平成20年4月1日(火)
わが街荒尾は人口6万弱です。熊本県の最北端に位置しすぐ北隣は福岡県の大牟田市です。以前は大牟田の市電が県境まで来ていて、この四ツ山県境は市の一番の繁華街でした。
この建物界隈はもう大牟田市です。終戦直後は闇市場で賑わっていました。闇市場がなくなってからもバラックの商店街がひしめき、盆正月には買い物客でごった返したものです。その片鱗も今は全くありません。
大型集合商業施設が市の中央部に出来て、客足がそちらの方へ流れてしまったことが衰退の原因のようです。

振り返ったこちら側が荒尾市です。市営バスの終点になっていました。市営バスはなくなり、民間のバス会社が後を引き継いでいます。
左側には「大天地」「第二大天地」と言う2軒の映画館が競い合い、閉鎖後はパチンコ店になりましたが、そのパチンコ店も閉店してしまいました。

県境の地点から東側を眺めると、この通りの左側にも「新世界」と言う映画館がありました。いずれも盆正月には立ち見の客で溢れかえっていました。その後この少し先にスーパーのダイエーの進出があり、一時は集客があり、賑わいを呈していましたが次第に客も疎らになり、撤退して一挙に淋しくなってしまいました。
昼間というのに歩く人影さえ見かけません。

JR荒尾駅です。駅舎はほとんど昔のままです。駅の手前がバス停になっています。西鉄バスと産交バスが乗り入れています。

大正町です。以前は大正区と言ってここも繁華街の中心地でした。通りには銀行や郵便局がありますが往年の賑わいはありません。下校の小学生の声がわずかに活気を感じさせます。

この子たちが大きくなった頃再びこの通りに活気が戻ってくるでしょうか。

次回は今の賑わいのある地区を紹介します。4月のポストカードです。これから一年、芭蕉の俳句を掲げることにします。


わが街荒尾は人口6万弱です。熊本県の最北端に位置しすぐ北隣は福岡県の大牟田市です。以前は大牟田の市電が県境まで来ていて、この四ツ山県境は市の一番の繁華街でした。
この建物界隈はもう大牟田市です。終戦直後は闇市場で賑わっていました。闇市場がなくなってからもバラックの商店街がひしめき、盆正月には買い物客でごった返したものです。その片鱗も今は全くありません。
大型集合商業施設が市の中央部に出来て、客足がそちらの方へ流れてしまったことが衰退の原因のようです。

振り返ったこちら側が荒尾市です。市営バスの終点になっていました。市営バスはなくなり、民間のバス会社が後を引き継いでいます。
左側には「大天地」「第二大天地」と言う2軒の映画館が競い合い、閉鎖後はパチンコ店になりましたが、そのパチンコ店も閉店してしまいました。

県境の地点から東側を眺めると、この通りの左側にも「新世界」と言う映画館がありました。いずれも盆正月には立ち見の客で溢れかえっていました。その後この少し先にスーパーのダイエーの進出があり、一時は集客があり、賑わいを呈していましたが次第に客も疎らになり、撤退して一挙に淋しくなってしまいました。
昼間というのに歩く人影さえ見かけません。

JR荒尾駅です。駅舎はほとんど昔のままです。駅の手前がバス停になっています。西鉄バスと産交バスが乗り入れています。

大正町です。以前は大正区と言ってここも繁華街の中心地でした。通りには銀行や郵便局がありますが往年の賑わいはありません。下校の小学生の声がわずかに活気を感じさせます。

この子たちが大きくなった頃再びこの通りに活気が戻ってくるでしょうか。

次回は今の賑わいのある地区を紹介します。4月のポストカードです。これから一年、芭蕉の俳句を掲げることにします。

おじいちゃんやおばあちゃんから聞くと
今の私たちからすれば
「本当に?」と信じられないほど
荒尾・大牟田は栄えていたそうですね
景気の良い時代は
若い人たちが元気に溢れ
「我が町」のために
自分の仕事だけでなく汗を流していたそうですが
現在の不況の世の中では
自分の会社を存続させることに精一杯なのが
現状ではないでしょうか・・・
しかし!
落ち込んでばかりもいられません
私も地元青年会議所でがんばってますよ~
寂しいものですね!!
通ってるお子さん方が大きくなってもう一度盛り返してもらいたいものですね??
この辺も小さな商店は大型集合専門店にお客は取られて。。本当に地元の昔の人を相手にしてるお店もあります。。
ふっとそのような所に入ると懐かしいようなものが見つかるんですよ。。
荒尾の町がもっと元気になることを願っています。。
どんこさん頑張らんばよ!!
違ったように見えてしまいます。
昔賑わった商店街。
通るたびに、本当に寂しくなりましたね。
荒尾もそうですが、お隣のO市はもっとさびしいですね!
デパートのあった辺り、シャッターの閉まったお店ばかりでした。
写真は真実を映し出す。
普段気付かずに過ぎ去っている時間の流れさえ
気付かせてくれる力がありますね。
川を横切る鯉のぼりと桜をみて駅に戻り、銭湯の前を歩いて海に行きました。
また荒尾駅から今度は大牟田で下りて早鐘眼鏡橋に行きましたよ。
こちらも衰退した石炭産業の町が近いため懐かしさを感じました。
あのぅ~ ポストカードが偶然同じです。
(写真はもっちろん月とすっぽんです)
もともとカードそのものが、どんこさんの真似をして
始めたものなんですが。。。。
なんか嬉しくなりました。。
たくさんの説明があった荒尾ですが、
一方ではこんな姿もあったんですねえ。
昔を知るどんこさんには少し寂しく映っているようですね。
私の地元や、時々訪れる田舎町にも
こういった姿が見受けられます。
時代の流れで、何ともし難いところがじれったいですね。
次回の栄えている所の記事、楽しみにしています。
荒尾の人の活気は今まで何度も紹介していただいていますので、
きっと凄いんでしょうね。
まさにそのとうりです。
これから芭蕉の句を配達してくださるとの事、楽しみにしています。
大型店ができると車の流れ、人の流れが全く変わってしまう。そして商店街があっという間に人が寂れてシャッター通りと化す。
何処でも同じような現象が見られます。
我が家の近くに大型店が出来まして、とても便利になりましたが、人の流れが一変しました。
隣が大牟田市、石炭がダイヤと呼ばれた当時は活況を呈したのでしょう。
次回が楽しみです。にぎやかな街。
世の習いとは言いますが、石炭から石油へエネルギー政策が転換されて一変しましたね。
企業の利潤に比べれば、一心不乱に働いていた人々の暮らしがさほど豊かになったという実感はなかったような気がします。それでも皆さん必死に頑張って、街には活気がありました。
最大の労働争議と言われた三池争議は人々を憎しみ合わせ、分断させるという大きな傷跡を残しました。こうした負のイメージを払拭させるのは若い人たちです。
青年会議所でがんばっておられるのですね。
現市長も若い頃はそこで活躍されいましたよ。
若い方々の熱意とご活躍を期待しています。
荒尾の街のような栄枯盛衰の状況は
全国至る所で見られる現象ですね。
個人経営の八百屋、酒屋、米屋、本屋、雑貨屋などがどんどん店じまいしを余儀なくされ、商店街のシャッターが降りている風景をあちこちで見ます。
もう、どんこのような年齢の者の出番はありません。
若い人たちに期待する以外に術はありません。
お上が格差社会を増長させる政策ばかりを推進するのですから先が思いやられます。
「純ちゃ~ん」と諸手を挙げて喜んでいたおばあちゃんたちが、その純ちゃんが蒔いた種で苦しめられているのですから皮肉なものです。
・・今いずこ、ですね。
水は低きへ流れます。止めようはありませんね。
「こくんどさん」も交通止めまでして賑わいを見せていましたが今はどうしてどうして・・・。
嘆き節は収まりませんが、嘆いてばかりいても始まりませんが。。。
「どぎゃかしてくれる」はずの県議さんは政務調査費の領収書金額で結論を持ち越したとか。どぎゃんもこぎゃんもならんですね。期待する方が馬鹿らしか!
O市のMデパート通りは栄えていただけに余計寂れている感じを強くします。忘年会時は帰りのタクシーが捕まらず往生したものです。飲み屋街も活気がありました。ああ、また嘆き節。