狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

ウクライナ・タイムライン、米国の犯罪者バイデン、ロシア五輪パージ陰謀1/2/Ukraine Timeline, Criminal Biden, Plot of Olympic Russia Purge

2020-10-08 00:00:01 | ユダヤ支配下アメリカ2020
 <※本当の投稿日時
   True posted date & time:2020/10/22 06:38>

   (当方の都合にて、投稿日時を変更しております。
    I changed posted date and time for my convenience.)

 ※ 本記事において幾つかの文献と画像を引用する事によって構成しておりますが、本記事により当方は収入を一切受け取っておりません。
 ※ I have made composition by borrowing some references and pictures in this article, but I don't receive the income at all by this article.

 

 出典:2019/10/11付・INFOWARS:「BIDEN PANICS AS THE WALLS CLOSE IN」






 

 





 左出典:はむぱんさんによる写真ACからの写真
 右出典:2016/05/15付・Tammy Bruce「Does Joe Biden Know That Gay Marriage Is Now Legal?」
 

Infowars: Dementia Joe Biden Is Now The Democrat Frontrunner For POTUS Nomination
 2020/03/05
 

Infowars: Creepy Joe Is So Strange!
 2019/12/03
#JoeBidenHasDementia #BidenHasDementia #CreepyJoe #DropOutJoe #IDoNotLikeJoeBiden

 米国のバイデンが犯罪者である事とロシアがオリンピックからパージされている事が陰謀である事に気付く為のウクライナ・タイムライン(1/2)
  Ukrainian Timeline to notice Criminal Biden & Plot of Russia Purge from Olympic


 アメリカ大統領選挙まで2週間を切った。
 主流メディア(MSM)では支持率がトランプよりバイデンの方が上回っていると言っているが、果たしてそれが本当だろうかと、僕は疑問を持っている。

 新型コロナ感染症のパンデミックさえなければ、トランプ大統領の再選は余裕で固かったものと思われる。コロナ禍は、様々なものを変えており、トランプの再選も危うくなってしまった。
 トランプの対戦相手バイデンは、本年はじめの民主党代表候補選出の為の予備選挙に於いて、多くの候補者の中でも落ち目であったものだった。

 最初はブーテジェッジという同性愛者をディープ・ステートのイルミナティがプッシュしていたんだろうけども、不正選挙が最初からバレバレで、結局、ブーテジェッジは周囲から散々叩かれた事や言い逃れ出来ないと判断した為か、一早く撤退する事となった。
 落ち目で脱落するのではないかと思われたバイデンが、黒人票の多い州でトップとなり、それから息を吹き返した様になった。バイデンは黒人の前大統領オバマの時の副大統領であるので、黒人に受けが良さそうである。

 その後、米国では警察が或る黒人の一般男性を取締の最中に殺害した事をきっかけとして、ブラック・ライブ・マタ―(BLM)というデモが大きく広がって開催され、米国に留まらず世界各地でも連帯を示す様にして行われて来た。
 黒人の生命、人生が大事と言いながら、やがて白人の生命を否定し、警察の存在も否定するといった偏ったものとなり、それどころか暴動、暴力、強盗、略奪、破壊、放火と、過激化、犯罪化していった。

 BLMには、後からアンチファが共に行動する事となった。アンチファとはアンチファシズムの略であるが、それは現代の階級闘争とも言えるもので、つまりは共産主義そのものと言える。世界各地で行われて来たデモには、大抵、グローバリスト、ディープ・ステートが便乗し、背後から支援し、カオスを煽っていた。
 コロナ禍にしても、BLMにしても、目的の内の一つとして、トランプ再選を阻止する事が挙げられる。グローバリスト、ディープ・ステートにとっての厄介者、敵であるトランプを、それらの広報のMSMが叩き抑えつけ様として来た。

 丁度つい先日、更にバイデンに関するスキャンダルのスクープが出されたが、共同プラットフォームのTwitterやfacebookがバイデンに都合の悪い投稿記事を禁止するという措置を執った。ディープ・ステートからの圧力によるのであろうが、米国のメディアは本当に、露骨に、極端に、偏向し、差別し、排除して、世論誘導が非常に酷い。民主党の予備選挙に於いて、左翼リベラルの候補者ばかりの中で唯一の保守候補であったトゥルシー・ギャバード議員が、米国のエスタブリッシュメントが率いる民主党全国委員会(DNC)から露骨なパージを食らっていた事にも表されていた。
 
 バイデンのもうろく、変態、クリーピーさは勿論の事やけど、特にウクライナや支那(中国)との繋がり、賄賂の受け取り等の犯罪については今までに既に公にされとるのやけども、それでもバイデンを支持する輩共の気が知れない。
 バイデンを狂信的に支持しとるもんらは、都合の悪い事は耳に入らず、そんな犯罪の数々についても嘘だと信じない。思い込みの激しい奴らはストーカーの様なもので、ホンマ、手に負えへん。

 そこで、僕が予め投稿の為に作成して用意しておいた、バイデンの犯罪に関するタイムラインを、このタイミングに於いて投稿する。

 欧米が乗っ取ったウクライナを通して、左翼リベラル・グローバリストの「犯罪者」バイデンと共に、そのウクライナに接し、祖国愛、愛国心を持つプーチン大統領が率いる「反グローバリズム」のロシアがオリンピックからパージされたり、その他、反対勢力から妨害、破壊行為を受けて来た事も併せて、如何にバイデンが腐敗しているかという事、また、グローバリスト、ディープ・ステート、イルミナティ、フリーメーソン、そしてユダヤが、世界の共産化、世界の統一に向けて操作しようとしているかも解るのではなかろうか。

 悪魔カルトのイルミナティは、左翼リベラルの腐敗した「犯罪者」バイデンをプッシュする。

 以下は、ウクライナ、及び隣国のロシアに関するタイムライン。

 1991年12月25日
  ソビエト連邦が崩壊してウクライナが独立する。

 2000年5月7日~2008年5月7日
  ロシアでウラジーミル・プーチン氏が大統領に就任する。

 1999年12月22日~2001年5月29日
  親欧米派のヴィクトル・ユシチェンコ氏が首相に就任する。



 ヴィクトル・ユシチェンコ
 出典:Conservapedia「Viktor Yushchenko」

 2000年8月19日
  「ロシア革命」以来、ユダヤの支配下に在リながら共産主義で無神論者のソ連によって爆破されていた「救世主ハリストス大聖堂」が、ソ連崩壊後に再建が進められた後、「主の顕栄祭」のこの日、大聖堂全体の成聖式が行われ、名実共にロシア正教のリバイバルが達成された。

 




 救世主ハリストス大聖堂
 (出典:ウィキペディア
  「救世主ハリストス大聖堂」


 救世主ハリストス大聖堂
 (出典:ウィキペディア「救世主ハリストス大聖堂」
 1931年12月5日、爆破される救世主ハリストス大聖堂

  ロシア正教会モスクワ総主教直轄の首座聖堂。ハリストスは「キリスト」の意。1883年に大聖堂が成聖。
  しかし、1931年に宗教弾圧政策をとるユダヤ支配下の当時のソ連によって爆破された。ソ連崩壊後の2000年に現在のロシアが再建。
  旧ソ連はユダヤの国であり、現ロシアはクリスチャンの国である。(勿論、現ロシアは多様性を尊重するので、他の伝統的宗教や少数民族を保護している。)

 2001年2月
  ウクライナのユシチェンコ内閣で副首相を務めていた女性のユーリヤ・ティモシェンコが、統一エネルギー・システム社長時代の文書偽造とロシア産天然ガスの密輸入の容疑で逮捕される。



 ユーリヤ・ティモシェンコ(Yulia Tymoshenko、2002)
 出典:WIKIPEDIA「Yulia Tymoshenko」

 2001年6月6日~2003年1月3日
  ジョー・バイデン上院議員が、ブッシュ政権の下で上院外交委員会の委員長を務める。



 ジョー・バイデン(Joe Biden、2001)
 出典:2001/09/12付・Charlie Rose「Senator Joe Biden」

 2001年9月11日
  俗に「911テロ」と呼ばれる事となる「アメリカ同時多発テロ事件」が発生。
  そのテロの中で、偽イスラエルの諜報員モサドによる世界貿易センタービル爆破の「False Flag」や、米軍がペンタゴン(米国防総省本庁舎)にトマホーク・ミサイルを打ち込んだ「自作自演」が行われたが、その事実が「タブー」となっている。

 2001年10月7日~現在
  米国のブッシュ政権(当時)が証拠なしで「911テロ」の犯人と断定した、アルカイダとタリバンの掃討を口実とした、米軍によるアフガニスタン侵攻を始め、以降2020年の現在まで、19年に及ぶ泥沼戦争にハマる事となる。
  「911テロ」が偽イスラエルのモサドによる「偽旗工作」と米軍の「自作自演」によって行われたので、証拠が無いのは当然の事である。

 2002年10月10日、11日
  米国でイラクに対する武力行使容認決議案が上下両院で可決され、ブッシュ大統領(当時)にイラクに対する軍事力行使の権限を与える。
  ジョー・バイデンは、この法案に賛成票を投じた。


 2002年11月21日~2005年1月5日
  ウクライナで、親ロシア派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ氏が首相を務める。



ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ(Viktor Yanukovich 、2011/10/25)
 出典;ウィキペディア「ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ」


 2003年3月20日~2011年12月18日
  米国のブッシュ政権(当時)が証拠なしに、米国がテロ支援国家とレッテルを貼るイラクに大量破壊兵器が存在すると断定し、また偽イスラエルからの要求も併せて、米軍がサダム・フセイン政権のイラクを侵略する。
  
 2004年11月21日
  ウクライナの大統領選挙で、与党の推す親露派のヤヌコーヴィチ首相と親欧米派のヴィクトル・ユシチェンコ元首相との決選投票が行われ、ヤヌコーヴィチ氏の当選が発表された。

 2004年11月22日~2005年1月23日
  前日のウクライナ大統領選挙の直後から、野党のユシチェンコ候補の支持基盤であった西部勢力がヤヌコーヴィチ陣営において不正があったと主張し始め、不正の解明と再選挙を求めて、首都キエフを中心にした大規模な抗議デモが行われ始める。抗議運動を行った野党支持者がオレンジをシンボル・カラーとした「オレンジ革命」は、その一連のデモと政治運動により、ウクライナを東西に二分して大混乱にした。



 Kyiv's Independence Square during the Orange Revolution, 22 Nov 2004.
 出典:ウィキペディア「オレンジ革命」

 2004年12月26日
  ウクライナ大統領選挙の再選挙が実施され、野党で親欧米派のユシチェンコ元首相が当選した。すると今度はヤヌコーヴィチ首相側が不正があったとして最高裁に提訴、再び野党による政府施設の封鎖、12月30日に提訴の却下と経過して、政権交代が確定した。
  その選挙中、ユシチェンコ氏の後妻のカテルィナ・ユシチェンコはウクライナ系アメリカ人であり、アメリカのCIAエージェントとしてキャンペーンを行い、アメリカの影響を与える為の工作を行った。

 2005年1月23日
  親欧米派のユシチェンコ氏が大統領に就任した。

 

ヴィクトル・ユシチェンコ(Viktor Yuschenko、2006年)
出典:ウィキペディア「ヴィクトル・ユシチェンコ」

 2005年1月24日~9月8日
  「オレンジ革命」でユシチェンコ氏を支持した女性のユーリヤ・ティモシェンコが首相となる。
  ティモシェンコはウクライナ国内では最大の保有財産を持つ資産家である親欧米派であり、アメリカによって使われた。そのティモシェンコはアルメニア系ユダヤ人とも言われ、政策等にタルムード的要素が見られた。
  
 以下、ウィキペディア「ユーリヤ・ティモシェンコ」より
  『1979年、彼女は、ソ連共産党の中級党官僚の息子だったウクライナ人オレクサンドル・ティモシェンコと結婚し、……
  ……1984年から1988年までは、ドニプロペトロウシクの機械製造工場でエンジニア・エコノミストとして勤務していた。1989年、ペレストロイカの波に乗り、不法コピーされたビデオのレンタルチェーン店「コムソモール」を設立し大いに成功をおさめ、後には私有企業化した。
  ソ連崩壊後、ティモシェンコは、1990年から1998年までいくつかのエネルギー関連企業を経営した。1991年から1995年まではドニプロペトロウシク周辺の農業関連企業に石油製品を売る会社の重役を務めた。1995年から1997年まで、ウクライナ統一エネルギーシステムの社長。同社は1996年にはロシアからウクライナへの天然ガスの最大の輸入・卸売業者になり「ガスの王女」の通称で呼ばれた。その一方で、脱税の疑いや、ガス貿易に関して不正に手に入れたガスを再販するという不正取引も取りざたされ、ロシアでは指名手配されていた。こうした事業の中で、ティモシェンコはロシアのガス・石油大手のガスプロムと関係を深め、同じ時期に、パーヴェル・ラザレンコやレオニード・クチマ大統領など、ウクライナ政界の主要人物(その多くは彼女と同じくドニプロペトロウシクを基盤としていた)との関係を深めている。
  『1996年に政治家に転身し、キロヴォフラード州補選において92.3%の驚異的な得票を獲得し、国会議員に選出された。1998年に再選、2002年に三選された。1998年議会の予算委員長。1999年から2001年まで、ユシチェンコ内閣で副首相(燃料エネルギー部門担当)となる。副首相としては、電力市場取引を近代化させ、電力産業から国庫収入を増加させた。
  しかし、2001年2月、統一エネルギーシステム社長時代の文書偽造・ロシア産天然ガスの密輸入の容疑で逮捕された。数週間後に嫌疑不十分で釈放されるが、ティモシェンコは、経済改革によって打撃を受ける石炭産業界と癒着していたレオニード・クチマ大統領によってでっち上げられたものであると主張した。一方でティモシェンコ自身も寡頭資本家の一人であり、財産が不当に獲得されたものであることが示唆されている。
  釈放後、野党に転じ、立場を中道・民族主義にシフトして政治ブロック「ユーリヤ・ティモシェンコ・ブロック」を結成し代表となった。クチマ大統領が関与を指摘されるジャーナリストのヘオルヒー・ホンハーゼの殺害事件では、最も率直にクチマを攻撃した一人となる。2002年のウクライナ議会選挙では、ティモシェンコ・ブロックは投票率7.2%を獲得し、第三党と健闘した。2004年クチマ大統領の任期満了に伴うウクライナ大統領選挙ではユシチェンコを支持し……』
『……2005年1月24日、ティモシェンコはユシチェンコ大統領によって首相代行に指名された。ユシチェンコは閣僚名簿を議会に提出し、与野党の交渉の結果、2月4日に373票(承認に必要な投票数226)の圧倒的多数の賛成によって承認され、正式に首相に就任した。首相在任中は、大衆迎合的な言動が目立ち、ティモシェンコ派による工場乗っ取り事件などもあり、国民の反発を買っていた。また、オレンジ革命で共闘したユシチェンコと対立した。……』
 (以上、ウィキペディア「ユーリヤ・ティモシェンコ」より)

 2005年9月8日
  ユーリヤ・ティモシェンコが、ユシチェンコ大統領によって首相を解任される。

 2006年8月4日~2007年10月23日
  親ロシア派のヤヌコーヴィチ氏が再び首相を務める。

 2007年1月3日~2009年1月3日
  ジョー・バイデン上院議員が、ブッシュ政権の下で再び上院外交委員会の委員長を務める。



2007年9月11日、上院外交委員会のイラク問題公聴会において、冒頭陳述と参考人であるデービッド・ペトレイアス将軍(イラク駐留米軍司令官。現・中央軍総司令官)とライアン・クロッカー駐イラク大使に対する質問を行うバイデン。

 2007年9月26日
  ジョー・バイデン上院外交委員会委員長が上院本会議でイラク政策に関連し、共和党でネオコン強硬派のサム・ブラウンバック上院議員と共に、法的拘束力のない「イラク分割決議案」に賛成して、同法案を75対23で可決し成立させる。
  「イラク分割決議」は、占領後のイラクをシーア派、スンニ派、クルド人に分割し連邦国家として統治させる事を謳っており、それはイラクの弱体化と同時に米国のイラク支配力を強めるものとなる。
  尚、ブラウンバック上院議員は2003年のイラク戦争開戦を支持し、2008年の大統領選挙ではイラク政策など安全保障政策を共有するジョン・マケイン共和党指名候補の支持に回る。また、2007年に論議となった不法移民合法化法案には賛成票を投じており(最終的に廃案)、妊娠中絶、同性結婚に反対した一方でネオリベラル的な面も持つ。

 2007年12月18日~2010年3月3日
  ウクライナでユーリヤ・ティモシェンコが再び首相となる。

 2008年?月
  ウクライナの首都キエフを中心に活動する第三波のフェミニズム抗議団体、「FEMEN(フェメン)」が設立される。「FEMEN」は以降、キリスト教やイスラム教への冒涜を行う等、トップレスで過激な抗議を行う事で物議を醸し続ける。そして、ユダヤ教やシオニストには一切、今まで攻撃を加えて来なかった。

 2008年2月


 2008年2月、ロシア大統領(当時)のウラジーミル・プーチンとウクライナ首相の「ばつの悪そうな」ティモシェンコ。
 出典:ウィキペディア「ユーリヤ・ティモシェンコ」

 2008年5月8日~2012年5月7日
  ロシアでプーチン氏が連続二期8年の大統領の任期が切れた事に伴い、首相に就任する。

 2008年11月4日
  アメリカ合衆国大統領選挙が行われ、共和党指名候補のジョン・マケインに勝利した民主党指名候補のバラク・オバマが当選し、それにより民主党の副大統領候補のジョー・バイデンも当選する。

 2008年末
  ロシアで憲法改正が行われ、大統領の任期が4年から6年に延長され、2012年実施の選挙の当選者から適用とされる。尚、連続二期までの制限は維持される。

 2009年1月20日~2017年1月20日
  バラク・オバマが大統領に、ジョー・バイデンが副大統領に就任する。

 2010年~2014年
  親ロシア派のヤヌコーヴィチ氏が大統領を務める。

 2011年2月15日~10月23日
  NATO(北大西洋条約機構)がリビアに侵略し、リビアのムアンマル・アル=カダフィ最高指導者が虐殺される。

 2011年3月15日~現在
  シリアにアル・カイダ系テロ組織や外資系で欧米人等の外国人で構成されるシリア反政府テロ組織が侵入し、騒乱、撹乱、破壊のテロ攻撃を行う。
  それらテロ組織や、同じく救助団体を装いながらのテロ行為や誘拐・拉致、False Flagや自作自演の化学攻撃やその芝居、臓器売買等を行って来た「ホワイト・ヘルメット」を、NATOに加盟する欧米やトルコ、偽イスラエル、サウジアラビア等が支援して来た。

 2011年4月の終わり
  ロシアの首都モスクワで、『ル-・フェメン』と呼ばれる団体がデモンストレーションを行っているが、「FEMEN(フェメン)」側は自分達とは無関係の派生団体だと主張する一方で、フェメンはロシアの与党『統一ロシア』がこのルー・フェメンの背後にいるとして非難した。フェメンはプーチン大統領とガスプロムに対する抗議も行っている。

 2011年10月1日
  キエフの地区裁判所は、ウクライナの元首相ユーリヤ・ティモシェンコに対し、職権乱用を認定し、禁錮7年と1兆5億グリブナ(約1億9000万ドル)の賠償を命ずる判決を下した。尚、それを前後して、ティモシェンコは審理妨害の疑いでの逮捕、資金流用、職権乱用、殺人罪でも起訴された。

 2012年2月21日
  プーチン大統領の再選への抗議の為に、ロシアのフェミニスト・パンク・ロック集団、「プッシー・ライオット」が、ロシア正教会・救世主ハリストス大聖堂で神を冒涜する行為を働き、女性3人は逮捕・拘束された。
  尚、この集団は女性3人組の他にも演奏に10人程が関わり、更に別に裏方として15人程が加わっており、当冒涜行為に於いてもそれらが関わっている。プッシー・ライオットは、ロシアの倫理観や精神、秩序を破壊する為に、イルミナティに使われた。
  この事件に伴い、「悪魔カルト」イルミナティのセックス・プロパガンダ・マシーンであるマドンナがプッシー・ライオットの女性3人に連帯と支持を表明する等、フェミニズム、ジェンダーフリー、LGBTQ、同性愛・同性婚を支持する世界中の左翼リベラル系の者達もプッシー・ライオットに対する支持を表明した。
  また、アムネスティ・インターナショナル(国際人権救援機構)も、「ロシア当局の反応の厳しさ」を理由に彼女達を良心の囚人と認める「偽善」を働いた。アムネスティ・インターナショナルや国連等の国際的な機関や組織・団体は、左翼リベラルに偏向したグローバリズムに則ったダブルスタンダードである。

  ロシア正教のモスクワ総主教キリル1世
   「(プッシー・ライオットの行為は『冒涜』であるとし、)悪魔が私たちすべてを笑いものにしている ... 偉大な祭壇の前で嘲笑することが許されるなら、また、このような不謹慎が、勇気のある政治的抗議表現であるとか、許容されるべき範囲の行為であるとか、害のない冗談だとされるなら、私たちに未来はない」



YouTube: Выступление Pussy Riot в Храме Христа Спасителя
 救世主ハリストス大聖堂でのプッシー・ライオット

 2012年3月5日
  プーチン首相(当時)がロシアの大統領に再選される。

 2012年4月
  ウクライナで中絶を禁止する法案が提出されたことに抗議するフェメンのメンバー5人は、キエフの聖ソフィア大聖堂の鐘楼に登り、中絶を選択肢として支持するデモンストレーションを行う間、教会の鐘を鳴らし続けた。その後、警察に身柄を拘束される。

 2012年5月7日~現在
  ロシアで、プーチン氏が再び大統領に就任する。

 2012年7月26日
  「FEMEN(フェメン)」の活動家ヤナ・ジダーノワはウクライナを訪れていたロシア正教のモスクワ総主教キリル1世にトップレスで攻撃的な言動を繰り返した。ジダーノワは背中に『キル・キリル』という言葉をペイントし、このロシア正教の指導者に『出て行け!』と叫んだ。一連の行動により、彼女には拘留15日の判決が言い渡された。

 2012年7月27日~8月12日
  イギリスの首都ロンドンで、17日間の夏季オリンピックが開催される。
  そのロンドン・オリンピックでは、イルミナティ・フリーメーソンのあからさまなパフォーマンスが行なわれた。そのシンボルを表す「一つ目」の気味の悪いマスコット、メイン・スタジアムに同じくシンボルであるピラミッド型の照明群、そしてロゴマークに「ZION」、つまり「シオン」、「エルサレム」にある「シオンの丘」を意味する言葉をデザイン化したものが採用されていた。そのロゴマークには、イルミナティの企ての基に進められているグローバリズムの果てに在る「世界統一政府をエルサレムに置く」という事が、隠喩的に示されていたのであった。
  そのロンドン・オリンピックの開催中、「FEMEN」がトップレスで『残酷なイスラム政権』とスローガンを掲げたり、『ノー・シャリーア』という言葉を身体にペイントするパフォーマンス、更にイスラム教徒の衣服で男装する等、イスラム教を冒涜すると共に、イスラム政権を支援する国際オリンピック委員会(IOC)に対して抗議を行った。尚、「シャリーア」とは、コーランと預言者ムハンマドの言行(スンナ)を法源とする法律の事である。

 




 2012ロンドン・オリンピック
          ・マスコット
 出典:「Kaleidoscope」


 2012ロンドン・オリンピック
          ・スタジアム
  (照明にシンボル)
出典:ウィキペディア
「2012年ロンドンオリンピック」


 

 2012ロンドン・オリンピック・ロゴマーク(ZION:シオン・・・エルサレムにある丘)
 出典:「NAVERまとめ」
 


 2012年8月17日までに
  以下、2012/08/17付・日本経済新聞「ウクライナ、資源開発で欧米メジャーと協力推進」より
   『ウクライナは資源開発で、米石油最大手エクソンモービルなど欧米メジャーとの協力を進める。黒海沖の天然ガス田の開発主体としてエクソンが主導する企業連合を選んだ。地中の岩盤層などから産出する「シェールガス」でも、米石油大手シェブロンなどと提携する。エネルギー面でロシアへの依存を低め、ロシアにガス価格の引き下げを求める狙い。
   エクソンなどが開発権を得たのは黒海沖の「スキフスキー・ガス田」で、推定ガス埋蔵量は2000億立方メートルを超える。今年から開発に着手し、中期的に年間で約40億立方メートルを生産する計画。投資総額は100億ドル(約7900億円)を超える可能性もある。
   エクソンに加え、英蘭ロイヤル・ダッチ・シェルやルーマニア、ウクライナの資源企業も開発に参加する。ウクライナは外資の技術と資金を導入し、豊富な天然資源があるとされる黒海での資源開発を本格化する。
   5月にはシェールガス部門でもシェルとシェブロンと提携し、国内のガス田を開発する方針を打ち出した。ウクライナには約1兆立方メートルのシェールガスがあるとの試算もあり、欧米メジャーは有望な資源国と位置付けている。
   ウクライナは国内で消費する天然ガスの7割近くをロシアから輸入しており、ロシア依存から抜け出すことが課題になっている。……』
 (以上、2012/08/17付・日本経済新聞「ウクライナ、資源開発で欧米メジャーと協力推進」より)

 2012年8月17日
  ロシアの首都モスクワで、同年2月の救世主ハリストス大聖堂に於ける冒涜行為とフーリガン行為の咎で「プッシー・ライオット」の有罪判決が下され、裁判で禁固2年の実刑判決が下された。その後、控訴審判決がモスクワ市裁判所で10月10日に行われ、内一人に執行猶予2年、残る2人は控訴を棄却し実刑判決を維持した。
  同時にこの頃、ロシア国内に西側欧米ユダヤ・イルミナティ・グローバリストのエージェントらのリベラリズムにより、ロシア正教の他、伝統、文化、歴史、そして「道徳破壊」を狙った煽動工作が行われていた。

 
YouTube: The End Is Nigh: Verdict in Pussy Riot trial imminent
 2012/08/17

  同日、『中世的な魔女狩りの犠牲者との結束の証』と主張して「FEMEN(フェメン)」のインナ・シェフチェンコが仲間たちとウクライナの首都キエフの独立広場の近くにあった5メートルもの十字架をチェーンソーで切り落とした。
  この十字架はホロドモールの犠牲者やソ連時代の反宗教政策、特に東方典礼カトリック教会の迫害で殉教した者を追悼するために建てられたものだった。
  さらにインナ・シェフチェンコは、磔になったキリストの姿をまね、他のメンバーが写真撮影を行った。
  その後、彼女はこの暴徒行為をとがめられ、刑事事件として捜査が行われた。フェメンの主張によれば、この事件により総務省で特別部隊が組織され、キエフにある団体本部が封鎖されたという。
  プッシー・ライオットのマリア・アリョーヒナは、この十字架の冒涜に加わることを拒否している。

 2012年8月18日
  「FEMEN」によって十字架が切り落とされた同じ場所に、新しい十字架が設置された。

 2012年8月20日
  「2012年8月にメンバーが追悼の十字架を冒涜したことで、ウクライナの公共団体『Orthodox Choice』は彼らを『神を汚す反キリスト教徒』と呼び、法務省にフェメンを『社会に害をもたらす』団体として禁止するように求めた。フェメンは 『この国で声を届ける唯一の方法』とその手法を正当化しており、自分たちは『政治と宗教を越えた』独立した組織だと主張し、十字架の冒涜をはじめ教会組織への攻撃を公然と行っている。」


YouTube: Femen: Exposed (RT Documentary)
 (2016/08/07)
 
YouTube: Femen EXPOSED: Zionist Tools Funded by George Soros
 (2017/04/17)

 2012年12月16日
  日本で衆議院議員総選挙が行われ、改選数480議席中、保守中道右派で安倍晋三総裁が率いる自由民主党が294議席を獲得して大勝し、3年3ヶ月余り政権を執って来たイルミナティ・バックアップで左翼リベラル・グローバリズムの民主党は57議席のみの獲得となり大敗した。
  また、自民党と同じく保守中道右派の新政党、日本維新の会が54議席を獲得して第3党に、同じく保守中道右派のみんなの党も18議席と議席数を増やして躍進した。
  その他、ユダヤと繫がるカルト創価学会が母体の中道左派の公明党が31議席、左派の日本未来の党が9議席、左翼の日本共産党が8議席、同じく左翼の社会民主党が2議席、地方政党で保守中道右派の新党大地が1議席、同じく保守中道右派の国民新党が1議席、無所属5議席という結果となった。
  よって、衆議院ではこの選挙によって、「保守中道右派」の政党の議席数が77%程を占める事となった。そして以降、選挙中に自民党が掲げた「反グローバリズム」のスローガン「日本を取り戻す」、「戦後レジームからの脱却」の目標に向かって、安倍政権の下で悲願の「憲法改正」等に挑戦してゆく事となる。

 2012年12月26日~現在
  自民党の安倍総裁が5年3ヶ月ぶりに再び内閣総理大臣(首相)に就任し、以降、2020年9月半ばまで7年9ヶ月程に渡る日本では非常に希な長期安定政権を担う事となる。

 2013年10月
  「FEMEN」が、フランスの首都パリの移民街に在る木造劇場2階に本拠地(本部)を移す。

 2013年11月21日~2014年2月18日
  ウクライナの首都キエフにある独立広場で始まった、親欧米派によりデモ「ユーロマイダン(Euromaidan)」が行われる。
  このデモは、続いてクーデターを含む5日間の「ウクライナ騒乱」となる。



 ウクライナ親欧州派がキエフ独立広場で行う反政府デモ(2013/12/02)
 出典:ウィキペディア「ユーロマイダン」

 2014年2月7日~23日
  ロシアの西南部、黒海の沿岸都市ソチで、17日間の冬季オリンピックが行なわれる。

 
YouTube: Pussy Riot Gets Whipped in Sochi
 2014/02/21

 2014年2月18日~23日
  昨年11月からの親西側欧米派による反政府運動「マイダン」に続き、5日間の「ウクライナ騒乱」となる。
  この騒乱とクーデターの結果、クーデターによる非合法の親欧米派の暫定政権が打ち立てられ、ウクライナ資本が親西側欧米派によって強奪されて握られ、操作されていく事となった。
  また、審理妨害の疑いで逮捕され、その他、資金流用、職権乱用、殺人罪でも起訴され、その内、職権乱用の罪で禁錮7年と賠償を命ずる判決を受けて刑務所に拘留されていた元首相で親欧米派のユーリヤ・ティモシェンコが釈放され、親欧米派のデモを一層煽り、国内の分断を深めた。

 
YouTube: Ukraine President Yanukovych leaves Kyiv, protesters take control of capital
 2014/02/23

 2014年2月22日
  親ロシア派のヤヌコーヴィチ大統領が、親欧米派による「マイダン」デモが行われている中でのクーデターによって、首都キエフを脱出して失脚、亡命する。

 2014年2月23日~2014年6月7日
  クーデターにより打ち立てられた、非合法の親欧米派の暫定政権が解任したヤヌコーヴィチ大統領に代わって、オレクサンドル・トゥルチノフが大統領代行を務めた。

  また同日以降、「マイダン」、及び「ウクライナ騒乱」に続いて、黒海沿岸のウクライナ南部の各州に於ける親ロシア派の抗議デモや、ウクライナ東部2州(ドネツィク州とルハーンシク州)でのウクライナ政府軍と親ロシア派武装勢力や反ウクライナ政府組織との軍事衝突や対立が、現在まで続く。また、クリミア半島については、次の通り合法的に編入を行ったロシア連邦政府の管轄下となった。

 2014年3月8日
  マレーシアのクアラルンプールから支那(中華人民共和国)の北京市に向かっていたマレーシア航空の定期旅客便である370便が消息を絶ち、インド洋のイギリス領インド洋地域チャゴス諸島にある環礁「ディエゴ・ガルシア島」へ行き「行方不明」となった。
  ディエゴ・ガルシア島は、「宗主国のイギリス政府によって、島全体がアメリカ合衆国に貸与されており、同国の海軍基地がある。インド洋にあるアメリカ軍最大の拠点であり、湾岸戦争やアフガニスタン攻撃、イラク戦争の際に、B-52戦略爆撃機、B-2ステルス爆撃機などがここより出撃した。アメリカの軍事戦略上の要衝である。」(ウィキペディア「ディエゴ・ガルシア島」より)

 

 出典:2014/03/20付・『真実には力がある』「謎のマレーシア航空機、ディエゴ・ガルシア島の米軍基地に着陸との報道を否定!しかし複数の目撃情報も!」

 

 アフガニスタン侵略に向かうディエゴガルシア基地の米軍戦略爆撃機B-1(2001年10月7日)。
 出典:ウィキペディア「ディエゴ・ガルシア島」

 2014年3月11日
  ウクライナのクリミア自治共和国最高会議(議会)とセヴァストポリ特別市が、「クリミア独立宣言」決議を採択した。

 2014年3月16日
  ウクライナのクリミア半島のクリミア自治共和国とセヴァストポリ特別市で、ロシア連邦への編入の是非が問われた住民投票が実施され、投票の結果、クリミア、セヴァストポリ共にロシアへの編入に賛成する票が全体投票数の9割以上を占めた。

 2014年3月18日
  ロシア連邦、クリミア自治共和国、セヴァストポリ特別市の3者が調印した条約に基づき、ロシアは、クリミアとセヴァストポリが在るクリミア半島の編入を宣言した。

 2014年3月19日
  日本の参議院予算委員会に於いて、「米国はウクライナ支援と言いながら火事場泥棒をやった」と、「マイダン」革命で欧米の金融資本勢によりウクライナ資本強奪が行われた事実が追求された。


YouTube: ウクライナ革命は、金融資本勢によるウクライナ資本強奪
 2014/03/20

 <→2/2へ続く>



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