結果を残さなければ、全て意味はない。
とは感じながら、過程を端折れば結果は出ない。過程を突き詰めれば結果が伴うとは限らない。やるだけのことはやったんだから後悔はないなんて思えるのかな。自分なりに努力して(自分なりに努力って変な言葉だな)、結果が期待に沿わないものでも本当に後悔しないものなのだろうか。
あのときこうすれば…これをしていれば…とか。正解はないけど、正解の道はどこかの時点にあったんじゃあないか?気がつかなかっただけで。気がつかなかったことに気がついて、時すでに遅いと知ったとき本当に悔いはないのか。
そんな相反することを考える。
春ってやつは曖昧な季節で、だからこんなこと思い出したのかな。どっちも正しい気もするし、どっちも間違ってる。どっちが正しいという答えはない。
別に悟りを啓くつもりはないが、季節が巡っていく間に少しは成長するのかな。 あの頃とたいして俺は変わりがないぞ。ただボールを追っかけていたあの頃と。
なんか今はただキャッチボールでもしたい気分だ。
ポカポカ暖かくなってきたなーと思わせといて、ある日いきなり寒い朝で冬に逆戻りしてみたり、桜咲いた「キレ~イ」と眺めたそばからあっという間にハラハラ散りだして、落ち着かない季節。
はっきりしろよ!オマエはあれか!
いや、別になんかあったわけじゃあないよ。なんとなく春という季節にあたってみました。
いつのまにかプロ野球が開幕してましたね。ここんとこニュースもあまり見てない。
(世の中の情報は仕事中の車の中でラジオで聴く。うえやなぎまさひことか人生相談とか、高田文夫のビバリー昼ズとかテリー伊藤のってけラジオとか)
毎年この時期になると「今年のペナントレースはどうなるのか?」とわくわく…あまりしません。
野球は好きなんですが、テレビで中継をじっとは観てられないんです。観るのは飽きる。
あまり話したことないかもしれませんが、中学生の三年間野球部に在籍していました。
それまで野球なんてやったことなかったけど、ただやってみたかったんだよね。
当時の俺はなんにでも興味があって(今とは別人)、おもしろそうと思えばなんでもやった。たいしてうまくもないスキーは毎シーズン何回も親に連れて行ってもらって、一人でずっと朝から滑っていた。(今はやる前からなんでも諦める、うまくできないとかっこわるいとか思われてしまうのが怖くて。かっこわるい。)
野球なんてルールもよくわかってなかったけど、なんとかなるだろうと思って入部したのは大間違い。(当時も今も物事を深く考えないのは同じ)
練習についていくのが精一杯で、筋トレなんかは辛過ぎて、家に帰っても晩ご飯食べれないくらい気持ち悪かった。
体も当時は今みたいに大きくなくて、周りの先輩はすごく大人に見えた。センターからバックホームまで一直線に返球したりするのを見て驚いたり、どうしてあんな球が打てるのかびっくりしたり。
朝7時から夕方まで球を追って走り回ったあとに、校庭30週したりするのについていくのがやっと。でもとりあえずついていった。
野球未経験の同級生はたくさんいた。辛くて辞めていった人間もいたし、下手なりに喰らいついていくひともいた。
「それが捕れないと使わないぞ!」練習中のノックで監督にさんざん言われたなー。外野を守っていた僕は「そんなん捕れっこないよ…」ってボールを追っかけて走り回った。悔しかったな。
体が細くて足も遅い僕にできることは数少ない。
一年生の時にはただただ練習。手を骨折してギブス巻いてても参加。ボール拾いならできるし、トスの相手もできるし、グランド整備もできるし、声を出すこともできるし、左手を使わなければいいのだから走ることも、筋トレもできる。下手だったけど休まない。
人数が少なかったこともあって三年生の抜けた二年生の夏頃から試合に出してもらえるようになった。
やたらめったらでも努力の甲斐あって、そこそこ守備はできるようになった。ところがバッティングはからっきしダメ。
あまりに打てないので、すぐに代打が送られるようになった。代打交代ということは、即ちその試合にはもう出場できない。そうなるとやれることは少ないが、サードコーチャーのボックスに入ってただ声を出す。
ランナー一塁で打順が回ってきて、俺の打順で代打が告げられないとき。監督のサインはだいたいが送りバント。未だにそのバントのサインを憶えている。それでも送りバントを失敗した記憶はないな。俺得意の「失敗はすぐ忘れる」ってものかもしれないが。
俺の代打に送られるのは、身長が当時で180もあって体重も相撲部並みの同級生。お互いに野球未経験だったので仲が良かった。当たれば長打、そうじゃあなければ三振ってタイプのバッター。
ムードメーカー的存在だった彼は、ある日の練習試合でノースリーのカウントから監督の「一球待て。(四球待ち)」のサインを無視して、大振りを繰り返して三振した。
ベンチに戻ってきて、どうして打ちにいったんだ!と怒鳴る監督に「え!?一発狙っていけ!ってサインだと思いまして…」と大きな体を小さくさせて答えた。これにはみんな大笑い。監督も苦笑いしてしょうがねぇ~な~と言った。
(この監督が野球部の顧問になってからは中体連では一回戦負けの常連だったチームが、翌年には札幌市で優勝するまでになった)
その試合のあと思った。「指示に忠実にプレーして、下手なりに真面目にやっても俺は評価されない。あいつのキャラなら笑って許されるのに。なんか俺だけ損してる」って。
でもやっぱそのあとすぐ思ったんだけど、「真面目にやってるのに」なんていいわけなんだよな。真面目にやるのが当たり前とかじゃあなくて。「真面目にやっててなにが悪いんですか」なんて子供のいいわけだ。
真面目に物事に取り組むなんてことは、すごいことでもなんでもなくて、むしろ評価の判断基準にすらならないもので、結果がすべてだ。どんな過程を経るにしろ結果を残さなければ、全て意味はない。
とは感じながら、過程を端折れば結果は出ない。過程を突き詰めれば結果が伴うとは限らない。やるだけのことはやったんだから後悔はないなんて思えるのかな。自分なりに努力して(自分なりに努力って変な言葉だな)、結果が期待に沿わないものでも本当に後悔しないものなのだろうか。
あのときこうすれば…これをしていれば…とか。正解はないけど、正解の道はどこかの時点にあったんじゃあないか?気がつかなかっただけで。気がつかなかったことに気がついて、時すでに遅いと知ったとき本当に悔いはないのか。
そんな相反することを考える。
春ってやつは曖昧な季節で、だからこんなこと思い出したのかな。どっちも正しい気もするし、どっちも間違ってる。どっちが正しいという答えはない。
別に悟りを啓くつもりはないが、季節が巡っていく間に少しは成長するのかな。 あの頃とたいして俺は変わりがないぞ。ただボールを追っかけていたあの頃と。
なんか今はただキャッチボールでもしたい気分だ。