白山登拝記録抄付録
(勝山平泉寺跡)
2007年7月31日
白山登拝が終了し一行は帰路には
白峰から福井県勝山市に抜け
北陸自動車道に至るルートを辿った。
勝山ではせがんで寄り道をしていただき
現白山神社、かつての平泉寺跡に参拝した。
この平泉寺はかつては越前馬場の名称で
越前側から白山に登拝する禅定道の起点になった寺院であり
白山中宮を併せ持つ一大宗教施設であった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/f6/4d16620f3aafe493a212babe7cf88a43.jpg)
白山を開いた泰澄の供養塔も参道に見られる。
中世に於いては「南谷三千六百坊、北谷二千四百坊」を描く
境内図が残されており、遺跡として
東西1.2km、南北1kmの規模を誇るという。
まさに越前の冨が集積された場であったことがわかる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/3e/e02a66888b4e6f46bc7ff5d46db42ad3.jpg)
一般道から折れ参道に入ると
永遠続く杉の巨木の並木に導かれ
真夏の静寂な中にそれは鎮座していた。
石畳、苔むした参道際、石組みの水路、杉の古木の並木。
一切、観光のために媚びた演出のない境内。
白山の信仰拠点にふさわしい気品のある神社。
信仰の原点を思い起こさせてくれるような体験。
聞けば境内の維持管理は地元住民の方々でまかなわれているとか。
苔の絨毯は見事としか言いようのない見事さである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/09/9ca17473cb54e1c8f18b9dbc98eaf1b9.jpg)
二の鳥居のさらに見上げた奥に拝殿
さらに登ったところに本殿があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/46/460c800ac7adb7da91c8ce1c9d6b8387.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/93/f241cba25f743fc41eab6a24f517e082.jpg)
拝殿には今も「中宮平泉寺」の懸額が掛けられていた。
廃仏毀釈の際にははずされたであろうものが
こうして掲げられていることは
全国の神社の中でも稀なことではなかろうか。
中世の思いがちゃんと残されている証拠である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/15/1e5f5c4dc156670997bf9b1dbae013f1.jpg)
参道東の集落を覗くと
礫で区画された街路が今でも機能しており
発掘で発見された16世紀の坊院の区画が
現在に生きているような印象であった。
ここがあの白山信仰を支えていた一つの拠点であったところだ。
(勝山平泉寺跡)
2007年7月31日
白山登拝が終了し一行は帰路には
白峰から福井県勝山市に抜け
北陸自動車道に至るルートを辿った。
勝山ではせがんで寄り道をしていただき
現白山神社、かつての平泉寺跡に参拝した。
この平泉寺はかつては越前馬場の名称で
越前側から白山に登拝する禅定道の起点になった寺院であり
白山中宮を併せ持つ一大宗教施設であった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/f6/4d16620f3aafe493a212babe7cf88a43.jpg)
白山を開いた泰澄の供養塔も参道に見られる。
中世に於いては「南谷三千六百坊、北谷二千四百坊」を描く
境内図が残されており、遺跡として
東西1.2km、南北1kmの規模を誇るという。
まさに越前の冨が集積された場であったことがわかる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/3e/e02a66888b4e6f46bc7ff5d46db42ad3.jpg)
一般道から折れ参道に入ると
永遠続く杉の巨木の並木に導かれ
真夏の静寂な中にそれは鎮座していた。
石畳、苔むした参道際、石組みの水路、杉の古木の並木。
一切、観光のために媚びた演出のない境内。
白山の信仰拠点にふさわしい気品のある神社。
信仰の原点を思い起こさせてくれるような体験。
聞けば境内の維持管理は地元住民の方々でまかなわれているとか。
苔の絨毯は見事としか言いようのない見事さである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/09/9ca17473cb54e1c8f18b9dbc98eaf1b9.jpg)
二の鳥居のさらに見上げた奥に拝殿
さらに登ったところに本殿があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/46/460c800ac7adb7da91c8ce1c9d6b8387.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/93/f241cba25f743fc41eab6a24f517e082.jpg)
拝殿には今も「中宮平泉寺」の懸額が掛けられていた。
廃仏毀釈の際にははずされたであろうものが
こうして掲げられていることは
全国の神社の中でも稀なことではなかろうか。
中世の思いがちゃんと残されている証拠である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/15/1e5f5c4dc156670997bf9b1dbae013f1.jpg)
参道東の集落を覗くと
礫で区画された街路が今でも機能しており
発掘で発見された16世紀の坊院の区画が
現在に生きているような印象であった。
ここがあの白山信仰を支えていた一つの拠点であったところだ。