宝満山研究会(山岳宗教遺跡の保全と研究)

大宰府の北東に聳える宝満山の歴史的価値を掘り起こし、山の保全を考える会です。

宝満山での護摩供の準備

2014-05-23 | 史料

今朝9時、宝満山の竈門神社に軽トラックが続々集合しました。


今日は5月25日(日)に神社ご本殿前でおこなわれる
宝満山修験会がおこなう護摩供養の護摩壇の材料である
桧の枝と丸太を採りに行きました。


伐り出したのは神社氏子さんの持ち山のある
筑紫野市原と太宰府市北谷字奥小屋でした。
取材は氏子さん2人、山伏さん2人、神社ご神職と北谷に行きました。




平成25年の宝満山の峰入5

2013-05-17 | 史料

中宮跡に到着です。9時に竈門神社を出てもう11時台。
ここでは中宮殿の礎石が残る奥に石だながあり、
十一面観音が祀られる石宝殿に勤行するのが恒例です。


先達が取り仕切り、香を焚き般若心経を上げます。
宝殿には今回の入峰を記した碑伝(ひで)が奉じられています。
登山で随伴した人々もしばし神妙な面持ちです。


時枝務著『山岳考古学』の目次

2012-02-21 | 史料
山岳考古学目次

口絵:山岳遺跡と出土品
序;山岳考古学の新紀元(坂詰秀一)

I.山岳考古学の構想

[1]山岳考古学の概念
(1)山岳考古学とはなにか
(2)山岳考古学の目的
(3)山岳考古学の方法
(4)山岳考古学と関連諸学

[2]山岳考古学研究史
(1)山岳遺跡への関心
(2)山岳遺跡の発掘調査
(3)考古学の外部からの刺激
(4)「山の考古学」の成立
(5)山岳遺跡調査の隆盛

[3]山岳遺跡の種類
(1)山岳遺跡の認識
(2)山岳遺跡の種類

[4]山地利用の考古学
(1)狩猟と採集
(2)山地資源の活用
(3)山間の耕地(4)交通路と軍事施設
(5)温泉・観光・近代登山

[5]山岳宗教の考古学
(1)山岳宗教の成立
(2)山麓祭祀遺跡と神体山
(3)山寺の性格
(4)山頂祭祀遺跡の出現
(5)修験道と山岳遺跡η
(6)近世・近代の山岳宗教の遺跡

[6]山岳考古学の課題
(1)山地利用遺跡の調査
(2)山岳宗教遺跡の解釈
(3)山地利用と山岳宗教の統一的把握

結び

II.日本の主要山岳遺跡
国見山廃寺
羽黒山頂遺跡
山寺立石寺
慧日寺
信夫山頂遺跡
建鉾山祭祀遺跡筑波山頂遺跡
日光男体山頂遺跡
櫃石祭祀遺跡
草津白根山湯釜柿経出土遺跡
武甲山山頂遺跡
慈光寺
大山山頂遺跡
箱根三所権現社跡
富士山三島ケ岳経塚
金峰山頂遺跡
湯之奥金山遺跡
旧御射山遺跡
鷹山遺跡群
戸隠山奥社院坊跡
妙高山頂遺跡
立山室堂遺跡
石動山信仰遺跡
白山山頂遺跡
平泉寺跡
大谷寺遺跡
大知波峠廃寺
普門寺
朝熊山経塚
弥高寺跡
比叡山延暦寺
如意寺跡
山の神祭祀遺跡
大峯山頂遺跡
笙ノ窟
那智経塚
高野山金剛峰寺
ミノバ石切場
旧清遺跡
鬼ノ城
三徳山三仏寺
大山寺僧坊跡
石見銀山遺跡
諭鶴羽神社板碑群
中寺廃寺
等妙寺
横倉山遺跡
求菩提山経塚
英彦山般若窟
宝満山上宮祭祀遺跡
背振山霊仙寺跡
阿蘇山古坊中
池辺寺跡
長安寺
結び

III.〈資料〉山岳考古学文献一覧一
総論
北海道・東北
関東
中部
近畿
中国・四国
九州・沖縄
その他

中世山の寺研究の最前線

2011-12-18 | 史料

「中世山の寺研究の最前線」と題して大阪歴史博物館で
科研「山の寺」プロジェクトの総括発表がおこなわれました。
冒頭、会の主催者である大阪市立大学文学部の仁木 宏氏は
3年の共同研究の成果で各地の山の寺の様相が画一的でなく
非常に多様なあり方がその特徴であったことが認識され
あえて今集会では総括討論を入れなかったとコメントした。

主催

「日本中世における「山の寺」(山岳宗教都市)の基礎的研究」研究会

共催
大阪歴史博物館


日時

平成23年12月17日(土)・18日(日)

会場
大阪歴史博物館 4階 講堂


内容(17日)

11:00~11:30

(特集展示「摂河泉の古瓦」展示解説)


12:30~12:40

あいさつ


12:40~13:20
考古学からみた「山の寺」
小野正敏氏(人間文化研究機構)


13:20~14:00
講演山寺の平面構造(縄張り)について
藤岡英礼氏((財)栗東市体育協会)

14:00~14:30
講演東北の山の寺
山口博之氏(山形県立博物館)

14:40~15:10
講演関東地方の「山の寺」について -主に武蔵の事例を中心に-
浅野晴樹氏(埼玉県立歴史と民俗の博物館)

15:10~15:40
講演甲信越の山の寺 -研究の現状と課題-
櫛原功一氏(帝京大学山梨文化財研究所)

15:40~16:10
講演三河・遠江境の山寺について -古代から中世山寺の展開-

後藤建一氏(湖西市教育委員会)


16:10~16:40

講演「山の寺」と城郭
中西裕樹氏(高槻市立しろあと歴史館)
内容(18日)

9:40~10:20
講演建築から見た山寺
山岸常人氏(京都大学)

10:20~11:00
講演中世山林寺院の成立と展開
上川通夫氏(愛知県立大学)

11:00~11:30
講演山の寺と文化財の保存・活用
坂井秀弥氏(奈良大学)

11:30~12:00
講演北陸の山の寺 -白山信仰関連寺院を中心にして-
宝珍伸一郎氏(勝山市教育委員会)

12:00~12:50 休憩

12:50~13:20
講演和泉地域の「山の寺」
大澤研一(大阪歴史博物館)

13:20~13:50
講演絵図からみる紀伊の山の寺
高木徳郎氏(早稲田大学)

13:50~14:20
講演四国の山の寺 -阿波国高越寺を中心に-
長谷川賢二氏(徳島県立博物館)

14:20~14:50
講演博多の中国商人と北部九州の山岳寺院
桃崎祐輔氏(福岡大学)

14:50~15:00 休憩

15:00~15:40
講演中世延暦寺末寺の「山の寺」
下坂守氏(奈良大学)

15:40~16:20
講演新しい「山の寺」研究の方法と成果
仁木宏氏(大阪市立大学)

16:20~16:40
コメント
山村亜希氏(愛知県立大学)

※上記の各タイトルは、当日変更される可能性があります。

竈門神社古写真比較

2011-05-11 | 史料


竈門神社下宮と戦前までは呼ばれていたそうですが
大字内山にある竈門神社の古写真と今の比較です。
北西方向から撮影されています。
昭和初期頃でしょうか?
神社周辺の森が松の2次林で構成され、
池の堤が草地として覗いています。
何より愛嶽山が丸裸のカヤ場になっています。
昔から森林状態だったと思われがちですが、
どうもそうではなかったようです。
宝満山では昭和10年代から筑紫地区全体で
盛んに植林事業を行ってきていたようです。

とある竈門神社古写真について

2011-04-26 | 史料

 この写真(絵葉書)は太宰府天満宮参道の寺田屋企画の絵葉書。博多中市小路高田製販所で印刷のもの。
 社殿は拝殿が本瓦葺で唐破風と千鳥破風の組み合わせによる形式である。
 本殿は拝殿より2mほど高い地盤にあり、前殿と本殿の2棟が見られ、平入りの構造で、屋根は白く反射して写っていることから銅板葺きと見られる。
 社殿の左右に砲弾のレリーフがあることから、撮影時期は日露戦争以後(明治38年=1905年終戦)で、社殿が改築された大正15年(1926年)以前の期間のものと考えられる。
 大正15年まであった社殿は、嘉永六年(1853年)に焼失した本殿を安政元年(1854年)に黒田藩が再建した建物で、明治27年(1894年)に村社から官幣小社に昇格した時点での建物はほぼこの状態であったと思われる。


現在の建物は官幣小社になったことを契機に大正15年に台湾ヒノキを用いて建て替えられたもので、古写真と比較すると、現在の建物は以前のものに比べて高さも平面的なプランも一回り大きなものになっていることがわかる。また、拝殿前の石垣は現在では埋められて段差がなくなっていることが知られる。拝殿背面の石垣も現在のものとは石の組み方や高さが異なることから、大正15年時点で造りかえられていたことがわかる。本殿のある内陣は現在と同様に玉垣で囲まれるが、大正15年の時点では背面の山を大きく削り取って造成した写真が神社に残されており、拝殿との境の石垣が写真と比較すると現在では低いことから、内陣は建て替えの際に平面的には広く、高さ的には低く造作されたことがわかる。
 拝殿全面の石段と石造りの玉垣であるが、竈門神社所有の別の写真では乱積みの石垣に白色で太目の御影の切石を組み合わせた立派な玉垣が写されており、大正15年本殿改築以前に拝殿全面の玉垣が改修された時期があったことがわかる。

 このことからこの写真は大正時代のものではあるが、大正末年までには下らない時期のものであることがわかる。

大正12年10月の宝満山中宮での記念写真

2011-04-04 | 史料

先日、かつて竈門神社宮司を務められた大久保家の子孫の方より
貴重な記念写真をお送りいただきました。
写真の裏には以下のような添え書きがあるそうです。


かま門神社二ノ鳥居
大正十四年十月二十九日□於て西 向って右より 写す

前列左より 西尾、大久保千涛宮司、御田良重、西高辻信稚宮司、大久保勝郎
後列左より 湯町薬師、西高辻信任禰宜、中川写真師、西高辻家女中(小夜子)、
山本たき子、大野いわえ、和田満太郎、田代徳太郎、泉屋 大野郁男

一行十四名

写真は大正12年(大正14年は誤り)10月29日の宝満山中宮跡でのスナップで、
竈門神社と太宰府天満宮の関係者が揃って収まっています。
天満宮の今の宮司のお爺様がまだ禰宜でいらっしゃった、
そんな時代の写真です。

群像の背景には石鳥居と「竈門山碑」が写っています。


竈門山碑は明治28年に竈門神社が官幣小社となった記念に、
大正12年に宝満山の中宮に建設されたもので、定礎には
工事の監督者として博多の石工国松一族の名が見られ、
石工は木村藤次郎の名があり、神社側は宮司大久保千涛、
禰宜に西高辻信任、主典に橋本直人の名が刻まれています。
文末に大正十二年五月建之とあります。

カラー写真集「祈りの山 宝満山」が刊行!

2011-04-01 | 史料

昨日平成23年3月31日付で太宰府顕彰会(本部は太宰府天満宮内)より
オールカラーの写真集「祈りの山 宝満山」が刊行されています。


著者は写真が地元写真家 栗原隆司さん
文章は森弘子さん
発行者は竈門神社宮司にして太宰府天満宮宮司の西高辻信良さん
発行所は財団法人太宰府顕彰会
制作が博多の出版社である海鳥社さんです。



この出版のために取りおろしされた画像ばかりで、
今年の元旦に撮られた山頂の積雪模様などが掲載されています。

見所満載で、なによりうっとりする宝満の写真たち・・・
じきに店頭に並ぶのでしょうね。