宝満山研究会(山岳宗教遺跡の保全と研究)

大宰府の北東に聳える宝満山の歴史的価値を掘り起こし、山の保全を考える会です。

8月の例会はおやすみ

2009-08-19 | Weblog


会員各位

8月に予定しておりました例会は
都合によりお休みとさせていただきます。

会友のみさまさにご周知いただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。

事務局

お盆

2009-08-14 | Weblog

気がつけばもうお盆。
太宰府の高速は数珠つなぎのようですが、
市内は至って平穏です。
阿修羅展の九博周辺も駐車場は満車ですが、
目立った渋滞はない模様。

空は相変わらずのはっきりしない様子。
宝満も時々白雲にお隠れでいらっしゃいます。
盛夏、という言葉も使えないうちに晩夏・・・
今年も初盆参りの季節になってしまいました。
亡くなられた先輩方を思い出す時
くらしの向こうにいつもこの山があったなぁ、と。
山は姿を変えずに今日もそこにいらっしゃいました。

想う夏・・・合掌

旧の七夕

2009-08-11 | Weblog

梅雨明け宣言が出されたとはいえ
今年はすっきりしない空模様が続いています。
竈門神社では旧の七夕飾りが出されていましたが、
肝心の7日も夜は曇りベースでした。
9日日曜は西院谷では仏さん騒ぎで大変だったようです。

内山のマンゴロウ

2009-08-05 | Weblog

「話しは変わりますばってん、
あーた、道のハタのマンゴロウに気づきましたな?」
宝満での災害の巡視中に様子を伺っていた
地元内山の方との会話で出てきた話題でした。
本当に久しぶりに聞いた「マンゴロウ」。

竈門神社を左へ通り過ぎて、
宝満の一の鳥居に向かうすがら、
そば屋山公さんも式部稲荷さんも通過し、
鳥飼さんのお墓のカーブを過ぎた
ちょうどそこ、道の脇にそれはありました。


「草刈りするたんびに、いっつもおんなじとこ、
さっちおんなじとこに決まってマルボロのですな、
マンゴロウの捨ててあるとですたい。
最初はいややったけど採って捨てよりましたばって、
採ったらまぁたおんなじとこに捨てるとですよ。
えーくそこんちくしょう!なら見せしめたい!
とおもぉて、わざぁと置いとりますと。」

まったく山男(女か?)のモラルはどこへやら・・・
無理やり道際に駐車して路肩が
広がったとこがあるかとおもえば、
ヤマを灰皿かゴミ箱同様にしてしまうものも・・・

見せしめは効いたのでしょうか?
久しぶりに聞いた煙草の吸いさし
「マンゴロウ」の言葉と
少し哀しい思いのお話しでした。

宝満山の被災個所2

2009-08-03 | Weblog



宝満山の太宰府市側でもう一箇所
集中豪雨で被災した所をご紹介します。
場所は竈門神社を出て汐井川を遡り、
式部稲荷のある沢を辿る九州自然歩道の沿いです。
稲荷さんを過ぎて岩場の道を登りきったところ、
東側に開けた斜面幅10m以上が谷底まで滑っています。
斜面に生えていた樹木数本が落下して
本谷池からの流れを覆い隠していました。
今日は朝から竈門神社の方々が
撤去作業に従事されておられました。
今日の午後からの天気予報が雨だったからなのでしょう。
暑い中での作業お疲れ様でした。
登拝路の半分が崩落しており、
谷が10mほどあって深いために危険です。
簡易なロープが張ってありますので
ご通行には十分な注意が必要です。

宝満山東院谷の豪雨被災状況

2009-08-01 | Weblog

やっと気になっていた東院谷の被災状況を見に行きました。

キャンプセンターのある座主坊の西に流れ込んだ水が
南坊方面へ駆け下りるうちに土石流状態になり。
坊の斜面を抉り、石垣を舐めて流れ下っています。
坊の南にある水場はとうとう土砂が流入し
上で水道が変わったために消失していましました。

途中の石段で西鉄山友会の方とお会いしました。
7月24日金曜夜の110mm降った集中豪雨の時、
キャンプセンターの山小屋に一晩おられたそうです。
今までにない恐ろしい降り方で、
あらゆる階段や通路が瀧になっていたとか。
土石流の走った箇所は大木を倒したような
水柱が斜面を轟々と抉っていたそうです。
山頂から座主坊に降りる登山道が水源で、
「さいかち」の裏の沢にさらに水が集まって
土石流を発生させたようです。
平成15年7月の時に崩落した坊中の往還の東側は
崩壊していた斜面の一部が表層で滑った様子のみで
深刻な場所は見られませんでした。
往還の階段もしっかりしています。
水が集中しない分散する構造がもともとあるようです。
それに抗って登山道が路面を形成して
さらに溝状になったところに水が集中して
惨事を引きおこすようです。
山友会さんは早速水を逃がす
作業をされておられました。
江戸期は坊の全体でこのような営繕を
し続けてきた結果このような
坊の構造に辿り着いたのでしょう。