お正月明けて最初の週末、ワン達にはお留守番してもらってお出かけへ。
まずは溜池山王で下車し、ANAインターコンチでバケットを購入。(ついでに)
そして空腹を満たすため訪れたのが「赤坂一龍別館」
昨年末「牛村」でソルロンタンを食べたら「一龍」と食べ比べをしてみたくなったんだよね。
パンチャン11品と多め。
ソルロンタンは厚めのお肉がたくさんであっさり頂けるお味。
(パンチャンの多さと肉感は金額を考えればこのくらいあって当然?)
気になるカクテキは…粗めの唐辛子で発酵が進んでいる酸っぱさはなかなか美味。
今回も1,000円分お持ち帰りしました。
総合的な私個人の感想
とても美味しくいただきましたが、牛村の方が好みかなぁと感じました。
ごちそうさまでした(_^_)
お腹を満たしたら神谷町に移動し、昨年末も訪れた「愛宕神社」へ。
新しい年を迎え改めてお参りしたかったのでね。
前回と違ってそれなりの人出。
今回も頑張って登りました∩(`・ω・´)∩
この急階段が伝わるだろうか・・・
私は本当にキツくて左端の手すりに掴まらないと厳しいんだよね(・・;)
到着した頃には息絶え絶えで太ももはパンパンです。
バケットとカクテキを両手に軽々?登れる旦那さまは男子だね。
階段の登りきったところには参拝者の列が。
ここで少し愛宕神社について
1603年徳川家康の命により創建。
天然の山としては23区で一番高く標高26m。
江戸時代には見晴らしの名所として知られ、東京湾や房総半島まで見渡すことができたとか。
ご利益は防火・防災、商売繁盛、恋愛・結婚・縁結びなど。
「出世の階段」の由来 (HPより転載)
講談「寛永三馬術」の中の曲垣平九郎(まがき・へいくろう)の故事にちなみます。
時は寛永11年、江戸三代将軍、家光公が将軍家の菩提寺である芝の増上寺にご参詣のお帰りに、
ここ愛宕神社の下を通りました。折しも春、愛宕山には源平の梅が満開。家光公は、その梅を目にされ、
「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」と命ぜられました。
しかしこの愛宕山の石段はとても急勾配。歩いてのぼり降りをするのすら、ちょっと勇気が必要なのに、
馬でこの石段をのぼって梅を取ってくることなど、とてもできそうにありません。
下手すれば、よくて重傷、悪ければ命を落としそう。家臣たちは、みな一様に下を向いております。
家光公は、みるみる機嫌が悪くなり、もう少したてば、怒りバクハツ!というそのときに、
この石段をパカッ、パカッ、パカッとのぼりはじめた者がおりました。家光公。その者の顔に見覚えがありません。
「あの者は誰だ」
近習の臣に知る者はありません。
「おそれながら」
「おう」
「あの者は四国丸亀藩の家臣で曲垣平九郎(まがき・へいくろう)と申す者でございます」
「そうか。この泰平の世に馬術の稽古怠りなきこと、まことにあっぱれである」
平九郎は見事、山上の梅を手折り、馬にて石段をのぼり降りし、家光公に梅を献上いたしました。
平九郎は家光公より「日本一の馬術の名人」と讃えられ、その名は一日にして全国にとどろいたと伝えられております。
という逸話から来ているとされています。
以降、出世の石段を馬で上り成功した例が3例あるとか!
1番新しいところでは1982年のTV番組企画で馬術スタントマン渡辺隆馬氏が32秒で登頂したそうな。
’82年か・・・私ったらすっかり物心ついてたお年頃だから観たかったな。
しっかりお参りしてきました。
旦那さまをはじめ、私もいい仕事が出来ますように。
「太郎坊社」では旅行や開拓の守護神である猿田彦神(サルタヒコノカミ)に素敵な旅が出来るよう
お願いしてまいりました。
お守りはこちらをいただいてきました。
このあと「Fermier 愛宕店」に立ち寄りチーズ4種購入♪
このチーズの記録はまた後日。。。
昼前に出かけ帰宅したのは16:30PM。
少し長めのお留守番だったワン達はたいそうご立腹ヽ(*`Д´)ノ
次はみんなでお参り行こうね(▽・w・▽)