宝満山研究会(山岳宗教遺跡の保全と研究)

大宰府の北東に聳える宝満山の歴史的価値を掘り起こし、山の保全を考える会です。

「山の寺」科研の研究会

2009-11-28 | Weblog

本日、九州歴史資料館において、科研費基盤研究(B)「日本中世における「山の寺」(山岳宗教都市)の基礎的研究」(URL=http://ucrc.lit.osaka-cu.ac.jp/niki/yamanotera/index.html 、2008~2011年度、研究代表者=仁木宏)による研究会がおこなわれました。詳細は以下の通り。

  基調講演
小田富士雄氏「北部九州の山岳信仰」
  報告
大庭康時氏(福岡市教育委員会)「博多と福岡平野周辺の山の寺」
吉良国光氏(大分県立芸術文化短期大学)「中世の脊振山について」
桃崎祐輔氏(福岡大学)「一貴山 夷魏寺」
山村信榮氏(太宰府市教育委員会)「宝満山」
江上智恵氏(久山町教育委員会)「首羅山遺跡」
井形進氏(九州歴史資料館)「薩摩塔について」




 宝満山については如法による浄地化後に坊が形成され、その後に山頂経塚が成立して、山頂経塚が眺望のネットワークでつながる、という説がだされました。
 質疑の中で注目されたのは、山岸常人先生(建築学)が、宝満山の本谷遺跡群について、基壇裾に対して礎石配置が小さいことから、復元を3間四方にこだわらず、5間まで視野に入れて検討する余地があると発言されたことです。
 井形進氏のいわゆる「薩摩塔」の制作年代が久山白山でセットになっている宋風獅子の像様から13世紀以降の所産とされたことが新知見として注目されます。天台の寺内システムが傾いて、所により臨済宗や時宗、真言律宗の連中が山内や周辺に進出し出す時期で、修験道の組織化の胎動期とも考えられ、示唆的な所見でした。


菅谷先生と修験道

2009-11-23 | Weblog
「祈りの山 宝満山」の講師であった菅谷先生は
長く橿原考古学研究所でのご活躍された後に、
滋賀県立大学で教鞭をとられて昨年の3月に
めでたくご退官されました。そのお祝いの宴は
京都のホテルで開かれて300名以上が参集した
とてもにぎやかな会であったのですが、
会の終盤でちょっとびっくりする展開がありました。

先生は山の考古学会に籍を置かれ、世界遺産となった
熊野古道の大峰山関連の調査に長らく従事されていました。
その関係からか大峰山当山派の方々が壇上に現れ、
先生に「正大先達嶺寶院文則」の称号と山伏の
装束一式を授与するという趣向があったのです。
そして大団円は修験者となった先生が
壇上で挨拶されるという仕儀でした。
考古学会広しといえど先生ほど修験道世界のことを
語ることのできる先生はいらっしゃらないでしょう。
その目からみえた宝満山についてもう少し
お話しを伺いたかったところです。

九博の記念講演会

2009-11-23 | Weblog

昨日の午後、九州国立博物館の1階ミュージアムホールにおいて
記念講演会「祈りの山 宝満山 ―山岳信仰と修験道―」がおこなわれました。

これは現在同博物館の文化交流展示室 関連第9室でおこなわれている
企画展示「祈りの山 宝満山」にあわせて企画されたもので(http://blog.goo.ne.jp/dazaifu2340/e/9215229fdbc87bd2382658e54c9bb278)、趣意書きによれば、
「太宰府の霊山である宝満山の歴史と文化を最新の調査・研究成果を踏まえながら、歴史考古学・宗教民俗学の視点から複眼的に捉えるとともに、九州および日本の山岳信仰や修験道の歴史における宝満山の位置づけについて考えます。」
とされています。
内容は奈良県立橿原考古学研究所長菅谷文則先生による「山岳信仰の考古学」、
福岡県文化財保護審議会専門委員森弘子先生による「宝満山の歴史と信仰」の講演2本立てと、ディスカッションが。そして記念のイベントとして宝満山修験会による山伏問答の実演がおこなわれました。



 印象的だったのは菅谷先生のご指摘の中に、宝満山の初期の祭祀が「律令祭祀」で括れるのか?、という問いかけでした。奈良~平安時代初期に行われた山頂での祭祀が、皇朝銭、三彩陶器、滑石などの模造ミニチュア製品などのセットが確認され、小田富士雄先生が宗像沖ノ島の祭祀セットと同様な様相であることが指摘されて、国家的な律令祭祀であると結論付けられています。しかし、菅谷先生は古代の山での祭祀は律令で定められた用具を使ったようなものでなく、そこそこでの個別性があるのだ、と指摘されました。宝満での沖ノ島との類似こそが、ここでの祭祀の個別的な特徴の一面といえるのでしょう。

安西塔落慶法要

2009-11-17 | Weblog

法要は16日午前中から会場の設営がおこなわれ、
午後2時半頃に地元天台宗教区の方々が参集され
報道人もスタンバイしてものものしい雰囲気となりました。
3時前に天台宗宗務所の役員の方々、比叡山本山の方々が登壇され
いよいよ法要が開始されました。



式は3時から開会し宝塔の除幕に続いて
記念碑の序幕がおこなわれました。


法要は法華経開経偈に続いて観世音菩薩普門本偈が唱和され
参列者が順次焼香する流れで進行しました。



比叡山延暦寺執行の武覚超先生による安西塔の由緒と
今回の宝塔再興の趣意が説明されます。


そして滞りなく式は1時間ほどで完結しました。
参列者には涙する人の姿もあり、
さまざまな想いでこの塔が建立されたことがわかりました。

本日はこれに引き続き宇佐八幡宮の境内にて
安南塔の再興の落慶式がおこなわれたそうです。

竈門神社の紅葉

2009-11-14 | Weblog

竈門神社正面を西から見ています。
遠目に神社境内のイチョウの木が
見事に黄色く色づいているのが見えます。
ハゼは落葉しかかりで紅葉がようやく色づきだしたようです。
見ごろは来週くらいでしょうか?
平日でもひっきりなしにお客さんが見えています。
明日以降、また寒くなるようですから
紅葉も一段と進むことでしょう。

安西塔が石造で宝満山に再建さる

2009-11-10 | Weblog

今日宝満山に天台宗の六所宝塔のうちの一つ
安西塔が石造で再建されました。
塔内に法華経が納経されています。

遺跡が昭和56年に発見されて28年。
多くの方々のおもいが込められて
このような形で姿を現したということでしょう。
まさに人の気持ちから宝満の地から湧き出でた宝塔です。

竈門神社の紅葉はじめ

2009-11-09 | Weblog


今日の竈門の紅葉の状態です。
ちらほらと紅葉が始まっています。
訪れた方々は「あーちょっと早かったねぇ」
と少し残念そう。

明日から雨が降って
また気温が下がって・・・

見ごろは来週以降でしょうか?

山中では紅葉の早いヤマザクラは落葉、
ハゼは紅葉から落葉、イヌビワが黄色になり
徐々にその色の変化が里に降りつつあります。

天台宗による六所宝塔の再興

2009-11-05 | Weblog




天台宗では開宗千二百年の事業として
開祖最澄が企画した六所宝塔のうちの
安西塔と安南塔の再興を企画されています。
そのうちの安南塔は宇佐八幡宮の境内、
そして安西塔はここ太宰府宝満山の山中です。
太宰府市が一昨年に発掘調査した宝満34次の
本谷礎石群の地所を天台宗が買い上げて、
現在は石造の宝塔を建立中なのです。

1100年の時を経てまた法華経の功徳を広め
この国を安んじるための宝塔が今再興されようとしています。

宝満山の2009植樹祭

2009-11-03 | Weblog

今年も早朝から渋滞が発生するほどの盛況ぶりでした。
大半は通行手形を求めての登山者の列が駐車場を埋め尽くしています。


植樹は150本が用意されていました。
アオキ、サカキ、ヒサカキなどが見られます。
どれも周辺に生えている種のようです。
参加者は苗木のほかに腐葉土と軍手、
差し水の入った2本のペットボトルと
植え方の書かれたマニュアルを一の鳥居で受け取ります。
植樹の場所は水害で通行止めにされた天狗道。


スタッフが到着してびっくり。
昨日準備のため掘った植樹の穴が
ことごとく足で踏みつけられて埋まっていました。
関係者には相当なショックなできごとでした。
戦後に登山者の勝手で取り付けられた
新たな登山道は思わぬところで山を傷つけ、
集中豪雨の際には水を導く河川となって
濁流を運んで斜面を崩壊させています。
このことから里道でない新規の道は
極力自然にもどして山を崩壊から守ろう、
というのがこの植樹の趣意と聞いています。
竈門神社が判断されて平成15年7月の水害以降に
道は立ち入り禁止となっている状況です。
しかし、便利なために未だにひそかに通行が続いているようです。
今回のことは、恐らくは植樹に反対する方による行為と思われます。
歩み寄る術がればいいのですが・・・


いよいよ登山開始!
登拝道はまさに宝満銀座の体です。
おそらく山頂は留まりきれないほどだったでしょう。
今日と元旦早朝の風物詩となっています。


苗木が次々と植えられています。
昨年植えた苗を確認する方もいらっしゃいます。
「あー大きくなっとう!」
歓声が聞こえてきました。
宝満山愛が芽生えた瞬間です。


いたずらされずに根付いてほしいものです。