2024年12月 東京ポタリング
2024年12月1日に新宿のビアレストランにて「欧州自転車旅行帰国祝賀会」が行われるので福岡からANAの羽田行きを利用して参加する事になった。手荷物について調べると折り畳み自転車はソフトケースに入れて運んでくれる。最近自転車旅行をしていないから、折角の機会なので、ブロンプトンの輪行をしてみようと思った。
自分が高校3年生だった、1964年7月11日、大阪の自宅を出発して東京まで自転車で往復した。地図も持たずに「国道1号線を東へ走れば東京へ行ける」と信じて道路標識を頼りにペダルを踏んだ。往復1264キロを1週間で走った。アルバムを見ると東京タワー、国会議事堂、二重橋、東京駅、上野の西郷像があった。
同じ場所に、60年後の今年、夏に購入した自転車と一緒に立ってみよう。
1.東京観光
12月1日 飛行機輪行して浜松町から東京駅をブロンプトンで走った。
自宅~(マイカー)~福岡空港~(モノレール)~浜松町ー東京タワーー新橋ー国会議事堂ー二重橋ー東京駅
12月1日朝4時半過ぎ、自宅からJRの最寄り駅まで自走した後、自転車を折り畳んで始発の電車に乗るつもりで目覚ましをセットしていました。
起きてから、当初予定を変更して、マイカーに自転車を積んで空港まで走る事になり、玄関に走れる状態で置いてあった自転車を折り畳み、荷台に乗せて、4時55分出発しました。通勤時間帯なら1時間半以上かかりますが、早朝なので1時間もかからず、5時50分には空港に到着しました。ANAの国内線に乗るのは、多分10年ぶり。デジタル化が進んで、オンラインチェックインを必要とするので、初めてスマホにアプリを入れて前日チェックインを済ませていました。8時発の羽田行きだから、2時間前の6時には自転車を預けられるのではないかと、空港で自転車を輪行袋に入れてカウンターへ行き、スマホを入れたはずのウエストポーチを捜すと、家にスマホを忘れた事に気付きました。幸い「eチケットお客様控」をコピーして持参していたので、無事に自転車を「手荷物」として預け、搭乗券を発行してもらえました。
昔は自転車のタイヤを減圧したか?確認されましたが、全く求められませんでした。重量は12.2キロでした。
スマホを忘れた事を家族に知らせようと出発ロビーにあったNTTの公衆電話を使おうとして、固定電話の電話番号は知っているが、スマホの番号を全然覚えていないので、すごく不便に感じました。
定刻の8時に出発したANA242便の左側の窓に、冠雪した富士山が見えました。

9時半過ぎに、羽田に着き、モノレールで浜松町へ向かいました。25年前は現金でチケットを買ってモノレールに乗っていましたが、今はICOCAで乗ることが出来ました。乗客が少なく、途中駅に停まることなく、浜松町に着きました。改札を出て、輪行袋から自転車を取り出して、自転車を組立て、工事中の狭い通路を撮りっ増上寺側に出ました。
最初の目的地は、東京タワーです。フッと西側を見ると、ビルの谷間に増上寺が見え、その上に、東京タワーの上部が見えていたので、道に迷うことなく簡単に東京タワーに行くことが出来た。

25年ほど前は、新橋にある販社に3年あまり出向おり、毎日通勤で利用していた新橋駅が懐かしくて、立ち寄ってみました。酔っ払いサラリーマンがよくインタビューされているSLは、その当時と同じでした。

次は国会議事堂。新橋から霞が関に向かって行けば、その先にあるのだろうけど、見つからなければパスしてもいいか、と思っていましたが、進行方向の銀杏の木の上に、議事堂の三角の屋根が見えました。都心ではあるけど、自転車通行帯の表示が路上にあり、通行量も少ないので、全く危険な感じなく走ることが出来ます。

二重橋はどちらの方向ですか?と議事堂前の警備の人に尋ねて進むと見覚えた風景の場所に出た。「ジョギングの人と自転車は迂回せよ」と警備の人が誘導していたが、「どうしても二重橋の見える場所まで行きたい」と懇願すると、もう一人の警備員に聞いてみろと言われ、その人も次の警備員に確認して「本当は乗り入れ禁止だけど、押して入っていい」とやっと許可を得た。60年前と同じ場所に立って自転車を置いて写真を撮った。自分と自転車を二重橋を背景に写真撮って欲しいので、近くの警備員にお願いすると、規則として自転車がダメなのだから、写真撮った事が分かると好ましくないと拒否され、「誰が許可したのか?直ぐに立ち去れ」と言われてしまった。内心、許してあげたいけど、規則だから自分の責任では許可したくないという態度がありあり。観光客が多くて60年前と違うのは仕方ないと退散した。

東京駅前での写真は南口と中央で撮ったが、60年前は北口だったのかも?

浅草の雷門へ行きたかったので、東京駅から上野に向かって走っていたが、トイレに行きたくなったので、御徒町付近のコンビニに寄って小便し、サンドイッチを買って店の前で食べた。
しばらく走ると、交差点で停まっていたビアンキのチャリダーが居たので、浅草へ行く道を聞いてみた。頭の中にボンヤリ考えていた方向が間違っていない様だった。
親切な青年だったので、「スマホを忘れて公衆電話を捜しているが見つからない」と困っている事を話してみると、「自分のスマホで連絡とればいい」と彼のスマホで息子の電話番号に電話してくれた。
実は、息子が単身赴任で千葉に居り、彼は朝から横浜で用事があるが、午後1時頃には都心に戻れるので、東京か上野で会うことにしてあった。福岡空港の公衆電話でスマホを家に忘れてしまった事だけは家族を経由して連絡できたが、何時に何処で会うのか電話する必要があった。「今電車に乗っている」と息子が言うので「東京駅の北口で会おう」と手短に伝えた。自転車に乗っている者同士だから、見ず知らずの私を助けてくれたのだろう。何時頃になるか、丸の内側にしよう、という事は車内で話しずらそうだし、借りたスマホだからゆっくり電話連絡できなかった。12時を過ぎていたので、雷門へ行く事は断念して、東京駅に戻った。駅に戻る途中で日本橋を通過した。「1号線」の道路標識や日本橋の写真を撮る余裕は無かったが、信号が赤で停まった時、三越本店の写真を撮った。12時55分だった。

東京駅丸の内北口で、息子と会う事が出来て、遅い昼食を一緒に食べて、自転車を彼に預けた。彼は私の自転車に乗って約30キロを走り、新柏の住宅に帰った。途中はスカイツリーの近くを走ったらしく、後日その写真が届いた。

夜の飲み会まで時間が十分あったので、山手線で東京から上野まで行き、公園口に出てみると人が多く、銀杏が綺麗だった。60年前の西郷像が何処にあるのか捜した。美術館や博物館があり、人が多い公園口付近でなく、御徒町寄りのひっそりした場所に西郷隆盛銅像があった。

今では上野は西郷よりパンダが人気なんだと思わせるパンダ像が目に付いた。

夜の飲み会まで、時間があったので、上野から秋葉原まで散歩した。11年前にDAHONで走った道。20数年前に新橋で働いていた時、アメ横を観て歩いた事があったし、家電小物品の商談でLAOXやオノデンへ行った事がある、昔の馴染みの界隈です。メイドカフェの呼び込みがまだあったし、懐かしい気持ちと、かなり変わってしまったと思いながら、歩行者天国の秋葉原を歩いた。

2.新宿飲み会
12月1日午後4時半、ミュンヘン新宿小田急ハルク店にて自転車仲間の飲み会
日程と新宿という場所を決めたのは、諫早の久保さん。店を選んで予約したのは横浜の井上さん。久保さんは今年の夏に、3か月間のドイツのメルヘン街道、モーゼル自転車道、ドナウ川の自転車旅行をした。井上さんは1か月のサンティアゴ巡礼自転車旅行をして、帰国時に羽田空港で一瞬会えたが、旅行中の話をしようと集まる事になった。私は自転車旅行に慣れていない久保さんに、ドイツの道路地図や自分の旅程を参考に提供した。久保さんに井上さんを紹介し、井上さんは旅行中の久保さんに民宿やキャンプ場につてLINEを使って久保さんをサポートした。お世話になったお礼を言いたいと久保さんが言い出しっぺ、の飲み会でした。
昔、京都でドイツへ行った自転車仲間として、AnPonmanさん、伯田さん、井上さんと私が集まったのと少し似た様な会合でした。
井上さんは横浜の自宅、久保さんは新宿のホテルに泊まるので、遅くなっても良かったが、私は新柏の息子の住宅に泊まるので、2人を残して7時過ぎに彼等と別れた。

3.甲州街道銀杏並木ポタリング
12月2日 新柏~柏~新松戸~西国分寺~八王子ー西八王子ー八王子~神田~浜松町~羽田空港~福岡空港~博多~自宅
単身赴任で新柏に住んでいる息子が、午前中は休みを取って朝食を準備してくれた。食後10時頃まで、息子と仕事や家族やスポーツなどについて雑談をした。
彼は明治神宮外苑の銀杏が綺麗だと勧めてくれたが、自転車で乗り入れ出来ないと思った。20数年前に南柏の寮に住んでいた時、八王子の友達と会って石和のワイナリーを案内してもらった事があり、甲州街道の銀杏並木があったはずと思い出してブロンプトンで走ることにした。常磐線、武蔵野線、中央線の電車輪行で八王子に向かった。
八王子駅の改札を出て、即、自転車を輪行袋から取り出して組立て、駅前に出たのは午後1時前でした。

20数年前に何度か来た八王子でしたが、自分で運転したのでなくて、友人が車で案内してくれたので、土地勘が殆ど無いことに気付いた。駅前の広い道路が国道20号線で西に走ると大月に出るから、甲州街道に違いない。地元の人と思える軽トラックの運転手に「銀杏並木はどこですか?」と問合せしたが、彼は知らなかった。夕方には羽田空港に戻る必要があり、高尾から峠を越えて相模湖までは走る時間が無かったが、取り合えず西方向に走ると、銀杏並木があった。

往復、約6キロを走って八王子駅に戻った。

中央線は昔、人身事故が多くて電車が遅れる事が多かったので、早めに空港に戻る為、13時40分発の中央特快に乗った。平日の退勤ラッシュを避けたいし、海外からの観光客が多くて混んだ電車に乗りたくなかった。神田、浜松町を経由して、羽田空港には午後3時前に着いた。予約した福岡行きは18時発で、3時間も前だったが、ソフトケースの輪行袋に入れた自転車を、eチケット控えにより、チェックインする事が出来た。
お土産を購入し、空港が見える5階のレストランで、自分としては少しリッチな夕飯を食べた。離着陸する飛行機を見て静かな雰囲気が良かった。

20時16分、福岡空港で自転車を受け取った。ANAは自転車旅行者にはすごく親切です。プレミアムシートのお客様は、ターンテーブルに手荷物が早く出てくるが、客は自分で荷物をターンテーブルから引きずり下ろす。ところが自転車は、係員が自転車をぶつけない様に気を付けながら大切に運んで大型荷物のカウンターまで持って来てくれる。VIP待遇!「カートが必要なら持ってきましょうか?」とまで言ってくれた。

地下鉄で博多に出て、JR福北ゆたか線に乗って自宅に近い最寄り駅で降りて、自宅まで自転車で走り、東京ポタリングを終わった。
東京をよく知らない高校生だった私が東京タワー、国会議事堂、二重橋を走れたのは、それが国道1号線に近いからだったのだと納得した。
高校時代は体力が十分あり、恐れをしらなかったが、60年後の私は体力に自信が無くなりつつあり、臆病だから事前にグーグルマップで地形を覚えたし、ガーミンGPSに目的地を入れて持参したが、スマホを持ち忘れ、GPSは衛星の受信が出来なくて使えなかった。60年前はランドナー、今回はブロンプトンの折り畳み自転車であった。自宅の階段を上り下りする時は手摺りを持たないとフラフラしていたが、自転車を担いで駅の階段をスイスイ上ることができた。夏の那智山輪行と今回の東京ポタリングの結果、ブロンプトンは街を走るのに便利と思った。
高校時代の写真を参考に載せておきます。


2024年12月1日に新宿のビアレストランにて「欧州自転車旅行帰国祝賀会」が行われるので福岡からANAの羽田行きを利用して参加する事になった。手荷物について調べると折り畳み自転車はソフトケースに入れて運んでくれる。最近自転車旅行をしていないから、折角の機会なので、ブロンプトンの輪行をしてみようと思った。
自分が高校3年生だった、1964年7月11日、大阪の自宅を出発して東京まで自転車で往復した。地図も持たずに「国道1号線を東へ走れば東京へ行ける」と信じて道路標識を頼りにペダルを踏んだ。往復1264キロを1週間で走った。アルバムを見ると東京タワー、国会議事堂、二重橋、東京駅、上野の西郷像があった。
同じ場所に、60年後の今年、夏に購入した自転車と一緒に立ってみよう。
1.東京観光
12月1日 飛行機輪行して浜松町から東京駅をブロンプトンで走った。
自宅~(マイカー)~福岡空港~(モノレール)~浜松町ー東京タワーー新橋ー国会議事堂ー二重橋ー東京駅
12月1日朝4時半過ぎ、自宅からJRの最寄り駅まで自走した後、自転車を折り畳んで始発の電車に乗るつもりで目覚ましをセットしていました。
起きてから、当初予定を変更して、マイカーに自転車を積んで空港まで走る事になり、玄関に走れる状態で置いてあった自転車を折り畳み、荷台に乗せて、4時55分出発しました。通勤時間帯なら1時間半以上かかりますが、早朝なので1時間もかからず、5時50分には空港に到着しました。ANAの国内線に乗るのは、多分10年ぶり。デジタル化が進んで、オンラインチェックインを必要とするので、初めてスマホにアプリを入れて前日チェックインを済ませていました。8時発の羽田行きだから、2時間前の6時には自転車を預けられるのではないかと、空港で自転車を輪行袋に入れてカウンターへ行き、スマホを入れたはずのウエストポーチを捜すと、家にスマホを忘れた事に気付きました。幸い「eチケットお客様控」をコピーして持参していたので、無事に自転車を「手荷物」として預け、搭乗券を発行してもらえました。
昔は自転車のタイヤを減圧したか?確認されましたが、全く求められませんでした。重量は12.2キロでした。
スマホを忘れた事を家族に知らせようと出発ロビーにあったNTTの公衆電話を使おうとして、固定電話の電話番号は知っているが、スマホの番号を全然覚えていないので、すごく不便に感じました。
定刻の8時に出発したANA242便の左側の窓に、冠雪した富士山が見えました。

9時半過ぎに、羽田に着き、モノレールで浜松町へ向かいました。25年前は現金でチケットを買ってモノレールに乗っていましたが、今はICOCAで乗ることが出来ました。乗客が少なく、途中駅に停まることなく、浜松町に着きました。改札を出て、輪行袋から自転車を取り出して、自転車を組立て、工事中の狭い通路を撮りっ増上寺側に出ました。
最初の目的地は、東京タワーです。フッと西側を見ると、ビルの谷間に増上寺が見え、その上に、東京タワーの上部が見えていたので、道に迷うことなく簡単に東京タワーに行くことが出来た。


25年ほど前は、新橋にある販社に3年あまり出向おり、毎日通勤で利用していた新橋駅が懐かしくて、立ち寄ってみました。酔っ払いサラリーマンがよくインタビューされているSLは、その当時と同じでした。

次は国会議事堂。新橋から霞が関に向かって行けば、その先にあるのだろうけど、見つからなければパスしてもいいか、と思っていましたが、進行方向の銀杏の木の上に、議事堂の三角の屋根が見えました。都心ではあるけど、自転車通行帯の表示が路上にあり、通行量も少ないので、全く危険な感じなく走ることが出来ます。


二重橋はどちらの方向ですか?と議事堂前の警備の人に尋ねて進むと見覚えた風景の場所に出た。「ジョギングの人と自転車は迂回せよ」と警備の人が誘導していたが、「どうしても二重橋の見える場所まで行きたい」と懇願すると、もう一人の警備員に聞いてみろと言われ、その人も次の警備員に確認して「本当は乗り入れ禁止だけど、押して入っていい」とやっと許可を得た。60年前と同じ場所に立って自転車を置いて写真を撮った。自分と自転車を二重橋を背景に写真撮って欲しいので、近くの警備員にお願いすると、規則として自転車がダメなのだから、写真撮った事が分かると好ましくないと拒否され、「誰が許可したのか?直ぐに立ち去れ」と言われてしまった。内心、許してあげたいけど、規則だから自分の責任では許可したくないという態度がありあり。観光客が多くて60年前と違うのは仕方ないと退散した。

東京駅前での写真は南口と中央で撮ったが、60年前は北口だったのかも?


浅草の雷門へ行きたかったので、東京駅から上野に向かって走っていたが、トイレに行きたくなったので、御徒町付近のコンビニに寄って小便し、サンドイッチを買って店の前で食べた。
しばらく走ると、交差点で停まっていたビアンキのチャリダーが居たので、浅草へ行く道を聞いてみた。頭の中にボンヤリ考えていた方向が間違っていない様だった。
親切な青年だったので、「スマホを忘れて公衆電話を捜しているが見つからない」と困っている事を話してみると、「自分のスマホで連絡とればいい」と彼のスマホで息子の電話番号に電話してくれた。
実は、息子が単身赴任で千葉に居り、彼は朝から横浜で用事があるが、午後1時頃には都心に戻れるので、東京か上野で会うことにしてあった。福岡空港の公衆電話でスマホを家に忘れてしまった事だけは家族を経由して連絡できたが、何時に何処で会うのか電話する必要があった。「今電車に乗っている」と息子が言うので「東京駅の北口で会おう」と手短に伝えた。自転車に乗っている者同士だから、見ず知らずの私を助けてくれたのだろう。何時頃になるか、丸の内側にしよう、という事は車内で話しずらそうだし、借りたスマホだからゆっくり電話連絡できなかった。12時を過ぎていたので、雷門へ行く事は断念して、東京駅に戻った。駅に戻る途中で日本橋を通過した。「1号線」の道路標識や日本橋の写真を撮る余裕は無かったが、信号が赤で停まった時、三越本店の写真を撮った。12時55分だった。

東京駅丸の内北口で、息子と会う事が出来て、遅い昼食を一緒に食べて、自転車を彼に預けた。彼は私の自転車に乗って約30キロを走り、新柏の住宅に帰った。途中はスカイツリーの近くを走ったらしく、後日その写真が届いた。

夜の飲み会まで時間が十分あったので、山手線で東京から上野まで行き、公園口に出てみると人が多く、銀杏が綺麗だった。60年前の西郷像が何処にあるのか捜した。美術館や博物館があり、人が多い公園口付近でなく、御徒町寄りのひっそりした場所に西郷隆盛銅像があった。


今では上野は西郷よりパンダが人気なんだと思わせるパンダ像が目に付いた。

夜の飲み会まで、時間があったので、上野から秋葉原まで散歩した。11年前にDAHONで走った道。20数年前に新橋で働いていた時、アメ横を観て歩いた事があったし、家電小物品の商談でLAOXやオノデンへ行った事がある、昔の馴染みの界隈です。メイドカフェの呼び込みがまだあったし、懐かしい気持ちと、かなり変わってしまったと思いながら、歩行者天国の秋葉原を歩いた。


2.新宿飲み会
12月1日午後4時半、ミュンヘン新宿小田急ハルク店にて自転車仲間の飲み会
日程と新宿という場所を決めたのは、諫早の久保さん。店を選んで予約したのは横浜の井上さん。久保さんは今年の夏に、3か月間のドイツのメルヘン街道、モーゼル自転車道、ドナウ川の自転車旅行をした。井上さんは1か月のサンティアゴ巡礼自転車旅行をして、帰国時に羽田空港で一瞬会えたが、旅行中の話をしようと集まる事になった。私は自転車旅行に慣れていない久保さんに、ドイツの道路地図や自分の旅程を参考に提供した。久保さんに井上さんを紹介し、井上さんは旅行中の久保さんに民宿やキャンプ場につてLINEを使って久保さんをサポートした。お世話になったお礼を言いたいと久保さんが言い出しっぺ、の飲み会でした。
昔、京都でドイツへ行った自転車仲間として、AnPonmanさん、伯田さん、井上さんと私が集まったのと少し似た様な会合でした。
井上さんは横浜の自宅、久保さんは新宿のホテルに泊まるので、遅くなっても良かったが、私は新柏の息子の住宅に泊まるので、2人を残して7時過ぎに彼等と別れた。

3.甲州街道銀杏並木ポタリング
12月2日 新柏~柏~新松戸~西国分寺~八王子ー西八王子ー八王子~神田~浜松町~羽田空港~福岡空港~博多~自宅
単身赴任で新柏に住んでいる息子が、午前中は休みを取って朝食を準備してくれた。食後10時頃まで、息子と仕事や家族やスポーツなどについて雑談をした。
彼は明治神宮外苑の銀杏が綺麗だと勧めてくれたが、自転車で乗り入れ出来ないと思った。20数年前に南柏の寮に住んでいた時、八王子の友達と会って石和のワイナリーを案内してもらった事があり、甲州街道の銀杏並木があったはずと思い出してブロンプトンで走ることにした。常磐線、武蔵野線、中央線の電車輪行で八王子に向かった。
八王子駅の改札を出て、即、自転車を輪行袋から取り出して組立て、駅前に出たのは午後1時前でした。


20数年前に何度か来た八王子でしたが、自分で運転したのでなくて、友人が車で案内してくれたので、土地勘が殆ど無いことに気付いた。駅前の広い道路が国道20号線で西に走ると大月に出るから、甲州街道に違いない。地元の人と思える軽トラックの運転手に「銀杏並木はどこですか?」と問合せしたが、彼は知らなかった。夕方には羽田空港に戻る必要があり、高尾から峠を越えて相模湖までは走る時間が無かったが、取り合えず西方向に走ると、銀杏並木があった。


往復、約6キロを走って八王子駅に戻った。

中央線は昔、人身事故が多くて電車が遅れる事が多かったので、早めに空港に戻る為、13時40分発の中央特快に乗った。平日の退勤ラッシュを避けたいし、海外からの観光客が多くて混んだ電車に乗りたくなかった。神田、浜松町を経由して、羽田空港には午後3時前に着いた。予約した福岡行きは18時発で、3時間も前だったが、ソフトケースの輪行袋に入れた自転車を、eチケット控えにより、チェックインする事が出来た。
お土産を購入し、空港が見える5階のレストランで、自分としては少しリッチな夕飯を食べた。離着陸する飛行機を見て静かな雰囲気が良かった。



20時16分、福岡空港で自転車を受け取った。ANAは自転車旅行者にはすごく親切です。プレミアムシートのお客様は、ターンテーブルに手荷物が早く出てくるが、客は自分で荷物をターンテーブルから引きずり下ろす。ところが自転車は、係員が自転車をぶつけない様に気を付けながら大切に運んで大型荷物のカウンターまで持って来てくれる。VIP待遇!「カートが必要なら持ってきましょうか?」とまで言ってくれた。

地下鉄で博多に出て、JR福北ゆたか線に乗って自宅に近い最寄り駅で降りて、自宅まで自転車で走り、東京ポタリングを終わった。
東京をよく知らない高校生だった私が東京タワー、国会議事堂、二重橋を走れたのは、それが国道1号線に近いからだったのだと納得した。
高校時代は体力が十分あり、恐れをしらなかったが、60年後の私は体力に自信が無くなりつつあり、臆病だから事前にグーグルマップで地形を覚えたし、ガーミンGPSに目的地を入れて持参したが、スマホを持ち忘れ、GPSは衛星の受信が出来なくて使えなかった。60年前はランドナー、今回はブロンプトンの折り畳み自転車であった。自宅の階段を上り下りする時は手摺りを持たないとフラフラしていたが、自転車を担いで駅の階段をスイスイ上ることができた。夏の那智山輪行と今回の東京ポタリングの結果、ブロンプトンは街を走るのに便利と思った。
高校時代の写真を参考に載せておきます。




