宝満山研究会(山岳宗教遺跡の保全と研究)

大宰府の北東に聳える宝満山の歴史的価値を掘り起こし、山の保全を考える会です。

宝満山研究会の第17回例会

2008-06-29 | Weblog

平成20年6月28日午後、太宰府天満宮文華殿
天拝の間にて定期の研究会が実施され、
約30名の方々がご参集されました。

太宰府市市史資料室の朱雀信城さんが
「北谷の伊勢参宮について」のテーマでご発表され、
人生儀礼としての江戸時代から近代にかけておこなわれていた
霊場参りを宝満山周辺の集落、とくに北谷地区の
例を挙げて考察されました。
「宝満参り」や「英彦山参り」「札打ち」は
子どもから青年への過渡の通過儀礼で、
北谷にあっては伊勢参宮も22歳という
年齢の限定があったようでこれも
一つの人生儀礼の性格が付与されていたようです。
北谷では伊勢への参宮がいまでも継続しているといいます。
地域社会が崩壊していない好事例といえるでしょう。

続いて事務局から
「宝満山遺跡第34次本谷礎石群の調査」についてと
「本谷礎石群の保全と今後の活動について」
「宝満山キャンプセンターのバイオトイレ設置」
の報告がありました。

会終了後に有志に残っていただき
本谷礎石群の今後について
意見交換をおこなっています。

次回は筑前琵琶の中村旭園さんによる
「宝満山」の演奏を鑑賞します。
日程は8月23日午後1時の予定です。


宝満山の山紫陽花(やまあじさい)

2008-06-28 | Weblog

宝満山中では四季折々で花が楽しめますが、
梅雨のこの時期は山紫陽花が
ひっそりと咲いている姿が見られます。
咲き始めは白く、じょじょに青みがさして行きますが、
花はこれからが見ごろのようです。

下宮の竈門神社境内では鹿舎の下手の斜面に、
地元の「御笠石楠花倶楽部」の方々が植えられた
さまざまな表情を持つ山紫陽花が見ごろを迎えています。
雨の宝満もいいものです。

明日の土曜日は例会です

2008-06-27 | Weblog


日時;平成20年6月28日土曜日 午後1時~4時頃まで
場所;太宰府天満宮 文華殿2階天拝の間
  (西鉄太宰府駅下車。周辺駐車は500円前後。会場は本殿裏の建物)
内容;
「北谷の伊勢参宮について」朱雀信城さん(太宰府市市史資料室)
「宝満山遺跡第34次本谷礎石群の調査」事務局
「本谷礎石群の保全と今後の活動について」事務局

参加費;200円

※本会では2ヶ月ごとに太宰府天満宮の文華殿をお借りして
定期で例会をおこなっております。
例会の内容についてご要望がありましたら事務局まで
ご連絡ください。このブログのコメントにご記入いただいても
結構です。

(写真は雨に煙る宝満山 内山本谷礎石群より)

宝満山のバイオトイレ4

2008-06-24 | Weblog

今日の午後、梅雨の止み間をぬって
宝満山キャンプセンター(近世座主坊跡)へ
ヘリによる資材上げがおこなわれました。
おおよそ9往復ほどを約2時間で実施とのこと。
筑紫野市柚須原の資材集積所からのピストン搬送でした。
雨模様で約1週間工期が延びていて、
関係各機関もやきもきされていたことと思われます。

これで仮設のトイレが設置されましたので、
既存のトイレの解体工事がはじまるものと思われます。
新聞記事で公開されたパース図によれば
外観はほとんど同じような意匠で、
バイオのユニットが入るために
床が現在よりもかなり高くなるようです。
9月頃には新しいバイオのトイレが
使えるようになる事でしょう。


これに先立ってこの前の日曜日(6月22日)に
太宰府市宰府の太宰府館において
「山のトイレ、環境を考える福岡協議会」の
設立総会が開催されました。
配布された資料によれば、この会は
「将来に亘っての山の自然環境保全の為に、
その実施に向けての諸活動を行うと共に、
登山者の自然保護意識の向上と振興を目的」
とした団体で、具体的な活動として
「1 山のトイレに関する調査、研究と設置拡充に向けての活動。
 2 登山者のマナー向上に関する啓蒙活動
 3 山岳団体、自然保護団体、及び行政との連携」
が挙げられています。

事務局は宝満の登山口にある九州登山情報センター内に置かれ、
本会員の年会費は個人が2,000円、団体が5,000円とされています。

宝満山でのバイオトイレの運営状況が
今後の県内での設置に影響するものと思われます。
設置者の気持ちをどこまで利用者に伝え
感じてもらえるかが鍵になるようです。
本会でも啓発のサポートは積極的に展開したいものです。

東院谷の景観1

2008-06-23 | Weblog

宝満山東側(筑紫野市)斜面にある
東院谷の石垣と江戸時代からの往還路


その石垣に咲く白き花群

※西鉄さんによるキャンプセンターへの
ヘリによる荷揚げは明日おこなわれるようです。

近世宝満二十五坊

2008-06-22 | Weblog

宝満二十五坊といいながら、
昨日アップした寛文11(1671)年のデータでは
29の集団の名前が記載されています。
明治2年の「佐々木文書」ではこのほかに
吉祥坊(吉田家)の名も見えています。
どうも長い江戸時代の中で各坊の盛衰があり
史料間で異同が生じているようです。
筑前黒田藩の元和九(1623)年の知行高帳では
「一弐拾五石 三笠郡 宝満山」
となっており(元禄九(1696)年以降五十石)、
元和の時点では石高上は25坊の認識だったようです。
(写真は東院谷の座主坊の石垣)

宝満二十五坊

2008-06-21 | Weblog
奥之坊さんの話題が出ましたので
山中にあった坊について参考資料を
出しておきましょう。

宝満山山中を散策すると
所々に○○坊と書いてあるのは
そこに江戸時代まで屋敷を構えていた
修験道系の集団があったことによります。
彼らは筑前黒田藩から禄を受け、
広い山中の土地をそれぞれで管理していました。

1671寛文11年の『竈門山水帳写』による近世初期の
宝満山にあった修験系の坊は以下のとおりです。

修蔵坊、富倉坊、歓明坊(大聖坊)、南之坊、楞迦院(平石坊)、福泉坊、経蔵坊、東院坊、浄善坊、道場坊、鳥居坊、新坊(財行坊)、尾崎坊、福寿坊、松林坊、井之本坊、財徳坊、市坊、伊多坊(栄門坊)、亀石坊、岩本坊、金凝坊、福蔵坊、大谷坊、浄行坊、寂光坊、普内坊、奥之坊、仲谷坊

写真;宝満山山頂より東院谷を望む(20070430)
左のキャンプセンターが座主(楞迦院)跡。
そこから右下に各坊の屋敷地が広がる。

博多冷泉町の宝照院さん2

2008-06-20 | Weblog
宝照院さんでは「大黒天福迎祭」の他にも行事があるようです。
近い行事では、博多の西門通り入り口にある葛城(かつらぎ)地蔵での
院主大岡重實氏による7月21日のご祈祷。
8月6日は「七夕祈祷会」。宝照院で夕方から護摩が焚かれ、
冷泉町内での辻祈祷と千灯明が奉納されます。

博多冷泉町の宝照院さん

2008-06-19 | Weblog

江戸時代の宝満山にあった25坊の修験集団は
明治の修験道廃止令に従って離山しました。
その25坊の一つであった奥之坊さんは、
前原を経て博多竹若番の宝照院に入りました。
山中の坊でお祀りされていた
「塩売り大黒」さんも現在はここにあります。
大黒天像が年に一度開帳される「大黒天福迎祭」(12/2,3)
は地元行事として定着しています。

宝照院はもともと北極星(北辰)を神格化した妙見菩薩をまつるお堂で、
地元では「北辰さま」と呼ばれ、本尊を火除けの神として祭ってきました。

間口の喫茶店の名が「タカラ」となっています。