2019年10月2日(水)晴れ 28.7~31.7℃
ラバトRabatーシャウエンChefChaouenーフェズFez
GPS記録 登坂累計高さ:4138m 最高標高:626m 移動距離:460.6Km 移動時間9時間34分
最高時速:103Km/h 停止時間:3時間
宿:Golden Tulip Tghat Fes Hotel
朝5時に起床し、6時半にスーツケースを廊下に出して朝食会場へ行きました。100%のオレンジジュースが旨かった。
今日はシャウエン観光が1時間半ある以外はずっとバスに乗っている予定です。昨日は空港からバスに乗る時、一番前の右側の席に座りましたが、今日以降は全員が公平になる様に添乗員が座席を指定することになりました。バスの左側の席の方が右側より席と席の間隔が長くなっているので足元が楽です。バスの前、中央、後部と左右を順に変えるそうで、その日の座席位置がバスのドアに張り出されます。今日は左の後部座席でした。運転手のマハルビさんはサバヒルヘイルと挨拶すると、ニッコリして「サバヒルヘイル」と言った後、日本語で「おはようございます」と挨拶してくれました。会話は出来ないけれど、日本の観光客のバスを何度もしているのか、簡単な挨拶の日本後は知っていました。
8時にラバトのホテルを出発して20分ほど走ると車窓にコルク樫の木が多く見られました。コルクはポルトガルが産地として有名ですが、地中海沿岸のスペインやモロッコアルジェリア、チェニジアでも採れるようです。
約250Kmの長いバス旅の間に添乗員の小松さんはコルク、オリーブの産地や誰が伝えたのか、車は右側通行をしているが日本の様に左側通行している国が何か国あるか?心臓が左にあり、船や飛行機が桟橋や搭乗橋に左舷を着けること、陸上のトラックが左回り、刀を右手で持って戦うのに左側通行と右側通行はどちらが有利か。フェニキア、カルタゴ、ローマ時代の歴史など豊富な知識を関連付けた壮大な話しをされるので、聞き入っていました。ヴァンダル族やアンダルシア、ゲルマン民族などヨーロッパや北アフリカの歴史を話されましたが、勉強不足の私には「聴いたことがある名前だけど・・」と思うけれど、全部が理解できる訳ではありませんでした。
8時45分から20分のトイレ休憩。ケニトラのガソリンスタンドでした。
タンジェへの標識がガソリンスタンドの出口にありました。バスはここから内陸部に入って行きますが海岸線を走るとタンジェに行けるんだなあと思いました。
高速道路でなくて随分細い道を走っていると道路に並行した灌漑用のU字構が設置されオリーブが栽培されていました。オリーブは乾燥した土地でも力強く育つそうです。
30分後、道路の両サイドに塩田がありました。昔は塩が貴重でローマ軍など兵士への給料は塩で支払われたそうです。ソルジャーやサラリーの語源もsaltだとか。
オリーブが少なくなり、「大地」だと感じる広い荒野?が見えてきました。
11時頃、ラバトを出て初めての大きい町を通過しました。子供も多くて学校があると思われるし、屋台の店やコーヒーショップもあります。
ウェザーンという町だったようです。観光地でなくてこんな片田舎の町に泊まって本当のモロッコを知りたいけど、ホテルはあるのかな?
11時半、2回目のトイレ休憩がありました。コーヒーを飲んでみました。15DHでした。
トイレは有料で2DHです。タイやミャンマーと同じ「しゃがむ」タイプの便器で紙は置いてありません。
ナツメヤシの実が成っていました。
午後1時、シャウエンに到着しました。今回のモロッコ旅行の見所ナンバーワンの観光地です。シャウエンは見渡せる丘。ここのお店も青。
シャウエンの街がどうして青いのか色んな説があるけれど、正解は分からない。30年前は白い街だったことは確かなようです。
英語の愛称はThe Blue Pearl of Morocco。
この町のタクシーの色も青です。
アイン門へ行く途中にある家も青く塗ってありました。
1時20分、シャウエンの町のレストランでケパブの昼食を食べました。テーブルにはモロッコのパン「ホブス」が置いてありました。飲み物はアボカドジュースを注文してみました。
トルコのケパブを想像していましたが、「ヤキトリ」です。サラダと無花果ジャムヨーグルトがセットされていました。
シャウエンは1471年、ポルトガルに対する要塞として建設されこの土地の部族とレコンキスタから逃れてきたユダヤ人が定住、この町とフェズではフランス語でなくてスペイン語が話されているとガイドブックで予習しましたが、看板の文字はアラビア語、スペイン語、英語で書いてあるので「なるほどー」と思いました。
食後、目印となるグランドモスク、カスバへ先ず行きました。
シャウエンは青い街であり、猫が多い街でもあります。
旧市街メディナには細い路地があり、土産物などを売っている店があります。
路地の前後は我々の団体を含めて人が歩いているので写真に撮って綺麗ではありませんが横道は無人で絵になる様な青い世界が広がっていました。
カタログにある様な青い壁に赤、白、黄色などの鉢植えの木がある場所をガイドさんが教えてくれました。参加者が順に写真を撮りました。
メディナ内を散策していたら、ベルベル語のアルファベットが書いてありました。気温は31.7℃でした。
カスバで集合することになり、自由時間が与えられたので土産物を見たり、カスバに上がってみました。カスバの裏に公共トイレがあり、利用料金は2DHでした。
サボテンの実を食べてみました。大きい実は2DH。オジサンがナイフで表皮を剥がしてくれます。優しい甘さですが、種が多くて1個を経験に食べればもう一度食べたいとは思わなかった。
午後4時20分、シャウエンを出発してフェズに向かいました。1時間20分後の午後5時40分、モーテルでトイレ休憩がありました。ここのトイレは5DHですが、そのレシートを持ってレストランへ行くと5DHを値引きして飲み物が飲めたり買い物が出来ます。私はモロッコでよく飲まれる「ミントティー」を飲んでみました。15DHに対して10DHの追加で飲めます。ミントの葉が入った甘いお茶です。
メクネスはモロッコワインの産地です。フェズまでまだ遠いからメクネスからの距離はかなりあろうかと思われますが車窓にブドウ畑らしいものが見えました。
モロッコは土漠や砂漠の乾燥した土地だと思っていましたが、川がありました。日本では当たり前の景色ですが、カサブランカ以降ずっと乾燥した大地を見ていたので水を見て不思議な気持ちになりました。
かなり長時間の乗車ですが、添乗員の小松さんは、ハンニバルの軍がローマ軍を破った作戦の話や、大英博物館は多くの遺跡を持ち帰って研究・保管しているがエジプトなどが返却を求めている。でも価値を知らずに放置して朽ち果てそうだった遺産を品質を落とさないように保管し、無料で見せているのだから一概に悪いと言えない。国連は戦勝国の見かたをしているから全てが正しいとは言えない。子供が使うクレヨンに「肌色」が無くなった。外国人が増えた日本の小学校でロシア人の生徒に肌色を濡れと言っても習慣的に日本だけが認めている薄橙色は世界的には常識外れでロシア人なら顔の色を白く、アフリカ人なら黒く塗る。等々、世界を旅する添乗員として見識の深さに感動することばかりでした。
午後7時20分、2回目のトイレ休憩。ここは2DHでした。
午後8時30分、ホテルに到着し、夕食を食べました。料理はバイキング、アルコールを注文できるのでカサブランカと
夕食後の21時17分308号室にチェックインしました。キングサイズのベッドが3つある部屋でした。旅行社の資料では「スーペリアクラス」のホテルです。2連泊するのでランクが上のホテルをセットしてくれましたが、booking.comで調べた情報では1泊7,758円。首都のラバトのランク下のホテルより安くて立派でした。但し、エアコンのリモコンが部屋に有りません。寒すぎるので設定温度を高くする為に受付に電話して係員が来てくれましたが、持ってきたリモコンを部屋に置いていってくれないで、設定温度変更後、持ち帰ってしまいました。添乗員の小松さんに電話すると、リモコンを持ち帰る人が居て、足りないから置いていってくれない。そういう事はよくあると説明されました。
ラバトRabatーシャウエンChefChaouenーフェズFez
GPS記録 登坂累計高さ:4138m 最高標高:626m 移動距離:460.6Km 移動時間9時間34分
最高時速:103Km/h 停止時間:3時間
宿:Golden Tulip Tghat Fes Hotel
朝5時に起床し、6時半にスーツケースを廊下に出して朝食会場へ行きました。100%のオレンジジュースが旨かった。
今日はシャウエン観光が1時間半ある以外はずっとバスに乗っている予定です。昨日は空港からバスに乗る時、一番前の右側の席に座りましたが、今日以降は全員が公平になる様に添乗員が座席を指定することになりました。バスの左側の席の方が右側より席と席の間隔が長くなっているので足元が楽です。バスの前、中央、後部と左右を順に変えるそうで、その日の座席位置がバスのドアに張り出されます。今日は左の後部座席でした。運転手のマハルビさんはサバヒルヘイルと挨拶すると、ニッコリして「サバヒルヘイル」と言った後、日本語で「おはようございます」と挨拶してくれました。会話は出来ないけれど、日本の観光客のバスを何度もしているのか、簡単な挨拶の日本後は知っていました。
8時にラバトのホテルを出発して20分ほど走ると車窓にコルク樫の木が多く見られました。コルクはポルトガルが産地として有名ですが、地中海沿岸のスペインやモロッコアルジェリア、チェニジアでも採れるようです。
約250Kmの長いバス旅の間に添乗員の小松さんはコルク、オリーブの産地や誰が伝えたのか、車は右側通行をしているが日本の様に左側通行している国が何か国あるか?心臓が左にあり、船や飛行機が桟橋や搭乗橋に左舷を着けること、陸上のトラックが左回り、刀を右手で持って戦うのに左側通行と右側通行はどちらが有利か。フェニキア、カルタゴ、ローマ時代の歴史など豊富な知識を関連付けた壮大な話しをされるので、聞き入っていました。ヴァンダル族やアンダルシア、ゲルマン民族などヨーロッパや北アフリカの歴史を話されましたが、勉強不足の私には「聴いたことがある名前だけど・・」と思うけれど、全部が理解できる訳ではありませんでした。
8時45分から20分のトイレ休憩。ケニトラのガソリンスタンドでした。
タンジェへの標識がガソリンスタンドの出口にありました。バスはここから内陸部に入って行きますが海岸線を走るとタンジェに行けるんだなあと思いました。
高速道路でなくて随分細い道を走っていると道路に並行した灌漑用のU字構が設置されオリーブが栽培されていました。オリーブは乾燥した土地でも力強く育つそうです。
30分後、道路の両サイドに塩田がありました。昔は塩が貴重でローマ軍など兵士への給料は塩で支払われたそうです。ソルジャーやサラリーの語源もsaltだとか。
オリーブが少なくなり、「大地」だと感じる広い荒野?が見えてきました。
11時頃、ラバトを出て初めての大きい町を通過しました。子供も多くて学校があると思われるし、屋台の店やコーヒーショップもあります。
ウェザーンという町だったようです。観光地でなくてこんな片田舎の町に泊まって本当のモロッコを知りたいけど、ホテルはあるのかな?
11時半、2回目のトイレ休憩がありました。コーヒーを飲んでみました。15DHでした。
トイレは有料で2DHです。タイやミャンマーと同じ「しゃがむ」タイプの便器で紙は置いてありません。
ナツメヤシの実が成っていました。
午後1時、シャウエンに到着しました。今回のモロッコ旅行の見所ナンバーワンの観光地です。シャウエンは見渡せる丘。ここのお店も青。
シャウエンの街がどうして青いのか色んな説があるけれど、正解は分からない。30年前は白い街だったことは確かなようです。
英語の愛称はThe Blue Pearl of Morocco。
この町のタクシーの色も青です。
アイン門へ行く途中にある家も青く塗ってありました。
1時20分、シャウエンの町のレストランでケパブの昼食を食べました。テーブルにはモロッコのパン「ホブス」が置いてありました。飲み物はアボカドジュースを注文してみました。
トルコのケパブを想像していましたが、「ヤキトリ」です。サラダと無花果ジャムヨーグルトがセットされていました。
シャウエンは1471年、ポルトガルに対する要塞として建設されこの土地の部族とレコンキスタから逃れてきたユダヤ人が定住、この町とフェズではフランス語でなくてスペイン語が話されているとガイドブックで予習しましたが、看板の文字はアラビア語、スペイン語、英語で書いてあるので「なるほどー」と思いました。
食後、目印となるグランドモスク、カスバへ先ず行きました。
シャウエンは青い街であり、猫が多い街でもあります。
旧市街メディナには細い路地があり、土産物などを売っている店があります。
路地の前後は我々の団体を含めて人が歩いているので写真に撮って綺麗ではありませんが横道は無人で絵になる様な青い世界が広がっていました。
カタログにある様な青い壁に赤、白、黄色などの鉢植えの木がある場所をガイドさんが教えてくれました。参加者が順に写真を撮りました。
メディナ内を散策していたら、ベルベル語のアルファベットが書いてありました。気温は31.7℃でした。
カスバで集合することになり、自由時間が与えられたので土産物を見たり、カスバに上がってみました。カスバの裏に公共トイレがあり、利用料金は2DHでした。
サボテンの実を食べてみました。大きい実は2DH。オジサンがナイフで表皮を剥がしてくれます。優しい甘さですが、種が多くて1個を経験に食べればもう一度食べたいとは思わなかった。
午後4時20分、シャウエンを出発してフェズに向かいました。1時間20分後の午後5時40分、モーテルでトイレ休憩がありました。ここのトイレは5DHですが、そのレシートを持ってレストランへ行くと5DHを値引きして飲み物が飲めたり買い物が出来ます。私はモロッコでよく飲まれる「ミントティー」を飲んでみました。15DHに対して10DHの追加で飲めます。ミントの葉が入った甘いお茶です。
メクネスはモロッコワインの産地です。フェズまでまだ遠いからメクネスからの距離はかなりあろうかと思われますが車窓にブドウ畑らしいものが見えました。
モロッコは土漠や砂漠の乾燥した土地だと思っていましたが、川がありました。日本では当たり前の景色ですが、カサブランカ以降ずっと乾燥した大地を見ていたので水を見て不思議な気持ちになりました。
かなり長時間の乗車ですが、添乗員の小松さんは、ハンニバルの軍がローマ軍を破った作戦の話や、大英博物館は多くの遺跡を持ち帰って研究・保管しているがエジプトなどが返却を求めている。でも価値を知らずに放置して朽ち果てそうだった遺産を品質を落とさないように保管し、無料で見せているのだから一概に悪いと言えない。国連は戦勝国の見かたをしているから全てが正しいとは言えない。子供が使うクレヨンに「肌色」が無くなった。外国人が増えた日本の小学校でロシア人の生徒に肌色を濡れと言っても習慣的に日本だけが認めている薄橙色は世界的には常識外れでロシア人なら顔の色を白く、アフリカ人なら黒く塗る。等々、世界を旅する添乗員として見識の深さに感動することばかりでした。
午後7時20分、2回目のトイレ休憩。ここは2DHでした。
午後8時30分、ホテルに到着し、夕食を食べました。料理はバイキング、アルコールを注文できるのでカサブランカと
夕食後の21時17分308号室にチェックインしました。キングサイズのベッドが3つある部屋でした。旅行社の資料では「スーペリアクラス」のホテルです。2連泊するのでランクが上のホテルをセットしてくれましたが、booking.comで調べた情報では1泊7,758円。首都のラバトのランク下のホテルより安くて立派でした。但し、エアコンのリモコンが部屋に有りません。寒すぎるので設定温度を高くする為に受付に電話して係員が来てくれましたが、持ってきたリモコンを部屋に置いていってくれないで、設定温度変更後、持ち帰ってしまいました。添乗員の小松さんに電話すると、リモコンを持ち帰る人が居て、足りないから置いていってくれない。そういう事はよくあると説明されました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます