紀見峠のところから、
まだ少し上に上がってゆく
道路がありますので、
そちらに向かいましょう。
このあたりは先ほどから行ってたように
岡潔(おか きよし)の生誕地である
とともに、墓地もあるそうだ。
案内看板があるので見に行きましたが、
よくわからなかったです。
でもこのあたりには山の中なのに
意外に昔の町並みが続いており、
家の表札とか見ていると、
苗字が「岡」という家もありますねえ。
実際に生家なのかもわかりませんが、
明らかにはされていないようです。
多分家族とかが住んでいるのかなあ。
静かな山の里で天才的な脳みそが生まれ、
亡くなって行ったんですねえ。
その墓の方にも上がっていくと、
腰痛の神様というのもありました。
まあ通い続けたら腰も良くなるような、
急傾斜の坂道が続いていました。
どこがその神様なのかもよくわかりません。
いやあなんかdoironの探索する気持ちが
とってもぬるいですねえ。
すみません。
進んでいくと、道の右側に「岡潔」の
記念碑なんかが建てられています。
そこには小さな公園もあり、
遠くの景色も見えていたりしたので、
ここで昼食にしましょう。
ベンチや小さなテーブルなんかも
ありますから好都合ですね。
今日のご飯はお弁当ですが、
湯を沸かせれるようにしてきてるので、
こんな味噌汁も用意しました。
遠くには、橋本の景色なんかが
見えていると思います。
コスモスごしにみえている景色を
友だちに写メールしておきました。
昔自転車でこのあたりを練習で
上り下りしている頃には、
こんな景色は見えなかったですね。
あの頃の友人たちはどうしているのかなあ。
まだレースに出てたりするのかなあ。
みんなワクチン打ったやろなあ
なんて考えながら、年月の流れの速さを、
いつもより深く考えてしまいましたねえ。
さあでは高野街道を下ってゆきましょう。
国道を下ってゆけばよいのだが、
紀見峠駅に向かう道は
深そうな山の中で面白そうなので、
そちらを下ってゆくことにしました。
情緒の道の木札も立ち、
駅へと向かう道標も立っています。
急な傾斜の山道を下りながら、
下から若い子が上がってきます。
ああこんな道を通学とかで通う
学生さんなんかは大変やろなあ。
途中でこんな地蔵堂もあったりしながら、
つま先が痛くなるほどの
急な傾斜を下ってゆきます。
そうして下の農村に出たところで
紀見峠越えは終了です。
ヒガンバナが咲き、
カキも実った秋の光景ですねえ。
ここから国道を超え紀見峠駅を
目指してもいいのですが、
「林間田園都市」の駅の方が
車を止められそうなんで
そちらを目指してゆきましょう。
次回以降の計画に合わせて歩行します。
国道371号の広い歩道を歩いて行きます。
右の谷の方の景色も秋ですねえ。
前方に旗がいっぱい立っていますよ。
橋本の柿の案内ですねえ。
そこから右に曲がって慶賀野橋を
渡ってゆきます。
遠くに見える高層マンションの
向こう側あたりが駅のようです。
慶賀野橋を渡ってからどんどんと
登ってゆきますと左手に
駅が見えてきましたね。
駅の横には駐車場もありそうなので、
次回橋本の市街地の方へ高野街道で
向かって行く時はここに
車をとめていきましょう。
乗り降りする人は多いのかなあ、
立派な駅です。
千早口や天見の駅と近接している
とは思えないような姿です。
そしてマンホールのふたも橋本のものです。
そこから電車に乗り、
今回は車をとめてある河内長野へと
戻ってゆきます。
電車をうまく利用して
高野街道も随分と進んできました。
秋の山の景色や、街の景色を
じっくり楽しんだ、
気持ちいい紀見峠越えの高野街道。
今回はこれで終わりです。
紀見トンネルとして道がつながるまでは、
ここの峠は山越えでつながっていました。
大阪から高野山はけわしい山道を
超えて行ったんですねえ。
前方遠くに世界遺産の玄関口
と書かれた看板がつけられた
紀見トンネルの入り口が見えてきました。
その入り口を見ながら、
街道コースは峠を越えるべく
右の山道の方へと入ってゆきます。
いきなり登りが続きますねえ。
道沿いにはシシウドが生えています。
あ、右側に先程下で見た看板が
見えていますねえ。
橋本の柿を宣伝しているようです。
ん?看板の字の横に何かついていますよ。
アップで見てみると、
おお~スズメバチ類の巣です。
今の時期のスズメバチは怖いですねえ。
近寄らないように、こちらも
コースの周辺を注意しながら
歩いてゆきましょう。
前からロードバイクが降りてきましたよ。
このあたり、昔は知り合いの
トライアスリートが結構いたので、
顔面チェックをしていると、
バイクの人は軽く頭を下げますねえ。
ランナーは無視する人が多いのですが、
バイカーは愛想がいいです。
あ、ここには「情緒の道」と
書かれた石が建っていますよ。
このあたりで生まれた
天才的数学者「岡潔」氏が説いた
「人の中心は情緒である」という言葉から、
こういう名前を付けたそうだ。
ではその岡潔とはどういう人か。
何となく名前は憶えていますねえ。
歴史で習ったのかなあ。
この人は世界の難問といわれる数学の問題を
解いた人ともいわれるし、
また学生を襲ってその制服を奪い、
それを着て空き地で昼寝を
していた人なんて話も聞いたりする。
超難問の数学問題を解く人なんてのは、
どこかで心理的に人と違う部分が
あったりするのかな。
で、情緒の道とはこのあたり一帯を
通る道につけられた名前だそうです。
ああ、街道は楽しいなあ、
秋の山は気持ちいなあ
とか情緒たっぷりに歩いて行きましょう。
この紀見峠を越えていく道は
自然がたっぷりです。
ツリフネソウ
イヌタデ
チカラシバ。
そうそう秋の収穫むかごも豊作です。
ここのは大型でしたねえ。
立派なムカゴご飯になりました。
そして歩いていると、
道にアケビが散らかっています。
見ると高い所で実がなっていますねえ。
かなりの量のアケビがあります。
このあたりはすごいですねえ。
でもああんな高い所にある
アケビの食べかすが地面に
いっぱいになるほど、
誰がとったのでしょうか。
鳥とかが多いのかなあ。
実はこのアケビのツルを使って、
何かざるっぽい物を作ってみよう
と思い、今回地面近くにはみ出している
ツルを少しだけいただいてきました。
これをどのようにして
編めるようにできるのか、
それは今は勉強中です。
とまあそんな自然とおっさんが
たわむれながら進んでいくと、
ああありがたいですねえ。
きれいなトイレが整備されています。
そして道はどうやら
ダイヤモンドトレイルと交わる場所で、
金剛山とつながる交差点に出てきます。
ああ、もうぼちぼち峠の
てっぺんのような感じですねえ。
そう、ここが紀見峠です。
標高は約400mになります。
地図が置かれてあったり、
情緒の道の石が建っていたりします。
歴史街道紀見峠の看板もあります。
そして、高野街道を歩いている人には
重要な、高野山六里道標石があります。
千早口の駅の先にあった
7里からまた1里、高野山に
近づきましたねえ。
このあたりは河内と紀伊を結ぶ
番所があったといわれています。
そう、堺から歩き続けてきた街道も、
ここでようやく和歌山県に
入っていくことになるのです。
続く
電車で天見に到着です。
数人が電車を降りました。
駅の外に出てゆきますと、
あああのダイヤモンドトレイルの
レースの時を思い出します。
駅前には店もありません。
小さな公園広場がひとつあるだけです。
前回はこの駅の切符売り場の横で
お弁当を食べましたねえ。
そんなことを思い出しながら
スタートしてゆきましょう。
地図ではここから国道の方へと
出てゆくことになっていますが、
さして遺跡とかもないので
しばらくは山の下の散策路を
緑を眺めながら歩いてゆきましょう。
ダイトレレースもこの道を
走ってくるはずです。
濃い緑の中をクモの巣に注意しながら
歩いてゆきます。
どうもこの道は高野線の旧廃線跡
じゃないですかねえ。
まっすぐに山すそを通ってゆきます。
このあたりヤブミョウガが多いですねえ。
葉っぱがミョウガに似ている
ということでこんな名前になっています。
どこかにミョウガの新芽が
できるのかなあと思ってしまいますが、
それは間違い。
いくら待ってもそんな食べられる
ミョウガはできません。
ミョウガはショウガ科の植物ですが、
このヤブミョウガはツユクサ科
ですから違っています。
せいぜい若芽の葉っぱを塩茹でに
して食べる感じだそうです。
葛なんかも花を咲かせています。
こんな気持ちいい山の廃線跡部分の
散歩道をてくてく歩いてゆきましょう。
やがて、山道に住宅が接し始めたとこに、
蟹井神社があらわれます。
もともとは荘の名前をとって
甲斐神社といわれていたのですが、
火事で焼失後に建て替えられ
「蟹井神社」と名付けられたそうです。
西暦では1600年代だそうです。
サワガニでもたくさん
いたのかなとおもったら、
甲斐神社が口伝でこうなった
のではないかという説があります。
その神社は山の上にあり、
道から階段を上がっていくように
なっていますが、一目見ただけでも
葉っぱが階段上部に蜘蛛の巣に
ぶら下がっていたりしています。
ウヒャーこれはきついですねえ。
と思ったら右手の方に階段ではない
横道があるので、まずはそちらを
登ってゆきましょう。
この神社はこのあたりの産土の神様ですね。
神武天皇や応神天皇、神功皇后を
祀っています。
氏子は200件余り。
秋の祭りには高提灯をかかげて
祇園ばやしを唄いながら
参拝するそうです。
本殿にしっかりお参りし、
参道をクモの巣に注意しながら
降りてきました。
向こうの方にみえるのは
南海高野線の紀見峠トンネルの
工事現場でしょうか。
高野街道はここから、
紀見トンネルに入っていく道のある
国道の方に出てゆきますが、
すぐに右側の昔からの道に
入ってゆきます。
地面の端っこにこんな案内板が
張られているので、それを目当てにして
脇道に入ってゆくことにしましょう。
旧道に入るとほっとしますねえ。
昔ここを高野山を目指して
歩いた人のことを想像させます。
空海さんは今も祈ってはるのかなあ、
これからの人生、もっといいことあるかなあ
なんて考えてはったんのかもしれません。
旧道らしく水路にはこんな橋が
かかっていたり、途中こんな
養蜂箱もありました。
そんななんか楽しい旧道は
すぐに国道と合流してしまいます。
仕方ないので、今度は国道の歩道を
歩いて行きますよ。
なんかこれは古い建物ですねえ。
調べたら南海の旧の変電所らしいです。
このあたりは山も深く、
道沿いには大きな栗が
いっぱい実っていますよ。
この国道は何度も車で通ったし、
むかしは自転車でも通りました。
そんなことを思い出しますねえ。
さあ、ではいよいよ今回の最大の目的地である
紀見峠への道が近づいてきました。
つづく
高野街道もどんどん進んで
女人堂まで7里の里程石を超えました。
西高野街道の13里の里程石から
ずっと歩き始めてここまで来ています。
河内長野以降は西高野、中高野、
東高野、下高野街道が合流して
1本の高野街道になっており、
静かな山間の里を大きな道路を
縫うように続いています。
堺から河内長野までは、以前働いていた
職場のランニング仲間と歩きましたが、
河内長野から先は一人で歩いています。
なかなか道がわかりにくいし、
たまに大きな道路の歩道のない部分を
歩いたりするので、
大勢だと危険ということもあります。
皆さん退職後悠々と暮らしてはるのに
事故、けがなどは全くNGですからね。
歩いてみてよければ
また機会を見て誘いますかね。
河内長野から三日市町、三日市町から千早口、
千早口から天見までと分けて最近歩いてきました。
なかなか谷あいの狭い道で、
高野街道の上に地域の人々の
暮らしが重なってあいまいと
なっている部分もありましたね。
でもここが有名な高野街道であると、
少しは地元も意識され、
こんな案内が地面に
張り付けられたりしています。
でもねえ小さくて、
なかなか探し出すのはむつかしいです。
しかしながらdoironは、人々の思いを感じながら
頑張って歩きます。
「西高野街道に遊ぶ」という本があります。
そこには経路なんかもかかれているので、
それを参考にしますし、
今回地図も、大阪府が作ったマップを
手に入れましたしね。
これらを参考に、では前回の続き、
天見から紀見峠を目指して
歩いて行くことにしましょう。
まずは車で河内長野を目指してゆきます。
河内長野駅前には観光案内所があります。
以前もそこに寄って
地図を手に入れたのですが、
その地図のぼちぼち範囲を超えてきます。
なので、今回もそこによって
もう少しいい資料がないか
聞くことにしましょう。
そののちに電車に乗って
天見へと向かう計画です。
車をいずみから走らせて、
天野山をこえて向かいます。
以前河内長野には車をとめているので、
そこを目指して順調に進んでいくのですが、
河内長野の七ッ辻のあたりからは
結構な渋滞です。
家を出て一時間くらいで車は到着です。
まずは駅前の観光案内所を目指します。
中に入ってゆくと
「おはようございます。何か案内しましょうか」
と言われたので、
「高野街道を和歌山向いてゆくのですが」
というと
「ああでしたらこんなのがありますよ」
と言って出されたのが、
ウォーキングマップです。
この資料の地図は、大阪府が作成した
地図を使っています。
大阪府ではこの地図はもう今は
品切れになっていますので、
貴重な地図ということになります。
かつては大阪府も熊野古道、
竹内街道、高野街道などの
ウォーキングマップを作っていました。
でもこれがもう印刷切れで
在庫がない時代になっています。
でもねえ、こんなサービスを
ズバズバ切らないでほしいねえ。
歩く人にとって地図はとても大事です。
1部100円でもいいから有料にして
販売すればいいのにねえ。
歩く人の多い今の世の中、
売れると思うけどなあ。
ちなみに、doironは熊野古道と
竹内街道は大阪府作成の
地図を持っています。
観光案内所でそんな連携した
無料の地図を手に入れましたので、
それを握りしめて
河内長野の駅に行きましょう。
今日、目的にしています駅は
南海高野線で河内長野から
4つ目の駅である「天見」駅です。
昔南北朝時代には「安満見」と
書いていたそうです。
岩湧山のふもとでもあり、
ダイヤモンドトレイルレースの
ゴールでもあります。
続く
滝畑散策andススキとりに向けて、
お弁当持参できました。
瀧口明神の所には今も人々が
半夏生に集まっているのかな。
半夏生とは七十二候の1つ
「半夏生」(はんげしょうず)から
作られた暦日で、かつては
夏至から数えて11日目としていましたが、
現在では天球上の黄経100度の点を
太陽が通過する日となっています。
毎年7月2日頃にあたります。
この日までに水稲の植え付けが
終わるとかの農業関係で節目となる
ことが多く、農業仕事をしていた人の
大事なイベントがあったりすることが多いです。
そんな半夏生に今もこの明神で
昔のようにイベントしているのかな。
ここには10人くらい座れる
四阿がありますので、
そこにオッチンして昼飯としましょう。
まずはスズメバチの巣はないかな?
マムシとか蛇類はいないかな
と注意しながら入ってゆきます。
巨大なクモがいたくらいでしたので、
大丈夫です。
昔BBQをしようと山の四阿に行ったら
巨大なハチの巣があることに
荷物広げてから気が付いて、
そ~っと引き上げてきたことがあったので、
この辺はとても注意しています。
ではお湯を沸かして味噌汁も入れましょう。
これからの季節はこういう料理が
とてもおいしくなってきますね。
さあでは、今日の目的の一つである
ススキの収集に架かりましょう。
ダムの周りにもススキが
生えているのですが、
もしかしてそんなことはないでしょうが、
ダム周辺の管理上必要だとされているならいけません。
でもここに車でも見ましたが
途中にたくさん生えていたから、
帰宅時に収集していくことにしましょう。
帰りはハーフマラソンのコースではなく、
サイクルスポーツセンター前の道を
下ってゆきます。
途中広くなっているバス停の
ようなところがあったので、
そこに停車してススキを刈りに行きます。
100均の植木ばさみを持っていきます。
大きく開いている奴と、
まだまだこれから咲いていくよ
という若いすすきをとっていきます。
昔はねえ、義理の父母の家にもとりましたが、
もう今は一軒分だけです。
つつましくいただいてゆきます。
ついでに萩もあればと思ったのですが、
こちらはいただけそうなところには
なかったですね。
まあススキだけでいいとしましょう。
持ち帰って早速飾りました。
いいですねえ。
でもこの日の夜空はクモが多くて、
なかなかきれいな月が撮影できません。
すすきのバックにも移ってますが、
ボヤっと明るいだけです。
別途、出て来たかなあと言う時に
撮影しましたが、
さほどきれいではないですね。
でもそんな月夜の晩に
遠くのコンビニまでチューハイを買いに
お散歩に行きます。
十五夜だから、いつもより散歩が多いかも。
そんな感じで、十五夜の月や
ススキを見ながら、
今年の秋はあちこち行ったなあ
なんて思いを馳せましたねえ。
そして、今日の滝畑も思い出しつつ、
お酒もいただいて
計画通りのんびりした
doironの十五夜だったのでした。