ドジ男の自転車旅行

自転車の旅を写真付きで書きます。

チャオプラヤ川ランチ・ショッピング(第3日)

2024-02-29 21:20:34 | バンコクでテニス
第3日(2024年2月16日)
ホテルーUKマンションーRiver Cityー93番バスービッグCラチャダムリーホテルードンムアン空港


7時過ぎに朝食会場へ行く時、エレエベーターの中で若い日本の女性と一緒になったので、昨日夕方来た和歌山大生ですか?と尋ねると1回生ですと答えた。食堂には他にも学生が居たが、私がバイキングの料理を皿に取ってテーブルに戻る時、2人の学生がボーイさんから「どの部屋ですか?」と聞かれているにも関わらず答えずにボォーと立っているのに遭遇した。言われている英語が分からないのだろうと思ってで「部屋番号を聞いているから、言いなさい」と通訳すると同時に何を言うべきか教えてあげた。何とか答えたのでボーイさんは私に向かってニッコリした。日本の女子大生って幼く見えるのはいいが、英語も話せないのかとガッカリした。帰国して調べてみると和歌山大学には「海外体験演習」というプログラムがあり、1回生15名程度が2月中旬から2週間程度カセサート大などに派遣すると書いてあった。自分は大学1回生の春にはネットもスマホも無い時代だったけど、アメリカの石油会社に手紙を書いて道路地図を入手したり商務省に物価などを問合せて友人と2人でロスアンゼルスまで船で渡り自転車で大陸を横断旅行したし、福岡には若い女性が韓国から2人くらいで来て自分の町の様に歩いている。それ比べて、団体で添乗員付きの旅しか出来ないのは情けないと思った。昔はバックパッカーの男も居たが今では殆ど会わない。女性はチャラチャラしてお土産とフォトジェニックな物だけ求めている様に思える、日本の若者はもっと地元の中に溶け込んで文化を学ぶ姿勢が必要なのではないかと思ってしまう。
日本人の団体客が来たからなのか、今日の朝食の品ぞろえは日本人好みの焼飯などがあった。フルーツはドラゴンフルーツが無くなった後はメロンがあった。
 

朝食後、コンビニではアルコールが11時まで買えないので、タニヤのドンキーでバラマキお菓子を買うなどして11時までシーロム周辺を歩いて時間潰しした。11時過ぎにホテルをチェックアウトして、荷物を受け付けに預けた。コンビニへ行って差し入れのビールを買い、Yさんが住むUKマンションを訪ねた。フルーツ好きのYさんは冷蔵庫から熟したマンゴーを出して食べさせてくれた。カミさんが「食べたこと無い」という竜眼も味見させて貰えた。
 

お昼はチャオプラヤ川沿いのレストランで食事しようとサムヤーンまで行って5分ほどバスを待ちましたが、来ないのでタクシーを捕まえて「リバーシティー」へ行きました。Yさんは凄く気が利く人で、私が「長期滞在者の様に観光地を忙しく回るだけでなくて、チャオプラヤ川の川沿いレストランで川の風に吹かれてぼんやり川を見るようなことがしてみたい」と言っていた事を実現させてくれようと考えてくれた様です。夕方なら長袖シャツを着ないと寒いこともあると聞いた事がありましたが、この日は気温33℃で暑かったから川辺の席でなくエアコンが効いた室内で食事しました。

私はガパオライスを注文し、カミさんとYさんはオムレツを食べました。どちらもスープ・サラダ付きで120バーツ。日本円で480円です。日本の半額??エアコンが無いシーロムの外れの食堂なら見栄えは良くないけれど、40~60バーツで食べることができます。北海道で冬の暖房の為の灯油代でタイまでの飛行機代は十分に支払えるし、1か月のマンションの部屋代が4万円で食費が日本の半分なら、生活費を節約するために冬季は日本に居るよりバンコクに滞在する方が賢明な暮らし方なのかも知れないと思います。


食事の後は行き慣れたスーパーのビッグCラチャダムリで買い物をしたかったので、Yさんがバス停のオジサンに、「どのバスで行けばよいか」尋ねてくれました。「乗換え無しでダイレクトに行くバスがある。93番バスで、この先に停まっている」と教えてくれました。Yさんは以前このオジサンに、シーロム行きのバスを尋ねた時、手持ちの小銭を確認すると5バーツと1バーツコインが3個しか無かった。それを見たオジサンは3バーツを手から取り、5バーツコインを手に乗せてくれて「10バーツあれば、8バーツのバスが来ても、10バーツのバスが来ても乗って帰れるよ」と粋な計らいをしてくれたそうです。観光客の日本人を騙す悪い人も居ますが、タイ人って優しい人も多い。Yさんは今日93番のバスを初めて知ったそうですが、帰国後23-24年版の「地球の歩き方」を見ると、93番バスが少ない路線の中から選ばれて掲載されていました。8バーツの赤バスは古くて床は木でできていて勿論エアコンはありませんが運転手の運転技術は最高で、タクシーを追い抜きグングン走ってくれます。


バスはチュラロンコン大の前を通り、MBKを左折して大きく迂回して北に向かい、運河を越え、ペチャブリ通りを東に走りました。パラディアムワールドショッピングで降りました。ナイトマーケットがあった広場は更地となって工事中であり、塀に囲まれていました。角のマクドナルドでアイスを食べようと行ってみると、マックの手前に15バーツのアイス店MIXUEが出来ていたので、昨夜の中華街を含めて3回目のアイス・・でなくて冷えた紅茶(20バーツ)をMIXUEで飲みました。


ビルの中で、ドライマンゴー6袋がシーロムのスーパーより90バーツ安く売っていたので、お土産として買いました。、ピンクのカオマンガイの店の横を抜けて運河を越え、両替のスーパーリッチに寄ってYさんが両替しました。カミさんも土産代が足りなくなったと、5000円を両替しました。1195THBになりました。1バーツは4.18円です。この両替商では飴玉と、小さいペットボトルの水が無料で貰えます。ビッグCは相変わらずの混雑ぶりで中国人の爆買いに釣られてお菓子やドライマンゴー、海苔、缶ビールなどを買いました。フードコートで休憩しましたが、お腹は減っていなかったので、飲み食いせずにホテルに戻る事にしました。


エラワン祠は2階の通路から見ただけで、ラチャダムリ通りの交通渋滞を避ける為にラマ1生通りを西に走るタクシーを捕まえることになりました。Yさんが空車を止めると、運ちゃんは「200バーツ」と言うので「高い!」と断ると150バーツに下げると言うけど、Yさんはそんな運ちゃんを無視して次の空車を停めて価格交渉。「150バーツ!」というタクシーも断り、100バーツのタクシーに3人で乗りましたが、メーターが倒れていなかった。「それなら降りる」と言ってメーターで走ってもらいながらYさんは運ちゃんと世間話をしていた。運賃の相場、時間帯による混雑場所、地理と十分なタイ語の能力がないとタクシーには乗れない思います。混雑した道路を接触スレスレの運転で56スラウォンホテルまで戻れました。毎度思う事ですがYさんのタイ語の能力は大したものです。


ホテルに預けてあったスーツケースなどを受け取り、ロビーでスーツケースを開けて、買った土産を押し込みました。夕飯をここで食べるか、又は空港で食べるか、飛行機のチェックインまでの過ごし方をYさんは3パターンで提案してくれました。まだ食欲が湧かなかったので、早めに空港へ行く事にしました。到着した夜以来、夕飯、次の日のテニスとマッサージと中華街、そして今日の寛げる昼食と土産物を買う為のショッピング。その間、2回の彼のマンションでの休憩。滞在中、付きっ切りで案内してもらったからホテルでお別れのつもりでしたが、親切なYさんは土産で重くなったカバンを持ってMRTのサムヤーンまで送ってくれました。


バンスー駅でMRTから改札を出る時、カミさんのシニアカードをタッチしてもゲートが開かないトラブルがあって「チャージした金が無くなったのか?」と思いましたが、先に改札を出た私がカミさんのカードを改札ごしに受け取って係員の人に渡すと、磁器不良だった様で、無事改札を出る事が出来ました。時間に十分なゆとりを持っていないと、何が起こるか分からない。来る時に利用したレッドラインに乗って簡単にドンムアン駅に着きました。
 

国際線ターミナルまでの長い通路の途中にある地元の食堂があったので、腹が減ればそこで食べるのもいいなあと思っていましたが、既に閉店していました。エアアジアのカウンターに着いて、聞いてみると「午後10時から(10分後)チェックインが可能」と教えてくれました。eチケット無しでパスポートだけでチェックインできるとHISからメールで知らされていましたが、「本当かな?」と疑問の思っていました。でも全く簡単にパスポートを提示するだけで搭乗手続きができました。空港内のレストランを探すより、出国を済ませてラウンジで食事する事にしました。

チェックインから20分後には出国、セキュリティーを抜けて、プライオリティーパスで入れる「ミラクルラウンジ」に入っていました。
ドンムアンのこのラウンジは6年前にカミさんとカンボジアのアンコールワットを見る旅をした時に利用したことがあり、マッサージをしてくれる叔母さんが居る、超VIPの豪華なラウンジのイメージでしたが、今回はずいぶん殺風景な雰囲気に思えました。
 

それでも、搭乗時間前まで、食べ物や飲み物は充実していたので、しっかり飲み食いしました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テニス・マッサージ・中華街(第2日)

2024-02-25 17:40:20 | バンコクでテニス
第2日(2024年2月15日)
ホテルーSam YanーMRTーPhetchaburiーマッカサンーARLーラムカムヘンーTAXIーテニスコートーバスーSi LomーWat Worachanyawas(マッサージ)ー路線バスーパラディアムワールドショッピングー ビッグCラチャダムリー56スラウォンホテル


朝食は7時から。ホテルの中が高級インド料理のEKKAと繋がっていて、ホテルの食堂は実はEKKAの店そのもの。お粥、パン、フルーツ、コーヒーなど充実していました。
 

8時20分、ホテルまで迎えに来てくれたYさんとMRTのサムヤーン駅まで歩いて、ペチャブリまで行くはずが、車内でおしゃべりしていて乗り過ごし、1つ先の駅まで乗り越してしまい、反対行きの電車に乗って戻り、下車しました。そこから、エアポートリンクのマッカサン駅まで歩き、一駅スワンナポーム空港寄りのラムカメヘンRamkhamheangまで移動(20バーツ)。駅前のタクシー乗り場は多くの人が並んでいたので、Phatthanakan Rdで西行きの流しのタクシーをYさんが捕まえてくれました。彼は30年以上、毎年避寒の為に北海道からバンコクに来て3カ月ほど長期滞在しているのでタイ語が堪能だから可能な事で、私一人ではとてもタクシードライバーに意思を伝えることは出来ません。タクシー代は70バーツ(280円)。
 

テニスのリーダーは松崎さん。前日の昼までにLINEにて参加を伝える必要があります。京大の法学部を卒業後、ラムカムヘン大学を卒業したからYさん以上にタイ語が堪能。10時から12時までのコートを予約し、飲み水を用意し、ダブルスの4ゲーム先取の組み合わせを考え、希望すれば昼食も手配してくださいます。参加費は120バーツ、昼食をお願いしました。この日の参加者は我々を含めて9名。全員テニスが好きな日本人滞在者でレベルは私より上ですが何とか負けながらも楽しくゲーム出来ました。33℃で暑く、ゲームやコートチェンジの度に水をガブ飲みしました。カミさんは女性1人の参加でしたが週2日ペースでテニスをしているので、男性が予想する以上の鋭い球を打って、オッとパートナーを言わせていました。


時間は勿体ないから、ゲームが終わって15分残っていましたが、最後の1分までテニスをしました。大汗をクラブハウスのシャワーで流して着替え、松崎さんが注文した料理がテーブルに並べられました。食事代は65バーツ/人。この日の昼食は我々3人と松崎さんと京都の人の合計5人でした。タイ料理だけど辛くなくとても美味しかったです。このテニスチームは参加者の現役時代についてお互いに話すことなく、本当にテニスが好きという繋がりだけの気楽な仲間でした。来シーズンにも来てみたい素晴らしいテニス仲間たちです。


昼食後はバス通り(Phatthanakan Rd)まで歩きましたが、途中にブーゲンビリアが綺麗に咲き、スイカやマンゴーなどのフルーツの店があり、Yさんは文旦を買いました。
 

115番のバスはここから私が何度も利用した日出旅館があったラーマ4世通りを走ってシーロム通りのYさんのマンションのすぐ近くの駅まで走ってくれます。20バーツと高めの料金ですがエアコンが効いて車内は21℃で快適でした。Yさんのマンションの部屋に招かれ冷蔵庫のビールを頂きました。
 

Yさんの部屋で休憩した後、15番のバスでマッサージに行きました。シーロムにも多くのマッサージ店がありますが。観光客向けで1時間300バーツ以上ですが、チャオプラヤ川沿いのお寺Wat Worachanyawasのマッサージ店は地元の人向けで1時間120バーツです。2時間のマッサージでテニス疲れの体をほぐしてもらいます。15番バスの料金は8バーツ(32円で一番安いバスですが、エアコンが無くて窓全開。夏の風に吹かれてバンコクのローカルを走るのも楽しいものです。車窓にインド寺院(SRI MAHAMARIAMMANTEMPLE)やトゥクトゥクやロビンソンを見ながら走ります。ここも何度か来た場所です。
 

2時間たっぷりマッサージをしてもらいました。240バーツを支払うとチェップを要求されて20バーツ渡しました。ちょっと痛かったかな。
 

お寺の裏通りから、1番のバスで中華街へ行きました。これも赤バスで8バーツでした。正月飾りが残っていました。数年前までは垂れ幕と提灯だけでしたが、最近は電飾が飾られるようになったそうです。日出旅館があったクロントーイ、UKマンションや日本人町があるシーロム界隈、中華街の3か所は何度も何度も歩いたので地図が無くても徘徊できます。


 

夕飯はせっかく中華街へ来たのだから、本格中華料理を食べようと和成豊へ行きました。Yさんがフカヒレにカニを入れて欲しい、エビシュウマイを2セット、カニ焼飯、鴨の麺、豚の焼きそばなど細かい注文をタイ語で伝えてくれました。彼は一人では多くの皿を頼めないから最近この店に来ていなかったそうです。中国本土から来たらしい団体が居たり店内は満席でした。




バスの乗ろうかとジュライロータリー方向へ歩いていると、15バーツソフトクリームのMIXUEがあったので食べた後、タクシー(70バーツ)でホテルに戻りました。ホテルのロビーには若い日本の女性が到着したばかりで、受け入れの男性係員のタイ人が日本語で今後の予定について説明し、女性2名が全員のスーツケースを纏めるなどの世話をしていました。男性の話の中で「和歌山大学」「アユタヤ」「学校訪問」などの言葉が出ていました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タイへ出発(第1日)

2024-02-24 23:17:47 | バンコクでテニス
第1日(2024年2月14日)
自宅ー車ーサイドパーキング=福岡空港ーエアアジアFD737ーDON MUEANGーレッドラインーBang SueーMRTーSi Lomー56スラウォンホテル


2013年以来、今回が10回目のタイ。何回も自転車を担いでバンコクに来たが、今回は自転車でなくテニスラケットを持った4日間の「HIS初夢フェア」の飛行機とホテルがセットされたツアー。出発の3日前に利用航空会社がエアアジアに決まった。

コロナ前の東南アジアは2020年のタイ・ミャンマー旅行で25日間の費用総額が9万円以下だった。
内訳は航空チケット、福岡ータイ(ドンムアン):ライオンエアー、12,200円
          タイーミャンマー(ヤンゴン):エアアジア、5,571円
          タイ(スワンナプーム)ー福岡(沖縄経由):ピーチ、15,252円
旅行中の食費:13,549円
    宿泊:15,905円
    交通費:8,743円(ミャンマーのパアンから陸路でタイのメーソート経由バンコクのバスを含む)
    観光など:10,932円
コロナが終わって2024年の正月から海外旅行が増えだしたが、ウクライナ侵攻の影響でオイルチャージが取られる様になり、LCCの全てが復活した訳ではないので安いチケットが見つからず、仕方なくHISのパックツアーを利用することにした。今回参加のHISツアーは空港使用税など諸費用込みで、一人63,178円。
もう一つ付け加えると、2020年の時には前年の9月から計画開始してチケットを先ず押さえたが、今回は前年の12月中旬に行こうと調べ始めたから、着手が遅すぎた。

2月の早朝出発だから、もし寒波が来て雪ならどうして空港へ行くのか悩ましいところだったが、幸運にも暖冬となり、マイカーで福岡空港の国際線に近い駐車場まで行くことが出来た。アルバイトが忙しくて長期間休むことが出来ず、長期滞在しているYさんがシーロムのマンションに居て週2回テニスをしていたので、1日はテニス、もう1日はチャオプラヤ川を見ながらのんびりして、ショッピング出来ればいいなあと緩い計画のタイ旅行でした。

朝6時45分にサイドパーキングに着いた。小型車は1日1600円だがHISのクーポンがあったので1日1500円に値引きされ、4日分の6000円を支払って国際線の出発ロビーまで送迎車で送ってもらった。今までのLCCでは沖縄経由のピーチや台湾経由のタイガーエアーで夜中のスワンナプーム空港に着き、空港のベンチで仮眠して朝のエアポートリンクで移動していたが、今回のエアアジアは午後にドンムアン空港に着くから明るい時間にシーロムに着ける。ドンムアンからA3バスでシーロムまで行ったことがあったが、今回は正月で車が混んで動かないからレッドラインを利用するのが良いと情報をもらっていた。

朝7半にチェックインカウンターが開いたので荷物を預けてセキュリティーを抜け、出国した。カウンターに並んでいたのは大きい荷物を持ったタイ人が多く、日本人は極めて少なかった。搭乗ゲートはトルコへ行った時と同じ51A。プライオリティパスで入れるラウンジで朝食を食べました。


福岡FUK10:00ーエアアジアFD737ータイ・ドンムアンDMK13:45
タイへの飛行機はエアバスA321で座席は41A。最後列でリクライニングが出来ない席で、勿論テレビは無いし、スマホの充電出来ないのか!と思ったが到着前に座席の腕の部分にUSBコンセントが有るのを発見した。4年ぶりの飛行機だから機内での過ごし方まで忘れてしまっている自分を感じた。ドンムアン到着時の荷物。LCCは7Kgしか無料で持てないのですが、今回は1人20Kgの受託荷物込みのフライトだったので中型のスーツケース、リュック、テニスラケットを持っての旅です。


ドンムアンから市街地までのレッドラインは2020年に開通したから、今回初めて乗る。バスは安い、国鉄は本数が少ない、レッドラインは便利と地球の歩き方に書いてあったが、国際線の出口からレッドラインの乗り場までは、めちゃめちゃ遠かった。(たぶん2Kmくらいありそう)
レッドラインでバンスー駅まで33バーツとガイドブックに書いてあったが、20バーツだった。歩くと遠いけど、確かに(安くて)便利!
14:50発の電車に乗った。日立製の車両と聞いたから、確かめようとチェックすると「HITACHI」のロゴを見つけることが出来て、嬉しかった。
 


バンスー駅でMRTのシニアカードに200バーツをチャージ。(シニアカードは60歳以上なら外国人の半額になるので、自分とカミさんの分として2枚持っていた)15:12、MRTブルーラインに乗ってシーロムまで15駅。いつもはタニヤ通り側に降りていたのに、土地勘が鈍ってルンピニ公園側に降りてしまったから、交通量の多い道を渡り陸橋を超えてホテルまで歩かなければならなかった。通い慣れたシーロム通りを行けば良かったが、近道だろうとラーマ4世通りからスラゥォン通りを経由してホテルにの向かったので、暑い中を迷いながら歩いてしまった。maps.meが役立ちました。


ホテルのロビーで待っていてくれたYさんと再会し、食事の前に、タニア通りを歩き、ドンキの店を覗き、シーロムコンプレックス地下にあるアイスの店で15バーツのソフトクリームを食べました。最近、この「MIXUE」の店がアチコチに開店して人気だそうです。




彼が滞在しているUKマンションに寄った後、近くのシーロムレストランで夕飯を一緒に食べました。最近出来たレストランで、タイ料理というより、日本人街が近いから、味がちょっと日本風。私はガパオライス、Yさんとカミさんはパッタイと空心菜炒め、小さいビール2本と3人分で640バーツ(約2500円)。やっぱりタイは物価が安い。
 

 
明日のテニスについて聞いてみると、ルンピニ公園でなくラムカムヘンのコートでするらしい。ルンピニ公園なら歩いて行けたが、遠いからYさんの案内が無いと行けない。明日は8時20分にホテルロビーで待ち合わせすることにして別れました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帰国(2024年2月4日)

2024-02-23 15:50:53 | トルコ旅行
第7日(2024年2月4日)
上海浦東空港ー中国東方航空ー福岡空港ー地下鉄・JRー新飯塚駅ー自宅


上海でのトランジットでは傘を出せと言われませんでしたが、手回りの荷物を徹底的に調べる為にX線の強さを強くしたり、弱くしたりして何度も被爆させて検査したので、帰国後ポケットから出して荷物に入れた歩数計の記憶が消されて誤動作していました。「中国って嫌な国だなあ」と、2月5日に歩数計を復旧させる事が出来て記録データを見た時に思いました。(4日の記録が無い画面です)


福岡行きまでの乗り換え時間が5時間ほどあり、昼間の明るい時間帯で余裕があったのでラウンジを探してみました。搭乗ゲート209の近くに39ラウンジがあり、プライオリティーパスで入ることが出来ました。上海は大きい飛行場なのでラウンジが39か、又はそれ以上あるのかも知れません。
麺類を作ってくれる叔母さんに英語は通じませんが、適当に作ってもらった麺はとても旨かった。餃子の様な食べ物やビールを飲みwifiを繋ごうとしたが出来なかった。FacebookやLINEは中国では繋がらないと後になって知りました。でもラウンジにはシャワールームもあり、VIPを優遇している様に思えます。




上海から福岡への中国東方航空MU517便の機内でも軽食が出ました。
 

午後1時半に福岡空港に戻り、荷物をターンテーブルから取ると一緒に旅した仲間は夫々の家路につきました。私はカミさん、築城の清美さんとリムジンバスで国内線ターミナルへ移動し、地下鉄で博多駅まで行きました。清美さんを大分方面行きのホームに見送り自宅に向かいましたが、新飯塚駅で乗り換える時、雛人形が帰りを迎えてくれました。


トルコ旅行は短期間で訪問都市が2か所だけでしたが、熱気球に奇跡的に乗れたし、充実した旅でした。遠い国で今まで多くを知りませんでしたが、また訪れたい国になりました。多くのサイクリストが走っている様なので、季節のいいときに走ってみたい!(今回は冬季だったからなのか、一人もサイクリストを見かけなかった)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イスタンブール(3)

2024-02-21 22:09:40 | トルコ旅行
第6日(2024年2月3日)
ヒルトンホテルー革製品の店ーイスタンブール空港ー中国東方航空MU704ー機内泊


昨夜、添乗員から知らされた朝の予定は、6時モーニングコール、7時朝食、8時出発でした。5時に起きて荷物を纏めるなど準備して、7時にレストランへ行きました。到着時のヒルトンホテルでは体調が万全ではなかったので多くは食べませんでしたが、今日が最後のトルコと思うと、この地でしか食べれないチーズ、ドライフルーツ、蜂蜜、パンを食べたいと思い蜂の巣の密をスプーンで取り、黒いイチジクと白いイチジクと、屋台で買えなかったゴマパンSimitを皿に取りました。今回の旅行は「当社基準デラックスホテルに泊まるトルコ7日間」だったから確かに泊まったホテルは安宿では無かったし、食事をしたレストランもデザート付きのハイクラスの食事だったと思う。自転車旅行で屋台の、地元飯を食べる旅を多くしてきた私には、ロカンタと呼ばれる街なか食堂で庶民が食べるキョフテやケバブを食べたかったし、このパンは毎日でも食べたいものでした。


朝食を済ませてバスに乗った時はイスタンブールでの全ての行事(観光など)が終わって、単に空港へ移動するだけと思っていましたが、空港へ着く前に革製品の店に寄ると案内されました。着いたのはKIRCILARという店で帰国後調べてみるとホテルから僅か3キロほど西にあったことが分かりました。ここでも日本語を話せる人が「ヨーロッパの有名ブランドの革製品の素材はすべてトルコ製であること、0.4mmまでの薄くて軽い革の服を作る技術がありリバーシブルの服もあることなどを説明されました。モデルによるファッションショーがありましたが、一段落した後、「客にもモデルになってもらう」といきなり指名されたので、取り合えず舞台裏へ行くと革のコートを着せられて、何の説明もなく舞台に押し出されてしまいました。舞台の前まで歩いて戻る途中で、今度は服を脱がされて裏返して着せられ、またモデルウォーク。家では椅子から立ち上がって歩く時は猫背で前かがみになって小股でヨチヨチ歩くから「爺さん歩きだよ」と常にカミさんに言われていましたが、この時は後になって写真を見せられるとシャンとして歩いていた様です。男だけでなくて、女性モデルも客から選ばれて歩いていた事も写真を見せられて分かりました。しおりさんでした。ファッションショーの後、購入を働きかけました。革ジャンは裏地が撥水素材なので長時間の雨には耐えないかもしれないけど、にわか雨なら裏返して着れるようになっていました。価格は1400ユーロほど。日本円で約23万円。買っても着る機会がないので特価品のコーナーへ行くと昨年のモデルが4万円で売られていました。試着すると腕が長いので自分には合わないと思った。販売促進の男性店員は「私は仕事だから勧めているけど、決めるのは貴方自身だから気に入らないなら買わなくていい」と日本語で話されました。彼の奥様は貝塚市出身の日本人で奥様と娘さんの写真をスマホで見せてくれました。ファッションショーは自分にとっていい思い出になりました。




革製品の店からイスタンブール空港着き、現地ガイドのエリキンさんとお別れなので記念写真を何人かが撮りました。添乗員の原さんは福岡までずーっと同行されますが、上海や福岡では写真を撮る機会が無いかも知れないので、夫々が原さんを囲んで写真を撮っていました。


ブログを書くきっかけとなった自転車旅行はソロ(単独での)旅行でしたが、後半カミさんを連れてドイツやドナウ川を一緒に走り、今回と前回のモロッコの旅は自転車でなくて旅行社が企画したパック旅行に参加した旅です。特に今回は福岡出発の少人数のグループであり、参加した人達の地元を全て自転車で行ったことがあり地名だったから親近感が湧きました。夫々の人が旅に対して積極的で、色んなタイプがあり、勉強になり、また刺激を受けました。この場を借りて感謝とお礼を述べたいです。
一人参加は3名。宮地嶽の男性はトルコが2回目で旅慣れている分添乗員とは少し距離を置いて自分なりの旅を楽しんでおられた様に見受けますが、それが災いして全員集合の写真には写っていない。食卓を囲んだ人とは旅や健康について話されていたから、一度は同じテーブルでお話を伺いたかった。もう一人の参加者は基山のテニスプレーヤーAkikoさん。イスタンブールからカイセリへのチェックでお世話になりました。パック旅行でなくても一人で世界を歩けそうな旅慣れた行動が魅力的。もう一人は築城の清美さん。コートや充電器をホテルに忘れても気にせず、電池パックでスマホ写真を撮りまくって、誰とも仲良く出来る存在だけど、私達夫婦と一番多く行動してくれました。女性のグループは大橋のしおりさんとお母さま。しおりさんは団体の中の最年少で女学生に見えたけど、もう社会人らしい。日本の若い人が海外に出なくなって寂しく思っていましたが、彼女は英語もスマホにも強くて上海空港ではwifiについて教えてもらった。日本の希望の人・これからもドンドン海外に飛び出して欲しい。唐津のヒロコさんをリーダーとする唐津4人組。旅の記録を残す為に暗闇のホテルの写真を撮っておられたのが印象的でした。長崎と佐世保の旅友。2人で常に行動されていたけど、一人参加として申し込まれたお二人だったのかも。集合写真などを共有する為のLINE交換をしなかったので名前は分かりませんが、特に長崎の女性はデジカメとパッドで旅を記録し、常に添乗員や現地ガイドの近くに居て、一言も漏らさず説明するトルコの知識を吸収しようとする積極性には敬服しました。旧市街の航空写真もありがとう。夫婦での参加は折尾のマラソンランナーMさん。カッパドキアでのベリーダンスでは柔軟性など身体能力を発揮されていました。タイで3年生活されていたと知りましたが、運動やバンコクの暮らしなど、もっと聞きたかった。山口から参加のSさん夫婦。驚いたことに奥様は私の孫が通っている大道の学校で働いておられることを知りました。それと飯塚から参加した我々夫婦。ベリーダンスを頑張ったカミさんも77歳。私は今年78歳だから多分団体の中では最年長だったのかも。行きのチケットに貼る荷物券を受け取らなかったり、帰国便ではイスタンブールで受け取ったはずの上海から福岡の搭乗券をカミさんが紛失してしまい、添乗員の原さんにはお世話になりました。添乗員の原さんは自転車の趣味があって、走るそうだから、何処かで自転車に乗ってすれ違う事があるかも。旅で訪れた観光名所も食べ物もいいトルコでしたが、一緒に行動した18名も素敵な人たちであったから、旅を楽しく過ごせたのだと思います。この場を借りて参加者全員にありがとうと言いたい。

11時過ぎに出国。税関などは撮影禁止と思ったけれど、係員のブースにあったモスクのイラストと各国の文字が目に付いたので思わずスマホで写真を撮ってしまいました。セキュリティーチェックでは手荷物のスマホ・GPS・デジカメなど全てをカバンから出してX線透視していました。搭乗ゲートの近くにLOUNGEがあったのでポライオリティーカードを提示すると入ることが出来ました。


中国東方航空の上海行きMU704便は定刻の13時35分、イスタンブールを出発し、午後3時前に1回目の機内食が出ました。
イスタンブールから上海まで、飛行機がどんなルートで飛ぶのか知りたいので画面を注目していましたが、離陸直後のアゼルバイジャン付近に向かっている画面の後は、フライトデータが無いという状態のままが続き情報が公開されませんでした。中国政府の圧力で飛行経路を秘密にしているとしか思えない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする