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☆=☆☆☆☆☆
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▽=☆

サイン

2007年07月10日 13時59分25秒 | 洋画2002年

 ◇サイン(2002年 アメリカ 107分)

 原題/Signs

 監督・脚本/M・ナイト・シャマラン 音楽/ジェームズ・ニュートン・ハワード

 出演/メル・ギブソン ホアキン・フェニックス ロリー・カルキン M・ナイト・シャマラン

 

 ◇ペンシルバニア州バックス郡

 この難しい映画の主題はなんなのって訊かれたら、たいていは「家族の絆」とか「信頼」とかっていう答えが返ってくるかもしれない。

 でも、それだけだろか?

 不条理からの蘇生とかって答えはないんだろうか?

 サインというのは不条理な死を迎えてしまった妻が、残された家族にあてた魂の復活へのサインで、現実にいくら語っても答えてくれない死人が実は答えてくれている、という事を理解して初めて新たな人生を歩みだせるという、一種の哲学映画なんじゃないかっておもってるんだけど、どうかしら?

 まあ、そんなこともおもったりしたんだけど、かれらは大きな箱庭の中の住人みたいなもので、見ている途中は、こんなことを考えてた。かれらと外界とをつないでいるのはテレビだけっていうのが、なにか特別な意味は持ってないんだろうか?

 テレビで報道されているのは、世界中にエイリアンが押し寄せてきたっていう情報なんだけど、これ、ほんとうのことなんだろうか?

 家族以外の誰かがそういう報道番組を流して、かれらをパニック状況に追い込んでいるんじゃないのか?

 だから、登場してくるエイリアンも実は知り合いが仮装していることで、妻の死に際に「見て、振って」と言い遺しているのを耳にした友人たちが、神の存在を信じなくなってしまったメル・ギブソンとその家族を立ち直らせようと、たくみに仕組んでいるんじゃないのか?

 でも、どうやら、ちがうらしい。ただ、エイリアン騒ぎがかれらの周辺だけで起こっているかどうかについては、この映画はなんの言及もしていない。

 つまり、もしかしたら、かれらを包み込んでいる異常な状況は、亡き妻が仕組んでいるものなのではないのか?

 友達がやっているんじゃなくて、妻がやっているとしたら、納得がいく。世界は滅亡に向かってなどいないし、地球が異星人に侵略されているわけでもない。そういう嘘の状況を、死んだことでテレビの電波を操作することのできるようになった妻が、すべてを仕組んでいるんじゃないのか?

 なんてことを、観終わってからおもった。

 最後に、メル・ギブソンは、こんなことに気づかされる。

「この世の中に偶然は存在しない。すべての事象に意味がある。一見、無意味に思えることも、実は、神が与えたもうたもので、真実を伝えるためのサインなのだ」

 妻の死も、弟のメジャー・リーガーへの挫折も、息子のぜんそくも、異星人の襲来も、異星人が水が弱点だという認識も、なにもかも意味がある。その意味のもたらすものは、残された夫と家族の復活なのだ、ということだよね。よくわからないけど、どうなんだろ?

 ちなみに、トウモロコシ畑がやけに好い雰囲気を醸し出してる。

 トウモロコシって、霊魂が宿り易いんだろうか?

『フィールド・オブ・ドリームス』もそうだったけど、幽霊たちって、トウモロコシ畑の中から現れない?

 なんだか、日本人にはわからない霊的な静けさがあるのかもね。

 奥さんの魂は、あの畑に漂ってるんだな~。たぶん。


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