酔漢庵【ゑゐどれあん】~エロケンの酔いどれ日記~

へっぽこプログラマーのつれづれなる日記です。

八紘一宇(その1)

2015-07-11 23:22:40 | 読書
八紘一宇に関する本(「八紘一宇発言問題の考察 八紘一宇の本来の意味は『建国の理念』ではない」小林弘潤著  Kindleストア)を読んで、新たな気づきがあったので、現時点での八紘一宇に対する自分なりの解釈を記しておこうと思います。

細かい説明は次回以降にします。今回は、八紘一宇について理解するための資料を提示します。それは、日本書紀の神武天皇紀で神武天皇が戦った相手の名前の一覧と、即位建都の詔の全文の原文、書き下し文、現代語訳です。

それらを以下に記します。
即位建都の詔の全文の原文、書き下し文、現代語訳は、それぞれ異なる書籍やサイトから引用しているため、語句や文が一対一で対応していませんが全体の雰囲気はつかめると思います。

内容を理解する上でポイントになると思われる部分に下線を引いて強調しました。下線部だけを読んでもらえれば、エロケンがどういう解釈をしたのかわかってもらえると思います。

<神武天皇が戦った相手>
長髄彦(ながすねびこ)
丹敷戸畔(にしきとべ)
兄猾(えうかし)
磯城八十梟師(しきのやそたける)
赤銅八十梟師(あかがねのやそたける)
磯城津彦(しきつひこ)
兄磯城(えしき)
八十梟師(やそたける)
兄倉下(えくらじ)
弟倉下(おとくらじ)
新城戸畔(にいきとべ)
居勢祝(こせのはふり)
猪祝(いのはふり)
土蜘蛛(つちぐも)

<即位建都の詔の原文>
自我東征、於茲六年矣。頼以皇天之威、凶徒就戮。雖邊土未淸餘妖尚梗、而中洲之地無復風塵。誠宜恢廓皇都、規摹大壯。而今運屬屯蒙、民心朴素、巣棲穴住、習俗惟常。夫大人立制、義必隨時、苟有利民、何妨聖造。且當披拂山林、經營宮室、而恭臨寶位、以鎭元元。上則答乾靈授國之德、下則弘皇孫養正之心。然後、兼六合以開都、掩八紘而爲宇、不亦可乎。觀夫畝傍山畝傍山、此云宇禰縻夜摩東南橿原地者、蓋國之墺區乎、可治之。
(引用元:「日本書紀 巻第三 神武天皇紀:日本書紀、全文検索」 下線・強調引用者)

<即位建都の詔の書き下し文>
我(あれ)東に征きしより茲(ここ)に六年(むとせ)になりぬ。皇神(あまつかみ)の威(いきおい)を頼(かがふ)りて、凶徒(あたども)就戮(ころ)されぬ。辺土(ほとりのくに)未だ清(しずま)らず。余(のこりの)妖(わざわい)尚梗(なおこわ)しといへども、中州之地(なかつくに)また風塵(さわぎ)なし。誠によろしく皇都(みやこ)を恢廓(ひらきひろ)め、大壮(みあらか)を規(はかり)つくるべし。而(しか)して今、運屯蒙(ときわかくくらき)にあひ、民(おおみたから)の心(こころ)朴素(すなお)なり。巣にすみ穴にすむ習俗(しわざ)、これ常となれり。それ大人(ひじり)の制(のり)を立つ。義(ことわり)かならず時に随ふ。苟(いやし)くも民に利(かが)有らば、何ぞ聖(ひじり)の造(わざ)に妨(たが)はむ。また当(まさ)に山林を披(ひら)き沸(はら)ひ、宮室(おおみや)を経営(おさめつく)りて、恭(つつし)みて寶位(たかみくら)に臨み、以て元元(おおみたから)を鎮むべし。上(かみ)はすなはち乾霊(あまつかみ)の国を授けたまひし徳(みうつくしび)に答へ、下(しも)はすなはち皇孫(すめみま)正(ただしき)を養ひたまひし心(みこころ)を弘(ひろ)めむ。然して後に六合(くにのうち)をかねて以て都を開き、八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)と為(せ)むこと、また可(よ)からずや。かの畝傍山(うねびやま)の東南(たつみのすみ)の橿原(かしはら)の地(ところ)を観れば、蓋(けだ)し国の墺區(もなか)か。治(みやこつく)るべし。
(引用元:「橿原奠都の詔 - 西野神社 社務日誌」 下線・強調引用者)

<即位建都の詔の現代語訳>
私は、東征に出兵してから、ここに六年となった。その間に天神のご威光を受け、凶徒を誅滅した。辺境の地を見ると、いまだに鎮静しておらず、残りの賊徒がなお荒々しく頑強ではあるが、中央の大和国は騒ぎなく治まった。そこでここに都を拡張して、宮殿を建設することにする。察するに、今の世の運行は未開に属し、民の心も純朴である。ある者は巣に住み、穴に住んで、その土地の習わしが変わらずにある。そもそも、聖人は制度を立て、その道理は必ず時に従うものである。かりにも、民に利益があれば、聖の業にどのような妨げが起ころうか。そこで山林を伐り開き、宮殿を造営し、謹んで皇位につき、人民を治めなければならない。上は天神が国をお授けになられた御徳に答え、下は皇孫が正義を育成された御心を広めていこう。その後に、四方の国々を一つにして都を開き、天下を覆って家とすることは、はなはだ良いことではないか。見渡せば、あの畝傍山の東南の橿原の地は、思うに国の奥深い安住の地とみられる。そこに都を定めることにする。
(引用元:「日本書紀 全訳【上巻】」宮澤豊穂著 Kindleストア 下線・強調引用者)

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