酔漢庵【ゑゐどれあん】~エロケンの酔いどれ日記~

へっぽこプログラマーのつれづれなる日記です。

啓蟄と桃始笑

2008-03-10 20:01:18 | 酔いどれ日記
 今の時期は、二十四節気では「啓蟄(けいちつ)」、七十二候では「桃始笑(ももはじめてわらう)」という時期にあたるようです。

 啓蟄(けいちつ)は春になっていろいろな虫たちが目覚めて地上へ這い出してくる季節で、桃始笑(ももはじめてわらう)は桃の花が咲き始める季節だそうです。

 2、3日前に雪が降っていたようだし、虫が這い出してくるのも、桃が咲き出すのはまだすこし先じゃないかなという気がします。ただ、一時期にくらべればかなり暖かくなってきたような気もします。これ以上雪が降ってこなければ、虫がはいだしたり、桃が咲き出してもおかしくないのかもしれません。


二十四節気と七十二候の参考書籍
大活字 季節を読み解く 暦ことば辞典

二十四節気と七十二候の参考サイト
西暦2008年(平成20年)カレンダー七十二候の説明(平成20年・2008年)

畑仕事の楽しみ日本古来の太陰太陽暦

エブリリトルシングの映画化について

2008-03-10 19:49:01 | 酔いどれ日記
 大村あつしさんの連作小説「エブリ リトル シング」が映画化されるようです。それを知って驚きました。こんなにはやく映画化されるとは思っていませんでした。

 映画化されると知って期待半分、不安半分といった感じです。期待している点も、不安に思っている点も、一言で言うと同じことになってしまいます。それは、原作の良さをどこまで残して映画にしてくれるのか、ということです。

 表現方法ということを考えたときに、小説の表現方法と映画の表現方法はまったく異なります。小説で読んでも違和感を感じないのに、同じことを映画で表現されると不自然に感じることがあります。同じことを表現しようとしても、小説のように文章で表現する場合と、映画のように映像で表現する場合には、それぞれに適した方法があるということなのでしょう。

 少し古い漫画やアニメの例で申し訳ないのですが、今までに読んでいつくかの小説のあとがきでそういうことが書かれていました。かなり前に読んだ作品ばかりなのではっきりと覚えていないのですが、だいたい、以下のようなことが書かれていたはずです。

 虹色の地獄は、クラッシャージョウを主人公にしたアニメ映画です。物語の最後でジョウがタロスにこれから先のスケジュールを確認する場面があります。映画ではスケジュールを確認するのにメモ帳を取り出してページをめくっているのですが、小説では「スケジュールはあいているかい?」「あいてませんね」といった感じでセリフのやりとりだけになっています。アニメの場合はページをめくることで画面に変化が出るのでそういう描写があったほうがいいが、小説の場合にそこまで書き込むと会話のテンポがくずれてまどろっこしくなるので書いていません。そういった感じで映画と小説の表現の違いを意識して小説を書きました、というようなことが、あとがきに書かれていました。

 漂流教室は、梅図かすおさんの原作の漫画を風見潤さんが小説化した作品です。この作品のあとがきに、原作者の梅図さんは小説化を担当するする人の条件として翻訳家の人という条件をつけたということが書かれていました。漫画を単純に文章にするのではなく、漫画に描かれていることを頭の中で小説にあった文章表現におきかえてほしいという狙いがあったのではないか、というようなことが書かれていたと思います。

 リーンの翼は、「聖戦士ダンバイン」というロボットアニメの舞台となったバイストンウェルという世界で繰り広げらるダンバインとは異なる物語です。作者の富野 由悠季さんは、ダンバインの監督をされている方です。ガンダムの監督としても有名ですよね。この作品のあとがきに、アニメの場合は、絵を見てもらえればすぐにわかってもらえることがが、文章の場合は細かく描写しないとわかってもらえない。また、単純に「三和土(たたき)」という言葉を使って説明したくても、「たたき」とだけ書かれてもわからない人がいるから、土間があって周りがこうなっていてと細かく描写しないとわかってもらえないというようなことが書いてありました。

 文章で表現する小説と映像で表現する映画では同じことを表現しようとした場合にそれぞれ適した表現方法があるということは、細かい部分まで原作に忠実に描こうとすると、映画としてみると面白みのない表現になる可能性があります。

 ストーリーのネタバレになるのであえて詳しくは書きませんが、「エブリリトルシング」の場合は、意外性を表現するために文章だからできるような表現を使っているところがあります。また、読者に対するメッセージが物語の中でストレートに語られています。中には物語の世界を飛び出して読者に直接語りかけているようなメッセージもあります。そういったメッセージを映画でそのまま表現したときに、観客がそれを素直に受け入れらるのかどうかも微妙な感じがします。

 多かれ少なかれ原作とは違ったストーリーになってしまうのはしかたがないと思っていますが、できるだけ原作の良さを残したまま、映画作品としても楽しめて感動できる内容になっていればいいなと思っています。